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2025-04-10 10:31

留学先で学んでほしかったことは?公立進学校から海外留学✈️

公立進学校から海外留学✈️兵庫県立長田高校(偏差値73)から在学中にニュージーランドへ、卒業後はアメリカの大学へ。母が娘を進学校から海外留学させた背景にはどんな考えがあったのか?子どもの選択肢を広げるための子育て・教育情報をお届けしていきます!

Mily Family SNS:⁠https://linktr.ee/milyfamily

Mily Familyとは:

Mily Familyは「自律性×多様性」をコンセプトに、これからの日本を創る若者たちが、自信と誇りを持てるよう応援するプラットフォームです。「自らの価値観・信念を持って、多様な環境にいる人に”家族=Family”のように寄り添う」という思いを込め、その一部をとり、Mily Family)と名付けました。

ミリィプロフィール:1961年生まれ、兵庫県神戸市出身。長田高校卒業後、神戸大学理学部に進学。卒業後はメーカーにSE(システムエンジニア)として就職し、定年まで勤める。これまで30ヵ国近くを訪れ、船で世界を一周するピースボートにも参加。娘には10代から留学を経験させる。日本文化に自信と誇りを持つ若者を応援したい思いで2023年にMily Familyを設立。

Mikiプロフィール:1993年生まれ、兵庫県神戸市出身。長田高校在学中、母の勧めで単身でニュージーランドに渡り、現地高校で1年間過ごす。高校卒業後はアメリカへ渡り、ノーステキサス大学で運動生理学と心理学を専攻。帰国後、大手スポーツメーカーで3年間法人営業として働いた後、イギリス・リバプール大学院でサッカー産業MBA(経営学修士)を取得。帰国後独立し、2023年に一般社団法人PLAINEを設立。留学・語学経験を活かして次世代のグローバル人材育成に励む。

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サマリー

公立進学校からニュージーランドに留学した経験を通じて、異なる文化との接触が価値観に与えた影響を探っています。留学を通じて母が娘に学んでほしかったこと、特に日本と外国の価値観の違いを再認識することの重要性について語っています。

留学先での経験
みなさんこんにちは、みきです。
こんにちは、みりーです。
今日も公立進学校から海外留学で話していきたいと思います。
今日のテーマは、留学先で私に何を学んでほしかったのかについてです。
これまで私が高校2年生の時にニュージーランドに留学したということに関して、
どうして大学に入るまでに高校のうちに留学してほしかったのかみたいなことを
母にいろいろと話をしてきてもらったんですが、
今日はその後、留学をした後、どういうことを私に吸収してほしかったのか、
学んでほしかったのかっていうようなことを具体的に聞いていきたいと思います。
私は1年間、日本の高校を離れてニュージーランドで現地の高校に入って
寮生活をしながらみんなと一緒に過ごしてたんですけど、
そういった先で母としてどういうものを私に学んでほしいと思ってたんでしょうか。
やっぱりほんの数時間飛行機に乗っただけで、
自分が今まで何年も生活してきた日本のある地域のそこの環境だったり、
常識だったり、そういう持っているものがあると思うんですけど、
全然それが違った人があそこに住んでいて、
そしてそれで生活をしているということを直接見るということ。
それで自分の持っている環境とかが世界で一つだけって思いがちなんですけど、
決してそうではないと。
世界の中のほんの一部に自分は住んでいるに過ぎないということを
文化の違いを学ぶ
まず体感してほしいなと思いました。
それは私自身体感しましたよね。カルチャーショック。
やっぱりそうですね。
衝撃みたいな感じだったかもしれないですけど、
やっぱり日本は特にそういう環境だと思うので、
国におったらほんといろんなバックグラウンドの人が
身近に住んでいるみたいに感じれるかもしれないですけど、
日本人の両親をもって生まれて普通に日本の公立学校に通っていれば、
日本人以外の人と生活するっていうことはほとんど見ない、難しいっていうことだからこそ
より感じてたということですね。
日本の中で外国人の方と出会ってお話するときなんかに、
やはり日本語だけしかできないということで、
英語ができない自分にちょっとコンプレックスを感じてたり
ということもあるんじゃないかなと私はありました。
でも実際にそうであったとしても、
違う文化の人の中に入って自分が生活することによって、
日本人の持っている、自分が今まで生きてきて持っている価値観というものにも
そこの現地の人と比べていいところもあるということに
おそらく気づけるときがあって、
なんか日本にいたら日本人であることにちょっと自信が持てないっていう人多いと思うんです。
私もそうでした。
英語ができないし、物もはっきり言えないし、周りの人の顔に伺って
自分とそれは同じようにやっていかないと自分が認められないんじゃないかみたいな
プレッシャーが結構多かったんですけど、
そこから一旦解き放って、
もともと持っている日本人の繊細なところとか、人に気を遣えるだとか、
そういう小さなことであったとしても、
日本人の持っている、今まで生きてきたことの自分を逆に他の文化の人を見ることによって、
いいところも悪いところもあるかもしれないですけど、
再認識するということで、
日本のことを好きになるきっかけになればもっと素晴らしいかなと思ってました。
私が最初行ったときは、どちらかというと、
日本の悪いところ、それこそ、はきはきしゃべれないとか、
日本人はおとなしくて、自己主張ができない。
特にアメリカに行ったときは、余計にそれを感じて、
ちょっとアンチ日本人みたいな、自分も日本人のくせに、
そういう考え方をしてしまったんですけど、
母からしたら、そういう話を聞いてどう思いますか?
悪いところに目が行ってしまったっていうような。
やっぱり外国人といっても、いろんな文化の人いると思うんですけど、
例えば欧米的な人っていうのは、やっぱり人と弁を見てちゃんと挨拶ができて、
そこから自分のことを言えないと、
もうなんか存在自信がないものとされるみたいなイメージがあって、
やっぱりそれができない日本人が多々あって、
すごくそれをマイナスに思っているっていうことで、
一旦はそっちに振り切って、やっぱりちゃんと日本人も、
これから外国人と一緒にいろんなことをやっていこうと思ったら、
そこから変えていかないといけないっていうふうに、
母の思い
強く思った時期もあったんですけど、
それを完全に振り切るのがいいかなって思った時に、
なんか自己主張だけできればいいっていうものじゃなくて、
やっぱり物事を深く考えて、深く考察して、深く調べて、
それでやっと言葉を発して、文章にして、
それを相手に伝えるっていう、
日本人の深い物事への取り組みのやり方っていうのが、
表面的な初めて会った人にどれだけアピールできるか、
みたいなものではないところに、
日本人の良さとか価値とか、
おそらくそういうことを始まりとして、
長く文化を保って育てていくっていう、
日本のいいところもあるんじゃないかとかいうふうに、
今はちょっと考えるようになったので、
そういうことも含めて、
日本人だけの価値観だけでというのではなくて、
いろんなものを見ることによって、
一旦こう揺れてもいいけど、
結局日本人の良いところ、
よりどころはどこなのかっていうのが、
おそらく見えるようになってくると思うので、
そこのきっかけになればとてもいいですし、
やっぱり自分に自信を、
本当の意味で自信を持てるようになるのは、
すごくいいこととかも思いました。
16歳で1年間ニュージーランドに行って、
それで母が今言ったような、
すべてを見えるようになるっていうのは、
別にそこまで期待というか、
予想はしてなかったっていうことでいいですか?
そのきっかけになれば。
そうです。きっかけですね。
そうですね。
1年間だけだったらやっぱり、
いきなりそういう経験したことのない環境に入って、
10代だったっていうこともすごくあると思いますし、
まだ自分自身が成熟してない中で、
とにかく毎日を生きていくっていうことに、
すごく必死だったかなっていうふうに思うので、
目に見える環境の中で、
どれだけ自分がなじめるのかとか、
主張するっていうことはすごく難しかったんですけど、
こういう世界があるんだと、
日本と全く違う世界があるんだっていうことを見れた、
まず第一歩ですよね。
そういう時間になったのかなっていうのは、すごく感じます。
いいですね。
いいですか?
はい。
それはもう、いくら言葉で、本で、テレビで見るのと、
やっぱり現地に行っていられるものって違うと思うので、
実際に体験してほしかったと。
そうですね。
母自身はあんまりそういう経験をしてなかったと思うんですけど、
1年間海外に行ったりとか、
でもそういう考えに至ったというか、
私がそういう環境で過ごすことで、
こういうふうになるとか、なってほしいって思うのは、
どういうふうに思えたんですか?
私の場合は、あまり外国に遊びに行ったことはあるけど、
住んだことがないんですけど、
わりと長期に行くことも多かったので、1、2週間行くとか、
そうすると、やっぱりそういう今感じていたようなこと、
全然文化が違う、
違う価値観で生活している人が本当にいるっていうことが、
垣間見えたので、
やっぱりそこに対して、
英語を使って海外の人と交流したいとか思ってるんだけど、
そこにどうしても英語の壁もあるけど、
まず心理的な壁にやられちゃって、
もう何か話もできないとか、
同じように目を見てしゃべるのが自分はとても苦手とか、
そういうところにずっと押しつぶされてきたので、
仲良くなりたいのにできないみたいな。
やっぱりそういう壁って大人になって取っ払うのではなくて、
ある程度自分が確立できた、
私は18歳までと思ってるんですけど、
それぐらいの時に、
自分は日本人で日本の文化をよく知ってるけれども、
でも違うものもあるんだ、
その人と同じことをして、
相手の社会に入っていく方法もあるだろうけど、
そうじゃなくて自分を認めて、
自分にも自信を持って、
ここまでは欧米の人と、
あるいは欧米以外の外国人の人もいると思うんですけど、
それぞれの文化を意識しながら、
でも同化するのではなくて、
自分を確固として持って、
交流をうまくやっていくっていうのが、
多分あるんだろうなっていうのを感じていたので、
できることなら娘にそういう体験をしてもらって、
そこで何を感じて、
自分はどうしていきたいと感じるかっていう、
それは一つの実験だったかもしれないですけど、
はい、実験題になりました。
ということにはすごく重要なアプローチだというふうに、
今も思っています。
その時も思っていました。
母自身が多分海外に行って、
もっと交流したいのにとか、
堂々と接したいのにできなかった、
みたいな経験に対して、
すごく考えたりとか、
向き合ったっていうことがあったのかなっていうのを、
今聞いててすごい感じましたね。
母自身悩んだりとか、
もっとこうすればよかったっていうか、
こうしたいっていう思いを、
母なりにたくさん考えて、
私にどういう選択肢を与えるのがいいのかっていうところで、
行動に移していったのかなっていう感じですね。
そうですね。
よくわかりました。
よかったです。
ということで、今日は、
私が高校生の時、留学して、
その先、どういうことを経験してほしかったのか、
どういうことを学んでほしかったのか、
っていうことについて、
母に話してもらいました。
また次回、違うテーマで話を聞いていきたいと思います。
はい。
じゃあ今日はこれで終わります。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
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