キリスト教の成り立ち
人は皆、上に立つ権威に従うべきです、です。
テツセカの番組は、哲学を知りたい3人が知らないながらも素朴と足掻く番組です。
ビソです。
モーです。
トモキです。
はい、僕だけ明けましておめでとうございますです。
おめでとうございます。
本日も本年もよろしくお願いしますっていうか、ちょっとこれもおかしいな。
そもそも新年一発目更新撮ってるんだね。
撮ってる撮ってる。
完全にボケてんのかって感じだけど。
収録がね、新年一発目ということで、ミソさんは。
おかえりなさいませ。
ありがとうございます。
修行のために出ていただいて。
ありがとうございます。
いやまあ修行というかね、迷える子羊の話を聞けば、
なんかテオリーはいっぱいもらえるかなと触らせていただくという感じです。
すみません、そんな感じなんですけど。
とりあえずね、ようやくというかなんというかね、
本筋の哲学の話に入っていくみたいな感じという風に聞いていて。
若干テンションが上がってるんですけれども。
何の話ですか先生。
いやいや、予定通り一王キリスト教の話をしたいなと思っておりますというところなんですが。
正直そんなにちゃんと自分で理解してまとまったっていう感覚ではないんですが、
なんか分かった範囲と、こういう人たちがいたんだとか、
あとは簡単にユダヤ教からキリスト教の流れとか、
この辺だけでもできたらいいなというところで、
続きは今後やっていこうかなみたいなところですかね。
なるほどね。
軽くっていう感じです。
なるほど、OKでございます。
まあね、ミンセカの方も忙しいしね、そもそもね。
そうですね、ちょっとね、ミンセカね、そうなんですよね。
スルラとマリウス編が終わって、今本を読むのがめちゃくちゃ楽しくて。
一番ね、ローバーの中でもピーク、2つ目のピークって感じですね。
そうですね、やっぱり面白いんだなってね、改めてね。
カエサル読んでても面白いし、キケロもね、また面白いって改めて思いますね。
なるほどね。でもキケロの哲学はね、また聞きたいなと思う。
面白い。
それもうほんと私の仲間外れやめてください。
ごめんなさい。
やめてって言ってるのにさ、カエサルとかさ。
そうね、言ってたね。DMでも言ってたもんね。
さっき。
そっかそっか。
キリスト教の話をしたいなと思うんですが、
キリスト教と言ってもね、あまりにも漠然としてるんで、
ちょっと初期の話をするんですけど、
僕の興味の赴くままに、色々調べたりとかしてる中で、
自分で疑問に思ったことというか、問いみたいなのが出てきて、
まずキリスト教の成り立ちとかを考えていくと、
キリストって愛の教えとかを説いてたようなイメージがあるじゃないですか。
貧富とか優劣とかそういうのも関係なく、
正しいものを救うみたいなね。
今までの勢力とかにある意味でついて、
反権力、反権威みたいなイメージだったのに、
それがなんでローマっていう国家と結合していくというか、
国家の宗教になってったんだろうな、みたいなところとか、
調べてる中でちょっと疑問に思ったりとかして、
その辺に触れたいなっていうのと、
あともちろん、ギリシャ哲学がキリスト教にどう影響して、
なんで混ざっていくのかっていうような、
この2つを主に扱いたいかな、みたいなイメージで、
今回喋ろうかなと思ってます。
よろしくね。
面白そうですね。お願いします。
まずキリスト教がなぜ国家権力と結びついていったのかということについてなんですが、
これも前段が結構長くなるんですけど、
ちょっと成り立ち的なところを簡単に、
もちろん皆さん古典ラジオとか聞いてるから、
ある程度わかってると思うんですけど、
キリスト教かユダヤ教から出てきた背景みたいなところを、
ごく簡単に言うと、古代からイスラエルの地っていうのは、
シンバビロニアとか、アケメネス帳ペルシャとか、
セルコス帳のシリアとかね、
そういったところにいろいろ支配されてきましたよと。
だけど前140年の頃に、
やっとユダヤ人の独立王国っていうのができるんですよね。
これハスモン帳とかって言うんですけど、
ハスモン帳ユダヤ王国とかって言うんですけど、
ここで取り戻したんですよ1回。140年頃。
セルコス帳のアンティオコス4世っていう人から、
ユダマカバイっていう人が立ち上がって、
独立を勝ち取ったっていう物語が、
ここの物語も面白いんですけど。
しばらくユダヤ王国も、もちろんそういう形で、
独立を保っていたんですが、
ローマのポンペイウスの遠征によって、
事実上続国化されてしまうというような流れがあったそうなんですね。
その後も有名な新約聖書とかにも出てくる、
ヘロデ大王っていうね。
その息子とかが。
この息子とかヘロデ大王自体が、
そもそもユダヤの王なんだけど、
正当性があんまりないっていうか、
損奪者みたいなイメージもあって。
もともとのユダヤ王国の独立の理念とはちょっと違うような政治を行ったりとか、
結構強権的にローマに迎合するような政策をする中で、
やっぱりローマの属州になってしまって、
完全にローマの一部のような扱いとなってしまうという流れがあって。
ローマの支配の中でかなり厳しい税の徴収とかをされていたと。
だからヘロデ大王とかがそういうことをやってるんで、
何度も反ローマ的な反乱とかそういうのは起きてたんですね、ユダヤ人の中で。
なるほどね。
要はユダヤ人の中でも真ローマ派っていうか、
政権派と反ローマ派に分かれてたみたいなイメージがあって、
支配層はやっぱ真ローマだったんだという中で、
ユダヤ人の立法を守る運動
そのユダヤ人の貧しい人とか、
そのユダヤ人以外の人、イスラエルにいたユダヤ人以外の人とかは、
非常に苦しみに喘いでいたみたいなことがあったというところで、
さっきのユダマカバイみたいな救世主みたいな人が、
また現れてくれるんじゃないかっていうメシア大暴論みたいなね。
救世主大暴論っていうのが、
この頃ふつふつと民衆の中で流行り始めていた、
みたいな下地があったそうなんですよね。
なるほど。
そんな中で、これも有名な先霊者ヨハネっていう人が出てきて、
この人がすごいカリスマ性を発揮して、
この人はね、既衰のユダヤ人なんで、
ユダヤの立法をちゃんと守っていれば、
我々は救われるっていう運動を始めた。
支配層の人とか、
うちではいいこと言ってるけど、
ユダヤの立法をそもそもちゃんと守ってないよねとかもあったみたい。
そういうのをちゃんと守ろうよと。
厳しいですよね。確かなんかモーセが、
一緒に連れてた奴らが、
神の戒律を破って神の名を呼んだら、
そいつら全員神に殺されたみたいな。
そうです。
そういう人たちが、
神の名を呼んで、
神の名を呼んで、
神の名を呼んで、
神の名を呼んで、
神の名を呼んで、
神の名を呼んで、
神の名を呼んで、
そいつら全員神に殺されたみたいな。
そうそう。
そういうことを、
昔はちゃんと守ってないと、
そうなってたよって言ってたような教えが、
その当時にはいろいろスタレて、
結構、続物化していたと。
そうそう。
ちゃんと守って、
行こうよと。
あくまで、ユダヤの立法をちゃんと守ろう運動だったってことですね。
でも、
守れば救われるって誰から救われるんだっけ?
何から救われるんだっけ?
何から救われる?
これ、ヨハネが言ってるのは、
守れば、
簡単に言うと天国に行ける、
みたいなイメージで言ってた。
天国に近づいた、みたいなことを言ったりとか、
旧約聖書に、
旧約聖書にどこまで書いてあったかって、
書いてないんですけど。
でも、
世界観としては、
ちゃんと立法を守っていれば、
神から、
神の近くに置いてもらえる、
っていうような、
キリスト教の天国観と近いとは思うんですけど。
ごめんなさい、ちょっとこの辺曖昧ですけど。
でも、
生活が難しい人たちは、
今苦しいけど、
苦しいけど、
そのユダヤの立法を守っていると、
苦しいのは終わらないかもしれないけど、
救われるよ、
っていう感じ。
天国に行けるよ、
みたいな感じだったのかな、なんとなく。
確かに今、
そう聞かれてみて、
でも、もしかしたらヨハネは、
死後の世界みたいな話をしているだけじゃなくて、
その属性の世界でも、
ちゃんと立法を守っていれば、
後に救世主みたいな、
ユダマカバイみたいな人が、
現れた時に、
逆に、
ある意味優遇されるというか、
そっち側に入れてもらえる、
みたいな可能性も実際問題としてあるわけじゃないですか。
今の政権に従っているよりは、
こっち側に来ようぜ、
っていう、
ある意味ちょっと、
人が反政権みたいな、
反権威みたいな、
運動として、
ヨハネの運動っていうのが、
だんだん盛り上がっていっちゃう。
ヨハネはもともとそれを考えていたわけじゃないと思うんですけど、
だんだんそんな感じで盛り上がっていっちゃうんですよね。
影響を受けたギリシャ哲学
あとは、ヨハネが優しかったというか、
その思想が流行ったのは、
一度罪を犯した人でも、
ちゃんと悔いを改めて、
そこをちゃんと守っていけば、
天国にも行けるし、
終末のメシアの来臨は近い、
みたいなことを言って、
メシアを迎えるのにふさわしく、
罪を悔い改めれば、
誰でも救われる、
みたいなね、
そんな感じの説教をしていったんで、
かなりこれが流行っていく。
悔い改めのバプテスマ、
みたいなことを言われて、
洗礼を行っていくんですけど、
自発的な人気を博していく。
バプテスマ。
バプティズムと一緒かな。
一緒一緒一緒。
洗礼ですね。
どういう意味?
洗礼。
実際あの頃はたぶん、
湖みたいなのをチャプンって使って、
洗礼するみたいな。
たぶんそんなイメージだと思うんですけど。
それで清められるみたいなね。
そんな感じで、
反ローマ的な感情とか、
反権威的な感情と、
メシア大暴論みたいなのが、
融合して、
貧しい人々や、
虐げられた人々に留守していって、
逆に権力者に対しても、
権力者の方が、
悔い改めるべきだろう、
みたいな運動になっていくというか。
まずお前らが悔い改めろよ、
権力者どもが、みたいな流れになって。
いいね。
まあまあ、
そんな感じだったので、
当然その運動って、
危険視されるわけですよ。
権力者側が。
ヘロデ大王の息子とかは、
ヨハネを捕らえて、
処刑してしまう。
これもなんか残酷なんですけど、
処刑されてしまうんですね。
そんな中で、
ヨハネが洗礼した人、
バプテスマを行った人、
死んだ人の一人に、
イエスがいたんですよ。
なるほどね。
だから、
イエスの戻りと新たな言動
イエスもその一人に、
最初は過ぎなかったんだけど、
ヨハネが死んじゃって、
ある意味そのヨハネの運動を
引き継ぐような形で、
イエスが運動を始めると。
あくまで最初はこのヨハネの運動なんで、
ユダヤのこの戒律を、
ちゃんと守って、
悔い改めることによって、
救われるんだっていう、
同じ運動をしていた。
これで同じようにやりながら、
徐々に徐々に勢力が拡大していく。
だんだん人気になっていく。
いうような中で、
名声は得るようになってきたんですけど、
ヨハネを超えるような、
名声も得るようになってきたんですけど、
突然ね、
数ヶ月間、
イエスはみんなの前から姿を消すっていうのが、
これ全然理由とかわかんないですけど、
突然消して、
そして数ヶ月後に戻ってきたら、
全然違うことを言い出す。
神様のことを父と呼び出したりとか、
自分のことを神のことを言い出したりとか、
父と私は一つであるとか言い出すみたいな。
この物語自体も、
ピタゴラスも似たような、
エピソードがあったりとかして、
一回みんなの前から姿を消して、
すごく神々しくなって帰ってくる、
みたいなストーリーがあったりするんですけど、
どっちが撮ってるかとかわかんないですけど、
似てるなーとか思いましたけどね。
なので、
急にこんなことを言い出すですね。
でも、
みんなはやっぱこう、
メシアとかを待望してるんで、
やっとイエスが戻ってきた、
みたいなことで喜んで、
わーなんか、すげーイエスさんが戻ってきた。
やっぱりすごい人気になっていくんで、
この時点でやっぱこう、
神様のことを父とか、
自分は神の子であるとか、
この時点でユダヤ教的には、
神への冒涜なわけですよね。
いやいやお前、違うだろ。
普通に違うでしょ。
しかもその次々とユダヤの
イエスさんが、
イエスさんが、
イエスさんが、
イエスさんが、
イエスさんが、
しかもその次々と、
ユダヤの立法を逆に、
今まで守れって言ってたのに、
立法を破り始める。
安息尾の規定とかも、
破るし、
幻覚だったヨハネとは違って、
酒は飲むし、
これはあの葡萄酒とかですよね。
葡萄酒とか飲むわけですよ。
いやいや、なんか話違うやん。
奇跡を起こし出すみたいな。
ああいう人々の病気を治すとかね。
ああいうストーリーとかも、
これから出てくるっていうような感じで、
この辺が、
史実ではどうだったかとか、
パウロとヘレニストの布教
全然わかんないんですけど、
こういうのが残ってると。
この辺からユダヤ教の
カイリスから外れるようなね、
言動をし始めて、
要はその愛みたいなのを
書き始めるわけです。
これが本当に爆発的に、
一気に人気になったらしく。
ここらしいんですよね。
何度読んでもわかんなかったんですけど。
さすが愛がわからない。
愛がわかんないんで、
わからなかったんですけど。
いろいろ理屈とか
つけられるんでしょうけど、
シンプルに
イエスの愛の言葉みたいなのが、
当時の人々に響いちゃった
みたいなところがあるのかな、
というか、
なんで現代でも
この歌が
流行ったんだろうって。
別に理屈つけようと思えば、
つけられる。
後から見れば、
つけられたりする可能性はあるけど。
ベトナム戦争の時に
イマジン流行るとかさ、
平成布教で
ラブマシンが流行るとかさ。
あと何?
声が良かったのかもね、イエス様は。
そういうのもあるかもね。
見た目とかもあるかもしれないし。
アルファ派とか出てたとか。
アルファ派は分かんないけど。
歌田ヒカルはさ、
アルファ派がすごい出るから、
みんな大好きだったよ。
そうなんだ。
科学的に分析しようと思えば、
あんのかもね。
僕が思ったのは、
時代の空気感と
言葉がマッチして
爆発するみたいなのって
なくはないんだろうな、みたいな。
タイミングあるっぽいね。
何だっけ?
今まだイエスは死んでないけど、
イエスが死ぬ前の
この時にイエスを支持してたのって、
基本的には
ユダヤ人の人たちなんですよね。
まあそうですね。
でもイエスは
ユダヤ人以外も
割と救ってたので。
必ずしもそうでもないんですけど。
ユダヤ人っていうのは
ユダヤ教を信仰する人たちで、
ユダヤ教の
基本的な考え方としては、
最後の審判が
訪れたときに救われるのは
ユダヤ教を信じている人たちだけだよ、
みたいな、そういう話じゃないですか。
超ざっくりとしてるから
合ってるかどうかわかんないけど。
そんな人たちが
キリスト教を
信仰しだしたら、それユダヤ人じゃなくね、
っていうところと、なんでユダヤ人は
今までの教えにやっぱり
疑問とか息苦しさみたいなのを
感じてたみたいな、そういうのもあるんですかね。
それはめちゃくちゃあって、
この解律クソだろって
思ってる人は
いっぱいいたはずで、
どうしたって
ユダヤ人は
ユダヤ人の家からしか
生まれないし、
ユダヤ人になれないわけですよ。
だから、それ以外の
人たちからしたら、
救われようがない、みたいな
どうしようもない現実とかが。
そういうのも
一切関係ないから
っていうのを多分
数ヶ月姿を消したときに
イエスは多分考えたんだと思うんですよね。
そういうことじゃねえな、みたいな。
もっと多分みんな
普通に救われてよくねえ、みたいな。
ちゃんと
いいことすれば
救われるでしょ、そりゃあ、みたいな。
なんか普通に
シンプルな
考えに至ったんじゃないかな
気はするという。
そうそう。
そんな感じで
あまりにも逆に
人気になりすぎたのと
その怪立とかも
一切関係ねえからとか
いうのが
問題視されて
イエスは殺されるわけですよ。
死んだ後に
パウロっていうね
人と
ペテロっていう人が
ペテロが一番に知らない人ですけど
この二人がね
中心となって
キリスト教の教えを広めていく
というような話なんですけど
このね
パウロっていう人がね
この人も元々ね
ユダヤ教で
イエスが生きてる頃は
イエスみたいなことをやってた人ですけど
この人が
改心して
まだこの頃キリスト教じゃないと思いますけど
パウロが
結構布教を頑張るわけですけど
パウロは
元々
ギリシャ語も話せたんで
他にも
パウロ以外も
初期の頃から
ギリシャ語和謝も
イエスの弟子の
使徒の中にも
いたらしいんですよね
それをヘレニストとかって
呼ぶらしいんですけど
ヘレニストとヘブライストって
呼ぶらしいんですけど
ヘレニストの人たちが
まあまあいたから
だからギリシャ語圏に
訴求できたというか
ギリシャ語の
当時のコイネって言ってたやつですね
共通語
で布教することもできた
というのでこれがギリシャ人に
浸透していくきっかけにもなるんですけど
で
だから
パウロは
さっき言った通り
元々
パウロによるローマでの布教
ユダヤ教側の人で
元々ユダヤ族種の結構
権力者側にいた人
なので
ローマ市民権も持ってた
だそうです
この時族種になってるんで
だから
ペテロだいぶ苦労してローマ
行ったりとかしてペテロもローマで
布教したんですけど
ペテロと比べても比較的
自由に
ローマの族種になってた
ギリシャとかでも
布教できたしもちろんローマにも行って
たくさん布教することができた
何回も殺されそう
とかにはなっているんですけど
かなり熱心に布教することができた
ということを見てた
でもさ
インターネットとかあるけどさ
その頃はさ
人捨てなんだよね
人捨てで
どっちだよみたいな
この辺もね
詳しくパウロの
原稿録みたいなのを
いろいろ見たら
面白いだろうなと思うんですけど
なんかね
パウロの活動を詳しく
変える文献って
あんまりないみたいなことは見ましたね
ただなんか
分かってることとしては
そんなにローマではね
パウロはそんなに邪魔されずに
割と自由に
暴かることなく
2年間ぐらい伝導したと
いうようなことが書かれて
最後は殺されるんですけど
キリスト教の生存権を獲得するための思想
殺されるね
どっちも民生化みたいになっちゃうのかな
人がいっぱい殺されるのかしら
今のは
歴史的な背景だと
それは人は死ぬからしょうがないんですけど
殺されなきゃいけないってね
でも言うこと聞かないってことよね
そのぐらい
殺さないといけないぐらい
もうやめなさいよって
言ってんのに
言い続けるってことだよねきっと
まあね
分かんない
ちょっとこの辺まだ
あんまり細かく調べきれてはないけど
この頃ローマは
定制になってるんで
やっぱ定制になってくると
どうしても
皇帝に権威が必要になってくる
じゃないですか
やっぱ若干邪魔ですよね
神は人だとか
言われると
うーん
俺どうしたらいいんだ
皇帝が思うな
みたいなのはあったんじゃないのね
そうだよね
確かあれネロに殺された
ですね
なるほど
でもちょっと
脇道行っちゃうけど
二人だったらさどんなに神様信じててもさ
なんかちょっと逃げちゃわない
もうやめた
もうやめたって思わない
逃げちゃう
いいかなって
鼻から神を信じない
だけどほら信じてたとして
神も皇帝も信じないみたいな
あーそうね
でもどうだろうなやっぱ
なんか好きな人とか
そういうついていこうって思った人が
みたいな話だったら
なんか意外と最後まで
俺も死ぬみたいな感じになる
あーまあね
今それ言おうとしちゃった
木村さん
両親の木村さんに何かがあったら
みぞちゃん助けそうだね
自分の命も
機会にみたいな
意外と
犬みたいなところが僕もある
そういう気持ちだったんだろうな
と思いますよね
ペテロとか特にね
そんな気はするよ
パウロは逆に謎ですけどね
そうなの
キリストと直接
面識ないんですよね
そうなんだ
キリスト死んだ後に
しばらく経って
自分の元にキリストが訪れたらしいんです
なんかその
キリストの声を聞いちゃったから
いてもたってもいられなくなって
動き出しちゃった
そうなんだ
一番謎
それやばいね
ダイモン
ダイモンさんの声
ダイモンよりやばいなと思いますよね
そうなの何が違うの
特設の妄想じゃないですか
ある意味言ったら
だけどそれだってパウロの妄想じゃないの
じゃん
いや妄想なんですけど
それをなんかキリストっていう
生まれた人の名前を出すって
なんかだいぶ違くないですか
私にとっては一緒だけど
一緒なのかな
あれじゃないですかね
やっぱもともとなんか
死んだ後とかにその考えとかに対して
なんか共感するような
場みたいなのがあって
そんなこと考えてたら夢に見ちゃって
みたいなそんな話じゃないですか
でもほんとそうなのかもね
キリストが言ってたこと正しかったわ
ってなんかどっかで
思ったみたいなね
やだな私2人がずっと喋ってんの
結構長く聞いてるからさ
ある日起きたらさ
なんかそうだったんだ
ってダイモンさんだ
とかさ思ってたらやだな
それはやだ
正しくないんで
そうそうそう
最初のちょっと問いに戻ると
ローマという国家と
なぜ結合していくことになるのか
っていうのが実は
これもなぜか
パウロの思想に由来する
みたいなの
人の考えじゃ
多分なくて
だってキリストはやっぱ
あれだけ
反権力反権位的なことで
運動しながら
死んでいった人なわけで
それをある意味パウロは
違う論理で使ったみたいな
キリストの論理も
適応しつつ
使っていくみたいなところはあって
これなんかパウロの
言葉として
残ってるのとしては
神に由来しない権位はなくて
今ある権位は
全て神によって立てられたもの
だから人はみな
上に立つ権位に従うべきだ
っていうことを
これ言ってるんです
キリスト教の広まりとその背景
だから権位に逆らうもの
っていうのは神の
定めに背くことになって
背くものは自分
自身の裁きを
招くでしょうみたいなこととか
あなたは権力者を
恐れないことを願ってるでしょう
それなら善を行いなさい
そうすれば権力者から褒められるでしょう
みたいなことを言ってたりとか
なんかそんな感じのことを
言ってるんですよね
だからなんかこれは
なんだろうな
キリストはもちろんそんなことは
必ずしも言ってなかったし
明らかにこれなんか
とりあえず上に従っておけ
みたいな風にも取れるわけです
そうですね
普通にキリスト教が
この遠い未来に
修正とかに使われてた
論理そのものみたいな
そうそうそうそう
だからそうなっていく
みたいなところがあるわけなんですけど
これ考えたのは
パウロで
それが
なんだろうな
キリスト教のスタンダードの考えになっていく
っていうのも面白いなと思うし
これ絶対キリスト
言ってねえなっていうのが
初期の頃
最初期からこういうのあんだっていうのに
ちょっと驚いたっていうのと
ただこれは
パウロにも当然
これを言う目的というか
意味としては
もちろん最初の頃のキリスト教って
敵がめちゃくちゃ多かったし
常にユダヤ教とかから
潰されかけてたし
殺されかけてたんで
でパウロは
ローマ市民権を持っている
っていう立場なんで
守ってもらう必要があった
だから
ある意味
国家権力みたいなのに
迎合して
そういう
キリスト教以外のものから
守ってもらうような論理を
ある意味取り入れていたよね
というのがあったらしいと
逆に言うと
パウロにしかできなかったし
パウロがいなかったら
これ守られなかった可能性があるわけですよね
もうこの時点で
これ言ってなかったら
キリスト教の復讐に
頂かなきゃダメだよって言ってなかったら
潰されてた可能性もあるわけで
ある意味必要だったとも言える
キリスト教が生き残るためにはね
とか思うと
面白いなと思ったんですよね
面白いね
やっぱりご都合ってあるね
ご都合が
あるね
面白いね
たまたまそういうパウロみたいな
キリスト教の中では
特殊な
キリスト教の中では
特殊な立場を持った人が
いたことによって
未来が変わったみたいな
そんな感じの話
本当そんな感じですね
書いてあった本には
国家権力に対する
こういうパウロの
復讐的な態度っていうのは
イエスとは全く異なるものだけど
キリスト教がローマ帝国の中で
生存権を獲得して
300年後のローマ帝国の国境となるために
この思想は少しずつ
発行を続けていくみたいなことが書いてあって
あーなるほど
面白いね
発行だよ
流行りの歯を
分かんないけど
面白いね
三大宗教とかやっぱ面白いわ
あーそうか
四大宗教
ご都合なんだよ
都合が良かったってことだよね
その時に信じるには
皆さんの都合に合ってたというか
だしね
キリストの教えが
流行ったっていうのも
ある意味
時代にたまたまマッチしたっていうのもあるのかもしれないし
パウロはね
いろいろ考えたのかもしれないですけどね
この教えを
広めるにはどうしたらいいかな
っていうのを考えながら
苦し紛れにこういうことを言ってた
パウロの思想と国家権力
っていうのももしかしたらあるのかもしれないですけど
それがまあ
ある意味利用されたとか
とはいえそれがなければ
生き残らなかった可能性もあったりとか
羽を守ったって感じだね
そうねそんな感じですね
でもそれはさ
もう一個だけ質問だけど
基本的にみんなそのキリスト教系
というかその
信じてた人たちは
人の善を
善を
善行すると天国に行けますよ
という基本的な教えで
それはやっぱり
幸せになりましょうねみたいな感じ
やっぱり善と
幸せのつながり方とか
みんな
天国は幸せってこと
になるんですか
ちょっとそこはわかんないですね
初期のキリスト教の
教えがどこまで
現世というか
特性にまで
リーチしようとしてたかは
わかんないですよね
難しい
そこもドツボにはまっちゃうだけ
違いますけど
初期はどうだったかわかんない
ありがとうございます
とりあえずね
国家権力と結びつくところっていうのは
そういうパウロの
思想っていうのが大いに関係して
あったっていうのが
わかって面白かったなっていう
今日さはじめのタイトルコール
みたいなやつあれなんて言ってたんだっけ
あーそうこれがだからパウロの
言葉なんですよ
人は皆上に立つ権威に従うべきです
っていう
人は皆、上に立つ権威に従うべき
社畜みたいなね
ちょっと聞き逃しちゃった私
ごめん
宿判罪だね
平目野郎みたいなね
わからないなに平目野郎って
地べたに這いつくばって
上だけこう
前で見てるみたいな
とも捉えかれないように
動画を残してるんですよ
へーわかりました
社畜には社畜の論理というものがある
ということがよくわかりました
え違うで
これ社畜の話じゃないでしょ
違った
違いますね
なんかみそちゃん今日なんか
辛いことがあったのかしら会社で
なんで
社畜の話になるから
あー
いやいや別にないですけど
いつも常日頃から
俺社畜っぽくてクソだなって思ってる
自分が
そうそうそうそう
おかしい
社畜は社畜の
プライドを持って生きてってください
あー承知しました
大丈夫ですよ
でもなんか逆にこの
羽生くらい言い切れると
逆にすがすがしいなと
僕は言い切れない
言い切れないですね
それだけ当時のローマがちゃんと
守ってくれるみたいなそういう
それもあったんかもしれないですね
信頼できる社畜だったんですよ
そうかもそうかも
それ以外のね
取引先とかがうるさすぎてみたいなね
なんか
潰されそうですみたいな
うつですみたいな
守ってください
もきさんが変な方向に
来そうなんでちょっともうさ
いいんじゃないですかそろそろ
そろそろ今日はここでいいですか
じゃあ今日も最後まで
テツセカをお聞きいただきありがとうございました
テツセカは
スポーティファイアップルポッドキャストで
配信しています
番組を気に入っていただけましたら
高評価ボタンを押していただきますと
大変励みになります
お聞きのポッドキャストアプリで
番組フォローいただきますと
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いつも感想いただいてありがとうございます
どうぞよろしくお願いします
お願いいたします
お願いします
はい
最後にまた余計なこと言ったんだけどさ
こうなんか
パウロは旧体制派の人だったわけじゃないですか
はいはいはい
なんかあれなんですよね
イスラム教の
二代目カリフのウマルっていうやつも
あれなんですよね
背教者なんですよねこの人も
背教者っていうか
イスラム側から見て背教者じゃなくて
元々の旧体制側からイスラムに裏切っている
ああそういうことか
なんかね
なんかやっぱ
教祖様の教えにみたいなのっていうのは
やっぱその時にはあるんでしょうね
っていうのが面白いなとやっぱカリスマ性
すげえなみたいな感じにちょっと思ったみたいな
確かにね
パウロある意味二代目ですもんね
面白いですね
僕らもモウさんの教えに従ってね
頑張って
モウさんの教えを伝導しましょう
どんどんどんどん裏切り者を作りましょう
はい
はい
なんで私に振るの
そうこう関係ないでしょ
いやいやいや
素晴らしい教えをね
教していただいているという
一番神属性の
属性分からない
属性分からないそれ
なかったそんな神属性なんかなかった
神って書いてある
一位神じゃなかった
でもまあ
そういうのは面白いっていうか
やっぱりその細かいところを
知れるっていうのはいいですね
まあまあこれもね
本当ざっくりですけど
やっぱね調べるの面白いです
やっぱ面白いな
って思いました
これはやっぱ続けていこう
次回もね楽しみにしてますんで
また
次も聞いてください
そんな感じで終わります
ありがとうございます
ありがとうございます