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こんにちは、シドニーのセラピストみもざです。
前々回から、私が今どうしてシドニーにいて、どうしてセラピストをやっているのかという話をし始めました。
まだまだ先は長そうなので、セラピストとか、なぜセラピストにとかいう話は、ちょっと今日もできないのかなって思っているんですけど。
なぜシドニーに来たかというのは、前回の放送でお話しさせてもらったので、よかったらまた聞いてみてください。
今日は、シドニーに来てからのワーホリ時代の話とか、その先に行けたらワーホリ終わって帰国した時の話とかをちょっと振り返ってみようかなと思っています。
2015年の5月に、オーストラリアのシドニーにワーキングホリデーという日を使って帰国した。
そうですね、5月だったので、こっちは秋かな、冬のちょっと前って感じですね。秋だったので、すっごい寒かったのを覚えてます。
シドニーはあんまり寒くないって、オーストラリアって暖かいイメージが漠然とあったんですけど、シドニーはちゃんと四季がある都市で、春夏秋冬って。冬はまあまあ寒いし、夏は結構暑いっていう感じですね。やっぱり春と秋が過ごしやすいのかなって思ってます。
ちなみに今は1月ですけど、夏ですね。なんか最近天気がおかしくって、通常多分30度ぐらいはあると思うんですけど、今日は多分25度ぐらいって感じで、なんか爽やかな気候って感じですね。青空が綺麗です。
先週は大雨が続いたり、嵐の日もあったり、停電になるぐらいの嵐の日もあったり、ちょっと雨が続いたりとかってあったんですけど、なんかちょっと寒暖差が激しいなっていう感じはしてます。
そうですね、シドニーにワフリ来たときね、いやーそれもね本当にワクワクしながら来たんですけど、絶対シドニーに行くって言って、もう仕事辞めて留学するんだ、ワフリ行くんだって決めてワクワクしてきたけど、最初の語学学校で本当に私やられたんですね。
ていうのも、日本人が多い語学学校に行ったんですね。
日本人の看護師たちが集められたというか、看護師たちが看護師という資格を使って海外で仕事するぞとかワフリ来たよっていう人が集まってた留学エージェントだったんですね。
だから似たような人が多かった。似たような人というか、日本人看護師みたいなその人たちががって集まった。男女いたけど女子の方がちょっと多いみたいな感じ。
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それが15人ぐらいいて、自分たちの英語のレベルによって暮らすわけがなされて、私は1週間ちょっといたから、ちょっとレベルが1個ぐらい上のところ、一番下ではなくたぶん2番目とかぐらいのところに入れられたんですね。
そこはちょっと数が少なかった、5人ぐらい。下のクラスはほとんどみんな英語喋れなかったんで、私もですけど、10人弱いたのかな。
真ん中の次のクラスが5人、もっと上のクラスが2,3人みたいな感じのレベルだったような気がします。
私は自信が全くなかったから、英語で喋るってことが本当に苦痛で、日本人の前で英語を喋らないといけないっていうのが本当にしんどくって。
で、そのクラスの中でね、今となっては別にその中でレベルが上下とかってあんまなかったなと思うけど、私はほとんど自信がなかったから、本当に自信がなかったから、恥ずかしくてそこに入れなかった。英語を喋るってことが。
で、日本と環境も違うし、寒かったっていうのも結構つらかった。寒かったし、なんかその日本人の看護師さんたちに馴染めなかったっていうのと、
あと関西出身の人はいなかったですね、その中には。みんな東京とか多分関東だったような気がします。だからそういう人たちと絡むのも初めてだったから、
なんか若干関西弁をバカにされたりだとか、いじめとかまではいかないですよ。でもなんかやっぱりイントネーションが全然違うから、なんか違うよねみたいな話とか。
で、なんかもう本当に今までずっと大阪の平方にいて、でぱって出た世界が本当に広すぎて、なんか溺れかけてたっていうのが本当に最初のワーホリ30歳になる前かな、29の時。
で、そんな感じで、大阪学校は3ヶ月だんですけど、なんかいろいろ濃かったですね。
で、もともとシドニーにね、何回か来たことがあったから、友達もいて、友達に会ったりとか、その友達がなんか紹介してくれた人が彼氏になったりとか、日本人の人ね。
でもなんか1週間でファームって言ってね、農場の方で働くってことでいなくなって、で結局その人とも添えになって、なんか1週間ぐらい付き合って別れるとか、なんかまた今まで日本で経験したことのないことが本当にどんどん起こるようになって。
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恋愛関係で言うと、全然なんか学校で知り合った韓国人の男の人から、なんかいいねみたいな、好きだよみたいな言われたりとか、本当になんかそういう、みんな好きだよとかすぐ言ってくる。
日本で全然経験しないようなこと、それもそうだし、英語で喋るっていうね、英語喋りたいし勉強したいのに喋れない自分みたいなので、もうなんかガーンって頭打たれて、それでホストマザー、その時確かまだホームステイしてて、ホストマザーはいい人だったけど、なんかやっぱりずっと日本に行ったから、
今だったらホストマザーと絶対仲良くオープンに、OGマインドで喋れるけど、やっぱその時はなんか遠慮しちゃったりとか、なんて言ったらいいんだろうって言ったら間に会話が終わるとか、なんか本当そういう感じ。
で、全く楽しいっていうのからかけ離れたわホリスタ時だったなって思います。
ストレスで背中にすっごいブツブツができて、確か多分痩せたし、食べれなかったのか食べてなかったのか、そんな感じで結構最初はストレスだったかな。
3ヶ月ぐらい語学学校の。語学学校が終わって、次はいよいよ実習とか措置系に介護士として働くための実習の段階に入ったんで、また学校は変わったんですね。
ちょっと田舎の方の自然豊かなところでした。そこに行って勉強したり実習したり、あとは病院実習とか介護施設の実習とかっていうのを過ごしてると、その時点ではちょっと英語もなんとなく分かるようになってきた。
めっちゃちょっとですけど、のと、海外生活にも慣れてきたし、クラスの子とはあんまり合わなかったけど、他に仲良い友達、クラスの子もいたし、違うクラスの子とも仲良くなったり、日本人のうちうちでね、とかもあって、結構楽しいなって感じることも増えてきたような気がします。
その時点ではもうホームステア出て、シドニーシティに住んだりとか、あとはノースシドニーっていうね、ちょっとシドニーの北のエリアがあるんですけど、その辺に住んだりとか、なんか家もてんてんとして過ごして、で、実習を終えて、資格を半年くらいかなで取るんですね。
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で、資格を取れたら今度仕事ね、それも留学会社が全部アステンしてくれて、私はノーザンビーチの方の派遣会社に登録をすることがね、決まりました。それが2015年の10月とか11月とか、本当に私の誕生日ね、11月なんですけど、確かその辺だったような気がします。
で、こっからがね、むっちゃ楽しかったです。学校とかシティとかにいる間はなんかやっぱり楽しく、楽しくなかったというか、まあ生活に慣れるのにね、結構必死だった感じなんですけど、
ノーザンビーチってね、本当に篠森に来られた方は本当に行ってほしいなと思うんですけど、むっちゃ綺麗で、ノーザンビーチっていうのはね、ビーチがね、ずっと縦に長く続いてるんですね。
切れてるかもしれないけど、なんか地図で見るとね、ビーチがずっと縦に続いてて、いろんなビーチがあって、その中の一つで一番有名なのがマンリー。マンリーも多分ノーザンビーチに入るのかなっていう感じで、めちゃめちゃ綺麗なビーチがたくさんあるところ。
私はコラロイっていう、コラロイビーチっていうところ、ちょっと北の方でシティから多分バスで1時間くらいのところ、ちょっと遠い、離れたところなんですけど、本当にそこが自然豊かで、何もないんですけど、大きい公園があったり、家を一歩出れば海が前に見えて、本当にそういうありがたい環境に住ましてもらいました。
半年くらい住んだのかな、そこは結局。その近くでエージェントがあって、そこから派遣、近くの介護施設に派遣されて毎日働くみたいな生活が始まりました。
派遣の働き方なんですけど、朝は電話かかってくるんですね、5時とか、4時とか5時とかに電話かかってきて、今日どこどこ行けるみたいな。行けるって言ったら、じゃあ5時半からね、6時からね、結構朝早いですね。アシスタントナースって言って介護施設の職員のパートなんですけど、結構早いんですね。
朝、モーニングシフトはそれくらいにかかってくる。アフタローンは午前中とかにかかってきて、今日の午後行ける2時から10時までとかいう感じで、ナイト行ける夜10時から朝6時までとかっていう感じの3交代のシフトで、
職員が出た施設から電話が私のボスのところにかかってきて、そのボスが私に電話をかけてくれるみたいな働き方をしてました。まれに明日行けるとか事前にあったような気もするけど、だいたいは当日の朝とか当日の午後とかに決まるようなイメージだったような気がします。
で、別に働きたくなかったら今日ちょっと無理なんだって言って断ることもできるし、むっちゃ稼ぎたかったらモーニングやった後アフタローンやってみたいなダブルシフトっていうのをしたりとか、
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多分稼いでる人はもう何百万って多分半年で、何百万言い過ぎなのかな、でも100万円ぐらいは普通に行けば稼げるみたいなお給料も結構良かったから、この留学費用は簡単にペイできるぐらいのお給料はいただいてたのかなという感じですね。
で、働きながら空いた時間は旅行に行ったりとか、オーストラリアの生活を楽しんだりとか、お金ができたんで飲みに行ったりとか、そこも同じような状況の子が集められてる場所だったんですね。
日本の留学会社がアセンしてくれたエージェントって言って、派遣会社のお家なんですけど、すっごい広いお家で、日本人の同じ環境の子が、その時たぶん7、8人はいたのかな、7、8人そこで住むみたいな一緒に。
で、それぞれそこから働きに行って帰ってきて、働きに行って帰ってきて、みたいな感じで。
だから、その時の子たちは結構仲が良くなって、私も。で、結構お酒を飲むのが好きな子もいたから、夜みんなで外に集まって、みんなでお酒飲みながら、おつまみ食べながら喋ったりとか、こういうことがあってとかっていう関係の話をしたりとか、
あの時が一番楽しかったなって、和堀の記憶でもあの時楽しかったなって。で、その時の仲間と今でも集まると、あの時楽しかったよねって、あの時戻りたいよねって言うようになるぐらい、私の中では本当にいい思い出的な場所で、自然豊かな場所で、気の合う仲間にもそこで出会えたし、そこで会った人たちは結構今でも続いてる人も多いし、
今はね、私と同じぐらいの年齢だったからみんな結婚してママになった人もいるし、なんかそういうまた繋がりがある、そこで。
その時は本当に楽しかったなって、あの時毎晩なんか飲んでたよねみたいな、ワインいっぱいあけて、今日一人一本持ってきたよとか、楽しかったなって、その時から結構オーストラリアライフが楽しくなってきて、派遣にも終わりがあるんですね。
半年以上同じ雇用主の下で働けないですね、ワーキングホイールではそういう決まりがあって、だから半年働いたら、確か10月から4月までかな、きっちり契約期間満期で終えて、私は5月にシノニに来たので、4月から5月の1ヶ月はね、まるまるフリーっていう状態だったんで、
最後にと思って行ったのがウルルっていう、エアーズロックがアリススプリングスっていうところにあるんですけど、アリススプリングスまで行って、そこからダーウィってちょっと北上する形、オーストラリアの中心から真っ直線に上がっていく、銃弾旅っていうのに行ったりとか、
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あとは、でもそれぐらいかな、ワホリ中にメルブルンに行って、グレートオーシャンロードとかそういう有名なところにも行ったりもしたし、あとは最後はニュージーランドに寄ってね、日本に帰るときは、ニュージーランド南島と北島両方、多分10日ぐらいで行って日本に帰るみたいな感じで、最後の1ヶ月は旅行したり、友達と最後の時間を惜しんだり、
普通に遊びに行ったりとかっていうのとして、その感じで1年間ワホリが終わりました。辛かった最初から、最後は楽しく終えれてよかったなっていうのと、その12ヶ月の間に今の夫と会いました。
確かその派遣の仕事を始めたときぐらい、11月末とかかな、私が30になった後ですね、すぐ後に出会って、共通の友達、それも派遣会社で知り合った私の友達がもうすぐ日本に帰るからってことで、フェアルパーティック、送別会するからシティまで来ないって、
出会ったばっかりなんだけど、そこに誘ってくれてすごい良い人で、その人は関西人だったんですけど、それで行った先に共通の友達として今の夫がいて、その時すぐに意気投合したわけではなかったけど、その時は楽しかったなみたいな感じで、それが出会いですね。
そんな感じかな。今日もちょっと長く喋りすぎたんで、またこの先のね。やっぱり帰国後のことは喋れなかったな。そんな感じです。じゃあ終わりますね。さよなら。