孤独の定義
めいそうラジオ、インドで出会ったタントラ迷走コンビ、アピラティとラシュミが、
愛と生と死とお金のメディテーション、タントラから生きる処方箋を探っていきます。
欲深い私たち現代人のための迷走入門、始まります。
今回は、【孤独とひとりあることの違い】です。
とっても、迷走界隈でよく言うことですね。
そうなんですよ。この孤独というのは、英語にしてロンリネス。
ひとりあることっていうのは、このアロンネスっていう言葉で、この2つはなんかひとりっぽいイメージなんですけど、
ちょっと意味合いが全然違うんだよね。迷走っぽい界隈で出てくるこのアロンネスは。
じゃあ、ロンリネスからいきますか。
ロンリネスってどんなときに感じる?
集団のパーティーとか行って、スモールトークができなくて浮いてるとき。
そのときが孤独だと思うんだ。
ラシュミは?
私はたぶんね、知らない言語っちの中にいて、話題についていけないときかな。
例えば、私おしゃべりなので、集団でワーッと話してるときは、そこの会話の中に入っていきたいわけ。
それを丸太語で全部みんながワーッと話し始めるとさ、私は丸太語のその会話の中に入っていけないじゃん、例えば。
これはイタリア語でみんながワーッとやってるときも、その会話の中に入っていけないっていうときに、
今はそんなことはないけど、混ぜて混ぜてっていう気持ちがあるのに、混ざれないっていうときに孤独を感じるかな。
基本的に集団に入れないときに孤独って思うんだよね、きっとね。
アビもそうだし、ラシュミもそうじゃん。
そうだね。受け入れてもらえないっていうことさ、大げさなもんじゃないけれども、
そうね、集団の中に属せないみたいな感じかね。
そう、私なんか昔読んだ本なんだけどさ、ホモサピエンスの前にホモなんちゃらっていう人間的なものがいたらしいんですよ。
それって黒魔日本人とかそれの後だよね。
黒魔日本人よりはホモって付く、ホモなんちゃらみたいな。
ホモなんちゃらのホモグループなんだね。
そう、ホモグループだからほぼ人間、大体は私らと近い人間なんだけど、なんかホモなんちゃらの方がホモサピエンスより賢かったんだって。
一人で何でもできちゃうみたいな、単独行動系のホモなんちゃらっていうのがいたんだけど、
でもそれは割とついえてて、ホモサピエンスはホモなんちゃらよりはあんまり賢くはなかったんだけど、
集団を形成することができたから生き延びたんじゃないかっていう説を読んだことがあるの。
でもそれ分かるかも。
だから集団に属するとコンフォタブルに感じるようにホモサピエンスはできてるとしたら、
集団に入れない孤独は嫌だよね。
だから孤独っていうとすごくネガティブなイメージがあるのは、もしかしたらそういう理由もあるかもしれないよね。
きっとね、孤独っていうふうに思うと集団生活に乗れないっていうのかな、
その集団の中に入っていけないっていうのは結構死活問題だからさ、
アロンネスの理解
ストレスにももちろんなるけど、恐怖っていうかすごくネガティブなイメージがDNAの中に入ってるんじゃない?
ホモサピエンスやってる以上。
うん、なんだと思う。その集団と同じ価値観、言語で言うと、
ざっくり言うと価値観を共有できないっていうところに孤独を感じるわけじゃん。
そうだよね。自分のことが分かってもらえないっていう叫び?
そう、でもさ、それはさ、とってもやっぱりネガティブな感じだけど、
アロンネスって一人あることっていうのは、瞑想界隈でとてもポジティブに捉えられてるじゃない?
それってさ、孤独は人に依存してるから孤独なのであって、
人に依存しなくてよかったら、それを作るのが瞑想なのかもしれんねっていう話になるね。
そう、だから瞑想界隈でよく言われているこのポジティブイメージのアロンネスっていうのは、
自分の中に瞑想を通してスペースを作るっていうの?
そういうことなんだろうなっていうふうに私は捉えていて、
で、結局私がいつもこのアロンネスっていうのの最終型というかゴールを考えるとさ、
スペースを作っていくじゃない?自分の中に。
そこの中でくつろぐとか静かな気持ちになりますっていうのは、何のためにそれをやってるのかっていうと、
結局死ぬ時は人間一人なんで、それへの準備段階としてこれをやってんだろうなっていつも思ってんだよね。
なるほどね。私は割とよく生きるために一人であるっていうイメージがあるかも。
裏を返せばね、ちゃんとどうやって生きますかっていう問いにもなるからさ。
それにさ、集団に属するってさ、一人でいるスペースがなかったら人がどんどん入ってきちゃって私が亡くなっちゃうじゃない?
ディスオーガナイズドな感じになっちゃうから。
影響を受けすぎちゃうってこと?
受けすぎる、そうそう。私は特に影響を受けすぎるタイプだから、なおさら人に分かってほしいってすごく思っていたけど、
人に分かってもらわなくてよい。なぜなら私のことは自分が一番よく分かっているからだステートにいると、
人の中にいてももう少し穏やか?そこまで、それは好きだけどそれは好きじゃないとか、
あなたがそう言っているのはあなたにとっていいと思うけど私はそうは思わないとか、
そういうことができやすくなるのは一人あることのスペースだなって思う。
でも、そういう物理的な一人あることっていうのは確かに私も海外生活がすごく長いから、
ある一定期間の海外生活の現状ってさ、私がマイノリティなわけよ、言ってみれば。
マジョリティになり得ない状況でいつでも生活をしているっていうのが長くなってくるとさ、
マイノリティライフが結構楽しくなってくるんだよね。
いいじゃん。
だって言ってみれば、日本人の価値観と私はこういう人でなんとかかんとかでみたいな集団には属してはいるけれども、
別に私は私、あなたはあなたっていう境界線は確かに引きやすいんだよね。
このマイノリティライフってちょっと言い過ぎなのかもしれないけど。
実際にそうだよね、この丸太共和国っていうところで丸太人がマジョリティでさ、日本人はマイノリティになるじゃない。
だから一人あることっていう時がすごく多くなるわけですよ、普通に。
そういうふうにいろんなところを点々と引っ越ししたり住んでいったりすると、アイデンティティは私っていうのがアイデンティティで、
何人とか何語を喋るとか、もういいや地球人で、地球で生まれ地球で死んでいく、私地球人なんですけどっていうのをすごくそれは思ってるんだよね。
いいじゃん、地球人ね。
そういうユニバーサル人、なんか生まれは地球ですみたいな、ご出身は地球ですみたいなね、そういう感覚かな、ユニバーサル人。
いいね、なんかさ、一人あること、アロンネスの方のスペースが大きいほどちゃんと人とつながれるような気もするの。
孤独寄りっていうかさ、それが私は私である、他人の承認は必要ないっていうところにいないとさ、
外側の人をさ、自分の色眼鏡でこうあってほしいとかさ、私にこうしてほしいとかさ、なんかそういう自分の欲求でさ、色眼鏡で見るなーっていうのは最近思っていて。
それはアビと話してた時にさ、バロメーターみたいなゲージがあったじゃん。今2つの言葉を挙げて、ロンリネス寄りなのかアロンネス寄りなのかっていうので。
グラデーションスケールでね、男か女かっていうのを2極にしないでグラデーションで分けてみてもええんちゃうっていう話をした時のやつだね。
そうそう、グラデーションスケール。
アロンネス寄りとロンリネス寄り。
今言っている話はさ、アロンネス寄りにそっちの方にゲージが寄せてる時は人と付きやすいっていうか、インクルージョンしやすい。
つながりやすい。
余計な期待とかね、特段なんていうのをジャッジしないで見やすくなるんじゃないのかな。
それはすごくそう思う。私がいつも地球人と思って生きてるわけじゃないけどさ、地球人と思うと気になるところのポイントっていうのがどんどん曖昧っていうか大雑把になっていくっていう感覚?
どこまでの距離を集団たちと取ってるかっていうことにもなるだろうけどね。
個人と集団との関係
集団の中に属していても染まらないところがあることができるって感じかな。
あと集団のその性質にもよるかなって思うな。
個人、特にインディビジュアルっていう教育を受けている西洋なんかだと、集団の合意形成の中で何か意見をまとめていくっていうことがすごく少ないし、そういう状態になると孤独に追い立てられやすいというか、キリスト教の影響なのかもしれないけどね。
瞑想してて、マハムドラみたいな感じになってたら、それは私ではないものからやってくるけど、それは神とか存在とかそういうふうに言われるソーコールドXのところからダイレクトに私はもらってます。そこに宗教的な取り継ぎがいないみたいな。
伝達役?取り継ぎ役?もしかすると取り継ぎ役がいないと神と繋がれないみたいな感じだとロンリネスの方にそれは行くのかもね。
あの、免罪符買わないと繋げてくれないとか、そんなんだったら嫌だよね。それは孤独になるわって思います。
アロンネスは存在と繋がるとか、大いなるものとか宇宙とか言ってたけど、やっぱり身近のアロンネスを楽しめるのって自然と繋がることかなって思った。
よく健康法でさ、庭に砂利を敷いて、石を置いてその上を歩くと、アースイングのガーデニング場みたいなことなんだろうけど、足裏刺激になるからそれはすごく裸足で歩くんだよ、その石の上をね。
そうすると、これを間接的に自分で作るアースイングみたいなもんじゃんね。
うんうん、いいねいいね。
このアロンネスっていうのは自然のあり方の一部からも受け入れるエネルギーではあるなと思った。
サラグルーとかよく言ってるわ。ヨガの人たちアースイングよくやるからね、タオとかでも木を抱くとかさ。
いいっすね。
アロンネスの抽出っていうか、栄養供給先になるなと今思った。
うん、確かに確かになるなる。芝生歩くの大好き。裸足で。超好き。
それって一人でやってても、その瞬間って絶対孤独感を感じないと思うんだよね、人間。
芝生踏んでるので忙しいから、孤独とかあんま考えてない。
別物のように感じるけれども、おそらく瞑想で大それたもんじゃなくて、
アースイングとかそういうのも一つアロンネスへの需要供給を供給するみたいなイメージで考えると、
こういう世界がありますよっていうのを気づいているといいよね。
そういえばちゃんと瞑想行き始めてから、今まで嫌だったパーティーとか、そもそもあんま行かなくなったけど、
行っても頑張って社交的な人のように振る舞うとかをやらなくなったから、すごい楽になった、そういえば。
今年のヒットは引きこもりライフをやっていて、
それは家から働くとかそういうことなんだろうけど、引きこもりライフ結構楽しいかもって思うと、
社会復帰とか社交ができないんじゃないか、私。一末の不安が。
ラショウィは大丈夫です。行ったら絶対喋るの大好きだから大丈夫です。問題ありません。
そうだよね、喋るの大好きだとさ。
多分、アビとは見てる風景が違うよね。
喋るこの集団の中に入っていけないんじゃなくて、自分がこの場で喋れないフラストレーション。
それは私だってあるよ。喋りたいと思ってもさ。
パーティーに行くような人たちと会話が合わないっていうことにね、そもそもそこに話が気づいたら、もういいやってなったね。
人に合わせて行動する。私もマイノリティライフが長いと、我が道、ライフをもうぐんぐん進んじゃってるようになっちゃう。
それをアロンネスに繋げていいのかわからないけど、私は私で生きていく感がどんどん強くなっちゃうよね、やっぱり。
その方が快適だなって思うようになったかな。
だって世の中の多分6割の人は無関心で、2割の人は私のこと嫌いだけど、2割は好きな人がいるはずっていう。
友達っていうのは本当に5本の指にしか入らない。5人しかいないっていうわけじゃないけど、それをフレンズっていうか身近な人って言うんだろうな。
それ以外は英語を使ってる人はアクエンタネスって言って、分けてたりするけど、知り合いが多いとか友達が多いって言ってる人ほど、孤独感が多いっていう。
孤独と友情の複雑さ
あるある。みんながみんなそうじゃないけど、私の少ないサンプルだと、日本語だと友達と言っているけれども、おそらく英語だとアクエンタネスレベルの人、知り合いが多い人ほどとっても孤独そうだなって思うよ。
でもなんかあれかもね、結構曖昧なような気がするよね。私はあなたのことを友達と思ってるけど、あなたはただのアクエンタネスとしか思ってくれてないとか結構さ、言いたい話だなと思うけど。
まああり得る話だよね。知り合いが多いっていうのは、チャンスが広がるとか、可能性がね、どこから何がやってくるかわからないから、そういう意味ではとても豊かなことだと思うんだけど、知り合いはいっぱいいるけど、なんていうの、その欠乏感とかそういうのがあって、
前回言ったタニのオーガズムとミネのオーガズムだったらミネを求めてる人っていう感じに見えて、みんな大変だなーって。
そうかもしれないよ。数が多い方がっていうのは分かりやすいからだと思う。
数でね。
そこはなんか、サンテクジュベレーの星の王子様セオリーに行ったらいいんじゃない?
だから一点主義だから、そんななんかコンセプトの中にいっぱいいっぱいミネを目指していっぱいの人と知り合うっていうコンセプトはなく、一個ずっと観察して、そこと分かり合う。
そういうふうにも読み解けるなって、今思ったんですね。
なるほどね。
あ、コチューテンというやつですね。
まああれだよね、あんまり孤独感からはどんどん遠ざかっていくっていうか、少しずつ離れつつはあるけどね、瞑想ライフって本当にやっていくと。
うん、なんか瞑想ライフに来てからあんまりなんか孤独感って本当どんどん減ってってる気がするな。
物理的には割と一人でいること多いけど、なんか友達がいないとか、なんかみんなみたいにパリピしてないみたいな、そういう欠乏感はやったね。
引きこもりデビューで引きこもりライフを満喫してるからさ、これはこれでいいもんだなみたいな。
くつろげるっていうのがちょっとずつわかるかもしれないね。
人とも一緒にいたい。
それはそれ、これをこれ、いてもいなくても私は私みたいな。
私、嫌いな人多いけど、嫌いな人ともまあそこそこ一緒にいたい。
嫌いっていうのもさ、それも和尚の子は言ってたんだけど、嫌いっていうのはそれは、私は悪いように影響をされただけだって言って。
好きっていうのは何か、いいようにいい印象を受けた。
でもそれはそこで選ぶな。
チョイスレスです。
いててっていうことを言ってた時に、嫌いっていうのは嫌いって言ってた。
だんだんね、あの人嫌いっていう、その嫌いセンサーがだんだん緩まっていってるの。
いいことだなって思ってるの。
笑
で、そこで一緒にいたいってことは、
私、嫌いな人多いけど、嫌いな人とも一緒にいたい。
私、嫌いな人とも一緒にいたいってことは、
私、嫌いな人とも一緒にいたいってことは、
私、嫌いな人とも一緒にいたいってことは、
私、嫌いな人とも一緒にいたいってことは、
私、嫌いな人とも一緒にいたいってことは、
私、嫌いな人とも一緒にいたいってことは、
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私、嫌いな人とも一緒にいたいってことは、
私、嫌いな人とも一緒にいたいってことは、
私、嫌いな人とも一緒にいたいってことは、
私、嫌いな人とも一緒にいたいってことは、
私、嫌いな人とも一緒にいたいってことは、
ここがいいね。
あとは軽くなってるかな。
本当に少しずつだけど。
それはあるね。
それはいいなと思うけど、
また劇場の中にどんどん引っ張られるっていうかね。
そういうサイドはやっぱりあるよね。
それはホモサピーネスだからしょうがないってことだよ。
波がありますよ。
ぜひ、和尚の講話を聞いてください。
なんかほら、定義できないから、
個人的体験を話すっていう手法に逃げました。
そうですね。
言語化できないところがこの瞑想の世界なんですけど、
頑張って名誉化をしようという、
そういう努力だけは褒めてあげた方がいいんじゃない、私たち。
頑張ってる、頑張ってる。
うん。
しゃべる瞑想。
そうだね、しゃべる瞑想。
リスナーとの繋がり
ぜひ皆さんのアロンネス体験、ロンリネス体験を
フォームでお寄せください。
よろしくお願いします。
お願いします。
では、今日もお聞きいただきありがとうございました。
ナマステ。
今日もありがとうございました。
ナマステ。
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