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おはようございます。
今日も見言葉に入る前に、隣の方、アドバイントも始まりましたので、メリークリスマスいかがですか。
メリークリスマス。
一言お祈りいたします。
愛している父の神様、今日もこうして、12月1日、今月のまた祭祀の礼拝を、こうして、兄弟姉妹たちが心を一つにして、今日、賛美する、礼拝する、この幸いな恵みを心から感謝いたします。どうぞ。
今から、神様の見言葉に耳を傾けます。
神ご自身が、我ら一人一人に、見言葉を語りかけて下さい。
私たちは、目を覚ましていて、あなたの見声に耳を傾けて、そして、その見言葉に従う我らとならして下さい。
どうぞ、見ていただけます。
神様、このところに私が共にいまして、空気さえも私が術を収め、我らの想いも考えも身体さえ私が術を収まって、力育って、どうも勇気めくって、豊かに恵んで下さい。
また、帰る人が一人もなく、みんな恵まれて、精霊に満たされて、この門を出ることができますように、豊かに恵んで下さい。
感謝して、信じて、イエス様の皆によってお祈りいたします。
アーメン、アーメン、アーメン、アーメン、アーメン、アーメン、アーメン、アーメン、アーメン、アーメン、アーメン、アーメン、アーメン、アーメン、アーメン、アーメン、アーメン、アーメン、アーメン、アーメン、アーメン、アーメン、アーメン、アーメン、アーメン、アーメン、アーメン、アーメン、アーメン、アーメン、アーメン、アーメン、アーメン、アーメン、アーメン、アーメン、アーメン、アーメン、アーメン、アーメン、アーメン、アーメン、アーメン、アーメン、ア
十二月が始まりました Um disappointed
大光説、まっ、アドベントと
言いますが、来週、始まります えー、イエスキリストの御 communautを
記念しに、またですね、このクリス マスをお祝いして、何より、この世界に
イエスキリストの 救いが
望むことを
祈る心を持って、この12月の日々を送らせていただきたいと、そう願っております。
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また今週から先の祈りにもありましたけれども、クリスマス向けの初祝会が本格的に始まります。
何より私たちが毎年の恒例のイベントとして終わるのではなく、まず何より祈りを持って準備して備えていきたいと思います。
神様が、精霊様が一人でも多くの人々を集めてくださるように。
そしてそのところに集った人々が、私たちを通して、キリストの愛に触れて、福音に触れて、イエス・キリストの恵みに触れて、人々が変えられるように、それを願って、祈りを持って準備していきたいと、そう願っております。
今日からクリスマスシリーズ説教、今日は第一。従順から始まるという題を持って共に恵みをいただきたいと思います。
センスを見ますと、神様は人と共に働くことを喜んでおられる、楽しんでおられることを私たちが知ることができない。
神様はその時代その時代に、神の人をお選びになって、その人たちと共に働いておられました。
例えば、アブルハムを神様が選んでくださって、彼らと共に働かれたわけなんですね。モーセをお選びになって、あるいはダビデを。
新約に入りますと、ペペロをお選びになって、パオロをお選びになって、彼らと共に働かれました。
神様、彼らはですね、アブルハムとかモーセとかダビデ、ペペロ、パオロはですね、神様のパートナー、神様の相棒です。
皆さん、神様はこのパートナー、相棒と共に働くことが大好きなんです。
世界をお作りになる時も、神様、ニコイエス様、ミタマ、セーレ様、三人の方が一つになって、この世界をお作りになったんですね。
それを見ても、神様はですね、一人で全部やってしまうのではなく、一緒に働くこと、共に働くことを主は好んでおられる。
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それを喜ぶんですね。
このようにですね、神様は、創造の時から、この心にかなった、普通の言葉で言いますと、気が合うパートナー、相棒を選んで、彼らと共に、この福音選挙のために働かれたんです。
それは、世界が、神様が唯一の神であることを知ること、そしてイエス・キリストを救い主として信じて救われること、これをですね、神の選挙、福音選挙と言いますね。
そのために、神様が、神様さんとか全部してしまうのではなく、その時代、その時代に、神の相棒を選んで、彼らと共に。
ところがですね、もちろん、最初からですね、完璧な神様のパートナー、相棒はなかったかもしれません。
アブラハムもしょっちゅう失敗してしまったんですね。モーセも失敗してしまいました。
しかし神様は、彼らを整えさせて、備えさせて、成長させて、成熟させて、神様は彼らと共にずっと働いていたんですね。
これが皆さん、実は、聖徒の歴史であり、キリスト教の歴史なんですね。
神様は、アブラハムを共に働くことを、主が喜んで決めて、彼をお選びになった。
パートナーとして、お前は私と共に働こう、で、イスラエル民族を始められました。
あるいは、モーセのことを考えますと、神様は、モーセを選んでですね、イスラエル民族をエジプトから脱出させること、
航海を渡らせること、アラノでママやウズラをたたさせることを、それを神様は、モーセという人と共に働くんですね。
新約時代に、イエス様はどうでしょう。3年間、なんと12の弟子たちと一緒に働くことを喜んでおられました。
イエス様はですね、弟子たちとですね、共に働くことだけではなく、よくパーティーも楽しんでおられましたね。
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よく宴会も受けて、そこで共に食事をして、共に飲み、そして交わることを喜んでおられました。
共に働くことを主は楽しんでおられたんですよ、皆さん。
ペテルノと共に働かれました。ステッパノと共に働かれました。パオーロと共に主は働かれたんです。
皆さん、イエス様はこのようなプロセスを喜んでおられました。
人を選んで、彼を整えさせて、そして神様と気が合う心にかなったパートナーに整えさせて、共に働いていかれるんです。
ところが皆さん、どんな人が神の相棒になって、パートナーになって、共に働くことができるんでしょうか。
従順の人です。神の心に従う人を主が喜んで共に働かれます。
神様の御指に従う、神様の命じられる通りに従う人、神様の望みに求められることに応答する従順の人を主はパートナーとしてお選びになって、共に働いていかれるんですね。
ですから皆さん、この福音選挙、神の選挙というものは、実は従順から始まるといっても、ほとんどは従順な人が神の相棒になって、パートナーになって、神様の、神の選挙ということをですね、
もう全世代を担うことはできないんですけれども、今の時代に、例えば私たちの場合であれば、この2013年、今年は2013年ですか、皆さんが救われたあの年から、今に至るまで、
まだ天に召されるまで、それが50年、あるいは70年、あるいは80年でしょうか、この時代に私に任された、この福音選挙を、私が神様の相棒になって、パートナーになって、共に働く、じなおうということなんです。
アブラムがそうでした。モーセが、ダビデが、イザヤが、ペテロが、マタイが、テモセが、その後もですね、数多くの神の人たちが、その時代の自分が担うべきその行程を果たしたわけなんですね。
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そこに従順の信仰があったわけです。まるでですね、このように例えることができると思うんですね。バトンタッチ、リレーするでしょう。そうすると、一周であろうが半周であろうが、自分が決まったその距離があるわけなんですね。
その距離を自分が先輩からバトンを渡してもらったんですよ。私たちも皆さんも一人一人が信仰のバトンを渡してもらいました。そうすると、バトンを渡してもらって、そこにずっと立っていたらどうなるんですか。
ダメなんですね。それが半周であろうが、一周であろうが、あるいは二周であろうが、走らなければならないんですよ。走り終えること。遅れていいんです。上手にですね、走れなくていいんです。
自分に任されたこの行程をバトンを。そして自分が走って、そしてまた次の人にバトンを渡すこと。これが神の働き手であり、選挙のパートナーなんです。従順の人、主が用いられるということです。
ですから皆さん、神様はどんな人と、その時代その時代、主が選んで、共に働いて、彼を通して栄光を受け取られるのか。従順の人なんです。
ですから皆さん、よく考えていただきたい。私たちが受けることができる恵み、祝福の中の最も大きな祝福は、神様のために用いられることではないでしょう。
一生涯の間、自分が神の選挙のために、福音のために用いられること、そのような生涯を送らせていただくこと、これより勝る祝福はないと思います。
ですから皆さん、このような願いを、希望を、願望を抱いて、持っていただきたいんですが、このように祈ることですね。神様、私が残りの人生を神様のために生きたいです。
として取っていますが、私を持ち入れてください。神の福音のために、神の選挙のために、私、神のパートナーになりたいです。あなたの相棒になりたいです。私を持ち入れてください。とですね、祈ろうではありません。
今日の本文のヨシエフとマリアは、神様の真実な相棒、パートナーでした。イエス様の誕生のための神様が選んでくださった相棒でした。パートナー、働き人でした。
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まずですね、ヨシエフとマリアのその状況を考えてみましょう。ヨシエフとマリアは婚約をしてはいましたけれども、まだ正式的にですね、結婚をした関係ではなかったんですね。ところがマリアさんが妊娠をしたわけなんですね。
だから、婚約者ヨシエフとしては、それはもう止まらないことなんですよね。とんでもないことが起きてしまった。まだ結婚もしていないのに、もう婚約者が妊娠してしまった。これは大変なことなんですよね。
もう今の時代はですね、もうこの性的奈落、性崩壊の社会ですからですね、もう結婚するときに妊娠していくことがまるでプレゼント時代にですね、そういう良く曲がった時代になってはいるんですけれども、この時代はですね、この立法をとても厳しく守っていた時代ですから、結婚していない人が女性が妊娠してきた。
ということは、下院の罪でですね、意思打ちされて殺されるにあたる罪なんです。その時に、このマリアが、御使いを通して御事が語られた時に、彼女がどのように応答するのか、彼の信仰、彼女の信仰を見てみたいと思います。
今日の35節、37節です。そのところを一緒にですね、読んでいただけますか。35回はちょっと長いですが、まず35節から37節までです。よろしいですか。
神によって不可能なことは一つもありません。
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ある日ですね、忽然ですね、マリアのところに密害が現わっていたんですね。あなたは身を守りますよ。その子はイエス・キリストで救い主になりますよ。
えー、そんなことあり得ないと思うんじゃないですか。そう考えてもですね、決してとんでもないことではないかと思います。大変なことです。自分がまだ男も知らない。子供を身を守る。どうするのか。戸惑ったでしょう。
さあ、その時にマリアさんがどのように反応、応答したのでしょうか。到底納得できない状況です。受け止めづらいことなんです。そのことに対してのマリアの応答を38節です。
今日の中心課題ですが、このところを一緒に読みたいと思います。38節。
マリアは言った。本当に私は死の始ためです。どうぞあなたのお言葉通り好みになりますように。こうしてニスカイは彼女から去っていった。
皆さん、このマリアの応答はすごいと思いませんか。えー、結婚もしていないのに、男も知らないのに私が妊娠するんですか。いやいや、嫌です。嫌です。
と、ことがたり逃げたりしたんじゃないんですね。なんと本当に私は死の始ためです。私は死の始ためです。直訳すれば女奴隷です。そういう意味なんですね。
私はあなたの御礼ですから、主がさせるままそのまま私は伝えます。そういう意味言葉なんですね。どうぞあなたのお言葉通りに好みになりますように。これはなんと素晴らしい従順の信仰なんでしょうか。
結婚もしていない女性が自分が妊娠するというニスカイの話を聞いて、御言葉通りに好みになりますようにと応答できる。この従順の信仰は素晴らしいことじゃないですか。
自分が理解しづらくても納得がいかなくても受け止めづらくても神様の御言葉であるならば御言葉通りに好みになりますように。これはですね、この時代においてはお祝いすることではないんですよね。
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本当に変な人に悪い女性に見られるようなことなんです。しかし彼女は御言葉通りに好みになりますようにそれをそのまま丸ごと受け止めさせてもらって従いました。御言葉に従いました。
皆さん、ですからこのイエス様の生まれはマリアの従順から始まったと言えるじゃないですか。神様はマリアの従順を喜んでおられました。そして従順する従うマリアを神様が相棒としてパートナーとして共に働いてくださったんです。
皆さん、これはなんと栄光にかやくことなんでしょうか。神様と共に働くこと、働かせていただくこと、これは素晴らしいことなんです。
例えば皆さん、私はゴルフが好きませんが、アメリカでは私のキャリアの牧師が、昔はアメリカで研修してゴルフ連動もしていて、日本に来ては東部からやって今はやめてしないんですけど、その牧師から聞いた話です。
アメリカでゴルフをちょっとやれる人は、結構前は有名な選手がありますね。タイガーを打つ。彼と一気にでもいいから一緒にゴルフをやりたい人が山ほどあるとして、お金をいくらでも私から一緒にゴルフを打ってほしいと。
日本だったら、若い彼、石川ですかね。彼共にゴルフをやりたい人が多くいるかもしれない。音楽家は有名なオペラ家とか、そういうことを共演することを一生前の光栄として思って、自分のプロフィールに誰々と共演と、誰々と共演と書くんですよね。それを光栄と思う。
皆さん、私たちが神様と共に働くことは、この世界の中で最も素晴らしい光栄のことではないです。私の夢は生涯、本当に足りないものですけれども、神様の気に合った、心にかなった、神の相棒になりたいです。
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そして神様、この日本で、このものをこの時代に、僕が何歳まで生きられるか分かりませんけれども、また日本でいつまで働けるか分かりませんけれども、働ける時まで神様のパートナーになって、私をもう一人いてほしいと、そういう夢を持っております。皆さんはどうでしょうか。
クリスマスをお祝いするこのシーズンに、皆さん全員覚えて、そして希望を持っていただけたいことは、
主と共に働く恵み、主と共に働く光栄を喜びにして、そのような願望を、いや、もう凡欲でもいいです。そのような願望を持っていただきたい。
皆さん、家様のお生まれは従順から始まります。このように小さな、あるいは自分には到底担えづらい従順であっても、従った時に素晴らしい恵みが起きるんです。
先週、東京に来ましたけれども、選挙史の証です。去年11月に北海道に行って知り合いになった選挙史がいますけれども、夫婦とも賛美のミニストリーをしているんですね。
北海道からずっと賛美の賜物があって、コンサートもしたりするんですね。その時に韓国の選挙史が4人、5人集まって話をしていた時に、東京に今キャンパスで大学生、ミニストリーをしている選挙史が、
その北海道の選挙史に先生、よかったらうちの魚介に来て、あるいはキャンパス、コンサートを開いてもらえませんと言ったら、その北海道の選挙史が、もう行きます。いやもう、きっと場合は要りません。
と言ったんですね。それで、その東京の先生が、そのままそれを受け止めて、ご孝子のイースさんにお招きしようと連絡をした。そしたら、ちょうどご孝子の春に、その北海道の選挙史の長男が韓国の大学に入ったんですね。
だから、入学金や学位やさまざまなお金がたくさんかかるわけなんですよね。それで、いや自分が幅で行きますと言ったのに、ほんまに招いてくれるか、でもほんとに来てほしいと招いたから、いや行きたいんだけど、もうお金がないし、また行けないわけにはいけませんし、どうしたらいいのか、断るかと迷ったそうです。
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それで、夫婦で多くても、北海道から東京までどれぐらいでしょうか。6万円、7万円ぐらいでしょうか。
それをですね、もうお金はあんまりなくですね、困ってですね、いや断るか、もう行こうか、迷ってですね、一週間祈ってですね、さあもう信仰を持って、もう行くこと自分が言ったから、さあ行こう、で電話して、さあ行きますと電話したんですね。
それでですね、その翌日の夜にびっくりしたとおけました。自分の派遣協会から、ある婦人の方から電話がかかってきたんですね。電話がかかってきたら、その婦人の方が、この先生、いい先生ですね、北海道のいい先生。
あの、長男の、その4年間の学費、どれぐらいかかるんでしょう。で、今、結構、まあ、田国も高くてですね、まあ、4年間したら、まあ、500万円ぐらいはすると思うんですね。
それを、私が4年間、学費、奨学金、全部、千金しますので、そうさせてもらえませんかと、電話があったんですね。それを、電話を終わって、その先生は神様に、ふいやかに言って、今こそ、神様、僕はたった6万円のお金でこんなにイライラして悩んでいたのに、
神様も、100倍の600万円を備えて、もう与えてくださろうとして、私がしたかうかしたかないか、実は試させたんですかと、祈ったそうです。
で、昨日のイースターに行って、東京の大学の体育室を借りて、そこで三味のゴキペルコンサートを開いて、そのアガシが来てくれて、もちろん、東京の先生もちゃんとチケット代もカレーも準備したんだけども、
その先生が、私はこう言ったから、あなたのこれを受けて、もう受けません。また今度からは、もっと遠いところまで行きたい。もしアメリカまで行ったら、神様、100倍くださるんだったら、もっとたくさんいただけるから、これからはもう受けないと言ったそうですね。
皆さん、従うこと、従順に従うことは、神様の素晴らしすぐは待っておられるんです。マリアだけではなく、女性もそうです。そのどころどころ見てみましょう。
マタイの文をちょっと見てみますね。マタイの第一章、23節、25節です。新約聖書2ページです。では、23節から25節を一緒に読みたいと思います。
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ここにですね、24節をご覧ください。
ヨセフは眠りから覚め、主の使いに命じられたとおりにして、その妻を迎え入れた。皆さん、これが従順の進化です。
命じられたとおりにしました。自分と結婚もしていない、これから妻になる彼女が見守っていることを、御使いから、これは救いの力だから、言われました。
何の文句もつぶやきもないんですね。命じられたとおりにしました。まるごと受け止めました。そして、妻を迎え入れました。皆さん、これが従順の進化なんです。従順の進化なんです。
ヨセフが、マリアが、この夫婦がですね、神様にイエス様の心を保つために申し入れられたことには、この二人の従順という進化があったからでしょう。
最初に申しましたように、神様を皆さん、今の時代も2013年、もしくは2014年になりますね。この時代に神様の心にかなった、神様と妻が会う相棒、パートナーを妻が探し求めて、そしてその一つを共に働きました。
この神戸のために、この日本の選挙のために、今日は働きたい、働きたい、願っておられるんですね。ヨセフもマリアも納得いかがですか。受け止めないことでしたけれども、御言葉ですから、御言葉とおりに、命じられたとおりに、これが従順の進化なんです。
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皆さん、聖書はですね、漱石からヨハネの目白まで、この従順という観点から見ますと、この歴史は、神の御言葉に従うか、従わないか、この歴史なんですね。
そうですね。アブラハムが、イスラエルが従った時もありましたけれども、従わなかった時もありました。神に従う道を選ぶのか、従わない道を選ぶのか、それなんです。
ですから、聖書の歴史、キリスト教の歴史は従順の歴史なんです。従順の筆で書かれた歴史が、聖書、キリスト教の歴史なんですね。
アブラハム、ヨセフ、イサク、ダビデ、ステッパン、バニエル、多くの、その他もですね、もう現代に行きますと、ジョン・ウェスレットか、あるいは、ハド・トム・ペイラー、皆さんご存知ですか。
中国の奥地の選挙を始めた、ウィリアム・ケアリー、多くのですね、彼らは、神の御言葉に、命令に従ったんですね。
100年、150年前はですね、アメリカから、オーストラリアから、イギリスからですね、多くの若者たちが、彼らがですね、もう半年間も船に乗って、日本に、韓国に、中国に入って、福井のもべ伝えてくれた。
自分が走るべきその工程をですね、バトンタッチをですね、ちゃんとやってくれたんですね。従順の歴史なんです。
どうか皆さん、今日、私たちが走るべき工程があります。皆さん、もう既に、この福井御言葉のバトンが渡されているんです。
それを、ちゃんと握りしめてですね、落としたら、まあ、やなことになりますから、ちゃんと握りしめて、工程を、自分に任された、見直べき工程を走り続けてまいりましょう。
御言葉通りになりますように。命じられた通りに従う私たちがありたいと思います。お祈りを済ませます。
ではですね、今日の御言葉を、恵みを覚えて、主よ、私たちにも、この従順の信仰をお与えください。御言葉通りに好みになりますように。命じられた通りに主よ、従います。
この時代の神の選挙のために、このものを、主よ、用いてください。あなたのパートナーになりたいです。この課題をもってですね、一緒に祈ってまいりましょう。お祈りしましょう。
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ハレルヤカルシャンパン、あなたの恵みが、心から感謝いたします。あなたの恵みが、私の好みになりますように。どうぞ主よ、我々一人一人を、あなたが用いて、あなたのものとしてくださいますように、お願いをいたします。
マリアカスシェフが、神の力に用いられたように、主よどうぞ、私たちも、あなたのために生きたいですから、主よどうぞ、あなたのパートナーとして、働き手として、御用いてください。力を信仰、従順を信仰を、我々に主よ、お与えくださいますように、お願いをいたします。
どうぞ、今から少しお祭参式の上にも、豊かに恵んで作ってくださいますように、お願いをいたします。豊かに作ってくださいます。
では一言お祈りいたします。
愛する父の神様、
神様は、心にかなったヨシエフ、マリアをお選びになって、彼と共に働かれたこと、従順の人、従う物橋と主が共に働かれること、それを主は喜んで楽しめることを、今日お教えいただきました。
神様、数多くの親子の先輩たちが、その時代その時代の福音選挙のために、その担うべき工程を走り続けてくれてから、その親子のバトンが私たちに今の時代の福音選挙のために渡されていることを、この恵みを感謝いたします。
どうぞ主よ、御言葉通りになりますように、明示する通りに従う我らの親子。
それを通して、この時代の福音選挙を私たちが担うことができますように。
主よどうぞ、まず何より、私たちに従順の親子を差し切ってください。
御言葉に、どんなことであっても御言葉であるならば、丸ごと受け止めさせていただき、そしてその御言葉に従うものとならしめてください。
御言葉に感謝し、神様の御名によってお祈りいたします。
アーメン