1. 名谷教会
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2019-10-20 42:12

2019/10/20:幸福な家庭への道

2019/10/20 聖日礼拝

斎藤亘師

使徒の働き 10:1-8

00:01
それでは、一言、お祈りをお伝えいたしましょう。
礼儀に使い、御財典の父なる神様、
今朝もこうして、あなたがお与えくださった、この整えられたところにおいて、
あなたを礼拝し、あなたのお言葉をともに誓う、この人生をお与えくださったことを、心から感謝します。
けれども、しおよどうぞ、この時間、礼拝を守るにも、そのような環境もなく、場所も流されて、
礼拝することすらもできないで、おられる被災地の方々の上に、
神様どうぞそれぞれに置かれているところで、あなたが守り、平安を与え、
また、そのところから、あなたがどのように立ち上がらせてくださるか、適切なお言葉と、また、祈りの祈りにおこさえてくださって、
その被災の日から、しっかりと立ち上がっていくことができるように、神様どうぞ確実なる帰りをお与えください。
祈りとりますように、私たちはそうした中で、このように備えられたところで、あなたを礼拝できますことを、ありがとうございます。
しばしのこの時間を、あなたが見知りください。
東京においての祐先生の御保護を慕わせて、主が豊かな恵みをもって、お守りくださるように。
尊い主耶穌キリストの皆によって、今よりこの祈りをお授かりいたします。
アーメン。
先週は、ウェルカム礼拝ということで、皆さんが一緒に大切な礼拝、
また新しい方や久しぶりの方々をお迎えして、そして礼拝する機会がありました。
私はそうしたことを思いながら、今朝聖詩を読みつつ、特に心にかかったことは、
今読んでいただきました、この、基督の働きのこの十章というこの箇所です。
私はあえて、このところでお話をするのに、ふさわしい適切なテーマだろうかと思いながら、
先週がウェルカム礼拝ですから、それを覚えながら、幸いな家庭への道ということで、そういうテーマを、礼をつけました。
私はここで一人の人に注目をして、そしてこの題のもとでもって、彼がどのような家庭を思ったのかということをご一緒に見たい。
03:07
今、そうですね、60年になりましょうか、日本に家実コンベンションという、これは古くは英国のそういう地方でもって開かれた修養会、
その流れが日本でも是非ということで、当時日本の家実コンベンションの生みの親、あるいはその紹介というだけじゃなく、育成されたポール・リースという先生がいらっしゃる。
私はちょうど新学校に入って、1年生か2年生の時に、大阪中学院で全国の僕たちで一部の新学生もそこに集められて、そして非常に幸いな研修会、そういうことがありましてね。
その記念にポール・リース先生の3位の本をいただいたんです。
私は今の本から言ったらですね、1枚1枚が分厚くて、ページ数にしたらば、そうないんですけれども、あっさりすると結構暑いです。
まあ、塩棚を飾るのにいいかなと思う程度で、この本をいただきました。
ただでもらうと、何かですね、あまり価値が感じられなかった、正直言いまして。
それで、それを読むという機会もなかったんですが、実際自分が新潟の方で一つの教会の責任を持たされて、そして毎週毎週説教をする。
で、ある時ですね、今度の日曜日、どういう話をしたらいいだろうかなと、そう思ってもなかなか思いつかないんですね。
思いつかないと、思いついたらそれがメッセージかと言うと、そうではないんですけれどもね、なかなかですね、それがこう、いやあ、ここからぜひ話をしようというな、そういう準備も何もなくてですね。
で、ある時、この塩棚を見ましたら、塩棚なんて言って格好のいいものじゃないですよ、今からもう60年くらい前の話ですから、あのりんご箱をね、立ち上げた、それだけのことなんですけれども、そこからその一冊の本を見つけましてね、それが今申し上げました、ポール・リーチという先生のその本でした。
で、私はそれを読むというほどの熱心さではなかったんですが、それを切られていくうちに、ある箇所に目がとまりました。
06:00
で、この先生がその中で、この短くおっしゃっているそれは、今日立派な家を建てる人は、家を建てることができても立派な家庭を作る人は少ない、ということをおっしゃったんです。
で、それが非常に心に残りましてね、改めてその先生の説教誌を読み返しました。
非常に平凡な令和を使いながら、しかし非常にわかりやすく、この聖書が公開されている、それから私のポール・リーチ先生に対する見方がですね、変わりましてね。
で、箱根で、この間あの水害でやられました小牧園というところで、主に日本経済コンベンションというのが行われました。
そこへ行くのだって、もう料金がかかるし、大財費もかかるから、貧乏な牧師にとってもですね、たかりの花みたいだった。
それがこちらに来ましてから、大阪で行われているということで、大阪の経済区に行くようになりまして、今もそういう経済区のかかりを持っておりますが、
で、その先生の経済コンベンションでのメッセージがずいぶんたくさん説教書が出ておりまして、それを出る度に買い求めて、
そしてそこから深い、また先生級の素晴らしい公開説教を今もときに開いて読むんですけれども、本当に素晴らしいんですね。
別にこの先生を紹介するためにここにお話をするわけではないんですけれども、機会があればどうぞポール・リースという先生の説教集を、もし見つけたらお読みくださったらと思います。
で、立派な家と立派な家庭というのはまた違うわけですね。
で、今朝私はこのコリネ・リオという人に焦点を当てているんですけれども、彼は装備においてはですね、非常に立派な家庭を作った人ではないだろうか。
そもそもこのローマ人のイタリア帯の大将までしておりますコリネ・リオという人が、やはりクリスチャンになるっていう、それ以前にここではまだイデア教に関心を持つそういう人ではないだろうかと想像するんですけれども、
彼は婦人先のこのカイザリアでもって、彼はそういう周りを見るのに偉大人ですから、そういう中で彼も長い時間をかけて、そして神様の存在を知り、そしてこの神へのそういう経験な思いというものを少しずつ彼は学んだんじゃないかな。
09:14
ただそれだけではない。ここを見ますとね、二節に、彼は経験な人で、全家族と共に神を恐れたと書いてあるんですね。全家族と共にというんですから、その子供たちもそうですし、奥さんももちろんそうでしょう。
彼と一緒に本当に心から経験な気持ちでもって、神様を礼拝するということがそこになされたと思うんですね。
そもそもローマ社会に位置、またはローマの権力のもとでもって、彼は大きな責任を課せられて、そしてイデアの地、カイザリアまで来たわけですから、それなりの貢献度があって認められて、そして任せられて、このカイザリアの地にやってきたと思うんです。
当時のこのローマ社会は、あの地中海沿岸のすべての国の人を参加に収めるというような、そういう大きな権力、勢力というものを持っておりました。
そういう時の客人対象という立場ですから、彼の優位さと言いましょうか、彼の持っている立場というものがどんなに優れた立場にあったかということは想像できるかと思います。
ちなみにこの使徒の旗描きの8章を見ますと、そこでは一人のアフリカ人が一人のクリスタンと出会って、そして彼はイエス様を信じて、そしてエキオピアに戻って、一人のアフリカ人の作りがそこに書いてある。
この9章を見ますと、そこに当時サウロといった非常に危険な人物が、その人が直接イエス様に出会っているのでしょうか。
その時期はイエス様は十字架に敷かれて商店されておりますから、おられませんけれども、しかし彼はこの教会を悪害するために善行とする、その矢先にイエス様との深い出会い、経験を得て、そして彼はクリスタンになっていく。
一人のアジア人がそこでもってイエス様を信じるということが、農地のこれからの働きのためにどんな大きな働きをするようになっていったか。
12:09
この10章においては、一人のこのヨーロッパ人がイエス様を信じるという、そういうことがここから始まるわけですね。
この最後の賛美の時にお歌いしたいと思っております、430何番でしたかね、それこそガリアコの一画に花が咲きました。それは、やがて全世界に及ぶという素晴らしい歌詞がそこに紹介されております。
また非常にきれいな曲ですけれども、まさにですね、あの一画にイエス様がご自分の30歳の時に、この福音を良きお父さんでお伝えなさった、そこから始まった。
そして、そのイエス様のお手に集まったのは、わずか12人のお弟子さんたち、曰くあるそういった悲歌詞ですよ。
そしてその最後にはですね、その中の一人が裏切って、そしてイエス様はこのローマへに捕らえられて、そして最後には十字架につけられるというような、そういう鏡面的に見るとですね、悲惨な生涯、33年の生涯を送られた。
当時の人々も、そしてまたローマ権力の中に来たコルネリオという人にとっても、イエス・キリストという存在は、ただそれだけの存在であったかもわかりません。
自分たちも手にかかって、そして処刑された哀れな、この流れ人。
そうですからね、そういうローマ人が、あるいはそういう権力のもとに、カイザリアにまでやってきました彼にとって、イダヤ教もそうですが、またキリスト教という名も存在しないような、そういうこの時代に、名誉を誇り、権力を誇り、そして自分のこの地位も、これを誇るようなそういう立場の者が、
ここにですね、経験の人で、全家族とともに神を恐れたという、そういう生き方とは全く関係のないような、そういう立場に生きてきたのが、このコルネリオという人ですよ。
当時のドーマは、パンティオンという、そういう、日本史に言うと、ヤオイロスの神々というような、そういう神信仰をこもっておりましてね、極めて規範的で、やはり表面的で、そしてこの偶像神が祀られております、そこに対しての技術的な、そういうことだけで、ことたれりとしておったような彼らです。
15:34
考えてみますとね、当時のローマ社会の一つのこの精神的に、あるいは宗教的に牛耳しておりました、この偶像信仰というのは、非常に今の私たちのこの日本においても、非常に似かれたところがあるのではなかろうかと、改めて思いました。
これはペルーが日本に来ましてね、ペルー?ペリー?ペリーさんですかね、少しでも仕事が起きてもって、その戦場でこの礼拝を捧げたというのは、おそらく日本の領域の中でもって初めてプロテスタントの礼拝が捧げられただろうと言われております。
で、この要が少しずつこう改革をして、そして禁止状況もOKということが一応、それまでは厳しい禁止令が置かれておりました、そういう中からかなり緩和された、そして選挙手段も入ってきて、そして日本での選挙発動が始められた。
そういう中で、これは一つのエピソードみたいな話なんですが、エピソードというんでしょうかね、話ですけれども。
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27:00
という言葉の漢字がそこに使われておりますけれども
今の教道訳、神教学聖書では
恐れ敬うという意形の思い
その言葉がそこに使われておりますよね
ですから神様は怖いなというのではなくて
本当に恐れ敬いなさいよというのが
この神教労役のこの恐れという言葉に対するところの理解であり
私たちはそういう言葉を大切にしたい
何がなくてもね
その子供たちが神様に対するやる恐れる
敬うという
これがねクリスチャン法文の大切な
そう思います
自分自身が神様の前にこういう生き方をするということが
まずそこでは最も大切なことです
同時にそのことが自分よりのそういう経験者じゃなくて
その経験者がね
やはり全家族とともにと書いてあるところがありますと
彼はその経験者が彼の人柄とかね
あるいは彼の神聖とか
そういうことでもって子供たちにまで
それがこの生かされていったんじゃないか
及んでいったんじゃないだろうか
私が岡山県の大原というところで伝道しておりましたときに
一人の少年の方がね
おっしゃっておったそれが忘れられないんですよ
それは子供たちにも
あの就職や大学やなんかでもって都会で行っちゃうんですね
でよそでよそから耳にするのは
どうもあそこのお娘は行ったけどもね
なんかお腹大きくなってそれで帰ってきたそうだ
結婚もしてないらしいよって
最近はそういうこともですね
普通に語られるんで
一体どうなんだろうかと思うぐらいなんですけども
そういうことからがこの耳にされたときにね
そのご親が先生が私は本当に感謝してる
息子の一人は大阪に行ってるし
一人は岡山に行ってるし
一人は兵庫県神戸の方に行ってるし
何の心配もない
みんなそれぞれね
それぞれが神様を恐れてね
みんなそれぞれ教会に行ってるっていうことを聞いてるんでね
私は何も残すものないけどもね
そういう神様がそれを謝るっていうね
これさえはっきりしてたらね
世の中の何がどんなに恐れてきても
私はもう安心して子供たちのそれを見てるんだ
みんなそれぞれね
立派なクリスチャン家庭を作り
牧師ぐじになったり
なんかこうしておりますけどもね
私はそれを聞きながら思うことはね
30:02
自分だけの一人思いの信仰じゃなくて
その経験者っていうのがね
神を恐れるそういう謝るっていうこの姿っていうのがね
やっぱり自然に子供たちにまで及んでいくんだなぁと
そういうことをね
その人の言葉や
そしてまた今のこの歌唱を読んで
改めてそういうこともありますよ
で彼のこの経験者っていうのは
どういうところに
それでは信仰が応用されているのかっていう
見てまいりますと
その後でユデアの人々に多くの施しをなし
いつも神に祈りをしていたっていう言葉があります
彼の経験者は
申し上げましたように
独りよがりではない
その信仰というのが隣人にまでも及んでいっている
私はその証がね
この七節
ここに
ミスカイが彼にこう渡って立ち去ると
コルメリオはその人々たちの中の二人と
側近の部下の中の経験な兵士一人とに
呼び寄せて云々と書いてある
彼はそういう自分の置かれているその周囲の人々にまでもね
そういう霊的なっていうんでしょうか
あるいは彼の信仰に基づく
彼の生き方っていうものが
自分のこの兵士にまで及んでいる
やはり上官の命令ですから
もうそれこそ
黒と言っても上官が白と言ったならば
そうしなくてはならないっていうような
そういう軍事についてでしょうか
もう絶対命令ですよね
ですからこのコルメリオは
そういう権威のもとに生きてきた人ですから
彼が言ったことに対して反発するような
政治ではなく
その兵士もまた
コルメリオの信仰とその経験したっていうものに
非常な感化を受けて
ですからここでも
この側近の部下の中の
経験な人に書いてあります
コルメリオの信仰の身が
周囲の人々にこういう形で
持って身を結んできている
ですから家族だけではない
彼の存在そのものが
その置かれているその周囲にまでも
感化というものをもたらせている
彼の信仰というのはそういうふうに
33:00
周囲にまでも霊的な祝福をもたらせている
そしてその信仰というのは
今の一節にありましたように
施しとそれから祈りというものが
そこに書いてあります
彼の信仰というのですから
こういう祈りによって脈打つところの
一家親子となっていったんでしょう
彼はまだ当時のコルメリオは
イデア教の改修者でもなければ
もちろんキリスト教というものは存在する
もっと以前の話ですから
クリスチャンでもなかったでしょう
しかし彼の信仰というのがこういう
彼自身の経験者と祈りによって形作られ
家庭にあるいはその置かれている
周囲の人々に
良い感化を与えていった
この懲りぬ業の仕方こそが
あるいはその生き方こそが
私たちにとっては懸けない
負くべきにくいこと
ですから神様はこの懲りぬ業に
非常に大切な役割をお与えなさった
それは今朝はこの八節でしたか
そこまでですけれども
その遺行に書いてあるところを見ますと
彼はそこで示されたのは
祈りの中でもって示されたのは
ペトロを招きなさいということでした
これはねなんて言うんでしょう
懲りぬ業の立場から言うと
ユダヤ人のそういう人を
自分のところに迎えるということには
本来なら彼も抵抗があったと思うんです
ちょっと戻りましてこの三節に
ある日の午後三時頃
幻の中ではっきりと神の見つかりを見た
という言葉があります
このある日の午後三時っていうのは
これはユダヤ人たちが
この時間祈りの時として大切にしていた
ですからこの人の働きの参照でしょうか
あのペトロとヨハネがね
この午後三時の祈りの時のために
この神殿に向かうその途中でもって
アヒナイに出会い
そして彼が癒されるということが
そこに書いてあります
36:00
この三節っていうのは
ですから習慣的あるいは立法上
ということもあったかも分かりません
当時のこのユダヤ教においては
けれども彼らはそれ以上に
神に祈るっていうことにおいて
非常に大切にしていた時期か
コルネリオももう既に
このところを見てまいりますとね
彼はユダヤ教ではないですけど
しかしそういうユダヤ教と私が
大切にしている時間
彼も祈ってたわけです
そして祈っていく時に
大切な使命っていうのはペトロを迎える
迎えられるこのペトロは
彼もコチコチのユダヤ教とって
言ってもいいぐらいに
クリシアになってからでも
なかなかこのユダヤ教を押されて
そしてっていうふうにいかない
面白い出来事はこの舞台は
このペトロの姿に入っているんですけども
あいつ彼もお祈りの中で
居眠りをしてしまったんでしょうか
それから一つの夢を見た
おいしそうなものがですね
天から降りてきたんで
これはすごいおいしそうだと思って
食べようと思ったら
なんとこれは立法上
食べてはならないものだっていう態勢
私もそこでその時お腹空いとったから
そんなこと言ってた
とりあえずこんな人を追って
食べたかもしれないなと
そんな思いをしながら
けどペトロは見たら
いやこれやっぱり食べちゃならない
そして彼は口にすることをしないと思ってたら
天からの彼に対して声があった
神がね清くしたものを
あなたが清くないとしてはいけない
それを食べなさい
そういう神がね
幻を夢を見て
彼は改めてその意味を彼は悟る
そこへね
このコルネリオに派遣された
この経験が彼の閉塞がやってきて
そして事の次第を説明した時に
ペトロはもうびっくりしたわけですよ
自分は経育的法人
やはりたとえ公館であろうが誰であろうが
ユダヤ人以外の者と
そういう席を共にしてはいけないという
昔からのユダヤ教の律法のもとでもって
彼は来てますから
非常に成功があったでしょう
しかし彼はね
その一つの見ました
この幻の中でもって
ああ神様が
たとえ違法人であろうが
ローマ人であろうが
神様が良しとされた
それを受けてはならないってことではない
受けなさいってことで
彼はそこで
そのコルネリオのもとに行くわけですよ
39:00
後々エルサイム教会ではね
このペトロのそういう行動が問題になった
ことが書いてありますけども
しかし
彼はその証を引き
そしてその後でもって
初めてここでもって
コルネリオに迎えられて
そしてこれを
食事を共にするっていうふうになったんでしょう
けどこれはね
実はこの九章で
九章でしたか
あの
当時のサウロ
彼が
救われてそして
後パウロになるわけです
今回はね
このパウロに対してね
全世界への伝道
アジア人もない
違法人もない
ローマ人もない
すべての人にこの福音を伝えるという
役割を
すでにここでもって
神様のフランジームなんかには
あったわけですよ
言うならばこのパウロにとって
ペトロのここでの経験は
パウロのこれからの働きのために
どれだけ大きな
援護者現象になったことか
力になったことか
確かにペトロと
意見が合わないところも後にあったようですけども
しかしそれを超えてね
パウロの手によって
ペトロがここで示された
違法人に対する受け入れることを
ペトロを通して
彼はどれだけ力強くこれを受けたことか
そういう意味において
コルネリオの午後3時の祈りは
もうすでにこのところからね
神様のフランジームは
やがて全世界に
福音が伝えられるということへの
大きなきっかけになっていった
だから一人のクリスチャンの幸せ
ということは
その家族とともに
その地域の人々とともに
あるいは同僚とともに
やがて大きな
自分が見たこともないような
経験したこともないような
祝福を全ての人々に
及ぼしていく
それが今
県知事とともに
ご一緒にお歌いしたいと思う
その次の賛美歌がそれですよね
ガリアの一角に咲いたこの一輪の花が
やがて全世界に及んでいっている
その姿
コルネリオは自分の身に起こったことからな
そんなにまで大きな力となるとは
彼はこの時点においては想像もしなかったが
彼は神様の前にね
祈りと経験と
そして人々のために尽くす
彼のこの姿が
これからのキイショキョウというものを
どんなに大きく変化させ
成長させていくか
42:02
彼の持ちました家庭が
そのためにどんなに
素晴らしい祝福のもとにとなっていったか
ということを合わせて覚えたい
お祈りいたします
42:12

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