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2025-01-08 10:04

公立進学校から海外留学 ✈️ Podcastをスタートします!

公立進学校から海外留学✈️ 兵庫県立長田高校(偏差値73)から在学中にニュージーランドへ、卒業後はアメリカの大学へ。母が娘を進学校から海外留学させた背景にはどんな考えがあったのか?子どもの選択肢を広げるための子育て・教育情報をお届けしていきます! Mily Familyとは: Mily Familyは「自律性×多様性」をコンセプトに、これからの日本を創る若者たちが、自信と誇りを持てるよう応援するプラットフォームです。「自らの価値観・信念を持って、多様な環境にいる人に”家族=Family”のように寄り添う」という思いを込め、その一部をとり、Mily Family)と名付けました。 ミリィプロフィール: 1961年生まれ、兵庫県神戸市出身。長田高校卒業後、神戸大学理学部に進学。卒業後はメーカーにSE(システムエンジニア)として就職し、定年まで勤める。これまで30ヵ国近くを訪れ、船で世界を一周するピースボートにも参加。娘には10代から留学を経験させる。日本文化に自信と誇りを持つ若者を応援したい思いで2023年にMily Familyを設立。 Mikiプロフィール: 1993年生まれ、兵庫県神戸市出身。長田高校在学中、母の勧めで単身でニュージーランドに渡り、現地高校で1年間過ごす。高校卒業後はアメリカへ渡り、ノーステキサス大学で運動生理学と心理学を専攻。帰国後、大手スポーツメーカーで3年間法人営業として働いた後、イギリス・リバプール大学院でサッカー産業MBA(経営学修士)を取得。帰国後独立し、2023年に一般社団法人PLAINEを設立。留学・語学経験を活かして次世代のグローバル人材育成に励む。 #子育て #教育 #グローバル教育 #英語教育 #留学 #中学留学 #高校留学 #大学留学 #長田高校 #進学校 #受験 #進路 中学受験 #高校受験 #大学受験

サマリー

このエピソードでは、長田高校出身の母娘が海外留学の経験について話し、神戸の教育事情や新学校の位置付けを考えています。また、留学を通じて得た経験や母の教育に対する考え方にも触れています。

長田高校と教育の背景
はい、みなさんこんにちは、みきです。
こんにちは、ミリーです。
今日からちょっと新しい取り組み、試みということで、
親子で教育に関する留学ですね、主には。
チャンネルをスタートしていきたいと思っています。
テーマは、長田高校から留学っていう名前でいこうかなというふうに思っています。
長田高校っていうのは兵庫県の新学校と言われる。
県立で言ったら、割と何本かの指に入るような新学校と言われている高校で、
偏差値は調べたら73ということで、割とトップレベルの高校になりますが、
私がその高校を出て、そこから留学したという背景があるので、
そこについてまず今日は紹介というか、
戦とか経緯みたいなものをご紹介できたらと思います。
さらに私の母、ミリーも数十年前に同じ長田高校に行って、
時間を過ごしたということなので、
母の留学経験とキャリア
どちらも同じ高校出てるということなので、
それぞれの高校のときの話を今日はまずしていけたらと思います。
母は、
タルミクです。
神戸市タルミク出身で、
普通の公立の中学校で勉強して長田高校に入ったと。
70年代。
1970年代に学生をしていて、
当時もやっぱり長田高校は、難関というか割とトップでしたか?
やっぱりクラスで45人いて、そのうち2、3人ぐらいですね。
その中に入って勉強を頑張って、
そうですね。
合格して長田高校に入ったということで。
また高校に入ってからも勉強大変だったと思いますけど。
学校の勉強もすごく大変だったし、
その後に長田高校の学生はみんな国公立大学に行くっていうのが、
みんなの目標っていうかだったので。
それに混ざってね。
そうですね。塾行きながら受験用の勉強もしてました。
はいはいはい。
もうスタンダードよね。
まずみんな揃って最初から私立の大学っていうよりは、
国公立のハードルの高いところに向けて勉強をすると。
塾もたくさん通いますよね。
そうですね。塾行ってる子は多かったと思います。
その中に入って同じように頑張って。
私の場合は成績は半分より少し上ぐらいだったんですけれども、
やはりお金があんまりかからない大学でいいところっていうことになると、
地元の神戸大学がみんなの憧れでした。
ですので私も神戸大学目指して勉強して、
理系が私は得意だったので、理系の学部に進みました。
ということで神戸大学の何学部だったっけ?
サイエンスの理学部です。
サイエンスの理学部のほうに無事受かったと。
元気でね。元気で合格して。
理系は当時珍しかったと思うけど、女性として行くっていうのは割と少数派でしたか?
そうですね。やっぱり女性は文化系のほうが一般的だったので、
理系のクラスっていうのは男の子が多くて、その中に混じって勉強してました。
ということでそれで神戸大学入って無事卒業して、
その後大企業と言われる当時は特に今よりもいい大学入って、
いい会社に就職して、それでもう一生安泰だと言われるような時代だったかなと思うんですけど、
もう本当にその通りの一つの例として母は過ごしたのかなというふうに思いますし、
就職したのはSEですね。
エンジニアとしてずっと新卒入社から、
60歳の定年まで。
定年退職まで無事過ごされたということで、
そのような人生を過ごしてきたというのが母の経歴、経緯になります。
娘の海外留学体験
べったりでしたね。
べったりでしたね。
でも社会的に見たら本当に周りの人からすごいとか、
羨ましいって思われるような人生だったよね、きっと。外から見たら。
日本の中では良いとされたりとか、子供を育てていくとなったら、
そういう人生を歩んでほしいっていう親御さんもたくさんいるんじゃないかなというふうに思います。
それは今でもそんなに変わってない部分もあるかもしれないよね。
そうだと思います。
前は本当にもっとそういう流れだったと思うけど、今でもそういうのは残ってるんじゃないかなというふうに思います。
そういった人生があって、私が生まれました。
私は一人っ子なので、母としては私をどう育てるか、どういう道を歩んでほしいかっていうふうに、
自分の人生を持っていろいろ思っていたところがあったのかなというふうに思うのですが、
私は神戸市スマ区で生まれ育って、地元の中学校から長田高校に入りました。
そこまでは変わらない生活だったんですけど、長田高校から留学と、
このチャンネルの名前にもなってるので、長田高校から留学をしました。
しかも2回。
それは母の意見、意思が割と反映された形で、気づいたら海外に飛ばされてたというのが私の自分の感覚になります。
1回目の留学は長田高校に入って、1年生の3学期に1年間長田高校を抜けて、ニュージーランドの地元の高校に1年間入りました。
そこで勉強して、もうずっとそこまで日本のローカルな学校だったので、
英語もわからない、それ以外の勉強もわからないという、ちょっと軽いパニック状態で、
初めて16歳で、一人単身で行ったということで、母が本当に現地の高校とやりとりをして、もちろん長田高校ともやりとりをしてっていう感じですよね。
パワフルな感じで、それを実現させたのかなというふうに思ってますが。
1年で帰ってきたので、私はその単位も持って帰ってきて、長田高校を卒業しました。
卒業した後、みんなは私の時もまずやっぱり国公立を受ける。
滑り止めでカンカン同立とか受けると、高校だったんですけど、私はアメリカの大学に4年間行きました、その後。
それも本当に珍しいことで、もちろん私の大は1人しかいませんでしたし、上の学年下の学年見ても、もう私だけだったんじゃないかなというふうに思ってます。
それも母のわりと強い意向が働いてということであってますよね。
本人の選択肢もあったと思いますけど、日本の大学に行くっていうのはやっぱりすごくかなり勉強しないといけないと思うので、そこからちょっと外れたというか。
高校の時点でね、次の選択肢として、母が見つけてきてくれたというか、私が最初から行きたい、ここに行かせてくれって言ったわけではなかったので、
一つの教育、子育ての一環、延長で母が出してくれた選択肢だったかなというふうに思います。
ということで私は高校卒業した後アメリカに行って、アメリカのテキサス州の大学で4年間過ごして卒業したということになります。
やっぱり日本のそういった公立、例えば私立の高校で留学をプログラム持ってるっていうところだったら、わりとあり得ることなのかなと思うんですが、
公立の新学校に入って、そこから自分でいろいろ見つけてきて留学するっていうのはなかなかないことかなというふうに思いますし、
ハードルも高いことかなと思うんですが、母はそういうハードルも気にせず乗り越えていったということは、
客観的に見たら、主観的に見たらちょっと大変だったんですけど私は。客観的に見たらすごい珍しいことですけど、よくやれたなっていうふうにも思うし、
私は当時10代で海外一人で行ってすごい大変だったって思いもあるんですけど、今振り返った時に絶対その時の経験が生きて自分のためになっているというふうに言うことができるので、
そういった当時の経験とか、じゃあその新学校から留学に行かせる選択肢を作ったっていう母の考えとか、
母自身の経験っていうのはどういうところにそういう思いとかがあったのか、考えみたいなところをこのチャンネルでこれから話してもらおうかなというふうに思いますし、
教育、子育てっていう分野かな、その中でためになるようなというか、私たちなりの一つの例っていうものを紹介していけたらなというふうに思ってます。
今日はこんな感じで、それぞれどういう経緯でこのチャンネルにつながったのかっていうところをお話しできたかなというふうに思うので、
次回からもう少し具体的にそれぞれお話できたらと思いますし、なぜそういう判断とか行動につながったのかっていうところをお話ししていけたらと思います。
はい、頑張ります。
頑張っていきましょう。
はい、ということで、これから続けていけるように頑張っていきたいと思いますので、ぜひチェックしてもらえたらと思います。
はい、では今日はこれで終わります。ありがとうございました。
ありがとうございます。
10:04

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