今はそういう時期ですよ。
俺は思ってるか、あるいは逆に言うとそのぐらい俯瞰してみて閉じればいいんですよ。
もううざかったら。だって大したことないんだもん。本当はね。
だから問題は何かっていうとデジタルタトゥー的な部分です。
要するに猛威を振るってしまう。
例えばすごく力のある何かが止まれなくなった何かの勢いによって没落してしまうみたいなことが最近起きてるけれど、
それがいい方に働くか悪い方に働くかだけの話で、本当に昔話になったけど、
昔はエジプトの春っていうのがあって、それはインターネットによってすごいことが起きたわけじゃないですか。
その良い方に働いたけど、人間っていうのは割と人類っていうのは見にくいところがあるんだなみたいな話ですよ。
今起きてるの。人間って本当にいやらしいんだなみたいな。
でもその人間のいやらしさによってひどいことが起きてるけど、みんながやだったら何とかなりますよ。変わりますよ。そのうちに。
俺は別に今はやだったら伏せればいいと思う。
俺だって1月入ってから1回もう止めたんですよ。遮断したの。
でもものすごいIOUの新曲作ってて、レコーディング室でもうどうでもいいやと思って全部閉じたの。
だから1週間何にもそういう入れない状態でやったら、すごい心が穏やかなりましたよ。
もうシャットアウトしていいですよ、別に。
あともう一個は公害に例えたけど、あと2つ例えたいことがあってね。
今のこういう非暴中傷のことを象徴的に例えたいことが2つあります。
まずは黎明期、携帯電話というのがだんだん普及し始めた頃に、俺は疑問を感じたことがあるの。
例えばソニーミュージックの社員だったんだけど、例えば2人で真剣に打ち合わせをしてると。
その時にガチャってね、ドアが開いて。
ああ、山中、俺の打ち合わせしたら相手に向かってガチャって開いて、
山中、今日ちょっと飲みに行きたいんだけどってなったらムカつくでしょ。
大事な打ち合わせしてるのに出ろって喧嘩になるじゃん。
っていう例えをしてたの。
その俺が打ち合わせをしてる時に相手が携帯電話が鳴ってパッと取った時に引っ叩いてきたの。
何やってんのお前って言って。
今俺とお前は打ち合わせしてるのに今携帯取ったの。
それはガチャって誰かがいきなり入ってくるのと同じだし、それにお前答えたんだよって言って、
俺を叱ってたの、後輩とかを。
だからそれは携帯電話がなかった時代に当たり前に保たれていた秩序が携帯電話に壊れた瞬間だったの。
でもそれも行き過ぎで本当はしょうがないなって。
だから誹謗中傷してる人が問題なんじゃなくて、そういう今の風潮、しかも40年後に振り返ったらバカみたいってみんな笑ってますよ。
時代が変わってるから40年後に。
だからそんなバカな一時的なことに振り回されないでほしいっていうのが俺の願いです。
それはもう、機能的な話でいけばもうブロックしたらいいんじゃないのとかってことですかね。
ブロックしたらいいんじゃないじゃなくて、ブロックするだけでいいのに、それじゃあ防ぎきれなくなってる風になってる。
今のたったこの10年、前後10年間の単なる流行ですから。
あっという間にワンダーウェブ3の時代になって世の中が変わってくるとまた変わるんですよ。
俺いつも言ってるんだけど、たった2,3年に振り回されすぎ、人類ってみんな。
もっと挙手的に見るっていうか、もっと広いタイムスパンで見れば、だったら30年前のこと思い出してよ。
30年前に僕らはこうだった、アーティストこうだった、全然変わっちゃったじゃん。
そういう風に変わるんですよ。
30年前に、今のサブスクの話をしたら30年前の人は意味わかんないですよ。
だからそういう風に変わってしまうんだから、それに振り回されないでほしいって俺は思うわけ。
で、例えば芸術家っていうかアーティストで言えば、30年前のXのブルーブラッド、あるいはアートオブライフ、今何が変わってる?
何にも変わってないじゃん。
それが何も変わってなくてその素晴らしさに、銘板ラジオの3人はものすごい配信番組をいくつも作ってるじゃん。
素晴らしいじゃん。何にも動かないじゃん。
これが本質なの、本当の本質なの。
それに比べて何?SNSだとあの子なんで、ものすごいちっちゃい存在なのに、それで人が死ぬのは俺許せないっていう話。
それが俺の気持ちですね、ひぼうちゅうしょうに対する。
ふんって口で吹いて吹き飛ばしてもらえばいいんだよ、そんなの。
なかなかそうできないっていうところで色々問題が起きてるっていうことだと思うんですけど、さっき津田さんが色々閉じたっていうのは、それはもう物理的に見ないっていうことなんですかね。
要するにちょうど正月、3日に1日、俺もうずっと創作だけしてたんですよ。レコーディングだけしてた。
だからずれます。世の中とずれちゃう。でも関係ない。だって今の俺の3日間はレコーディングのためなんだ。
完全に閉じた。そうすると分かんないですよ、世の中のことは。でもその間は何にも雑音もなかった。
本当にや。
でも一方でやっぱりファンならばそのアーティストに敬意を払おうというのは思います。
それもいらない。ただ一個だけもう一回演説に言うのは、
アーティストを目の前で見たり自分がアーティストじゃないと本当にわからないぐらいに繊細なんだけど、
なぜか誰も気づかないんですよ。その繊細さ。驚くほど。
驚くほど。それは僕は23歳でアーティストを守る立場になっちゃったからびっくりしました。
本当に脆いです。
でも面白いのはちゃんと本当に生み出してる人ほど脆いんですよ。
その脆さは別に世の中の人は知らなくていいと思う。
知らなくていいしみんな知らないですよ。
でも一周回って全然どんどん抽象していいよ、みんな批判しましょうって何で戻ったかって言って一周ちゃんとするんですよ。
そうだけど大丈夫ってなんだっけな、通用しない、それがプロだっていうのは映像の言う通り。
ただ裏にはそのバックグラウンドでは驚くほどか弱い。
本物ほどそうなんです。何でかっていうと根拠がないんですよ。
ゼロから本当に自分の中から何か生むって自分でもわからないですよ。
でもちゃんと計算してこれやってこういうのを持ってきてこれとこれとうまく組み合わせて捏造すればこうやって人生まれるってやってる人は強いです。
楽勝なんで。はいはいこうやってはいこうやるとはいまた売れました。そういう人は強いです。
それが入り乱れてわからなくなってるから困るんです。
ゼロから生む人本当に繊細ですね。つまりほらマイクロフォンってあるじゃんマイクロフォンって演奏なんかも歌うとしたら笑う。
マイクロフォンの部品ってすごいことになってて本当にかすかな息とかブレスとかを反応するものすごい細かいのに触れるものがあってそれを増幅してるんでそれ自体はものすごい脆いんですよ。
それちょっと触ったらもうマイクとして機能できなくなるみたいなそういうときにそっくりなんですよ。
多分俺と福田さん言ってること同じなんだけど。
プロとして活動してる以上その正当な批判っていうのは受けるべきなんですよ。
あるとすればその作品に対してね。
逆に言うと批評なんか全部ありですよ。
逆に言うとアーティスト守る立場にいつも言ってるのは批評は全部いくらでもみんなが全部言っていいし当たり前なんだ。
でも批評と君の作品は別だからね。
だから作品に対する批評とか批判ってあるべきだと思うんですよ。
それがそのアーティストの人格否定とかそこにつながっちゃうとそれは違うだろうと思うんですけど。
それはもう自己表現にいいも悪いもない自己表現なんです。
だから例えば生み出した人間が4,000人の自己表現を全部聞いてたところで、
その人も自己表現だからその生み出した人間と別だからわからなくなっちゃうんですよ。
だから別に聞きたかったら聞いてもいいけど聞きたくなかったら全部無視していいんです。
でもそれを言ってる人は自己表現じゃないって勘違いしちゃってるんですよ。
自己表現じゃなくて純粋にそのアーティストの作品に対するそういう感想だとか思いだって勘違いするんだけど、
必ず自己表現なんですよ。なぜならば自己表現じゃなかったら言わないんです。
感動したとか何か思ったって言ってもわざわざ言わないんです。
だから言う瞬間にも絶対に自己表現になってる。
それは自己表現が1ミリとか8ミリとか1%か10%だから必ず自己表現が入ってて、
人によっては100%が自己表現。
それを受ける側があたかも作品に対する何かだと思って受けたらずれちゃうんですよ。
それは批評してる人に対しても失礼だから無視した方がいいんです。
わかんないから何が正しいかは。
だから聞きたかったら聞いていいけど聞きたくなかったら全部無視でいいって僕は必ずアーティストに言います。
みんな自己表現なんです。
だからはっきり言います。僕が吉木のすごさをずっとやってます。吉木に語ってます。
あれは自己表現ですよ。
すだ直しの思いが重なってるんですよ。間違ってほしくないのは。
吉木の真実なんて言ってないんですよ。
俺が吉木の真実って言ってる中には僕の気持ちが入っちゃってるんですよ。
俺の芸術に対する気持ちが入っちゃってるんです。
俺分かっててやってますちゃんと。
そういうふうに自分で責任を持って言ってる。
自己表現だと分かって言ってる。吉木にもちゃんと言ってます。
勝手な思いだと。
これは俺自身の芸術に対する気持ちがそのまま露呈されてると。
それが前提で吉木がOKって言ってくれてるからやってるんです。
そんなものですよ。みんな自己表現です。
自分を表現してるんです。
だから何も言わない人は自己表現になってない、別に。
ただ思ってるだけ。
その違いがはっきり俺はわかってるから、
みんな自己表現なんだから聞くも聞かないも君の自由で聞きたくなかったら全部無視していいんだって言ってる。
明板ラジオも自己表現ですね。
そう。だから俺がいつも言ってる通り、
3人の明板ラジオの話が聞いてて気持ちいいっていうのは何かっていうと、
3人の心が気持ちいいんですよ。見てる目線が気持ちいいんですよ。
だから3人が好きなんです。
だから3人が好きだから俺は3人と一緒にやってるんですよ。
だから要するにもう揺るぎないんですよ。
3人のいろんな言ってることが好きだったらずっと好きでいられるから。
だから大丈夫だからやってるんですよ。そんな。
毎回今回はやったけど次回はダメかなと思ってないんですよ。
もう3人が聞いてれば好きかどうかわかるから。
この3人が好きだからやってるんですよ。
だから自己表現だとわかってるからですよ。
なるほど。
で、アーティストサイドになると3人の話してることが、
なんでこんなにわかってくれてるんだろう。
なんでこういうふうに見てくれてるんだろう。ここは違うけど。
じゃあ何なの俺にとって。何でかっていうと、
そんなふうに思ってくれてわかってくれてるんだったら、
やってた甲斐があるなんですよ。アーティスト側は。
グルーブアートにしてもジェラシーにしてもアートブライフにしても、
そんなふうに受け取ってくれるんだったらやっててよかったななんですよ。
3人の自己表現でいいんですよ。
こういうファンがいるんだったら、自分たちは音楽をやっててよかったなって、
アーティスト本人が思うって俺は確信してるから。
本人がそう思って確信するから、俺は3人が好きなんです。
だってその証拠に、ひでちゃんのライブの時に実際に見て、
で、俺はちゃんと超本人である稲ちゃんに話したじゃん。
この番組って言ったら稲ちゃんちゃんと聞いてたみたいに。
ちゃんとコメント返してくれたじゃん、俺に。言ったじゃん。
あれは単純に嬉しいんですよ、稲ちゃんにしてみれば。
それは何でかというと、3人の気持ちが嬉しいんですよ。
それが正しいとか、それが本当にどうかじゃないんですよ。
それは嬉しいんですよ。素晴らしい関係じゃん。
だから自己表現なんですよ。
自己表現じゃなかったらそんなことできないですよ、稲ちゃんは。逆に。
素晴らしいんですよ。
だから結局いっぱい飛び交わってるいろんな意見もある意味素晴らしいんですよ。
だから受ける側が聞きたくなかったら全部無視していいんですよ。
嬉しかったら入れていいんですよ。
そうですね。
だって真実なんて誰にもわかんないだから、本当に。
だから俺は大好きな映画を見て感動した後で、興味が湧いてwikipediaで調べると、
アメリカの映画ってちゃんと評価が出てんの?何が何十%。
いっつも見ながら笑う。
俺と違うんや。俺はもう100点満点だと思ったけどマイナス付ける人がいるんだみたいな。
でも俺にとって100点満点だ。
イン・ザ・ハイツは神だもん。
そしたら俺の中ではイン・ザ・ハイツも、あとリメンバー・イミーも神なんですよ、それは。
揺るがないんですよ。僕にとって神だったらそれ神ですよ。評価なんて関係ないですよね。
それでいいんじゃないの?みんなそれぞれでいいじゃん。
で、俺がイン・ザ・ハイツを作った人に会うことがあったら、僕は思いの丈を放ったら、
それはイン・ザ・ハイツを見て感動した俺の中には、
多分イン・ザ・ハイツを見て反応する俺の何かに自己評価がずっと入ってんだけど、
多分100です、100ですって言ってる俺を、
制作者は聞いてニコニコしながら、
ペンキン、よくわかんない極東の君はありがとうで、全然悪い気がしないと。
だったら言ってよかったと思う。