昭和の思い出と人生の旅
夕焼けひとりきり、始まりました。昭和。
双桁生まれのパーソナリー、ミッキーロンリーがご案内します。
昭和レトロ、今は懐かしい思い出。
明日の心配もせず駆け抜けた昭和の時代。
温かく優しい昭和の情景。
心を思うままにお話しできればと思っています。
どうぞ付き合いください。
今日はJAZZ Bar昭和。
素敵なピアノが流れるこの店。
時として女神アフロビーテが降臨するという。
カウンターの奥に味わい深くお酒をたしなむ。
彼の名はジェイ。人はそう呼ぶ。
また会えました。
今日は、モスコミュール。
私ミッキーがそばにいて、お話を伺いしたいと思います。
どうぞ付き合いください。
ジェイさん、こんばんは。
そばにいてよいですか?
やあミッキー、また会えたね。
どうぞ。
何考えていたって?
知るべない旅。
人の生き方。
そのテーマを考えていた。
人は様々な真理で思い悩む。
長い年月をかけて、
まさに人生の旅人。
誰もがその山を登るかのように、
各々の山の高さは違ったとしても、
知るべはある意味ないかもしれない。
自分の好きな言葉として、
明日死ぬかのように生きろ。
永遠に生きるかのように学べ。
そうだ、ガンジーの言葉だ。
もし一日最後の日だとしたら、
どのように生きるか。
そして、自分が永遠に生きるとしたら、
どのように学んでいくだろう。
共に重要なテーマかもしれない。
言えることと言えるのは、
流されてはいけないということ。
自分自身が生きるということは、
自分で決めるということ。
その身体のオーダーは、
自分であるということだ。
そして、過去から現在、未来へ。
当然のことかもしれないけれども、
今の連続が過去からつながって、
未来へと続く。
知るべない旅。
そんな一言に尽きるのではないだろうか。
そして、私たちは昭和のあの頃から平成、
そして現在の令和まで、
様々な時代背景の中で、
人々が思うその価値観は変遷してきたのだけれども、
自らが自分で一日一日の生き方を、
精一杯生きて学んで、今に至る。
思い出してみよう。
私は昭和のあの頃のスローライフの生き方よりも、
今はデジタルが進み、
学びと生き方のテーマ
様々な情報量と高速化。
ただし、人類の歴史の中で、
私たちが生きるその旅路というのは、
ほんのわずかな、
宇宙といえば、ほんの一欠片にもならないようなもの。
そして、その一欠片がその本人から見た場合、
逆に宇宙を眺めるかのように、
自分自身が宇宙ともなり得るような、
人にとっては、とてつもなく、
自分自身大きな宇宙。
すなわち人生、同じ基準とも考えることができる。
宇宙から見たら一欠片。
一欠片から宇宙を見る。
同じということかもしれない。
大げさな表現かもしれないけれども、
私たちの体はそんな一つの分子の重なり合いにできている。
そして、精神性を持つものとして、
どう生きるかは自由なのだけれども、
そこにそれぞれが自分のテーマを持って人々は生きている。
話を戻してみよう。
言えること。
ここで考えてみたいのは、時代背景の中。
様々な状況が昭和のあの頃と今の時代では変わっているけれども、
我々の体と精神は大して変わっていないということだ。
一説によると縄文時代の人は現代人よりも脳、
物、
味噌。
その量が多いとも聞く。
私たちは進化。
そんな言葉で受け止めていいのだけれども、
本当の意味は、その進化は自分の内面にあって、
その自分自身がいかに生きるか。
どんなテーマで自分自身が過去の自分に対して輝けるか。
自分で思い悩んでその反復作業かもしれない。
Jさん、ありがとうございます。
ありがとうございます。
人は人生と言っても、それぞれごとに登る山の高さは違って、
人は誰しも登山している。
そして精一杯生きる。
自分自身が流されないように。
自分自身は宇宙から見ればひとかけらかもしれないけれども、
自分自身が宇宙そのもの。
そんな考え方もできるということですね。
Jさん、乾杯してください。
乾杯。
人生とは知るべない旅。
その人の命は尊く、
明日死ぬかのように生きる。
そして永遠に生きるかのように学べ。
そんな言葉ですね。
自分自身見つめ直して流されるのではなく、
輝こうとする。
本当に輝いているものが美しい。
それよりも輝こうとするものが美しい。
そんなJさんの言葉が印象的でした。
考えてみたいと思います。
ジャズバーショーは何気ない日常に、
時には深く、
癒しの中にも自分自身を見つめる。
それが墓場。
お立ち寄りください。
夕焼けひとりきり。
本日はこのあたりで終わりたいと思います。
お付き合いしていただく。
ありがとうございます。
次回の番組、お楽しみに。