昭和の思い出とジャズバー
夕焼けひとりきり、始まりました。昭和。二桁生まれのバス乗り組み、ミッキーロンリーがご話します。
昭和レトロ、今は懐かしい思い出。明日の心配もせず駆け抜けた昭和の時代。温かく優しい昭和の情景。心思うままにお話しできればと思っています。
どうぞお付き合いください。今日はJAZZ BAR SHOW。素敵なピアノが流れるこの店。女神アフロディーテが時として降臨する。カウンターの奥に味わい深くしお酒をたちなむ。彼の名はジェイ。人はそう呼ぶ。
今日はジン・トニック。私ミッキーがそばにいてお話を伺いたいと思います。どうぞお付き合いください。
ジェイさん、こんばんは。そばにいてよいですか?
ヤミキー。また会えたね。何考えても東大元暮らし。時として馴染みのあるキーワードかもしれない。
思い悩んでいたんだ。人は日常生活、プライベート、ビジネスでコミュニケーションをとる場合。それが例えば第一人称である私、第二人称のあなたとの関係。
そして、時として離れた客観的な立場でものを見ることがある。そして大事なことというのは、その判断、思考は感情の現れ。
そしてその相手にしても客観的な立場、私たち、その空気を作るものに関しては、その背景があるということ。
例えば、相手にその思考を持った背景がある。例えば仕事で所属する立場、属性。もちろん己の利という部分で、自分がメリットを感じることに人は意見を言いがち。
そして一方、自分は私としてという立場、その己の利の部分がついつい表現して、かみ合わなくなってしまうケースもあるかもしれない。
そこで重要なことというのは、第三者目線。私たちにとってどちらの判断がベターなのか。そこのベースが後にどんな結果を招くことになるのか。
そこで、例えば道を進んでいく。そこで中断する。実を言うと、その判断自体が両方ともメリットで、どちらが良くてどちらかがNG。そんな考えでもない。
同じ立場とも考える。なぜなら、どちらにとってもその判断が尊重されなければいけないし、結果がオセロのようにどちらに目が出たとしてもそれは有益なことであるということだ。なぜならNGだったとしても2Aのリスタートができる。
そこが大きい他の要因。人はついつい感情を乗せてしまうとき。当然相手にしても全体的なグループに所属した中で自分が孤立してしまう場合もあるかもしれないけれども。
そこはどちらの結果に立ったとしても、その感情そのものに対して肌立ちさを覚えることも誰しもあるである。
ただし、その対相手といった部分で、そして対組織にしても、その相手組織にとってみればそれが彼らの正義感でもあって、その根拠の礎ともなっている。
当然自分の意図として噛み合わないこともあるであろう。ただし、そこには2Aのリスタートといった部分で、または一つの道標にもなる。そんな話だ。
Jさん、ありがとうございます。
自己理解と他者理解
人は東大元暮らし。コミュニケーションを持つ中で自分が一番分かっていること、それは当然かのようには思うけれども、自分自身の見え方と相手から見た自分の見方では大きく違う場合があるということ。
そして、それぞれの立場によって誰しも自分の正義から導き出された結論。そして、どちらかがどちらかをいくるめるものでもないし、双方にとって有益な判断。
それは今の時点でのその価値かもしれないけれども、後になってあの時の判断が正しかった。そしてまた修正されてまたの再開。それがよりその価値を持ってくる場合もあるということ。
そんな話ですね。Jさん、乾杯してください。
乾杯!
ジャズが勝負。
人は自分自身で社会の中で生きていくもの。孤独な選手であるけれども、相手がなければ、そして組織の中、グループの中で自分の価値が見えてくる。
自分で決めるものである。間違いないことではあるけれども、人から決められる自分という部分もあるということも忘れてはいけない。
そして東大元暮らし。自分の評価と他人の評価が全く違う。その見え方も違ってくることが考慮しつつ、双方にとって道を切り開く。難しそうだけれども、シンプルな話かもしれない。そんな話が印象的でした。
ジャズは勝負。
何気ない日常に時として人は考えることがある。自分のことを知る。己を知る。それは他を理解するということにもつながる。そんな話が印象的でした。皆さんもお立ち寄りください。
夕焼け一人っきりこのあたりでお話を終わりたいと思います。お付き合いしていただき誠にありがとうございます。次回までお楽しみに。