TCGイベントの開催とコミュニティ形成
スピーカー 2
あなたの知らないTCGの世界パート3です。今回のテーマはコミュニティを取り上げたいと思います。
最初にちょっとした質問をしてみたいんですけれども、あるゲームをやっていて、もしそのゲームメーカーがそのタイトルの生産を中止したら、そのゲームって一体どうなってしまうと思いますか?
普通に考えると、新製品がもう出なくなる、サポートがなくなるってことなので、そのゲームが遊べなくなる、あるいは遊ぶ人がいなくなるって思うのが普通だと思うんですけれども、
実はTCGは終わらないんですね、そこで。メーカーが生産を停止しても、おそらく遊び続ける人がいるんですね。
すごく不思議なゲームなんです。それってなぜなんだろう?みたいなことを考えながら、TCGの面白い話を振り返ってみたいと思います。
メディアヌップ、こんばんは、佐々木優です。
今日はですね、第3話ということで、新たに素敵なゲストをお呼びしております。
宮健さんです。
スピーカー 1
こんばんは、宮健です。
スピーカー 2
宮健さんはですね、何とご紹介したらいいのか。私が東京に出てきて、最初に参加した大会のジャッジをやられてたんですね。
それでものすごく強烈な印象があってですね。
東京でマジックの大会に出るといえば、宮健さんというイメージの頃があったというか、そこから繋がりがあるんですけれども、
今回はコミュニティの話を伺うということで、こんなぴったりな人いないんじゃないかと思ってお呼びしました。
じゃあちょっと簡単に宮健さんからもご紹介をお願いできますでしょうか。
スピーカー 1
はい。そうですね、今回のテーマでいうと、僕はマジック・ザ・ギャザリングというカードゲームのイベントをたれこれ14、5年開いてたんですかね。
今はカードショップで遊べますけど、カードショップとかなかった頃にカードゲームを遊ぶ場所を作りたくて大会を開いてたという感じなんですね。
スピーカー 2
懐かしの名前を出すと、ルナティックムーンコンベンションですね。LMC。
スピーカー 1
LMC、そうですね。再生期は千葉、東京、神奈川でやってましたね。
スピーカー 2
いや、それほぼ毎週末ですか。
スピーカー 1
やってました。毎週末土日やってたんで、多いときは2、3回くらいやってましたね。
スピーカー 2
これどうか聞いてる人に驚いてほしいんですけども、本業があった上で土日すべて大会の運営に費やしてるって意味ですよね。
スピーカー 1
そうですね。たまたま土日休みのお仕事だったので、休みの日は全部公民館とか借りてカードゲームのイベントをやるって感じでしたね。
一番ひどいときは本当に100回超えてたと思います。
スピーカー 2
年間ですか。
365日中の100回というよりかは、土日の休みの分の100だからとんでもない数ですよね。
休みの日は全部カードゲームのイベントをやるぐらいの勢いでやってましたね。
いやそれね、尋常じゃない。尋常じゃないと思うんですけども。
メディアンループ、普段お気になれてる方はカードゲームは知ってても、例えば遊戯王とかポケカとか見たり聞いたり触ったりすることあると思うんですけども、
大会まで足運んだことあるよって人は少ないかもしれないのでちょっと雰囲気をお伝えすると、
当時はというか、カードショップの店舗大会みたいなものが今ほどカジュアルにないときって、
土日に大きな大会、大きな大会とか公式大会というよりかは草の根の参加できる大きな大会を探して、
雑誌とかインターネットで探して、千葉とか神奈川とか、東京であればですけどね、そこらへんまで会場を探して足運んで、
大会参加者の友情とアットホームな雰囲気
スピーカー 2
それこそ朝から晩までですよね。
スピーカー 1
そうですね。たぶんだけど、ちょうど今から14、15年前だと思いますね。2000年から2005年ぐらいの間が大正期だったと思うんですけど、
あの頃ってまだカードショップができ始めた頃で、カードショップで何十人も入れるようなイベントはたぶん開けない時期だったんですよね。
スピーカー 2
なかったですよね。
スピーカー 1
しかも都内ってやっぱり公共施設が高くて、草の根のイベントもまずなかったんですよね。ほぼなかったんじゃないかな。
スピーカー 2
あ、そうか。私そういう事情を知らなかったんですけども。だから千葉とか神奈川でよく開催されて、東京の人もよくそっちまで足運んでたってことだったんですね。
スピーカー 1
もちろん東京にもその区民施設みたいので安く借りられるのはあったんですけど、そのためには現地在住じゃなきゃいけないですね。
スピーカー 2
東京に住んでる人がそういうのをやらないといけなかったので、東京に勤めてる方とかって意外と住まいが千葉とかにあったり埼玉とかにあったりするんで、東京よりは東京周辺の方が多かったですね。
スピーカー 1
来る方も千葉の場合だと千葉の人はもちろん多いんですけど、東京からとか埼玉とかから来る方も結構いて。
スピーカー 2
今それこそ言ってましたよ、僕、千葉の。
スピーカー 1
市民会館ね。
スピーカー 2
市民会館。あそこ何駅だったっけ?
千葉駅。
千葉駅ですか。千葉駅って東京住んでると滅多なことでは行かないんですよね。
行かないですよね。
行かない行かない。
ディズニーより向こう側ですもんね。
スピーカー 1
そういう人たちも多分横浜から来てくれてたんじゃないかな。
スピーカー 2
いやすごいですね。
スピーカー 1
横浜からグリーン車に乗ってくるっていう人いましたよ。
スピーカー 2
それぐらい大会とかがすごい貴重で、足を運んでた思いでありますね。
スピーカー 1
多分ですけど後半は大会っていうよりも部活だったんじゃないかな。
スピーカー 2
じゃあその友人ができて。
スピーカー 1
そう。
朝から来れなくても昼とか夕方ぐらいには来てフリープレイして、夜終わってからみんなでご飯食べに行くみたいな。
ほぼそれが毎週末と似てあったので、タイミング合うときに来てみんなに会ってご飯食べてたり。
スピーカー 2
部活ね、よそうですね。
私覚えているのは、大学が仙台で東京で出てきて、働き始めてすぐは仕事も慣れないし忙しいから、
マジックから離れた時間が2年ぐらいあったんですけど、また復活したときに雑誌を見ていくと。
当時雑誌も見たしインターネットも見ましたね、ホームページも見ましたけど、都内とか神奈川とか千葉の大会探して参加しに行ったんですけど、
そのほぼ一番最初の大会かな、代々木かな、代々木のあの場所なんですっけ、オリンピック会館じゃないや。
スピーカー 1
オリンピックセンターですよね。
スピーカー 2
オリンピックセンター。そこで初めて参加しに行ったとき、もちろん知り合いゼロですよ、東京で初めてリアル大会行くときに。
その時にいつもジャッジの方が最初に挨拶をしますよね、大体どの大会でも。
その時の三宅さんの挨拶も今でもよく覚えてて、とにかく楽しくやることが一番だと。
周りの人にわからないことがあったら優しくしてあげてほしいし、困っている人がいたら助けてあげてほしいし、
とにかくみんなで楽しくやろうということをすごく最初に宣言してくれて、しかもそれを毎回毎回ちゃんと冒頭に宣言するんですよね。
しかもすごいなと思ったのが、2007年の宮古メッセのグランプリ京都だったと思うんですけど、そこのヘッドジャッジをやられたときもありましたよね。
スピーカー 1
ありました。
スピーカー 2
あの時も多分1000人近いとか800人かそれくらいいたと思うんですけども、グランプリって普段より格が高い大会なので、
勝ちに来てるというか勝負のための大会という感じだと思うんですけど、その時でもなおいつも通りの楽しみましょうって挨拶をしてくれて、
あれがすごく友達いなくて初めて大会に参加した人にとってはすごい嬉しいんですよね。それよく覚えてます。
スピーカー 1
カードゲームって対戦相手がいないと遊べないのは結構ニッチな遊び方ですので、初めて対戦する人がちょっと嫌な人だったらもうやめちゃうんじゃないかなと。
スピーカー 2
すごいめちゃくちゃよくわかりますね。
スピーカー 1
少なくとも勇気を出しちゃうんだからね。
スピーカー 2
三宅さんくらい毎週大会開催してるとパッと見で初めて来たなとかわかるわけですよね。
スピーカー 1
わかりますね。初めての人、初めて見る顔ってわかるのでちょっと気にせはしますよね。
スピーカー 2
やっぱりどの大会でも必ずその勇気出して初めて来た人って毎回毎回いますよね。
スピーカー 1
すごく緊張されてるし、3回戦ぐらいは様子見に行くんですよね。
スピーカー 2
そうですか。
スピーカー 1
そうですけど、凹んでないかとか嫌な思いじゃないかとか。
でも、予選が終わる頃にはわりと対戦相手の人と仲良くなってて、一緒にご飯食べに行って約束したりしてる人の方が多かったですね。
初めて参加する人へのサポートとルールの変遷
スピーカー 1
社交的な人はすごく多かったですね、カードゲームやってると。
大人が多かったかもしれないですよね。
スピーカー 2
いやでも私その当時、26歳とか27歳ぐらいだったんですけど、大人と子供が混ざってたような感覚ありますけどね、高校生もいるし。
スピーカー 1
たぶん僕もあの頃まだ30ぐらいの頃だったんですけど、自分と同じかちょっと下ぐらいから、下はたぶん高校1年生ぐらいまではいたと思うんで。
僕より上もいましたから当時。たぶん年齢の幅で言うと30歳近い幅あったと思います。
基本大人は若い子の年度を見るっていう、自然とそういう文化が作られていて、すごく良かったですね。子供がその口の聞き方が悪かったらちゃんと怒れる人が多い。
スピーカー 2
悪い人いっぱいいましたよね。
スピーカー 1
それでちゃんとダメだよっていう大人がいるのって良いなって思って。僕部活って言いましたけど、先輩との新人をちゃんと指導できる。
スピーカー 2
確かにね。しかし、なんでそんなに再生期は年間100回、それ14,15年にもわたって、なんでそういうことをやろうと思って、なんでそういうことができたんですか?
最初は日に1回からスタートしましたよね。一番最初ってプーマジック始めたのって第4版が出る前なので、まだ英語しかなかった頃なんですけど、
スピーカー 1
あの頃ってカードショップももちろんなくて、街のおもちゃ屋さんでも取り扱ってるところが少なくて、僕の家からいつもより電車で40分ぐらいのところにしか売ってなかったんです。
スピーカー 2
それは結構遠いですね。
スピーカー 1
当時、きみつっていう街に住んでたんですけど、千葉市のさらに下の方ですね。あくあらいのもうちょっと下なんですけど、そこから1日1回売ってるホビーショップまでは千葉駅まで行かなきゃいけなくて、だいたい電車で40分ぐらい。
買いに行くのを一人で行くと交通費高いから、友達の全員分を託されるんですよね。
スピーカー 2
やってましたね、それ。
スピーカー 1
まとめて買ってくるっていう。しかもボックスとか売ってなかったから、あるもの、家にあるパック全部買ってくるって言っても、1人5パックとかしかなくて。そんなレベルだったんですけど。
当然その大会もなかったから、遊ぶ場所もなかったんです。
スピーカー 2
最初はカードを取り扱ってるお店がやってたイベントがあったんですけど、そのショップの入ってる、そこはラッキーですね。
スピーカー 1
1回目はたまたまそのショップが開いてた、同じフロアにあるショッピングセンターの椅子とかがいっぱいあるようなところで、立ち抜き戦のシングルエリアになって。
しかもそれが、ラッキーという概念もなかったけど、お店の人がルールを理解してなくて、ルール見て負けるみたいな悔しい思いをしたんですよ。
スピーカー 2
ちなみにそのシングルエリアというのは、甲子園のような立ち抜き戦で、負ければそれまでということ、勝てば最後まで。
それはわかりやすいはわかりやすいんですけれども、せっかくお小遣い貯めて、カード集めて、デッキ作って、土日朝頑張って集まったのに、1回戦ったら解散みたいなことが起こる。
かなり厳しいルールで、普段それをやるときはシングルエリアではなくて、スイスドローといって、総当たり戦とは違うんですけども、勝ち星が近い人として当たって、何回戦も遊べるってことが多いんですけど、
そういう方式が浸透するまでの間は、もうめちゃくちゃ厳しいルールで大会がやられてたってことですね。
スピーカー 1
どちらかというと、カードゲームをしたって言ってるんだけど、大会形式でしかなくて、しかも負けたら終わりなので、不完全燃焼にやっぱりなりますよね。
スピーカー 2
なりますよね。
初めてのカードゲームイベント
スピーカー 1
で、そのイベントに行った次の週ぐらいには、一緒にマジックに行った友達とかと話して、当時、ケーブルトークのサークルをやってたんですよね。
スピーカー 2
それもやってたんですね。
スピーカー 1
そうです。ケーブルトークのサークルは学生時代に10年ぐらいでもやってたのかな。10年ぐらいやってて、学校に部活作っちゃうぐらいにはハマってたんですけど、
卒業の直前ぐらいにカードゲームが入ってきて、そのメンバーで始めてたんですよね。
で、負けて帰ってきて悔しかったから、今度じゃあカードゲームのイベントもやるようにしようやって言って、
そのトークの集まりが当時各州であったんですけど、来週にカードゲームのイベントをやろうと。
スピーカー 2
めちゃくちゃ忙しくなりますね。つまり毎週ですね。
スピーカー 1
卒業前で暇だったってことはありますよね。
スピーカー 2
そうか。じゃあ、もうトレーディングカードゲームでいきなり対価をやろうと思ったっていうよりかは、
テーブルトークプレインゲーム、TRPGの世界でコミュニティとか集まる何かをやるってことに慣れていて、
その延長の中でパッと自然に始められたってことなんですか。
スピーカー 1
集まる場所があれば自然となって友達もできるし、仲良くなってくるし、輪も広がってくるんですよね。
最初行けたら、もう学校のメンバーぐらいしかなかったんだけど、
最終的には同年代の他の高校の子とか、他の大学の子とかが集まって、
7,8人で始めたけど一番多い時は約40人ぐらい集まってたんですよね。千葉の田舎にあったパークルだったんですけど。
千葉市の方からも来てくれたりとかで。
コミュニティの拡大と体験の重要性
スピーカー 1
僕が卒業して10年ぐらいしたらもうそのパークル時代はなくなってたんですけど、
すごく良い思い出ですよね。
僕がカードゲームにどっぷり入っちゃって、TRPGやらなくなってしまったって思っちゃったんでしょうけど。
スピーカー 2
当時の懐かし話の一つとして、TRPGやってる人たちが、私もそうだったんですけども、
トイリンカードゲームっていうのが登場してきて、世界観はファンタジーの世界、魔法とか剣とかで近しいのに、
TRPGよりもはるかに簡単に遊べて、勝負がして勝ち負けがつく、
しかも集めて楽しいっていう強烈な面白さがあって、あっという間に僕はそっちに時間を取られちゃいました。
スピーカー 1
僕もそうでした。パークル崩壊した半分くらいの理由は、
カードゲームの方が明らかに準備時間が短くて、
スピーカー 2
結構終わるんですよね。
スピーカー 1
スマホゲームが流行ったのと同じような感覚だと思いますね。
コンシューマーをスマホゲームが駆逐していったみたいなところと同じで、
1ゲーム、TRPGって6時間7時間かかるところ、カードゲーム30分で終わるんで、この差は大きかったですよね。
スピーカー 2
でもね、TRPG、TRPGならではの面白さがあって、今またやってる人ちゃんといて、流行っているんであれですけども、
やっぱりあの時の衝撃はありますよね。
スピーカー 1
ちょうど僕、カードゲームを始めた頃って、メーカーがどんどん潰れちゃって、
もう本当、ソードワールド2.0とか出る直前くらいで、
唯一、橘翔鴎がリプレイブックを出してたくらいの頃だったんで、
メーカーを支えるのも大変だったんですよね、あの頃。
次の新作出してほしいし、ユーザーが減ってるから出ないみたいな。
スピーカー 2
でも一方で、ソードワールドを出していたグループSNEも、モンスターコレクションっていうTCGを出して、
それがちゃんと売れたおかげで、会社としてちゃんと大きな売上になった。
だからその時同時に、TRPGもちゃんと辞めずに、ちゃんとタイトルを育て続けられたみたいなこともあるみたいですから。
スピーカー 1
あとはあの頃、フィアっていう新しいメーカーが出てきたのも面白かったですよね。
PRって、毎月TRPGの月刊誌を出して、年間何冊かは新作を出すっていう、すごい風力的で、
あのメーカーがあったから、あのフグの10年間を絶えて、その時に復活しましたからね、完全に。
スピーカー 2
いや、ほんとそうですよね。
スピーカー 1
今はD&Dとかも新作出て、正しくなって、オンラインでも遊んでる人多いですからね。
ちょっと話しすぎちゃいましたけど。
スピーカー 2
いや、でもなんか今、なるほどなと思ったのが、
今日コミュニティの話したいですねってだけテーマ決めて集まった、私たち2人集まったんですけど、
確かにTRPGもコミュニティだったし、
同じようにTCGもコミュニティだったんだなっていうことを今思いましたね。
スピーカー 1
ほとんどの対人、顔を合わせて遊ぶゲームは、ほぼほぼコミュニティづくりが一番重要なのかなって思います。
スピーカー 2
僕なんか、あらゆる対人ゲーム、将棋でも麻雀でもそうなのかもしれないんですけど、
対人ゲームってすごく仲良くなりますよね。
長時間楽しさと勝負と混ざり合ったようなのをやると仲良くなるっていうのはそうだと思うんですけども、
僕その中でも特に、TRPGもTCGもそうなんですけども、
みんなで作ったものが自分たちのものになるっていう感覚があるんじゃないかと思ってて、
TRPGだと自分たちしか知らない物語が自分たちの中だけにできるじゃないですか。
TCGだと、もちろんメーカーからカードを買ってプレイするんだけど、
買ったカードってオンラインゲームで使うアイテムを借りているのと全然違って、
一生自分のものじゃないですか、売ったり捨てたりしない限りは。
だから本当に自分のものになっていくっていう感覚が、
しかも自分が持っているものを友達と一緒に戦って使うわけですよね。
だからそうやってみんなのものって感じがしてくるっていうか、
みんなで価値を支えている感じがして、
それで特別仲良くなるような気もするんですよね。
スピーカー 1
多分ですけど、TRPGとボロゲミクロTCGと、
イベントの成長と衰退
スピーカー 1
体験が一番刺さっているんじゃないかなって僕は思います。
楽しい思いをした経験って言い換えてもいいんですけど、
なんで僕、冒頭に笹切さんが言ってくれた挨拶に対して、
楽しくしありましょうっていうのってそこにつながるんですけど、
初めての大きめな100人ぐらいいるイベントに来た時に、
楽しくない思いをしたら、その人はもう二度と、
スピーカー 2
100人いるようなイベントに土日にわざわざ行こうとは思わないと思うんですよね。
思わないですね。
スピーカー 1
来たのに。
カードショップでも同じですけど、どこどこのカードショップに行ったら、
店員さんの対応が良くなかったとか、そういうのも同じ。
ご飯食べに行ってもそうですよね、店員さんの対応が悪くて、
しかもご飯も特別おいしくなかったらもう二度と行かないっていう。
体験っていうのは何事にも勝るのかなと。
買えない、得られない価値っていうのがあると思っていて、
僕は同人時代からもそうですし、
運営する側とかメーカーに入ってからも、
体験っていうものを最も大事に、
プライオリティの一番上に置いて、
スピーカー 2
お客さんだとかユーザーさんを提供するっていうのはあるなと。
そういう状況を作り出すのに、
スピーカー 1
工夫してたこととかってあるんですか?
冒頭の挨拶もそうですけど、
初めて来た人に常連さんをつなげるような努力をするみたいな。
あの人初めて来たから、ちょっと気にかけてあげてとか。
とにかくそれはずっと10年近く。
スピーカー 2
なるほどですね。
つまり初めて来た人にケアをするだけじゃなくて、
よくいらっしゃる人に、あの人初めてだからねっていうのを
それとなくサポートするようなことを言っててくれて。
スピーカー 1
寂しい思いをしなければ、
たぶん次の回も来てくれるし、
来週とは言わないけど、また来月来てくれるかなとか。
やっぱりそうやってちょっとずつ人が増えていきましたよね。
一番ひどい時って、10万人しかいない時期もあったんですよ。
何年もやってると。
初めはカードショップもなくて、イベントもなかったから。
どんなひどいイベントを運営したとしても、
100人超えた。
言い方悪いんですけど。
スピーカー 2
そこしか場所がないからってことですよね。
スピーカー 1
そう。
事故だと思うんで言うと、消防法を突破するような運営をしてたんですよね。
椅子の数が足りないから、椅子を全部撤去して。
スピーカー 2
はいはいはい。
スピーカー 1
床にみんなで座ってもらってやってました。
スピーカー 2
いっかに座ってやる。
スピーカー 1
椅子をセットしちゃって、机を床に並べて、みんな油描いて遊ぶ。
で、そのうち運営方法を覚えていって、入れ替えてみたいのはやったりはしましたし、
この抽選にしたりとか、参加費を上げて参加者減らそうかなと努力もしたんですけど、
それは無駄な努力でした。
参加費がいくらでも減っちゃったんで。
それも他に、同じように草の根大会をやる人が増えたりとか、
そもそもカードショップができたりして、
遊べる場所が増えてからは、150人とかいた人たちも70人、80人ぐらいで落ちていくようになったんですよね。
毎週のようにイベントをやるようになってからは、毎週あるから来ない週も出てきたりとか。
スピーカー 2
なるほどね。数が多いからね。一点集中してる時と違って。
スピーカー 1
あとはやっぱり、一番多い時って、多分ですけど千葉だけで3カ所とか、東京も5、6カ所で、
埼玉、神奈川まで入れると、毎週5、6カ所で100人規模のイベントがあるっていう時期があったんですよね。
スピーカー 2
へー、すごいですね。
スピーカー 1
2001年から2004年ぐらいの間はそんな時期だったと思います。めっちゃ早くなった。
カードショップじゃなくて、コカロネが流行ってた頃っていう感じですね。
マジック売ってる場所はあるんだけど遊べる場所がなくて、
イベント開けば人が来るって分かった人たちが増えてきて、コカロネが増えた頃はそうなったんですけど、
その頃って毎週末500人ぐらいユーザーさんが都内近郊で遊んでたんですよ。
スピーカー 2
すごい時代ですね。
スピーカー 1
しかもそれ、対戦するのが好きな人だけだったから、
トレードだけする人とかフリップする人まで含めたら多分倍ぐらいはいたんじゃないですかね。
1,000人以上いたと思います。
スピーカー 2
僕は朝起きれなくて、午前中用事があって、大会1ラウンドから参加できない時でも、
誰々来てるなと思ったらトレードしに会場まで行って、何人か集めて、あゆご飯食べに行こうって。
やったりしてましたから、まさにそういうことですよね。
スピーカー 1
友達がいるの分かってればやっぱり来るし、そういう場所を秩序をした主催者は多かったと思います。
僕だけじゃなくて。
スピーカー 2
懐かしいな、それ当時SNSもないですからね。
インターネットありましたけど、
スピーカー 1
Twitterが2007年。
スピーカー 2
ミクシーは2004年、Twitterは2007年とかなんで、
2002年、2003年の頃でいうと、本当に携帯のメール交換するしかないような。
スピーカー 1
そうですね、本当にブログじゃなくてホームページだったし、
ホームページってCTIの掲示板だったんですね、一番最初に実装した大会のページは。
で、ミクシーは最初から入って、ミクシーにすぐに大会のページを作って、
ミクシーでも宣伝するようにはしてたけどね、1,2,3年は。
スピーカー 2
これはTwitterができてからやっぱりTwitterから流入が最も多かったかなという感じですね。
でもコミュニティという観点でいうと、
マジックのブームと店舗数の増加
スピーカー 2
初めての人もいるし、プロもカジュアルに遊びに来てそうやってるっていう空間になってて、
僕は初めて2006年、2007年の時に東京のミヤキンスタナーやってる大会に出たんですけど、
本当にすごい場所があるなと思ってびっくりしたのを覚えてますね。
スピーカー 1
今後部活になったから100回やれたのかなと思いますね。
もう一時期、LMCロスじゃないですけど、LMCがないし、何していいかわかんないですよね。
スピーカー 2
ちなみに最後、僕終わった時っていうか、これで最後だなって認識したことなかったんですけど、いつだったんですか?
スピーカー 1
僕がマジックのメーカーに入って、
ジャッジしちゃダメって言われたんですよね、会社の契約で。
イベント会場にも飛行機してるように見られるから行かないほうがいいっていう、当然の話なので。
それもあって、LMCに近寄らなくなっちゃったんですよね。
残ったメンバーは細々と続けてくれてたんですけど、やっぱり人が少なくなっちゃったかなんかで、
当時もショップにちょうど移行し始めた時だったので、
2012年とかにはもう役目を終えたんじゃないかな、公務員さんでなっていう感じですね。
僕的には2010年か、LMCの一時期ぐらいのイメージがありますね。
スピーカー 2
今だと、トレーディングカードゲームの小売店だと有名なハレリヤさんが、
最初小さな店舗からスタートして、高田のババにハレリヤトーナメントセンターをスタートさせたのが、
2013、4、12?
そのぐらいじゃないかと思うんですけど。
スピーカー 1
13年とかですかね。たぶん高田のババに最初お店作ったのって12年とか。
スピーカー 2
そうですね。最初ちっちゃいお店で、プレイスペース20席とかそんなだったのが200席超えるところができて、
それこそ週末にどっか千葉とかかなーとか行かなくても、
毎日東京で数百席のプレイスペースがあるっていうとんでもないところができちゃったから。
スピーカー 1
すごいですよね。
マジックのマーケティング戦略
スピーカー 2
そう、それが草の根大会で大きな公民館とかに集まるみたいなカルチャーとの、今思えば境目だったんですかね。
スピーカー 1
一番大きいのは、メーカーが非公認大会って、
メーカーが公認していないイベントを開いちゃいけないっていう通達をしたっていうのが大きいのかなと。
スピーカー 2
あ、そうかそうか。それもあってのことなんですね。
スピーカー 1
そうです。僕がメーカーに入ったのが2010年なんですけど、
僕が入ったのって、日本の小売店でマジック・ザ・ギャザリングを取り扱ってもらって、
スピーカー 2
カードゲームのイベントを開いてもらう仕組みを作るためだったんですよね。
スピーカー 1
当時まだマジックって日本で言うと10番手とか11番手のブランドで、
全然やっぱり取り扱いの店舗少なかったんですよね。
スピーカー 2
結晶も少なかったし当時は。めちゃくちゃ売れてなかった。2010年頃から。
スピーカー 1
で、それを全国で僕入社して辞めるまで5年くらい、6年かな。6年いたんですけど、
6年間で取扱店舗100店舗くらいの状況から、店舗数は1400店舗くらいまで増やしましたし、
イベントをやってるお店も最後700店舗くらいあった。全国で。47都道府県全国で。
スピーカー 2
お店には何らかの形でテーブルと椅子みたいなプレイスペースがあって、
遊戯王、ポケか、あるいはデュエマのような人気タイトルはやってる人たちがデイリーしてると。
そういうところに、例えばマジックとか、それってどうやるんですか?
お店行って説明するんですか?
スピーカー 1
さすがにお店に行くのは大変だったので、東京に事務所があって、
沖縄とかのお店はちょっと難しいので、基本的にはやっぱり電話営業ですよね。
スピーカー 2
あーなるほど。
スピーカー 1
めっちゃ電話かけましたよ。
スピーカー 2
それなかなか大変そうな仕事ですね。だいたいお店の店員さんね、お忙しいですよね。
スピーカー 1
そこをなんとか頼み込んで電話していく。いかにマジック・ザ・ギャザリングが儲かるかっていう。
お店の客層と違う客層がお店に付くことによって、いかに売り上げが伸びるか。
スピーカー 2
カードゲームのイベントがどれだけ売り上げにつながるかということを、プレゼン資料もたくさん取ってきましたし。
スピーカー 1
たぶん毎日20本以上は過電して、1回の過電でうまくいくと1時間ぐらい喋れちゃうんですよね。説明始めてると。
そうすると、1日8件はかけられないんですよね。5、6件が限度で。
カードショップって17時以降って忙しいので、お店の人が出勤してから夕方までが勝負なんですよ。
スピーカー 2
12時ぐらいから過電始めて、17時ぐらいまでしか過電できる時間って何ですか。営業電話を。
その体験からすると、マジックの大会の面白さの魅力を日本で一番喋った人みたいなことになりますよね。
スピーカー 1
喋りましたよ。
最初の僕と一緒に営業をやってくれた人も、その人も草の根大会をやってた人で、出身みたいな、僕と同じようなパーソナリティを持つ人だったので、
同じくマジックのイベントの魅力っていうか、どんだけユーザーを惹きつけることができるかってことを知ってるし。
僕はそのマジックの成功体験のおかげで、それで友達いっぱい作れたし、何なら仕事にもできたぐらいだったから、
それをあってカードショップでいかにマジックを取り扱うと売り上げにつながるか、お客さんが来るかっていう。
単純にコケか遊戯王DMしかやってないお店の客層って、年齢層が、平均年齢が19とか18ぐらいなんですよ。
高校生からやって、大学生までちょっとやるみたいな。
なので客参加が、たぶん1000円とかなんですよね。いいところ。
でもマジックって当時は、たぶん27、8ぐらいだったと思うんですよね。
スピーカー 2
一回始めて辞めて、大学卒業して、2、3年経って時間に、金に余裕ができてから再開したみたいな人が1人だった。
スピーカー 1
そういう人たちが当時の一番カードショップに来る可能性のある人たちだったんですよね。
この人たち何がすごいかって、診断出るたびに必ずプレゼントできるっていう。だから1回のイベントで3400円払ってくれる。
診断出るたびに、ボックス買ってくれる。
3ヶ月にいっぺん19000円の売り上げだった。
なんなら金曜日にフライディーナイトマジック出てくれれば、大会参加費が他のカードゲーム無料になるみたいな。
マジック・ザ・ギャザリングは500円取っても、1000円でも参加すると思ってもフライディーナイトマジック。
全然客層が違うし、時間帯も違うし、使ってくれるお金の量も違うし、何より大人だから揉めない。
他のお客様と。これが大きかったっていう。
結構成功しましたよ、営業当時。
トレーディングカードゲームの普及
スピーカー 2
なるほどね。確かにそこは際立った特徴というか、分かりますよね。
でもそこからさらに10年ぐらい時間経ってみて、今はどうなんですか?
ボケ家でも何でも、もうちょっとさらに当時より大人も引き続きやるようになったんじゃないかと思うんですけど。
スピーカー 1
今はカードゲームっていう文化自体、文化になってると思うんですけど、すごく定立していて。
下は修学前の子から、上はもう50歳に手が届くような人、何なら50歳を超えてから始めるような人もいらっしゃるので、すごく年齢層の幅が広くなった。
スピーカー 2
確かにね。僕らもうすぐ50ですからね。
スピーカー 1
そうですよね。人生の半分以上トレーニングカードゲームをやってる。
スピーカー 2
本当今年あれですよ。カードゲーム誕生30周年ですからね。それは年も取りますよね。
スピーカー 1
そうですよね。マジック出てから30年だもんな。
ソームリリースされてからももう26年とかってことですか?
スピーカー 2
26年とかで。
すごいですね。
かつまた、引き続き若い世代もいろんなタイトルが引き付けていて、あと今年はディズニーが作る機体のタイトルが。
スピーカー 1
あれすごい売れそうですよね。
スピーカー 2
ロルかな?めちゃくちゃ売れそうですよね。
スピーカー 1
結構ガチなカードゲームにディズニーの世界観がイラストとして載っているわけで、あれは売れますよ。
スピーカー 2
三宅園さん、今氷の店舗で働いているということなので、さらにいろんなタイトルにお詳しくなっているんだと思うんですけども、
マジックの話だけじゃなくて、いろんなトレーニングカードゲームって今あって、昔からあって今もあって、若い人もどんどんやっているってことなんですけども、
昔から変わらない特徴とか、あるいは最近この辺のトレンドが変わってきたみたいなものとか、感じることはありますか?
スピーカー 1
一番大きいのは女性がすごく増えました。
それはすごくいいことだと思います。
僕や笹木裕さんが遊んでいたところって、99.9%男ですからね。最初に100人いて1人いなかったんで。
スピーカー 2
そうですね。大会で女性に会った女性のことは未だに忘れていないです。それぐらい少ない。
1人2人。
スピーカー 1
LMSの後半は女性が増えたんで、100人に対して3、4人はいましたけど、でも多分それぐらいのシリーズだったんですよ、コーチのマジックって。
でも今のユーザーさんって、さっき言った下は若い子から上はおじさん、おばさんまで。おばさんはいないですもん、おじさんですね。それは明らかにおじさんなんですよ。
ただ、ボリュームゾーンの18歳から26歳ぐらいの年齢層でピュッと引っこ抜くと、この人たちって子供の頃にもうトレカあったんですよね。ポケ革あったんですよ。
スピーカー 2
小学生どころか幼稚園ぐらいの頃、お父さんがなんならポケ革遊んでた世代なんですよ。遊戯もデュエマもあるし。
ゲーセンで遊べる着せ替えができる。
タイトル忘れちゃいましたけど、いくとやってますよね。
スピーカー 1
女子向けのゲームセンターで遊べるトレーディングカードがあったりとかいう世代が今の20代前半から。
カードゲームに触れること自体は、変形はない世代なんですよね。今の大学生から社会人になりたての子たちって。
スピーカー 2
完全に今そのペルソナを身の回りにいて、自分の住んでるマンションに住んでる小学校2年生の女の子がいるんですけど、たまに打ち遊びに来るんですよね。
最初、家にあるチェスボードでチェスして遊んだんですよ。
お父さんがそういうアナログゲームとかボードゲームとかアナログゲーム好きみたいで、お父さんとチェスやってチェスやって。
その2回目来た時にテーブルの上にポケカを置いといたんですよ。
そしたらポケカもできるって言って。つまりお父さんがお子さんとポケカをやりたいから娘さんにポケカを教えてて。
そしたら僕の息子ともできるって状態になってて。
だからその女の子はポケカもやるしチェスもやるし、普通のものみたいな感じだったんですよね。
その感覚ですよね、きっとね。
スピーカー 1
この15年20年ぐらいでサブカルチャーってめっちゃ若い人たちに浸透していて、アニメもそうですよね。
アニメって見てることを隠さなくていい趣味になってきたしいと思うんですけど。
僕が高校生大学生ぐらいのことってアニメ叱ってるのとかって見られると後ろ指さされるみたいな、
そういうちょっと嫌な映像ってあったんですけど30年くらい前はね。
でも多分もうこの20年ぐらいはそういうのってないと思うんですけど、
エヴァンゲリオンのおかげだと思うんですけど。
スピーカー 2
うん、あれのおかげですね。
その前まではドラゴンマガジンとかコンプティックマガジンとか買ってるのを理解得られようがなかったですね。
スピーカー 1
そうですね。アニメーションとか僕も買ってましたけど、理解を得るのは非常に難しい世代だったんですけど。
スピーカー 2
今はそんなことないもんね。
スピーカー 1
全くですよね。本当アニメが、なんならその声優さんが憧れるとかっていうのが普通にあるわけで。
トレカの普及とコミュニティの運営
スピーカー 1
アニメとかゲームの中のキャストさんを応援しライブに行くと何万人も集まるわけですから、
明らかに雰囲気が、サブカルに対する雰囲気が変わったんですけど、
それもしかも男の子だけじゃなくて女の子も楽しめるという、今いい空調だと思うんですけど、
女性が遊ぶ趣味の中の選択肢の中に、多分トレカも今も入ってるんだろうなっていうのは感じます。
スピーカー 2
なるほど、それは大きな変化ですね。なんか想像もしないですね、25年ぐらい前の。
スピーカー 1
だから、今はハレルヤもそうでしたけど、お父さんお母さん、息子さんあるいは娘さんっていう組み合わせで買うゲームショップに来るんですよ。
マジックでしたらそうでしたよ。すごいと思いますよ、マジック・ナイガザリンご親子3人で遊んでくれるって。
僕からしたら定点の変化したんですけど、普通嬉しかったんですけど。
スピーカー 2
子供の時、子供っていうか20代前半の時に想像したことありました。
自分、カード買い集めて持ってるじゃないですか。これが自分だけ遊ぶものじゃなくて、
いつか子供ができて、子供が大きくなったら関心持って遊んでくれたら嬉しいなって想像したことはありましたけど、
まだうちの子供9歳ぐらいでちっちゃいんであれですけど、そういう世界がすでにあって、
ショップとか大会とかに足を運んでる人がいるっていうのはすごい嬉しいですね。
TCGの持続的なプレイ
スピーカー 1
まさかこんな趣味になるとは思わなかったですね。
小さい子に関して言うと、お父さんお母さんがゲーム世代だった。
今の15歳ぐらいから20歳ぐらいの人たちで言うと、普通にスマホネイティブだから、
スピーカー 2
普通にスマホでデジタルカードゲームを遊んでるからカードゲームに対して違和感がないみたいなのがあるかもしれないですね。
こんな感じで、本日どうもありがとうございました。いろいろ楽しく懐かしいお話を伺いました。
というわけで第3話はコミュニティをテーマに宮健さんをゲストにお招きしてお話を伺ってきました。
冒頭にこんな質問をしました。
ゲームメーカーが開発を停止したりサービスの提供をストップしたら、一体そのタイトルはどうなってしまうんだろう。遊ぶ人いるんだろうか。
でもきっとTCGはそれでもなお遊び続ける人いるんですよね、みたいなことを話したと思うんですけども。
それがなぜかというと、このトレーディングカードゲームを遊ぶためには大会に参加したり、あるいはいろんな運営をしたりっていうものを、昔は草の根の大会で行われていた。
今は店舗なんかが大規模な大会もやるようになっている。
そういうコミュニティがこの大会を開催して運営して、その中で時によってはカジュアルフォーマットの中から新しいルール、競技に採用されるルールが生まれてきているなんてことがあるので、
まさにコミュニティによって運営されている。
それがゲームのエコシステムの一部になっているんですね。
なので仮に新しいカードが、あるいは新しい商品が一切生産されなくなっても、それを遊び続ける人がいるんですよね。
ちなみに新しいものが出なかったら、じゃあその刺激がなくなってみんなやめちゃうんじゃないかって思われると思うんですけども、
現実今何が起こっているかというと、既に発行されているカードだけでいろんな遊び方を開発する人たちがいて、そういう大会が人を集めて盛り上がっているんですよね。
つまり新しいカード供給がなくても、遊ばれ続けるというのは既に現実に起こっているという、そういう面白いゲームなんですね。
というわけで今回はこんな感じのテーマで振り返ってみました。
次回はおそらく最終回になると思いますが、今度はメディアとかシステムみたいな裏側のところを話を深掘ってみたいと思います。
それではまた次回。