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2025-12-20 11:49

JAZZ Bar 昭和 最後のジャッジメント/ラストマン from Radiotalk

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サマリー

このエピソードでは、昭和の時代の思い出や人々のコミュニケーションの在り方について語られています。特に、情報が与える影響について考察されており、リスナーは現在の社会的分断や孤独感に対する洞察を得ることができます。

昭和の思い出とジャズ
夕焼けひとりきり、始まりました。昭和、二桁生まれのパーソナリティ、ミッキーロンリーがご案内します。
昭和レトロ、今は懐かしい思い出、明日の心配もせず駆け抜けた昭和の時代、温かく優しい昭和の情景、心のままにお話しできればと思っています。
どうぞお付き合いください。
今日は、JAZZ BAR 昭和。素敵なピアノが流れるこの店。
女神アフロディーテが時として降臨する。
ありのだろうか。カウンターの奥にグラスの氷を回しながらお酒をたしなむ。
彼の名はジェイ。人は彼をそう呼ぶ。
今日は、バーボンロック。伝説のボトルだ。
私、ミッキーがそばにいてお話をお伺いしたいと思います。
お付き合いください。
ジェイさん、こんばんは。そばにいてよいですか。
やあ、ミッキー。何考えていたって。
ジェイさんの隣に、どこかで見かけたジェントルマンがいる。
ジェイさんは彼に目配して、ちょっと主人が来たんだ。
待ってください。そんな言葉をかけて、私、ミッキーに声をかける。
どうぞ、座る。
ジェイさん、いつもと違う、そのジェントルマンはどなたですか。
ユートさんだ。そんな紹介をして。
ユートさんは、私、ミッキーにウィンクしてくれる。
何か、心に傷を負った。そんな表情をしている。
ミッキー、今日は、ジャッジメント。
審判になるような、その観点を人々は備えているのだろうか。
そんな疑問をふと感じた。
語ってみよう。
世の事象について、コミュニケーション。
プライベートでもビジネスでも接する場合に影響を多大なるものとして受ける。
ポジティブ・ネガティブ。
メディアに受ける情報。
日本人、私たちの国では、テレビによる情報というのが非常に人々は信じやすい。
そんな話を聞く。
9割を超えるものとして影響を受ける。
そんな話だ。
そして、人々は、その時代背景の中、昭和・平成・令和と、
日本の高度経済成長の時代への人々の結びつきから、
現代の社会的分断
現代では、孤独になりつつ様々な分断。
それが経済的の面であったり、また職種の面であったり、
ある職歴学歴の面も関係しているかもしれないし、
人々の健康状態のかもしれない。
そして、当然似た親近感のあるカテゴリーによって区分けされる。
その中で、自分たちの居所を発見して、人々は日々を増やす。
自分の居所はとても日々を暮らすのには重要なこと。
今を生きなければ明日は来ない。
そんな西を持つのは当然だろう。
ふと感じたことがある。
傍観者になった自分がある場合が、
街を何気なく通った時に、特に都会の中ではその状況が際立つ。
例えば駅のある方面では、
自販機の周りにいわゆる弱者ともいえる人たちが、
表現悪いのだけれども集まっている。
一方では高層ビル、
タワーでのオープンカフェでビジネスの話をしている。
そこの一つ一つの話題は、当然内容が異なっている。
そういうある集団の中では、
同一的な情報の中で似た考え方の人たちが集まるし、話題も限定されてくる。
そしてもう一方の、
例えばタワーマンションに住む住民、
また広大な富を持つ敷地においての住んでいる住民だったり、
そこでの話題性というのは、当然偏りがあって、
逆にその立場にない人たちの話は、
互いに相互に理解しがたいものではあろう。
本来人は幅広いストライクゾーンを持たねばならぬ。
知らない世界を知ることによって自分の形式が深まるし、
自分がそこに、例えば話を戻して弱者ともいわゆる、
立場の人たちがそこにいる中で居心地がいいところで、
きつい表現になるかもしれないけれども、そこで満足してはいけないという話だ。
実はそこは、目に見えない世の中に複雑なシステムを張り巡らされて、
自分たちがそこの役割を果たすように、自然に追い込まれてそこにいるかもしれないということだ。
自らが、自分がそこにいるんだ、そのプライドを持ってそこにいるというよりも、
自分が、自分の責任でなくそこにいるということに自分自身は疑問を持たず、
また自分たちがそこで、そのままではいいということは、
世の構成に追い込む、健全な状態でもなく、いわゆる社会の分断化、
その隠した社会に対して助長している、何か自分たちがその社会を作っている一員、
富の集中、また中間層の現象という部分で未許可が進んでいるという部分に
追い込む何か変化をつける意味では、互いに知らない部分を知るということがいかに大事で、
同時にそこに何かパワー、目に見えないパワー、自分たちが納得してしまうものというような
空気はそこに存在している。
話をまとめてふと一言で言うと、
世の空気間は何もなく作り上げられていたものでなく、
そこに関わる人たちが重なり合って、今があるということだ。
誰しもその構成なる一員でもある、責任を許しているということ。
面白い表現がある。
世の空気にしても、その蔓延する話題にしてもそうだ。
虚構、嘘という話も100回言えば本当の話になるという話だ。
そこに人々は惑わされていないか。そんな話だ。
Jさん、ありがとうございます。
人々は様々なカテゴリーにおいて、あるところでは自分が有利な部分に所属することもあれば、
逆に反対の立場に属していることもある。
常々有利な立場にいるというわけではないけれども、
全てのその土台になるものは、一人一人が重なり合ってできたもので、
そこは偶然できたものでなく、
その重なり合い、いわゆる自分自身にも責任があるという、そんな話ですね。
Jさん、乾杯してください。乾杯。
ジャズは昭和。世の何気ない日曜日、不条理を語らう場所。
またより社会を求めてさまよう人。
その願いは誰しも共通であるかもしれない。
戦死の休息、お立ち寄りください。
夕焼け一人きり、この辺りで終わります。
お付き合いしていただきありがとうございます。
次回の番組、お楽しみに。
11:49

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