1. シュウとショウの未知の理への道のり
  2. 生きるにだけは「べき」を付け..
2024-08-20 23:19

生きるにだけは「べき」を付けていい~1から10に飛ぶ…

シュウが何か具体的な動きをしようとする時に目標の様なものが出来ることについて

去年までやっていたお米作りについてもそういう風に言えてしまうというシュウに対し

しょーまさんは最低限生きるということに関してだけはべき論があっていいと…


収録日:7月22日


#樋口塾

#シュウとショウの未知の理への道のり

#未知のり


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サマリー

このエピソードでは、シュウさんとショウさんが自己探求の旅を通じて「生きるべき」という命題について議論し、自らの目標設定や生きるための行動を考察しています。お米作りを例に挙げ、自給自足の難しさや周囲との関わりについても触れています。また、数の数え方を通じて、人生における飛び越えの感覚や人間関係の課題を探求しています。特に、目標や生きるべき方向性に関する思考が語られ、シュウさんの体験が中心に描かれています。

未知の理を求めて
シュウとショウの未知の理への道のり
この番組は文字通り、シュウとショウの気が向いた時に、適当に好きなことを話しながら、
未だ知らないことはあり、つまり、未知の理を探していく道のりを描く番組です。
下手をしたら、二人のむちっぷりを探すだけの気のままな旅、ゆるーくお付き合い頂けたら嬉しいです。
前回からの続き
自分が生き延びれるためのお米を自分で作って、それで、あわよくば、それだけでお米だけは、自分が食べる分は全部自分で作る、みたいなことをやろうとしてたわけですよね。できなかったんですけど、そこには満たなかったんですけど。
でもその動きもある意味、そういう目標を立ててそれに向かっていく動きと言えなくはないわけですよね、とか思って。
それに関しては、正直、人間として生まれてきて、他の動物たちもですけど、最低限生きるっていうところは、求めざるを得ないし、
ここだけは僕、べき論があっていいと思うんですよね。
なるほど。
生きるべき。
そういうものだと思うんで、ここでべきって使うのは、そこまで違和感ないかなと。
ここでも、生きたいのほうがしっくり送ると思うんですけど。
そうなんですけどね。
そうだとすると、そこで最低限必要なバランスを保とうとする動きっていうのは、
少なくとも、いろいろ自分と他者っていうのを、最低限、見方次第ですけど、物理的には一つの生命活動を維持してるっていう国の中では分離はしてるわけで、
その中でバランスする、自分という生命活動を維持してる体を保つために必要なことなので、
何かしらそれは、自分の周りに対して、恣意的に何かを働きかけてるわけではないので、何かしらそこに評価とか、
ジャッジみたいなものは出てこないのかなと。出てこないし、何て言ったらいいのかな。乱暴に言うと押し付けみたいなものはないじゃないですか。
自分、そこは自分の中で自分が生きるために何かしらじゃあ必要な分っていう目標があって、それを目指すっていうところに対して、ただ何か周りを巻き込む、もうちょっと自分の外というか、世界全体で見た時に何かを達成したいとかっていう目標。
これこれ自体があるのが悪いとかそういう話ではないんですけど、そういうのがあった時にそれを目指すとなると、周りの人たちに影響を与える。そこに恣意性みたいなものがどうしても出てくるし、
それを達成するために評価するみたいなことが出てきたら、ちょっとそことは少し話が違うのかなとはちょっと思いますね、そのこと自体は。
具体的な動きを僕が何かした方がいいのかなっていうイメージが、ちょっと僕の伝え方が悪かったかもしれないんですけど、
僕が最低限生き延びるための、お米作りじゃないんですけど、自分の中で日々やる動きみたいなのを、
何て言うんですか、またお米作りをできなくなったからお米作りに変わるではないんですけど、僕はお米作りができなくなった時間を全部ポッドキャストに当ててたんですけど、
それも100%賄えないことはわかっているけど、一部何か自分が生き延びるための動きみたいなのを、ポッドキャストのネタとしてっていうとちょっと不自然な感じもするし、
僕もまだちゃんと自信持って言えないところがあるんですけど、難しいな、具体、同じような内容を僕が喋ることになるかもしれないけど、
それにはこういう出来事があったから、それに対してこういうふうに思ったんですよね、みたいなストーリーで話さないとなかなか人に伝わらないなって思ったり、同じ話を本当に抽象的な言語だけで言っていたら、毎回同じ話、ちょっとしたニュアンスとか表現ぐらいは違うかもしれないですけど、
毎回抽象的な同じ話ってなっちゃうと、意味あるかないかわかんないけど、こういう日々の具体的な動きをしている中でこんなことが起こりました、みたいなことが言えるかなと思って何かを始めた方がいいのかな、みたいに思いました、みたいな、そういう感じだったんですよ。
自己探求の旅
なるほど、わかりやすいわかりやすい。ちょっと僕が話してるのと少しずれてますね。
いやいやいや。
なんかしゅうさんが目指す世界に対して、今ちょっといろいろとキャッシュバランスだったり、そういう危機感、生きていくことに対する危機感が出てきている中で、
何か目指すべきことに対して何かこう、もっと具体的に活動していった方がいいんじゃないかとか、そういうとこかなってちょっと思ったんですけど、そういうわけではなくて、
そうですね。
とはいえ本当に全然何にも案がないから、漠然とした中からそれをどう生み出すっていうのがない状態で言っちゃったから多分誤解を生んじゃったのかなと思ったんですけど。
大事大事です。
なるほど。確かにそれはそうですね。ただ、うーん、そういうことか。だからまあなんか具体的な話か。
そういう意味だとやっぱそうかもしれないですね。なんかこう話す内容自体でその世界のしゅうさんが今感じてられる滝壺に向かう船みたいな筑図みたいなのは多分こういろんな流動のスケールであると思うんで、
そこに関して話す中で、毎回結論はそうなるけども、いろんなところでそういうのが見えるっていうのの話がこう蓄積されるほど納得感は増しますよね。
そうなんですよね。
いやだからそれもでも本当にさっきも言ったみたいに具体的な何をやった方がみたいなのがない状態で漠然と出てきてるみたいな感じで、
それこそそのお米を作るみたいなのですら完全に一人で機械を全く使わずにっていうのだともう全然成り立たなかったんですよね。
もう自分が1年間に食べるお米の何分の一分ぐらいだったんだろう。
4分の1までいかないぐらいだったと思うんですよね。
でもわかりやすかったんですよ。お米を作るみたいなことをやるみたいなのは。
僕はこのポッドキャストを始める前からやってたし、実際当時はどっちかというと僕もべき論みたいなところにハマり気味でやってたみたいなところがあったんですけど、
そこがじゃあ本当にお米なのかとか、機械を使わないのが本当に正しいのかとか、
そういうのが全然自分の中で全く正解わかんない中で、何か仮に正解を作って動き始めないといけないみたいなのが、すごいビビリの僕としては動き始めづらいみたいなところがあって。
僕も週報で普段話してるようなこととかを、別番組のご収賞ラジオの方とかでも笑いを交えて話したいみたいなふうにみんなにお願いして一緒に喋ってたりするんですけど、
そこでもちょいちょいやっぱりこう、僕が言ってるアウトプットが先な社会のイメージができないみたいなことをよく言われるんですよね。
僕はあんまりこう、できると思うからやってるっていう感覚じゃないもんで、そこは僕の中ではあんま重要じゃないんだよなーって思いながら、
でもやっぱこう、できるイメージがあってゴールここですみたいに出さないと、みんなだからあんまり話に乗ってくるのも難しかったりするっていうのはあるんだろうなと思って。
その意味では、何かしら自分もそのお米作りの時みたいに全然成り立たなかったけど、目標みたいなのを立ててってやっていった方がいいんだろうなーっていうのはわかるんですけど、
自給自足的な動きで言うと、一人ではもうほぼ成り立たないっていうのが、お米で答えが出ちゃったようなところがあって。
だから僕の動きはすごく空気素敵なんですけど、一人でやってたら、まず僕ですら、こんな風に空気素敵に動いちゃってる僕ですら、全然イメージできないものの中で、
とりあえずは一人であがき始めないといけないんだよなーとか思って、何を足掛かりに考え始めようかなーとか思ってたんですね。
これちょっと話が、接続が難しいかもしれないんですけど、何かの、だいぶ前にテレビで見たっていうだけなんですけど、プロフェッショナルかなんかかな、NHKのプロフェッショナルかなんかだったような気がするんですけど、
子供の特別支援学級かなんかに携わる方だったと思うんですけど、子供に話に食いついてもらうために、あえて自分が間違いを言うみたいなことをされる方、そのエピソードをその番組の中で話されてて、
飛び越えの感覚
たとえば数の数え方を教えてるときに、たとえば時計の文字盤を見ながら数えてっていうふうにその人が子供に対してやってみせるときに、1、2、3、5とか言って、わざと4を飛ばして言うと、子供が違うよ、4だよみたいにして食いついてくるし、そこで覚えていくみたいな動きされてて、
面白い。
で、僕もそれを、なんかできないことはわかってるんだけど、歯抜けなんだけど、こういうイメージで動いてるんですよねってやりたいんですけど、僕の場合はたとえば1から10までだったとしたら、1、10ぐらいな、周りの飛びが多すぎて誰も途中イメージできないみたいな、そんな状態になってんだよなと思って。
なるほどな。
そんな感覚なんですよね。
ただの愚痴なんですけど、これ。
あーでも、それでなるほどなってちょっとでも伝わって嬉しいです、今。
なんとなく伝わりました?
何を難しいと言おうとしてるかっていうのが。
そうなんですよ。
その、うん、確かに、だから。
極めて、極めてしゅうさんがこう、直感タイプだと思うので。
そうなんですよね。
だから、こう、本当にまさに1から10に飛ばれた時に、その間の補助線の経路が見えなさすぎるというか。
極線も、極線も直線もあり得るし、そこの底が見えないから、なかなかその、うん、っていうのは確かに、あの、そうですね、想像し得る。
たぶんこの話、今、僕のつながりの中でわかってくださるのはしょうまさんぐらいなんじゃないかなって思いますね。
目標と生き方の探求
そうっすかね。
いや、わかんないけど。
そうですね。
だからその、集会議とか。
はいはいはい。
がまさになんかその、それを表してるというか。
そうなんですよそうなんですよ。
で、その時に何かしら、そもそもその、またそこの中で、わからないっていうところも、たぶん、あの、あるし、
1番は、あの、みんなしゅうさん好きだから、しゅうさんの身をこう、あの、1番に案じてるんですよね。
はいはい、そうっすね。はい。
そこがあった時に、やっぱり、あの、思考的には、どうやったら、その、あの、まあ、最終的な見据える部分は、その、あの、共通してるかもしれないんですけど、
そこを目指す上での、その、ゴールがそこだとして、その事前目標として、あの、しゅうさんが生きていくにはどうしたらいいかっていうところの方に、たぶん寄っちゃうと思うんですよね。
そうなんですよね、そうなんですよね。
考えが。ただ、しゅうさん的には、そこは、その、たぶんありがたいというふうに思われつつも、そこは、あの、なんというか、もう覚悟してその、空気椅子されてるような感じで、その、もっと先のところで、なんかいろいろ話したりだとか、
っていうところを、たぶん、求められてるのかなぁと。
いう感じは、しますね、なんか。
そうですね、まさにそうなんですよね。
うん。
うん。
そうなんですよね。
いや、やっぱ、うん。
うん。
そこ普通、振り切れないんで、その、自分が生きていけるかどうかっていうのは、その。
はい。
その、だいたい、一番、そのベースで必要な、生命維持っていうか、最低限のその欲求、欲求の5段階のそのラインがあるところで、そこの、そこの自信があるかどうかで心の平成を保てるっていうところが、
あー。
あの、あるから。
はい。
うん。
だから、やっぱまず、まずそこを、そこをどうにかしたい、どうにかしようって思うのが、あの、普通の人だと思うんですよ。
普通、普通じゃないみたいに言ってる。
いやいやいや。
みたいなんですけど。
わかります、わかります。
僕も、僕もそう、僕もそうだから。
うんうんうん。
なかなかそんな、とっぴな、とっぴなことというか、あんまりその、まあその分、その制限されちゃいますけどね、いろいろと。
うんうんうん。
で、うん、だからそこをまず、どうしても、今の社会の前提条件的に現実的にちょっと考えちゃいがちなので。
うんうん。
うん。
ですよね。
うん。
難しいですよね。
でも、なんかをやって、その間の、いきなりこう、1,2,3って順序立てては無理なんですけど、まあ今は1から10に飛んでるんだとしたら、じゃあ間の5ぐらいのところがイメージできるようななんかの動きをしていったらとかは、こう、理論上というか、
理屈上ではそんなことを思うんですけど、
うんうんうん。
実際それはどういう動きなのか、みたいなのが、分からず今喋り始めてるみたいな。
ああ。
そうか。
そうなんですよね。
うん。
うん。
うん。
うん。
すいませんね。
こんな暗中模索に付き合わせてしまって。
いえいえ。
いえいえ。
ほんとどうしたらいいんだろうなあ。
うん。
そうですよね。
次回へ続く。
23:19

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