遺書を書く経緯
こんにちは、未知花です。今ですね、夕飯の支度をしながらちょっと撮って見てるんですけど、スタッフで色々喋りたいことがいっぱいあるんですけどね。
子供たちが相次いで風邪をひいちゃったりとか、あとは夫が自宅に結構仕事の後、早めに早めに帰ってきて、帰ってきてから在宅ワークみたいな感じで、
寝たりとかして、なかなかまともって書く時間がなくてですね、完全燃焼というか、色々話したいことがあるんだけどなぁと思いながら、時間が経っちゃってですね、そんな感じで過ごしています。
台風が来ますね。大きな被害とかないといいんですけど、みなさんいかがお過ごしでしょうか。
今日はイヤホンを持ってですね、しゃべっているので、もし聞こえづらかったらちょっとごめんなさいって感じなんですけど、タイトルの通りですね、昨日思いつきで夫に遺書を書いてみたんですよ。
そういうのも、私今ノートを書いてるんですね、毎日。これはですね、井原氏みしこさんがノート書きまくる会っていうのを開催されていて、私もそこに入っていて、2ヶ月間お世話になるんですけど、そこで感謝ワークを毎日やってみようねということで、本のお題に沿ってやってということを2ヶ月間やるんですけど、
それだけではなくて、日々自分が感じたことっていうのをちゃんと感じ切るためにノートを書くのねっていうことを、いずれにしこさんから教わっていて、その通りに毎日書いているということを私はしてるんですね。
で、昨日ちょっと夫に対してすごい腹が立ったこともあって、私にとっては珍しくですね、夫にブチ切れたんですよ。本当に今までにないんじゃないかぐらいの勢いで私すごい懸幕で、すごい懸幕って言っても私が怒ってもたいした懸幕にはならないんですけど、ガチ切れしたんですね。
でも初めてなんじゃないかぐらい、昨日初めて夫に謝らせたっていうことがあったんですよ。それでなんかすごい、それ昨日の夜の話なんですけど、なんかあ、夫が謝っちゃうみたいなのがなんか自分でもちょっとびっくりで、なんか自分の中でなんだろう、あ、やっと言えたっていう達成感というかなんだろう、ぶーっと心に溜まってたもの?
あ、ようやく諦めたぞっていう何か、何だろう、この言えも言われぬ感覚になったんですよね。で、本当に言いたいこと差し分けて謝らせて、やった後に言った通りですね、また授業終えて寝室に行ったんですけど、寝室、今私夫と別に寝ているので、娘が寝てる部屋に、
フミコでですね、机があるんで、そこでノート広げたらですね、なんかなんだろう、例えば本当に言ってないことというか、言いたいけど言えてないこととか、あとなんか死ぬまでにはせめて言いたいなってこととか、あとなんだろう、私がもし先に死んだら、私がこう思ってたんだよってことを、なんかあれこれ全部知ってほしいなとか、
なんかいろいろですね、思いが積み上げてきたんですね。で、広げていたノート、フミコで感想書きもしてたんですけど、そこでちょっと夫のこと書いてみようかなというふうに思い立って、それがせっかくなら私が先に死んじゃってたとして、そのノートを夫が私が亡くなった後に見たらっていう設定にして書いてみたんですよ。
どっちにしてもですね、遺言書みたいなものってね、あったらあった方がいいのかなというふうに思ってたので、そういうふうに思ってたっていう一冊もあるんですけど、とにかく今回は以上。
感情の整理
まああれですよね、残された家族に対するメッセージみたいな感じで残そうというふうに思って、昨日は夫、対夫ですね、夫向けに絞って書き始めたんです。そしたらですね。
まあ困んないの?永遠に書けちゃうんじゃないかぐらい、すごい書けたんですよね。で、それが書き始めたらですね、あ、なんか私こんなふうに思ってたんだみたいな、自分でもあんまり自覚してなかったことみたいなことも出てきたりしてですね、なんか結構自分の気持ちを内観する、いい時間になったなというふうに思うし、やっぱり書いてすっきりしたっていう気持ちもあって、
すごく昨日はそれ書いた後、寝入りが良かったなというふうに思います。
ちなみに言うとですね、本のノートの大きさにもよりますけど、英語かな?英語サイズだな。B5かな?のサイズで、そこそこ小っちゃい字で書いてるんですけど、3ページかな?
3ページ書いたところで、多分3、40分経ってて、結局眠かったし、それ書いてたら11時半ぐらいから書き始めたんですけど、日付越えちゃったんですよね。
さすがに翌日に試書が出るなっていうふうに思って、途中で書くのやめて、これはまだ続きを書こうっていうふうに思ってるんですけど、だから3ページたっぷり書いてもまだね、入れないですよね。
もうすぐ私、結婚記念日は今月だから、結婚が丸8年で9年目に突入するんですけど、付き合ってた期間、1年間も考えたらもう10年目になるわけですからね、付き合いが。
考えたら、それはね、こんなに高い3ページに収まるわけではないんですけど、まあそれにしてもこんなにいろいろ考えてたんだな、私って思ってすごく面白かったんですよ。
どんなことを書いたかというと、最初感謝から始めたんですよね。
これは私、全然自覚、普段はそういうふうに思いながら一昨年知ったわけじゃないんですけど、一部ちょっと読みますね。
まずはじめに、今までありがとう、はじめは子供なんていらないと思っていた、私にこう思った幸せを味わわせてくれてありがとう、これがあなたに一番感謝したいことです。
あ、そうかって、私これスラスラ書いたんですけど、確かにそういうふうに思ってたかって、結構自分でも意外というか、普段そういうふうに思いながら生活してなかったから、死ぬ間際になったらこういうことを私は本当に言いたいんだって、ちょっと面白かったんですよね。
やっぱり実際書いてみたら、いや本当にそうだよなって、今の子供たちに出会えたので、夫がいなかったら絶対出会えてないし、私はやっぱり子供が、もともとディンクス希望だったんですよ、子供産むの怖いし、自分の体も変わっていっちゃうし、
体力が落ちたり、週産後痛くなったりするのも嫌だなとか、キャリアもっとね、もともとは今の会社でバリバリ働くつもりでいたから、キャリアが途中で断絶されるのも嫌だなとか、結構週産に対してマイナスなイメージしかなくて、子供はいらない欲しくないって思ってたんですけど、
夫の希望もあって、結局最終的に不倫治療してまで子供を授かったんですけど、今となってはですね、本当に子供産んでよかったなというふうに思ってるんですよ、もう本当に200%子供産んでよかったって、奇跡的に産めたのがありがたかったですけど、産まない子を選べるのであれば、本当に産んでよかったなというふうに今思ってるっていうのが書いてて、
そうだよねってありがたいなっていうふうに実感したんですよね。
夫はですね、2つ目が、いろんなところに連れてってくれてありがとうとか、経験させてくれてありがとうみたいにいろんなこと書いてあって、
あとはあれですよね、毎日働いて家族が生活に困らないようにお金を入れてくれてありがとうみたいなことをツラツラ書いてあるんですけど、この辺はいつも思いながら過ごしていることではあるんですけど、そんなことを書きました。
ここからですよ、今3つ感謝、もちろん感謝の他にもいっぱいあるんですけど、主だったところとしてはこんな感じの3つっていうのがあって、その後がですね、私の本音のトロに入るんですよね。
どこから読んだらいいかな。
先々の未来がどんどん楽しみでなくなっていくような言い方を決めつけてくるっていうあなたの姿勢が時に辛かったとか、将来に備えるのはわかるけれど、そうするあまり今はあまりにも窮屈なものにしているときがあるとたびたび感じていたみたいなことが書いてあり、この辺まだライトですよ。
で、それからあなたの一方的で暴力的な一面は正直もう一度生まれても受け入れることはできませんって書いてある。
これね、夜書いてるから、やっぱり結構感情的で、かつその直前に私が今までにないようなブチ切れ方をした、言い合いじゃないけど、昨日は一方的に私が怒ってたんで、本当にね、ずっと思ってたことをぶちまけちゃったんですけど、そういうことがあった後だからっていうこともあるんだけど、だんだんこの辺からどんどんそのテンションが乗っかってきて。
文章にですね、乗っかってきて、だんだん感情的になってます。
自分の言うことが正しい。俺は理不尽なことは言わない。正論しか言わない。だから相手が悪いみたいなことを言うけれども、たとえそれが本当に正論だったとしても、努力してもなかなか正しいようにできない人間がこの世の中にいること。
それから正論って思うこと自体、それぞれの考えに基づくものであって、一見正しそうに見えてもそれはあなた自身の価値観でしかないことに気づいてほしいとか。
なんかね、そう、だんだん何とか感謝していますとかじゃなくて、だんだんね、なんとかったみたいな、なんかすごい、何だろう、何、弁論口調じゃないけど、そう、だんだんね、口調もちょっと荒々しい感じになっていく、そんなノートで。
未来への思考
で、あとね、公開できるところでちょっと読んでいこうかなというふうに思いますけど、もう一つ、「ある」を見てください。
これ、みちこさんから教えてもらったこのね、今ある、既にあるっていうものを見ましょうっていうことなんですけど、これはですね、私も常々思っていて、ほら、なんだ、お金がないとか時間がないとか、いろいろないないないって探すのは楽なんだけど、でもいやいやあるよねって話じゃないですか。
お金もあるし、食べ物もあるし、それからさっき言った時間もありますよね、24時間平等にもらえてますから、なんかそうやってないないないない言って、自分が何だろう、苦労してるかわいそうな人間だとか、周りの会社のあいつはボンボンで、苦労も全然育ったからうんうんみたいなね、
人に比べて自分は何だろう、大変で、とか製品もどんどんかかってきて大変だみたいなことを言って、周りの人を責めたりとか、なんか今の自分に対してでもないないないない言って、文句を言うのはもうやめようよって話とかを書いてますね。
それから、もう少し個人的な話もします。
娘を産んだ5年前、夜泣きの太陽に疲れ切って、泣いている娘を寝ぼけながら私があやしていたら、大声でうっせーんだよお前の仕事だろ起きるんだよやれよしっかりって言われたことは墓場まで忘れないとしながらここまで生きてきました。
とかね。
なんて書いてたかな。
極めつけは、第2次ですね、弟の産後、下の子を産んだ産後に保育園のロッカーに、上の子の保育園の草芸を夫にお願いしてたんですけど、その時にロッカーにお着がいくつか入れておかなきゃいけないんですけど、
それを娘に持たせないまま送り出しちゃったんですよね、私が。で、夫が自転車で娘を連れて行って保育園に行ったら、お着替えないけどって言われて、とんぼ返りに戻っていったっていうことがあったんですけど、
その時にですね、たかがお着替え一個忘れたのに対して、玄関の寝た箱を叩きつけながら、お前死ねって怒鳴られたことがあったんですよ。産後数日ですよ。
あのね、満身創痍の中、出産して退院して、上の子を見ながら、下の赤ちゃんを面倒見てるってころですよ。その頃にそんなことがあったんですよね。前のライブ配信でも言った気がしますけど、そんなことがあって、それのこと書いてありますね。
死ねと怒鳴られたこと、あなたこそ死んでください。自分がやるべきでしょって書いてあります。
こっからは、私は今まで働きながら当たり前でそれをやってきて、お部屋もしながら、送迎もしながら、ロッカーの荷物の管理も当然自分がやってきたのに、それをそもそも送迎するあなたがやるべきだし、たった一つそれを忘れたぐらいでやってたりしてんじゃねえよみたいなことを書いてますね。
いろんなこと。こんなんじゃまだまだ収まらない。
けど、一番言いたかったのは、私がいることが当たり前だと思ってほしくなかった。
私のあなたからの金銭的な援助に対する感謝は足りなかったですか?
ありがとうと伝えていたつもりだったけど届きませんでしたか?
あなたは言葉なんてなんとでも言える。言葉なんて、ありがとうなんて誰だって言えるんだから、そんなことより、
感情の解放と伝え方
俺が家庭に入れてやってる金に対してありがとうって思ってるんだったら、お前も節約しろというようなことを日々言われてた頃があった。今もそうかな。
私は自分のできる範囲で揃うしつつ、いつも日々ありがとうって伝えるようにしてたんだけど、あなたからはそういう言葉はなかった。そんなことを書いてありますね。
それに他にもうんぬん書いてあって、みたいなことが書いてあると。
っていう、これもう半分デスノートですね。
遺書というかね。
書き起こしたら、あ、腹に一物も二物も抱えてるじゃないか、私って。
ちょっと見て、今読み返すと笑っちゃうんですけど、でもね、これだけいろんなこと、私たぶんまだ腹の中に抱えているんですよ。
私はですね、今、自分のあり方次第で夫婦関係って変わるよっていうふうにお伝えしてるんですよ。
で、実際それも本当だと思ってる。思ってるけど、やっぱりその中で、でも本当はこうしてほしかったとか、本当はこれを伝えたかったとか、ああしてほしかったとか。
やっぱりね、あるんだなって、このノート見て気づいたんですよね。
で、じゃあ普段なんだろう、そういう思いを自分の奥底にしまっているのに、なんでここのノートっていう場で出てきたかっていうと、やっぱりね、これは遺書だっていうふうに思って書いてるから。
私が亡くなった後だったら別にね、これを伝えたところで何の害もないから、最後に最後くらい知ってほしいっていうふうに思って書けたんですよね。
考えると、でも見つけるうちに伝えられることは伝えようって思いますよね、これ見ると。
だってこれずっと抱えたまま生きていくってことですよね、私。
だから、やっぱ伝えようっていうふうに思いました。
もちろん、昨日かなり私も感情的になってたから、いろいろね、気殴ってるっていうところもあるから、もうちょっと今お昼のこのテンションで見直すと、
そうよ、言ってもねって、あの時こうだったよねみたいな、何だろう、その夫の言動に対して許すこともできる部分もあるし、
あとは私がこういうふうに捉えたらよかったかなっていうふうに思うこともあるし、もうちょっとそっくりな捉え方をできてはいるんだけれども、
まあでも、本音には、奥底にはこんなふうに思ってるんだなっていうのをですね、一回見てみるといいなって思いました。
やっぱり書いてすっごいすっきりした気が気のしたし、で実際こうやって期間してみると、
あ、なんかもっと自分の、何だろうな、在り方変えてもいいよなーっていうところは、言うべきところはね、言ったらいいし、
これそのまま伝えても、やっぱり相手にそのまま、何だろう、私が感情任せにこのまま読み上げるようにして相手に伝えても絶対届かないと思うんですよね。
だから、こうやって感情的に言うんじゃなくて、じゃあこれをもうちょっと、何だろうな、堀下げてみて、私はどうしてほしかったのかな、さっきもありましたけど、
ありがとうって言ってほしかったとかですよね、そういうことを伝えるとか、なんかちょっとこう、何だろう、ちゃんと伝わる形でこうやって、
投げつけるんじゃなくて、ちゃんと伝えるっていうことは、一回ね、これをもう一回私も咀嚼して、自分の気持ちを洗い出して、本当はどうしてほしかったのか、
関係改善への道
っていうのを伝えるっていうのはこれいいなって思います。でね、さっき冒頭に感謝の3つ書いたって言ったんですけど、これもやっぱり書いてて、
普段自覚していない感謝っていうのが出てきたから、やっぱりね、これいいですよ。遺書。遺書と思って書く。
実際にあったほうがいいとは思うんですよね、その遺書とか遺言書とか。もし本当に、その時って糸をこずれるかわからないじゃないですか。
だから、いずれにしても用意したほうがいいとは思うので、これはですね、私は今回は遺書の練習ですっていうふうにして書いてるんですよ。
これは遺書の練習、まさか本番になったりして、つまりこれを書いた後にすぐになくなっちゃったりして、
ただ本物の遺書、および遺言書をこの後書いたら、これは破棄するつもりです。だから好き放題書きますねっていう文句をつけて書き始めてます。
面白いでしょ。これいいかもな。私、今後パートナーシップをより良くしていく講座とかセッションの伴奏するようなサポートサービスを開始していこうというふうに思ってるんですけど、
これいいかも。やっぱり一旦、自分が腹の奥底に何を思っているのかを自分で見ることはとても大切です。それをさっきも言った通り、書き殴ってもしょうがないので、書き殴ったものをそのまま相手に伝えても何も伝わらず、むしろ逆効果なこともあるので、
最終的に自分はどうしてほしかったのか、相手に何をしてほしかったか、したかったかということをちゃんとシンプルに洗い出して、それを相手に伝えるっていうの、これいいかも。ちょっと次のセッションでやってみようかな。
ちなみにセッション、今月中にモニターさんで破格でご提供しようと思っているので、気になってくださっている方がいたら、ぜひぜひいらしてみてください。1ヶ月間でやってみようかなと思ってですね。
私もだからこうやって、今こんな感じでまだ書き殴ってる思いがあるぐらい、なんだろう、どんどん良くなっていってるんですよ、関係はね。
昨日も、今まで私はイエスマンみたいな感じで、お父さんから言われたことを全部したがって、何も文句言わずに違うなって思って、黒だと思っても白ですって感じで、復讐してた感じのところがあったんですけど、
昨日はね、ちゃんと自分の言いたいことを言いたいことで言ってますからね。しかも謝ってもらったし。それぐらい、なんだろう、ちゃんと当たり前かもしれないけどフラットな関係に戻ってきたっていうのは、私にとっては本当に大きなことで、やっぱりそれがなかなかまだうまくいかない。
どうしても上下関係を感じるとか、集中関係になっちゃってるみたいな人っていると思うんですよね。だから私も今、どんどん夫婦関係を良くしている最中、私自身の最中だから、一緒にこう関係をね、お互いの夫婦関係を良くし合えるというか、良くなっていく方向に一緒に歩める方が一緒にセッションしてくださったら嬉しいなと思ってます。
あ、コメント来てますね。ありがとうございます。
あ、小栗さんありがとうございます。こんにちは。すみません、聞きながら笑っちゃいました。
ありがとうございます。
なんかね、あのー、私も今聞きながら笑っちゃうんですけど、昨日はね、ほんと30分間、ぐわーってすごい検証員になるぐらいあきらぐってて、ね、骨がね、出せますね、ノートだと。
まあでも、あの、ちょっとミシコさんの宣伝をするわけではないというか、半分宣伝しておきますけど、あのー、この感情をちゃんと知るって、なんかほんとに自分の日々の生活の質を高めることにもつながるし、あのー、行きたい方向に自分が向かっていく道標にもなるし、なんかあのー、すべてにおいて、あとメンタルケアもそうだし、あのー、すべてにおいてノートめちゃくちゃいいですよ。
あの、いろんなノート講座あると思いますけど、私はそう、ミシコさんのノート講座とか、あと許しと需要のワークっていうのがあるんですけど、それ受けてすごい変わったので、そう、超おすすめなので、あの、ご紹介しておきますね。
遺書の公開と共同関係の変化
はい、っていう、ちょっと、あのー、夫の遺書、夫に対する遺書ですね、を一部公開してみました。はい、あのー、最近ね、あの収録配信でも、なんかこう気づいたことちょいちょい出していきたいなっていうふうに思うんですけど、ね、いかんぺん、あのー、もうすぐ1歳になる息子が自宅保育っていうのもあったり、
なー、あとは他にも、なんかなんだかんだ、まあ、ありますよね、かじくじしてるとね、あのー、ちょっと待ち止まった時間が取れなくて、うーん、収録なかなかできてないなーなんて感じなので、ちょっともうライブだったらすき放題喋ってればいいかなっていうふうに思ってライブにしちゃいましたー。
楽しんでくれる方がいたら、リアルで見てくださっている方も、あとはアーカイブの方も見ていただけたら嬉しいです。はい、ちょっと最後に1個お知らせしておこうかな。
えっとー、そう、私ですね、あのー、今こうやってね、夫に衣装でいろいろ書きまくったわけですよ。そう、でも、やっぱりそうやっていろいろ掻き殴りながらも、やっぱり日々の共同関係って自分のあり方次第で本当に変わると思ってるんですね。
夫が変わる側面もあるけど、直接的に夫にこうしてくださいって言って、夫を変えていくんじゃなくて、やっぱり自分が変わる。自分のあり方が変わると相手も変わるし、相手との関係性も変わっていくし、何よりも自分の生き方がすごく軽やかなものになっていくって私はもう本当に自分の経験の中で確信しているんですね。
それをセッションの中でお伝えしていきたいと思うんですけど、そのために、えっとー、なんだ、最初にまず公式LINEでプレゼントをご用意しようかなというふうに思ってます。
自分のあり方を変える一つのポイントになると思うんですけど、やっぱり頑張りすぎちゃう。夫とか云々よりも、まず自分が頑張らなきゃ頑張らなきゃって、どんどん自分を追い詰めていって、それで疲弊しちゃって、疲れ切っちゃって、パートナーに対して恨み節が出ちゃったりとか、
ちょっとイライラしてヒッテリックに当たっちゃったりとか、あとなんか旦那さんが楽してるように見えてもうなんかもううざくてしょうがないみたいなものの見方になってちゃったりすると思うんですね。
なので、ちょっとなんだろう、もう頑張りすぎ、やめようよって、頑張らなくていいんだよっていうふうに、ちょっと肩の力を緩められるようなエッセンスを取り込んだプレゼントをご用意しようかなというふうに思っていて、気になる方はぜひ公式LINEでお友達登録していただきまして、配布を待っていただければ嬉しいなというふうに思います。
で、先ほどちょっとご紹介したセッションの方も公式LINE限定で募集をしますので、今のうちにですね、気になってくださる方いらっしゃったら、まずはLINE登録だけでもお願いします。概要欄にURLを貼っておきます。
はい、ということで、私の夫に対する衣装公開でございました。あ、あれあれ、はずきさん、ありがとうございます。お久しぶりです。ちょっとね、何週ライブだって感じですよね、こんな待っている間に。
はい、ということで、じゃあちょっとアーカイブですね、ぶらぶら喋っているので、聴いていただけたら嬉しいですというふうに思います。
はい、ということで、じゃあちょっとアーカイブですね、ぶらぶら喋っているので、聴いていただけたら嬉しいですというわけで、じゃあそろそろ娘を迎えに行こうかな。
はい、というわけでありがとうございました。はずきさん、ありがとうございます。では、失礼します。