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2023-01-12 27:56

SIDE-B #009 カームネットを幻視する

今年の抱負を述べる代わりに、私が幻視(ビジョン)している未来について語りました。

カームネット(Calmnet)

インターネットが偏在しデバイスがアンビエントと化した世界では、AIによる情報の生成と伝達、トークンによる取引が一般化する。同時に、都市機能の一部が限界地域に回帰し、風景は農村化し、コミュニティは盆地化していく。集中し加熱していたあらゆる物事が、次第に静けさを取り戻していく、そんな社会。

Token RPG(tRPG)

テーブルトークRPGならぬ、トークンRPG。これまでであれば、キャラクターシートのなかに記載されていたキャラクターの情報(各種パラメーターや、武器や道具やお金)を、トークン(ERC1155的なユーティリティトークンとNFTの組み合わせとして)として表現したものとして、佐々木が構想しているサービス。

六次商品(6DP)

いわゆる「六次産業」が作る側・売る側の言葉であるのに対して、「六次商品」というのは、使う側・買う側の言葉。一次産業、二次産業、三次産業のすべてを使える・変える状態のモノ&コト。これも佐々木が今年やってみたいプロジェクトです。

柳田國男『都市と農村』

柳田國男1929年の作品。先見の明がすごい。太字は佐々木によるものです。

村を昔のままでなくともすこしでも簡単な、いろいろの利害の錯雑せぬ地域としたいという希望は、もちろん同情してもよい希望である。事情が許すならばできるだけ永く、今の一番よく調った農村の程度に止めておきたい。しかしそうするためにはもっと都市を愛護し、単に労働の方面のみと言わず、文化の進みと歩調を合わせて、さらに何段かの健全なる利用をなし遂げねばならぬ。実現は程遠くとも理想は高く掲げておきたい。農村の生計に幸いに余裕の出来た場合、地方地方に愛する都市のあるということが、最もその余裕を味わうに適当なる機会を供するようにしたい。都市を我々の育成所、また修養所・研究所たらしめんとする希望、都市を新たなる文化の情報所、また案内所・相談所たあらしめんとする希望に対して、今よりも一層適切にその期待せらるる任務を果たすのみでなく、能うべくんばさらにこれを以って憂うる者の慰安所、また疲れたる者の休息所ともしてみたい。そうして農村をこれに対して、士気の剛強なる者のために、努力しかつ思索する場所としたいと思う。この分業さえ完全に行われるるならば、たとえ国土は人の子を以って満溢れるようになっても、なお日本を以って昔ながらの農業国ということができる。かつて微力を合せて花の都の築建てた者の後裔は、見よ今日においてもなお静かにその老畝を耕さんとする願いを抱いているのである。

バックナンバー

* #008 夜の荒川荒原でスターウォッチングを試みる

* #007 渋谷で941さんに呼び出されて「ほっとヌップ」を収録する

* #006 はるおみくんに夏休みの思い出を聞いた

* #005 瀬尾さんにラジオの思い出を聞いたらタモリの話になった

* #004 小出さんロビンソン・クローソー説

* #003 ドングリフェスをどこまでもフジロックに例えてみた

* #002 ドングリFMのなるみさんとポッドキャスト談義

* #001 ノーカット版「河童でもわかる? Web3」

制作ノート

企画・出演・編集・ディレクション: ささきる2023年1月9日収録



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サマリー

本エピソードでは、カームネットという未来の世界をビジョンして、その実現への考え方について語られています。 トークンRPGと6次商品のコンセプトを考え、ビジョンとミッションについて話す。 都市と農村の役割の逆転を期待している彼/彼女は、都市機能の一部が限界地域に回帰して、風景が農村化して、コミュニティがボンチ化していく未来をビジョンし、その未来に向けて自身のスキルを高めるために新たな場所に関わりを持とうとしています。

カームネットのビジョンとは
本日は2023年1月9日21時42分、今私は杉並区の全福寺公園の公園のですね、これベンチっていうかね、テーブルの上にいてこれを収録しています。
なんでこんなことをしているかというと、前回の配信でくしぃさん、ようへいさん、かいさんと一緒に、今年こんなことをやりたいね、みたいな話を一緒にしたんですけども、
その中でソロ回、もう一回やろうね、みたいな話があって、かつその時に、私は年始の抱負は語らない人なんです、みたいな話をしたんですけども、
よく考えたら抱負はないんだけど、なんかちょっと喋りたいことあるな、じゃあソロ回でやろうかなと思って、わざわざ散歩のついでにこの公園までやってきて、ちょっと収録をしています。
メディアヌップってですね、何を話そうとしているかというと、抱負はないんです。ないというか、持たないようにしているというかね。
大前健一さんの有名な言葉で、信念に決意を新たにするみたいなものは一番無駄だと。人生を変えるには方法が3つしかないと。
時間の使い方を変える、付き合う人を変える、住む場所を変える、この3つしかないんだ、決意を新たにするというのは一番無駄なことなんだ、みたいな話があるんですけども、
私もそんな風に思っていて、その決意を新たにするという意味での抱負は言わないようにしているんですけども、
じゃあその変えるもの、時間を変える、付き合う人を変える、住む場所を変えるというのをみんなの前で言うかというと、何か差し支えがありますよね。
だから本当に言える抱負は言えないし、言える抱負は言っても意味ないし、みたいな感じで思っているんですけども、
じゃあ何を言おうとしているかというとですね、私がビジョンしているもの、ビジョンですね。
ビジョンしているというふうに動詞で言ったんですけども、ビジョンという言葉自体は会社とか企業の中だと見慣れたものだと思います。
ビジョン、ミッション、バリューとか、そういうふうに会社の目標というのかな、目指すべきところみたいなものを説明するときのフレームワークとして使われるようなものなんで、見慣れている人も多いと思うんですけども、
私ちょっとその企業で使われるビジョンというのにちょっと違和感を持っているんですよ。
そこで言っているビジョンって、成し遂げたい未来像みたいな、ちょっと目標のようなもののバリエーションとして使われることがあるんですけども、
そういう例が知っている限りほとんどなんですけども、私がビジョンするとかビジョンしたっていうふうに言うときはどういう意味で言っているかというと、
ビジョンって原始、幻、見るって書くので、幻に見るというかね、将来というか未来の世界みたいなものをきっとこうなるだろうってパッと見える、わかるみたいな、そういうのをビジョンって言うと思うんですね。
そういうのをビジョンするとかビジョンしたというふうに私使っているんですけども、私がビジョンしたものっていうのは、なんかあるんですよ、頭の中に。
一言で言うと、カームネットっていう言葉を私使っているんですけども、カームって静かなとかね、そういう意味の英語のカームですけども、
そういうインターネット世界のことなんでカームネットって言うんですけども、そういう言葉を使っているんですね。
そのカームネットって言葉を初めて書いたのが2016年、今からだと7年ぐらい前になりますけれども、そのときに僕らのネクロマンシーっていう小説にその言葉を登場させて、
僕らのネクロマンシーっていうのはSF小説、ちょっと未来を描いた小説なので、そのカームネットが半ば実現している世界、社会っていうのを描写しているので、
私がビジョンしたカームネットっていうのはその作品の中にも書いてある、書きながらビジョンしていったっていうふうに言ってもいいかもしれないんですけども、
7年ぐらい前にそういうふうに思ったんですね。ビジョンしたんです。そのビジョンしたものっていうのは今6年とか7年経って今どうなっているかっていうと、
変える必要のないもの、だんだんとビジョンした通りに近づいてきたなっていうふうに毎年毎年思っているので、変える必要がないものとして頭の中にあるんですね。
なので、そのビジョンって毎年新しくするものでもないし、毎年発表するものでもないから、今年の抱負として言うものではないんですけども、
ただ、今年のじゃなくていいんだったら、こういう未来、こういう世界をビジョンしてますよっていうことを一回記録しておくのは意味があるかなと思って、
それでちょっと今日録音をしているところです。
じゃあ、カームネットが何かっていうと、小説に書いたことを頑張って短く説明してみようとするとですね、
カームネットっていうのは、私が使っている、そういう意味で使っている、私の言葉なんですけども、
インターネットが偏在していて、あらゆるところにあるってことですね。
そしてデバイスがアンビエントと化している世界。
アンビエントって環境化している、環境に埋め込まれて見えない、気づかないようになっているってことですけども、デバイスがアンビエント化している世界。
変化する都市機能とコミュニティの回帰
そこでは、AIによる情報の生成と伝達。
AIが何かコンテンツを生成したり、それをデリバリングしていく。
そういうことが起こったり、トークンによる取引っていうのが一般化していくだろう。
技術面でそういうことが起こると同時に、人とかこととか物っていうのはどういうふうに変化が起こるかというと、
都市機能の一部が限界地域、あるいは終焉地域っていうかね、地方とかね、
限界地域に戻っていく、回帰していく。
すると風景っていうのが農村化していく。
これちょっと説明必要だと思うんですけど、どういうことかというと、ネットワークがいろんなところにあってデバイスがアンビエントになっていると、
あっと見の風景っていうのが、ちょっと前の田舎とか自然の状態で変わらなくなるってことなんですね。
アンビエント化して、しかもそれが高度につながっているので、技術的には進んでいるのに見た目はむしろちょっと自然に戻るみたいなことなんですけども、
そういう風景の農村化が起こる。
で、コミュニティっていうのがボンチ化していく。
で、ボンチ化っていうのは、去年ボンチに関するブログも書いたんですけども、
インターネット通信とかいろんな、いろいろなサービスとか、
インターネット通信とかいろんなコミュニケーションの発達で、世界中の人と連絡が取れるようになりましたよっていうのは、
平地化、フラットでどこまでも届くみたいな、平地化っていう風に言ってるんですけども、
一方ボンチ化っていうのは、ある特定のエリアだったり、特定の趣味を持った人々の間でのみ通じる、
狭いコミュニケーションってことですね。
そういうものがもう一度活性化していく。
なのでコミュニティがボンチ化していく。
そういうことが起こると。
で、そうなるとどうなるかっていうと、
集中して加熱していたいろんな物事が次第に静けさを取り戻していく。
だからカームネットってことなんですけども、
つまり集中し加熱していただける物事っていうのは、
物理的な都市でもいいですし、
人が集まっているっていう、人がたくさんいるっていう意味での都会でもいいんですけれども、
とにかく一箇所にたくさん集めるっていうのは、
静けさを取り戻すカームネットの未来
物の効率化とか情報伝達の効率化とか、
周囲を独占するとか、そういうようなことと非常に相性が良くて、
だからそこが加熱するとかノイジーになっていくわけですけども、
繰り返しになりますが、インターネットが偏在して、デバイスがアンビエント化して、
AIによる情報の生成と伝達、トークンによる取引みたいなものが一般化していって、
都市機能の一部が限界地域に回帰していくっていうことが起こったときには、
集中を前提としたいろんなシステムとかビジネスとか、行動と心理みたいなものが、
何か解けていくんだろうと思っていくんですよね。
静けさになっていく、カームになっていく、そうなるだろうと思っているんですね。
これをカームネットっていうふうに呼んで、絶対きっとそうなるだろう、
何年後かわかんないけど、そういう社会が出来上がっているのを見えた、
ビジョンした、ビジョンできたって思ったんですね。
で、これはもうビジョンするっていうのは見えちゃったものだから、
こういうふうな世界になるように頑張るぞとか、
自分が何かやらなきゃとかって思うようなものでもないんですね。
もし私が別に何にもしなくたって、僕、世の中こうなると思ってるんですよ、本当に。
ビジョンするっていうのはそういう確信を持つっていうことなので。
だからビジョンに対して目標って持ちようがないんですよ。
こうするとか、こうやらなきゃとか、ないんです。だってそうなるから。
なのでビジョンはビジョンなんですね。
じゃあ一方、ビジョンに対してそういうふうに変化していく、そういうふうに変わる。
いずれそうなるってわかってるんだったら、そうなることを前提に
自分の行動とか考え方を変えようっていうふうに思うことができるんですね。
そのビジョンが動かないのに対して、それに合わせて行動する。
そういうふうに思うことができるんですね。
そのビジョンが動かないのに対して、それに合わせて行動する、考えるみたいなことは変えられる。
なのでどちらかというと、こっちこそが目標とか抱負とかっていうことになるんだと思うんですけども、
ちょっとこれを企業風に言うとミッションとかね、使命。
私がこれをやらなきゃとか、やりたいとか、やり遂げるぞっていう使命ってことですけども、
こっちのほうがそういう使命になるんだと思うんです。
でね、これも何かっていうと、私の中にすでにあって、
トークンRPGのコンセプト
去年もニュースレターに書いたり、ポッドキャストで言ったり、
人に喋ったりしたこともあると思います。
全部断片的に喋ってると思うんですけども、いくつかキーワードを残しておくと、
その1、トークンRPG。
その2、6次商品。
っていうのをちょっと考えてるんです。
これ何かって言ったの、まずトークンRPGから説明すると、
これ略すとTRPGってなるんですけど、
いわゆるテーブルトークンRPGじゃなくて、トークンRPGですね。
で、さっき言ったようなインターネットが偏在してデバイスがアミュレント化した世界で、
AIとトークンが一般化してると、私思うにですね、
ロールプレイングゲームっていうのがすごく大きな娯楽だったり、
教育とか、場合によっては稼ぎの種っていうかね、
お仕事みたいな風になるぐらいのエンターテイメントというか、
エデュケーションというか、そういうものになるんじゃないかっていう風に思ってるんです。
でね、これがなぜそんな風に思うかっていうのは、
これはほとんど趣味の世界なんだと説明が難しいんですけど、
とにかくそう思ってるわけですね。
で、TRPGって何かっていうと、テーブルトークンRPGの方ですね。
何かっていうと、お話を語ったり、ゲームの処理をしたりするのは人間と、
一方、データっていうのはキャラクターシートに持っていたり、
そのキャラクターシートの中に持っている道具とかお金とかを記録してあるっていう風に、
ちょっと分けてあるんですね。
まあそういうアナログなやり方なんですけども、
このアナログなやり方のうち、キャラクターとかアイテムとか、
お金とかっていう方、こっちの方をトークン、
トークンっていうのはUTTトークンとかNFTとかいろんな種類がありますけれども、
そういったものを使ってトークン化して、
引き続きお話を語るとか、
なんていうかな、世界設定を作り込んでいくみたいなものは、
引き続き人がやる、アナログにやる。
もちろんね、ここにもAIの、ジェネラティブAIの協力があるとかっていうことは
多いにあると思うんですけども、
いわゆる一般的なゲームみたいに、こういったトークンを使って、
いわゆる一般的なゲームみたいに高度なグラフィックとか、
ゲーム処理を必要としないってことですね。
そういったことができるんじゃないかと。
そこのアナログっていうか、処理を軽くしておくことで、
さっきのカームネットに信用性の高い、
娯楽、教育、仕事みたいなことができるんじゃないかと思って、
そういうトークンRPGみたいなコンセプトですね。
このコンセプトを、僕実現したいなと思ってるんですね。
これはね、ビジョンするっていうか、ビジョンしたものとは違って、
自分がやらなければ、多分他の人やらないだろうなと思うんですね。
いるかもしれない、いるかもしれないですけど、
こういったことが相交していて、
やれる能力とタイミングに、自分がたまたまに合わせるっていうことって
すごく珍しいと思うので、
自分がやらなきゃならない、やりたいなと思ってるんですね。
なんでこういうのをミッションっていうかコンセプトだと思うんですけども、
それが一つあります。TRPG、トークンRPGのことです。
6次商品のコンセプト
あともう一つが、さっき6次商品って言ったんですけど、
これ何かって言うと、6次産業って言葉ありますよね。
こちら一般的な言葉ですよね。
1次生産者、2次生産者、3次生産者って言われるんですけど、
よく言われるのは1次生産者が儲からないというか、
ものづくりを続けていられない。
例えばお米とか、ホップとか、旗を織るとかいろいろありますけども、
それに対して加工品とか、あるいはサービスにするみたいな、
そういうとこまで考えて1次生産していく。
だからそうやってビジネスを、
長く太くしていくみたいな、そういうコンセプトだと思うんですけども、
6次産業っていうのは、どんな説明の仕方をしようとも、
作る側の論理なんですよね。売る側の論理というか。
僕がさっき6次商品、6次プロダクトって言ったのは、
使う側、買う側の論理なんですよ。
つまりどういうことかというと、
お客さんとして、例えばタップルームでクラフトビール注いでもらって飲んで、
会話をするという体験をしますよね。
それって3次産業というか、空間にいて、
お話とビールを一緒に楽しむというのは、
サービス化していますから、3次産業なんですよね。
つまり、お客さんが最後に、
フードとか機械とかを、2次製品そのまま手にする場合もあれば、
3次製品そのまま手にする、3次サービスというのかな、
手にする場合もありますけれども、
最後手にするものって、2次か3次のものだけなんですね。
一時の、そのまま買うこともありますね。
大根を買うこともありますけれども、
お客さんが最後に手にするものって、
1時か2時か3時のものだけなんですよね。
ただ、ここで言って、6次商品、6次プロダクトというのは、
エンドユーザーというか、最後に買う人が、
1時と2時と3時、混ざったものを買えるということなんです。
つまり、さっきのビールの例で言った、
ビールの例で言うと、
お客さんが最後に手にするものって、
3次製品そのまま手にする、
つまり、さっきのビールの例で言った、
ビールの例は、
私の知人、友人に身近な人が多すぎて、
間違ったことに気づかれやすいので、
別なことを言うと、
ちょっと事故ずらして、
リンゴでシードルを作るというのにすると、
リンゴを作るということと、シードルというお酒を作るということと、
それを飲んで楽しむというサービスを、
それぞれ別々に売ってて、別々に買えるというのではなくて、
全部買えると。
リンゴ作りにも関われる。リンゴも買える。
シードル作りにも関われる。シードルも買える。
そのリンゴとシードル作りを楽しむサービスにも参加できるし、
その権利も買える。
むしろ、それがバラバラに買えるのではなくて、
全部まとめて買える。
となると、いわゆる6次商品というかね、
サーバーの論理としての6次というものが見えますよね。
でも、これをしゃべっていて、あるいは聞かれていて、
それをどうやってやるのみたいな話があると思うんですけれども、
ちょっとこうやったらいいんじゃないかなというアイデアが
ちょっと頭の中にあって、
今年それをちょっとやってみようと思っているんですけれども、
これもさっきのTRPGと似ていて、
自分がそこにこだわりを持って、
やれる能力とやれるタイミングにあるときしかできないので、
自分がやらなきゃなみたいな、ちょっと使命感があるんですね。
ミッションとやらないこと
こういうのがミッションですよね、そのビジョンに対して。
ビジョンというのは動かない、そうなるだろうと思った未来なので、
それに対してこういうこと、こういうミッション、TRPGと、
6次商品みたいなことをちょっと私は思っているわけですね。
一方で、こうやろうというミッションが、
あるとすると、その逆に、
これやらなくていいだろうというのもあるんですね。
そのやらなくていいだろうというのは、
そのビジョンに出てこないもの。
何しろこうなるだろうと思った、
自分がそう見た世界にないものを頑張ってもしょうがないですよね。
具体的にそれが何かというと、
大きいもので2つあって、1つはスマートフォン、
もう1つはメタバースなんですね、私の中では。
もちろんね、スマートフォンもメタバースも、
その産業に関わって、
努力、知恵を絞り出している人たちがいますので、
それが駄目だとか、将来存在しないということをね、
言っているわけじゃないんです。
私がビジョンした世界には、特にそれは重要なものとして
なかったということを言っているだけなんですけれども、
とにかく私の中ではないんです。
だから、例えばそのスマートフォンの画面の中で、
何かこう見た目を工夫して、
ダークパターンギリギリを攻めてビジネスをするとか
ということにはもう、そもそもですけれども、
全然興味が持てないし、
メタバースよりも、何か実際のこう、
自分の中で何か、
年空間が限界地域に戻っていくとか、
風景が農村化するとか、
コミュニティが盆地化するということには、
私、興味があるので、
メタバースには興味がないというか、ないんですね。
私のビジョンの中には映っていないので、
それに対して頑張ることもないだろうなと思っている。
まあ、これ何か、このスマートフォンの画面のバースを
見て、ミッションがあって、
逆にそうするとやらないこともはっきりするみたいな、
そういう例えとして言っているわけですけれども、
そういうのがあるんですね。
言っていて思いますが、
こういう自分の興味関心がニュースレターには
よく現れていて、
よく取り上げるものと取り上げないものと、
新年の抱負というのではないんです。
都市と農村の役割の逆転
ただ単に、私が今から何年くらい前にビジョンをして、
だんだんとそうなってきているなと思うものがあるんですけれども、
それこそ、インターネットの偏在化というと、
スターリンクとかのね、
スターリンクって世界中で高速インターネット通信が、
衛星通信ですね、そういうサービスが出てきたりだとか、
一昨年で言えばWEB3、
去年で言えばオープンAIをはじめとするような
ステーブルディフュージョンとか、
いろんなAIのことも話題になりましたが、
どんどんどんどんその方に近づいていると思うので、
ビジョンを変更する必要はないだろうと思っているわけですね。
なので抱負じゃなくて、
単に1回くらい撮っておくか、みたいな、
そんな感じですね。
ちなみにこれ説明をするのに、
何か、
そういえば柳田邦夫が、
都市と農村という本を1929年に書いたんですけれども、
その中に何かいい文章があったな、
うっすら記憶があって、
お昼くらいに引っ張り出して見てみたら、
未来の都市の本部っていう、
本部ですね、
未来の都市の本部っていう、
この都市と農村っていう本の最終章に付けられたタイトルの中に、
何かちょっといい文章があったんで、
ちょっと引き出して持ってきたんです。
これね、今から90、
100年近く前なんですけども、
かなりいいこと言っています。
都市を我々の育成所、
また収容所、研究所、楽しめんとする希望、
都市を新たなる文化の情報所、
また案内所、相談所、楽しめんとする希望に対して、
今よりも一層適切にその期待せられる任務を果たすのみでなく、
あたうべくんば、さらにこれをもって、
うれうる者の慰安所、
また疲れたる者の休息所ともしてみたい。
そうして農村をこれに対して、
四季の皇居なるものとして、
努力しかつ施策する場所にしたいと思う、
ということなんですけども、
これちょっと聞いて、
ちょっと頭に入りづらかったかもしれないんですけども、
ようやくをするとですね、
都市と農村の役割の逆転をちょっと期待している、
いるようなとこなんですね。
むしろ都市っていうのは、
農村に対して、
むしろ都市っていうのは、
学んだり休息したりする場所で、
一方農村っていうのは、
努力し、施策する場所にしたい。
これは逆転っていうか、分業って書いてあるんですけど、
この分業が行われるならばっていうような、
希望が書いてあるわけですけども、
これ実にいいなと思っているわけですね。
いいなっていうか、
私こうありたいなと思って、
自覚があるんですけども、
それを励ましてくれるような文章だなと思いました。
つまり、私がビジョンした、
ビジョンを持って自分自身のスキルを高める
カームネットみたいな、
都市機能の一部が限界地域に回帰して、
風景が農村化して、コミュニティがボンチ化していくみたいな、
そう思っているからこそ、
私今住まいは東京なんですけども、
いろんな東のとか、他の地域、
東の以外の地域にも、
やることが増えてきているんですけども、
そういうところに関わりを持って、
自分が貢献できることを探そうとしたり、
あるいは自分自身のスキルを、
知識ですね、増やしたいと思って、
そういうことをやるんですけども、
それって今年1年とかね、
短期的なことだけ考えると、
労多くして、実りの少ないというか、
目先の意味では実り少ないと全く思っていないんですけども、
私がビジョンした長期的な未来においては、
めちゃくちゃ価値のあることだと思っているわけですね。
そう思っていないとやっていないので、
心の底からそう思ってやっているわけですけども、
そういう都市と農村の分業みたいなことをビジョンして、
ビジョンに照らしてやっているわけですけども、
そういうことを肯定してくれているような、
自分自身のスキルというか、
自分自身のスキルというか、
そういうことを肯定してくれているような感じの文章で、
いやいいなというか、
すごいな、100年前にこんなことを書いているんだなと、
思いましたけども。
というわけで、だんだんとね、
指が冷たくなってきて、
寒くなってきたので、
これぐらいにして、
今日は帰ろうかなと。
外で一人で喋るの怖いですね。
いや、あるいは、
俺の方が怖がられているかもしれない。
欲しい散歩で歩いてきたり。
抱負は言わないと言っていたんですけど、
閉まらないので、今年も頑張りましょうぐらいに
言ったほうがいいかもしれない。
頑張りましょうじゃないよ。
人に頑張れても大変失礼ですから、
お前頑張れとかと思うので、
今年頑張ります。
何も意味ないと言ったんですけど、
便宜に言いました。
というわけで、今日はこのへんで。
ささきゆいでした。おやすみなさい。
27:56

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