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はい、みなさんこんにちは。今日はですね、ちょっと音楽の話をしたいなと思ってまして、みなさん音楽聴きますか?音楽しますか?
私はですね、今は普通の会社員で、ただのですね、営業職なんですね。で、音楽に関わる仕事っていうのは一切やってないし、やったことはないんですけど、
あの音楽歴っていうのがですね、結構長いんですよ実は。で、実はですね、音楽の人なんですよ。あのなんちゃってですね。
あの、もちろんですね、プロでもないし、まぁただのアマチュアもアマチュア以下ですね。アマチュア以下なんですけれども、
えっと、習い始めたのがですね、めちゃめちゃ早い。で、まぁ音楽との出会いはもう3歳からなんですけれども、3歳からピアノを始めて、
えっと、辞めたのがですね、17歳とかなんですね。 ですので、えっとまぁ15年やってきていたわけなんですよ。
で、まぁ私の時代っていうのはね、習い事ナンバーワンがピアノって呼ばれるものだったので、私はですね、3歳からずっとピアノをやってきたんですけど、
あの正直ですね、あの他の普通にピアノをやっている人とですね、私の場合は桁違いの練習量なんですよ。
それが、まぁちょっとですね、改装していきたいなと思うんですが、まずまぁ3歳からピアノを始めたのは、まぁ親がね、私にピアノをしたいって言ったら、うんしたいって言ったからやったっていうことなんですけど、
まぁそんなね、3歳で自分の意見が言えるわけがないんですけど、まぁそういうね、いきさつで始めたわけですよ。
で最初は、あのうちの父親はですね、すごい吉な人で、続かなかったらもったいないだろうって言って、なんかね、おもちゃのピアノを与えられたんですよ。
それで、えっと半年ぐらい毎週なんか1回親と一緒に行って、ヤマハですよね。ヤマハでエレクトーンから始めてるんですよ。
半年ぐらいやって続けていったので、じゃあですね、エレクトーンを買うということで、エレクトーンをですね、買ってもらったんですよね、確か。
多分そうだと思います。それで、私のですね、最初の家っていうのは長屋で、すごくですね、本当に古い家だったので、音楽をね、多分家でできるような環境じゃなかったんですよ。
でもですね、一応ですね、ちっちゃいエレクトーンみたいなピアノを買ってもらって、少し練習していた記憶があります。
で、ちょっとね、記憶もだいぶ前なので、薄れてるんですけど、毎章親と行っていて、でね、うまくいかないとね、親がめちゃめちゃ怒っていた気がしますね。
かなりね、やっぱり私の時代っていうのは、習い事とかそういうスポーツとかに関してはね、先生も厳しいし親も厳しいしっていう、こんな状況なんですよね。
それで私は多分ね、そこで楽しい楽しくないじゃなくて、ただやってたんですよね。そこから3歳から7歳ですよね、4年間。
4年間エレクトーンやっていたんですけど、エレクトーンやっている途中、多分6歳ぐらいから先生がね、急にピアノやらないかって言い出したんですよ。
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音感が良いっていう風に言ったらしくて、私もちょっとね、記憶が曖昧なんですけど、それでピアノに移行しないかって言って、そこの山羽の先生から、
ちょっとね、専門のピアノの専門のちゃんとした先生を紹介してもらって、ピアノを習い始めるんですよ。
ただですね、アプライトと呼ばれる箱のピアノは、前の私の最初に生まれたところの家にはとても置けるようなスペースがなくて、めちゃめちゃ狭い部屋だったんですね。
というのが、台所がドマで外なんですよ、ほぼほぼ。
ドマになっていて、暮らしていたのが8畳の一間だけなんですね。
お風呂なしの家で、毎日毎日風呂やりに行ってたんですよ、家族で。
それほどね、家はダメで。
でもですね、その頃はですね、割とバブルの時期が少しかぶっているので、家に貯金はあったんですよ。
で、うちの父親の仕事もまあまあ上手くいっていて、私はね、服とかも今の言う博来物、ブランド物しか着たことがなくて、
お菓子もね、もう何も言わなくてもね、誰かしらモロトフとかね、ああいうものがワンワン運ばれてくるような家だったんですよ。
家はボロボロなんですけど。
なので、習い事を習わせるような余裕っていうのは十分あったんですね。
ただその置くスペースがないということで、先生がね、週に何回か自分の家のピアノを置いてあるところの部屋を貸してくれて、練習をさせてくれたんですよね。
それでね、私はその頃ね、ピアノが楽しかったかどうかっていう記憶がないんですけど、まあちょっと練習していったんですよ。
でもエレクトは完全にね、そこから離脱して、グループのクラスを辞めちゃって、マンツーマンになったんですよね。
先生の個人レッスンを通うようになって、で終わった後、その先生の別室の部屋で練習させてもらったりっていうのをやってたんですよ。
確かね、それがね、多分6歳か5歳半かなんかそんな時だと思います。
それで、7歳の時に、私の住んでいたところっていうのはね、ちょっと音楽が結構文化的なところがあって、市のピアノコンクールっていうのがあったんですよね、毎年。
そこに出てみないかっていうことで、先生から打診されて、親に言われてですね、出るってなったんですよ。
で、出る時にね、ドビッシーの曲を練習したんですよね。
1年生とか、たぶん幼稚園とかでね、なかなかちょっと弾かない曲なんですけど、少し思い切った曲をね、やらされたんですよ。
やらされたって言ったらおかしい。でもやってみようってことでやったんですね。
で、それを1年生の時にですね、コンクールですね。コンクールって大体ね、フィギュアと一緒で秋から冬にかけてなんですよ。
で、秋にあって、そこでね、弾いたらね、いきなり1位になっちゃったんですよね。金賞と呼ばれるものですね。
で、何もしないで1位になってしまったんですよ。自分もね、練習をすごい頑張ったとか、苦しかったって記憶もなくですね、1位になってしまったんですよね。
そしたらですね、親がね、やっぱりね、すごく期待してしまって、もっとピアノを、ピアノができる環境の家にしなきゃっていうことでですね、なんと家を買うんですよね、うちの家は。
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で、そこから、そのピアノのコンクールを出た市は隣の市だったんですけど、そこの市に引っ越しちゃうんですよ。
で、引っ越しをして、家もね、4LDKの家を、ちゃんとこうニュータウンみたいなところにしっかり買うんですね。
で、ピアノもちゃんと置けるスペースも作って、アプライトもね、当時はね、すごいね、アプライトってヤマハとかの黒いアプライトじゃないんですよ。
なんかね、木で作られたすごい高級なものをね、親が買ってくるんですよね。
で、それが、タッチが結構軽くて、普通の箱のね、アプライトのピアノ、アプライトって合ってるかな、のピアノよりはるかにタッチがいいものを買ってもらうんですよね。
そこからね、結構ね、時間、練習する時間っていうのをですね、ほとんどの時間ピアノに取られちゃうんですよ。
で、何時間練習したかっていうとですね、1日やっぱり2,3時間なんですね。
なのでですね、遊ぶ時間が全くないんですよ。
だから私、友達とどこかに遊びに行ったっていう記憶がほとんどなくて、小学校は。
で、もうひたすら練習ですね。
なので1日3時間練習すると、1年で1000時間以上練習することなんですよ。
で、練習をしない日っていうのが基本的にないんですね。
お休みがないんですよ。
まあ多分ね、年末年始はね、1日2日休んでたと思うんですけど、年始からもう2日からやってたんで、休んだ記憶あんまりないんですよ。
で、これがどこまでこの時間が続くかって言うとですね、びっくりされるかもしれないんですけど、これね、辞める1年前まで続くんですよ。
ということは、高2で辞めてるので、高1までこの状態が続くんですね。
これね、結構ね、言うと皆さんびっくりされるんですけど、だからですね、みんなが遊んでる時間とか、うちの子はね、全然習い事がそんなにしてないから、すごいもうフワフワ遊んでるんですけど、
そういうね、テレビを見る時間とかね、遊ぶ時間っていう娯楽っていう時間が全くない青春時代っていうんですかね、学生時代を過ごしてきてるわけですよ。
で、ここから学べたことっていうのはね、ある程度あるんですよ。
というのが、私人前で話したりすることに緊張っていうのがまずないってことと、あとはですね、離れしてるというところもありますね。
そういう人の間で緊張しないというところもそうですし、あとは一人でね、黙々と何かするっていうのは割と得意なんですよね。
何か作るとかじゃないんですけど、一人行動ですね。
ピアノってソロはもう一人なんですよ。
全く一人でずっと練習して、週1、2回先生とこ行って、指導を受けて、帰ってきてまたやって、この繰り返しなんですね。
それとですね、これは才能とかそういった持って生まれたものがあると思うんですけど、絶対音感は多分ないと思うんですが、音感はね、かなり良い方なんですね。
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なので、一度聴いた曲っていうのは音が取れるんですよね。
音を取るときも、今もうピアノも弾けないし楽器も何もできないんですけど、頭の中で鍵盤がすでにあって、音を取れるんですよね。
それが普通の方は普通にできると思ったら違うんですよね。できないっていうことなので、そこがあれかなと思うんですよね。
あとは音楽のペースとかですよね。
例えば一つ一つの音楽があって、弾き語りしてる人があれば、一定のペースでちゃんと音楽ができてるかとか、
例えば早くなったり遅くなったりとか、変になってないかとかっていうのがね、聴くとすぐわかるんですよね。
そういう直感的なものは音で、これだけ音楽に触れてきたので、基礎ができているんじゃないかなって思います。
ただそれ以外はね、何も役に立ってないんですよね。
忍耐力もそれでついたかもしれないですね。
忍耐力もついたかもしれないですけど、やっぱり苦しい時代が結構あったんですよね。
小学校の3年生ぐらいまでは順調に賞を取って、ずっと毎年コンクール出てきていたんですけど、やっぱりスランプが何度もあるんですよ。
スランプが4年生でスランプになって、4年生はすごいビジメにあったんですよね、学校で。
ここが結構スランプになったんですよ。
スランプになって、発表会とかコンクールとか出るんですけど、途中ですごい練習してるのに曲忘れちゃうんですよね。
止まっちゃうんですよ。
また思い出して弾くっていう、こういうことを平気でみんなの前でやっちゃうようになるんですよね。
それが5年生、6年生までも続くんですよ。
曲はどんどんどんどん難しい曲を先生が出してくるんですね。
これね、弾く曲っていうのも自分の好きな曲は実は弾けないんですよ。
先生に決められた曲でないとコンクールに出れないんですよね。
だから決められたものしかやってないんですよ。
決め手になるのはその子の実力とかっていうのを先生が判断して、
あなたにはAの曲、BさんにはCの曲、みたいな感じで全部振り分けていってるみたいなんですね。
かなり難しい曲を先生から要求されるんですよ、私の場合は。
ピアノってね、手だけ動かしてるっていう方いらっしゃると思うんですけど、実は違って、
足に鍵盤みたいな踏むものが3つあるんですよ。
それも全部使い分けなきゃいけない曲をかなり早い段階、3年生か4年生の段階で与えられてしまうんですよね。
なので結構難しくて、そこが大変だったんですよね。
それとやっぱり親からもね、次は何とか、何々ちゃんが何とかだとか、
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やっぱり発波かけられるんですよ、先生からも。先生からも親からも発波かけられるんですよね。
このプレッシャーが結構ね、年を負うごとに成長するとともにですね、反発に変わるんですよね。
その反発が多分ね、間違いとかミスに出てきてしまったと思うんですけど、
音楽って自分の感情をむき出しにするので、感情が全部出ちゃうんですよ、音楽に。
例えば雑な考えになっていると曲が、ペースが早くなったり遅くなったりというペースが一定にならないんですよね。
ですので、それをね、やっぱりその安定させるためにメトロロームっていうのを使ってペースを測るんですよね。
で、測って安定させていく。で、それを録音してまた聴くっていうのを、これをね結構繰り返すんですよ。
だからもう本当に筋トレの、筋トレと同じようなところがあって、黙々と同じような作業を淡々としていくっていうところもあるので、
かなりね、やっぱり頭で考えなきゃいけないっていう部分が多かったりします。
で、雑だとやっぱり先生にすごく怒られるし、で、弱気になっているとそれも出るんですよ。
で、強気になっているとやっぱり鍵盤にそれが音に出ちゃうんですよね。
なので一定のやっぱりその曲に対しての安定感っていうのがすごく求められるので、精神的にはもしかしたら鍛えられたのかもしれないです。
そこで3年生とか4年生では、なかなかね、やっぱりその1位っていうのがなかなか取れなくて、2位、3位とか銀賞、銅賞みたいなものがねちょっと続くんですよ。
それでもね、毎年何かしら賞は取るっていうような感じにはなってくるので、やっぱり先生もね期待がかかるんですよ、こうなってくると。
で、まあその習っている先生も途中から変わるんですね。
もっといい先生を紹介するっていうふうに言われて、誰かから。
で、その試では一番いい先生に就く。
で、その生徒にもフェヒラルキーっていうのがあるので、私はどちらかというとやっぱりいい曲、いい待遇を受けていた方だったんですよね、その先生の生徒の中でも。
それで、6年生の時かな、6年生の時に、5年生ぐらいの時に、試ではなく県の大会に出場したり、あとは全国の大会に出場したりっていうやっぱりハードルがどんどん上げていかれてしまうんですよね。
それでもう試のコンクールは出ない。で、県のコンクールに集中するみたいな感じになってくるんですよ。
で、5年生の時は何とか弾けて、でも1位にはやっぱりなれなくて県なんでね、県だとやっぱりもっとレベルの高い方が出てくるので、3位とか2位とか銀賞銅賞あたりで賞は何とか取れるんですよね。
でもですね、6年生でかなりやっぱりまた葉っぱをかけられるんですよ。ずっと取り続けてるんで。
で、また難しい曲をね、こっちにやってくるんですよね。それが未だにちょっと覚えてるのがですね、キラキラ星編奏曲っていう曲で、キラキラ星って皆さんね、思い浮かべる曲あると思うんですよ。あれね、編奏曲ってめちゃくちゃ難しくて、多分大人の方もねハードル高いと思うんですけど、どんどんね、曲がね、アップデートしていくんですよね。
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で、そのアップデートしていく中で、足も3つ使う、手も使う。で、ピアノっていうのは手10本の指に対していろんな音を出さなきゃいけないんですよ。だから結局そのオーケストラとかバンドとかが何人か4人とか5人とか、オーケストラって何十人とかありますよね。で、その音を10本で表現するっていうことになるので、ソロで。
なのでですね、かなりやっぱりハードルが上がる曲になるんですよね。で、それを練習をして、結果としてはね、それ剣で1位になるんですよ。金賞を取るんですよね、初めて。で、取ったんですけど、実はですね、その時にまたね、本番中に曲を忘れちゃうんですよ。
で、忘れちゃって、あれ?って思って一瞬忘れちゃってね、止まっちゃうんですよ。で、止まって途中から進めなくて、私ね、最初からまた弾いたんですよ。で、最初から弾いて最後まで普通に弾けたんですけど、なんかね、その時に、間違えたけど表現力がすごく良かったみたいな感じで、なんかいろんな批評みたいな、一言二言弁解みたいなね、先生の審査員の方の弁解があって、なんか1位になるんですよね。
で、そこが多分私の中でも、あの、なんて言うんですかね、目一杯だったかなって今だと思うんですけど、こうなってくるとですね、1位取ってしまったってことで、またですね、発波がかかるんですよね、先生たちの。
で、中学校は、あなた部活は入っちゃダメよって言われるんですよ。で、足も手も全部ピアノ扱うから、打球とかね、あの月日とかやってる場合じゃないから帰宅部になんなさいって言われちゃうんですよね。で、吹奏楽部はやめなさいって言われたんですよ。時間が取られちゃうから。
それで、えっと、中学校は帰宅部になっちゃうんですよね。で、みんなが、あの、学校終わって、みんなが部活動に入るときに、私はね、一生懸命帰って、レッスンを自分で練習をするんですよね、3時間。
っていうところと、プラスですね、その時に、グランドピアノを買うんですよね。だから家で2台ピアノを持つことになるんですけど、グランドピアノで練習し始めるっていうことが、中学校から始まりいますと。
で、中学校ってやっぱりね、もともとね、反抗的な性格なんですけど、もっとね、やっぱり反抗心が出てくるんですよね。だから、あの、なんていうんですかね、ピアノの先生に対しても嫌悪感を覚えたりすることもあったし、親に対しても嫌悪感を覚えるっていう、なんかそういうのがね、結構葛藤があったんですけど、またね、その時にその葛藤が、なんていうんですかね、こう、鍵盤に出てもいいような曲をね、また先生がピックアップしてきちゃうんですよね。
それがね、リストなんですよね。リストって皆さんね、ご存知ですかね。私もね、いろいろ忘れちゃってるんですけど、リストの曲ってね、本当に難しいんですよ。ショパンも難しいんですけど、モーツァルトはね、みんな大体弾くんですけど、ショパンとリスト、特にリストはね、本当に難しくって、5分くらいあるんですよ、曲は。で、これをね、バンバン渡されちゃうんですよね。
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でも私は本当にね、ショパンのスケルズを聴きたかったんですけど、スケルズは合わないって言われて、リストのものすごい難しいね、バンバンバンバンこう、なんていうんですかね、ピアノだけどこう、なんていうのかな、こう盛り上がりがすごい、力をかなりね、こう、フルに使わなきゃいけないような、もう手からね、血が滲み出てくるぐらい練習したんですけど、そういう曲をね、バンバン渡されるんですよね。だからかなりの集中力っていうのが必要になるような曲ですよね。
それで、中学校からは、県のコンクールは出なくていいと。全国目指しなさいって言って、全国のね、コンクールしか出させてもらえなくなっちゃうんですよ。今もあると思うんですけど、そのコンクールに出て、私はね、一応関西出身リストとは言ってるんですけど、実はね、場所的には東海なんですよね。東海地区っていう風になっていて、東海地区で予選が行われるんですね。
で、1年目は予選落ちたんですよ。落ちたんですけど、1000人くらいの中から、全国の1000人くらいかな、500人か1000人くらいかな、当時から、本当に数十人なんですよ、全国大会に行けるのが。で、選ばれるんですけど、東海から本当に数名しか選ばれないようなものだったんですが、1年では落ちちゃうんですよね。2年で全国大会行くんですよ。そこで初めて東京に行くんですけど、
で、選ばれる人っていうのは、私はすごい土になかに育ってるんで、本当に数少ないんですよね。その先生の教え子からは一人だけだったんですよ。で、多分今まで出たことがなくて、で、選ばれて全国に行くんですが、そこでもね、やっぱりね、途中で失敗しちゃうんですよね。途中で止まってしまって、その曲もね、またリストのね、今度は10分もかかるような曲だったんですよ。
それを与えられるんですけどもね、難しすぎてね、途中で忘れちゃって、で、またそこ途中から繰り返して終わるっていうところで、残廃して帰ってきましたね。そっからなんかね、もうPRに関してはもういいかなっていう感じが出てきてしまって、もうコンクールには出たくないと、はっきり言ったんですよね。もういいだろうと。
もうこれ以上目指してもどうしようもないなと思ったってことと、あとはその音題に行くかどうかっていうのもね、やっぱり中2、中3ぐらいになってくるとそういう話がチラホラ出るんですよ。でね、これ、もう本当にこれ恥ずかしいんですけど、音題もね、選べないんですよ、どこに行くか。音題もあなたはここねって言われたところしか受けられないっていう事態になるんですよ。
まず推薦状が必要なんですよね。で、後押しがないと入れない時代だったので。で、私はね、その時は大阪のある学校を、あなたはここがいいと思うって言われたんですけど、私は音題に行くね、やっぱりイメージが全然つかなかったんですよ。音題に行って、じゃあ就職どうするのって思ったんですよね。
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そうすると芸術系っていうのは就職の発線が全くないんですよね。今ちょっとわからないですけども。で、就職の発線なくてじゃあどうするのっていうところと、あとは私よりもっと先輩の方で、やっぱり就職発線がなくてフリーターになってしまったって人をね、ワンサが見てるんですよ。
で、これを見てね、結構やっぱり今後ピアノって続けていくべきなのかなっていうのはね、すごく疑問に思ってしまって、そのついてた先生のレッスンやめちゃうんですね。ピアノ続けてるんですけど先生を変えるんですよ、自分で。
自分で見つけてきた先生を、見つけてきた先生に習い始めるっていうところが高校になるんですけど、ここでもやっぱりちょっとね、この後からダメでしたね。どんなに練習してももうなんかやる気が全然なくて、全然できなくて、できないじゃないですね。やればできるはずなんですけど、やる気がなくなったっていうのと、先生とやっぱり相性が合わなかったんですよね。
それでね、もう公認時に初めてね、自分の意見を言ったのがここですね、親に。やめると。やめると言ったのが多分ね、初めて自分の意見を出したところですね。で、ピアノってものすごいお金がかかるんですよ。当時でも先生2人付いてたので3万から4万月かかったんですよ。
今は別にね、私が3万、4万、子供に出せって出せますけど、当時で3万、4万って言うと、うちはすごくね、途中から貧乏になってきたので、ものすごくね、やっぱり大変だったんですよ。だからね、やめるときはね、普通にやめれました。やる気がないんだったらお金出さなくていいし、やめてくれと。
でもピアノがね、2台も残ってしまってね、これはね、やめた後ずいぶん文句言われましたね。この幅取る、これは何なんだみたいな。で、ピアノを置くためにね、家を補強してますから、下を。床をね、補強してる金額も合わせて、全部で多分ね、ピアノ台だけでも200万以上使ってるんですよ。200万、300万かな。もっと使ってるかな。
衣装代、で、コンクール出るときのお金っていうので、まあ使ってますよお金を。こんなに使ってね、やめるっていうのはどういうことだっていうのもね、母親からも散々言われましたけど、やめました。で、そこでやめた後ね、多分ね、私ピアノが好きだったら多分弾いてたはずなんですけどね、一切弾かなくなったんですよね。
で、これね、今思えばどうしてたかなと思うんですけど、私中学校ぐらいから結構ね、ジャズとか、あの、まあ小6、小5ぐらいからかよい曲とかすごい聞き出したんですよね。で、このかよい曲に関してはね、ピアノの先生がすごくね、否定的だったんですよ。あれは音楽じゃないと。基礎ができてない奴がやってると。特にロック。ロックはね、基礎ができてないような奴。クラシックやってないだろう。クラシックはロックだっていうのを、あ、クラシックが基礎だっていうのをすごい言ってたんですよね。
で、すごく嫌がったんですよ。私はね、どちらかっていうとそのロックっていうよりはポップスとかみんなが好きな物とか、あとジャズ。で、特に洋楽。洋楽のやっぱりポップとか、まあそのR&Bとかっていうのはすごい聞き出して、で、私はね、ジャズピアニストにもなりたいなみたいなのがちょっとあったんですけど、これもね、やっぱ食べていけないんですよ。アメリカ行かないと何ともなんないんですよね。
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海外にね、行くっていうこともね、ちょっと考えはしたので、英語の勉強とかもちょっとしたときあったんですけど、とても無理だなと思って辞めました。っていう話で、今日も24分の話だったので、ここからね、もうちょっと話したいことがあったんですけど、今日はこのあたりで失礼いたします。