2023-07-14 10:20

087.チキンラーメンを作った安藤百福さんの話

チキンラーメンめっちゃうまいですよね。

安藤さんは偉大な方ですね。

いつもありがとうございます。感想、コメントなどありましたら、是非お願いします。
YouTube:脱サラ目指す40代サラリーマンのチャンネル
https://www.youtube.com/@naoto_mind
kindle本:副業がなぜかうまくいく考え方
https://amzn.asia/d/fzAlhwH

00:02
世界に多くの喜びを提供しよう。起業家たちの心構え。
はい、こんにちは。ナオトです。
今日は、チキンラーメンやカップヌードルでおなじみの日清食品の創業者である安藤百福さんについて話していきたいと思います。
安藤百福さんは、ハレー彗星が地球に大接近した1910年に生まれたそうです。
幼い頃に両親を亡くした安藤さんは、ご福典を営む祖父坊の下で、商売の現場を間近に見ながら育ったそうです。
独立心と事業意欲が旺盛だった安藤が、誰もやっていない新しいことをやりたいと最初に選んだのは繊維事業でした。
22歳のおかさでメリヤスを販売する会社を設立すると、大成功を収めます。
他にも、源頭器の製造、炭焼き事業、バラック住宅の製造、生園や学校の設立など様々な事業を手掛けた安藤さん。
時代の流れをいち早くキャッチしてすぐに事業化するベンチャー精神と失敗しても諦めないバイタリティは、この頃から芽生えていたそうです。
そしてどんな事業も何か人の役に立つことはないか、世の中を明るくする仕事はないか、という安藤の確固たる信念の下に行われていたそうです。
終戦後食糧難となった日本では、お腹を空かせた人々が街にあふれ、栄養失調のために生き倒れになる人が後を絶ちませんでした。
この悲惨な光景を見た安藤は、やっぱり食が大事、食がなければ陰も獣も芸術も文化もあったものではない、と食の大切さを痛感したそうです。
ある時大阪駅近くの闇市を通りかかった安藤が目にしたのは、寒空の下一杯のラーメンを食べるために並ぶ長い行列でした。
安藤は日本人が面類好きであることを改めて実感したのと同時に、この行列に大きな需要が隠されていることを確信したそうです。
03:07
1957年、安藤が理事長を務めていた信用組合が破綻しました。
安藤は全ての財産を失って、残ったのは大阪府池田市の借屋だけでした。
しかし安藤は失ったのは財産だけ、その分経験が血や肉となって身についたと考え、自らを奮い立たせたのだそうです。
そして闇市のラーメン屋台に並んだ人々の姿と、日本人が面類好きであることを思い出して、お湯があれば家庭ですぐ食べられるラーメンを作ろうと決意します。
無意地悶の生活から這い上がるために、長い間温めてきたアイデアの実現へ向け、第一歩を踏み出します。
安藤は自宅の裏庭に建てた小屋で、お湯があれば家庭ですぐ食べられるラーメンの研究を始めます。
道具や材料はすべて探し集め、1日平均4時間という短い睡眠時間で丸1年間、たった1人で1日の休みもなく研究を続けました。
まさに死に物狂いで取り掛かったそうです。
安藤は開発にあたって5つの目標を立てます。
何よりまず、美味しくて飽きない味でなければならない。
そして家庭の台所に常備できる保存性があり、調理には手間がかからないようにする。
さらに値段が安く、安全で衛生的であること。
そして目標を定めたものの、安藤は麺作りについては全くのど素人だったため、山のような試作品を作っては捨てる日々が続いたそうです。
気の遠くなるような作業を繰り返してようやく理想的な配合にたどり着いた安藤は、
食品とはバランスだ。食品の開発はたった一つしかない絶妙なバランスを発見するまで、これでもかこれでもかと追求する作業であると悟ったそうです。
麺を長期保存するにはどうやって乾燥させればよいのか。
またお湯を注いですぐ食べられるようにするにはどうすればよいのか。
06:02
この保存性と勘弁性の実現こそがインスタントラーメンの開発における最も高い壁でした。
ある日のこと、安藤が台所へ行くと妻が天ぷらを揚げていました。
熱い油の中に入れられた小麦粉の衣は天ぷらの鍋の中で泡を立てながら水分を弾き出していました。
これを見た安藤はひらめいて早速麺を油で揚げてみると麺の水分が高温の油で弾き出されました。
ほぼ完全に乾燥した状態となった麺は半年間置いても変質したり腐敗したりしない保存性を獲得します。
加えて勘弁性についての問題もこの製法で解決することがわかります。
注いだお湯が水分の抜けた穴から吸収され、麺全体に浸透し元の柔らかい状態に戻っていったのです。
こうしてインスタントラーメンの基本となる製造技術である瞬間油熱乾燥法のヒントが発見され、
1958年の8月25日に世界初のインスタントラーメンであるチキンラーメンが発売されます。
お湯を注ぐとたった2分で食べられるチキンラーメンは当時の常識では考えられない食品だったため、魔法のラーメンと呼ばれ大人気になります。
発売当時は1食35円だったそうです。
うどん一玉が6円の時に35円だったので、
豚屋の主人たちはこれでは商売にならないという感じで渋りましたが、
実際に徐々にチキンラーメンを食べた方からの声がすごくおいしくて便利だという感想は日々にどんどん高まっていって、
やがて豚屋への注文が殺到して、ついには豚屋のトラックが工場前で列を成してチキンラーメンの出来上がりを待っているほどの大ヒットになったそうです。
チキンラーメンが誕生したのはちょうど共働きや各家族が増え始めた時代です。
お湯を注ぐだけで食べられて長い保存のできるインスタントラーメンは主婦の味方になります。
またスーパーマーケットが日本に初めてできたのもチキンラーメン誕生の前年だったそうです。
09:06
それまでとは大きく異なる欧米型流通システムの登場により、インスタントラーメンなどの加工食品を大量販売するルートが切り開かれたちょうどいい頃だったそうです。
さらにテレビというメディアが人々の注目を集めたのもちょうどこの頃。
当時はまだメニアとしての力が未知数だったにもかかわらず、安藤はいち早くテレビ番組のスポンサーになりコマーシャルを制作しました。
チキンラーメンはテレビの急激な普及と足並みを揃えますます広く知られるようになっていったのです。
はいありがとうございます。
安藤ももふくさんの話はまだあるんですけど、このまま話すと20分とかになりそうなんで、明日は続き話したいと思います。
今日はここで終わりたいと思います。
それではまた明日。ぜひ聞いてください。
良い一日をお過ごしください。
ひなおとでした。
10:20

コメント

スクロール