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こんにちは、シドニーのセラピストみもざです。
前回のラジオ収録から始めた、私がどうして今シドニーにいてセラピストをしているのかというのを、
私の自己紹介を兼ねて、一から説明というかお話ししていこうかなという回の、今日は第2回目となります。
前回聞いてくださった方、ありがとうございます。
前回、私の小中高と看護学校時代で働き始めて辞めるまで、
だから30歳までをパッと15分で話しました。
多分もっと言えることあったかもしれないけど、それくらいでいいかなと思ってます。
今度は、辞めてからの話なんですけど、
もともと、なんでシドニーにいるのかというのとか、もともと海外に興味があったのかという話からまずしようかなと思うんですけど、
私の中学校の時からの社会人、1年目から3年目まで、3年間は働いて、
その後、4年目からは海外に行きまくってたんですね。
確か最初はニュージーランドのワホリだったと思うんですけど、
私もどこに行ったかとか全然覚えてないです。
ちょくちょくその都度聞いてはいたし、ずっと連絡はしてたけど、
ニュージーランドに行ったり、カナダに行ったり、アメリカに行ったり、
ヨーロッパの方を3ヶ月で一人旅したりとか、
東南アジアの方にもボランティアで行ったりとか、
本当に世界中を飛び回るっていうのが、本当にそれを体現してるなっていう友達が本当に身近にいて、
私が経験し得ないようなことをすごい体験してるんですね。
結構今でも衝撃だったのが、カウチサーフィンっていうアプリなのかサイトがあって、
そこで今日泊まる宿を誰か泊めてくれませんかみたいな感じで、
今日どこどこに行くので泊めてくださいっていうようなメッセージなのか投稿をして、
それで泊めてくれる人を探すみたいな。
だから宿題が浮くっていう、そういう確かあったか今もあるか分かんないんですけど、
そういうのを駆使して知らない人のお家に行って泊めてもらうみたいな。
1日なのか1週間なのかをその人次第みたいな感じで泊めてもらうっていうのをやってたのが本当に、
私その当時の私からしたらなんか衝撃で、やっぱり怖い目にもあったりしたんだろうな、
多分そういう話もちょっと聞いたりしてて、なんかすごいなみたいな、
その世界が違うなーって、でも心のどっかでいいなーって私もなんかやりたいなーっていうのはずっとあった。
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でも私その時の私はまだまだ海外なんて怖いし、そんな危ない目にあったらどうするのって、
その時は多分友達のことをそういう目で見てて、
やっぱりそういう友達がずっと身近にいたから、離れてはいたけど、
親友やったから、今でもね、親友なんですけど、親友やったから時々ね、
メールしたりLINEしたり、手紙がフランスからやってきたりとか、
なんかそんな感じで海外がそこまで遠い存在ではなかった。
近くの友達が海外旅行に、海外旅行というか海外経験をしまくってるっていう環境。
で、いいないいな私もやりたいなでも怖いなーみたいなのがずっとあったって感じですね。
で、ちょっとね私が何歳の時かはあまり定かではないんですけど、
私弟が5歳下にいてて、弟が大学卒業した時に就職できなかったのかしなかったのかはちょっとわかんないんですけど、
どうしようっていうのを言ってて、私は結構その時も海外っていうのがあったから、
海外行ってみたらとか言って、なんか人には自分はいかないのに、
人には行ってみたらとか言って勧めて、そしたら弟が本当に行って、
それがオーストラリアのシドニーだったんですね。
で、まあ私が勧めたから行ったのかはわかんないですけど、
私はそういった記憶があって、弟は多分自分で決めて、自分で選んで行ったんだろうと思います。
で、その弟に会いに行くために私もシドニーに来たのが、本当に来たのが初めてって感じですね。
多分2013年とか2012年とか、なんかその辺だったと思います。
で、その時にね、すごい楽しくて、でもまだ住むっていう感覚には至ってないんですけど、
シドニーいいとこやーってなったのを覚えてて、
で、その後もう一回来たんですね。今度は一人で。
初回は確か父親と妹もいて、妹と三人で来て、で、弟に会って、
いろいろちょっと案内してもらったりとかして、
で、その多分一年後ぐらいにもう一回自分一人で来て、
で、今度また弟とメルボルンに旅行に行ったり、シドニーでちょっと遊んだりみたいな感じで過ごしたんですね。
その時に結構好きになってて、でもまだ行くっていう決断にはいたってなくて、
ビビりなかったから、自信もないしね。
で、2015年にパワフリに来たんですけど、その一年前、2014年に、
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なんか一週間の留学プログラムみたいなのを見つけて、
で、それを、いや違う違う、一年間の看護留学ってやつを見つけたんだ。
でも私一年間行くなんて怖すぎて、決断できなくて、まだ海外怖いと思ったから、
だから、まず一週間のプログラムがありますよって言って、言ってくれたんですよ、その人は。
留学エイデントの人がね。一週間なら行けるかもみたいな。
休みも取れるし、だから一週間行ってみようかなって言って、
で、その時の視聴者さんにね、一週間日本で休むって結構大変なことだから、
視聴者さんにここ絶対休みたいんですよって、なんかめっちゃ事前にお願いして、
なんとか勝ち取った休みで、結局確か10日ぐらいは滞在したような気がします。
一人でね、初めて来ました。
で、その時に初めてホームステイをさせてもらった、一週間ホームステイをさせてもらったのと、
留学エイデントを使ったので、他に同じ到着日の人がいて、
全く職業はバラバラだったんですけど、そういう人たちが何人かいて、
一人じゃなかったっていうのが最初本当に心強くて日本人で、英語も全くゼロだったんでね。
それで、一週間すごく楽しく過ごさせてもらったんですね。
ホームステイのママもすごい良い人だったし、私が英語喋れないのに目振り手振りとか、
本当に簡単な英語で教えてくれたりとか、家にはメモみたいなのがあって、
ハウスルールみたいなのが書いてあって、分かりやすく書いてあったりとか、
だからね、あんなに怖いって思ってた海外が、そこで一気にグッて縮まって、
私なんか住めるかもみたいな、その一週間でやっと決断できたし、
シドニーは本当に周りの人たちが優しい人が多くて、その辺道とか歩いてても、
道ではないか、さすがに。
でもホームステイ行った時は、本当にビーチに行ったら犬連れたおじさんが、
どっから来たの?みたいな、気軽に本当に喋りかけられて、
ジャパンだよ!とか言って、
ジャパンいいね!みたいな会話とか、
本当にそういうふうな会話をがっくり広げられることが結構普通で、
私も最近で特に印象が残ったのは、やっぱり息子を産んで、
本当にちっちゃい時から外に連れて行ってたんで、
本当にちっちゃいじゃないですか。
新生児レベルだと、新生児じゃないか、毎日2ヶ月とかだと、
わーちっちゃい!かわいい!みたいな、何ヶ月?おめでとう!みたいな、
とかを普通に言ってくれるような国なんです。
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なので結構その時の印象がすごい良かったのと、
日本人の友達がそこでできたっていうのもかなり心強かったし、
首都には結構大都会なんで、そんなに何もないっていうところでもないので、
なんか住めるかもなーと思って、
あんまり日本と変わらない、季節は全然真逆っていうぐらいで、
雰囲気もいいし、人もいいし、住みたいなーって、
その時に2014年に初めて思って、
でもそのホリデーが終わった後に速攻で市長さんに辞めますって言って、
辞表を書いたかはちょっと忘れたけど、辞めるってその時に言いました。
次の3月年度末で辞めて、
シドニーに行きますっていうのをその時に初めて伝えましたね。
なんかめっちゃシドニーに行くまでがすごい長かったけど、
そんな感じで海外っていう意識がずっと20代の時からずっとあったっていうのが一つと、
あとシドニーに決めたのは最初に弟が行ってて好きになったっていうのもあったんですけど、
ちょうどシドニーで看護留学っていうのを見つけたんで、
看護師の資格を使えるんやったら使って、
働けたらいいかなって、それでお金ももらえて、
働いて楽しんで遊んで旅行行って帰れるんやったらいいかなと思って、
1年間のプランがすごい気に入ったっていうのもあって、
それでシドニーに来たっていう感じです。
だからずっと前からシドニーに来たかったとかそういうのではなくて、
たまたま本当に巡り合わせでシドニーっていう場所を知ったっていう感じですね。
そんな感じでシドニーに来て、2015年に来て、今2025年、10年前にですね、
本当に住み第2の都市、大阪の平方から30年間ずっと大阪の平方にいたけれど、
その次に選んだ都市がシドニー。
ここで今は結婚もして子供もいる、子供を育ててるっていう状況。
だから本当にこの10年でまた私の人生がすごい変わったなって思うし、
あの時に2014年の10日間で決めてなかったら移動するというか、
掘りに行くっていうのを決めてなかったら今までの人生、この10年間の人生はなかったなって思うから、
本当に人生って何があるか分からないし、
あの時にずっと私自信がない子供だった。
第1回目の時も言ったんですけど、別に自分の意見を主張したりとかもしたくないし、
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みんなに流されて、言われたらはいはいっていうような感じで、
自分で決めたことが多分あんまりなかった。
看護師になるって決めたのも、元をたどれば母親がずっとね、やっぱ手に職はつけた方がいいって、
自分の母親が手に職がなくて母子家庭ですごい辛い生活をしてたっていう経験が多分ね、
母親にはあったからだと思うんですけど、
母親自身は麻薬剤師として今でも70近くなってもパートだけど働いてるし、
確かに手に職っていうのは私もありがたかったなっていうふうに今は思ってるんですけど、
手に職をつけなさいってことで母親に勧められて看護学を受けて、
言われるがままに最終的に看護師の仕事は好きだったけど、
愚痴をこぼしたりしんどい仕事だったけど、
嫌いではなかった。
勉強も好きだったし、人の話聞くのも好きだったから、
私には合ってたと思うんですけど、自分で決めたことはなかった。
30年間の人生で初めて私が自分で決めたことが海外に留学するっていうことだったので、
そこから第二の人生が始まったのかなって、
今振り返ってみるとそういう感じで捉えてます。
てことで、来るまでの経過が長すぎてもう10分ぐらい過ぎたので、
次はワーフォリー時代だとか、ワーフォリーに帰ってから、
またこっちに戻ってくるようになったきっかけとか、
これ何回くらいになるかな?5回くらいになるかもしれないけど、
もしよかったらまた聞いてください。さよなら。