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2022-12-24 20:17

#12 コメとヒエとブナ。植生が作る心のOS〜ブナ帯文化論・中編【ミモリラジオ】

【ブナ帯文化論・中編】 歴史と植物のコラボレーション / 日本人の心のOSを問う / ブナ帯はどうやって衰退したのか? / 日本人は最近まで木の実は普通に食べてた / 木の実備蓄データ / 稲作による西日本人口の急増 / 稗(ヒエ)というブナ帯の穀物 / 照葉樹林のコメ・ブナ帯のヒエ / 奥州藤原氏の棺にはヒエも納められている / コメは強力な兵糧だった / ブナ帯に照葉樹林文化が侵入する / 献上するために無理してコメを作ったブナ帯 / 東北が普通にコメを食べるようになった近代 / 北のコメづくりにかける照葉樹林OS / 農業のプロ・ケプロン / ケプロン「絶対コメつくるなよ!」 / 明治政府「寒くてもコメつくる!」 / 石狩川の無謀なコメづくり / 稲作用の土を無理矢理はこぶ / 定期的な大冷害と失敗 / 中山久蔵という照葉樹林文化の偉人 / お風呂のお湯をわかして田んぼに運ぶ! / サトウキビやお茶の木栽培の失敗 / 照葉樹林帯の民族意識が強すぎる / 「心のOS」が雑草と野菜と穀物を分ける説 / メタ認知の天才・二宮尊徳  / 心のOSを見てみよう / 照葉樹林とブナ帯の交流「もののけ姫」   【今回の写真】 ブナの木。 北海道黒松内には、それは立派なブナの森がある。 東北・北海道の心のOSを生んだ環境です。  撮影:ノダカズキ   【番組へのご感想はこちら】

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【出演】

・ノダカズキ(MIMORI代表, 自然観察家)

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※収録に際しリサーチしておりますが、きままな自然トークのため厳密な考証は行なっておりません。   ※内容は諸説あります。


00:00
ミモリラジオ始まりました。ミモリのアンディです。
同じく、ミモリの野中好きです。
ブナ帯文化論・中編ということで、前回の軽い振り返りから話していきますか。
はい。前回は、川の洗い方について、多分、最初に話して、
砂漠の民と山の民は、川の洗い方が違うと。
山の民は、手を動かして、僕らがね、水が豊富にあるから。
水を流しながら、ジャバジャバ洗う感じね。
で、砂漠の民は、手に水を溜めて川を動かすみたいな。
手をお盆にして、限られた水を何とか全力で使い切ろうとする感じ。
そういう場所とかによって、人間の生き方とか習慣とか変わってくるよねっていう話をしながら、
日本ってじゃあどうなんだろうっていう話をして、
松葉樹林文化論っていうのと、ブナ帯文化論があるよっていう話をしたと思うんだけど、
松葉樹林文化論についてちょっとだけ補足しておくと、
中尾さすけさんっていう人が書いたっていう風に言ったんだけど、
あれ京都なんだよね。
上山春平さんっていう、結構この人有名な人で、
京都の国立博物館の館長とか。
何の学者さんなんですか?
専門はね、変能性とか、変能思想の研究をしている人なんだよね。
じゃあもう完全に文化や歴史の人なんだね。
そう、その人たちは多分日本人とは何か。
あの時代に、アイデンティティであるあるじゃない?
工業化が進んで、一回価値変えるみたいな。
一回由来でしまった価値観の中で、
僕たちは一体どこから来たのかとか、
僕たちの元々のオリジンはどこにあるのかを考えるっていう、
そういう時が生まれたっていう。
民間運動とも一緒だもんね。
そうですね。
大量生産の中で、果たしてちゃんとしたものってどういうものだったんだろうかとか、
暮らしに目指したものってどういうものだったんだろうか。
模索から始まってるみたいな。
今の中尾さすけさんは植物学者だったよね。
中尾さすけは植物学者。
いろいろ肩書きあって、
漢検家っていうふうに言われたりもした。
いいね、いい肩書きだね。
コンビを組んで、
日本人の真相、心のOSみたいなのを問うっていう。
それだけじゃあ日本は南北に広いので語れないだろうっていうことで、
出てきたのが船体文化ね。
銀行がもともと縄文自体は船体のほうが多かったから、
船体がメインだった時間のほうが日本列島っていうのはなくてっていう話を。
そうでしたね。
前回聞いてきたんだけど、
僕たちは今稲を食うと思ってるじゃない、米を食らう民族だと。
日本人といえば米と思ってる人が多いと思う。
ただ歴史的に見ると船体のほうが時間的には長かったんだけど、
どうやって船体が衰退してきたのかっていう話を、
ちょっとしていきたいと思います。
なんで僕らは普段ブナの実食べてないんだっていう。
ブナのあの辺の森ってすごくて、
岩手県下関郡っていうところがあるんだけど、
03:01
実は第二次世界大戦後、1945年ぐらいだね。
までは摂取カロリーの2割以上を木の実で補ってたんだって。
まだ食べてたんだ。
全然食ってる。
明治政府の国策として、
粟、豆、麦のほかにも、
小ならとかブナとか、土地とか、そういうものを備蓄させてたんだって。
っていうことは多分、今でいう稲や麦と同じように、
今年はどんぐりみたいな木の実がどれぐらい採れたよみたいなデータもあったりするんだよね。
あるんだやっぱ。
でも僕ら全然知らないじゃない。
知らない知らない。
今年はどんぐりこんだけ採れたよみたいなデータがあるね。
全然ないでしょ。
このブナ帯の衰退の話をしていくと、
シンプルに弥生時代に入ると逆転現象が起きるんだよね。
逆転現象。
人口のずっとブナ帯が多かったんだけど、
弥生時代に入って稲作が入ってきて、
人口が逆転していくのね。
西側の稲作始めたエリアの摂取カロリーっていうのが爆増した。
爆増する。
人口の増加のデータがあるんだけど、
3世紀、卑弥呼の時代は人口、西日本は300万人だったんだって。
もう弥生時代に入ってるかな。
これはもう弥生、弥生。
西日本、奈良時代になると800万人。
増えたね。
平安時代になると1000万人。
ただこの時の新宿とか東北の人口ってのはここまで増えてないんだよね。
一気に西日本の人口が増えて。
稲作ができるようになった地域の人口が爆増したけど、
一方、稲作してない地域は横売とか寄贈とかに留まったり。
そう。理由としては、
西日本が稲作をやって、
あまりができない、貯蓄ができるよね。
米とかの。
人口が増えてきたんだけど、
村田衣が一方何作ってたかっていうと、
比叡っていう植物を作ってたんだよね。
今も食べられている穀物ではある?
食べられてもね、結構手間がめんどくさいので、
割と高級植物で、僕も2回食べたことがあるんだけど、
結構特別な感じですね。
比叡食べられるんですね、みたいな。
そうだね。
雑穀米の中の一つとしてしか食べたことがないっていう人も多いと思う。
比叡は寒いところの穀物で、
気候的には東北とか北海道とかで大事にされてたとか育てられてたやつで、
ここでちょっと整理すると、
松葉樹林ではお米、
海苔では比叡っていうのを作ってました。
比叡の方が生産量が低いと。
稲の方が生産量が低いと。
圧倒的だよね。
結構でも大切にされてたんだよね、穀物だから。
比叡が?
アイルの世界では、それこそ白海町にカムイノトっていうお酒が売ってると思うんだけど、
あれは比叡を発酵させたお酒だね。
とか、平安時代に東北地方で力を持っていた藤原家?
06:01
はい、大洲藤原市。
大洲藤原家。
なんていうのかね、日本のお茶は詳しいと思うけど。
稲事の良質ね、ゆかりの地です。
この辺の藤原三代のミイラが入っている棺があって、
この中に比叡がたくさん入ってたんだって。
へー、それ知らなかった。
だから、比叡作っていうのがずっと船帯でやられてたんだけど、
それこそ、頼朝の時代に鎌倉幕府が東北、大洲藤原家を滅ぼしに行くじゃないか。
これで、戦争ってやっぱり兵力がたくさん必要だから、
確かに。
米でたくさんできるのね。
そうだよね。
遠征ができるわけ。
なるほどね。
それで、大洲藤原市が倒されてしまうんだけど、
これはもう、日本史で見ると鎌倉幕府vs大洲藤原家みたいな感じの構造なんだけど、
自然、森っていう視点から見ると、
商用住民文化が米稲作で貯めた財産で遠征して、
船帯を占領したっていう。
なるほど。
そう、なんか気になってたんだよね。
船帯の方が人口が多いっていう状況が、
どのようにひっくり返されてしまうのかっていうところが気になってたんだけど。
完全に、完全に米だった。
生産量が非常に多くて備蓄ができるようになったんだけど、
それがすごくインパクトのあることだったんだ。
これで、船帯と商用住民文化論の逆転が入った。
逆転します。
で、僕たちの商用住民文化論の感覚値がこの辺で出来上がる。
まあ、みんな米、米食べるよね、みたいな。
ただ、商用住民帯には商用住民帯の適切な暮らしがあって、
船帯には船帯の適切な暮らしがありますよねっていう。
稲作が若干入ってきたからといって、
そして稲作文化に圧倒されたからといって、
食べ物がいきなり変わるっていうほどの変化ではない、最初は。
なんだけど、ずっとこの東北、北海道っていうのは、
それこそ商用住民文化帯に押されてた歴史で、
もう7世紀ぐらいから米を朝廷とか幕府に東北の人たちは治めてたんだって。
じゃあ稲作をしてたんだね。
ただ、米できないからさ。
そうだよね。
米できないから治めるためだけに米を作って、
自分たちはほとんど食わない。
なるほどね。
でさ、東北は貧しいとかさ、
言うんだけど、
食べない、向いてない米を日常の中で作らされて、
その余剰で自分たちの食べ物を作るのね。
それはきついね。
だから茨城山とかさ、東北すごいそういうさ、
ちょっと暗い話がある時代とかね。
最近まで多いよね。
多いんだけど、よくよく考えてみると、
向いてないものを作らされ、
っていう負荷がすごいかかってたんだと思う。
そうだね。
それはすごくわかる。納得感のある説明だと思う。
日常的に東北が米を食べるようになったのは、
09:00
これも電気みたいなのがあるんだけど、
明治以降の近代。
寒さに強い稲が開発されたとか?
そう、寒さに強い稲が開発されたとか?
タネイチシオンの米が開発されるんだけど、
これどんだけ日本人米好きだねっていう話がすごくあって、
マジでどこの土地に行っても稲作を試みてるのね。
あー、なるほどね。
田んぼ作ってみようと頑張ってみるんだ。
北海道開拓の話があるんだけど、
北海道開拓まだフロキアだったから、
当時あるような人は住んでたかもしれないけど、
明治時代になって、これから北海道開拓しようっていう、
豚田兵ができるさらにちょっと前ぐらいでしょ?
ちょっと前ぐらいだね。
一番ヤバい人たちが来てる時代だよね。
その時も心のOSは商用住民文化体なわけよ。
そうだよね。
そういう発想で来るのね。
北海道開拓の時はもちろん日本人もたくさん頭を使って手を使ったんだけど、
結構アメリカ人の手を借りてるよね。
フラーク博士とか、わかるかな?
当時のお雇い外国人っていうこともあったりするよね。
元々アメリカは開拓の土地であること。
ということで開拓の地を借りようっていうので、
日本の開拓士たちはいろんなお雇い外国人を雇うわけね。
そのうちの一人がケプロンっていう人がいて、
これはあまり聞いたことないっていう人が多いと思う。
ケプロンっていう人は当時アメリカの農務省長官。
なので国の農業とかの決定をする人だね。
大臣だね。
大臣。本人自身も農家なんだよね。
そうなんだ。
だから今の大臣とかとニュアンスが違うかも。
ちゃんと自分で手を貸してやってきた人が、
日本の開拓の顧問になってくれたんだけど、
ケプロンが言うのね。
この北海道という北の大地では、
到底稲作なんてできるわけがない。
正論家ね。
麦と畜産をメインにした畑作業をやろうっていうので、
近伝兵たちに絶対稲作やんなよっていう風に、
ケプロン言ってるんだよね。
これ記録残ってて。
なんだけどケプロンは結構、
割とすぐ帰るのね。
そしたら明治政府が、
なんかわかんないんだけど、
これまでの畑作をやろうっていうのをやめて、
稲作を急に奨励しだしたんだよ。
なんで?絶対やんなよってアメリカのせっかく雇った、
しかも叩き上げの偉い人が、
全力でアドバイスしたことは聞かなかったんだよ。
なんで?とかね。
なんで?
あ、そっか。
もうね。
OSなんだ。
俺たちは米を食う民族なんだっていうのが多分あって、
そこに行っても米を作るよね。
そうだわ。そういうことだよ。
実際のこの具体的な開拓の稲作の話もあるんだけど、
今で言う石狩川っていう北海道の大きい川があって、
札幌の近くだから、
今も僕らがいる白雲よりもちょっと北の方。
水田を作ろうとしたんだけど、
石狩川流域は寒いっていうので、
12:01
とても向いてないのに稲作が。
そうでしょ。
で、データンって言って、
稲作にまあまあ向いてないのにこれも。
なんだけど、そこでどうしてもやりたいからっていうので、
北海道の各地から不織土を持ってきたのね。
不織土?
稲作に向いてる土を各地から集めて、
腐食した葉っぱとかがいろいろ生えてる土を持ってきたんだけど、
当時ブラックとかブルトーザとかもないから、
全部人力でやってるんだよね。
いや狂気だね。
そうでさ。
いやー。
この時にこの稲作に向く米、畑、稲だね。
水田を作るためにすげー人死んでる。
そうでしょ。
栄養失調と飢餓。
食べるものがない中で、
夏でもかなり涼しい地域で、
ずーっと畑作ってるでしょ。水田作ってるでしょ。
ずーっと水田作ってる。
かつ、それで運ぶ途中にたくさん人死んでるんだけど、
当時の北海道では、4年間に1回の割合で大例外があったんだよ。
へー。
なので水田ができたとしても、
結構みんなその年は米取れないみたいな。
ので、割と失敗のずっと連続だった。
だって言ってるからね。
そうだね。
やるなよ。
やっちゃダメだよって言ってんのに、
聞いてないもんね。
全然聞いてない。
ただ、
聞くことあったんだろうかね。
結構死んでる子の時だもん。
死んだのもいいことにやってる。
なんだけど、今北海道っておいしいお米取れるし、
東北もおいしいお米取れるじゃない。
そうだね。
これやっぱり日本人の努力なのね。
どうしても米食いたい。
で、1人だけちょっとこれ、
偉人を紹介しておくと、
日本稲作の父って言われてる、
中山急増さんって人はいるよね。
この人ね、
寒冷治温のそれこそ、
お米を一番最初に開発した人なんだ。
すごいね。
1900年くらい。
すごいね。
日露戦争くらいの時代。
そう、開発してて、
結構エピソードがえぐくて、
あの、寒いじゃない。
水で、北海道。
凍るでしょ。
凍る。
だから釜でね、
俺を沸かして、
寝ずに、
ずっと、
田んぼに足してたらしい。
バカやん。
クレイジーすぎる。
俺ね、書いてるんだけどね、
昼夜問わず風呂の湯を水田に運びっていう。
運んで?
運んで。
あ、すごい。
線を抜いたら自動で流れるとか、
全部手で運んだから。
そう、ないから。
そんな重機とか。
履いたから。
いやいや、だからなんか、
あの、水田の隣に釜を、
風呂釜を設置したのかなって思ったんだよ。
エゴエゴ風呂みたいに。
違うんだ。
沸かして運んで。
沸かして運んでって、
風呂置きに入れって書いてるね。
クレイジーすぎる。
こういう人たちがいたから、
今、水田っていうのが、
北海道おいしいお米が作れるようになってるんだけど、
それだけの努力の果てにね、
おいしい米を作れるようになったっていう。
そう。
気遣いがないね。
他にも、稲作以外にも、
これをサトウキビとか茶の木っていうのも、
15:03
明治政府の指示で、
北海道でこの同時期に栽培を試みてる。
それも全て商用樹林文化の
存在に入ってる植物だね、全部。
全部これも失敗の後の。
そりゃそうでしょ。
だから、植生とかっていうよりも、
もちろん民族意識というか、
がそうさせたんだろうね。
なるほどね。
っていうのがちょっと分かったりします。
でね、かつもう一個原因があって、
明治政府、薩長を主力としてたのね。
達野藩と長州藩を。
そうだね。
なので、
彼ら商用樹林のことしか知らないのね。
あったかいところの人たちだもんね。
が開拓を推し進めたから、
こういう風な原因になった。
なるほど。
言われたりしてます。
なんかでも、
そういう心の中のOSってあるじゃん。
さっきも出てきたけど。
商用樹林の人たちの心のOSっていうものが、
多分、
穀物と野菜と雑草の認識を
分けてたんじゃないかなって思うんだよね。
すごい分けてたと思う。
それこそ、
冷えっていうのは漢字で、
のぎへんに癒やしいって書くのね。
ていうので、まずなんかもう、
そうだよね。
馬鹿にしてる。
漢字の時点でちょっとね。
馬鹿にしてるし、
あと冷えっていうのは雑穀っていう風に
呼んでるんだけど。
その雑穀っていう言葉もちょっとネガティブな
要素が感じられるよね。
穀物のヒエアルキーに、
米を頂点に位置付けて、
あとその他は雑穀みたいな感じだから、
これも商用樹林の人たちが派遣を取っている
っていうのがちょっと分かる。
そうだね。
ただ冷えはすごく優秀な作物で、
冷えがいにほとんど合わないんですよ。
だってこの寒い群体で生き延びてきた植物だからね。
そう。
けがちって言われてて、
基金がない穀物っていう風に
強いんだ。
言われたり。
結構日本の歴史にもね、
すごい大きな影響を与えてるんだよね。
天保の基金の時に、
江戸時代だね。
江戸時代の時に二宮尊徳。
二宮金次郎。
金次郎、小学校。
薪を背負って本を読んでる人だね。
がね、農民たちの反対を押し切って、
今年は米なく冷え作るんだっつって。
それで天保の大基金の時に
農民が多く救われたっていう風に。
それは偉人だ。
てかその心のOSを論破して、
みんなにやらせて救えたって相当すごいね。
だからたぶんすごく自分自身を見つかるんだろうね。
なんで僕たちは米を作りたがるんだろうみたいな。
二宮尊徳はそういうのもたぶん
メタリンチしてやってたんだろうね。
そんなこんなでずっと
商用樹林の心のOSを
僕たちは北へ東へっていう風に持ってきた
歴史なんだけど、
こういう自然への理解が分かってくると
日本の歴史の理解もすごく変わってくるよね。
どこでも日本酒が飲める状況だって
心のOSに組み込まれているからだし、
今日ご飯を食べていることの心のOSを
また再構成している動きでもあるなって
18:01
すごい思わされるね。
なのでこっちの東北とかの森に
北海道の森に来てくれた時に
同時に浮かべて欲しいよね。
ここは米向いてないんだなとか。
逆に向こうに行った時は
すごいここの餌はやっぱり西日本なんだなっていう風に
森を見て浮かぶようになると
すごく楽しいんじゃないかなと思ったりしますね。
森の中に生えているものが
全く違っているように
食べているものも本来はそれに合わせて
違うはずなんだけど
今の方がすぐ違うはずだ。
ちょっと一見不思議な状況が生まれていると。
もう一つこの
松葉寿林文化論を題材にした映画があって
誰もが知っているもののけ姫
これね、完璧にね
いろいろな自然VS人間みたいな
二項対立で見られる時があるんだけど
これ今のたぶん僕らの
この回のラジオを聞いた人は
松葉寿林文化VS船体文化っていう風な視点で見れると思うんだよね。
なるほどね。そして
芦田川は船体から松葉寿林の方に来た人だね。
そう、芦田川の東からやってきた
そうだった。 恵比寿だっていう風に言ってるんだけど
そうだった。
あれね、完全に船体の服装だし
船体の文化の人だね。
なるほどね。
このエボシ
自然をさ、破壊してさ、要塞みたいな
作ってんのは焼き旗とかを行う
松葉寿林文化の象徴
なるほどね。
サンは松葉寿林文化体なんだけど
ちょっとエコロジー寄りの
ちょっと異端な感じの
異端な感じのっていうので
だから芦田川とサンの出会いはね
松葉寿林の民族と船体の民族が出会ったというか
なんかそういう話としても
捉えられるんじゃないかと
おーちょっともう一回見てみます。
見てみて。
早尾監督が言ってるから。
あ、そうなの?
ロケ版の場所。
どこ?
薬師間と白神山町。
へー!
完全に松葉寿林と船体なんです。
うんうんうん。
いやーちょっとじゃあ
次回、最終回になりますかね。
船体文化論編。
楽しみにしてます。
ありがとうございました。
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