2500年前にお釈迦様が卓発を思いつきました。
卓発とは修行僧が鉢を持って家々を回り、食べ物やお金をもらうという習慣です。
そしてお釈迦様はこう言ったそうです。
明日から卓発というものをやりたいと思う。卓発では貧しい人々の家を回りなさい。
弟子たちは驚いて、どうしてお金持ちではなく貧しい人々なのか、その説明を求めると、
お釈迦様は貧しい人々は自分が貧しいと思い続けて他人に施しをしてこなかった人たちです。
他人に施しをすることで救われるのだから救いに行ってあげなさい。そのための卓発です。と答えたと言います。
自分に財力がないから施しができないと思っている人は、施しをしてこなかったがゆえに財が入ってこなかったのでしょう。
先に施しありきです。それは金額の問題ではありません。気持ちの問題です。
一割でもいい。例えばゆとりのない人が一万円の一割、千円を人のために差し出す。
この千円は神様から見ると素晴らしいものではないでしょうか。
自分が置かれている状況よりももっと困っている人がいるかもしれない。
だから少しでも役立ててほしい。そう思ってお金を使うと、それを見守っている神様はどうやら4倍以上にして返してくれるみたいです。
お金が貯まったから出すのでも、普通の人より持っているから出すのでもなく、自分の出せる金額を出すことから始まるようです。
1秒で消える。
太陽が昇ることにも月が沈むことにも私たちは文句を言いません。
でも人がしたことに対しては寛容になれない時があります。
社長や上司が私にひどいことを言った。
子供が言うことを聞かないと怒ってしまうんです。
人間には感情的になる、腹を立てる、怒る、妬む、憎むというエモーショナルな部分があって、
人間が何かことを成している、そして私に悪意的に働きかけてきた、と思った時に怒鳴りたくなるわけです。
エモーショナルを克服する方法の一つが、人間は大したものではないと思い知ることです。
もともと人間は大したものではありません。
大したものであるという実態が存在しているわけではない。
自分が肩に力を入れて勘違いして虚像を作り出しているだけです。
その虚像は幻で人間は大したものではないと思い知った瞬間に、エモーショナルは1秒でなくなります。
詳しい説明は省きますが、人間の体は分子によって構成されています。
分子を構成するものは原子で、原子を構成するものは原子核と電子です。
この原子核と電子の間にはスカスカの空間しかないそうです。
どれほど偉そうに振る舞っている人でも、その人の体を構成しているのは、
量子力学的に見ると99.9999%、9が23個続きます。
空間です。スカスカで何もないに等しい存在とのことです。
そんなスカスカな人間が、海から太陽が昇った、月が海に沈んだ、目の前で誰かが何かを言ったと一気一遊し、
それが気に入らない、なぜお前は俺の言うことを聞かないんだと文句を言うのは申し訳ないですが、
ちゃんちゃらおかしい。もともと人間は大したものではありません。
そのように思うことができたら、実は自分が楽になる。他人のためではなく、自分が一番得をするんです。
人生はそうなっている。
生まれながらにして人生のシナリオが決まっているらしいと、私自身が導かれたいくつかの証拠があるんですが、
アナグラム、文字の並び替えもその一つです。
例えば、私の名前、小林誠勘は、恩としては本名です。
この8文字を並び替えると、完成後、林となります。
私は完成したら後はひたすら早く走れと解釈しました。
幸も不幸も存在しない、そう思う心があるだけといった新しい価値観が、
完成したら後ろを見ずに走れというメッセージとして捉えたんです。
使命の中に使命が隠されているという事実に驚きましたが、
それは取りも直さず、生まれながらにして人生のシナリオが決まっているということになるのではないでしょうか。
私が努力したり頑張ったりすることで、使命が決まるのではないようです。
未来は始めから決まっていて、その通りの出来事が起きるらしい。
どのような使命を背負って生まれるのかも、どのように死ぬのかも、私が決めてきたらしい。
これが私の結論です。
よく私のアナグラムを見つけてくださいと言われるのですが、興味本位でやっても見つかりません。
今何かをやらされているなら、それらしい分が見つかるのですが、
世のため人のために貢献しておらず、自分の喜びや楽しみを追いかけている場合、
あるいは給料をもらうためだけに仕事に明け暮れている場合には、なかなか見つかりません。
ただ、使命の中には生まれながらの使命、役割があるらしいということだけはお伝えしておきます。
偶然つけられた名前は一つもありません。
私たちは一人一人がその家と親を選び、生まれ、親に私の名をつけさせたんです。
私たちは自分の意思で進む方向を決めると思っていますが、選ぶ道は生前に書いたシナリオ通りらしいのです。
小林政官の人生はこう言い切ることができます。
私の人生に選択肢はなかった。それしか選べなかったし、必ずそうなるようになっていた。
過去のすべてがそうであるなら、これからの未来もおそらく選択肢はないでしょう。
すべてそのようにしか選べないのです。
どれほど慎重に考えて選んだところで、その選択の結果はシナリオ通りらしいんです。
皆さんがこの本を読んだ結果、今までと違う生き方をしようと決めたとします。
散々どなっていた人がどならなくなったら、周りの人はあの人は変わったと思うでしょう。
けれどそれもシナリオ通りです。
その人に出会うようになっていた。その話を聞くようになっていた。
偶然にその人に出会ったり、本に出会ったりしているわけではありません。
皆さんが今この本を読んでいるのも、すべて自分が書いたシナリオ通り。
どうも人生はそうなっているらしいんです。
神様は宇宙法則の番人。
ありがとうを言い続けると、またありがとうと言いたくなる現象が降ってくる。
神様はその人が発した言葉に反応して、その言葉をまた言いたくなる現象を起こします。
言ったことが叶うのではなく、言った言葉をまた言いたくなるように神様がセットするらしい。
というのが私が掌握した宇宙の法則です。
ありがとうを年間1万回言ったとします。
すると、この人はありがとうを言うことが好きみたいだ、と思った神様がありがとうと言いたくなる現象を来年も1万個降らせてくれるらしい。
神様は宇宙法則の番人です。
どんな時にも、こうするとこうなる、こうしないとこうならない、という宇宙の法則にのっとった働きかけをしています。
人に罰を与えたり、たたったりすることはなく、感情も持たず、あくまでも法則に従って否定的な言葉を言う人には否定的な現象を、肯定的な言葉を言う人には肯定的な現象を降らせているんです。