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おはようございます。なみはるです。 なみはるの愛でラジ、私を愛でたい。この番組は、人生の豊かさは自分を愛でることから、私を愛でる、のテーマにお送りする番組です。
はい、早いもので金曜日になりました。
今日で仕事が終わりという方も、今日から仕事が始まるという方もですね、皆さんにとって良い金曜日になることを願っております。
さて、今日のテーマはルールですね。ルールについて考えてみたいと思います。
ルール、決まり事ですね。決まり事には多種多様な決まり事、ルールがありますが、その頂点に立っているのがおそらく法律。
法律というものがあって、そこからどんどん発掘していろんなルールが生まれていると思います。
条例とかね、あとは会社の就業規則とか、はたまた家庭内のルールとかね、もう私たちの身の回りにはありかえる、あらゆるルールがありますね。
ルールについて皆さんどのようにお考えでしょうかね。
もちろんルールなんだから、それも守るべきものでしょうと、そういったのは大前提にあると思います。
なので、皆さんもちろんルールを守ってね、日々生活をされていると思いますが、
例えば私、そうルールについて考えさせられた出来事はですね、遅刻っていうのがあった。遅刻。
ある人が遅刻をしました。そしたらば会社の人がね、ちょっと指導をしました。
当たり前普通の構図ですね、普通の構図。
会社の指導をした人の指導の仕方がですね、当然ね、遅刻をしているわけだから仕方ないと言えば仕方ないんでしょうけど、あまり気持ちのいい指導の仕方ではなかった。
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その指導を受けた方もちょっと切ない気持ちになっているという出来事がありました。皆さんの周りにも普通に起こりうることだと思いますね。
もしかしたら皆さん方は遅刻をしちゃうタイプかもしれないし、遅刻をしちゃう方に指導をする、そういった立場かもしれないですね。
そこで私がちょっと違和感を覚えたというのは、遅刻は当然ルール上してはいけないことになっているから、それに対しての指導については全く私は何も異論はないです。
ルールをちょっと守れなかったわけだから、それに対してちゃんと時間通りに来ようねということは何も問題ないと思いますね。
ただ、その遅刻をもってその人の人格否定というか根本のところを攻めてくる、人としてみたいなところを攻めてくるのは何かちょっと違和感がありますよね。
その違和感があるものをひも解いていくと、遅刻というのはルールの設定上ではやめましょうねとなっているから、それは遅刻をしてしまったら指導の対象にはなりますけど、
じゃあその人として生きていくにあたって、人としてですよ、遅刻というのは人格を否定されないといけないようなことなのかというところですね。
日本という国は非常に時間を守ることで世界的にも有名な国ですから、電車もほとんど時間通りに来るし、約束の時間にはみんなちゃんと守ってくるし、これが当たり前、日本ではね。
逆にこんな国が珍しくて、諸外国行くと当たり前に電車を送れるし、一応会社の出社時間っていうのも決まりはあるんでしょうけど、全然そんなもの守んない。守んないは早く帰ればとか、そんなこともザラな国のほうが圧倒的に多いですよね。
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なので遅刻ということそのものが別にルールとして決まっているのであればそれを守れなかったことに対してはすいませんんだけど、遅刻そのもの自体が善か悪かなんてわからないという話ですね。
なのでそれをもってあなたはほんと遅刻ばっかりしてどうしようもない人ねとはならないですね。ならない。
そういう切り口で仮に指導をしたいのであれば、結果的に遅刻というかルールばっかり守らない、ルールを守らないことに対してあなたはどうしようもない人ねと指導されるならまあまあまだわかるけど。
それともね、ルールっていうのは基本そのルールを守ることで自分が得をしなければ守らないと思うんですね、誰しもが。
なんやかんやそのルールがあるから私たちは何かしらの良いことがあって、直接的にも間接的にも良いことがあって生きていける。だからルールを守るだと思うんですね。
なので、例えば遅刻を繰り返す人。遅刻を繰り返しちゃう人は別にルールを守れないんじゃなくて、その遅刻をするなというルール自体に何もメリットを感じてないんじゃないですかね。
なのでその人は別に遅刻を繰り返すからといってルールを守れない人じゃないということです。遅刻をするなというルール設定がその人にあってないだけ。
だってその人が海外に遅刻とか当たり前の文化の国に行ったら至って普通の人になりますから今度。
そうですね。なのでルールというのはどうせ私たちの生活をひとつ豊かにするために設定されている。もうひとつは程よく管理をしないとまとまりがつかないから。そういった管理的な側面でルールを設定している。
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その2つ。どちらかというと管理的な側面でルールを設定している方が圧倒的に多いじゃないですか。圧倒的に多い。
なのでそのルール?決まりごと?ただ漠然とそれはそういうもんだからと。守っていく。
これはこれでいいかもしれないですけど、そのルールは一体何のためにあるのか。
そして自分はそのルールに対して何かちゃんとどのようなメリット利益を受けているのかということをちゃんと意識をしながらルールを守っていく。ルールと向き合っていくことがより豊かに生活をできる。
そしてより自分軸を持った生活をすることができるのではないかと。そのように思います。
おそらくですよ。この先、いわゆる管理的な側面のルール設定というのはどんどん私は少なくなっていく時代じゃないのかなと思うんですね。
より自主性というかその人の主体性に任せる形が風潮が多くなっていくような気がしています。
そうなった時に一番その時代に馴染めないタイプは今までルールを守って生きてきた。何も考えずに決まっているからそうするんだと。
ということでやってきた人たちがいざそういう風潮を自分たちの自主性に任せますよとなった時に非常におつらい思いをするじゃないのかなと思うので、
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今のうちにルールに対して自分がどのように向き合っているのかというのを考える癖をつけるといいと思います。
今日は金曜日だからゆるい話をしようと思ってたのになぜかルールというゴリッゴリのむしろお堅い話になってしまった。
本当はビリヤニの話をしたかったんだけど、いきなり私は収録してからルールを頭の中でじょっと考えることが多いので、
当然収録前になんとなくこの話をしようかなとは思いながら収録に臨みますけど、実際話し始めると全然違う話をすることがあって、
今日は収録前までは私がビリヤニにハマった話をしようと思ってたんですけど、蓋を開けてみたらこんなルールの話になりました。
はい、それではですね、すみません今ちょっとゲップが出そうになったので抑えましたけど、金曜日ですね爽やかに過ごしていきましょう。
また来週お会いいたしましょう。
なみはるでした。またね。
また来週お会いしましょうからのまたねってそのまたまたが続くんで、また来週お会いしましょうっていうくだりをいつもやめようと思ってるのにまたねって言えなくなるから。
なのに今日もやってしまいました。お許しください。
それでは改めましてなみはるでした。またね。