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みなさん、こんにちは、こんばんは。yuumichikaです。
ここでは、なんかこう、日本の地方に暮らしながら、なんかわかんないけど、
なんか幸せかもなぁと思いながら暮らしている、なんかそんなことをポツポツお話ししてこうかなと思ってます。
なんとなく最近ですね。
特にこれといって、なんか自分の置かれている状況が大きく変わったりっていうことはないんですけども、
なんかそれでも、こう心持ちみたいなものが、なんか不思議と穏やかかも。
なんかわかんないけど、なんか前より楽かもしんないみたいな。
なんかそういうふうに思えている自分に気づけたような気がしていて、
本当にこの1、2ヶ月かな。
で、なんかこう、ある種の探求の終わりと、また始まりかもしれないなという時期、時間にいる気がしたので、
なんか録っておこうと思いました。
まあね、とはいえ、数年後振り返ってみたら、別に終わってなかったなぁとか、なんか思うかもしれないんですけど、
もしそうであったとしても、今ですね、感じているなんか楽だなぁとか、
特に状況変わってる気はしないけども、
ここ近年でなんか一番穏やかな気がするっていうのは、なんかこうリアルな体感を持って今感じていることかなと思うので、
まあそれはそれで、そうですね、今の自分のリアルな感覚として、
持っててお話ししてもいいのかなと思ってます。
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まあ、ホルモンバランスが年齢によって、私の場合ようやく落ち着いてバランスが取れてきたっていうことなだけかもしれないんですけど、
まあね、それであっても、なんかこう楽だなって思うことには、いいことだなと思うので、
まあそれは、それでもいいかなと思ってます。
ですね、今は。
今日はね、お仕事の日でした。
友達のやってる事業のお手伝いをしてるので、
そこに行って、午前中、昼過ぎくらいまでお仕事して、
帰って、
暑いし、私すごいグリーンカレーが好きなので、
しかもレトルトなんですけど、ヤマモリさんっていうところのレトルトのグリーンカレーが結構好きで、
それのストックがですね、あと1個あったなっていうのをチンして食べて、
で、私カレー食べた後は、なんかこうコーヒー飲みたくなるんで、
でもコーヒーも、まあインスタントだけど入れちゃって、
で、ちょっとまた戸棚のクッキーとかつまんじゃって、
みたいな感じで、もう本当フルコース、最高のお昼ご飯を食べて。
でもですね、ちょっと今日その後だんだんですね、お腹痛くなって、
月例行事なんですけど、私は本当に10代の頃から激重月例行事を毎月毎月してましたので、
それの今月の分が来て、今もちょっと痛み止めを飲んでるって感じなんですけど、
そうなんかでもこの激重月例行事にも、なんかホントこの数ヶ月結構大きな変化があったなと思ってて、
ちょっとそれもまた別でお話できたらなと思うんですけど、
なんかそれからちょっとしばらく横になって、ちょっとうんうんしてたんですけど、
ちょっと楽になったなと思って起き上がって、
ちょっと本を読んでました。
最近買った本で、もともと好きな作家さん、梨木香歩さんの本なんですけども、
その「海うそ」という名前の本を、本当にまだまだ最初の方ちょろちょろっと読んでたんですけど、
なんかすごい良いなぁと思った場所があって。本当にまだ30ページも行ってないんですけど。
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一個は、主人公の方が調査のために身を寄せているおじいさんおばあさんのお家があるんですけども、
そこで滞在中にものすごい雨の日があったそうなんですね。
作中で豪雨が降り出して、調査に出たりということもできないので主人公はその家で過ごしていて、
そこの家主の老夫婦のおばあさんっていうのが、さりげない描写なんですが、
「雨の日なのでこのところ溜まっていたつくろいものをしていて」みたいなことがさらっとだけ書いてあったんですけど、
なんかそこの描写というかそれがすごい良いなぁと思って、
普段は畑とか他にもいろんな世話焼き仕事があるので、
そういうつくろいもの、ちょっとここほころびだなぁとか、ここもうちょっとかがってちょっと強くしておきたいなぁみたいなものとかがあっても、
基本的に晴れているうちは晴れている時にできる仕事をやっておきたいっていうので、
多分そういうつくろいものっていうのは後回しにしておいて、
それをもう天気の都合で、雨が降ったから、
私の家の周りでもおじいちゃんおばあちゃん、雨降り仕事、うちのおばあちゃんもそうよく言ってたんですけど、
雨降り仕事にするわっていう風にして多分やってたんだろうなっていうのが、
なんかそのやる仕事とか今その時自分がやることっていうのが、
天気に左右されるっていうのがなんかすごい豊かに思えたんですよね。
なんかいいな、そういうのみたいな。
なんかそういうの、私多分ちっちゃい時から好きなんだろうなと思って。
ただそこでグッときたっていうことだけなんですけど、
あとですね、船霊さんっていうものが出てきたんですね。
それは船、水の上に浮かべる船に、
玉っていうのは霊魂の霊と書いて船霊さんと出てきたんですけど、
作中の描写では主人公がちょっと小舟かなんかに乗る時に、
またさっきのつくろいもののしてたおばあさんから船霊さんというのが出てきて、
ちゃんと船霊さんに手を合わせるんだよっていうふうに声をかけます。
で、主人公は手を合わせたり拝むのはいいんだけど、
どこにあるんですかっていうことを聞くんですけど、
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おばあさんもそれは分かんないと。
どこにあるかは分かんないけど、ちゃんといるからと。
で、それは船霊さんに手を合わせるんだよっていうふうに声をかけます。
ちゃんといるからと。
で、それは何があるんですかってことをまた主人公が聞くんですけど、
それも分かんないと。
ただ船大工さんは必ず最後船霊さんを入れるということを仕上げにしているし、
そうそう、その船霊さんがどこにあるっていうのはむしろ見つけちゃいけないっていうんですね。
どこにあるかも分かんないし、何がどう作用するかも分かんないじゃないですか。
でもそれを入れておくっていうことが、これはきっとたぶん物語、小説の中にエピソードはあるんですけども、
きっとかつて私たち日本の暮らし、あるいは多分世界のどこにもそういう風習みたいなものはきっとあったんだと思って。
で、その見えないし本当に助けてくれるんかみたいなことを信仰するっていうのかな。
なんかね、でもその行為がすごいいいなって思ったんですよね。
いいなっていう、ばくっとした感じですけど。
もちろんその目に見えない力を信じるっていうことが、いいなポイントとしてあるっていうのもあるんですけど、
その目に見えない力を信じて力を借りようとするっていうことがイコール、
目に見えない力、あるいは運命ですよね。
なんかこう自分を助けてくれる、生かしもすればおそらく殺しもするような、
そういう何か感覚があるんですよね。
運の流れみたいなものがあるっていうことを認めて受け入れて、
そういう目に見えない力を信じて、
そういう何か大きな超自然的な力だったりとか、運の流れみたいなものがあるっていうことを認めて受け入れて、
もしくは諦めるような、諦める?まあそうですね、受け入れるかな。
そういうことの気持ちの表れの行為でもあるような気がしたんですね。
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船霊さんを入れる、どこにあって何なのかもよくわかんない船霊さんに乗るときにお願い、お祈りをするっていうことの行為が。
なんかそれを持ったときに、自分の力ではどうすることもできない、
生きたり亡くなったりっていうことのコントラストが自分の手の届かないところにあって、
ある種決められていて、残酷なほど正確に動いているんだこの世界はっていうのが、
なんかすごい美しく思えたんですよね。
もちろんそれはそれとして家族が元気で長生きしてほしいなとか、
近所のあの人も元気で長生きしてほしいなとか、世界が平和であってほしいな、
つまり生きてほしいっていう祈りの気持ちももちろんあって、
それとこれとは特に私の中では矛盾しないものとしてあるんですけど、
なんかそういう気持ちになってました。
それで思ったのが、船霊さんのところエピソードで感じた、
目に見えない力を借りる、つまりどこにあって何がどう作用するかよくわからない、
超自然的な力を信じるというか、そういったものに委ねるっていうことですかね。
なんかその委ねるっていう態度は、確かに私もこれまでのある意味での探求というか、
そういう楽になったなって冒頭言ったんですけども、
そこに至るまでの自分のいろんな試行錯誤の中に、
そういったような委ねるみたいな態度っていうのは、やっぱりどこかに下敷きにあったような気がして、
それもすごくポイントになったのかなというふうに思っているので、
またこの委ねる心持ちについてもどこかでお話できればいいのかなと思っています。
といったところで、今日はこのくらいにしようと思います。
ではまた次回お会いできること、楽しみにしています。
そうですね、なんか決め台詞とかあってもいいのかなって今急に思って、
何も考えずにとりあえず今しゃべりだしたところだったんですけど、
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でもやっぱりそうですね、今声を聞いてくださっている皆さんの毎日、
明日、むしろ今日が穏やかなものでありますように。
アッパーあげあげが嫌だとかアンチだっていうことではなくてですね、
でもそうですね、しみしみ皆さんにとって幸せを感じられるような
そんな瞬間がたくさんありますように祈っております。
ではまた。