僕ね、300回記念で感想も何も送らないダメなリスナーなんですけど。
もうほとんどないですよ。
この番組を通じて感想を言うとですね、201から300まで、過去より面白くないですか。
本当ですか。
つまり、こう言うとあれですけど。
ありがたい。
1から200よりも、201から300までの方が面白いと僕は思ってて。
理由としてはね、うすださんの態度が会社の距離感。
録音上の実際の距離感あるんですか。会って収録するようになったとか。
できるだけ会って収録するようにはしてるんですよ。
そこは元々意識してて、オンラインだとちょっと距離が出るんで、編集難しいんだけど、できるだけ対面でやりましょうというのはやってますね。
多分ね、そこの違いは、うすださんがポッドキャストの界隈に少しずつ触れ始めたっていうのが一番大きい気がします。
それこそほら、ポッドキャストビークエンド行くとか、なんかイベントやるとか、そういう影響が少しずつ積み重なって、
ちょっといろいろ企画やってこうかみたいなのがうすださんから出てくるようにもなったし。
そうか。じゃあ、僕とかあるいはくしーさんとか、聞いてる人が影響与えてるっていうか、観察者が影響与えてる。
だと僕は思いますね。
あとあれかな、僕特に好きな絵画、言葉は使う系のやつは、
そうですね、最近多いですね。
最近多かったんじゃないかと思うんですよ。
で、多いし、これに関してはうすださんもかいさんも結構盛り上がるというか、
そうですね。
だいたいどっちかがクールっていう話題が多いと思うんですけど、
言語系のやつはどっちも盛り上がるから、
言語系って言うのかな、編集系というか、メディア系というかね。
とかね、言葉の使い方とかね。
大体それは増えてきちゃう気がしますね。
だからね、余計に面白くて熱心に聞く回が増えてますけども。
僕らの300回でお便りいただいたときも、数は少なかったんですけど、
その中でも人気だったのは、裸とお尻の話でしたからね。
はいはいはい。気持ち悪いってやつね。
上司がスケジュールの締め切りのことをお尻っていうのは気持ち悪いというやつですよね。
そうそうです。
むきなしのまま渡すことを裸っていうのも気持ち悪いっていう。
いや、それについて今話しそうになったけど、ちょっとそれこうグッとこられて。
グッとこられて。
で、一番話したくなった、直近話したくなったテーマを延長戦をやりたいですっていうのが、
今日の趣旨というか本題でございます。
メディアヌップ。
というわけで、ゴンギツネなんですけども、ことの経緯で言うと、朝日新聞デジタルのメディアトークでゴンギツネの話をして、
で、それを受けて会談がゴンギツネの話をした後に、
もういてもたってもたまらなくなって、自分のディスコードにゴンギツネの感想を書いたんですけど、
あの話は面白かったですよね。
面白かったですね。
軽く説明したほうがいいんですかね、朝日新聞デジタルの問題提起については。
そう、僕もね、今日収録までの時間ありすぎて、これなんかね、忘れちゃったんですよ。
何だっけ?
何でしたっけこれって。
元々はゴンギツネというね、すごく有名な童話がありまして、教科書にも使われているような。
で、ゴンギツネの最後っていうのは、ちょっと主人公のページュ、ページュとの行き違いにより、ゴンを謝って殺してしまったと。
正確に言うとこの殺してしまったという表現が一番のポイントなんだけども、
正確には盗みに入ってきてイタズラしに来たと勘違いしたゴンギツネをページュが討ってしまい、
それによって本当はページュは今まで、ゴンは今までページュにいろいろ悪いことをしてきたから、
恩返しにいろんな山の栗とかキノコとか松茸とかを持って行ってたにも関わらず、
それを間違って討ってしまい、実は今までこういうお供え申し上げたのはゴンお前だったんだなって言って、
ゴンはがっくりと唸られてっていう表現で終わっていくエンディングのストーリーに対して、
和西新聞電視さんの指摘が、最近これを読んでゴンは死んでない説が強いと。
なぜなら死んだとはどこにも書いてないからというところで、まず疑大提起が上がったって話ですね。
これ元はXかなんかだったんですかね。Xがトギャッターでまともらえてとか、そんなことだったのかな。
大元のやつは見てないんですよ、僕。メディアトークで知りました、僕はこれ。
なんかそうですね、どっかで見た気はする。僕も少し遠い記憶になってしまったけれど。
で、僕これ面白い話だなと思って、でもゴン狐なんてもう何年前っていうか、
40年も前じゃないけど、35年ぐらい前、35年以上前の話なんで、全く覚えてなかったんですけど、
うちの奥さんがすごい記憶力いいんですよ。めちゃくちゃ記憶力よくて、もう不気味なくらい記憶力いいんですけど、
ゴン狐覚えてるって聞いたら、覚えてるよって言って、覚えてるって言ってもね、そんな細かくは覚えてないだろうから。
要するに最後のとこぐらいっていうね。
でね、印象としてね、ゴンって死んでた?死んでなかった?って言ったら、死んでないっしょ?って言われて、
お、来た来た。
即レスだったんだ。
来た来たと思って。
なるほど。
で、お?と思って。
基本、僕はね、ネットで話題になってるのを聞いたから、基本死んでる人が多数派だと思っていて、
死んでないっていうのが少数派だけど、最近だと増えているのか、あるいはネットだとノイジーマイノリティでノイジーなのか、
少数派だと思ったら、うちの奥さんがいや、死んでないっしょ?って言ったんで、あれ?どっちがメジャーなのかってこれ不安になって。
なるほどね、面白い。
で、ネットで検索したら、あれもうパブリックドメインになってる作品なんで、リーミナンキッズさんのゴン狐、
全文読めたんで、もう一回読み直したんですけども、確かにこれはどっちとも取れるというか、どっちでもないというか、
面白い問題だなと思ったんですよね。
で、思いまして。
で、思った結果としてというか、思う前から朝日新聞デジタルのみんなと聞いてるときからそう思ったんですけども、
あれ絶対死んでるでしょ?作者がそう意図してるでしょ?それが全部文章に表れてるから、絶対あれ死んでますよね?ってこう、
新聞記者3人の見解が、新聞記者っていうか、第1さんは新聞記者じゃないかもしれないけど、新聞社の人の見解が一致してたのが、もうとても気持ち悪かった。
なるほど。
いや、そんなことないだろうと。
あれ小説だからね。小説だから、新聞記事じゃないんだから、作者が意図したこれはこうだから、事実が1個ですみたいなんて、そんなことないじゃんと思ったんで。
確かに読んでみたら、確かにどうとでも取れるようにも書いてあるし。
うん。
これはまあいろんな意見があってもいいんじゃないかな、なんてことをね、思いました。
僕の感想言っていいんですか?
はい。
僕も結構難しい視点がいろいろあるなと思っていて、そもそもこれっておそらく小学校低学年ぐらいで教科書で学ぶことが多い題材だと思うんですよね。
ですよね。
僕も小学校で読んだ気がする。で、おそらくは、今の教科書がどうなってるか知らないですけど、僕らが昭和の頃に学んだときは、
おそらくこれをもって、こういう表現で死を表現することもあるんだよみたいな題材だったんじゃないかと思うんですよね。小学校の時期は覚えてないけど。
死とは直接書いてないけど、これはどう思う?みたいにきっとおそらく感想を書かせて、いや死んでないと思えば死んだみたいな、きっとここで同じこと僕ら小学校の頃やってんじゃないかなと思って。
やってんのかな?記憶になさすぎて。
うん。その、題材として直接的に死んだとは書いてないんだけど、ストーリーとして死んだと読み取れる文章ですよねっていうところをここで学んだんじゃないかなと思うんですよね。
で、そういう意味で言うと、測ってないんだけど、おそらくそういう授業で多くの人は、ゴンギツネは死んだと学ぶのが多数派解釈というのが世の中にはあり、
それはそれとして、あれを死んだと読み取るというのは一つの文章の、文章術としては僕は正しい作戦だと思うんですよね。
ただ、創作として見た時にあれを必ず死んだと読み取るかどうかは全然別なのと思う。だから読み取り方の問題だなという気がするんですよね。
やっぱ新聞記者の人はこう書いたからこう読み取れっていうのがやっぱりルールとしてあって、それがスキルセットだし、そういう文章術として生きてきたからそうなるんだけど、
創作の視点で見た時に、あえてそう読み取らせて実は書いてないのみたいな、その序述レトリックとかあるじゃないですか。
うん、ありますよね。そうそう、あるある。
そっちの論点で見るから、全然話が変わるんだろうなと思います。だからゴンギツネを新聞記者の目線で見るべきなのかというのはあるけど、視点としてはすごい面白いと思うんですよね。
逆に面白いっていうのはありますね。そもそも創作というかフィクションなんだけれども、新聞記者が気まじめに読むとどうなるかっていうネタとして聞くと面白いかもしれないと思いました。
僕結構序述レトリックすっごい好きなんですよ。それって本当はこう読み取るべきっていう表があるからできるわけじゃないですか。
例えば小説の中に僕ってずっと出てきたらその僕は必ず同一人物だと思わないと序述レトリックが実は成立しなくて、僕って言ってるけど実は僕は3人いましたみたいなのが序述レトリックじゃないですか。
それはその両方が入ってて、まずは僕という名詞は全部同じ人物であるという大前提をまずは持つ理解力として。
だけどそのさらに応用としてとはいえ僕が同じ人は言ってないですよねところが面白くなったりするので、両方いるんだろうなと思って。
で、僕がちょっと怖いなと思ったのは、両方わかってていやいや死んでないでしょはすごく創作としては面白いんだけど、本当に書いてないから絶対にないですって言っちゃうのはそろそろ怖いなっていうのが僕らの論点でしたね。
そういう人もいるのかな。もしかしたら本当にそういう人がいたからネットで話題になったのかもしれないんですけど。
僕からするといやこれ全体に死んでますよねっていう朝日新聞の人の意見とこれ絶対死んでないですよねっていう意見は死んでるか生きてるかっていうことの答えは別だけど絶対答えが一個あるはずだって言ってる時点で僕同じ意見だと思ってて。
この作品自体はもっと曖昧になってるんですよね。兵銃がゴンを撃った。ここまでは事実ですと。撃った後にゴンはぐったりと目をつぶったままうなずきました。
ここで二人の間で、二人っていうか一匹と一頭と一人の間でコミュニケーションが成立してるんでこの時は生きてますよね。
この後最後兵銃が火の味をバタリと落として青い煙がまだ筒口から細く出ていましたってなってると。
最後情景描写で終わってるんですけどこの情景描写がゴンがそこで絶命したことの遠距く表現であるのかあるからつまりゴンは死んでるのか。
いやこれはただ単に激しい銃声の後の静かな静寂の雰囲気を表すための描写なのか。
ゴンはまだ生きててその後大怪我だから死んじゃうのかもしれないし一命取り留めるのかわかんないけどとにかく描かれてないと。
ただこの最後の一行の時点では死んでるかどうかわからないっていう風に受け取る人とでその曖昧な状態があると思うんですけど。
バカじゃん。
いや、これは完全に僕は弟の気持ちわかんない。絶対そんなことがあってはならない。お願いした方が、そんな失敗を笑ってはいけないと、すごく思ったんで。
まあ僕その、ちょっとね、梅と桃の程度問題がどの程度かわからないんですけど、僕仕事でも結構俺頼む方が、頼む方が俺反省すべきだと思うんですよ。
なんかわかりませんでした、全部梅だと思ったんで全部取ってきました。
ゴンは死んでないと思います、帰ってませんでした、みたいなものって言う方が悪いんじゃなくて、俺頼む方が悪いと僕は思うんだよね。
なるほどね。
どんな場合であっても、どんな場合であっても、まあ大体の場合とか思いましたね。
これね、またあえてちょっと議論が拡散しちゃうんですけど、今の話に関してはちゃんと前提条件伝えなくてごめんね、悪かったね、だと思うんですけど、
例えばね、すごい極論ですよ。若い子が一緒に仕事してて、例えばシフトの交代のタイミングで、
ちょっと今の時間にご飯食べてきてってご飯を送り出して帰ってきたんだけど、すいません、そばにご飯屋さんがなくてパンしかなかったんで食べてこなかったですとかいうことを、極論ね。
僕、その文脈の解釈、そのレベルの怖さがちょっとあると思っていて、仕事でお願いしたことが、その言葉が例えば複数の意味があったら自分の知ってる意味しか取らなかったりとか、
全く書いてないところを読み取らずにみたいな、前段の解釈とは別の、本当に書いてある書いてないだけでロジカルに、ロジカルではない気もするけどもはや、解釈するときに、
ちょっとそこの怖さはあるなと思っていて、一切指示書に書かれてなかったんで、それはやんないですよねみたいな。
ここの難しさは、どこまで全部きれいに、外に行ってご飯を食べてきてください、その際にお腹を満たせばいいのでご飯と言いましたが、パンでもパスタでもお好きなものをどうぞとかなのか。
タカトリヤ まあさすがにそのレベルの人は多分いないでしょうね。
これ極論なんですけど。
タカトリヤ お風呂入ってきていいよって言って、シャワーしかない浴槽だったんでお風呂入れませんでした。シャワー浴びてきませんでした。
とかとか。
タカトリヤ じゃあ風呂もシャワーも一緒だろみたいな。風呂は体をきれいにするっていう上位概念の、解概念で上位概念を説明してる言葉だろお前みたいな風にいちいち言わなきゃいけないとしたら、たぶんその人日常生活遅れてないと思うんで。
タカトリヤ でもそのレイヤーは違えど、このシャワーとお風呂の違いはもしかしたら梅と桃の違いに近いかもしれないですよ。
タカトリヤ 現地で生きてる人からしたらシャワーと風呂ぐらい梅と桃は違うんだけどみたいな。
梅取ってこいって言ったら桃まで取ってきやがったこいつみたいな。ほんとこれ一生洗ってるもんなこれ。
タカトリヤ これさでも別のとこ行ったときに、あんまりシャワーとか浴槽使ってる家族の人が東京出てきて風呂入ってこいって言って風呂がなかったんでってこいつシャワー浴びてきてんだよって一生いじられるのも近いかもしれない。
タカトリヤ 確かにご飯食べてきてパンしかありませんでしたみたいな。じゃあ俺ちょっとそのときは僕の両親みたいにじゃあお前一生腹すかせてろってちょっと僕怒っちゃうかもしんない。
タカトリヤ いやー難しいな。書いてある書いてないだけとか指示してないで読み取る以外に能力は、やっぱり能力スキルなんだろうなと思って。ある程度それが備わってないとしんどいし、そうじゃんほら僕の番組でそんな話を出しましたけど、ケーキを切れない飛行少年って話もあったじゃないですか。
タカトリヤ 三等分してって言ったら三つに切っただけで等分じゃ全くないとか。そういうことは世の中往々にしてあってそういうコミュニケーションできたときに反論はできないなと思って。もし本気でいやご飯食ってこいって言ったじゃないですか。ご飯なかったんですもんってぶち切られたときにさてどうしたものか武器がないなと思って。
タカトリヤ でも相手が誰かをイメージすると答え変わるなと思うのが、例えばベトナムからやってきた技能研修生で日本語一生懸命コミュニケーションしてる人にご飯食ってこいとか風呂入りで通じなかったら1時間休憩してきてくださいって次は多分言うかもし、ケーキの切れない子に関しては学習障害だから、学習障害の子が認知しやすいような多分の指示の仕方を多分すると思うんで。
たぶん誰かによりますよね。コンテクストというかその文脈によるとは思いますけどね。
タカトリヤ コミュニケーションしていくときにおいてそういう文脈で判断せずにちゃんと伝えましょうねっていうのは僕はすごい話でそこはそうなんですけど、それをバトル的なとこになったときに解決要素を盛り込むのあるコミュニケーションのときに、書いてねえだろっていう敵の攻撃に対してそこを反論するのむちゃくちゃ難しいなみたいなのが、たぶん僕らがずっと課題意識を持ってたとこなんですよね。
タカトリヤ 書いてないだろ。何があるかな。
タカトリヤ なんかそこでそういうコミュニケーションで、わからなくてだったらちゃんとごめんねこちらの前提状況悪かったねこういう意味だよって言ったりするからこういうねって言うんだけど、職種上そういう対決的なやり合いになっちゃったときにその武器むちゃくちゃ強ええなっていう。
タカトリヤ 有効的にやるときはお互い共通の目標があるから、次は分かりやすく言うとか、分からなければ質問するみたいなもので共通のゴールに向かっていけばいいけど、対決の場合はね、そうじゃない、上げ足取りというかね。
タカトリヤ そうそうそう。上げ足取り的なところで書いてないみたいな使い方を使われると、やりようがねえなっていうところでしたね。一方で、それはそれで怖いなと思いつつ有効な打開策も見つけられてないんだけど、僕は死んでないをいじる方が僕は本当は好きなんですよ。
タカトリヤ この作品とね、作品をこう味わい尽くすというか。 ウスラ そうそう。あえてみんなが死んだと思っているところがあるからこそ死んでないが面白いと思っていて、それで僕とウスラさんは近々ゴンギツネ2をそれぞれ書いて発表することになってるんですけど。
タカトリヤ それは朗読で?どうやって発表するんですか?
ウスラ いやもちろんちゃんと文章を書いて。 タカトリヤ ちゃんと?すごい。
ウスラ ちゃんとカクカク。ゴンギツネ総統の文章量でゴンギツネ2をお互いがどう解釈するかっていう。
タカトリヤ いや僕そのゴンギツネ再読してみて、一番最初に気づいて、こういう作品だったのかと思ったのは、作品の語り手、あの話者が誰かっていうのを、なんというか、これ文学論とかよく出てくるんですけど、僕ら小学校の時にはあんま習わなかったんですよ。
作品の中で語ってるのは誰かみたいなこと。それは1人称か3人称かってことだけじゃなくて、誰がこの作品を語ってるのか。
いや当然それ作者じゃんって思う時もあるんですけど、作者じゃない人が語ることもあるんですよね。
例えば作者が別の人格を立てて、その人格が3人称で書いてるってこともあるし、作者が作者本人の1人称で書くってこともあるし。
これで言うと、ゴンギツネって1行目がこれ驚いたんですけど、これは私が小さい時に村野茂平というおじいさんから聞いたお話です。
始まるんで、これは新美南吉さんの1人称なんですよね。
で始まり、その聞いた話が茂吉さんから聞いた話を再現する、語りで再現するっていうとこから始まっていって。
で、あと第2に意外だったのが、登場人物めちゃくちゃ多いんですよね。こういう名刺持ってる人がめちゃくちゃ多い。
意外とね。
なんで、これは新美南吉さんが暮らしていた世界というか、これまあある程度検索すると、実生活に近いところのエピソードがたくさん入ってる本の一部らしいんですけど、
で僕これ、あれ多分大人って読んで、これを葬式と読み取るっていうのが僕の中にできなかったんですよね。
いやなんか、親族の集まりとかで誰かの誕生日なり、そういうのかもしれない。
もしくは死んでるけど何回来とかかもしれないじゃないですか。
これを葬式と思うんだ、この当時の文章ではっていうのは、ちょっとこれ読んで衝撃を受けたところでしたね。
何章?何章ですか?どこだっけ?
えっとね、48行目?
あ、48行。ちなみにゴン狐リーダーで今読んでますけども。
始まりで言うと45からですね。
ちょっと説明すると、ゴン狐を読むためにゴン狐リーダーっていうアプリを作りまして、今読んでるんですけども、これですね。
よそいきの着物を着て腰に手ぬぐいを下げたりした女たちが表のかまどで火を焚いています。
大きな鍋の中では何かぐずぐず煮えています。
ああ葬式だとゴンは思いました。
ね。
確かに。
これを葬式と読み取るんだと思って、これちょっと面白かったんですよ。
確かに。ゴンが葬式だって解説してくれなかったら何か分からない。
だから絶対分かんないですよね。
何か分かんないね。
これだから後半で葬式ってこれこそ書いちゃうからダメなんだけど、
これ実はゴンは葬式と思ったけど葬式じゃなかったっていうのも後半で書いてなければできたなと思って。
確かにこれゴンが思っただけですからね。
でも実際にはその後葬式の描写があるんで葬式ではあったんですけど。
あとそれで言うと、そもそもウナギ、ヘイジが取ってきたウナギを勝手に取っちゃったいたずらが大元じゃないですか。
病気のお母さんのためにウナギを取ってきたかどうかもそれは書いてないんですよね。別に。
意地悪だなそれ。つまり自分が美味しい食事をするためにみたいなね。
可能性もあるし、勝手にゴンが勘違いして、ウナギを食べさせたくて取ってきたんだって言ってるけど、そんなことはどこにも書いてないんですよ。
割とゴンが一人で勝手にストーリーを作り上げてるんですよね。そこもちょっと面白い。
当時とまた読み方が違うんだろうなっていうのもこれ見ててちょっと思いましたね。
確かにそれは意地悪な読み方ですね。
僕は基本的には本当は意地悪な人なんですよ。王道を分かった上であえて意地悪な読み方する方が好きだから。
だから死んでない説は僕は基本的には大好きなんですよ。そこのちょっとめんどくさいいろんな感情がややこしくしてますけど。
お母に食べさせるためにウナギを取ってきたのにゴンが盗みやがってっていう描写はないですからね、ここに。
改めて読んだものとしては、ゴンが初登場が4行目なんですけども。
ゴンは一人ぼっちの小狐で、シダのいっぱい茂った森の中に穴を掘って住んでいました。
この一人ぼっちの寂しい小狐であると。
その寂しさが、イタズラとか攻撃性というと大げさですけど、イタズラとかに現れているっていうのから始まって。
僕はなんだかんだ言っても、撃たれたら死ぬと思うんで。
この作品中ではゴンは生きてるけど、やがて死んだとは思ってるんですね。
すぐにかやがてかの間ぐらいで死んだと思ってるんですけども。
そうなると、兵獣の方が一人ぼっちになるわけですよね。
一人ぼっちになる、アローアゲインする、そういう寂しいお話としてしっとり読みましたね。
普通に読みました、しっとり。悲しい話だなと思って。
ちなみにさらに、僕の作ろうとする2の若干ネタバレになるんですけど。
いいんですか。
このテキストって青空文庫とかからコピーしてますよね。
そうですね。青空文庫なのか、ネットに落ちてた、公開されてたやつですね。
パブリックドメインのやつを使ってましたよね。
これ気づきました?いろんなところに丁寧に振り仮名振ってくれていて、登場人物の名前も基本的には振り仮名振ってあるんですけど、兵獣のところだけ振り仮名ないんですよ。
なんと、そんなことに気づきます?
本によっては兵獣って書いてるところもあるの。
それで僕最初、兵獣、兵獣両方言ったんですけど、これも使えそうじゃないですかっていう。
これ二人いる可能性ありますね。兵獣と兵獣が。
そうなんですよ。兵獣と幼獣二人いる可能性あるんですよ。とかね。
なんかね、こういう意地悪な目線で見ると結構いじりがいがあるんで、兵獣、兵獣レトリックを使うかとかもね、ちょっと考えておりまして。
僕もっとくだらないこと考えてましたね。
いやゴンってゴーンだから、もうゴーンウィズウィンドみたいな感じで、もういなくなる、もう去るんだ、もう死ぬとは思うんですよ。
それも面白いな。
ゴーンだからさ、もうなんかそれは僕そうだと思ってて。
でその、もし続編あるとしたら、ゴンがゴーンした後のニーミナンキチの私について書きたいなと思いましたね、なんか。
なるほどね。面白い。僕は今真面目に続きを考えるか、なんかもうぶっ飛んだ方向で、え、そうなっちゃう?なんかいきなりこう22世紀にワープするくらいのむちゃくちゃな話、書く読む的な。
書く読むとか。
書く読むに出てきそうな、そういうちょっととんでもない話に持っていくか。
ちょっと夢小説的にいくのか、ちょっとあれ今悩んではいるんですけど、両方かな。
ちょっと僕なら一番のオードはまずちょっと序述レトリックを何か使って仕上げようかなと思ってますね。
ぜひ佐々木さんも作ってみてください、2を。
いやなんかあの、別にゴン狐ってこういうとあれですけどそんな大した優れた作品でもないとは思うんですけども、ただみんなが知ってる?みんなが知ってるという意味で確かにいい題材だから、ありかもしれないですね。
そう、みんなが知ってるしいろんな見方ができる、特に死んだ死んでない論で盛り上がるようないい題材ではあるので、ちょっと面白かった。
ちなみにちょっとまた全然脱線したんですけど、この間母親と旅行に行ってて、母親と入ったレストランがすっごいビートルズが大好きなお店で、もうビートルズの服しかかってないし壁中ビートルズの装飾だったんですよ。
はいはいはい。
で、母親がビートルズって何がいいのって言い出して、来たぞと。別に歌も上手くないし演奏も大して上手くないじゃないって言い出して、おっとおっと危険な発言したぞと思って。
おっとおっと、いいねそれ。
確かに別にビートルズはすごい歌が上手い人でもないし演奏も聞けたかもしれないけど、ビートルズは当時に関してはすごく新しい音楽をいっぱい作ってきて、
それがもう元になっているから、それは当時はすごかったんですよみたいなふわっとした話をしつつ、でもゴンギツネもそれに近いとこあるのかなと。
今から見るとこんなの当たり前なんだけど、当時学校の教職箇所に載せるには絶妙な題材だったのかもしれない。
確かにそういうゴンギツネの、もしゴンギツネが何かの革命を起こしたんだとして、起こしたかどうかわかんないですよ。
何か起こしたんだとしたら、その革命があまりにも成功しているから、凄さがわからない可能性がありますね。
なんだっけそれ、最近話題の何とかありますよね、当たり前すぎてそれが普通になっちゃったってやつ。
ちなみにゴンギツネは1932年の作品であると。
一般に普及しているバージョンは編集が施されたバージョンだよって。
そうそう、それは相応しいですよね。
何?別なのがある?
一応作品の舞台は愛知県半田市ということになってますね。
愛知県なんだ。
確かに僕らのこの時代の童話みたいなので言うと宮沢賢治が、
宮沢賢治はこれよりもさらに10年くらい前なんですけど、
ほぼ同時代、1920年代か1930年代かみたいなことで言うと近しいんだけど、
それからすると極めて読みやすいな、びっくりするくらい読みやすいな今でも。
そうですね、すごく子供が読んでも読みやすいし、
大人になるとそういうちょっと細かいところ文句つけるけど、
スッと読めて、それで最後に割と大きい命題を持ってくる。
国語の本じゃなくてもしかして道徳の教科書に使われてる可能性もありますよね。
君たちはどう思ったんですかみたいな。
ゴンはどういう態度を取ればよかったんでしょうみたいな。
本当に使われてるかもしれない。
でもここの教科書って多分そういう題材が選ばれるんでしょうね。
そういう。
いや、ちょっとやってみるか。
僕、僕すみません。
僕の創作意欲がゴンギツネリーダーを作るって謎の方向の方に。
ちょっとね、すげえ方向に行きましたね。
まさかゴンギツネリーダーの発想はなかったわと思って。
あれね、かいさんがハマってるリプリットで僕も作ってみて。
一応あのチャレンジはね、キーボードショートカットを実装してみるっていう。
懐かしのね。
懐かしのね、ライブダリーダーみたいな。
JK、とりあえずJKで。
JKでゴンギツネを読んでいくGRっていうのを作ったんですけど、
もしかいさん、うささんの続編が作ったら、できたらですね。
あ、そうか。リーダーにいればいいんだ。
そう、GRの最終号に次どこに行きたいかっていう選択肢を入れて。
かいさんのゴンギツネ2も。
うささんのゴンギツネ2も読めるようにしますんで。
うちもリーダーに入れるか。
ぜひ原稿ください。
このリーダー僕いいなと思ったのは、ポッドキャストも近いと思うんですけど、
感想を言うときに文脈で言いたいときあるじゃないですか。
本に付箋を貼るとかのノリで。
そこの文脈で語れるのは結構面白いですよね。
うん、ですよね。
ここの表現こう思ったっていう読み方すげえ面白い。
伝書席にそういう機能ほんとに欲しいけど、なかなかそういうのが出てこない。
本当にKindleがトノサを商売して一切のアップデートをやめてしまってるからね。
あのリーダーの機能はすげえ面白いと思いましたね。
よし、じゃあちょっとこれ本当に遊びで作っただけだけど、続編が出たら絶対に載っけますんで。
よろしくお願いします。
ありがとうございます。