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2018-08-19 44:03

2018/08/19:神による平和への祈り

2018/08/19 聖日礼拝
斎藤亘師
詩篇 46:1-11
00:01
それでは、支援の46編、読んでいただきました、この歌唱から、収穫に記しておりますように、「神による平和への祈り」という題で、この言葉を開いていきたいと願っております。
いつものように、お近くの方とご挨拶の握手をして、そして進めてまいりましょうか。
今日は、敬明の方からもお二人、学生さんが出ておりますし、それでは一言お祈りをお伝えいたします。
メグミスカイ、御在天の地なる神様、こうして8月も炎半ばを迎えるまで、私どもをそれぞれの生活の場においてお守りいただき、その生活の場からしばしあなたを礼拝するために、この一つのところに集うてまいりました。
あなたがどうぞ、今朝も変わらないあなたが共におられる礼拝として、どうぞ導いてください。
御言葉がそれぞれの中に新しく与えられる、そしてまた信仰が備えられる、そしてイエス様のおいでを増すにふさわしいものとして御前に努められる、そうした礼拝として導いてください。
全地の礼拝とともに、シュウヤチキリヒトの皆に祈って守られてまいりますことを願いしつつ、御前にこの祈りをおしたげいたします。
ちょうどこの日曜日は、毎年と言ってもいいぐらい、優先生家族が旅行で、今回留守になりますし、また韓国へ帰られたりするその合間に、私が御用するということで何回か御用させていただきました。
ですから、やはりそのシュウの言葉が、やはり念頭にいつもあるんですね。
で、先週は皆さん御存知のように戦争が終わって73周年を迎える。ちょうど私はその時、小学校二年生か何かで空襲と言われると、もう学校に行っておりましても、すぐに帰宅、帰りなさいと言われて。
03:15
で、子供ですからね、帰れと言われたら、もう喜んで帰っちゃうわけですよね。本当は戻ってこなきゃいけないのに、もうそれっきり戻らないという、もうそういう緊張感のない子供の時のことを思い出します。
ただ近くにある郡山という市は、軍事産業もありましたから、随分とそこは痛められました。時々間違って私が住んでおりました平川には、山に爆弾が投下されるというようなこともありました。
何にもないところですから、何の被害もない、戦争ってこんなものかなと、子供の時のことですから、その程度にしか思っておりませんでした。
けれどもしかし、戦争が終わって、いろんな事柄が明るみに出ますとね、この神戸もそうですし、東京も大阪も、そして特に私たちは広島や長崎のことを思い起こしますが、
そこはもう、もはや立ち上がることができないじゃないかと言われるぐらいの後輩の中での、そういう疑問の各地がそういう爆撃されて、そしてもう燃え尽きてしまったという、そういうこの状況。
ですから、今私は改めてね、73周年というこの期間の中で平和に過ごせたということがどんなに貴重な期間であるか、大切なことであるか、何と素晴らしい73年であったことかと、
ただその神は、あの東日本の震災であるとか、近くには鎌本であるとか、また岡山、広島のほうでの身近なそういうところでの土砂災害、そういう事柄が相次いで来ております。
ですから、台風が来るとかね、あるいは最近の天気予報では、どこに雨が来るかという予想のそういったこともありますから、この辺もどうなんだろうかというような思いを持って迎えることがあります。
しかし、今日まで守られてきたということは、何とお互い感謝することであろうか。
ですから改めてですね、この支援の46編を読んで参りますとね、平和であるということが、どんなにこれが私たちにとっての大きな祝福であるかということを思い起こします。
06:04
私は前の時にも紹介したと思いますが、アシジのフランシスコの平和への祈りという一文を紹介いたしました。
初めての方もいらっしゃいますからね、ちょっとご紹介したいと思いますし、また私は本当にこの祈りは何と私たちに必要か、そしてまた私たちの大切な祈りとしてそこに求められていることかということを併せ思います。
神よ、私をあなたの平和の使いにしてください。
憎しみのあるところに愛をもたらすことができますように。
いさかいのあるところに許しを。
分裂のあるところに一致を。
迷いのあるところに信仰を。
誤りのあるところに真理を。
絶望のあるところに希望を。
悲しみのあるところに喜びを。
闇のあるところに光をもたらすことができますように助け、導いてください。
神よ、私に慰められることよりも慰めることを、理解されることよりも理解することを、愛されることよりも愛することを望ませてください。
自分を捨てて初めて自分を見出し、許してこそ許され死ぬことによってのみ、永遠の命によみがえることを深く悟らせてください。
私はこれをこういう時にしばしば思い起こしあったようにメモにしておりました。それを読み返したりもしております。
これを前には紹介しましたけれども、プリントにして、そして皆さん方にお渡ししようかなと思いましたけれども、いずれにしたかもわからないし、ということでやめております。
この支援の四十六篇ですけれども、この背景となるのは烈王記二の十八章、十九章、あるいは歴代比下の三十二章、そうしたところを読みますと、よくお分かりいただけると思いますし、
また、あるいは当時の預言者として活躍しました、いざやの預言の中にもそれがこの国名に記されております。いざや新聞ですから書いてあります。
09:14
と申しますのは、そういうこの歴史的な背景を読んでいきますと、当時のこのイスラエルという国は、ダビル王朝の時代に一つの巨大な国家として成り立っていたんですけれども、その後ですね、彼らは首脳規制をかのんじて、そしてやがて北イスラエルと、それから南イスラエル、
北はサマリアが中心、そして南はエルスラエルが中心。この当時、実はこのアッシリアという巨大国家がですね、軍事政権のもとでもって、もう世界を全部自分のものにしようというような勢いでもって、
一つ一つそれぞれのこの国を制覇していった、征服していった。そしてサマリアを中心とする北イスラエルの方は、ついにそのアッシリア軍の前に壊滅してしまうわけです。
その勢いをもってね、そのアッシリアのセナケリウムというこの王は、今度はユダを攻めよう、エルサレムを攻めようと言って、そしてエルサレムに攻めてくるわけでした。大軍をもって、そしてやってくる。
この当時、鉄製でもって、この戦車のようなものを持っているというのは、このアッシリア軍でしかなかった。もう立ち向かう敵がもうないんですね、だから。もうその戦車でもって滅されてしまうというような、そういう巨大この強力な武器を持っておりましたから、もう立ち向かうところ敵なしみたい。
そしてその勢いはとうとうエルサレムにまで及んだわけですよ。キゼキアという王様は、そのアッシリア軍の前に何とか私たちの国が守られるようにということでもって、いろいろ手を尽くすわけです。
そして見継ぎ者まですることもしましたけれども、しかしこのアッシリアの王はそれじゃ行くときがない。そしてそうそう最後にはこのエルサレムを滅ぼすということでもって、このエルサレムを取り囲むわけですよね。
大軍がもう目の前にあるし、私たちはもう今宵を最後に、明日はその大軍の前になすべくなく滅んでいくだろうという、そういうこの緊張不安の中でもって、明日の滅亡の日を迎えようとしていた。そういう状況です。
12:06
ただ、そういう中で、キゼキアという王様をはじめ、またキゼキアの下において預言者として働いておりましたこのイザヤ、彼にも特に依頼して、そして私たちの国が守られるようにお祈りしようといってですね、
このキゼキア王冠もこの鎧も何もかも全部そこに脱ぎ捨てて、そしてもう国中がそのためにこのお祈りをした。そして最後の朝を迎える。ところがその翌朝になっても、そのアッシリア軍勢のその勢いの声が聞こえてこないんです。
一体何事かということで、そしてこの物見って言いましょうかね、調べてくるようにということでこの城壁の上に立って、そしてそれは彼らはよく見ましたがですね、九八万からなるところのアッシリアの大群がほとんど滅んでしまった。
生き延びている人はいないじゃないかと。もっともそういうことを知ったこのアッシリア軍は、生き延びた者は辛うじて確か徹してこの二年目に戻っていくわけです。自分たちの国に戻っていくわけです。そういう奇跡的な事柄がそこに起きたんですね。
聖書では神の使いが一夜のうちにこのアッシリアの大群を滅ぼしたと記しております。誰も想像もそういうことを予期して、そしてお祈りしたという人はなかったんじゃないかと思います。
明日への備えとして自分たちが最後まで私たちの自分の信仰を守り通すようにという祈りを捧げる人たちは大勢おったと思いますけれども、しかしそれ以上のお祈りをする者はなかったかもしれません。
それぐらい切羽詰まった中での彼らのこの悲劇や和姫とするエルサイムの人々はそういう思いでもってこのお祈りをした。
ところが翌朝は滅亡ごとではないですね。
そういうことになるだろうなんていう、そんな信仰も期待も持てなかった彼の前に、祈ってもいなかったような事柄がそこに展開している。
本当に驚きを、そして彼らは何という事をなさったんだろうか、そういう事柄です。
15:01
そういう事柄を背景にしてこの千の四十六弁は後に生まれて、そしてこれはもう賛美歌のようにね、今私たちが言う賛美歌のようにしてこの絶後悟に基づいて歌った神への祈りというものをそこで捧げているわけです。
紹介しましたフランシスコのその祈りも素晴らしいですけれどもね、しかしこの千の四十六弁というのは私たちに本当に信仰というものがどんなに大切なものかということを改めて教えているのではないかとそう思います。
ちなみに私は前にも紹介しましたけれども、私はこのアスリアという国はね、この後このエルサネムでのそういう敗北を期して、そして戻っていくわけです、自分の国へ。
ところが国内でクーデターが起きて、この国のお様はもうそこで持って暗殺されてしまう。そしてその後はもう敗北への道を辿って、そして滅亡するわけですよ、紀元前600年ぐらいのときでしょうか。ですからもう国はないと思っていた。
ところがですね、私が平笠を辞めて、そして最後の簡単礼拝のときに2009年ですから、もう10年近く前ですけれども、ある一家族が礼拝に集席されて、そしてお会いして、そしていろんな話を聞いたら、奥さんは外国の人なんですよね。
で、どちらがですね、そういう系統を見るんですと、大体アメリカ人かなと。そこに彼女はハンガリーですけれども、アメリカ人かなとかいろいろ思っちゃう。そのぐらいしかそういう人が乏しいものですから。
そうしたら、いや私はアシリア人です。え、アシリア人は昔滅びちゃったでしょ?と言ったら、そんなことない。私はもうアシリア人で。失礼ですけどね、日本のクリシアンの数よりもアシリア人のクリシアンの数の方が多いですよ。どうも失礼しました。
そしてその時にお出になったのは、実はそのもう一箇所に新しい街道を作って、そして始まったんですけどね、なかなか思うようにいかないんで、自分たちはやっぱりどこか教会に移って、そしてその建物、土地を全部その教会にお任せしようかなと思う。
同じ平方ですから。えーと思ってね。それでいろんなお若しを聞いたら、彼女の弟さんが事業に成功しましてね、イラクの方に住んでらっしゃるんですけども、そうしていくつか教会を建ってきた。
18:10
それで日本には教会がないんだって言ったら、ぜひ下げるから頑張って、そして教会を建ってくださいって言ってね、そういうことがあって教会ができたんです。けども僕たちは会うことがあって辞めるんでね、その教会はもう誰もいなくなっちゃう。残るのは私たちぐらいしかいない。
だから私たちはこれからよければ希望教会に来るし、あわせてその教会堂も使ってもらえたらということで、私が平方を辞める間際にですね、いろいろこの法人の手続きをして、そして免税になるようなそういうようなことも、それまでずっとその家族がね、税金か何か全部払っておったそうですが、そういう手続きを済ませて、そしてちょうど3月の何日だったでしょうか。
辞める間際の最後の日曜日に、そこの解消式とかいろいろなそういうものをやって、そして私は赤足へ移っていったんですが、私はその時にね、本当にあ、ユダヤ人ってもう歴史から無くなったんじゃないかな、と。
一時ユダヤ人はそうだったんですよね。私たちは今、もう当たり前のようにイスラエルという国があの中東の一角にあって、そしていろいろな問題も起こしておりますけれども、しかし何人かここにいらっしゃる方でも、このエルサレム行ったり、イスラエルの向こうのガリアの方に行かれた方もいらっしゃると思うんですが、とにかくこの第二次大戦まではね、イスラエルという国は無かった。
このユダヤ人たちはみんないろんな国に減らされていたんですね。そして一番悲惨だったのはヨーロッパに、特に今の東ヨーロッパでしょうか、そっちの方に住んでいたユダヤ人たちは、キッドラの前にもう全部この民を滅ぼすということでね、そしてアオシミツに象徴されるような事柄がそこに起きたわけでした。
ですから彼らは、やはり私たちは小さいといえども、自分たちの国を持つべきだということで始まったのが、この第二次大戦が終わって間もなく1948年だったでしょうか。
私も映画で見ましたけどね、エキゾダスという映画があった。その時は私はクリシアンじゃありませんから、すごい活躍映画で、アクション映画みたいにしか見てなかったんですけれども、これが、やはりイスラエルという国がどういう過程の中でもって独立していくかということならが映画化された、そういう内容だった。
私はそういうことを思い起こしながら、イスラエルという国が1948年、戦後間もない2年、3年のうちですかね、1945年が終わった年ですから、ですからその3年のうちに、あのイスラエルに一つの小さな国をそこに作り上げて、いろんな戦争がありましたけれども、しかし今日まで至ったわけですけれども。
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ですからイスラエルもですね、ユダヤ人も、実はこの第二大戦まではもうイスラエルという国もない。言葉もない。何もなかった。
ですからそれぐらいに私はアステリアというこの国はもうないとばっかり思っていたのが、なんと教会を、私どもの教会、あの当時の平方希望教会に捧げるというぐらいのクリスチャンがおるし、また財力的にもですね、イラクでもってどうしてそんな金持ちになったんだろうかと思うぐらいそういうことですけれども、
しかしそういう事実の中で今、第二カイドウとして、キャペルとして今そこが使われておりますけれどもね、神様不思議なことをなさるな、ここで滅んでしまったはずなのが、けれども神様のなさることは、それが全部の終わりではない。
むしろその人たちを申し出させてまた新しいこともする。しかしその前に私たちは心にしたいことは、このシェンの四十六篇ですけれども、この一節から三節は、これは神様の守りの中にいるこの平安というそれが力強く謳われております。
神は我らの酒どころまた力、苦しむときそこにある助け、聖書はそういう風にして神がまず私たちにこのような祝福を与えなさる。
ところがこの世もそれは違います。神を金に変えてね、金は我らの酒どころまた力、苦しむときそこにある助けだという風にですね、残念ながら今の世の中はそういうものが最も力あるものとして評価され、ないものは駄目なものとして見下され、
そしてやっておりますから、神のないそういうこの世界は、私たちはかろうじて七十三年平和の中で守られてまいりましたけれども、しかしそういう富に増すあること柄でもって、どれだけ国と国とが戦い動く日までしてきたことか。
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そういう中でもって奇跡をはじめイスラエルの人々は改めて神様こそがね、私たちにとって最も身の置きどころであり守られるところだ。しかもやがてそれは私たちに来るのではなくてそこにある助けだ。
実際イスラエルの人たちはエルスカレムの人々はそれを経験したわけでしょう。翌朝は全部私たちは滅びるんだと。ところが起きてみて彼らが衰えたことには、神様がアスレア陣を打ちなさって、そして私たちを守ってくださった。
まさにそこにある助けなんだ。やがて来る助けじゃない。そういうことがあったという過去の助けではない。神様の助けというのはそういうふうに、今私たちにとってどんなに大きな災害をもたらせるか、そういう助けだ。
しかもその後を見てまいりますと、「それゆえ我らは恐れない。たとい地は変わり山々が海の真中に移ろうとも、たといその水が滝沢に泡立っても、その水かさがまして山々が揺れ動いても。」
現実に私たちは、いわゆる自然現象の中でも、こういうこと柄を見ていますよ。崩れ落ちのない山が崩れて、そして大勢の人々が亡くなった。あの静かな売りが、まさかもう怒涛を成して、そして自分たちをこのところに襲ってくる。
私は東北の震災のときに、ちょうど大阪である会議がありますので、明石から大阪に移ってくる。その明石を午後の2時46分の電車に乗って、そして大阪に向かった。
そしたら大阪に着いたら初め、何かざわめいているんですよ。何だろうかな。そしてそのうちに、私の家内から電話があって、今東京の方には大きな地震があった。お姉さん大丈夫だろうかという部分ですから、すぐに電話を引いたんですが、もう通じないんですよ。
そして私はその会議の行われる場所に行きましたら、テレビがそれを映し出しておりました。東京ではなくして、もっと東北の方。
特に今でも忘れられないのは、自動車がミニカーのように水の中に埋まって、そして揺さぶられている。そして次々と展開される様子は、日本がこれまで経験したことのないような、しかも太平洋沿岸のベルト上の災害の様子が映ってまいりました。
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こんなこと、津波だと言っても、しゃばしゃばっと来るくらいの、そんなことしか私には理解がなかったんです。しかしその津波が、やがて人々、そして家を、車を、何もかも攫っていく。この支援は、たとえそういうことがあったとしても、私たちは恐れない。
私たちの身に及ぶような、どんな危険な状況が起きても、神こそが私たちを避けるとして、私たちがこの方に目を添えていく限り、私たちはそういう刺激が、私たちの人生を、もうそれこそ根こそに奪ってしまうことがあるかわからない。しかし、それでも私たちは、神の前に平安である、ということを歌うわけですね。
この四節から七節にかけては、これは神の臨済による喜びというテーマを、そこに設けることができるかと思います。
川がある、その流れは、伊藤坂きかかの聖なる住まい、神の都を喜ばせる。神はその真中にいまし、その都は揺るがない。神は夜明け前に、これを助けられる。
ここでも、当時のこのエルサレムの様子を、私たちは想像することができます。川がある。
実は、ヒゼキヤという王様が、イスラエルあるいはユダ王朝の中でも、最も良い王様として聖書は紹介している。そして、彼の行政というのも、非常にこのエルサレムを栄えさせるような、そういうようなことを彼はしているわけですね。
最もそういう中でもって、このヒゼキヤがやりましたそれは、ヒゼキヤの水道という、地形を生かして、そして湧いてくる水を生かして、そしてこの水の家に、このエルサレムは守られるんですね。
当時、あの乾いたファレスナにおいて、水というのは、もう私たちが考える以上の貴重なもの。私もイスラエルに行きました時に、そんなに水を持って歩くのならんのかな、当時こういう小さいボトルがあったらいいんですけども、あの1.8リットルですか、あれを持ってね、喉が乾かなくても飲むようにしてください。
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それぐらい乾いてるんですから、今は熱中症ということでね、しょっちゅう水を飲むように言われましたけども、当時私の習慣の中にはね、水を持って歩くなんてことはなかったんですよ。
で、喉が乾いたら飲んだらいいだろうという、その程度しかなかった。ところがファレスナの方ではね、本当に乾いてるわけですよね。だからああいう大きな高揚たる砂場地帯が続くわけでしょうけども、そういう中で川があるってことは、どんなにこれはそこに住む人々にとって大きな恵みになるか。
で、この川っていうのはね、神様が共におられるっていうことの象徴的な、そういう意味なんですよね。私たちは今日においては、精霊の川っていう表現を使いますけどもね、私たちの生活の中において、御精霊なるこのお方が共におられるときに、私たちは本当に守られる。
御卑怯なその恵みの水のようにして私たちを生き返らせてくれるっていう、そういう意味においてしばしば水や川というのは、神様っていうふうに捉えられる、そういうところになります。
ですからここでもそうですよ。川がある。神様がそこに共におられる。そしてその流れは、そのすべての人々を潤し、そして神の喜びとなって栄えていくっていう、そういう意味合いです。
神はその真中にいますし、都は揺るがない。神は陽気前にこれを助けられるっていう、まさにこの支援の四十六遍が生まれる、そういう背景がこの言葉によく表されている。
朝起きてみたら、あの何十万かがなるところのこのアステリア軍が一夜にして滅んだわけですよ。自分たちが目覚める前に、夜明けを迎える前に、神様がことのすべてをそこで持って解決しなさっているっていう、そういう意味合いですよ。
神がなさるっていうことはね、ですから私たちにとって最も大切なとき、そしてそのときというものを用いなさい。恵みを私たちにお与えなさい。
国々はたまに立ち諸法の王国は由来だ。神がみこいを走られると血は溶けた。万軍の死は我らと共におられるヤコブの神は我らの旅でである。
33:13
この神様、ヤコブの神という言葉に表せられるように、イスラエルを起こし、そして最初の一つあったこのヤコブという、その時代から今日に至るまで神は私たちと共におられる。
まさにイスラエルというこの名称、あのヤコブに向けられたこの新しい国の民族の名前は、それこそ神が共におられるというこれなんですね。
あなたがあるいろんな国々がそこにある。アシリアもあります。いろんな国がそこにあります。しかしそういう中でもって、イスラエルがイスラエルとあることは何かと言ったら、イスラエルという名の神、このヤコブが命名されたときに言われたように、あなたと一緒だよ。
私はどんなことがあってもあなたと一緒だ。そしてあなたを栄えさせる。私はそういう拝見になります。
その時から一つの言葉が心臓の手術の前にある先生を通して、これを送りますと言って送ってもらった。そしてそれはヤコブに向けられた言葉ですけれども、私はあなたをまたに返すという、そういう言葉です。
ですからこのままですね、もう終わるんじゃないんだな。神様もう一度私を返してくださって、そしてその後の時に帰させてくださるんだなという、そういう平凡な経験をさせていただいて、そして今に至っておりますけれども、イスラエルは、
特に私が共にいる、それがあなた方イスラエルの名前の出どころであり、他の民とは違う唯一の民は私が共におるからなんだ。もうこれは賛美のコーラスのように繰り返しその後にも続くわけですけれどもね。
神様はそのように私たちの歴史の中にまでも共におられ、そして私こそが神だ。ですからここに言われているのは、恐れるなとか。前のこの公語訳ではおののくなとか書いてありますけれども、この新海約聖書では、お手元の聖書では、この十節、やめよって書いてあるんですね。
私は当時使っておりましたのは公語訳聖書ですから、申し上げたように、その公語訳聖書の方では、恐れるなとか、おののくなって、そういう言葉であったと思いますが、やめよって、面白い言葉だなと。
36:08
そして今度は、神経であるとなりますとね、力を捨てよ、いずれもこれは、自分を放棄しなさいよ、自分を神様にいだれなさいよ、あれこれするんじゃなく、自分の小さな知恵でもって、じゃあこうしようか、じゃあこっちへやってみようか、というような、
そういう人間の知恵に頼らずに、自分自身をもう思いっきり神様に任せてみよう、放棄しよう、やめよって、そういうことですよね。これ在苦しないで、あとはもう私に任せなさい、と。
本当に私たちの避け所である神様を知るということが、どんなに大きな私たちにとっての力か、自分が入れ替わって何かをやろうとすると失敗するんです。何かをやろうとすると不安がある。もう失敗したらどうするんだろう、どうなるんだろうかというような、いろんな不安が渦巻いて自分に。
それはない。それもこれも。
そういう人が目にしたのはこの光景でした。自分たちが一本の矢も打たずに、そして刀を交えることもなく、そこに見たのは、足矢のあの軍隊が誇りとしてきた戦車や武器や何もかも、全部それが何にも使われずに役立たずの鉄屑のようになって、そしてそこに見えている。
神様がことをなさると、人間的にいろいろ考えるようなそういった事柄が何ともなしにつまらない、頼りにならないものか。
あるにおいて私たちのこの時代はね、今のこの勝手の足矢のように、自分たちのこの軍備を誇り、それを拡張し、そしてあわよくばもうよその国まで入っていこうというような、そういう世界が今現状でしょう。
39:07
ですから、この日本もね、いつまでも平和憲法だけじゃなくて、やっぱり軍隊をもって、そしてある程度の軍備をもって、そしてやらないと、いつまでもアメリカの傘の下でも強いけないんだと言って、そういう声がだんだん強くなってきている。
平和を73年間もたらしたこの憲法というものが、むしろ今の時代には、これからの時代には、もうそんなものは役につかないんだ、という、そういうことがある。
今日まで平和であり得たという言葉をどういうふうに理解しているんだろうかと思うぐらい、それを措置を急いで、そしてこれからの日本のためには、もっとそういう点において力ある日本としてそこに成り立っていかなければいけないというような、そういう一部政治家の人たちが考えてきている。
わからんではないですけどもね。しかし、いずれ私たちが手にするようなものは、この類ですよ。
地は地の果てまでも戦いをやめさせ、弓をへし折り、槍を断ち切り、戦車を火で焼かれた。いずれそうなってしまう。そういうものに私たちが立ち回って、そしてそういうものを持たないと、巨大国家になれないんじゃないか。世界のまかまりできないんじゃないか、というようなことではないんだ。
そういったことを一切やめなさい。そういうこと柄の考えを全部神に任せなさい、ということを神が私たちに向かって、そして約束されているわけです。
今、私たちは、今こそ、私こそ神であることを、本当にこの方をしっかりと私たちの信仰の中心に仰いでいきたいと思うんですね。
最後に私は、デンマークのコペンハーゲンというところに、私は直接それは見ていないんですけれども、海岸のちっちゃいお人形、あれはバスで通りかかって、もっと大きいんじゃないかなと思ったら、ちっちゃいんじゃないかなと思って、肝心のものを一般の観光客の中にはいっておりましたからわからなかったんですけれども、
そのコペンハーゲンのある聖母教会というところに、これはデンマークが生んだ有名な彫刻家で、ベルテル・ドルトルセイ先生ですかね、その方のキリスト創世の像というのがその教会に置かれている。
42:02
ある本でそれを知ったので、そこに入れたらいいのになと思ったんですけれども、ところが、その像を見るのは、やはりイエス様が昇天されていく時のその下を向いて、そして天に帰られる。
ですからイエス様の顔を見ようとするとね、そこにこの跪きようにして見ないと、天に昇られるイエス様のお顔が捉えられないというふうに書いてありました。
それこそ私たちに必要なのはそこなんだな、と。やめよう、私こそ神であることを知れとおっしゃるこのお方がね、私の前に来て、そして私を仰ぎなさい、と。
そうおっしゃって、そして天に帰っていかれたそのイエス様の姿、私たちに必要なのはね、本当に心をへり下って、自分を委ねて、そしてこの方を仰ぐ、そこにこの四十六遍全体にわたる本当の平安が、心の平和というものがそこに与えられるんだ。
そういうメッセージがそこに込められているんだということを読みながら教えられましたけれども、信仰とは私たちの小細工、何もかも全部放棄して、そして自分自身を本当に忍び前に仰ぐようにして自分自身をこの方にお任せしていくということが信仰だよということを教えている。
私はこの四十六遍を読みますと、私たちの信仰のありよう、その姿というものを改めてそこに教えられます。お祈りいたします。
44:03

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