オグロックの紹介
みなさんこんばんは、耳見えラジオパーソナリティの西川桃江です。
金曜の夜、いかがお過ごしでしょうか。
三重県の南部を旅するようにお届けしている耳見えラジオ、私が伊勢島エリアを担当していて、
もう一人、東木州にお住まいの玉百合ちゃんと1週間おきに交代でお送りをしています。
手探りで始まったラジオですけど、今日で私の収録も7回目になります。
皆さんに聴いていただいている方に育てていただいて、周りのスタッフからやあやあ言われて、
なんとかかんとかやってきてるんですけど、ちょっとずつメッセージも届くようになってきて、
この間も耳見えラジオを拝聴させていただいてますなんて言っていただいて、
そろそろパーソナリティとしての自覚みたいなものも出てきたかなと。
なんかね、名刺も少なくなってきたんですよ最近。
新しい名刺をそろそろ印刷しようかなと思ってるんですけど、
ここのプロフィールにパーソナリティっていうのを入れてもいいかどうか。
これもちょっと皆さんに通ってみたいですよね。
よかったらメッセージで、まだ早いとか、もうこれは入れた方がいいっていうのも送っていただけたらありがたいと思います。
そういうメッセージもせっかくちょこちょこ来てるんで、
そういうメッセージを紹介しながらお話しするような回っていうのもできたらいいかななんて思っていますので、
皆さんぜひぜひ、もう何でも結構ですので、またメッセージを送ってください。
さて、今回は伊勢市に行ってきました。
皆さん最後までぜひお付き合いください。
今日は伊勢市に来ております。
伊勢市といえばね、言わずとしれた伊勢神宮ですよね。
そこが一番全国的にも有名なんですけど、
今日来てる川崎っていうところは、ここもねすごく街歩きのポイントとしてすごく観光客にも人気があるところで、
伊勢市駅からも歩いて全然来れる場所なんですごく私はおすすめなんですけど、
古い街並みで蔵が立ち並んでたりとか、
もともとは瀬戸川っていうところが、瀬戸川が流れてて、
そこの川を使って伊勢の物資っていうのかな、食べ物であったりいろんな物資を運ぶ、
もう言ったら伊勢市の物資が全部集まるような場所なんですよね。
で、今でもそこは川の駅があったりとか、そういうちょっと街並みを保存しようみたいな活動があって、
そこで川崎証人館っていうところがあって、そこでね、月に1回、第4日曜日に台所市っていうのをやってます。
実は私もそこに出展者として出てるんですね。
お酒を売ってます。またお酒の話毎回出てくるけど、私酒屋さんなんで、
お酒はいつも台所市かな、出ない時もあるんですけど、出させていただいてます。
今日はその台所市でも出展者同士というか、出展者としてよくお会いすることもあるお二人にお話を伺いたいと思います。
それでは早速ゲストをお迎えしたいと思います。
伊勢市にお住まいのオグロックこと、オグロシンペイさんと、奥様のオグロヒロナさんです。
今日はよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。オグロックです。
はい、そしたらですね、すいませんけども、オグロックさん。
はいはい。
オグロックさん、いろいろやられてて、私もあちこちの方面では知ってるんですよ。
会ったこともあるし、知り合いというか知ってるんですけど、
でも私はオグロックさんが実際何やられてるかとかあんまりよく知らないんですよね。
なんかいろいろやられすぎとって。
ちょっと自己紹介を、どんなことやってるか教えてもらっていいですか。
はい、かしこまりました。改めましてオグロックと申します。よろしくお願いいたします。
お願いします。
普通のサラリーマンです。
嘘?サラリーマンやったんですか?
普通のサラリーマンです。
サラリーマンやったんですか?
そうですよ、そうですよ。
どこの会社に勤めてんの?
はいはいはい。
大丈夫ですか?
大丈夫です。全然問題ないです。
私今ちょうどこの収録がある寸前までちょうどいたんですけど、
同じ川崎の、こっからうちのすぐ近くにある南西縁業という塩屋。
はいはい、塩屋さん。
塩屋さんですね。
で、お塩、お塩売っております。
お塩を販売するんですか?
塩屋さんでございます、俗に言う。
あら、それの営業マン?
いや、何をしてるかわかんない。
あの、なんか働いている人。
働いている人。
なんかいろいろやってる。
いろいろやっている。
いろいろやってる。
俗に言うごく普通のサラリーマンを平日の夕方まではしながら、
あとはその8年前からその父がちょっと急に亡くなってしまったので、
その流れで継ぐ予定ではなかった実家の鰹節屋の国母商店を夫婦で、
母と夫婦で継ぎながら、
オグロックという芸名を使ってミュージシャンであったり、
イベント関係の裏方であったりっていう、
俗に僕は舞台人と言ってくくって自称していると。
大きく分けてこの3つの顔を持ちながら、
僕はこの自分の好きな伊勢という町で過ごして、
健やかに、健やかにのびのびと生きている次第でございます。
音楽と舞台の経験
はい、もうそれぐらいで大丈夫です。
ありがとうございます。
で、私は多分オグロックとしての顔を最初に知ったっていうか、
名前も知ってたし、イベントでよく見る人やなっていう感じだったんですよ。
そしたら、また後で話してるけど、別のイベントでね、
鰹節屋さんとして出てきて、この人鰹節屋さんやったんやって思ってたんですよ。
で、この間聞いたら会社員ですって言われて、会社員やったんやと思って。
そんなオグロックさん。
あいつマジ意味わからんよなってことですよね。
多分みんなそう思っとる。
そうそう、商工会議所からもそう思われてます。
あの人何屋さんなんやろってね。
すごい。
後でちょっとまたこっちに帰ってきて、鰹節屋さんを継いだ経緯みたいなことも少しお話を聞きたいと思います。
はい。
で、奥さんのヒロナさんの方も自己紹介していただけますでしょうか。
はい、オグロックの嫁こと、オグロヒロナと申します。
嫁ロック。
よろしくお願いします。
嫁ロック。
普段は何されてるんですか。
私は今鰹節屋を継ぐというか、鰹節屋のことを普段しながら、あとお出汁とか鰹節の文化を広げたいなと思って、お出汁と発酵の料理教室を今始めたところです。
お出汁と発酵。
はい、そうですね。
ちょっとこれも後でお話聞かせてください。
つかもってください。
私も今ちょっと発酵はね、発酵ブーム。
暑いですよね、今ね。
暑い。
ちょっと漁所を作ってきたから、そんな話もね、ちょっとしたいなと思います。
はい、じゃあ先お話ししてた新平さんの方。
はい。
お父さんが亡くなられてこちらで家業を継いだってお話ありましたけど、もともとはこっちが地元で伊勢野川崎が地元で、若い頃はどこかに出てたんですか。
僕は地元がここの伊勢野、工学館高校を卒業した後に大阪に行きました。
大阪に行ったんですね。
大阪芸術大学。芸大ですね、特に。
芸大に行ったんですか。
はい、金のかかる大学。芸大にわがまま、父と母にわがままを言って行かせていただいて。
それは何の勉強しに行ったんですか。
舞台です。舞台芸術。簡単に言うと劇団式の養成学科。
演じる方?
僕は裏で入りました。裏方の勉強、音響の勉強、音楽好きなので。
本当は音楽の学科に行きたかったんですけど、学費が高かったんですよ、音楽の学科って。
舞台の方がちょっと安かったです。
転学科でもしたらいいやとか思って入ってから。
考えてたらずるずると4年間舞台の学科で裏方の勉強、照明さんとか美術さんとか音響とかにそれに関すること、イベントの作り方とか。
そんなことを勉強しながらもやっぱり目立ちたがりな性格もあったので、表方のこともかじりながら、
適度に外に出て、結局全部のことを中途半端にかじって卒業して、
ちょっとあっちで放送とか舞台の仕事を3年ほどして、店に帰ってきたって感じですね。
家庭と業務の継承
歌歌ってたりとかもしてたんですか?
バンド活動はしてましたけど、本当に今ほどじゃなくて、それこそ趣味のような活動をしてましたね。
なんて言ったらいいんだろうな。
俗に言うパッとしないバンドマンみたいな。
雨村に居そうなパッとしないバンドマン。
あれ大学生の頃の新ページ。
どれどれどれ?
あそこにある。
今ね、今日はちょっとオグロックさんのスタジオにね、お借りして収録をしてるんですけど、
写真とかギターもたくさん置いてあって、すごい立派なスタジオで。
どの写真ですか?
あれの、丸ホーゼ一番背が高い。
ちょっと茶髪みたいな。
あんまり普段触れられない写真ですね。
撮ってもらって大丈夫ですか?
私は知らないんですけど、もっと痩せてたんですよ、大学の時はきっと。
本当や。
きっとじゃないです。痩せてたんです。
本当や、めっちゃ痩せとる。
この身長で痩せてたらきっとね、スタイルも良かっただろうし。
会ってみたかったな。
辛いものがある。いくばっか辛いものがある。
すごい、全然違う。
学生劇団やったりとか、音楽やったりとか、本当に好きなことを好きなだけやって過ごしていましたね、大阪の頃は。
それで帰ってくるタイミングは、お父さんが亡くなられたので。
梅田で働いてたんです、ライブハウスで。
そのライブハウスが閉店するってなって、お金もなかったので、一応音楽とか芸能の仕事をさせていただいて、
ちょっと心の中で満足したものがあって、疲れたし、もういいかみたいな。
でも地元に帰ろうかなって思った時に、ちょうど四季年仙宮の大きいお白石、白石封建がある。
若手がうちの町は足りないから、お前そろそろ帰ってこいっていう連絡を父からもらって、
もうその時は一通り都会の生活に疲れていたので、もうわかった、俺帰るって言って。
その音楽もやめるって言って、もう普通の人になるって言って。
帰って仕事何しようって言ってたら、ちょうど町内会で今僕がお世話になっている南西縁業の人間が、今は僕の兄貴ですね。
兄貴がうちちょっと後釜探してるから、うち来たらいいよみたいなことを言ってくれたらしくて。
そうやって御町内で働くことになったという流れがありますね。
お白石の頃なんですね。
帰ってすぐお白石が始まったので、あれはあれで楽しかったです。
楽しかったです。私もお白石はボランティアでずっと入っとったから楽しかった。
なんか大きな節目っていうかね、そういうのに携わらせてもらった感じがしたし。
南西縁業で働きながら、かつお節屋さんっていうのもお母さんと一緒にやっていこうってことですね。
そうそう。お白石が終わって2013年、2年くらいだったかな。
その4年くらいに父が亡くなったんです。急にポコンと。
ポコンと。
ポコンと生まれたのに亡くなった。
当時継ぐ気は全くなかったんです。
逆に伊勢に帰ってくるときに、かつお節屋を継ぐか継がないかって話をやっぱり父からされたんですけど、
父の方からお前には向いてないと。向いてないし、今いろんなお店が俗にインスタントの出汁を使って出汁とってるし、
インスタントの出汁の技術もすごく向上してきたから、いずれかつお節は売れなくなるような未来が来とると。
しかもかつお節屋はすごい気を使って、丁寧な仕事をするような職人さんでしか削れへんから、お前みたいな雑多な性格主烈には遠手じゃないけど無理やと言われて、
分かりました、継ぎませんって言って、継がなかったんですよね。
その状態で来たもんですから、いざ父がいなくなったときに、じゃあもう閉めますって最初言ったんですよ。
実は1ヶ月半くらい店閉めてたんですよね。
お得意さんから頼むから閉めてくれるなって。
皮肉にもかつお節屋伊勢でうちだけだったんですよね。
昔いっぱいあったんですけど閉めちゃってて。
注文来たらすぐ配達行くっていうような店がうちだけしかなかったから、やっぱりスピード感の速さっていうのは国母商店の強みだったらしくて。
だから純粋に出汁が美味しかったって言ってくる人も多くて。
だからあの人らの顔って、僕が保育園の頃とか小学校の頃に、
親父の配達について行ってたんですよね、僕が助手席に乗せられて。
その時に飴ちゃんもらったりとかね、しんちゃん今日も来たんかって言って、
鰹節屋の挑戦
僕の相手をしてくれてた人たちが、すごい困った顔で、しんぺくん何とかならんのかって言われたら、何とかせないかんやんって思っちゃうわけで。
じゃあ削れへんけど、無理やったら辞めますって言って、無理やったら辞めるけどとりあえずやってみるわって言って、
気が付いたら8年間経ってました。そんな流れです。
なるほど、すごいね、やっぱり必要とされてるっていうか、結構その飲食店とか伊勢谷から。
そう、伊勢うどんの店が多いですね。全部じゃないですけど、有名な店の今どうやろう半分ぐらい。
へえ、それは。
ちょっと閉まっちゃったからな。
それは辞めてもうたら困るやろうね。
ちょっと嬉しくなるよね、お得客さんが多くてね。
そうやな、そうやな。伊勢うどんとあとその居酒屋さん、有名な居酒屋さんが。
一月屋さんの湯豆腐にね。
そう、月屋さんの湯豆腐の上にかかってる鰹節とか。
名前出すと餃子のみすずさんのおでんとかの中のおかかとか。
あの辺はやっぱりみなさん説明しやすいですね。
それは大事やわ。
そうそう、あの辺使ってもらってるもんで。だしやもんでね、ちょっと変わると味めっちゃ変わっちゃうんですよね。
だからやっぱりあれは確かにやめてくれんなっていう気持ちは今ちょっとわかるな。
今ならわかるな。
昔なんでやねんとか思ってたけど、今ならわかる。
必要とされてね、続けることになったっていうことですね。
出会いと結婚
とりあえず、とりあえず僕がやる限り、僕の代だけでもとりあえずやってみようかって思いながら今もずっとやってるような状態ですね。
奥さんは、今は奥さんが鰹節屋さんの方をやっていこうかなって。
それはいつ頃に出会われたんですか、2人は。
結婚したのが2017年なので、私、亡くなったお父さんのことをパッパって呼んでるんですけど、パッパが亡くなったのが2016年だよね。
そう、11月だな。
で、パッパが亡くなるときには、まだオグロックさんって感じで、知っているけど別に付き合ってるとかそうなんではなくて。
そもそもどこで出会ったの、2人は。
友達の書道家のコテンでコーヒー入れてて、この子が。もともとスタバのお姉さん、エプロン着て。
広野さん出身どこでしたっけ。
明和です。
明和屋。
私は生まれも育ちも明和というか、三重県から出てないので。
で、スタバで。
スタバで働いてて。
で、そのとき途中で、カフェとかやってみたいなとか思っていたときに、友達がコテン、友達の書道家の子がコテンやるっていうので、
そこで、そのコテンの間だけお店みたいにカフェ、コーナー作りたいからコーヒー入れてくれやんって言われて、
で、そのときに行って、そのときゲストで歌いに来てたんですよ、オグロックさん。
そう、そのときミュージシャンの顔やったの。
で、そのときが一応フェイスブックとか流行ってたから名前は知ってたんだけど、初めましてで、
でもそのときに一緒に歌いに来てたオグロックの友達が子供連れてきてて、幼稚園ぐらいの子供だったんかな。
私もオグロックさんの子供やと思ってて、自分より年上やと思ってたし、
オグロックさんこんな大きな子供いるんやって思ったのが第一印象でした。
年上?
1個上でした。歌をあけたら。
いくつですか今。
38。
あ、ちゅうさんと一緒や。
これ二人とも一緒や。
同い年やね。
そうなんだ。
あ、同じや。
これはカウントさん、オランティーナ。
オランティーナ。
あ、同い年なんや。
そうそうそう。
あ、みんな1個上?
1個、私が1個下で、
あ、1個下か。
はい、オグロックが1個上なんですけど、
でもその最初出会ったときは28とか。
30までに結婚させたからな、言ってたもんな。
もうちょっと若かったかな。
結婚したのが29だからもうちょっと若かったと思うんですけど、
でもその出会ったときに今ぐらい38ぐらいやと思ってました。
オグロックさんのことを。
やらふけてた。
10個ぐらいは上やろうなって思ってた。
だいぶいってたね。
今の写真とどっちが近い感じやったの?
あ、もう出会ったときは今のクマスタイルですね。
もう耐性されてしまいました。
安心感のあるスタイルでした。
それはまあそうやね、唐揚げよけ食べるからね。
間違いない。
間違いない。
そうですね。
で、えっと、そうそう。
かつお節屋さん。
話の途中で脱線しましたね。
で、かつお節屋さんをやるってなったのは、
そのパパが亡くなって、かつお節屋を一通り継ぐっていう風にバタバタしてる最中を
ずっとフェイスブックとかで見てて、
あー大変そうやなこの人と思っていて。
で、
ご飯食いに来ない言われて。
あ、そやそやそや。
それが付き合ったきっかけというか、
その時私こう曲がりカフェみたいなのを月一回させてもらってて、
で、初めてランチを提供した日があって、
その時ランチ20食ぐらい作って、
5、6食余ったんですよ。
で、家族もそんなにいないし、
こんな5食分も余ってどうしようと思った時に、
ちょうどパパは亡くなる前1ヶ月ぐらい入院してたよね。
で、その間ってオグロ家がほぼほぼお惣菜を食べる日々みたいな感じで、
温かい食べ物とかあんま食べてなさそうな感じだったので、
余ってるしちょうどいいと思って、
で、オグロ君さんご飯食べに来てくれやんみたいな感じで、
で、どっかに届けようと思ったら、
たまたま、
あーじゃあその近く通るしみたいな感じで、
はじめましてで、
うちの実家に来て、
私と母の前でご飯食べるみたいな。
はじめましてでというか、
私の母とのはじめましてはそのタイミングやったね。
人の家のリビングに上がり込んでご飯を食べて、
美味しかったんですよ。
で、話聞いたらその料理のことやりたいって言うから、
で、あとあとその付き合って結婚した時に、
あのもう鰹節屋やから、
もうあの料理教室も鰹節屋も、
まあ俺も一緒にやるから、
夫婦でまとめ込んで全部一緒にやったらいいやんけっていう話にだいたいなって、
今そのベースに今来てる感じ。
そうですね。
結婚してからすぐ鰹節屋をやるってわけじゃなくて、
ずっとスターバックスでも働き続けてたし、
鰹節屋はこうママとブロックと私、
みんなで30%ずつぐらいの力を出し合ってずっとやってたんですね。
で、それをこうちょっとこう面白くなってきたし、
で、鰹節のこともこうより知りに行くようになったんですね。
二人で知りに行くというか知りたいなと思って生産地を巡ったりとか、
一番最初に仕入れしている枕崎、鹿児島の枕崎に行ったりとか、
で、その後八重洲に行ったりとかっていう鰹節のことを知れば知るほど、
私がのめり込んでいって面白いってなって、
で、二人でこうなんとなくというか、
無理やり続けだした鰹節屋を二人でもっと面白くしていきたいなっていう風になっていったのが、
この8年間の変化ですね。
地域イベントの開催
なるほど。
で、その今料理教室であるとか、鰹節屋さんというか鰹節を使っていろんなイベント、
なんかこれまでもイベントをされてきたっていうことだと思うんで、
どんなイベントをされたか教えてください。
基本的にはワークショップが多いよね。
そうですね。
最近夫婦でやってるのは鰹節削り体験って言って、
本刈節を削る体験をなかなかみんな普段できないので、
それをやってもらうっていうワークショップは、
今年そうですね、3、4回やったね。
何回やったの?
結構やったよな。
それは何で削るの?
よくある箱みたいな。
手削りの。
手削りです。
家庭で。
昔の鰹節削りのイメージのを実際体験してもらうっていうのを。
確かにね、だって家にないもんね。
ないですよね。
昔はあったけどね。
私もなかったです、実家には。
ちょっとご高齢な方とかだと、昔子供の頃削ってたとかっていう人がやっぱり多いですけど、
今の僕と同じ世代であったりとか、ちびっ子であったりっていうのは全く見たことも聞いたこともない。
僕も削れないまま鰹節をついてしまったので、まず削る練習をするんだったらあれから行こうということで最初。
うちも子供の頃あったんやけど、削るの難しかった。
難しいですよね。
難しかった。やっぱりコツもあるし、やっぱり削りたては美味しい?
匂い強いですね。
香りがいいし美味しいよね。
あるある、それはある。香りがやっぱり強い。
削りたての美味しさっていうところを、やっぱりなかなかわからないので、そこを体験してほしいなっていうので、
今年は鈴鹿、松坂、あと三重も飛び出て。
いつもやってる。
徳島、徳島行ったな。
徳島も?
はい。私が発酵料理を勉強してる先生が徳島の方で、ちょうど泡おどりのタイミングで徳島に行かせてもらったりもして、
そういう体験をやったり、あとは同じぐらいの世代で、それぞれ日本の食文化を継いだ米屋さんとひもの屋さんと一緒にイベントもやりました。
ちなみに、どこのひもの屋さんとか教えてもらってもいいですか?
大瓦瀬のひもの屋さんと、大瓦瀬のお米屋さんと、なぜか伊勢の鰹節屋でやりました。
場所はどこでやったの?
あなたの店だよね。
そうなんです。場所は松坂で。
松坂でやって。
それはどんなイベントだったんですか?米屋さんとひもの屋さんと鰹節屋さん。
日常にひと手間をみたいなタイトル。
和食でくくるみたいな。ちょっと環境問題とかも絡めながら、ひものの作る手間とか、お米の大切さ。
最近でこそニュースで、お米の量が減ってきたとか、生産者がいないなんてことも、あの人たちはもちろんずっと前から知っているわけであって。
それを改めて今危機感を持って伝えたいという気持ちは非常に強いはずなので。
僕たちも僕たちで、鰹節、今やっぱり水揚げ量が減っているとか、後継ぎがいないから作れない。
このまま日本の食文化の未来ってどうなるんだろうねっていうのを、割と真面目に考えなきゃいけない分岐点に来てるなっていうのを、
ちっちゃい声ですけど、多分伝えていくのが、今の地方のちっちゃい各米屋であったりひもの屋であったり鰹節屋でできることの一つだなと思ってアクションを起こしたっていうのがイベントだったかな。
その生産者が集まって、そういう話もみんなに聞いてもらいながら食べてもらうみたいな。
そうですね、なんかその一手もかけることでよりおいしくなるとかいうのもコンセプトの一つなんですけど、
なんかそういう先がちょっと細くなっていくような農業であったりお米屋さんであったりひもの屋さんであったり鰹節屋を、
今30代の私たちがついだからこそ伝えられることがあるんじゃないかなと思って、みんな結構問題にするところはやっぱり似てて、
貢献者問題、環境問題、けどなんかそれってやっぱり消費者の意識が変わらないと、生産者とか販売者だけが訴えても変わらなくて、
やっぱり消費者の方がどういう流通経路でこのものが来てるかとか、どこにお金を落とすかっていうところに。
何を選ぶか。
意識を持ってもらわないと自分たちだけでは変えられないから、すごく小さな一歩なんですけど、
そういうことを考えるきっかけにしてもらって、ちょっとひと手間かけておいしい和食を、日本の文化としてのおいしい和食を食べようみたいな企画でやりました。
素敵。
楽しかったよね。
面白いのが地域またいでっていうかね、別の地域の人らと一緒になってやってるっていうのがすごい面白いなと思ったし。
そもそもオワセの中でやってもよかったんじゃないのかって。
そうそうそうそう。
オワセでやってもよかったんだけど。
そもそもオワセのセコ米国店っていうお米屋さんの、それこそお嫁ちゃんに誘ってもらって、
最近オワセで紐の屋さんをついた子がいるんだよって言ってて来てもらおうっていう紐の屋さんなんですけど、
その子たちを紹介してもらって、じゃあなんかやるっていうのがきっかけだったんですよね。
なのでオワセでやるっていう案もあったんですけど。
今実際ちょっとオワセでやってほしいって話もね。
あ、上がってますか。
音楽スタジオの継承
してたんですよ。
そうなんか最初オワセでやるっていう話をしてたんですけど、
ちょっとなんか場所とか集客とかの問題でやっぱりちょっとこう難しいなっていうのが上がってきて、
じゃあまずは松坂でやってみようかっていう風になったんですけど、第2回ね、やりたいよね。
ドイミセでぜひぜひね、やったらいいなと思うけど。
行きましょうよ。
ドイミセさん行ってみたいんですか。
行ってみたいんです。
悪いんやけど、日本酒も絡めてくれる?
絡めたい。
絡めて?
うん、やりたいです。
ちょっとホテル押さえとかなあかんね。
ホテル。
やっと押さえとかなあかんね。
飲まないからね。
やっと押さえて。
うんうんうん。
おぐろくさん。
もうだってゆっくり、ゆっくり。
おぐろくさん飲まへんの?
おぐろくは飲まないんですよ、こう見えて。
素晴らしい、運転手。
運転手です。
でも私は飲むの。
あ、いいね。
飲みましょう飲みましょう。
はい。
いいですね。
日本酒であったりとか、米とか鰹節とかだけじゃなくて、
例えばこの辺だったら海苔であったりとか、わかめであったり、青さであったり。
昆布とかね。
昆布、もちろん昆布もそうだ。
あとも地場の野菜であったり、お肉であったりっていう、とにかく食に関する生産者の悲鳴であったりとか、今の環境の問題であったりとかっていうのは、
鰹節嫌だからこうやって切り取ってるけど、どこの業界でも絶対あるあるだって断言できるぐらい今、多分困窮してると思うんだよな。
だから鰹節とかお米とかっていうのをきっかけに、他のスーパーで、鰹節なんてスーパーで棚取ってもみんな普通に素通りすると思うんですよ。
お酒とかお惣菜とかみんな見ると思うけど、鰹節ってそんな見ない。渦巻布の前めっちゃ見るかって言ったら多分そんな見ない。
マニアック。
でもじゃなくて、次この話を聞いてスーパー行った時に、もしかしたらこの業界も困ってるのかもしれないとか、
当たり前に見てたけど、そういえばこれどうやって作ってるんだろうみたいなことを思うところがまずファーストステップじゃないのかなとか、そんなことを思っちゃう。
あと美味しい鰹節食べたらやめられへんよね。
分かります。やめられないですね。
美味しいのは違うもんね。
私たち実は伊勢の川崎の大独一っていうイベントで一緒に出展させてもらってる。
地域イベントの魅力
タッグを組んでるように。
今週末も出る人?
今週末も出ます。一緒一緒。だからまたちょっと、うち新酒出すから、またタッグを組んで。
いつもね、私は日本酒売ってるんですよね。ミチュー・クガマっていう日本酒売ってるんで、
オグロックさんのとこではおつまみになる鰹節の試食を配ってくれてるの。
その試食を配りながら、あっちに日本酒あるからって言って、こっちに回してくれるの。
で、うちは支援してくれた人に、あっちに鰹節の試食があるから、あそこに寄って鰹節買ってくださいって言って。
商食行動をね。
お互いにね、やってるんですよ。
で、両方買って帰ってくださったら、やったみたいな。
っていうね、出展者グループなんで。
タッグが決まりますって言ってるね、カドの出展者。
せっかくやから川崎の大独一の宣伝もしとくと、
月第4日曜日に伊勢の川崎商人館のところで、大独一って言って、
食品かな、食べ物が結構中心やけどね。
クラフト系もあるけどね。
大独一言ってマーケットをやってて、すごいいいよね、あれ。
あったかいですよね。
私も出展者なんやけど、お客さんみたいな感じでいつも行ったら、買って食べてみたいな。
ちょっと、なんていうんやろ、そんなのんびりとっていうか。
ギラギラしていない。
ギラギラしないね。
特に私たちは地元なんで、安心する顔ぶれが揃ってるよね、いつも。
知ってる人しかいない。
かといって、私らみたいに寝座物とか、よその町から来た出展者もすごい優しくしてくれて。
楽しいですね。
楽しい、めちゃくちゃ楽しい。
伊勢の人柄の宿図みたいなのがあって。
そうかも。
で、来てくれるお客さんも、わりと地元の人もおれば観光客の人だと思ったりとか。
鶏町の魅力
客層もすごい面白い。で、おしゃれな人が多い、なんかわからへんけど。
そうですか。
見るか?
おるおる、なんかちょっと後世的な方とか。
そうか。
ちょっと違うなって思って。
私はみんな店から行くといつも楽しんで、お客さんのことも見て楽しんでるみたいです。
そのちょっと、第独一ももしよかったら、皆さんリスナーの人聞いてたら。
ぜひ遊びに来てください。
おかえり食堂。
では最後に、オグロックさんに質問なんですけど。
おかえり食堂っていうコーナーがありまして。
皆さんの、例えば伊勢に帰ってきたらこれ食べたいんやわっていうような食堂とかそのメニューを聞いてるんですけど。
オグロックさん、そういうの何かありますか?
目の前にね、見えているので、これを見ながらインタビュー受けるのが非常につらい。
もう食べたいよね。
もう食べたいですね。
だってもう食べたい色しかないですからね。
茶色ばっかりですからね。
私の住んでる国母商店から歩いて5、60メートルの距離に、食堂ではないんですけどね。
鳥町という鶏肉屋さんがありまして。
そこの一角で焼き鳥とか唐揚げとかお惣菜を売ってる。
私の皮下脂肪の7割は鳥町の唐揚げでできていると言っても過言ではないぐらい。
私の人生の中での食の一番楽しみな部分。
誕生日とか何かこうお祝いとかっていう時には、私は基本的に鳥町の何かを買うっていうぐらい好きな。
もうご近所やから、子供の頃から?
もうそうですそうです。
生まれてこの方ぐらい。
今の鳥町の島田さんのお父さん、おじいちゃんとおばちゃんがやってらっしゃる頃からずっと。
大阪にいる時も伊勢に帰ってきて何食いたいって言われたら、俺鳥町だ。
じゃあまさにお帰り食堂ですね。
食堂じゃないだけであって、ここだったらすぐ買いに行けるし。
人間としてもすごい大好き。
人としても大好きで、味も美味しいから。
それこそ店辞めるなんて言い出したら僕は本当に反対するんですよ。
鳥町だけは辞めてて。
復元御用足しだよね、鳥町さん。
もう署名運動するぞっていうか。
それぐらい好きな鳥町で、鳥町の唐揚げと串焼きっていうのかなでございます。
はい、事前にそれをお聞きしとったもんで、テイクアウトで買ってきて、今目の前にあります。
今日はもうせっかくやし、ちょっと私たちもこの場で。
皆さんで食べましょう。
食べましょう、スタッフもみんな食べましょうよ。
どうぞどうぞ。
これ串がちょっと変わったんですよね。
そうそう。
説明を。
説明を。
これは大人みえってみんな知ってる?
知ってる知ってる。
大人みえの記者をしてて、みみちゃんとして。
で、一番最初に僕、ミュージシャンなのに鳥町のこと書いたんですよ。
その時に音楽のこと一切書いてなかった。
なんで?
ガラパオス焼き鳥。
僕はね、ガラパオス焼き鳥。
鳥町の串ってちょっとその特徴があって、焼き鳥の一番頭が、これは胸肉なのかな?
胸肉。
で、その下が皮。
胸、皮、皮、皮っていう。
はいはいはい。
その部位がね、2種類。
頭が固くた後プリプリプリっていう。
あーそうなんや。
そうそうそうそう。
どうした?
あとプリプリプリって可愛いなって思って。
で、ちょっとその、なんかこう不思議な構成。
普通ね、焼き鳥って言ったら皮は皮だけだし、ももはももだけだし、そこじゃない。
これ普通やと思ってたやん。
そう、これ普通だと思う。
子供の頃から食べてたから。
そう、本当に普通だと思ってた。
ちょっといただこういただこうって。
食べましょう。
いただこうよ、それ。
ぜひぜひどうぞどうぞ。
皆さん皆さん。
いっちゃってください、いっちゃってください。
私取らないとなんかあれか。
いただきます。
ひろんさんの方。
はい、ではいただきます。
ちょっと冷めちゃってるけどね。
まあでもおいしいよね。
いただきます。
めっちゃいい匂いしてたもんな、店の前。
そうなんですよ。
ちょっと風向きによっては玄関開けたら香る時があって。
今日買いに行こうかなってなります。
そうですね。
ちょっといただきます。
最初は固いやつね。
うんうんうん。
おいしい。
おいしい。
このタレがちょうどいい。
もう食欲を注ぐタレやよね、これね。
あとね、このタレはね、ご飯にかけてもおいしいんですよ。
絶対うまい、絶対うまい。
食べようぜ、ぜひ。
なんか鶏皮ってそんなに普段こう、好んで食べたいとは私はならないんですけど、
鶏町さんのは食べる。
鶏もおいしいね。
おいしい、わかる?
鶏皮だけ食って生きていけるぐらい。
ね、しんぴーは鶏皮好きだもんね。
これがスタンダードだと本当に思ってたので。
酒。
酒がこれ。
ビール。
これはビール欲しくなります。
うちでその忘年会とかするときは基本鶏町行って、
この串とか唐揚げをしこたま買ってきて、
で、うちは鰹節屋だから豚汁作るんですよね。
豚汁とかおでん作って自家製で。
それここにダーンって置いて、
でもひたすら食べるみたいな。
親父もやってたし、いつの間にか僕もやってたので、
ああ、なんかこうやって親と似ていくんだなとか思いながら一緒のことやってるなみたいな。
いい話。
はい、ご馳走様でした。
オグロックさんのおかえり食堂は鶏町さんの唐揚げと串焼きでした。
はい、ではもう今日最後になりました。
すごい楽しい時間ありがとうございました。
最後にオグロックさんから今後のイベント、何か告知があればどうぞ。
はい、2025年になるんですね。
2025か。
2025ですよ。
2026年からもうおきひき始まりますからね、この町は。
本当ですね。
一応それまでに、もう嫁1年ですから。
あれ始まったらやらないことですからね、この町。
忙しいからね、相変わらず。
でも一応、おきひきとか伊勢神宮やっぱり基準にして、
基軸にしてこの町は動いている中で僕も生きているので、
一応そのおきひきまでにちょっとこうやっておきたいことがあるよね。
いろいろ仕込んでいるので。
そうそう、ネタ仕込んでね、せっかくそういう波が来るんだったら乗っていこうじゃないかと。
もともと面白くないなって思ってた滑走武士屋も、
7年8年やったらちょっとずつやっぱり面白くなってくるし、
知恵もついてくるから、
じゃあ1個ぐらい好きなことやっといていいじゃないかっていう企画を
ちょっと2025年の春ぐらいにね、ちょっとドロップしようと思っています。
あとこの1年2年で夫婦で始めた削り体験のワークショップとか、
お出汁に関するワークショップっていうのも、
去年ありがたいことにいろんな会場でご公表いただいて、
またそのおかわりのご依頼いただいてるし、
県の外、今のところ大阪でいただいてるかな、
もしかしたらまた徳島とか行くかもしれないし、
県外とか県内外問わずに滑走武士のことなんかやってよとかって言われたら、
ミミちゃんももちろんそうですけど、
とにかく自分とか夫婦でできる、僕らが必要とされる場所があったら
何でもやりに行きますっていうスタンスは崩さない。
喜んで行きたいと思います。
喜んで行きますので、呼んでいただければと思いますね。
あとさっき話してたの、お米とひもののイベント第2弾。
そうね、ぜひね、今度大阪で。
どんな店さんを使うだか使わないだか。
どういう店さんに行きたいからその理由としてイベントを。
私はそう、大阪でゆっくり過ごしたいんで、いつも。
いつもすぐ行ってすぐ帰ってきちゃうから。
でね、飲むとこいっぱいある。
伊勢市のつながり
じゃあやっぱり、日本酒も絡めて。
たまには一杯か二杯かしたいんだよ。
二杯か。
風見通りだけ行っていつも帰ってくる。
じゃあぜひ今年は企画しましょう。
ちょっと大阪でね、ワークショップやってほしいな。
お汗でゆっくりしたい。
なるほど。
じゃあ皆さんもぜひそういう情報をチェックしてみてください。
それでは今日はオグロックことオグロシンペイさん、
オグロヒロナさんどうもありがとうございました。
ありがとうございました。
今回は伊勢市川崎にお住まいのお二人とお届けしてきましたミミミエラジオいかがでしたか。
オグロックさんのスタジオが本当に素敵で、ギターたくさん置いてあったりとかすごい豪華ですよね。
ちょっと本当に一般のオタクとはまた離れて。
棒音もすごかったしね、扉のところね。
私もちょっとギターいいなと思って始めようかなと思ってしまってます今。
あとそのおかえり食堂、今回は鳥町さんって言って飲食店じゃないんですよね。
テイクアウト専門のお店なんやけど。
ここも多分ねこれ全部おかえり食堂のコーナーで伝えきれてないと思うから、
あえてもう一回言わせてもらうとめちゃくちゃうまかったですよね。
あれ唐揚げと串焼きとね。
私ねあれもう最近のここ最近の中での発見、大発見ですよ。
あんな美味しい唐揚げとかが伊勢にあったとは。
もちろん知ってたんですけど鳥町さんの名前は。
あそこまで美味しいと思わへんかった。
スタッフ全員ね、みんな買いましたもんね。
めっちゃ並びましたけど、それぐらい美味しかったですね。
あとお二人のお話がねすごく面白かったし、
なんかいろいろ出会いのこととかも話し聞いちゃったりなんかしながら。
あとねその二人のこれからの活動がすごく楽しみやなって思いましたね。
いいなと思ったのはこの拠点のある伊勢だけじゃなくて、
他の地域の方となんかお会いし合ったり、この間松坂でやったっておっしゃってたけど、
やっぱり他の地域の人ともこう生産者同士でコラボして、
なんかその魅力っていうのを伝えていくのはすごく素敵やなと思いました。
そんなね二人ともねまた出会えることもあると思うし、
私も毎回じゃないんですけど大ドコイチっていうのに出展してますので、
またもしかしたら出会えることもあるかもしれないので是非来ていただきたいし、
あとその国母商店さんのSNS、インスタとかもやられてるみたいなんで、
是非チェックしてみてください。
次回もこんな感じで旅先で出会ったゲストの方と一緒にお届けしていきたいと思います。
美味しい発見
ラジオの収録をしたおすすめスポットとか、あと三重県の面白情報、
番組の裏側も公式のSNSとかInstagram、TikTokでも発信していますので、
是非チェックしてみてください。
ミミミエラジオはSpotify、Apple Podcast、YouTube Musicなど音声配信プラットフォームで、
毎月第1、第3金曜日に最新エピソードを配信しています。
他にもリスナーの皆さんからのお便りもお待ちしています。
番組の感想とかあなたのお帰り食堂だったりでも結構です。
番組へのお便り感想は番組の概要欄からジャンプできる番組のホームページがありますので、
そこのメッセージフォームから送ってください。
亀井ちゃん、次回はよろしくお願いします。
ここまでのお相手はミミミエラジオパーソナリティの西川ももえでした。
この番組は、鳥尾事務局がお送りしました。