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夕焼けひとりきり、始まりました。昭和。
二桁生まれのパーソナリティ。ミッキーロンリーがご案内します。
昭和レトロ。今は懐かしい思い出。
明日の心配もせず駆け抜けた昭和の時代。
温かく優しい昭和の情景。
心思うままにお話しできればと思っています。
どうぞお付き合いください。
今日は、昭和レトロのお話。
テーマは、昭和のオートバイ。
現代に来るリスナーの皆様、そして昭和の世代の皆様。
オートバイ、それこそ街で見かける飲み物の一部。
それは、車ほど多くもなく、自転車ほど多くもない、そんな乗り物。
昭和の一時代、それこそ50cv原動機付き自転車、原付き。
そして、スクーター、オートバイが今よりも多く走っていた時代がございました。
そんな時、私ミッキーも縁があって、そんな乗り物について、今日はエピソードを交えてご案内させていただきたいと思います。
どうぞお付き合いください。
時は昭和50年代、後期から60年代。
昭和の終わりといって良い時代。
それこそ、車も多く普及して。
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ただ、車はまだ一貫一台あるかどうかという頃だったと思う。
手軽に乗れるオートバイ、それが原付きだったりスクーター。
そして、当時の学生、下宿にもオートバイがたくさん並んでいた。
身近な足としてスクーター。
ちょっとした買い物だったり。
また、教師所に通って中型二輪の免許を取る人も多くて。
250cc、400cc、そんな中型二輪の免許を持っている人も多かった。
そして、当時は自転車、サイクル野郎も多くて。
そんな人たちがツーリングライダーになる人も多くて。
それこそ、全国、休日ともなると多くのツーリングライダーを見かけることも多い時代で。
中には、大型二輪限定会場の免許を目指す人もいて。
そして、登場人物の北海道も、そんな人であった。
それこそ、番組の中で、令和の時代から昭和の時代にタイムスリップして子供たちを見守るライダー。
北海道だ。
北海道さんが、富士山公園のテーブルとベンチのところで、水筒にいつものようにコーヒーを入れて、くつろいでいる。
彼が、今日はお話を少ししてくれるような、そんな昭和のオートバイについてのお話。
多くの人が乗るわけではない、そんな乗り物についての簡単なお話を聞かせてくれるようなこと。
北海道さん、どうぞ。
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みんな、いつも番組聞いてくれてありがとうございます。
簡単に、僕が好きな乗り物のお話だけさせてください。
オートバイは、それこそ昭和の時代。
50ccのスクーターや原付は、みんな多くの人が乗ってたんだよ。
そして、自転車に乗ってた人が多く、中型二輪だったり大型二輪のバイクを乗って、旅にも使っていた。
そして、若者が野宿したり、5年内に宿泊できるようなユースホステルだったり、国民宿舎だったり、そんな施設を利用して旅していたんだ。
僕もそんな中の一人さ、まだ背伸びしたい時だったと思う。
大人への仲間入りをしたくて、いつも背伸びしていたんだ。
オートバイには、それこそシリンダー。
ピストンが1気筒のものは単気筒、2気筒のものはツインという、そして3本以上あるものはマルチ。
4気筒以上のものが400cc以上だと多いんだけれども、
心臓音のような音。
1気筒やツインのものは、逆に人のそれこそ心臓音というか、味わいがある音なんだ。
僕はその音が好きでね。
休みの日でも、自分がそんなオートバイを磨いたり、それこそタイヤのホイールを磨くのにも、嬉しくて嬉しくてしょうがなかった時代だったんだ。
それこそ自分の愛着ある乗り物、生き物のように思っていたんだよ。
みんなも自分の愛車、それは車だったかもしれないけど、嬉しい時ってあったよね。
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そんな気持ちってわかってもらえると思うし、大事にしたいよね。
そして、自分もそんな愛車、オートバイ、これはオーバーな表現かもしれないけど、
刃のような、馬のような、一体感がある感覚を得られた時は何にも耐えがたい。
そう思ってたんだ。生きてるっていう感じ。
今も、もちろん人は誰しもそんな感覚を追い求めてつらい中にも、そんな感じられる良い部分のために人は生きてるかもしれない。
みんな、頑張りたいよね。
今日は聞いてくれてありがとう。
今日はショーレトロのお話。
北海道さんがオートバイの昭和の時代の自分に感じてたこと、今も思い続けていること、それは生きているという実感がキーワード。
皆さんもそんな風に思うことは終わりでしょうか。
素敵に生きれる、そんな時代に味わいたいもんですね。
夕焼けひとりきり、この辺りでお話し終わります。
お付き合いしていただき、本当にありがとうございます。
次回の番組、お楽しみに。