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2024-02-20 26:24

vol.058「私たちはつながりをどのようにつなげるのか?❷」康太郎雑技団チャンネル

今回も、NaotoさんとMayukoさんとでつながりにつついて語りあいました。前回からの続きで更に繋がりについて深く語り合いました。

サマリー

康太郎雑技団チャンネルは、つくるをテーマにしています。空間と時間を共にした仲間たちが、それぞれの持つ技を対話を通じて共有し、次のつくりを実現しています。最初に出会った話から始まり、弱いつながりや親ガチャの哲学について話しています。どのようにつながりを深めるか、そのためには時間や環境の変化、そして新しい挑戦が不可欠であると述べられています。

00:06
はい、康太郎雑技団チャンネル始まりました。このチャンネルは、つくるをテーマに、空間と時間を共にした仲間が、それぞれが持つ発行させた技を、対話を通して、さらに次のつくるを実現する番組です。
皆さん、こんにちは、こんばんは、康太です。今日もよろしくお願いします。
今日はですね、このお二人にお越しいただきました。
なおとさん、よろしくお願いします。
なおとです、よろしくお願いします。
そして、まゆこさん、よろしくお願いします。
まゆこです、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
今回のテーマは、つながるをテーマに話をしていきたいなということを、先ほどまで話をしていたんですけれども、
初めて出会った話
どうでしたかね、お二人が初めて出会ったのは、どんな感じの話だったんでしたっけ?
あれは、暑い夏の日でした。
そうでしたね。場所はどこでしたっけ?
階段みたいな。
場所は、青山ブックセンター?
ブックセンターですね。
青山は霊園ではないですね。
霊園じゃないでしょ。霊園ではなかった。
そこで、なおとさんがまゆこさんに声をかけたというふうな感じで。
で、まゆこさんがあわけに入ってきていただいたというような話だったんですけど、
前回はそんなような話と、人とのつながりの広げ方と、
あと思いかけない出会いだったりとか、あの出会いがあったからこそ今があるみたいな話で終わったかなというふうに思うんですけど、
なおとさんの方から、もうちょっと話したいよねみたいなところがあったんで、今回も同じテーマで話ができればなというふうに思うんですけれども。
はい。
第2回のつながりということですね。
第2回ということでよろしくお願いします。
弱いつながりと親ガチャの哲学
1回目の後半にちょっとちらとワードだけ挟んだ、6時の隔たりって言葉がありますよね。
ネットワーク理論とか言われると思うんですけど、世界中の人を6人に返せばみんなつながってるんだみたいな。
そんなことも意識しながらの、多くの投入であったり、
あるいはなんかこう弱いつながりっていうエピソード、リワードも後田さんからだと思うんですけど、
そこで思い返すのは、あずまひろきさんが書いてる、まさに弱いつながり、サブタイトルに検索ワードを探すタイミング的な書籍があったりして、
そんなことも頭の中で連想つながりを持たせながら話したそんな回でした。
なるほど。ちょっと弱いつながりみたいなところから話しますか。
僕あの本ね、積まれていてまだ読んでないんですけどね。買うには買ったんですけど。
弱いつながりね。僕は弱さ最高って自己紹介でも書いてるぐらいなんですけれど、
なんかこう強いつながりを、前もこの場で雑魚さんチャンネルで話したかもしれないですけども、
家族とか会社の人とかっていうのはなんか強いつながりのような気がしていて、僕の中の整理はそれで、
それとはまた違うところの人とのつながりの、なぜ弱いかっていうと、
常に一緒ではないし常にいるものではないんだけれども、ある種のかつながって、
それが細く長く続くというか、すぐ切れることはないっていう感じなんですけど、
なんかこうしっかりとつながってはいるっていう感覚ではあるんですよね。
それが意外と心地よかったりとか、あとなんか強いつながりだと僕は常に勘違いしてしまうんですけど、
特に家族とかだと言わなくても分かってよみたいな、いうような感じがあるので、
僕自身のその対応がこう雑になってるかを反省しつつも、なんかそういうのを期待しちゃってるんだけど、
弱いつながりはそういうのがこう、僕自身もちゃんと関わるんだけど、丁寧に対応するんだけど、
なんかもっと言ったらこう、よくわからないからこそ面白いみたいな、
わからない、普段のことをよくわかってないからこそ、
普段どういうことを考えてるんだろうかみたいなところを知りたくなるのが、
弱いつながりかなと思ったりとかしますけどね。
イントロ的に紹介するとまさにそういう話が述べられているのが、この本の始めにでして。
へー。
とあるアメリカの社会学者がボストンで調査を行ったときに、
多くの人が人と人とのつながりを用いて職を埋めつけているが、
高い満足度を得ているのは職場の上司とか親戚ではなくて、
たまたまパーティーで知り合ったみたいな、
そういう人からの紹介をきっかけに転職した人の方だっていう話があるんですね。
なんかアバケもまさに弱いつながりな気がしていて、
それは弱いつながりなりの強さっていうのがあるんですけど、
数々の活動を通して、自分が知らない言葉、本とか作品とかを知ることがあって、
まさに検索ワードをそこから得ているような感覚があるなと思って、
今の小田さんの話を聞いていました。
なるほど。これもあるな。
真由子さんいかがですか?
聞いていてすごい面白いなと思う。
弱いつながりってすごい、私の感覚なんですけど、
広い、広いなと思う。
強いつながりってイメージ、近いから強いじゃないけど、
なんかそういうのもあるんですかなと思う。
密度が高いみたいな。
本当にそういうイメージで。
だから仕事とかも同じことと同じ専門でやってたら、
多分共通認識とか共通の言語もいっぱいあるから、
密度も狭く専門的な話だと難しい話しかしないかもしれないんですけど、
そこが広がっていくこともあると思うんですけど、
弱いつながりって常に一緒にいるわけじゃないからこその広い世界がイメージ。
イメージとなりました。
その方のお話とか太田さんの話、すごいなと思う。
すごいなって感じました。
そうなんですよね。
なんか不思議だなと思ってるのと、
僕はそういう人たちからいろんなことを教わっているし、
いろんな情報の提供を受け取ったりとかしている感じがするな
っていうふうに思うんですよね。
その強いつながりの中だと、見ることができない世界を見せてもらってるというか。
その感覚わかりますね。
知らないと、知らない角度で見ているみたいな。
角度で見せてもらっているとか、そうなんですよね。
あと知らないことを知らないと言ってもいい心地よさみたいなのが、
茶道の中でもあるなって思うんです。
例えば会社とかだと年次が上がるにつれて、
時代に仕事は覚えていくものだみたいに、
いろんなプレッシャーがあるのかもしれないけど、
いざそれが関係ない習い事の世界、しかも道の世界と言ってみると、
本当に最初わからないことばっかなんですよ。
何から何まで注意される?何から何までわからない?みたいな。
でもそのわからなさ、ままならなさが楽しいって思った体験はあった気がします。
具体的に何かあるんですか?茶道の中で。
立ち上がる作法、座る作法、物を運ぶ作法。
一個一個とっても順番とか出す足、右なのか左なのか分からなかったりするわけです。
それを先生にそうじゃないとか、そこはこっちかなみたいなことを
怒られるわけですよ。怒られるというか指摘されるわけです。
それでももちろんシューンとへこぶわけではなく、
ははは間違えちまったみたいなぐらいのノリで、
この弱さが許容されてるみたいな、
よりかんだからこそなのかもしれないですけど、
そんな感覚ですかね。
なるほど、そうか。
でもそういうのはあるかもしれないですよね。
許されるというか、失敗もそうだし、
で、あとフラットにフィードバックくれるっていうのはありがたいですよね。
利害関係がないフィードバックみたいなのはありがたいというか、
いいのはありますかね。
さっき直人さんがちょっと、
このつながりで話をしてみたいとかって言ってたのっていうのは、
どのあたりであるんですか。他に。
個人の心の世界と共有する喜び
このテーマと、あとちょっと、
真面目よりの話になっちゃうかもしれないんですけど、
最近アメリカの哲学者のリチャード・ローティって人が
個人的ブームなんです。
なんかいろんなところで最近名前を聞くなと思っていて、
ひとつは哲学者の豊博さんが出版した
親ガチャの哲学。
という本が後半に出てきたりとか、
あるいは、この2024年2月のNHKの100分で名著で取り上げられているのが、
ローティさんの偶然性アイロニー連体っていうタイトルの本なんですね。
この3つ目の要素である連体っていうのがまさに、
つながりともつながるキーワード。
連体?
はい。
連体か。
つまり親ガチャの哲学の中では、
親ガチャっていう境遇に苦しんでいる人たちっていうのは
一定数のこの世の中にいるわけで、
それに対してどのような救済とか、
そういう意味で差し伸べられるかって考えているときに、
親さん自身は対話の場を喪失することが
肝なんじゃないかって言うんですね。
誰にも言えない苦しみとかを抱えている人が
それを誰かと共有できる場であったり、
それが共有されれば人とのつながりっていうのが
キーワードになるんじゃないかって書かれていると
私は理解しているんです。
そこら辺のキーワードが気になっていた次第です。
それって…
どうぞどうぞ。
人とのつながり、確かに今すごく
いろんな形での人とのつながりがあるけれども、
そういうのって本当に今求められたりするんだなって思うと
子どもの居場所じゃないですけど、
子ども食堂とかもすごく来ている方だったりとか
活動されている人も多いなって思うと、
そういうつながりをつくる場所だったりとか
コミュニティとかっていうのもすごくいろんな種類が
たくさん今あるんだなっていうのは
ちょっと思い浮かんで求められてたりもするんだな
っていうふうには思いますね。
なんかこう、さっきの直人さんの話もそうですけど
僕は対話っていう言葉が気になっているんですけれど、
その手前にあるなぜそれが大切なのかみたいなところになると
なんかすごくこう、子であれみたいな
個人であれみたいなところだったり
なんかこう遊びも
昔はみんなで一緒にゲームやろう
まあ今もゲームはやるのか
だけどなんか、なんていうのかな
電車に乗ってもみんな携帯電話いじりながら
ゲームやったりとかして
その個人の心の世界に入っちゃってることが
多いじゃないですか
それこそSNSを見ながら刺激を受けて
誰かにそれをこう
まあ話す人もいるのかもしれないけれど
それを閉じ込めちゃって
自分一人で吸収するみたいな感じになっているような気がしていて
僕はそれはあんまり心地よくなくて
なんか共有したいんだけど
共有する人も
なんていうのかな
共有するんだけど
なんとなくこれ共有していいんだろうかみたいな
言っていいんだろうかみたいなところも
つながりを作る環境の作り方
思っちゃったりとかして
遠慮になって
共有できないみたいな
っていう人が多いんじゃないかなって
今ちょっと思ったりとかしていて
だからこそなんかこう
関係のない弱いつながりの人同士で
ちょっともやっとしてるんですけれど
どうですか
ああそれ
僕ももやってたんですよ
引っかかってたんですよみたいなのが
意外と対話の中で生まれるから
対話が大切みたいな話になったのかなって勝手に
自分の経験というよりも今なんかこう
考えの中でそういうふうに整理されたみたいなところがありますね
そうそうそうそう
さっきちょっとこの話の中で
ドミニクチェンさんの発行デザインのワークショップに出た時に
最終日
便利だと一人ぼっちになる
不便だと仲間が増えるっていう言葉をもらったんですよ
便利だと一人ぼっちになる
さっき話をしたような
携帯電話ってすごい便利じゃないですか
SNSもできるし写真も撮れるしみたいな
いろんなものがそこに集約されている
だけどだから一人で何でもできる
不便だと
依存というかお願いをしたりとか
相談をしたりとかするから
仲間が増えるみたいなところが
まさにドミニクさんのぬかボットってそういうところですよね
もしかしたら自動で書きますみたいなところまで
使い換えできるのかもしれないけど
ぬかボットはそこまでやらず
混ぜてねみたいなメッセージを出してくる
ところに留まっている
そうそうそうそう
その支援者があるからこそ
ちゃんとそこに人の手が入ってきて
混ぜてみたいな
そこに仲間が寄ってくる
いう話だったのかなと
そうなんですよね
だから本当はそういう仲間が
つながっていくのは求めているんだけれども
世の中がどんどん便利になっていくがゆえに
なんとなくそういうのを求めてはならんよみたいな
一人でやろうねみたいな
自己責任だよみたいな
求めているものと流れているものが
ちょっと一致していない感じは
今話をしながら思いましたね
面白いですね
それを聞いて
すごい完璧便利だとか
なんかこう一人になってしまうとか
やっぱちょっとこう
それをやることで不便だったりとか
できないことがあることで
つながりがなっていくんだなって
コミュニケーションが生まれて
対話が生まれて
つながりができて
ちょっとしたきっかけがあるだけで
つながっていくんだなって
そうなんですよね
まさに
ハッと気づかされたところであったんですよね
便利だと一人ぼっちになると
不便だと仲間が増えるっていうのが
極論言うと
仲間を増やしたければ
不便になっていった方がいいんでしょうね
そうですね
そしたらなんかいっぱい仲間が増えて
そう
だからやったことないことにチャレンジすると
なるほど
不便さが出てくるから仲間が増えてみたいな
っていうのもあったりするのかなって
環境を変えてみるとか
時間をかけてつながりを深める
新しいものに挑戦してみる
そうそう
慣れ親しんだ言語を離れて
違う別の言葉で書いてみるとか
そこにもつながりますね
だから前回の真役さんの話でいくと
直感で新しいところに飛び込んでみるっていうのも
ある種
便利じゃないところに身を置こうとして
そこでまた広がりが
仲間が増えていくというか
初めてなんですどうも初めまして
みたいなところから走って
これどうすればいいんですかねみたいな
いうような会話がそこから生まれて
仲間が増えていくみたいなのがあるのは
結構あるなと思ったりしましたけどね
そうですね
それは一番ありますよね
できないことが弱みなのではなく
できないことを活かしながら
つながっていけるとかも
よくあるのかなと思って
社会人1年目とか
新しい職場とかって
できないからとかっていうよりも
きっと今までのことを活かして
そこでも何もつながっていけるかな
とりあえず
すべてをマイナスにしないで
いい方向に行けるのかな
そうですよね
できなかったときは
仲間が増えるチャンスだと思っても
いいかもしれないですね
元気になれますね
できないからダメだじゃなくて
できないみたいな
これはチャンスだみたいな
助けてくださいみたいな
叫ぶしかないですね
助けてください
そこで思うのが
どうやったらそういう関係性
環境を作れるんだろうかっていうのも
あるんですよね
最初コウタさんの話の中で
ちょっと印象的だったのが
これここで言っていいんだろうか
みたいに思うことがある
その感覚分かるなと思っていて
それがどういう場だったら言えるのか
どうしたら言える場に
変わっていくのかっていうところ
答えのない大きな問いを
投げ込んでしまった
難しいな
そうですよね
それこそ決まった答えは
ないような気がしますけどね
自分次第のような気もするし
自分だけじゃ
どうしようもならないような気もするっていう
感じしますけどね
そういう環境になるのかっていうと
確かに
そういうのは時間がかかるイメージが
すごくあります
哲学の使命と会話の継続
自分が
人の気持ちが関わる部分だと思うので
カチッとルールでこうでこうでこうで
こうしまわしちゃいましょうとか
気持ちが納得しないから
やっぱり言えないという話だけど
時間かけてそれが構築されて
何か土台ができたら言えるようになっていったな
みたいな
だからそれこそ病愛と繋がりが
すごく大事だと思うんです
だからそれこそ病愛と繋がりが
緩く長く拘束できるようになって
バーンと最初の話で戻る
と思いました
何かこういう時間があること
確かに
普段考えないですからねこういうのって
そんな感じでちょうど30分ぐらい
経ちますけれども
話し残してることはないですか
2回目なんか私からテーマ投げ込みすぎてしまった気がしていて
真由子さん聴覚不良とか大丈夫ですか
全然ですよ全然なんか面白かったです
本当ですか
でも最後の
直人さんのどうしたらそういう環境に
巡り合えるのか作れるのかっていうのは
大きな問いはちょっとスパンと回答は
ないですけど
でも真由子さんが言ってたさっきの
時間の話は出てくるかもしれないですね
時間をかけてみたいなところは
この問いはまさに
2月これからの放送の100分のイメージに
託したいなと思うんですけど
なるほど
したら表紙に終わりなき議論こそ
哲学が報わべき希望である
あるいは1番に向けたところには
哲学の使命は会話を継続させること
まさに最後真由子さんがおっしゃったような
時間軸の長さに大切だよみたいなのが
現れている文章があるなと思っていて
今後の放送を楽しむ
僕は見ていきたいと思います
なるほど
ちょっとまたこの3人で哲学対話でも
しましょうか
面白いかもしれない
やりましょう
ではそういう感じで
今回は終了したいと思います
どうもありがとうございました
ありがとうございます
26:24

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