シュウとショウの未知の理への道のり
シュウとショウの未知の理への道のり
この番組の文字通り、シュウとショウの気が向いた時に
適当に好きなことを話しながら、まだ知らないことは一つ
つまり、未知の理を探していく道のりを描く番組です。
下手をしたら、二人のむちっぷりを探すだけの気のままな旅
ゆるーくお付き合いいただけたら、うれしいです。
前回からの続き
無理だなって、感覚的に思っている
これもアニメとか聞きかじりですけど、分子レベルに分解したとして
高速を超えて、ある領域を超えたら、時間が巻き戻るから
みたいな話を聞いたことがあります
簡単に覆されちゃった
そうなると、僕も確かに分子レベルに分解して、戻るかよみたいな感じで思っていたけど
SFだからな、みたいな感じで思っていましたけど
結局、再構成みたいなところが一番難しい話だなと思う
そしたら、一回分解したやつをそのまま、どんどん速く高速を超えていったら
時間が巻き戻るから、巻き戻って構成が再構成するみたいな
理屈で話されているやつとかがあって、へーみたいな
なるほど、面白いですね
いや、ちょっと参りました
いやいや、それも対して一つの理屈だと思いますけど
なんかしゅうさんがおっしゃってたのを思ってましたというか、分かります、感覚
はいはいはい
理屈であるのは全然良くてというか、発想力で負けましたと思いました
しょうもない、その意識とは何かっていうことが
意識の複製と肉体の複製
そのサマータイムリレンダをきっかけに
ちょっと考えましたね
考えたから、さっきの複製、意識の複製、意識というか肉体の複製という話をされたということなんですね
はい、そうですそうです
なるほど、確かに
それはそれですごい面白い話ですよね
サマータイムリレンダもなるべく見たいと思いながら
実際にはそれが多分なかろうというふうに思ったときに
ちょっと戻らせてもらうと、その議題の話から今日流れてきて
僕が紐付けたいなと思っているのは
その意識みたいなものはコピーはできないし
その日その時に流れてきた分子とか体を構成しているものの組み合わせ
なんで唯一無二だし、二度と来ないというか
いうものなんだよなって思うと
なんかね、僕がこの話をなんで気になって話したいかっていうと
僕の生き方みたいなのに最終的にはつながってきちゃうっていう感覚なんですよ、僕の中では
何にもこだわる必要がないっていうところに最終的には行っちゃうんですね
それを説明するためにこの話をうまくできるようになりたい
って思っていて
なんか前に僕、宝具の話
しょうもさんもそれやりましょうっていうふうにおっしゃってくださった回もあったと思うんですけど
実際に五州賞ラジオの方で大輝くんと
マインドマップを書いたりしながら書き出していって宝具みたいにして作れないかなみたいなことを試した時期があったんですけど
なんか僕の中でそれしっくり来なくなっちゃって
宝具みたいな状態っていうのって仏教で起こった現象を例にとると
仏陀自身は何もしてないですよね、書き残したりとか
だから僕はまだ今の話ですら
探り探り自分でも確認しながらしょうもさんとか大輝くんの力借りながら
輪郭をはっきりさせていくみたいなアプローチを取っているっていう意味で言うと
何かの確信がないから
その意味で言うと少なくとも仏教でいうところの宝具みたいなものを
まだ作る段階にないなと思っちゃったんですよね
直感だけはあるんですけど
確信がないというか
だからそういう輪郭をはっきりさせるみたいなのを楽しく話させて
もらいながらしょうもさんとか大輝くんと
まだそんな段階だなーみたいに思って
マインドマップみたいなのを書き込むのを今はちょっとやめてるんですよね
また再開する可能性はあるけど少なくともやめていて
今日思ったよりも自分の中ではしゃべれたんですけど
手を変え品を変えもっと何か分かりやすく
しょうもさんにはどうしても伝わりやすいし僕も感じ取りやすいから
逆にこれを聞いてる方は何だって思う可能性が高いかなと思っていて
いろんな人に伝わりやすい何かの形をいずれは残したいんですけど
まだまだその手前で今この段階でのこのポッドキャストを聞いても
何のこっちゃっていうどころか聞くに絶えず離脱する人の方が多いだろうなと思いながら
でも自分がそういうなんか宝具みたいなのを作りたくなるような確信を得れるための会話を
今後も続けさせてもらいたいなと思ってる段階だなーって
なんかしみじみ思ってるところなんですよね
なんか今も
あ、ごめんなさい
結局こだわらない?いろいろ
こだわらないみたいなところに繋がるみたいな話されてませんでしたっけ?
はい、しましたしました
確かにそうだなと思って結局
乱暴に言ってしまえば
全部たまたま偶然で奇跡的で
今いる自分これからいる自分も唯一無二なわけで
そこまでマクロで考えると
引いて考えるとですね
本当にいろんな日々の生活の些細なことがちっぽけでしかないから
だから本当に何にもこだわる必要はないというか
ただ楽しく生きられればそれでいいみたいな風にも思いますし
ただやっぱり属性で生きていこうとしたら
それだけじゃ難しいからですね
やっぱりそこのズームインズームアウトというか
どれだけ引いてマクロで見るか
ちょっとズームインして比較で見るかというのが
そこのバランスが必要になってくる
というのはやっぱりありますよね
極端な話も何でもいいどうでもいいみたいに
全部なってしまったら
変な方向に行っちゃわないとも言えないからですね
もう全てのことがくだらないというか
こだわることはないという話になると
それこそ人間としての尊厳だったり
良心だったり
そんなところからも極端なことを言えば
外れかねなくなっちゃうからですね
そういう意味でもどういうところに
意識を向けたらいいかという軸みたいなもの
全部こだわらなくていいというふうな
も含めたところでそういう軸みたいなのを
指し示すそれの媒介になるものが
やっぱり宝具みたいなものだと思うんで
もうちょっと深掘り
深掘り
もうちょっと聞きたい
宝具みたいなもの
媒介になるのか
宝具は媒介だと思っていて
今まで圧縮ファイルだったり
いろんな表現がされてきてますけど
媒介シンボルと言ってもいいと思いますし
一つの形にすることで
それにいろんな意味合いを込めてるわけじゃないですか
意味を
情報としての意味を
そういうのって
ありたい姿だとか
何かしら目指すものがあって
それをそこにずれた時に
そこに戻ってこれるための
寄りどころっていう風なイメージがあるんですよ
なるほど
仏教の教えとか
そういうところを忘れないように
いろんな宝具に意味があって
袈裟とかにしても
石状とかにしても
いろいろそれぞれ意味があって
そこに
気持ちというか心っていうのを
持っていく
何かずれた時に
そうだったそうだったって戻ってくるような
コンパス的な役割があるのかなと
いう風に思ってて
なので
宝具と宝具の意味
僕がもともとそういうのを作りたいと思ったのは
人生の中で
いろいろ問題とかにぶち当たるので
そういう時にこれを思い出したいっていうものを
思い出せるようなシンボルを作りたいっていう風なのが
もともときっかけだったりしますし
それが衆参で言うところの
いろんなことにこだわらなくてよかったり
その
いま衆参が生きようとされているその方向
みたいなものを
ここに
ガードレールじゃないですけど
そこを見失わないための
目印
みたいなイメージで思ってるんですよね
だからそういう意味では
いろんなことにこだわらなくていいっていう風な
とこだけだと
不十分というか
やっぱり
シンボル自身はどうしても抽象的なもの
だから
言葉にせずに形にまで抽象化しているわけじゃないですか
形としては具体度が高いんですけど
意味合いを込めて抽象化しているわけですよね
宝具のですよね
宝具だとか
そういう意味合いを込めて抽象化しているわけですよね
いろんな情報、思いみたいなものを造形として抽象化して
込めるみたいなところがありますよね
だからそういうシンボルみたいなものは
いろいろと
いろいろと
いろいろと
いろいろと
いろいろと
いろいろと
だからそういうシンボルみたいなものは
抽象度が高いわけですけど
だからこそ情報が圧縮されているというか
だからこそ
みんながみんな
うまく回答できるわけじゃないというか
だから
そこの
うまく回答できるための
ガードレールみたいなものは
必要なんじゃないかなとはちょっと思いますね
それが何なのかというか
複数の軸、シンボルみたいなものが
あったほうがいいのか
それが何なのかというのは具体的には分からないんですけど
ただかなり抽象化したシンボルが一つだけあっても
そのコンパスをコンパスとして
扱える人とそうでない人が出てきそうだなみたいな
僕はまだ
僕の中からそういうシンボルになれるものが
作り出せる状態にないなっていう話はさっき言った通りなんですけど
これ一回
なっちさんとか伊沢さんとか大輝君と一緒に
5人で宗宝のほうでお話した回で
僕が
ここ時代の
僕が
僕が
高校時代の
友達
に
誘われてというかその子自体が
その子の家族が
日蓮松州
に
属していてというか
何だろう
在家で
これ表現分かんないな
経営してるんですかね分かんない
分かんないですけど
それに誘われて行ったんですけど
そこでもう本当にここで
その
なんていう言い方だったかな
もう忘れちゃいました
何かを唱えることそこの日蓮松州内での何かを
唱える
土俵とかじゃなくて
いや土俵と同じ意味だと思うんですけど何か違う言い方してる
でもなかったな
ごめんなさいでも忘れちゃったんですけど
そこでの特殊な言い方だったと思うんですけど
まあだからそれだけがもう
宇宙の中にある唯一の真理で答えですみたいな
表現されてめちゃくちゃ違和感あった
話をしたことがあるんですけど
だから
松間さんがその宝具
があったらいいなって思われてるイメージ
のその根っこにあるところ
は何かというとこはまだ発見されてないんですけど
宝具があったらいいなって思われてるイメージ
その根っこにあるところ
は何かというとこはまだはっきりわかってないんですけど
自分はその意味では
どうなんでしょうねその
僕自身が何か宝具みたいなものを
世に出せるとして出せたとしたらって考えた時に
それはやっぱ
なんか回答する方法を
明確に
出すしとかないと
なんかあれだなぁみたいな感じがありましたねその日蓮正宗の
例で言うと
いやなんかねやらないとわからないという話だったんですよ
そうですね大体
そうなんですよ
出口とか言ったらあれですけどなんか言い方悪い
わかるんですけどね
とりあえずこの
思考させないようにしてんじゃないかみたいにちょっと
思っちゃうちょっと構造があるからですね
違うんだと思うんですけどね
その友達のことも
そこ自身はですね
まず知ることが大事っていう風な
ところだったと思うんですけどね
いろいろあんまりちょっと滅多なこと言えないですけど
まあまあそうですね
なんか
うん
でまぁ
でも
いろいろ考えるにその
回答の
仕方を
わかってるから
圧縮できるというか
うん
だから圧縮する
人は
圧縮できるがより回答できるから
シンボルとして成り立つわけですよね
なんていうか
宝具として意味を出すというか
だから
それがどういう風な
圧縮をされてるかっていうところを
解くのが
いわゆる仏教とかで言ったら説教とか説法とか
やっぱそういう
活動になるのかなと思いますけどね
なるほど
だから
どういう風に
イッシュと宗教
圧縮されてるのかっていうのを理解する活動みたいなものを
やっていくっていうところが
大事だったりするのかもしれないんですけど
だからそれは
イッシュそこの圧縮ファイルみたいなものを
中山が
作り上げられるとするなら
そこの圧縮ファイルを見て
みんながそれぞれ
回答してコンパスのように扱えるような
教えみたいな
ものに
一致するものが
宗教だと思いますけどね
そうですね
だからそんな
そんな感じでいいんじゃないかなと
思いますね
なるほど
では
次は
そんな感じでいいんじゃないかなと
そうですね
その意味では
その意味ではじゃないかもしれないな
何にもこだわらなくていいっていう
ところだけでいくと
どっちにも取れてしまう
それに限らないんですけどね
全ての言葉は
どっちにでも取れてしまう
って僕は最近は思ってるんですけど
それを
どっちに取るかは
結果的に
その人が
結局好き嫌いで決めるよな
ても僕も思っていて
今日序盤から
はいはい
でもしゅうさんが
伝えたい
こと
みたいな
ところから
好き嫌いでそれが
別の伝わり方を
するっていうのはしょうがないっていう風な
多分スタンスだと思うんですけど
結局そこが
しゅうさんが伝えたい形で
ちゃんと
伝わるか
っていうのは
しゅうさんの話聞いて
しゅうさんが
どういう風に
思ってる
こだわらなくていい
何もこだわらなくていいっていうのが
極端な話
別に本当に
どうなってもいいとか
何も考えなくていいとか
何したっていいみたいな
そんなことを
しゅうさんが言ってるみたいな風に
感じないじゃないですか
我々というか
知ってる人たちは
知ってくれてる人はですよね
だから
そこ
それが全て
ですよね
それは全てというか
それでそういう風に
何が言いたいんだっけ
なんでしょうね
今日その擬態から始まって
突然変異だったりとかいうのが
本当に完全に偶然だとして
意識っていうものが単体で
肉体の外部にあるもんではない気がしていて
みたいな話から
僕は
全部そういう
奇跡的な偶然だから
あまりこだわらなくていい
そういう文脈で言う
あまりこだわらなくていい
だからそれですら
圧縮ファイルと回答
全部程度問題だから
あまりっていうのがついちゃうわけですよね
僕の中では
そこのニュアンスがうまく伝わるかどうかっていうのは
やっぱりしゅうさんの
直接お話聞いて
受け取れるかどうかっていうところなんで
だからそのしゅうさんが言っていることを
心に留めときたいなっていう人たちは
そういう圧縮ファイルを
持っておけばいいわけですし
そういう人たちっていうのは
自然と解答法は分かっているというか
それでいいんでしょうね
そういう人たちは
自然と解答法は分かっているというか
いいんでしょうね
そうですね
イメージとして
宝具みたいなものに対する憧れが
今でもまだありますけど
分かります分かります
なんとなく今
僕も作りたいと思いますもん
本当ですか
うん
ただ今は
今日しゃべっていく中での感覚としては
何か作ったとしても
結局その宝具として扱うその人
自身の好みで
その人の好きな宝具
もし何か形があった形なり
文章があったとしても
結果的にその人の認識に委ねられるんだよな
って思うと
それができるできないは
そこまで重要じゃないような気も
してきたかなとか
思い始めちゃった
細かい
本当に細かいところは
そうなのかなと思いますけど
軸
軸の部分
みたいなのは
ある程度
伝わってないと
不本意な
ところ
不本意なものが伝わる
っていうことは
何かちょっと違うような気はするので
なるほど
そこに関してはやっぱ
その手法とかいろんなところでの
発信で
いわゆる
回答の拠り所になる
前提知識というか
そういう
先行で入ってくる情報
必要な情報とかっていうようなのの方向
手法の
配信をもって
養ってもらうというか
養ってもらうという言い方はちょっとあれですけど
いやいや
先行っていうのは選ぶの先行ですかね
先に行くですね
あー先に行くか
いわゆるその
前提
前提
って言ったほうがいいですかね
何かしら圧縮
ファイルを回答する過程に
共通の
前提知識というか
前提がいる
っていう話をしたじゃないですか
この前
はいはいはい
その回答のためのルールみたいな
回答の時
はい
そういう回答のためのルールに
類するような
ものっていうのを
手法で感じ取って
言ってもらえてれば
大丈夫なんじゃないかなっていうのを
思いますよね
そうですね
何か僕自身がそれを
割と自在に
言語化なり
言語じゃないにしても
自分の言語を
自分の言語を
自分の言語を
言語じゃないにしても
自分の中では少なくとも
頭の中がすっきり
思考として整理されている状態になったら
そういう宝具と呼んでも
差し支えないような
もうちょっと今より
しっかりしたものになっていきそうな
気がするんです
目指すとしたら
そこかなというふうに今思いましたね
そういう意味での宝具を作りたいっていう
言い方にできるような
そういうところを
欲してるのかなって思いましたね
宝具と解像度
だから
結局は
やることは同じ
っていう感じですね
同じ話かもしれないけど
その確信度合いを深めていきたいっていう
感覚がありますね
今のところ
僕的にはそれは
自分一人で話すことも
もちろんそうなんですけど
松本さんとか大輝くんとか
他にもいろんな人と
話していく中で
くっきりしていってる感は
ちょっとあるので
そう思いましたね
本当なんか
自分の
この性格上の
ビビリだから
松本さんとか大輝くんとか
話しやすい人と
どうしても話す中で
今は
やっと話せる
やっとじゃないけど
話せるっていうところはあるんですけど
真逆のところに
意見というか
真逆の考え方をしてる人の方が
よりくっきりするみたいなことも
結構あんだなっていうのは
最近
思ってますね
前からちょっと思ってたことでもあるけど
だからこういう機会を
すごい増やしていくっていうのを
僕的には
思ってますね
今日ちょっと
ほぼほぼ終報
でしたね
今さらですけど
そうですね
いいよ
今日はそんな感じかな
ちょっと本当に
自分の話したいことだけに
終始しちゃって
申し訳ない
今頃になってあれですけど
大丈夫ですよ
全然話したいこと話せました
あー本当ですか
と思います
話せたのかどうかは
はてなんですけど
ちゃんと話せた
話せた
話せた
ちゃんと話せたのかはてなんですけど
いやいやいや
でもなんか
同じことを話すかもしれないですけど
これからも
なんか解像度を上げていきたいっていう話を
ちょっと前に
終章の収録をして
話したんですよ
ちょっと文脈違うかもしれないけど
なんか僕そんな感覚があるもんで
松本さんも
なんか同じ話であっても
もう一回
話すみたいなこと
僕聞きたいです
そのさっきの
えーと瞬間移動
じゃなくて瞬間コピー
みたいな意識の
サマータイムリレンダの話のところも
前に一回聞いてたけど
多分松本さんがなんでそれを話したかったのかって
受け取りきれてなかったなって今日思ったんで
同じ話であってもしてもらえると
嬉しいなと思います僕は個人的に
ありがとうございます
あーいやいや
そんなとこでまた今後も
同じ話が現れるかもしれないですけど
新しく聞いてくれる方も
いるかもしれないし
解像度が上がるかもしれないっていうところで
今後も
僕らの都合を
ゆっくりと
続けていけたら
嬉しいなっていう風に思ってるんで
松本さんも
リスナーの方々もよろしくお願いします
今後とも
よろしくお願いします
はーい
じゃあ今日はそんな感じで
終わりにしようと思います
今日もありがとうございました
松本さん
ありがとうございました
またお願いします
はーい
ありがとうございました