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2026-03-06 20:44

ささやかだけれど、役にたつこと

レイモンド・カーヴァーの作品(村上春樹訳)を読んだ感想を話しました
※音源を修正しました
#読書 #読書感想 #本が好き #村上春樹
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こんにちは、midoriです。今日はですね、最近読んだ小説について話したいと思います。 先日ですね、アメリカの作家のレイモンド・カーヴァーという方の短編集を読みました。
2冊読んだんですけども、一つがあの哲学線で、もう一つが愛について語るときに我々の語ることっていう短編集です。
このレイモンド・カーヴァーという人について簡単に触れておくとですね、
レイモンド・カーヴァーはアメリカ文学史において大きな影響を与えた作家の一人と言われていて、ミニマリズムと呼ばれる文体で知られている人です。
このミニマリズムというのがですね、言葉を極限まで削ぎ落として、状況とか登場人物の心情とかほとんど説明しないんですね。
読んでいる人がギリギリ意味をつかめるかどうかっていうところで物語が進んでいくっていうタイプの話なんですけれども、
なのでものすごく大胆に余白を残すっていう書き方がその当時非常に斬新で、ミニマリズムは他にも同時代に同じような作家がいたみたいなんですけれども、
そのミニマリズムを代表する作家の一人として知られていて、高く評価されている作家だそうです。
このレイモンドカーバーにすごく強く影響を受けた作家として挙げられているのが村上春樹なんですけれども、
村上春樹がですね、このレイモンドカーバーの作品のほとんどを翻訳してまして、この2冊の短編集ももちろん村上春樹が翻訳をして、どの短編にするかというのを選んで編集してるんですね。
私はノルウェーの森以外読んだことないのでわかんないんですけども、チャットGPTで調べたところによると、村上春樹の初期の作品だとそのレイモンドカーバーの影響がすごく色濃く出ているというので、
村上春樹の作品もですね、特に初期の作品から読んでみたいなとは思いました。
今回この本を手に取ったきっかけとしてはですね、友達から結構前に勧められてまして、
この傑作線の方に入っている、ささやかだけれど役に立つことっていう短編をその時紹介されたんですね。
内容については詳しくはその時説明されなかったんですけれども、スルスルスルッと読めてサラッと読めるんだけれども、
最後に重たいものを鼻に残されるような、そんな作品というふうに言われたのがすごく印象に残っていて、
その村上春樹の文体も美しいし、翻訳の方がすごく評価されているよっていう話も聞いたので、
ちょっと読んでみたいなというのは気になってたんですね。
紙の本しかないのでなかなか手に取る機会がなかったんですけれども、今回あの図書館に置いてあったのを見つけたので借りてみました。
このささやかだけれど役に立つことを読んだんですけれども、これはですね、レイモンドカーバー初体験としてはですね、
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わりかし分かりやすい話だったと思うんですけれども、やっぱこういうタイプなのかっていうところが衝撃で、
最初そのミニマリズムっていう文体だとか全然知らずに読んだので、どう解釈したらいいのか正直わからなかったんですね。
ただ、すごくほんわか心が温かくなるようなラストの話ではありました。
ただですね、いい話とも表現できない、むしろどちらかというとですね、ちょっと悲しい話なんですよね、この話は。
簡単に説明するとですね、とある家族に本当にささやかな日常の中で、突然衝撃的な出来事が起こってしまうんですよね。
その出来事について家族は静かにその状況を受け入れるというかですね、それに向き合って日々を過ごしていくんですけれども、
そこにですね、特にドラマチックな救済もなければ奇跡も起きないし、状況も最後まで劇的に変わることはないんですけれども、
ただ、そういう暗い日常の中にですね、ほんのわずかな光が射すっていうような、そんなラストだったんですよね。
だから、私のイメージとしては、極寒の真っ暗な道をただひたすら歩いている中で、遠くの方に小さな明かりが見えたみたいな、そんな感覚に近いような話でした。
本当、出来事に関してもですね、全然大げさに書かなくて、かなり衝撃的というか、これが自分の身に起きたらもう本当に絶望で立ち上がれないなって思うようなことだったんですけれども、
さらにですね、その先の話も、本当に救いがないというか、
状況も好転しないし、本当に、なんていうんですかね、単純にいい話って言えるような展開ではなかったんですけれども、
ただ、その中で見えたささやかな温もりみたいな、その静かな救いの部分がこの作品の核なのかなというふうに感じました。
もう一つですね、取り上げたいのが、カセドラルという短編なんですけれども、これもですね、そのレイモンド・カーヴァーの作品の中では傑作として名高い作品でして、
内容としてはですね、主人公の奥さんの古い友達、奥さんがもともと仕えていた相手なんですけれども、その方が盲目の男性なんですね。
その盲目の男性のサポートをするという役割で、奥さんはその方の下で仕事をしていたんですけれども、
単に上司部下という関係だけではなくて、2人の中にはすごく強い友情があって、奥さんがそのお仕事を辞めて、その主人公と結婚してからもずっとやりとりを続けてたんですよね。
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文通ではなくて、カセットテープに音声を吹き込んでお互いの近況をやりとりし合うみたいな、そんなやりとりを十数年やってたみたいな描写が確かあったんですけれども。
その古い友人が家に遊びに来るという話になって、主人公はその奥様の友人をもてなすという話になるんですけれども、
ただですね、主人公は決して人格者じゃないんですよね。どちらかというと盲目の方に対しての偏見もすごくあったし、どっか面倒だなというふうにも感じていて、かなり面倒くさそうな対応をとるんですよ。
俺に盲目の友人はいねえからなみたいな、ちょっと悪態めいたことを奥さんに言ってしまったりするんですけれども、
ただですね、その盲目の男性が実際に家に来て、一緒に時間を過ごしていって、最後に奥さんが途中で寝てしまって、二人で会話をするところがあるんですけれども、
そこでのあるやりとりを通じて、主人公に本能些細な変化が起きるんですよね。
この変化を描き出しているところがすごくいい作品だなと思うんですけれども、大事なところはですね、その変化が一切言葉では説明されてないんですよ。
主人公の心情として、俺は盲目の人に対してこんな偏見があったんだとか、この人に対してはこんな感情があるとか、そういうことは全く説明されてなくて、
ただ二人のやりとりを淡々と描いていて、最後にとある描写で、その主人公の些細な変化っていうのを何となく描き出してるんですけれども、
本当にそれも読者が読み取れるかどうかっていうギリギリのレベルで描かれていて、そこがですね、本当に上手い余白の作り方だなというふうに感じました。
なのでね、単純にこの主人公が考えを改めたとか、こんな心情になったっていうふうに描いてしまうと、ここまでの余韻は残らなかったと思うんですよね。
だからそこをあえて描かずに、説明を省いて、ただ主人公に何かプラスの変化が起きたっていうのを感じさせるようなラストで締めるところがですね、
ミニマリズムの到達点なんだなというふうに感じました。
他にもですね、私個人的に好きだったのはダンスしないかっていう短編なんですけれども、この短編もね、状況全く説明されないのでどういうことっていう感じなんですけども、
内容としてはですね、とある中年の男性がガレージセール、庭に使わなくなったものを出しておいて、それを売りに出すっていうのをやってたんですけれども、
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それがですね、単品じゃなくて、もう家の中にあるものをそのまま出してるみたいな感じなんですよね。
で、例えばレコードとかテレビとかをもう電源さして、そのままもう生活できるような状態でガレージセールに出してると、そこをたまたま通りかかったカップルがその売り物を買うんですけれども、
それもですね、中場はその中年の男性が投げやりな形で、最初はそれいくらだよとかって言ってたんですけど、もういくらでもいいよみたいな好きな値段で買ってけよみたいな感じで投げやりでやり取りをするっていうような話なんですね。
で、その理由は一切説明はされないんですけれども、話を通してですね、きっとこういうことなんだろうなっていうのが、なんとなく読者に想像できるような形で進んでいって、
で、最後の締めのところもですね、そのカップルの彼女側がこの出来事について回想するというか、友達に話すみたいな場面で終わるんですけれども、
そこの締めの部分もすごくいいなと思ってて、それもですね、状況を細かく説明するとか、その彼女がどう思ったかみたいなことは全く説明されないんですけれども、
ただですね、なんとも言えないこの切なさであったりとか、でもその中でのこのカップルとその中年の男性とのやり取りの中で生まれた、
なんていうんですかね、交流の温かさみたいなところがかすかに伝わってくるっていう、この話の作り方がすごくいいなというふうに感じました。
このレイモンドカーバーの作品を読んで思ったのはですね、人生の大きな出来事って、一般的なフィクションみたいにドラマチックには起こらないっていうところで、それをすごくリアルに書いてるなっていうふうに感じました。
あのね、そのささやかだけれど役に立つことは、結構大きな出来事というかかなり衝撃的な出来事なんですけれども、でもそれをですね、大げさに言わないんですよね。
本当に静かにそういうことが起きてしまって、その間の部分もですね、本当に家族の心境としてはすごく複雑だったりとか、もう本当に絶望的だったりとか、いろんな心境があると思うんですけれども、
でもそれも大げさに書かずに、どんどん静かに過ぎていって、その後の話もですね、日中は続いていくんだよっていうようなところが、本当にずっと静かな調子で描かれていくんですけれども、だから外から見るとですね、何も変わらないんですよね。
その家族の中に大きな出来事が起きているっていうのはあるものの、ただ外から見てもそれは大きくは変わらないと、だけど当事者の内側としては言葉にできない、奥の方に何か異物が残ったみたいな変化が確実に残るというような話なんですよね。
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他のカセドラルとか、あとはダンスしないかとかもそうだと思うんですけれども、それぞれの人の中にはやっぱりその人なりにいろんな思いがあったりとか、大きな出来事だったりはするんですけれども、ただそれを大げさに言わないし、そんなドラマチックな展開にもならないんですけれども、
でも何か確実に言葉にはできなくても変化が起きているよということをリアルに書き出しているんじゃないかなというふうに感じたんですよね。この感覚は私自身も感じたことがあって、一つその経験を話してみるとですね、
中学生の時に祖父が事故で亡くなったんですけれども、病院に着いた時にはですね、もう意識がなくて、クダに繋がれている状態だったんですけれども、病院に行った時にですね、最初はもう低い心電図の状態で、一定のリズムでピッピッピッというふうになったんですけれども、
とある瞬間にですね、心電図が大きく跳ね上がって、その場にいた家族だったりとかも、どうしたのっていうふうになって、あわあわしてたんですけれども、そのうちですね、急に止まってしまって、そのまま亡くなってしまったんですね。
もうそれを見た時に、表面としては何も変化は起きていないんですよ。心電図は確かに激しく動いていましたけれども、でも祖父自身はもう目を覚ますこともなかったですし、私たちもね、突然の出来事で何か言葉を交わすとかもできなければ、別れの挨拶するとかっていうことももちろんできなくて、あっという間に死の瞬間が訪れてしまったっていう感じだったんですけれども、
ただ、その瞬間に体って意識がなかったとしても、最後まで生きようとする意志っていうのがあるんだなっていうふうに感じたんですよね。
それはね、その時すぐにそう思えたかっていうと、あまりにもあっという間の出来事すぎて、そんなふうに考える暇もなかったんですけれども、今その時のことを思い返すと、そういう何て言うんですかね、何とも言えない感覚が残ったなっていう出来事でした。
その時に思ったのが、死っていうのがですね、もっと劇的なもので、ドラマチックなものっていうふうに何となく思ってたんですよね。
だから、最後の瞬間っていうのは、もっと慌ただしくなったりとか、感動的な言葉のやり取りがあるとか、そんなことを何となくイメージしてたんですけれども、実際にはですね、驚くほど静かで、その後はすぐに葬儀の準備だったりとか、日常に戻らなきゃいけないとかで、
そのことをいつまでも悲しむ暇もなく、日々が過ぎていったっていう感じでした。なので、表面的にはそんなに大きな変化はないように多分見えるんですけれども、ただ確実に自分の中の何かは変化したなっていうのが、その時の出来事だったんですよね。
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あとはですね、出産も結構同じような感覚があって、もちろん出産そのものはですね、すごい痛かったし、結構大変だったっていうのもありますし、その後も育児にすぐ入るので、育児もね、すごい静かなもんじゃなくて、本当に慌ただしくて余裕なんて全然なかったんですけれども、
ただ出産したその子と、自分の体から新しい命が生まれたみたいな実感があんまりなかったんですよね、出産しても。本当に痛い思いもしたし、そもそも妊娠期間から自分のお腹の中に子供がいて、
その様子を通じて見たりとかして、命が育っているっていう感覚はあったはずなんですけれども、いまだに自分の子供を見て、この子が自分の中から生まれてきたんだっていうのが不思議になるんですよね。
だから、大きな出来事であるのは間違いないんですけれども、その意味が一気に自分の中に明確な言語として腹落ちするわけではなくて、後から実感を伴ってくるというか、むしろ実感になってくるときもまた感覚が変わってくるような、いつまでもつかみきれないみたいなそんな感覚なんですよね。
人の死の瞬間に立ち会うとかもそうですし、自分から命が生まれるっていう、どちらの瞬間も個人としてはすごく衝撃の大きい出来事だったんですけれども、ただ想像していたほどドラマチックでもなければ、バチッとその瞬間に何かを感じ取るとか、何か言葉に言い表せるみたいなことではないんだなっていうのが、この2つの出来事から感じたことでした。
そういうのをリアルに感じるのが、このレイモンド・カーヴァーの作品の特徴、リアルな質感というのを限りなく削ぎ落とされた、その文体の中で表現しているのが、このレイモンド・カーヴァーの作風なのかなというふうに感じました。
最後にですね、このレイモンド・カーヴァーの作品を読んで、私の今までの読書と全然違う感覚を得たなっていうのが最後の感覚としてあって、ここ最近その読書の振り返りをこうやってスタンドFMで話したりとか、それをノートに書いたりとかしてるんですけれども、その時はですね、これはこういう話で、ここが学びだったよとか、ここが印象的だったよみたいなことを言語化してきたんですけれども、
ただですね、このレイモンド・カーヴァーの作品は言語化してしまうと魅力が損なわれるような、言語化をすることを拒むようなところがあるような作品だなというふうに感じたんですよ。
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なんかね、私の語彙力がないせいもあると思うんですけれども、私の少ない語彙力で、こういう話でこういうところが良くてとかっていうふうに単純に説明してしまうと、なんか一気に作品の魅力が損なわれて陳腐なものに感じてしまう気がするんですよね。
だから余白のまま抱えて、本当に言葉少なに、何て言うんですかね、それも本当どこを説明したらこの作品の良さが伝わるかわかんない部分もあるんですけど、それが一番正直に魅力を伝えられそうな感想なのかなっていうぐらい、
そうですね、わからなさをわからないというまま抱えた方が良さそうだな、その方が美しいなって思うような作品でした。
これはすごいなんか、自分の中ではですね、衝撃的な体験というか、新しい体験ができたなという感じで、
意味をすぐに確定しなくても良くて、解釈を急がなくても良いと、その余白を味わっていくことで自分の中に小さな変化が起きるっていうこともあるんだなというふうに改めて思い出させてもらったっていう感じでした。
この本、そもそも友達が勧めてくれなかったら多分手に取らなかったと思いますし、
そうですね、友達に勧めてもらったものを素直に読んだことによって、こういう新しい読書体験ができたので、
自分が思うものというか、自分の意向に沿ったものだけではなくて、たまにはこうやって人からのお勧めを素直に読んでみることっていうのは大事だなというふうに感じました。
AI時代だからこそ、ようやくできるとか、こういうものっていうふうに答えがすぐに出せないような作品っていうのは、より価値が高まっていくんじゃないかなみたいなことも感じました。
私の拙い説明でどこまでこのレイモンドカーバーの魅力が伝わったかわからないんですけれども、村上春樹が好きな人とかはきっと会うんじゃないかなとも思いますし、
私みたいにどっちにも、海外文学にも村上春樹にも別にそんな大した接点がなかった人でも楽しめた作品だったので、ぜひ興味があれば読んでみてください。
聞いてくださってありがとうございました。
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