親孝行の思い出
夕焼けひとりきり、始まりました。
昭和。二桁生まれのパーソナリティ。ミッキーロンリーがご案内します。
昭和レトロ。今は懐かしい思い出。明日の心配もせず駆け抜けた昭和の時代。
温かく、優しい昭和の情景。心のままにお話しできればと思っています。
どうぞお付き合いください。
今日は、昭和レトロのお話。テーマは、親孝行。懐かしい響きですね。
昭和平成の生来の皆様。現代に生きるリスナーの皆様。
我々は大人になり、親孝行。そんな言葉を聞くと、自分が子供の頃の親に対して親孝行したり、また人によっては親孝行されたり、その思いは多種多様。
私、ミッキーがエピソードを交えてお話しします。
聞いてあげてください。
親孝行。懐かしい響きですね。
私、ミッキーが親孝行したのは、幼い頃、その父親に向かって、大きな背中に対してお小遣いをあげるからということで、肩に小さな原骨でトントン、兄弟で肩たたきをしたのが思い出でしょうか。
その後、お使いに行ったり、母親の皿洗いしたり、思い出すことがあります。
もちろん、いつも喜んでというわけにはいかず、その親の決め台詞というのは、良いことがあると良いことがあるよ。
悪いことをすると、悪いことがしっぺ返しとしてあるよ。
そんな言葉を自分で生かしていましたね。
いつしか、時は流れて、思春期、反抗期も親に迷惑をかけることとなってしまいました。
自分の問題で親が学校に先生に相談したり、また自分のことで友人のところに親が相談しに行ったり。
今思うと、その当時親の気持ちというのは、私が計り知れないものの、親不幸、まさにそんな気がします。
社会人になって仕事をしたはいいものの、もちろん当時のハードな仕事、続けられるのか。
時には体を壊した時には迷惑をかけて、いつもその不安は自分の想像を遥かに超えていたのかもしれません。
そしていつしか親孝行することもなく、気がつくと私の場合は、両親は実は互いしています。
人によっては細目の方も多いでしょう。
親孝行、自分が子供の時にしたことと、逆に自分が親孝行されたら嬉しい話というのを感じます。
実は親孝行というのは、親の立場から見た場合に何か特別な非日常的なサプライズのことをしてもらうよりも、
何気ない日常的な、まさにただ一緒にご飯食べよう、一緒に買い物行こう。
当時の自分が子供で会う時に親は、ひょっとしたらそのことだけでも喜んでいてくれたのかもしれません。
迷惑をかけながらも、自分が一人暮らしや何かおせっかいされた時とか、
日常の営みと感謝
うどましく思ったこともありました。
一人で大阪に来てくれたこともありました。
何か恥ずかしくて優しくできなかったようなことをふと思い出します。
悲しませたことでしょうね。
そして親に対して、自分は何もできなかったけれども、
ただふと考えます。
今は天国で見てくれるかもしれない親に対して、
時として自分自身が情けなくイライラしたり、ストレスを感じている時も多いのも事実。
恥ずかしくなったりもします。
ただその親は多分心配だと思いますし、
振り返って考えたあの日の思い出。
何か人は嬉しくなったり親孝行する時もされたりする時も、
特別な何かを非日常的なサプライズよりも何気なく日常で元気に過ごしている。
その姿が嬉しくなるのかもしれませんね。
話を戻します。
人によっては、人はふれあいの中で生きています。
一人暮らしの方も、家族で暮らしている方も、
いつも何か特別なものでサプライズのとても嬉しいものであることは間違いありません。
ただし、何気ない一緒にご飯食べようとか、
一緒に歩こうとか、買い物しようとか、
そんな元気な姿をお互いで感じれる。
ただ生きているだけでありがたい。
親孝行もそんな何気ない営みと通じているような気がします。
皆様は親孝行をどのような形でされているでしょう。
大変な時代かもしれませんけれども、
ついつい自分自身が日常で普段通りに暮らすことが尊いことであるということを思い出して、
今日は語ってみました。
夕焼け一人きり、この辺りで本日は終わりたいと思います。
お付き合いしていただき誠にありがとうございます。
次回の番組、お楽しみに。