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2025-02-19 11:11

なぜ1年間の留学期間だったのか?公立進学校から海外留学✈️

公立進学校から海外留学✈️兵庫県立長田高校(偏差値73)から在学中にニュージーランドへ、卒業後はアメリカの大学へ。母が娘を進学校から海外留学させた背景にはどんな考えがあったのか?子どもの選択肢を広げるための子育て・教育情報をお届けしていきます!


Mily Family SNS:https://linktr.ee/milyfamilyMily Familyとは:Mily Familyは「自律性×多様性」をコンセプトに、これからの日本を創る若者たちが、自信と誇りを持てるよう応援するプラットフォームです。「自らの価値観・信念を持って、多様な環境にいる人に”家族=Family”のように寄り添う」という思いを込め、その一部をとり、Mily Family)と名付けました。ミリィプロフィール:1961年生まれ、兵庫県神戸市出身。長田高校卒業後、神戸大学理学部に進学。卒業後はメーカーにSE(システムエンジニア)として就職し、定年まで勤める。これまで30ヵ国近くを訪れ、船で世界を一周するピースボートにも参加。娘には10代から留学を経験させる。日本文化に自信と誇りを持つ若者を応援したい思いで2023年にMily Familyを設立。Mikiプロフィール:1993年生まれ、兵庫県神戸市出身。長田高校在学中、母の勧めで単身でニュージーランドに渡り、現地高校で1年間過ごす。高校卒業後はアメリカへ渡り、ノーステキサス大学で運動生理学と心理学を専攻。帰国後、大手スポーツメーカーで3年間法人営業として働いた後、イギリス・リバプール大学院でサッカー産業MBA(経営学修士)を取得。帰国後独立し、2023年に一般社団法人PLAINEを設立。留学・語学経験を活かして次世代のグローバル人材育成に励む。#子育て #教育 #グローバル教育 #英語教育 #留学 #中学留学 #高校留学 #大学留学 #長田高校 #進学校 #受験 #進路 中学受験 #高校受験 #大学受験

サマリー

公立進学校からニュージーランドへの1年間の留学について、母親はその意義や理由を語ります。詳細な体験を通じて、語学の習得だけでなく異文化理解の重要性が強調され、留学が本人の成長に与えた影響について考察されています。

留学の期間について
はい、みなさんこんにちは、みきです。
こんにちは、みりぃです。
今日も公立進学校から海外留学✈️、このテーマで話していきたいと思います。
今日の母への質問は、なぜ一年間という留学期間だったのかについてです。
私が高校に入学をして、高校一年生の三学期から、学年でいう一年間ですね、向こうの。
2月から11月ぐらいまでの期間だったので、その間まるまる私はニュージーランドに行って、向こうの高校で高校二年生を体験しました。
そうでした。
ということで、その期間、日本を離れて、日本の高校とかそれまでの生活を離れていくっていうことは、かなりリスクというのか、
なんか私からしたらすごい長い期間行くなって思ってた中で、
ちょくちょく聞くのは、夏休みの間だけニュージーランドに留学したことがあるとか、
1週間、2週間だったら日本の学校を休まずに行けるっていうこともあったと思います。
でも、母は日本の高校を休んでまでニュージーランドにしかも一年間行くっていうことを私に勧めてきたというか、
実際にそうさせたという考えがあったということなので、
そこについてなぜなのかっていうのを今日お話ししてもらいたいと思います。
1週間、2週間とか、1ヶ月、2ヶ月とかじゃダメだったってことですよね。
やっぱり行くんであれば、1、2週間とか1、2ヶ月っていうのは本当に体験で、
留学という言葉を使うからには、現地の言葉がある程度は聞けて、ある程度は話せて、
そしてただ語学の勉強をするっていうのではなくて、そこの場所で生活するっていう、
もうある程度覚悟を決めてその体験をするとなった時に、
3ヶ月だったら語学そこまで全然しゃべれない状態で留学だったので、
語学が最低限できるのにやはり2、3ヶ月はかかるのかなと。
その上での生活となった場合に、最低でも半年ぐらいっていうのは、
私の想像も含めて思ってました。
で、実際1年間になったっていうのは、キリがいいからみたいな感じ?
最低半年ぐらいで、1年ぐらいあれば1年間体験できるし、
行事も1年回りますから、そういう体験をできるのがいいのかなっていうのは思いましたね。
実際に私が1年間ニュージーランドに行って、
例えば数週間だけだったら、本当に会見、
私が行った向こうの高校自体もそういうの受け入れてましたけど、
なんか遊びに来たみたいな。
逆にすごく向こうの人たちももの珍しく、
日本から来た子たちなんだ、みたいな感じで受け入れてくれてたと思うんだけど、
反対にも1年間、今年この子たちとクラスメイトとか寮生活一緒ってなるから、
なんかいいところばっかりだけじゃなくて、
リアルみたいなのをすごい体験できたかなっていう風に思うし、
なかなか溶け込むっていうのは難しかったですけど、
同じその学生っていう中で、いろんなものを知られた期間でもあるし、
いろんなものを見れたっていう意味では、
やっぱり英語ってその中の一つでしかないし、
母の狙いがそのまま的を得たんじゃないかなというふうに思います。
じゃあ、逆に1年以上っていう選択肢も、
あったのはあったんじゃないかなというふうに思ってますけども、
高校生の中で、やっぱり1年っていうのが母にとってちょうど良い留学の長さだったと思うのが、
例えばもうまるまる向こうの高校に入学して卒業もするということだったら、
留学の意義
どうだったのかっていうのを今振り返ってどう思いますか?
そうですね、当時本当に日本の学生しかやったことない、
自分の娘に海外に行くっていう体験をしてもらうのに、
長期間ちょっと考えるのも本人にとってもハードルが高いですし、
我々家族が息子の国に住んでいるんだったら別なんですけど、
やはり単身で行くということでもあるので、
やはりそれは本人が希望するかどうかっていうのはまずあると思うんですね。
私の考えとしては、日本で生まれて日本で日本人として通常は日本に住んで、
生きる力を身につけるっていうことが大事だというふうに思っているので、
そういう意味では1年間ぐらい異文化の中で生活をして、
そういうものが体の中に入った状態で母国である日本に帰ってきて、
それでいろんな決断をする準備をするということで、
まずはいいんじゃないかなという考えでした。
実際私が高校受験するときに、
母にニュージーランドに3年間行ったらどう?って言われたことを覚えてるんですけど、
それはどういうことだったんでしょうか。
本人は県立高校第一志望にして、
それで成績を見て先生がここを受けてみるかというふうに。
本人は一番のところがいいという考え方だったので、
一番大好きです。
なので成績も一番入りにくい。
長田高校ね。
地元で一番難しい、ある意味県立の地元の学校の中のトップ校を目指したいという話でした。
そこを目指すといったものの、
そのためにちゃんと勉強するのではと思いきや、
勉強を本当にしてるのかなみたいなちょっとフワフワしてる。
サッカーボールばっかり蹴ってですね、フワフワしてるっていうのがちょっと垣間見えましたので。
もう県立高校って学費も安いですし、経済的にも非常に助かるという話をしたんですけれども、
そういう学校を普通受験する場合は、地元で受験校っぽい市立を滑り止めにっていうのが普通でしたよね。
絶対みんな、神戸っていう地域もあって、東京とか関東はまた違うふうに聞いたことがあるんですけど、
このエリアだと、まずみんな公立の新学校を目指すんですよね。
できるだけ公立の中で高いレベルの学校に行きたいという中で、
それぞれのレベルに合わせて滑り止めで市立の学校をいくつか受けると。
もうほぼみんな、市立は絶対受けるっていう、そういう環境でしたね。
で、私は母に市立の滑り止めを受けさせてもらえなかったというふうに記憶してるんですけど。
はい、そうでした。
それは当時15年の娘との付き合いで、結局一番が好きで、この学校って言うんですけど、
それに向けての努力がやはりちょっと緩めなのかなと思ったときに、
結局、値段の高い市立の学校に落ちても大丈夫ですよって、
親が受け皿をお金の力で用意するっていうふうに私は思ったんですね。
本人の努力の範囲でそこに合格する可能性が十分あるのに、なんかちょっと緩んでるんじゃないかと。
そうなんだ、そう思われてたんや。
で、実際に市立って当然学費も高いですし、
そういう滑り止めになるような学校っていうのは、割と受験に対して非常に熱心。
自由人の性格である娘が、あんな学校でお勉強するのは、
親としてはやきもきしなくても学校がやってくれるっていうふうに、
おそらく信頼してる保護者が多いと思うんですけど、
それはうちの娘の場合だったら、もうちょっとようやっていけない。
学校のその高校の楽しみ方ということが、うちの娘に合わない。
おそらく合わないっていうふうに感じてました。
海外行ったから自由人になったと思ったら、その前から割と自由人なところがあったという。
と思います。
ですので、同じお金をかけるんであればトップ校の受験ちょっとサボって、
残念ながら不合格になったら、それを次自分をプラスに持っていくっていう考え方をしたときに、
お金が少しかかる市立高校に行って、
そこでまたしっかりと勉強するように叩き込まれるのが良いのか。
高校受験の背景
いやもう全然違う環境の中で、重きを学力以外のものにもグッとシフトしてやっていくのかって考えたときに、
私はちょっと校舎の方がこれからの時代は面白いんじゃないかなというふうに思いました。
そういった経緯があって、私が高校受験のときに、
永田高校を受けて、市立の滑り止めはなしだと。
もし永田高校落ちたらニュージーランドに3年間行ってもらいますというふうに言われましたので。
はい、言いました。
それはもうそういう考えが当時あったということですね。
ありました。
よくわかりました。
なので実際は母としては、高校は日本の高校にまず入って、
その間の半年以上、1年ぐらいちょっと海外に出て、
18歳の大きな決断、大学に行くのかどうするのかっていうところを、
自分で考えられるようにというか、決められるようにそういった経験をすると。
海外を見て世界を知るというような経験が必要だったということで、
そういう考えのもとで、高校の間に1年間、私が留学をしたということが、
今日よくわかりましたので、聞けてよかったなと思います。
よかったです。
はい、ということで、今日はこの辺で終わりたいと思います。
話していくと、すごく興味深いお話ですね。
ちゃんと母の中にいろんな考えがあって、私の高校留学っていうものが生まれたんだなというふうに思いました。
聞いてもらってありがとうございます。
ありがとうございます。
ということで、また次回話していきたいと思います。
はい、じゃあ今日はこれで終わります。
ありがとうございました。
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