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#155 麦酒は山手からはじまった!日本人がビール好きになった理由とキリン無双の時代 ~キリン一番搾りと、横浜とビールの歴史②~
2026-05-31 36:15

#155 麦酒は山手からはじまった!日本人がビール好きになった理由とキリン無双の時代 ~キリン一番搾りと、横浜とビールの歴史②~

「なんか親世代はみんなめっちゃビール飲むなって思わない?」「国がビール産業に介入しはじめてね...」シリーズ第2回となる今回は、いよいよ本格的に日本におけるビール普及の歴史を深堀っていきます。

日本でビールがここまで浸透した理由はなにか...当時の経済や時代背景を踏まえつつ、じっくり解説します!

これを聞いたらあなたもキリンクラシックラガーが飲みたくなる...はず!!


◆今回のお酒◆

村田:キリン クラシックラガー

鶴田:キリン クラシックラガー


◆今回のキーワード◆

始まりは横浜山手のスプリングバレーブルワリー / 麒麟の誕生 / 配給は「超巨大試飲キャンペーン」だった / 日本人がビールを飲みだした瞬間 / 冷蔵庫の普及でシェア60%!キリン無双時代 / 三河屋さんが運んだラガーと殿様商売 / 目指せ打倒ラガーの名作「ハートランド」誕生


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感想

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00:06
この番組は争いになって生まれ故郷の横浜に帰ってきた2人が、アルコールをがたてに、浜談義や趣味の話しに花を咲かせるレイディオです。
今回は前回に引き続き、横浜とビールのお話をやりましょう。
つるぽんから聞けるということで。
はい。
はい、じゃあ乾杯!
今日は先に聞きますけど、今日は何を?
何のビールですか?
キリン。
クラシックラガー。
クラシックラガー。
瓶のお供に。
ちょっと瓶でね、雰囲気出しながら聞きたいなと思いますけど。
一番搾りと横浜とビールの歴史第2回目やってきます。
はい。
前回ちょっと全然話せなかったんだけど。
そうね。
あの横浜とビールの歴史を今日主に話していければと思ってますと。
はい。よろしくお願いします。
これあのキリンの工場でもちょっと見れるんだけど、もうそれ以上にめっちゃ深掘るんで。
うん。
楽しみに聞いてあってください。
はい。
まずですね、日本のビール自体は、これ前回も話したっけ?
あの江戸時代の出島とか、ペリーの来航とかに振る舞われたんだが、
だから商業として日本でビール作られ始めたのは1870年。
1870年。
開国が1854年なので、15、6年後ぐらいですかね。
はいはいはい。
に、これ舞台は横浜の山手でございます。
山手。
そこで、ノルウェー系アメリカ人のウィリアム・コープランドさんという人が、
コープランドが、スプリングバレーブロアリーという醸造所を建てたのが、
スプリングバレーで始まったの?
日本のビールの始まりなんですね。
そうなんだ。
ご存知、あのダイカヤマかな?のあたりにもあるよね、今、スプリングバレー。
あ、そうなの?
スプリングバレーのさ、あと缶も売ってるし。
あ、そう、缶の方をイメージして、あれって発祥の、その、あれ?醸造所?
醸造所。
の名前だったんだなと思って。
そこから取っていますと。
そっちから取ってんだね。
そうなんですよ。
何だろうと思って、スプリングバレーって思ったのよ。
なんか湧き出る谷というか、みたいな。
山手からは、昔、結構いい湧き水が湧いてたんですね。
へー。
山手のね、北方小学校って今もある小学校あたりに、井戸というか湧き水の場所があって、
そこでスプリングバレーブルーアリーを創業しましたと。
で、コープランドさんは、もともとノルウェーで生まれて、
で、ドイツ人のビール醸造技師か、の人に弟子入りして、ビールめっちゃ修行して、
で、アメリカ行って、で、ビール未開の地で成功を夢見て、横浜にやってきましたと。
ほー、なるほどね。
で、当時開国した後だから、ご存知、巨流外国人もたくさん住み始めてたんで、
03:05
みんな外国人がビール飲みたいと思ってたんだ。
その人たちに、ビール日本で作っちゃおうかなと。
っていう感じで、コープランドさんは、横浜でビールを作り始めましたと。
で、一応その同時期に、何人かの外国人がブルーアリーを作ったり、ビール作ったりを横浜あたりでしてたんだけど、
まあでも、一番有名だし、ちゃんと通じてたのが、コープランドさんのスプリングバレーブルーアリーで、
当時ヤマテの自宅の庭とかを改装して、ビアガーデンみたいな感じにしてね、できたビールを振る舞ったり、みたいなことをやってましたと。
日本初のビアガーデンと。
だいぶ広くない?お庭。
まあ、どう思うんだろうね。
まあでも、外国人当時の土地めっちゃあったんじゃない?
もうそのレベルじゃない?
ヤマテの土地をめっちゃ持ってたんじゃない?多分。
あ、そんなにいい感じだったんだ。
当時まだそんな人住んでたかというと。
ああ、じゃあ土地としても結構余裕があったのかね。
し、日本人はそもそも追い出されてた。
もと町行ったりとか行ったじゃないですか。
そうですと。
で、当時もちろん冷蔵庫とかもなかったんで、消耗期も短いですし。
え、ないんだっけ?当時ってまだ。
あの、氷とかで頑張って冷やしてた。
あ、その時代か。
あ、そうそうそう。
ので、洞窟をね、ヤマテに掘って、穴掘って、そこにビール置いて冷やしたりとか。
山だからちょうどいいのか、それ。
どうなんかな。
どう掘ってたかちょっと気になるけど。
どんぐらいの大きさかも、僕もわかんないんだけど。
あの、やっぱ冷やせないからさ。
仕込みとかはもう冬だけやったりとかしたり。
で、6種類ぐらいのビールを作ってたらしいですよ。
で、やっぱりその、日本人とかまだビール全然、もちろん知らないから、
日本に住んでる外国人を中心にマーケットを拡大していきましたと。
どんどんどんやっぱ結構人気で、東京とか長崎、神戸、函館、
で、そしてもう上海とか、どんどん出荷するぐらい、結構人気なビールだったら見たいですね。
そうなんだ。
一方、その頃、明治維新後に、明治政府も福岡教兵って、
懐かしい。
日本史の教科書に出るじゃないですか。
四字熟語で、四字熟語とか漢字四文字答えなさいでよく書いたやつね。
日本の経済をね、海外のものをたくさん取り入れて強くしていこうと。
で、そのうちの一つの施策として、
国が直営、つまり官営としての産業にたくさん入れて、
富岡製酒場とかできたりしたじゃないですか。
官営ビール醸造所として、札幌に札幌のビール醸造所を作ったりもしてたりしてました。
この頃。
なるほど。そこら辺のタイミングだったんだ。
札幌ビールは明治政府が作ったビールだったり。
06:05
なので、札幌ビールとかもでき始めていました。
そんな感じでビールが日本に徐々に広まっていったんだけど、
コープランドが横浜やむてにスプリングバレーを運営していた後に、
1884年、84年だからできて14年ぐらいか。
ここに倒産しちゃいました。
え?
スプリングバレー。
そうなんだ。
ちょっとね、事業がうまくいかなかった。
えー、そうなんだ。
そうなんですよ。
なんかだって、日本にビールが広まり始めてみたいなっていう。
だって、官営のはまた別のところを建てちゃったから。
札幌にね。
普通にそれはビジネスがあんまうまくいかなかっただけで、
そうか。
M&Aじゃないけど、他のところと合併したりとか、いろいろやってたんだけど。
ビール自体は多分広まり始めてたんだよね、きっと。
でも、ほぼ外国人向けだし、超金持ちの日本人向けぐらい。
まだね、まだ。
なるほどね。
まだもう1800年代なんで。
そうか、そうか、そうか。
で、倒産しちゃったんだけど、もったいねえと。
その翌年1885年に、他の在留外国人たちの手によって、
ジャパンブルワリーカンパニーっていうのができますと。
ジャパンブルワリーカンパニー?
なんか、トーマス・グラバーっていう、
これ世界初回に多分出てくるんだけど、みたいな人が支援とかして。
それは資産家の人ってこと?その人。
商人だね。
商人だ。
他のグラバー館ってどこだっけなあ。
長崎北辺り立てた、すごい有名な様式のデモとか。
別に横浜にというよりは日本界隈でいろいろと活動されてた人?
中心になって、同じ大和にジャパンブルワリーカンパニーっていうのを作りますと。
ベーシックな名前だね。
めっちゃ力入れてて、ドイツから醸造技師を招聘して、
ドイツ製の設備を導入して。
やっぱね、昔からドイツスタイルが世界のお手本なんですよ、ビール。
日本のビールはやっぱドイツスタイルのビールが始まってるんだよ。
そうなんですよ。
で、その1885年にできた後の3年後、1888年に
ジャパンブルワリーは夜中に日本に製品を出しますと。
そのラベルには東洋の霊獣のキリンが描かれた。
これがキリンビール。
その時にいたのがキリンラガーが1888年に爆誕しますと。
そこでキリンラガーになったんだ。
当時はただキリンビールって言ってたんだけど、
今のキリンラガー、キリンクラシックラガーがここでついに登場します。
09:03
この時点でもうラガーだとかエールだみたいな概念が存在していて、キリンラガーなの?
スタイル自体は、ビールのラガーとかエールスタイル自体は
もうヨーロッパでは多分昔からあって。
標準的なものとして知られてはいた。
作り方で。
要は寒く冷やして作るか、もうちょっと常温じゃないけどで作るかぐらいの。
あとビール工房の違いぐらいだけだから。
日本で作ってたのはラガーかなっていうのを作りました。
そのキリンビールっていうのができるんだけど、
一方その頃明治政府が札幌を作ってたように、
他にも官営のビールの会社を作ってきました。
日本ビール醸造所株式会社。
これ主にエビスを作ってました。
早いね、なんか思ったより。
あとは大阪に、大阪ビール会社。
これは朝日です。
作ってましたと。
みたいな感じでどんどんビール作っていって、
1900年代に入った頭ぐらいで、ビール税っていうのを今の酒税ですね。
導入してきますと。
明治政府はそれ税金でどんどんガッポガッポ行こうとやってて、
急に税金入ったんで、
当時は日本に結構100だったかな、もうちょっとぐらい。
結構いろんな中小ビールメーカーがあったんだけど、
もうそのビール税の導入でやられちゃって、
割と大手だけが生き残るっていう時代に、
1900年代の頭ぐらいになります。
そうなんだ。
明治政府はね、強制して。
明治政府は狙った流れなのかね、そんななんか。
まあどうは。
中小潰れちゃったんでしょ、当時。
そうね。
いわゆる、今でいうそのクラフトビール、
もうちょっと昔で言えばジビールみたいなバリエーションがさ、
もっとあったかもしれないんだよね、当時の。
そうなんだけど、
ただ当時は、今みたいにビールとか、
一般人ほぼ飲まない、知らないレベルだから。
贅沢品の類。
超贅沢品なんですよ、ビール。
超なんだ。
まださ、技術も確立されてないんで、
そもそも生産量も少ないから、
賞味期限も短いし、
本当、金持ちしか買えない、
至高のお酒だったんですね。
なるほどね。
まだ流行ってない。
誰もそんなビールとか知らん。
みんな、やっぱさ、日本酒とかドブロフとか日本人飲んでるから、
全然知りません。
そういう時期なのか。
そうだね。
1900年代頭とか、
逆に20年以上前ですと。
で、主税を導入したことによって大手が生き残って、
しかもさらにその後に、
さっきさ、関栄で作ってたって言ってた、
札幌ビール、日本麦島エビスと、
12:03
大阪ビール、これあの、朝日か。
朝日。
を、もう合併しようと。
おおー。
大手だったのは3社が。
うん。
合併します。
へー。
合併して、
大日本ビール株式会社っていうのができます。
大日本。
大日本ビールできますと。
強そうだな。
当時は朝日も札幌もエビスも同じ会社が打つ。
あっ、っていう時代がありましたと。
中では一応別の名柄というか、で販売をしたのかね。
えーとね、あーどうだったかなー。
ラインナップはあったかも。
多分朝日とか普通にあったと思う。
へー。
大日本ビール株式会社の。
最強なのかね。
最強の市場の7割をシェアしました。
それでも7割なんだ。
7割。
まあでももう独占金賞に定食するレベルのシェアですよ。
で、ジャパンブール割りカンパニー、横浜の山手で。
彼らはやっぱなんていうの、インディースというか、クラフトマインドでめっちゃ頑張ってましたと。
で、頑張ってて、まさんだけど、1907年ぐらい、頭ぐらいに今後どうしていこうかとなりまして、
三菱グループと、三菱作ったのは龍馬伝とか見せたらわかるけど、岩崎家って。
八太郎?
八太郎の親族の人たちが出資して、ジャパンブール割りカンパニーはキリンビール株式会社となりますと。
今、新しく設立して、で、山手工場っていうのを作って、そこでキリンビール、キリンラガーを作るっていう体制になっております。
まあでも、一応7割は大日本ビール株式会社なんで。
強いね。
細々と。
強いとかチートだね、それね。
キリンは山手ビール作ってました。
その後に、1914年ぐらい、日本人のビール需要がちょっと大きく変わる出来事が。
1914年?
14年あります。
これ第一次世界大戦ぐらいですね。
なるほど。
第一次世界大戦で、海外でヨーロッパとかから物資不足で、めちゃくちゃこう日本にオーダーが来て、
日本経済特殊というか、めちゃくちゃ伸びて、日本人の人もめっちゃリッチになりますと。
で、今まで全く手が届かなかった日本人もちょっとビールを買えるようになってくるぐらい、日本経済が成長し、
このぐらいの時期で、日本のビール生産量が5年ぐらいでも3倍ぐらい、今どんどんどんどん増えていきますと。
で、キリンビールの方は、もうどんどん売れてったんだけど、10年後ぐらい、1923年関東大震災。
で、山手ビール工場ぶっ壊れます。
わお。
全壊します。
15:00
全壊しちゃって、どうしようかなと。
なって、移転先をどうしようかなとなった先が、今のキリンビールの横浜工場にある鶴見の生麦になりました。
はいはいはい。あ、そこの時からなんだ、場所は。
なので、それ以降ずっと生麦に、横浜の工場はあります。
キリンビール自体は、今日本で全9カ所ぐらいかな、あるんだけど、横浜はそのタイミング、関東大震災のタイミングで生麦にできましたと。
ちなみに今度100周年とかだな、100周年で横浜市民限定イベントをやりますと。
行くの?
応募しました。
応募必要なの?
もうやっぱ人気だからさ。
あ、そうか。
そうそうそう。ちょっとぜひみんなも応募して一緒に行きましょう。
何ができるんだろう?見学して?
あの一番しぼりとか、100周年で限定ビール作ったものを飲めたりとか、もうめちゃくちゃレアな体験が。
え、その100周年、100周年ってすごいね。
すごいよね。でもそんぐらい飲んだよ。
限定ビールが市場にも出回るの?例えばコンビニで買えたりとかするような代物になるわけ?
わかんない。
いや、何も書いてなかった。ただ工場で振る舞われるってだけ書いてあったから。
工場限定は?
横浜市民限定で4000人ぐらいだったかな?みたいな。みんな応募しよう。
上級市民だけが行けるんだ。
え、違う違う。上級じゃない。普通に応募して当たった人。
応募して当たった市民は上級市民だよ、もう。
ラッキーなね。
ラッキーな上級市民。
そうなんですよ。
応募しようかなって気になる。
5月中旬ぐらい前だから。
早くやったほうがいいね。
もうこのエピソードが公開されてる頃にはもうないかもしれないけど、みんな当たってたらいいね。
ということで話を戻しますと、
という感じで日本人も世界大戦でちょっと経済が強くなってビール飲む人が増えたんだが、
とはいえ、とはいえ全然ですよそんな。
やっぱ日本酒ですよ。
至高品の立場は。
日本酒かドブロックですよそんな。
全然ですよ。
やっぱそこは変わらずなんだ。
まあね、じゃないですか。そんな海外の飲み物がいきなり来てもちょっとみたいな感じでしょ。
ご飯に合うみたいな話とかもあるんじゃないの?
そうなんです。それもそう。
まだ100年前だよ。
そんな今みたいにハンバーガー食ったでしょ日本人。
マックもないし。
そんな時代だったんで、全然だったんですけど、
とはいえさ、なんか上の世代めっちゃビール飲んでるじゃないですか。
なんでって思わない?なんか。
なんで親の爺ちゃん、父さん、母さん、爺ちゃん、婆ちゃん、さらにその上は、
なんであんなビール飲んでるんだろうって。
トリビーとか言うでしょだって。
そうそう。
とりあえずビール。
酒屋の。
知らないそんな言葉。
これちょっとすごい面白い話が。
もう一段階何かあるの?その。
これからはそうなんですよ。
18:00
ビールの日本人浸透について、
ちょっとこの後いろんなイベントがあって、
あってくんですけど、
結構諸説の中の一つ。
僕が読んだ本に書いてあったので、
面白いと思ったのが、
1939年に時代がちょっと進んで、
第二次世界大戦が始まって、
どんどんやっぱり戦況が悪化していく中で、
食料が配給制になっていくんだよね、日本で。
僕のおばあちゃんとかも、
まだ配給のチケットみたいなの持ってるみたいな、
言ってたんだけど、
要はそのチケットが配られ、
それを持ってくと食料もらえたり、
全部配給制になります。
1942年以降に、
月2本のビールが、
日本の全家庭に支給される。
配給制だから。
平等にね。
それは1949年、戦後のしばらくまで、
配給制っていうシステムはずっと続いていく。
これ興味深いのが、
酒を飲まないとか、
もしくはビールを知らない世帯にも、
問答無用で、
毎月ビールが来ますと。
来ますっていうか、
自分で取りに行くんだけど、
その酒屋さんに。
だから、
ビール飲まない世帯でも、
もしかしたら、
他の人に配るかもしれないけど、
ありがたいしさ、
おそらく飲んでるだろうと。
当時は、
ビールはまだ東京とか、
都市部とかだけだったんだけど、
田舎とか、
もちろん全然普及してないしさ、
配給ルートもないけど、
でも配給制になって、
田舎にも届きますよ、ビールが。
田舎の人とかもさ、
ありがてえみたいな物資もないし、
飲みますと。
だから、
なんていうのか、
問答無用で、
日本の全家庭にビールを飲む、
サンプリングキャンプみたいな状態になったっていう、
説がありますと。
そんな支給されるんだ。
そうそうそう。
そうなんですよ。
だから、
戦時下で娯楽が少ない厳しい生活の中でも、
お酒めっちゃ貴重な物だから、
多分初めは、
なんだこの苦い汁はみたいな感じだった、
田舎の父ちゃんとか爺ちゃんとかも、
せっかくね、
国から支給された、
貴重なお酒だから飲んで、
冷やしたらうまいぞとか、
なんかクセになるぞみたいな感じで、
染み付いてきます。
日本の世帯に。
なんかそれがさ、
どういう立ち位置の支給、
配給だったんだろう。
なんかさ、
嗜好品として出したのか、
あるいはビールはさ、
もっと海外で行くとさ、
綺麗な水を飲めないから、
発酵させたビールになったら飲めるみたいな、
そういう飲料水の、
21:02
大体じゃないけどさ、
見たら立ち位置での、
っていう取り扱いされてた時期もあるじゃん。
日本のその戦時の配給はさ、
ビールの立ち位置はどんな感じだったんだろう。
嗜好品じゃない?やっぱり。
嗜好品なのかな。
配給にプラスアルファの嗜好、
要はその、
その前後からだと思うけど、
例えばチョコみたいな感じのさ、
なんかちょっとその、
なんか余剰楽しみみたいなっていう、
カテゴリーとしてビール、
でも全然知りもしないものが、
届くわけよね。
で、アルコール飲料で。
そうだね、そうだね。
なんか面白いね。
いや面白い。
ま、国営で、官営で、
その、やっぱ、
めちゃくちゃビール作ってたから。
あ、そうか。
渡さないと、
どうしようもないの?
うん、と思うし、
ま、なんかそこを回さなきゃって思う。
あの、もちろん、
末期とかは、
月2本はもう1本になって、
ゼロ本になって、
届いてないけど、
これが僕すごい面白かったの。
問答無用で行きますと。
問答無用。
全家庭2本。
飲んだことない人のところにも届くっていうのがなんか、
面白いなと思って。
そうそうそうそう。
だっていきなり来たらさ、
なんだこれみたいな。
でも存在も知らないレベルだから多分、
当時のね、人とかは。
だってビールすらも、
だって単語として馴染みがないでしょ。
そうそうそうそう。
麦酒みたいなの書いてあるわけ?
当時だと。
そう、麦酒で、
まあビールって読んでたと思うけど。
なんじゃこれみたいな。
なんじゃこれ苦いぞみたいな。
うん。
そう。
なんで、
ハリー・メイ選手にちょっと、
日本人の舌は、
ビール覚えますと。
うん。
昭和に入って、
その昭和の中期から、
ビールの生産量がどんどん倍増していく。
もしかしたらそれは、
日本人のビールの舌を覚えてたからかもしれないし、
そこから高度経済成長期とか入ってくるから。
戦後の処理の中で、
JHQの処理で、
シェア7割だった、
大日本ビール株式会社、
財閥解体されますと。
やっぱその、
独占しすぎ。
ダメだと。
うん。
このタイミングで、
朝日ビールと札幌ビールに分かれる。
あ、そのタイミングで分かれるんだ。
みんな一緒だったのが、
朝日札幌にバンと分かれます。
あれ、エビスいなかった?
エビスは、
確か先日どっかで消える。
あ、そうなんだ。
消えて、どっかのタイミングで復活するんです。
ああ。
なんで、このタイミングで朝日、
今の朝日札幌っていうのが、
戦後にできますと。
うん。
当時ずっとワインとかウイスキーをずっと販売していた、
トリー商店という商店というか会社が、
ビールにも参入しようかなと言って、
名前を改めてサントリー株式会社になりました。
ああ、トリー商店でサントリー。
そう、トリーさんかな。
鳥って普通のバードの鳥に挑んで、
トリー商店。
ずっとワインとかウイスキーやってたんだけど。
トリーさんでサントリーってこと?
じゃあ、サンってそのサンなの?
24:01
えっとね、トリーさんでサントリーが都市伝説なんだけど、
実はそれ違くて、
違いますよね。
ちゃんと由来があるのは確かあったけどさ。
でも結構超有名な、
都市伝説というか。
都市伝説のやつ。
そう思ってる人多分多いと思う。
へえ。
で、戦後になり、
もともとその前まではシェア7割だったじゃないですか、
日本ビール株式会社が。
もうちょっといった後の1970年代くらいでは、
シェアがどうなったかというと、
キリンがシェア60%なんですよ。
とってんすよ。
取りすぎじゃない?まだ。
あれ?細々とやってたんじゃないですか?キリンさんと。
70年代はキリンシェア60%いってんの。
へえ。
一体何があったかと。
ここはキリンの黄金期。
そこが黄金期なの?
ビールのごとくもう黄金の時代がありましたと。
一体何が起こってシェア60%キリンいったんすかと。
ビールって大きく2つの販路があって、
業務用と家庭用の販路があります。
昔はもちろん家庭とかそんなビール下ろしてないから、
業務用なんだよね基本的に。
ビアホールとかさ、銀座で始めてきた高級なビアホールとか、
飲食店とかでしか基本的にビールとかそんな飲んでない。
時代が昔でしたと。
で、大日本ビールもといえ分裂した朝日とか札幌は、
基本的にもちろんシェアも全体的な量も大きい、
業務用の販路で圧倒的シェアを持ってて、
7割持ってましたと。
でもキリンは業務とか戦えなかったから全く。
もう家庭用で細々と販路を開拓するしかなかったね。
たんだけど高度経済正常期に突入しますと。
三種の人気つってなんか。
冷蔵庫とみたいな話?
冷蔵庫とテレビと洗濯機。
冷蔵庫が家庭に増えますと。
めちゃくちゃ増えて家でもキンキンのビールが飲めますと。
家庭でビール消費量めちゃくちゃ増えますと。
70年代ほぼすべての家庭に冷蔵庫が設置されますと。
キリンは家庭の販路めっちゃ強いですと。
気づいたらシェア60%全国のになってましたと。
1972年ぐらいにはもう独占禁止法にもう抵触しちゃうから、
これ以上シェア広げちゃいけませんっていうレベルぐらいまでなる。
強いね。
キリンラガーの絶対王者時代がここにやっぱ来るんですよ。
あっという間にピークだ。
ピークって言っちゃあれか。
言っちゃうと失礼なんですけど。
戦後生まれた、いわゆる団塊世代の人たちが大人になって、
27:02
初めて飲んだビールはキリンラガービール。
だからそのまま成長してってずっとキリンラガーを飲み続けてたんだよね。
なるほどね。
さっきの話で出てた配給で配られたみたいなのも、
結局配給先は家庭だから、
なんか馴染みの味だったみたいなのも出かかったりするのかね。
配給自体はまだ大日本ビールの多いと思うよ。
じゃあ馴染みの味というよりはビールを飲むっていう文化が家庭に広がったのが出かかったのか。
まずビールの存在を知ります。
その後に家庭で飲む量が冷蔵庫とかのおかげで増えて、
その販路を持ってたらキリンラガーが。
家庭で飲みたい人たちが手に入れやすかったビールが、
当時キリンラガーだったっていうことなのかな。
なるほどね。
でも一気にキリンの殿様商売時代が来ますと、
どの酒屋さんもキリンをとにかく置きたいと。
だから卸業者はキリンの営業マンにお茶とかコーヒーとか持てなして、
一箱でも多くキリンを卸してくださいと。
回してくださいとお願いして、
もう営業いいよみたいな。
そんな殿様状態じゃないから。
ちょっと言い方あれだけど、きっと続いてましたよと。
昔のサザエさんのアニメとかで、
酒屋さんが運んで届けてたじゃないですか。
昔は酒屋が各家庭にビール届けてたのよ。
そういうのやってくれてたのか。
僕らのじいちゃんばあちゃんとか。
その時代だったんですよ。
あの中身はほとんどキリンラガーじゃん。
それぐらいキリンだったんですよ。
そうなんだね。
そうなんですよ。
この喧嘩が80年代ぐらいまでずっと続いてきました。
キリン最強時代が。
長い。
というのも、昔はまだコンビニとかお酒買えない。
酒屋でしか買えないみたいな。
じゃあもうあんまり別の選択肢を知る機会もないみたいな感じだったりするわけ?
そうでもない?
そう、そのレベル。酒屋でしか買えない。
だいたい酒屋に置いてあるのはキリンラガー。
ビールと言えばみたいなっていうので。
ビールと言えばキリン。
どのビール買おうかなじゃなくて。
もうキリンなんですよ。
キリンラガーなんですよ。
でもご存知さ、今はスーパーでもちろんコンビニでもお酒買えるし、
それは2000年代ぐらいからもう回路になってるんですけど、
当時のキリンのどの様商売とはいえ、中の人たちもいずれ昇竜も変わると。
し、黄金時代もなくなると思ったキリンの中の一部の人たちといえば、
30:05
ちょっと先の時代を見据えて考えていかねばいかんと。
とはいえ、売ると独占禁止法に定直しちゃうから困ったなと。
量より質を狙っていこうじゃないかと。
で、ラガーは圧倒的に置けば売れるから、
打倒ラガーっていうので、ちょっと変わったビール作ろうかなって考え始めて。
内部で戦ってるんだ。
そうそうそうそう。イノベーションね、内部。
そして生まれたのがハートランド。
あ、そこでハートランドなんだ。
ハートランド、1986年発売。
これはラガーはちょっと苦味ある感じなんだけど、
に変わって苦くない、すっきりとしたちょっと変わったものを目指し、
CMとかも飲みやすい。
若い世代を狙うとか。CMも一切打たない。
売れたら困るし、変わったもの、個性的なやつを狙ってるから。
で、もう少量で個人の心を動かす製品を作っていこうみたいなコンセプトで、
ハートランドっていうのは80年代に作られました。
これは面白い。
というのもさ、大量生産、大量消費の時代はもう今終わってさ、
今の時代は個人の心を動かすみたいな。
じゃないですか、考えながらって。
それをやっぱり80年代によく考えたキリの人たち。
で、生まれたのがハートランド。
だいぶ余裕ある企業だからこそちょっと出てきた思考ではあるよね。
間違いない、間違いない。
そうなんですよ。
みんながさ、村田くんもキリンなんだって思うぐらい、
キリンの名前もほぼ出さないし、緑のビンじゃん、ハートランド。
し、売ってる場所も東京六本木のキリン直営のビアホールでのみみたいな。
ぐらい、こういう取り組みとかもやってたんだが、
知る人像ぐらいの感じだね、なんか。
やってたんだが、やっぱりもうラガーがとにかく売れすぎて、
もう殿様状態ですかね、と。
でまぁ、そんなもうラガー一興時代の時代に、
87年に関東の酒屋さん、3万店舗ぐらいに、
アサヒビールから新商品のサンプルが届きますと。
おっと?
このビールの登場により、キリンの画像が一気に崩れていくことになると。
この新製品の名前はご存知、スーパードライ。
ここで出てくるんだ。
というのを次回に、スーパードライがキリンを飲み込んでいく話をしていきたいなと思います。
なんかエピソード3を待つ身だね、なんかもう。
ダークサイドに落ちるの分かってんだけどみたいな。
そうなんですよ。
という感じで、ちょっと2回押してみたいなと思います。
ちょっと結構長くなっちゃったけど、一旦鼻も満開ですかね。
満開ですね。
33:13
ということで、今日のビールは、
キリンラガー。
クラシックラガー。
このクラシックが付いてるか付いてないかっていうのもまた今度聞ける。
そうですね、3回目で分かります。
どうですか、でもクラシックラガーを飲んでみて。
なんか、収録の始めから飲み始めてるけどさ、
確かに最初の一口は直前で、前回の収録の時に飲んであったんだけど、
一番搾りを飲んでたから、一番搾りほどの甘みは感じなくて、ちょっと苦みがあるなって。
即時飲んでたから、結構比較で思ってたけど、
なんだろう、ビールもあれなのかな。やっぱり時間経過でちょっと。
そうだね、温度とかで結構変わる。
ちょっとなんか甘みが出てきてるような気持ちも。
分かる。僕も結構甘い感じする。
なんか最初の一口目はやっぱりその、
ラガーって苦いんだなって思いながら一口目飲んだんだけど、
今このタイミングで収録としてはね、
まあ30分ちょいとぐらい経ってるけど。
あと濃いよね、やっぱなんか。
濃厚って感じ。
これがやっぱ当時、一応クラシックラガーは当時を再現してるっていうコンセプトなんだけど、
これがやっぱみんな飲んでた。
家庭でみんなが。
家庭とそのもっと前から作ってたキリンビールなんですね。
美味しいね、でも。やっぱね。
僕は結構そう美味しいと思うんだよな。
でもビール苦手な人は、
こっちがより苦手。
一番絞りの方が多分飲みやすい?
絶対そうだと思う。
多分一番絞りも苦い苦手だなって思う人は、
多分ラガーには手を出さない方がいいんじゃないかぐらいの、
なんかその苦味の違いではあるかなと思う。
そうだね。
なんかビールってやっぱり結構苦いっていう、
上の世代の人たちの当時の考え方があったから、そうだね。
だからもう次話す、スーパードライとかキリン一番絞りとかは、
そんなの、そんなビールあんの?みたいな感じの。
あ、なるほどね。
革命を起こすじゃないけど、そういう感じでちょっと色変えてきてるわけだ。
そうそうそうそう。
うちの父親にこの前話したときも、
家にその実家にね、届いてたキリンビールだと。
ラガーだと。
そうなんだ。
確かに届いてたと。
うちのじいちゃんはずっとキリンを飲んでたと。
自分が大人になって、社会人になって初めて飲んだのもキリンラガーだと。
おー、そうなんだ。
本当にキリンって言ったらラガーだったね、みたいなことです。
そうなんだね。
そうなんですよね。
それが、次回からスーパードライが何をしていくかと。
何をしていくかめっちゃ気になるね。
殿様生涯のキリンに対して何をしていくかって感じですかね。
とても楽しみです。
じゃあ今回もおしまいにしますか。
港町レイディオでは皆さんからのお便りを募集しています。
36:01
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ではまた次の港町レイディオでお会いしましょう。
さよならー。
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