昭和の乗り物の紹介
夕焼けひとりきり、始まりました。昭和。二桁生まれのパーソナリティー。ミッキーロンリーがご案内します。昭和でとの、今は懐かしい思い出。明日の心配もせず駆け抜けた昭和の時代。温かく優しい昭和の情景。心のままにお話しできればと思っています。
どうぞお付き合いください。今日は、昭和レトロのお話。テーマは、昭和の乗り物。懐かしい水中翼船。
ホーバークラフトのお話をしたいと思います。昭和平成の世代の皆様。
現代に生きるリスナーの皆様。水中翼船、ホーバークラフトなる、昭和のあの頃活躍していた懐かしい船舶。
記憶に終わりでしょうか。今では聞くことを目にすることもまずないような、当時一世を滅びしたかもしれない。それはレジャーでも大活躍の乗り物でした。
私ミッキーがエピソードを交えてお話ししたいと思います。お付き合いください。
水中翼船とホーバークラフト。共に宇宙海沿海、離島への交通手段として、主に波の穏やかな場所で航行されていた。
水中翼船は水中翼と呼ばれる、翼が船体の下部に配備されていて、スピードが出ると、船首が浮き上がり、水中との抵抗感を少なくし、高速運航できる。
一方、ホーバークラフト。船舶の下部にエアスカートと呼ばれるようなゴム製ゴムですね。そこにジェットで空気を送る。ほぼ水面が、凹凸がある部分のみ接する形で平面なら、抵抗が非常に少なくなるという利点がありました。
共に、時速70キロ、100キロというスピードも出すことができる。非常に魅力の船舶でしたけれども。水中翼船は、護岸に特別な接水が必要だということで。
また、ホーバークラフトは、水がいつしか他の高速船に移動していきます。ホーバークラフトは現在、多い多市から多い多空港のみで運航中とのことであります。
私、ミッキーの住む東海エリアで幼い頃の思いで、一度だけ水中翼船に、当時の名鉄グループ、三河湾内で運航していました。
カフェリーも運航されていて、三河湾では、がま氷からトバコまで、そして水中翼船も多くの方が観光に利用していた。
先週が浮き上がったそのスピード感は、今でもその記憶を呼び戻すことができます。
今も三河湾内に浮かぶ、佐久島、日向島、篠島という島があります。船舶も、高輪港、森崎港から出ていますけれども、当時の水中翼船とは異なるもの。スピードも違います。
ただ、水中翼船、オーバークラフトとも特殊な構造が故、コストがかかる。整備の問題にも、特殊な部品調達、デメリットが見隠れしつつ、姿を徐々に消していきました。
水中翼船は、当時軍の船舶としても活躍していたという長い歴史があります。そして、この令和となった時代では共に面にすることができないのですけれど、いつしか、やはり日本の高度経済成長の時代、
昭和30年代、40年代に、レジャーの多角化、それは目的地での観光地巡りだけでなく、その乗るものそのことが旅の思い出、特殊な体験だというものが非常に多かったような気がします。
水中翼船、ホーバークラフト。一度乗った経験というのは一生ものの宝物かもしれません。時代は進み近くで、お値打ちに人々は再発見する機会を多く持ちます。
あの頃のように、新しいものがあり、未知なる部分への体験、その観光目的は今ではシンプルな再発見、自分探しの旅というものが流行っているような気がします。
これも時代の波なのでしょうか。そして、忘れてはいけないということは、そんな時代に人々が夢を乗せた乗り物があったということ、この昭和の乗り物シリーズ、今では姿を消した、あの当時輝いていたものという乗り物がいくつかあります。
少なくなったロープウェイやケーブルカー、珍しいトロリーバスもございましたね。また追ってお話しできればと存じます。
今日は昭和の乗り物シリーズ第1弾、水中浴船とホバークラフト、いつの日かその流れを汲む乗り物が湾内を航行する、そんな日が来るのもまた何かの夢でもあります。
夕焼け一人きり、この辺りで本日は終わりたいと思います。お付き合いしていただき誠にありがとうございます。次回の番組、お楽しみに。