1. 夕焼けひとりきり
  2. 昭和のりもの/ロープウェイと..
2025-09-23 11:08

昭和のりもの/ロープウェイとケーブルカー from Radiotalk

サマリー

昭和の時代のロープウェイとケーブルカーが観光地で果たした役割やその歴史を振り返ります。都市交通としての新たな可能性も模索されており、昭和の遺産が今に生かされることが期待されています。

昭和の乗り物の歴史
夕焼けひとりきり、始まりました。昭和、二桁生まれのパーソナリティ、ミッキーロンリーがご案内します。
昭和レトロ、今は懐かしい思い出、明日の心配もせず駆け抜けた昭和の時代、温かく優しい昭和の情景、心のままにお話しできればと思っています。
どうぞお付き合いください。
今日は、昭和レトロのお話、昭和の乗り物シリーズ第2弾、ロープウェイとケーブルカーのお話です。
昭和平成の世代の皆様、現代に生きるリスナーの皆様、
このロープウェイ、ケーブルカー、昭和の高度経済成長期にレジャーが活発な時にその観光地に大活躍でした。
そして、多くの路線が全国各地に観光客を乗せて、その光景で人々を楽しませたことでしょう。
そして皆様も、少年少女の時代に窓に顔を押し当てて、その眼下に広がる、その景色に目を輝かせていた、そんな記憶を呼び戻している方も多いかもしれませんね。
私、ミッキーがエピソードを交えてお話してまいります。
お付き合いください。
ロープウェイとケーブルカー。
古くは1900年代初頭に金鉄グループがイコンマン、この地にケーブルカーを引いたのが初めてではないでしょうか。
その後、各地に徐々に増えていき、そして戦後、人々が全国各地にレジャーへ降落地において、その急勾配で適した乗り物としてロープウェイケーブルカーが多く建設されました。
メリットとして、自らの動力を持たない。ロープを起点と終着点の滑車で回して駆動させる。
それは自らの動力を持たないことによって、環境的な負荷もかからないということと、滑車の慢忙が少ないということ。
そして、走音も軽微で、その降落に適したことが人気の一つだったと思います。
多くの山岳地帯、そして私ミッキーの場合、都会地区においても多くの路線が人で賑わっていました。
岐阜の金河山、御座礁岳、三金山、そして穂高、木底丸ロープウェイ、大型のものもありました。2階建てとなります。
そして運転士が必要でもなく、その急行場合に当時基礎駒一気に駆け上る高度の地点で見える南アルプスの山々、その景色は今でも忘れることができません。
ただ、このロープウェイも近年ではその使い道というのが観光地では路線を減らし進む。それは多くの人が同時に移動することができない。
街並みからすぐに急行場合の決して高くないお城への誘導として、運行される場所では混雑も起きる。人が多いけれども収容人員が少ないというところが弱点となります。
そして混雑していく。そこで路線が少しずつ少なくなっていき、近年では別の使い方が都市部の交通手段として、ビルとビルとの間、そして空港でも運転士がいないということの輸送手段として、
徐々に建設が進められて、再び脚光浴びつつもあります。長い年月を経て、その昭和のあの頃、私ミキが抱いていた観光地、関西方面でもありましたね、六甲山。
そして特徴的な六甲山の駅というのは円形で、上が展望台になっていて、まさに360度展望。望遠鏡も設置されているような箇所も多くて、当時の子供たちには人気がありました。
都市交通としての未来
そしてダイヤル式のメダルで刻印をするような機械を打ち込んで日にちを刻んでお土産とした。
そして金の飾りのついた三角のペダント、お決まりのようにありましたね。大きな始発の駅と終着の六重の駅。まさに昭和の行楽地としての典型的なスタイルだったような気がします。
お土産があって、食堂、アメリカンドック売られていましたね。それが現在この令和になって、まさに都市型の路舗へという部分で、再び客を浴びつつあります。
この私が住む名古屋の地においても、実は都市の交通経路というのは地下鉄も現在は整備が進んでいますけれども、
何か都市部で路舗へあれば景観もよりスタイリッシュな、その夢ある光景をイメージしてしまいます。
そして人々の乗る姿のその笑顔は当時のあの頃と同じようなものが呼び戻せるならば、ぜひ建設していただきたいと思うのですけれども、こんな気持ちになっているのは私だけでしょうか。
いつも夢あるものとして昭和の遺産も今に何か活かせるものもあれば良いなと考えます。
夕焼け一人きり今日は乗り物シリーズロープウェイとケーブルカーについて語ってみました。お付き合いしていただき誠にありがとうございます。
次回の番組お楽しみに。
11:08

コメント

スクロール