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2025-09-18 34:47

#241 車の運転が好き

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サマリー

運転が好きで、車にはあまり興味がないという話が展開されます。特に社会的なドライブの楽しさについて語り、運転中に感じる大きな一体感やストレスのない運転体験を共有します。また、犬とのキャンプ旅行の計画も紹介されます。このエピソードでは、ロビンソン・クルーソーの実際のモデルであるアレクサンダー・セルカークについて語り、彼の無人島でのサバイバル体験が探求されます。また、ロビンソン・クルーソーの小説が彼の経験からどのように着想を得たかにも焦点が当てられています。このエピソードでは、映画と小説の物語の構造の違いを探求し、特に引っ越しのエピソードの描写について語っています。また、映画の魅力や個々の作品に対する感想も共有されています。

運転の楽しさ
こんばんは、ささきるです。今日は久々の一人会です。ミョンさんがコタボーにつき収録に間に合わなかったということで、今週分は私一人で録音していきたいと思います。
それで、ミョンさんが来たら喋ろうかなと思ってた話があったんですが、それを一人で喋ることになるんですけどね。そのテーマが運転についてなんです。
私、そう見られないことが多いんですけど、車の運転意外と好きでして、好きなんですよ。例えばキャンプに行くとかね。
あと、出張でも新幹線で現地まで行って、そこから車借りて乗り回すみたいなことがあるんですけどね。これがストレスじゃないんですよね。好きなんですよね。
それでね、最近ホットテックの傭兵さんとかが車の免許取ってるなんて話を番組でしてるのもあって、ういういしい気持ちを思い出して、それで運転について話してみようかなと思ったんですけど。
いわゆる運転が好きだっていう風に言うと、よく勘違いされるんですけど、車が好きなわけじゃないんですよ。車っていうのは、メカとしての車が好きなわけじゃないんですよ。
僕、車持ってないです。その度にカーシェアというかレンタルしたりするわけですけど、一切こだわりがなくて、自分が何の車を乗ってるかもわかんないと。
わかんないんですよ。興味がないから。すっごい車に興味のない人から言わせると、乗ってしまうと車の外観ってわかんないんで、わかんないんですよ。
っていうのがね、例えば私の奥さんからするとね、わからないらしいんですよ。うちの奥さんはメカとしての車が大好きで、もう散歩してても何してても、道行く車全部見て、
これこんな車なんだなとか見て、外観と車両の名前とってのが常に一致してて、最新の車両とか最新機種とか、機種っていうのは車種か、全部覚えてるような人なんですよ。めちゃくちゃ車好きなんですよ。
その車好きの妻からすると、車乗る機会っていうのはすごい楽しいから、自分がいつどの車に乗ったとかってすごい記憶してるらしいんですけど、
僕からするとレンタカーの予約サイトのときにちょっと映ってて、検知行って鍵開けるときにもう一回見ますよね。見るというか目に入る。
だと乗っちゃうと車の内装って大体一緒じゃないですか。大体一緒っていうとね、車好きの人からすると、いや全部違えよって話したと思うんですけど、ハンドルが付いてるっていう意味で同じじゃないですか。
だからもう僕運転し始めるともう一緒なんですけども、奥さんとしてはもう内観もそうだし、乗り心地もそうだし、それが外側にまとってるサイズ感なのか何なのかよくわかりませんが、
そういうの含めて一個一個思い出の車全部記憶されるから、もういや何の車に乗ったか全然覚えてないのかっていうと、お前はアホなのかみたいな、アホっていうか本当に関心がないんだなみたいな感じで驚かれるんですけども、
何を言ってるかというと、僕車とかね、車主とか、なんつーの、車主か、には関心がないんですよ。運転が好きなんですよ。
これそこまで言えばわかると思うんですけども、運転が好きなのであって、車は割とどうでもよいというかね、もしかしたら車にも興味が出てくることもあると思うんですけども、運転するのが好きなんですよね。
社会的なドライブの体験
で、運転するのが好きって言うと、そういうと走り屋みたいなイメージありますよね。車漫画っていっぱいありますよね、なんかイニシャルDとかイニシャルDとかイニシャルDとか、あれ興味ないから車漫画も多分ぼっとあるんだと思うんだよな。
あれ、もう一個だけ知ってる。めぐみのだいごを描いてる人の漫画のやつ。なんかありますよね、カペタっていう漫画。あれも運転に関しての漫画ですよね。
スピードを出して、スピードを出してというかモータースポーツか、なんかそういうのありますよね。そういうのもね、あんまり、漫画としては面白いと思いますよ。もちろん読んだことあるし、漫画は面白いなと思いますけど、
僕が好きな運転っていうのはそういうのでもないんですよ。あれは競技的な運転だと思うんですけども。でね、僕何が好きかって言うと、多分ここまでそうじゃない、そうじゃない、あれでもないとかって言ったら、きっと一人でドライブして考え事しながら風景とか見るのが好きなんでしょって思うと思うんですよ。
いわゆるそれが試作的なドライブ、競技的なドライブに対して試作的なドライブね、思う試作するのね、試作に吹ける試作ね、そういうのが好きなんだろうっていうことになるんだと思うんですけども。もちろんそれも好きです。そういうのも好きなんですけども。
僕が運転するようになって自覚したのがですね、社会的なドライブっていうのが好きなんですよ。これちょっと説明させてもらってもいいですか。社会的なドライブっていうのは、例えばどういう時に感じるかというと、一番多いのはね、高速道路、高速道路で混雑してきた時に感じるんですよ。
つまり、たくさんの車があって、スピードが速いやつは追い抜いていったり、車間距離をとっていったり、坂道でスピードが出る、その先にカーブがある時にみんなゆっくり減速していくとか、あるいはちょっと自己車両があって急激にみんな減速しなきゃいけない時に、ハザードランプで急激に減速していることをみんなに電波的にお伝えしていくとか。
たくさんの魚が誰の指示もなく大型の魚の脅威から逃げたり、群れがあっちこっち海を移動したりするみたいなことってあるじゃないですか。
虫でもいいや、魚でも。でもね、海の感じと高速道路の感じが似てるから魚なんだと思うんだけど、魚が誰も指揮者がいないのにお互いのちょっとしたサインを交換しあって、相手の動きに応じて集団としての動きをしていく時ありますよね。
僕魚になったことないからわかんないけど。でも車運転している時に特にたくさん車がいるような高速道路とか高速道路の出口とか三連休の最終日の東名高速とかに乗ると、自分がその魚の一匹になったような感じがするわけですよ。
それが僕がやってる社会的なドライブってことなんですけども、そうした時に言葉を交わさなくてもみんなが考えていることがわかるわけですよ。
ウインカーを出す、ブレーキランプが光る、ハザードランプをたく、ゆっくり減速する、徐々にスピードアップしていく、右を開ける、左を開ける、車間距離を取るみたいな。
そういうのが連動して動いている時に、言葉を使わず、特に真っ暗くなってきた東名高速で東京に戻ってくる時の魚群の中の一体になった時に、とっても気持ちいいんですよね。
とっても気持ちいいってことに気づいて、全然僕、渋滞とかストレスに感じないんですよね。その時って言語的な思考から解き放たれてて、好きな音楽を聴きながら家族とか友達とおしゃべりして、運転にストレスがかかるかというとかかんないんですよね。
もう自分が何かを考える必要がないんですよ。もう自分がどう動くべきかっていうことが、そのサインが魚群全体、周りのお魚たちがお伝えしてくれるんで、その通りに動けばいいんですよね。
ああいう全体の一部になる社会的なドライブっていうのがすごく好きなんですよね。好きっていうか、そういうのも好きっていうか、すごい好きだなと思いましたね。
そう思った時に、教習所?自動車学校?で何を習ってるのかっていうのが理解できたんですよね。つまり車を運転するだけだったら、もちろんいきなり行動を出るのは危険だけども、もしプライベートな広い場所とか道路があるんだったら、車を動かしたり止めたり、あるいは駐車場に出し入れしたりする練習なんて一人でもできるんですよ。
全然難しくないですよ。でも運転するっていうのは、車っていう道具をうまく操るっていうことを学びに行ってるんじゃなくて、もちろんそれができてるのは大前提で、車に乗って海に出る。つまり魚として海に出る。
社会に入るときに、その社会の身の前の人たちが発してる情報をちゃんと感じ取って、ちゃんと行動に移せると。車の中にお互いいるから意思疎通できないわけですけども、意思疎通できない状態で車のサイン、車を減速する、加速する、ブレーキランプ、ハザード、ウィンカー、あとはちょっとしたハンドルの振り方。
犬とのキャンプ計画
そういうので出すサインを感じ取って、適切に集団として安全な一体行動を取れるようにするっていう、車言語を獲得するために行ってるんだと思うんだけど、車言語を獲得してその集団の中に入るっていうのが楽しいんですよね、みたいなことを宮本さんとおしゃべりしたかったけど。
多分宮本さんもね、車の運転好きなはずなんですよ。しかも運転が好きなだけじゃなくて、多分車そのものも好きだと思うんで、ちょっと車の話したいなと思ったんですけど、ちょっとまた機会があったら聞いてみようと思います。
車と言えば、ついさっきまでこれを撮っている直前、これを撮る直前に10月に家族でキャンプに行こうと思って予約をしてたんですけども、うちで飼っているワンちゃんと一緒にキャンプ行きたいなと思って。
今まで行ったことなかったんですけど、ワンちゃんが2歳になりましてすごく落ち着いてきたし、犬連れのキャンプいいんじゃないかなと思ってちょっと調べてたんですけども、当然ながら犬と一緒に泊まれるキャンプ場って普通のキャンプ場よりも数が少ないんで、まずそこを調べて、10月の三連休って結構人気のところなんでね、あまり選択肢がないんですけどもそこを調べて、
なおかつ犬乗せていくんで、あんまり遠いところだよね。車にずっと閉じ込めてストレスもかけたくないから近場で選んで、探して。
それ、埼玉の長徒楼の方に行くんですけど、それを予約して、その後オリックスレンタカーと日本レンタカーと近場のところを調べて、ワンちゃんが乗れる車両を調べてそこを予約すると。
当然ながらワンちゃん乗っていい車両が各レンタカー会社で制限されてて、この日はもう全部出払ってるんで見た目上予約可能になってるけどワンちゃんと一緒に乗れる車はもうないですよとかそういうとこもあるんですよね。
なのでそういうところを避けて、なんとか探して。そしたら最寄駅の家から一番近いレンタカーのところにはなくて、隣駅ですね。電車に乗ると2分くらいなんですけど、とはいえ隣駅のレンタカーのところにワンちゃんと一緒に乗れるやつがまだ空きがあったんで、それを予約して行くと。
ちょっと楽しみですね。いつも家庭の中ではワンちゃんはワンちゃん一人で寝てるんで、家族と一緒には寝てないんですけど、なんか家族と一緒に寝たそうな雰囲気は出してるんですよね。
なので家ではそれやるとしつけ状というか示しがつかなくなるというか、一緒にベッドで寝始めたら一生ワンちゃんとベッドで寝ることになると思うんですけど、寝るのはいいんだけど逆に言うと一緒じゃないと寝れなくなる。向こうがね、犬の方がね。
そうなるとちょっと扱いづらくなるなと思って結構一線を引いてるんですけど、たまにキャンプならいいだろうということで、犬と一緒に家族で寝るっていうのをね、やりに行きます。
これすごい楽しみっていうか、いやそれをしたいよな。何しろ犬飼うって人類の最初のお供ですからね。家畜としてというか、人類最も身近なペットというか家畜というか。
子供の時に読んだ絵本じゃないな小説が、小説は火の戦士っていう小説があるんですけども、それは旧石器時代から人類が石を使うとか火を使うとかペットと暮らすみたいな、数万年の間に獲得した技術とか習慣をある一世代の人間、10代から30代くらいまで、2、30年か。
2、30年の時間の中で一人の男性が全部経験するっていうような、フィクションなんですよ。当然フィクションなんですけども、群れから追放された一人の人間が火起こしをしたり、弓に矢をつがえて撃ったりとかね、火起こしたりペットをつけたりって人類が体験したことを2、30年で全部追体験するっていう小説があって、それを読んで以来犬と一緒にキャンプファイヤーのそばで世を博すっていうのは夢だったんですけどもね。
キャンプファイヤーの外で一人で寝てたら、キャンプサイトの人には怒られると思うんですけども、そうはできないんだけど、キャンプ場には連れてって一緒にいられるんで、ちょっと楽しみにしてます。
いや、なんかそれで話がそれたんですけど、最近読んだ本で、ロビンソン・クルーソーを探してっていう本があって。ロビンソン・クルーソーを探して。これは高橋大輔さんっていう冒険家の方が書いた本で、結構古いんですよね。
ロビンソン・クルーソーの実在のモデル
1990年代、99年の本なので結構古いんですけども、このロビンソン・クルーソー、世界で最も有名な小説の一つと言っていいと思うんですけども、それのモデルになった人物が実在しまして、その人物が実際その島の中でサバイブした島。
ロビンソン・クルーソー、小説では確か20年くらいその島に閉じ込められてるんですけども、実在の人物は何年だ?4年とか7年とか。それを探しに行くんですよね。ただね、時代がかなり古くて、17世紀かな?18世紀かな?適当なことを言うか、今近くに本がないんだけど、大体そのくらいの前の人なんですけど。
それの痕跡を探すっていうのがあって、それが非常に面白くて、今何でそれを思い出したかって、火の戦士っていうのが旧石器時代からの人類の追体験する話だったんですけど、ロビンソン・クルーソーは海賊船から降ろされて、そこの島に漂流したっていうか置いていかれたんですよね、無人島に。
人なんで、当然ながらマスケット銃、鉄砲も持ってるし、ナイフも持ってるしっていうことで、かなり旧石器時代に比べて進んだ人ではあるんですけど、なんかブドウ畑を作ったりね、パンを作ったりとかするのがね、なんか異様に面白いんだよなあ、という常説が。
本当にロビンソン・クルーソーものって、今にもあるよね。今にもあるっていうか、ある種の異世界転生ですよね。ある能力とか知識を持った人間が、過去の、あるいは遅れた、あるいは孤独な状況に置かれて、その知恵と工夫で乗り越えていくっていうスタイル。
異世界とはまたちょっと違うかもしれないけど、一人の人間がそういうふうにやっていくものとしてのパターンというかアーキタイプになっていると思うんですけど、そのね、ロビンソン・クルーソーを探しているとすごい面白くて。
でね、要はね、あまりにも古すぎて痕跡が探せないんですよ。その痕跡が探せないのなりに、じゃあどうしたかというと、ロビンソン・クルーソーが生存していた、ロビンソン・クルーソーじゃない、元の名前、なんていう名前だったかな。ロビンソン・クルーソーで言い続けると誤解を与えるから。
あっ、アレクサンダー・セルカークだ、セルカーク。このセルカークっていう人が、1704年から約5年間、18世紀でしたね、18世紀、南米チリ沖の無人島に放置された後に救出されたと。
はい、これがダニエル・デフォーの小説の着想となって、ロビンソン・クルーソーになったと。今でもロビンソン・クルーソー島っていう風に名前呼ばれてるんですけども、小説が出た後に変えたということなんですけども、
ロビンソン・クルーソーが、間違えた、セルカークが1700年代にこの島に生存し得たとしたらどういう条件が必要かと。
例えば水を確保する必要があるとか、あと事実として海のものを食べてたようなので、海に出やすいところであるはずであるとか、いくつかの生存するための条件みたいなものを出していって、そこに合致する場所を3つ候補を出して、
その3つの場所に実際何週間かな、2週間滞在して歩き回りながら、セルカークが住めていたとしたらどこだろうかっていうのを実体験していくっていうルポなんですよね。それがえらい面白くて。
これ何が面白いと思っているかというと、この手法は、例えば島の物語の中にね、この1600年代とかの話がよく出てくるんですね。1600年代とか1700年代の話も出てきます。
ただあまりにも古い過去なので、その痕跡を、全く同じ痕跡を探すのってすごく難しいんだけど、その中でこのお話が残り得た、このお話の中の地形的なヒントであるとかどこだろうとかっていって、絞り込んで、そこに実際滞在する、山になるかもしれないけど、滞在するみたいなことは今でもできるわけですよね。
で、当時の人だとしたらどういう行動をしたかって、自分に照らして考えるみたいなことができるんで、この手法、このロビンソン・クルースを探してっていう高橋たすけさんの本で捉えてた手法は、特に数百年前の、300年とかね、400年前のことをルポするにはすごい良い方法だなと思って、面白いなと思っているところです。
映画と小説の比較
これね、もしかしたら実際なんかやるかもしれません、私。どっか、どっかっていうか、東能なんですけど、東能でね、やるかもしれない。やりたいと思ったことが1個あって、やろうかな。
で、なんかだんだん、この話になったんであれなんですけども、今朝ね、聞いてたポッドキャストで、優しい民族学っていうポッドキャストがあって、これあの民族学好きな人よく聞いてるやつで、最近本にもなったんで、また話題にもなっているのかな。
それにですね、森内小幸さんっていう、メディアヌップにも過去何度かゲストに出ていただいた、今は宮崎県のシーバソンに住んでいる学芸員さん、地域おこし協力隊兼学芸員さん兼博士課程の学徒でもあられる森内さんが、小幸さんがゲストで出てて、なんかね、3回シリーズの今1回目なんで、3分の1しか聞いてないんですけどもね、面白かったですね。
東野とシーバソン、つまり柳田邦夫が自分の学問を起こすときに起点にした西っていうかね、西の山の中のシーバソンと東北の山の中の東野って、この両方の場所に現代でどっちにも住んだことがある、住んで研究してるなんて人って、森内さん一人しかいないんで、もうこれは現代の柳田邦夫と言ってもいいような、そういうことをしてるね、方なんですけども。
それすごい面白かったんで、ぜひリンクもしておくんで聞いてみてほしいんですけど、それがね、面白かったね。それもね、山の中の話なんですけど、なんかロビンソン・クルーソー的な連想が、シーバソンがすごいもう日本三大秘境だとかって言うからね、僕すごい期待が高まっちゃってるんですけど、いまだに行けてない。行こう行こうと言いながら、いまだに行けてない。
行ったことないなりに、僕、近しい光景があって、新潟県の山越村っていう、ここはね、宮本恒一がよく足を運んだ、民族学者の宮本恒一がよく足を運んだとこで、僕自身は日式越えNFTっていうそういうプロジェクトで親しみがあって、遊びに行ったことあるんですけどもね、本当にこう旧春な山の中にポツポツと集落があって、その山の中がネットワークされてる。
で、あらゆる道がくねくねとつづら折りになってるみたいなね、そういうとこなんですけども、聞いてるとね、シーバソンも角度60度みたいな山が連なっていて、10か所ぐらいの集落があって、そこがくねくねした道でつながってるって言ってたんで、たぶん近しい感じなんじゃないかと思うんですけどもね。
あの僕、あの光景、山越島の光景思い出すんですけど、すごい景色がいいんですよ。今自分が立ってるのもどっかの山の斜面なんだけど、その目の前にも誰かが住んでる、どっかの山の斜面があって、それがこうてんてんてんてんて折り重なっていて、なんか雲の上に住んでるようなね、僕行ったことないけど、マチュピチュにもし人が住んでたらこんな感じかなと思ったんですけど。
そういう感じがしたんですけど、宮崎もそういう感じなのかな?どうなのかな?分かりませんが、すごく行ってみたいな。山で思い出したわけじゃないけど、今、映画遠い山並みの光っていうのが9月5日から公開になって、劇場でやってるんですけど。
これ、和尾石黒のデビュー作。4位出たのは多分1982年ぐらいで、その時は女たちの遠い夏ってタイトルで、今の遠い山並みの光ってタイトルになって出たのは88年とか、多分その辺だと思うんですけど、その作品が40年ぶりぐらいに映画化されて、今劇場公開してるんですけどね。
これがね、えらい面白いんですよ。えらい面白い。衝撃受けましたね、僕。小説もね、すごいミステリアスな雰囲気をまとってて、あれどういう話なんだろうってちょっとね、分かんないような感じなんですよ。で、分かんないくてもいいと。
なんかそういう余韻ごと楽しいみたいな本なんで、それはそれでいいんですけど、映画だとミステリアスな部分がもっとサスペンスとして強調されていて、はっきりとした謎の解決っていうか、なんか不思議な部分もまだたくさん残ってるんだけど、こういうことだったんだよって結構はっきりと示してくれてるんですね。
映画では分からなかったことが映画でははっきりと示されていて、それがね、すごい面白かったんですよ。面白い面白いしかやってないのは何で歯切れ悪いかというと、あるネタバレになっていて、見てない人にお伝えすることができないような内容なんですけども、僕なぜそれに衝撃を受けているかというと、本を読んでてね、その構造、仕組みに全然気づいてなかったんですよ。
で、映画館で久々に遠い山雨の光を見て、こういう話だよなって途中まで見てたんですけども、その最後の最後である謎の種明かしみたいなのがあって、びっくりして家帰って15年ぶりぐらいに小説を再読したんですけども、
確かにその謎の解決方法を示された後に読むと、確かにこういう話だったのかなっていう風には読めるんだけど、やっぱり再読してもその元の小説に描かれているヒントがものすごくささやかで、これ普通に読んだら気づかないなっていうような話なんですよ。気づかないなっていうのは、なんかミステリアスな話だなって終わっちゃう。
でもよく読むとすごくはっきりとした謎の解決みたいなのがあって、そう思って読むのとそうじゃないと思って読むのとで大違いであるみたいな感じなんですよ。
これなるべく言わないようにしてるから今すんごい歯切れ悪いんですけど、違うものの例えで言うと、比較的読んでる人が多いだろうと思う村上春樹の予備作「風の歌を聴け!」で言うとね、あれってたくさんの断片に分かれた小説で、主人公とネズミっていう男の子とあと何人かの女の子が小指のない女の子とかに出てきて、神戸でお酒いっぱい飲んで夏休み終わったら東京に帰ってくみたいな、なんか青春小説だと思ってる方多いと思うんですね。
さーっと読むとそういう感じなんですけども、よくよく読むと主人公の彼女が妊娠をして、それはきっと主人公の子供でしょう。妊娠をして大学の寮の近くで首をつって自殺をしてしまったと。
それに深く傷ついている主人公がいて、その妊娠とか女性とかを巡り話をしていくやつなんですよ。でもそれがあまりにも主人公とかの、もしかしたら村上春樹自身の自伝というか実話なのかもしれないけど、あまりにも深く傷ついてるんで、深く傷ついた原因になる。
彼女が自分の子供を見守って自殺したっていうことをすごくわかりづらく書いてるんで、普通に読むとわからないんですよね。もうすごく暗号メーター、なんていうかな、入れ替えがあって、話の入れ替えがあって隠してあるんだけど、それに近いかな。
その隠してる、お話をわかりづらくしてる、ミステリアスにしてる手法はそれとは違うんだけど、一回読んだ後と後から謎解きを聞いたときの違いの楽さでいうとそれぐらいの違いがあるんですよ。でね、めちゃめちゃ面白かった。
で何が面白かったっていうと、その謎解きが面白かったんじゃなくて、その謎解き、なぜそんな複雑な話にしなきゃいけなかったのかってことなんだけど、遠山並の光の主人公は越子っていう女性のニュースに移り住んで、長女を自殺で亡くしてると。
で、それについて自分を責めている。深く後悔している。で、まあそりゃそうですよね。考えてもみてくださいよ。自分の子供ですよ。大石。大石が自殺して亡くなっちゃってるんですよ。
その悲しみみたいなものを間接的にっていうか、深く悲しんでいるからこそ、別の方法によって逃避したり救われたりしてるっていう状況があるんですけど、その状況そのものをまず描いてるんで、すごく間接的なんですよ。いろんなことがね。その表現が。
で、お話としてはすごい悲しいスクリーンな話に思えるんだけど、ある改善があると。解決じゃない。前進かな。ちょっとした前進が見えて、最後お話は終わるっていうことなんですけど。
それがね、小説の中だとすごい構造がわかりづらいのが、あれはね、脚本を監督された石川圭さんがとっても素晴らしい仕事をしたっていうことだと僕理解してるんですけども。
映画の中、小説の中でわかりづらかったシークエンスであったり、つながりみたいなものをはっきりと抜き出して、もしかしたら作者自身が意図してなかったことすらも浮かび上がらせて一本の映画にしてるんですよね。
映画と小説の比較
いや、例えばね、こんな細かい話しても見てない人あるかもしれないけど、小説の方だと主人公のエツコが今住んでるイギリスのうちを引っ越すっていう話がね、最後の方に出てくるんですけど、小説ではね。
映画の方では引っ越しするって話がね、最初に出てくるんですよ。で、これ単に順番を変えたわけではなくて、最初に引っ越しをするっていう話を前に持ってきたことによって、今の引っ越しと、昔長崎、日本の長崎に住んでたんですよ。
長崎からイギリスに引っ越すときの記憶がね、それによって呼び起こされると。それによって、当時つらかったある事件のことを悪夢でパッと見て、それを思い出すとこから話がスタートするんですけども。
このね、二つの引っ越しっていうオブジェクトっていうか、物語上のアイテムがあったときに、原作ではそれが分割されてるんですよ。長崎の引っ越しが前半の方で話されてて、後半の方に家の引っ越しが出てくるみたいな。
でもちゃんと映画では、この二つの引っ越しを重ねて始めることで、すごくそれが分かりやすくなってるとかね。こんなようなことが無数にあって、これね、見事だなと。見事だと。
音症すぎてね、僕二回行きました。僕好きな映画は二回行く。二回見に行った映画は本当にいい映画だなみたいなのがあるんですけど。僕の好みの映画だなってことなんですけど、これはすごい良かったですね。
あの、あれですね。国宝がありますよね、国宝、映画。国宝はもう一回で十分だったけど、遠い山並みの光は二回見たし、次配信に来たら三回目絶対見ると思いますね。
国宝は映画見た後に小説版を妻が買ってきて読んでたんですけど、全然読み進められないと。簡単すぎて。簡単すぎてっていうかね、登場人物の感情が全部書かれすぎてあって、それで長くなっていて。
橋田須賀子のドラマを見てるみたいな小説だっていうことだったんですけど。これ合う合わないあると思います。そういうのがいいっていう方はいいと思います。本当真逆ですね。遠い山の海の光と真逆。遠い山の海の光は何にも書いてないから、何度読んでもこんな話だったの?みたいな。
映画版で提示された話が小説版にヒントがあったのだろうかと思って読んで、やっとちょっと分かるくらい。それぐらい分かりづらいけどなんか面白いっていうやつとね。あと分からないことがないぐらいビッチリ書き込んであるけど、もう説明してくれなくていいって思っちゃうみたいな。なんか両方ありますが。
はい、好みかな。好み?いや好みじゃないみたいな。好みかつ多数派と少数派みたいな。ちょっと少数派を応援するポッドキャストでありたい。はい、というわけで今日はひとりがたいでしたが。難しいねひとりがたり。
うちぬまさんが毎回1時間以上ひとりがたりしてるのって本当にすごいと思いますね。あれちゃんとメモを用意してうちぬまさんがしっかり準備してやられてるって言ってたんで、いやそうだよな。さすがにそれそうだよなと思いました。
僕みたいに適当な車のこと考えて、車からキャンプの犬猫かのベッドの話考えて、キャンプから山のこと考えたからシーバソンのこと考えて、ロビンソンクルーソーのことも考えて、山のこと考えたうちに遠い山並みの光考えたみたいな、適当な連想ゲームだと土地中身のない時間もあったかと思いますが。
今でもお付き合いいただきありがとうございます。
はい、メディアヌープではいつもニュースレターを同時に発行していまして、そちらのほうにいろんなリンク、例えば商品の購入リンクとか本の購入リンクなんかも置いてますんで、あとディスコードとかお便りのメッセージもそこから送れるようになってます。よろしければそちらもチェックしてみてください。
それではまた来週お会いしましょう。おやすみなさい。
おやすみなさい。
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