1. 名谷教会
  2. 2011/03/20:聖日礼拝(旧音源)
2011-03-20 30:48

2011/03/20:聖日礼拝(旧音源)

2011/03/20 聖日礼拝(旧音源)


00:01
御着席ください。聖書をお読みします。
マタイの福音書十四章の二十二節から三十三節まで、新約聖書の二十九ページです。
お読みいたします。
マタイの福音書十四章二十二節。
それからすぐイエスは弟子たちを強いて船に乗り込ませ、自分より先に向こう岸へ行かせ、その間に群衆を返してしまわれた。
群衆を返した後で祈るために一人で山に登られた。夕方になったがまだそこに一人でおられた。
しかし船は陸からもう何キロメートルも離れていたが、風が向かい風なので波に悩まされていた。
すると夜中の三時ごろ、イエスは湖の上を歩いて彼らのところに行かれた。
弟子たちはイエスが湖の上を歩いておられるのを見て、あれは幽霊だと言って怯えてしまい、恐ろしさのあまり叫び声をあげた。
しかしイエスはすぐに彼らに話しかけ、しっかりしなさい、私だ、恐れることはないと言われた。
するとペトロが答えて言った、主よ、もしあなたでしたら、私に水の上を歩いてここまで来いとお命じになってください。
イエスは来なさいと言われた。
そこでペトロは船から出て、水の上を歩いてイエスの方へ行った。
ところが風を見て怖くなり、沈みかけたので叫び出し、主よ助けてくださいと言った。
そこでイエスはすぐに手を伸ばして彼をつかんで言われた。
信仰の薄い人棚、なぜ疑うのか。
そして二人が船に乗り移ると風が止んだ。
そこで船の中にいた者たちはイエスを拝んで、確かにあなたは神の子ですと言った。
以上でございます。
続きまして聖火隊に神聖火373番を賛美していただき、その後高鳥先生より光に従う生涯と題して説教をしていただきます。
03:53
神聖火373番
神聖火373番
神聖火373番
神聖火373番
神聖火373番
神聖火373番
06:09
神聖火373番
神聖火373番
神聖火373番
おはようございます。
この度の地震で、NHKによりますと死者約不明の方が1万8000人以上、避難されている方は25万6000人以上おられるということで、戦後最大の大惨事となりました。
昨日、栃木の私のクリスチャンの友人からメールが入りまして、福島原発の冷却するための電動パイプを接続する作業をしておられる佐藤直吉さんというクリスチャンの方のためにお祈りをお願いしますということでありました。
このプロジェクトが成功すると今の危機的状態が180度変わるそうで、主がクリスチャンである佐藤兄弟やその他の方を用いてくださっていることを思い、祈りの応援をお願いしますということでありました。
夕方のニュースを見ますと少しずつ改善されていると聞きほっといたしました。
夕方の地球ラジオでも世界中の人々がこの日本のためにお祈りをしてくださっている。レスキュー隊やドイツの冷却のための50メートルのアームのついた機械が入り活躍していると言っていました。
世界の人々は日本中は暴動もなく、また強盗もいなくて、人々が助け合って生きていることに感動しているということです。世界中の人が祈っていてくださることに私たちも心を本当に合わせて災害に遭われた人々の上に一日一日がより良い生活に向かっていかれるように共にお祈りしたいと思います。
希望は必ず神様が与えてくださいます。
今読んでいただきましたところを見ますと、よくご存知のところと思いますが、私たちが礼拝を守るということは、神の恵みを受けて御言葉を聞くこと、理解することに名をとませていただくことができます。
09:12
神の命をいただいている人は御言葉を聞けば聞くほど、神様の御言葉をよく理解して憎悲に刻み込み、そして恵まれていくことができます。御言葉に友とならせていただくことができる。
私たちの人生において御言葉は我が足の灯火また道の光ですとありますように、私たちの生涯はまさにこの御言葉の光に従っていくところの生涯であることを思わせられます。
どのように道を進めたらよいのか迷ってしまうとき、御言葉がこれが道だこれに合いめと、その真理の道を示してくださいます。
また試練のときは主は慰めと力を与え、糸近き助けをもって臨んでくださいます。御言葉に恵まれていることは本当に幸いです。
今読んでいただいたそのところは主が男の人だけでも五千人、女性や子供たちを入れると一万人ぐらいになるのでしょうか。その人々の上を満たしてあげるというその奇跡を行われた後の出来事であります。
イエス様は群衆を解散させておられる間に強いて弟子たちを船に乗り込ませられました。そしてこの向こう岸へ先におやりになったのであります。主は弟子たちを愛するが家に強いて無理に船に乗り込ませて愛する者を訓練されます。
それで主は群衆を解散させてから祈るために一人で密かに山に登られました。船に乗って向こう岸へ向かう弟子たちは既に陸から何キロも離れていましたが向かい風が吹いていたために波に悩まされています。
信仰性障害において私たちも向かい風を受けて波に悩まされることがあります。サタンの誘惑にあってどうすることもできないでただ失望と落胆、そのようにするしかないような、そういうような時もあります。
人生において様々な向かい風が吹いています。苦しみと困難なことがやってきます。このような試練の時信仰が弱くなったりします。また望みは動かされ絶望的な思いに囚われたりいたします。私たちの将来に一体何が待っているか分かりません。この度の大震災もまさにこのような本当に大きな苦しみまた困難な出来事であると思います。
海はこの世の中を描いています。穏やかな時があればそうではない時もあります。向かい風が吹いている弟子たちのうち漁師が多かったのにもうどうすることもできない。そのような状態になったように私たちもそのような本当に状態になってしまうそういうことがあります。
12:15
私たちはこの世という海を渡っていかなければなりません。イエス様はこの世にあって私たちが神を信じ信頼し神様に従っていくものとなるために強いてこの船に乗るようにされたのであります。
罪と穢れに満ちたこの世の中をキリストを信じ信仰を持って渡ることは容易なことではありません。だから主は一人ひそかに山に登られて私たちのために祈っておられました。今も主は私たちのために天にあって大災死として私たちのために鳥なしの祈りをしてくださっています。
それでイエス様は御言葉の控えのうちにいつもお祈りを捧げてくださっています。向かい風が吹いていたために波に悩まされるほど私たちは困り果てました。
失望と恐れに満たされていました。このような時は時間が長く感じられていたことでしょう。望みのないようにさえ思えるその時であります。そのような時イエス様が夜中の3時ごろ真っ暗闇の時ですね、海の上を歩いて弟子たちの方に来られました。
主は弟子たちと同じ向かい風と戦って来られます。同じ向かい風にあいながらも主は一歩一歩静かに勝利しながら前進して弟子たちの方に近づいて来られます。イエス様は私たちと同じ誘惑に憐れました。同じ本当にサタンのその力に憐れました。
向かい風、それは激しく厳しくイエス様を襲っています。けれども主は少しも落ちないで、なお力をもって勝利を得ておられます。いつも神様の御胸に従って進んでおられました。イエス様にとって30歳までの平凡な隠れた生活にありましてもサタンのその誘惑に出会いました。
けれども主は勝利を得て清き生涯を送られました。バフテスマの御胸から水のバフテスマを受けられ、御多満に導かれて荒野において40日40夜断食されて過ごされたその時もサタンの本当に誘惑がありました。
サタンはいろいろと主を発砲から手を尽くしてイエス様を試み、イエス様を何とかしてダメにしようとやってきました。けれどもイエス様はいつも御言葉の光に従い、モラーの吊り木であるこの御言葉の光によってその向かい風に負けませんでした。
かえって勝利して前進されたのです。神様の御言葉をいつも固く確信しておられました。ナザレの故郷において町が建っていた丘の崖の縁まで連れて行かれ、そしてそのところから投げ落とされそうになられたこともあります。イエス様はまさにその時殺されそうになりました。
15:12
またパリサイブとサドカイを見ても主に反対してイエス様をダメにしようと考え、悪い本当その計画を立てておりました。けれども主はこうしたことにも少しも落ちないで、力をもって勝利をもって進まれました。血のある神様の御胸に従って歩まれたのです。床と場のその光の中をひたすら歩まれました。
またゲスト前の園ではもう一度激しい、そのサタンの力と戦わなければなりませんでした。そこではサタンが十字架の苦しみ、みじめさを見せつけました。けれども主は私の思いではなく御心のままに御心のままになるようにしてくださいとそのようにお祈りをされて、その強い波風にも負けないで勝利を得て神の御心に従われました。
それから最小の前にヘロデ・ピラトの前に様々なその誘惑にありました。こうして十字架にかかられる前、そして十字架にかかられてみじめな本当の苦しみを軽減されたその時も様々なサタンの誘惑にありました。しかし主はことごとに勝利を得て進んでいかれたのです。
波風の激しいその海でありましても、そこを神の善能の御力によって勝利をもって歩まれました。神の光に従う生涯はまさに勝利の生涯であるという、そのことを私たちに教えています。
私たちもイエス様を信じて御霊によって首都を一つにされ信仰によって歩んでいくならば、この世のどんな向かい風、逆風が来ようとも首都を同じ力をいただいて見事もしない不当の歩みをしていくことができるのではないでしょうか。
この世において訳のわからない問題に直面したり、自然と思われることに出会ったとしましても大丈夫です。海の上を歩かれたイエス様を見上げる時に勝利に預からせていただくことができます。光に従う生涯はイエス様と伴う歩みであります。
私は新学校に工藤先生がおられたことがありますけれども、今は少し休んでおられますが、他の先生方とともに新学生の教育と指導にあたっておられました。
私が新学生4年の時に工藤先生のところに4人目の赤ちゃんが与えられ、その喜びの日を迎えていた時であります。その赤ちゃんは生まれてからなかなか退院して家に帰ってくることができませんでした。不審に思っていますと片方の足に腫れものが、お母さんのお腹の中にいた時から新しいと書かれつけのお医者さんが診断されました。
18:10
もう少し様子を見ましょうということになりました。工藤先生は日が立てば立つほど心配になって、感謝様に切に祈っておられました。そしてこのある日、良い知らせが来ました。何ともなかったらしい。本当にほっとされました。
ところが再びしばらくして知らせが入りました。今度は全く悪い知らせであります。先生は奥さんとともに涙を流して感謝様に訴えるような祈りを捧げられました。お医者さんのその報告は、その足を切断するか、それともこのまま家に連れて行きますかということでありました。
けれども連れて行くならば必ず患が広がって命を取られるのは決定的ですと言われます。なぜ、どうしてなんだ、こんなことが何も知らない赤ん坊にと、主の前に心をそぎ出して真剣にどうしたらいいんでしょうかと、本当に先生5歳は涙を流して祈られました。
そしてこの先生は主よ、御心を行ってくださいと全てを明け渡して感謝様の御手に捧げられました。そしてこの工藤先生は決断されたのです。切断してください。勝利の主を信じて立ち上がられました。かわいい男の子、田中君の足は、片方の足は切断されました。
工藤先生5歳にとってこれは非常に大きな試練でありました。しかし一切を主の御手に委ねられたのであります。そしてこの復活の主を見上げ、最善をなされる神を信じて信仰による勝利を得られました。今、田中君は大きく成長され過ごしておられます。
私たちの人生においても一体何が待っているか、全く私たちの未来はわかりません。さまざまな嫌と思えるような向かい風や波風がやってくる。そして私たちの信仰をダメにしようとします。苦しみや困難、しかし何があろうとも私たちの救い主イエス様は勝利の主であられます。復活の主、そしてこの王の王、主の主であられます。
そのイエス様がインマネルの神として世の終わりまで、いつも信じる者とともにいて下さいます。ですから、向かい風を受けていると思うとき、このお方に信仰の目を進むことが勝利につながる秘訣であることを思わされます。
イエス様は波に悩まされていた弟子たちの船に近づいて行かれました。夜中ですから船の周りは真っ暗ですね。弟子たちはあれは幽霊だと言って怯え恐れ叫び声をあげました。
けれども主はなお近づいて来られます。そしてこの罪と悪に満ちている世の中で、罪を犯せず、清いその心を持って生きていけるようにして下さるために、なおイエス様は近づいて下さいます。光に従う生涯を送るため、イエス様は近づいていて下さる。
21:14
主が近づいてすぐそばまで来られたとき、主は、「しっかりしなさい。私だ。恐れることはない。」と仰いました。文語訳では、「心安かれ。我なり恐るな。」そのように仰って彼らを励まされました。弟子たちは主の御声を聞くと心静まり、落ち着くことができました。
主は私たちが慌てたり恐れているそのときにも、私たちを哀れみ、この時と同じように御声をかけて下さいます。主の力強い御声を聞いた弟子たちは、全く落ち着いてイエス様を見ることができました。
そこでペトロが、「主よ、もしあなたでしたら、私に水の上を歩いてここまで来いとお命じになって下さい。」とそのように言いました。ペトロは水の上を歩かれているイエス様を見ているうちに、「主が命じられなら、この私も歩くことができるんじゃないだろうか。」とそのように信仰を働かせて考えたのであります。
自然の法則に従って考えている限り、水の上を人間が歩くなんてことはとてもできません。沈んでしまうのが当然です。しかしペトロは、「主が来なさい。」と仰ったので、人間的にはどう考えても決してできない、不可能と思われることであるけれども、彼はそのイエス様のお言葉を本当に真摯に応答して挑戦いたしました。
そしてこのペトロは船から出て、水の上を歩いてイエス様の方に行ったのです。信仰障害を全うするためには、いつでも主の道からに頼らなければやっていくことができません。この世という海は問題が多くあります。
この海の上を歩くためには、主の道からに全面的に委ねて、そして踏み出していく。そしてこの主の復活の命の力によって歩み出していく。そうするならば沈まないで、この世というこの海の上をも勝利しながら前進していくことができるのです。
主は私たちにも来なさいと命じておられます。命令を与えてくださった主は、命令したことを成就するその力を信じて従う私たちにも与えてくださいます。人間的に見たらできないと思うことでありましても、主はできるその能力を、全能のその力をイエス様は与えてくださいます。
ペテロの以前の職業は漁師でした。船の漏を取って船を自由に浮かすことができたペテロであります。しかし嵐のときは、ただイエス様にのみより頼んでいかなければなりませんでした。私たちも何でも自分の力で考えて、また自分の思いでことを行っていこうとすることはできるでしょう。しかしこれでは向かい風に遭ったとき悩むしかありません。
24:05
失望と落胆をするだけであります。ペテロは主の命令に従って船を降りました。そしてこの主の身元へ歩いたのです。歩くことができました。ただ主により頼んで、ただ主をのみじっと見つめて、彼は歩くことができたのです。ペテロは自然の力に反してイエス様の復活の力によって波の上を歩くことができました。それはまさに勝利の歩みです。
クリスチャンは実に勝利の生涯を送ることが神様によって約束されています。そしてこの信仰が本物かどうか試されるのは、向かい風が激しく吹いてきたときであります。風が激しく、もうどうにもならないと思う、本当にそのようなときであります。
物事が順調に進んで、別に何の問題もないときは信仰があるのかないのか気にしないで、神様にただ感謝を捧げることができます。しかし試練のときは信仰をフルに働かせないとやっていくことができません。福林島は良き訪れ、圧倒的な勝利者となると、そのようにパワロが言っているその生涯のことであります。
試練にも打ち勝っていく生涯、まさに海の上も歩く生涯です。イエス様に従うそれは光に従う、神様の御言葉に従って歩んでいくその生涯であります。ペダルは信仰によって海の上を歩きました。ところが足を見つめていたのに目を離してしまったのです。そしてこの波の激しさを見てしまいました。風と波が吹き荒れているのを見て怖くなり、ペダルは沈みかけました。恐れることは不信仰であります。
心の中に恐れを持つと信仰を失ってしまう。イエス様の偉大な力を信じないなら、肉の力、サタンの力、他人の力を信じるようになって、キリストに対する信仰を失ってしまいます。私たちの周囲の風がどんなに激しく吹き荒れることがありましても、勝利の主から目を離してはなりません。
海の上、水の上をも歩かれた善能の神、キリストをいつも見上げることは、私たちに勝利をもたらすものであります。その反対に主から目を離し、他の者を見ることは失敗、敗北となってしまいます。しかし実際問題として、試練のときはそのことに心が奪われやすいものです。光よりもですね、暗闇の方を見てしまう。
そして自分と自分の周りのことだけが気になります。しかしいつも変わることなく愛してくださる主、勝利の主を、光の主を見上げることができるならば、その人はそのとき、そこからなお浮かんで、なお幸いになることができるでしょう。主はおぼりかけたペテロを引き上げて助けてあげられました。主を助けてくださいとペテロが言ったからです。
もし私たちも沈みそうだと思ったならば、主に祈るということが大事であります。祈るならば主が私たちを助けてくださいます。海の上を歩く人生が私たちに与えられています。勝利の主イエスにいつも目をとめて、主に一切を委ね、おまかせし、信頼していくならば、私たちも勝利の人生を送ることができます。
27:12
試練の中にも、主によって慰めと励ましをいただき、落ちることのない生涯を送らせていただくことができます。世の光であらゆるイエス様に目をとめて進みましょう。言葉は私たちの光。イエス様は光の主です。神様は光であって、神のうちには暗いところが少しもありません。
神と交わっていると言いながら、闇の中を歩んでいるなら、偽りを言っているのであって、真理を行っていない。しかし光の中を歩んでいるなら、互いに交わりを保ち、御子イエスの血は全ての罪から私たちを清めると、ヨハネもその手紙の中で言っています。
両谷教会での礼拝は、これで最後となりました。この震災の大きな出来事の中での、典任で送別会をしていただくことを決めていただきましたけれども、避難所の人々のことを思いましたと、自粛したいと、そのように思い、役員さんに送別会の中止をお願いいたしました。
同じ教区内ですので、また教区の集まりで皆さんとはお会いできると思います。いろいろお祈りをいただきまして、共に御押しさせていただいたことを心より感謝いたします。どうぞ皆様お体大切に、一緒にあってお励みください。
そして続いて、共に一緒にあって御国を目指しつつ、またこの与えられた人生、神の栄光のために、共に力を尽くして進ませていただきたいと思います。それではお祈りをいたします。
天道知事のある神様、小さなこのしもびをこの明壇教会に使わせてくださり、一年間の御押しでありましたが、神様が用いてくださりまして、今日のこの日を迎えることができましたことをありがとうございます。
今、東北地方においては、多くの方々が苦しみ、悲しみ、また心の痛みを本当に感じて投げておられます。
神様、本当にそうした中にあって、神様あなた自身がクリスチャンの兄弟姉妹のそのお祈り、またその働きを通して、本当に少しでもより良い一日が送られるようにと、主要世界中の人も祈っていてくださいます。
神様、どうぞご自身がなおなお臨んでくださいまして、神様がどうぞその災害の復興が速やかになされていくことができますように、また多くの人々のその心に慰めを、また平安と力を、また助けをお与えくださいますように、心よりお祈りをいたします。
30:07
どうぞ主よ、この旅団教会の上に神様が更に精霊を高いに沿いでくださって、神聖と聖火のその耳に生きて、なお主よ、ご自身の栄光を本当に表していかれることができますように、どうぞ内田先生が今度来られますが、内田先生を精霊に満たして、道徳をお持ちくださることを心よりお祈りをいたします。
どうぞ主よ、この一年間の本当に背後にあってのお祈り、いろいろと本当にまたお交わりを心から感謝し、神様のお名前によってお祈りをいたします。
30:48

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