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望むことと、起こるが起きること
2026-05-24 29:41

望むことと、起こるが起きること


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サマリー

このエピソードでは、話し手が最近感じている「起こるが起きている」という感覚について語っています。以前は「望むこと」について深く考えていた時期がありましたが、マインドフルネスなどを通じて「今」に充足感を感じるようになると、「望む」という行為が「今」を否定するのではないかという疑問が生じました。しかし、最近では、自分が強く望んだというよりは、自然な流れで物事が起こっている感覚が強まっていると言います。これは、「自力を捨てる」「委ねる」「サレンダーする」といった言葉が示す境地に近いのかもしれません。 具体的な例として、あるテーマに関する講義を聞き、そのテーマのスクール開講を知り、応募したところ、偶然にもそのテーマに取り組む知人から共同での取り組みに誘われた経験が語られます。スクール自体には参加できませんでしたが、関心を持ったことが具体的な形で展開していく流れを実感しました。このような出来事は、一つ一つは軽いタッチで起こるものの、深い関心と結びついていると感じています。また、頭で考えるのではなく、体の感覚や心地よさに根を下ろすことで、感情の波に長引かず、新たな流れに導かれる感覚も語られています。全体を通して、強く望むというよりは、軽い気持ちで心が動いたことが自然に実現していく不思議な流れの中にいるという感覚が共有されています。

「望むこと」から「起こるが起きている」への変化
今日は5月24日、日曜日です。
ちょっとまた、私も、なんかこう、最近の気づきじゃないけど、
あのー、喋っておきたいなと思うことがあって、
というかこう、なんか喋ることで、私も整理したいということ柄です。
で、なんかそれが何かというと、まず一言で言うと、
なんかすごく起こるが起きている気がしていて、
どういうことかっていうと、
そう、なんかあの、数ヶ月前まで、
私は結構望むことについて結構、
思いを巡らせていたなぁ、試作してたなぁっていう時期があって、
年明けとか、なんかそれは望むとは何だろう、みたいな。
望むということを、私の自分の中でどういうふうに続けたらいいんだろうか、
っていうことを結構試作してたのね。
それの背景は、なんか結構その、
例えばそのマインドフルネスとか、
マインドフルネス瞑想みたいなものを通じて、
おや、未来や過去に思い悩まなくても、
今ここで割と充足してるじゃないの、みたいなことの、
なんか体で感じる心地よさみたいな、
なんかそういう体感が分かり始めた時に、
なんか今も充足しているのに、
なんかその望むという行為が、
望むという行為が、それは今を否定しているのではないだろうか、
否定しているとも言えるのではないかともすれば。
だけど、それだけではないっていうことも分かっていて、
望むということは、現状否定だけではないっていうこと。
で、それは何だろうっていうことを考えていたという経緯があって、
そう、あったなっていうことを私も今話しながら思い出して。
でも、最近感じているのが、
もはやなんか私が望んだことかもしわからない。
望んでるけども、望んだことが、
なんかかなうというと語弊があるかもしれないけれど、
望んだらすぐかなうみたいなことをよく言ったり、
願ったりするんですけど、我々は。
それを願っているときの思い描いているイメージと近いのかな。
いや、なんか違うかもしれないけど、
それに近いことが起きているのかもっていうふうに思っていて。
何て言うんだろう。
そう、なんか、そのもちろん、
えっと、なんか、
いや、何て言うんだろう。
なんか望むと流れに乗るっていうことが、
なんかあまりにもシームレスに起きている感覚で、
何て言うんだろう。
「自力を捨てる」という概念と最近の体験
確かに望む、私がそれいいな、やってみたいなとか、
欲しいなって望んだことでもあるけども、
なんか、そのふわっとしたきっかけから、
次のなんか展開が早いのかな。
早くて、なんか流れに乗っているような感覚になるというか。
なんか、そういうことあるんだっていう感じなのは、
そうですね、そうなんです。
よく、自力を捨てるっていうことを聞くんですね。
こういう、何て言うんでしょう。
精神世界というか、あるいは意識探求というか、
そういう、そういう界隈と言っていいのかわからないんですけども、
そういう話題とかの文脈の中で、
時折目にする言葉として、
なんかすごく自力を捨てるとか、委ねるとか、
サレンダーするとか、
なんかそういう表現を見かけることがよくあって、
それらは全く同じことを指しているかもしれないし、
ちょっとずつニュアンスが違うこと、
ニュアンスが違うからはそもそも違う言葉であると思うんですけど、
でもすごく通ずるエッセンスというものは、
共通している部分もあるなという言葉です。
自力を捨てる、委ねる、サレンダーするとか。
それらの言葉の示す意味としては、
とにかく自分で、例えば力んでこれをやろうとか、やりたいとか、実現させようとか、
自分の力で無理やりとか、すごくコントロールしてとか、
ある種エゴイスティックに願った願望の実現を、
すごく渇望するみたいな、
そういうものの対局にあるみたいな、
そういうニュアンスだと思うんですけど、
それに近いことが溢れている気がしている、最近。
で、めっちゃ細かいので、
じゃあ具体どういうことがっていう話になった時に、
すごく細かいところから始まって、
細かい動きをしているから、
なんともちょっとなかなか整理して話すということも難しいかもしれないんだけど、
例えば一つ、
年明け仕事を通じてたまたま講義を聞く機会があった、あるテーマがありました。
その講義、そのテーマ、前から聞いていたけれども、
改めて耳講義を聞いた時に、
自分の中ですごく新しい解釈じゃないけど、
改めてこういう意味があるなっていう、
そういう認識が生まれて、改めて素敵だなと思って、
そういう話を講義してくれた方とも話していました。
そうすると、この春にふと開いたSNSで、
その方がそのテーマについてのスクールを開講しますよというふうに募集をされているのを目にしました。
その募集記事を見るまで見て、改めて年明けに聞いた講義というのを思い出して、
そういえばあの時に聞いた講義ですごく私もいいなと思えたんだよねってことを思い出して、
応募をしてみることにしました。
たぶんその募集が始まってすぐ、
本当に三地してたかなどうかなっていうぐらいで、
とりあえず応募してみることにしました。
ただちょっと日程が難しい部分が少しあったりしたので、
ダメ元っていう感じで、
前日程参加できないので、もしもそれで難しかったら大丈夫ですってことを恐れながら応募をしました。
応募をしたら、その翌日ぐらいに出くわした人、
たまたま私が別の用事で行った先で会った人っていうのが、
そのまた2、3日前にもうすでに会ってたんですね。
その時の話とかを世間話というかしてしながら、
この前はどう思うみたいな感じでお話ししてたら、
その人から私がその前日とかに応募しているスクールのテーマ、
そのテーマに関する取り組みを一緒にしませんかっていうふうに声掛けをいただいたんですね。
その後ではすごいと思いながら、
ぜひご縁があったらお願いしますみたいな感じで、また詳細を教えてくださいっていうことで、
一旦家に帰って、
でもすごくタイミングがすごい流れだなっていう、できすぎてるなっていう感じが私もしたので、
帰ってから、実は高校で声掛けてもらったテーマについてのスクールっていうものに、
ちょうど前日、昨日、私も応募したところで、
ちょっと受講ができるかっていうのは未定なんですけども、
実はそういうふうにして、実は関心私もあったんですっていうことをお伝えして、
先方もすごいタイミングですねっていうことで。
で結局そのスクールは日程が合わなかったっていうことで、
今回は参加見合わせ、見送ることになったんですけど、
でもその、何て言うんだろう、
その直近でと年明けに講義を聞いた時に、
やっぱりそのテーマってすごい素敵だな、好きだなって思ったことがすぐ叶ったというか、
もう実際にそれを実践をするという形で叶ったっていうふうにも言えるし、
しかもその関心って別に年明けに初めて思ったわけでもなくて、
やっぱりもっと前からもそういう話を聞くにつけ、
なんかすごく私の関心領域に近いな、なんかそういうの好きだなっていうふうに思ってたから、
その今年の頭に講義聞いた時にも改めて、
いいな、こういう意味合いもあるよな、それって素敵だなって思えたし、
スクールがあるよって言われた時に、いいな、受講したみたいなって思ったから、
なんか望んだは望んだけど、すごい軽い気持ち、
ふといいかもなって感じで募集に応募してたりしてて、
軽いとも言える。
でもその軽いタッチではあるけれども、スパンとしては結構長くて、ある深いとも言える。
タッチは軽いけれども、その興味関心とかっていうものは実はすごく深いところにあったのかもしれない。
っていうのが、ただ表面上私の感覚で行ったことって、
一個一個がめちゃめちゃ軽いタッチだったんですよね。
講義聞いていいなって思って、話してくれた方に感想として伝える。
自分の言葉でまたその時に改めて言語化をする。
それから募集が出たよっていうのを見かけたら、
ダメ元、日程が合わないけどダメ元で応募してみるとか。
あとはたまたま会った知り合いの方に、たまたま世間話してて、
そういうふうにお声掛けいただいたのを、
まだ詳しい詳細聞く前だったけれども、
実は私昨日こういうふうなこと応募してたんですってことをメッセージで送るみたいな。
一個一個はすごい軽いタッチで、
この今流れを話したテーマ以外でもそういうことがすごい起きている。
自覚している自分が自覚しているアクションの強度みたいなものは、
すごく軽かったり小さかったりするけれども、
そういうふわっと思った、やりたいなとかいいなとか興味関心っていうのが、
上手い具合に運ばれていく。
それが実は一個のことだけじゃなくて、
複数のいいなって心が動いたテーマとも結びついていくみたいな。
なんて言うんだろう、なんて言ったらいいのか分からない。
分からないというか、結局話して整理してみようかなと思ったけれども、
あまりまとまってない気もするんだけど、
面白い流れにいるなって思う。
それはなんかちょっと最初の方の話に戻って、
望むと今に満足するみたいな話で言うと、
確かに望んでいるけど、
結構なんか自動で運ばれている感もある。
つまり起こるが起きているという言葉で言われることもあるんだけど、
本当に望んだかって言われるとなんて言うんだろう、
望むって言うほど強くもないというか、
それいいかも、なんかいいかもみたいなぐらいのタッチで心が動いたことっていうのが、
なんかふわふわふわっとやってきているみたいな。
で、それもそんな大きなことじゃないかもしれない。
具体的な出来事と深い関心の結びつき
ここで急に客観性みたいなものを持ち出して、
あえて、世の中の物差しとかをちょっと当ててみたりした時には、
そんな大したものじゃないかもしれない。
すごくささやかだし、何の意味もないかもしれない事柄とも言えるんだけど、
例えば、さっき言ってみた、やってみたかったこととか、
音楽だったりとか、料理とか、あるいは脳ある暮らし的なものとか、
あるいはそれは私の役割みたいなもの。
なんかそう、イメージ、例えば私が社会で担う役割みたいな言葉でイメージする事柄って、
すごく大層なものに思えたりするんだけど、
そういう粒感でもないのね。
今私が起きてるな、かなってるなって思ってる事柄って。
なんだけど、世の中の物差しとか尺度にあっていると、
本当に取るに足らないと思えるような事ではあるんだけれども、
確かに私のどこかが喜んでるなっていうのはわかる。
どこかがすごいワクワクしている気がする。
相対としての私で、私が今意識を、私と思っている意識っていうものがあって、
その意識が知覚できないようなどこかで、知覚しきれないようなどこかの私が、
とってもワクワクしているとか、とっても喜んでいるとか、
そういう感じはする。
だからいいかって思う。
世の中的にすごく取るに足らない事柄であって。
うまく言えないな、言えないなとか、
うまく言えてるかって言われると、
今言える精一杯な気もする。
全然うまく言えてない気もするけど、
でも今言える最善のような気もする。
話はずれるけれども、
なんかやっぱり私は、
自己表現というとあれだけど、
自己開示というのか分からないけれども、
思っていることを何か言葉なり何なりで表現する、
言葉とか文章とかで表現するっていうところに、
何かまだ取っ掛かりというか、ブロックがあるような気がしているけれども、
あるよねっていう感じ。
なんかでも、
なんとなく苦手意識があるような気がしているんだが、
いるんだけれども、
でも、
今日行ってる仕事の業務の中でも、
すっごい苦手だなと思ってたあるタスクっていうのが、
こなしてるうちに、
いけるなって思うこととかあるので、
そう、私はなんか車の運転とかももともとはそうで、
免許取り立ての時は絶対こんな自信ない無理とかって言ってたのが、
全然何とも思わなくなったこととか、
そういうことって他にもいろいろあるなと思うので、
もしかしたら、
この時、何て言うんだろうな、
考えを表現するみたいなことにおいても、
そのうちに急にこなれる可能性はあるけれども、
とりあえず今の私の精一杯は、
今の表現レベルでは、
こういう感じでしか言えないが、
何かすごく不思議な流れの中にいる気がしています。
不思議な流れというか、何て言うんだろう。
自力を超えたところで物事が、
起こる。
それは望んだことが叶うという動きでもそうだし、
望むということにおいても、
自力を超えたところで私は望んでいる気がするみたいな。
そうそう、そういうことかもしれない。
起こり方も不思議なんだけど、
私自身の望み方もすごく不思議。
何か変わってきている気がする。
タッチも軽いし、
何かいいかもみたいな。
うん、何かすごくそうだな。
細かく言うと、
すごい軽い気持ちで心が動いたことを、
すんなりと軽いタッチで小さく行動に移せている、
みたいなことかもしれない。
あの、めっちゃ、
あり程に言うと。
でもそれって今まで考えてやれたことかっていうと、
考えたらやれたかもしれないけれども、
何か今それが考えなしに起きているっていうことの
良さがあるなと思っていて、
特にそんなつもりはないけど、
それができている、それが行われている、
それが起きているみたいな。
何か不思議だなって感じです。
体の感覚と楽になることの重要性
何かこう、体が、
それは、
もう一つ、
仮説というか、
もしかしてそうかもって感じている、
何て言うんだろう。
可能性?
意味付けをできるかもしれないこととしては、
何かこう、体で楽になるっていうこと。
体、体で楽になる。体、体幹で楽に。
何かこう、体にくつろげる。
何て言うんだろう。
身体感覚で感じる心地よさの、
時間と質の深まりなのかな。
何か言って楽になったら、
ざっくり言うと、
ざっくり言うと、何か頭でいろんなことを考えたり、
心配したり、不安になったり、
思い悩んだり、みたいなところを、
ちょっと越えてというか、
ちょっとが静かになったり、
手放せた後、体の楽さみたいなものに、
何かこう、より根を下ろす時間なのか、
あれが増えた後っていうのは、
何かそこがやっぱりゴールではないなって感じがして、
何かその後いろんなことがまた起きるもんだな、みたいな。
で、全然イライラしたり、
あの、めっちゃ、
わーって思ったりとか、
うーって思ったりっていうのがある。
起きている。
それに伴っていろんなことを考えたり悩んだりってことも、
まあ起きてはいる。
でもそれがやっぱり全然、
何て言うんだろう、
今までほど長引かないというか、
気がついて本当に、
わーっと思っても、
移動して車を運転してる時にも忘れちゃう。
家に着いた時にはもうあんまり覚えてないみたいなこととかもあるし、
何かそうなってくると、また新たに開いて、
何て言うんだろう、
起きていく流れもあるなっていう。
何かそれでただ楽になりました。
今に充足しています。
あの特段もう何も望む、
何て言うんだろう、望むこともなく今に満ち足りておりまして、
チーン、みたいな。
なんか静寂の中におりますればもうそれで満足でございまして、
チーン、みたいなこともやっぱないんだな、みたいな。
何か行って楽になったらもうどんどん次は何か車場に、
何かこう、
押し出されるって言うとあれだけども、
やっぱ何か車場に今度導かれるように何かこう、
開いていく、また再接続していくみたいな、
そんな流れが何かこう起こるもんなんだなー、
みたいなことを思ったりして。
とりあえずそんな感じです。
表現への苦手意識と今後の展望
何かそれ、今の何かこの、
何かこうよく分かんない、
どう言っていいのか分かんないみたいな、
この感覚も含めてちょっと今ここ残しとくってことも大事かなと思って、
ちょっと一旦話して。
こんなたどたどしい感じで話してるのが何かもしかしたら何かどこかでまたカチッて流れがはまったら、
急に何かスーパー饒舌の何かペラペラに何か話してるかもしれないし、
ずっとこんな調子かもしれないし。
表現って言っても何て言うんでしょうね、
言語化なのか単純な言語化っていうか何かこう、
いやでもどっちかっていうとやっぱり自己表現とか自己開示とか何か、
表現だな、何か表現っていうところに何かこうちょっと、
何かこうお腹のあたりにズーンってくるようなものがあるので、
何かそういったところを感じながら、
それがいつか解ける日が来るのか来ないのかわかんないけれども、
まあできたらね、でも本当何かもっと軽やかに何か話したり書いたり、
できると楽しいのかもなっていう気もするので、
そうそう、何かそこが気になるってことは何かそこに喜びが本当隠れているのかもなっていう風に体が知ってるからかもしれない、
あの気になるのは。
ズーンとしててもそこなんだよなみたいに何かこう気にかかるっていうのは、
そういう可能性があるかもしれないので、
まあそういったところもねまたじんわり見ながら過ごしていこうかなと思います。
何か一旦今日は望むと起きるについての覚え書き、覚え書き書いてないビブログなのかな、でした。
何か皆さんも何て言うんでしょう、何か皆さんそれぞれの体だったり体の感覚とともに、
死ぬまでこの世で生きていく旅路、まあ死んでからも旅路があるという話もあるんですけれども、
まあでも何かこのせっかく今ここで、もしかしたら袖振り合うもとよく多少の縁で聞いてくださっている方もおられると思うので、
何かそれぞれのこの体や感覚の神経との旅路というものが楽しいもので、
あるように楽しめるように祈っております。
それでは。
29:41

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