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ご着席ください。聖書朗読をしていただきます。
聖書の箇所は、使徒の働き13章46節から48節まで。
新約聖書の256ページでございます。
では、持ち出し前、よろしくお願いいたします。
使徒の働き13章46節から48節。
ここで、パフロとバグなどは、はっきりと宣言した。
神の言葉は、まず、あなた方に語らなければならなかったのです。
しかし、あなた方はそれを拒んで、自分自身も永遠の命にふさわしくないものと決めたのです。
みなさん、私たちは、これからは老人の方へ向かいます。
なぜなら、主は私たちを命じておられてからです。
私は、あなたをなぜて、非法人の悪とした。
あなたは、地の果てまでも、救いをもたらすためである。
非法人たちは、それを聞いて喜び、主の言葉を愛にした。
そして、永遠の命にかざめられていた人たちは、みな信仰に入った。
では、聖歌体に賛美をしていただきましょう。
今日は、賛美歌の296番を賛美していただきます。
賛美の後、内田牧師より、「非法人の光」と題してメッセージをしていただきます。
賛美の後、内田牧師より、「非法人の光」と題してメッセージをしてメッセージをしていただきます。
賛美の後、内田牧師より、「非法人の光」と題してメッセージをしてメッセージをしてメッセージをしてメッセージをしてメッセージをして
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賛美の後、内田牧師より、「非法人の光」と題してメッセージをしてメッセージをしてメッセージをして
賛美の後、内田牧師より、「非法人の光」と題してメッセージをしてメッセージをしてメッセージをして
賛美の後、内田牧師より、「非法人の光」と題してメッセージをしてメッセージをして
賛美の後、内田牧師より、「非法人の光」と題してメッセージをしてメッセージをして
賛美の後、内田牧師より、「非法人の光」と題してメッセージをして
皆さんおはようございます
皆さん恵まれていますか
恵まれている人は主のもとに来て、そしてそれを賛美で表し、感謝を表し
そして神様にまた恵みをくださいと、そういうふうに祈られたらいいと思うんですね
しかしもし恵まれていないという方も、どうぞ主のもとに来て、そしてその重荷を主のもとに下ろして
そして悩み苦しみ、様々なものを主のもとに持ち出して、そして主がそれをともに負ってくださる
慰めまた励ましの主であるということを、私たちは礼拝を通して覚えるわけであります
ですからどんな人も、すべての人が神様のもとに集って、そしてその御手の中で養われ、そして憩いをいただき
そして恵みをまたいただいて、力をいただいて、ここから使わせてくださる主であることを、今日覚えたいと思います
お祈りをいたします
年若い者も弱りかつ疲れ、壮年の者も疲れ果てて倒れる
しかし主を待ち望む者は新たなる力を得、和紙のように翼を張って登ることができる
06:00
走っても疲れることなく、歩いても弱ることはない
天の神様、御言葉を感謝をいたします
主の御言葉は永遠に変わらず私たちの力であり、礼の糧です
どうか今日もあなたを次第求めます
それぞれの歩み、一週間の歩みは異なりましたけれども、今はそれぞれを一つにしてくださって
ただただ主を仰ぎ、そして賛美をなし、祈りをもってあなたとの交わりを得させてくださいますように
ここにいました者を主が礼拝の主であられますから、全ての者から解き放たれて
ただただ主を仰ぎ見ることができるように、今私たちの魂を整えてください
疲れている者、また重荷を持っている者、また祝福のうちに喜びを持って集った者
全てが主の御元に集まって、そして心を一つにして、十字架を仰ぎ見る者としてくださいますようにお願いをいたします
また今日いただきます御言葉を通して、あなたの御胸を教えてくださるように
減り下ってあなたを主体求めますから、主をどうぞ天からの油注ぎと、また恵み力を注いでくださいますように
そして弱った魂に活力を与え、新しい命に満たしてくださって、それぞれにお使わしくださいますように
私たちの使わされるその現実は厳しいものがございますけれども、それにもまして力を与えてくださるこの主に今より頼みますから
主をどうぞあなたを仰ぎ見、そして御言葉を通してあなたの精霊をいただくことができますように、一人一人を今整えてください
今日ここに来ることができたことを感謝をいたします
私たちが自ら来たというよりも、精霊の導きを通して神様が送ってくださったことをありがとうございます
今日弱さを覚え、あるいは様々な事情の上に来ることができなかった兄弟姉妹方のことも覚えます
主をどうぞ来たる時にはまた共にあなたを賛美礼拝できますようお導きください
プログラムの一つ一つが祝福されていますことをありがとうございます
今からの御言葉のひとときをも主が支えてください
語るものをどうぞ憐れんで最後まで支えて導いてくださるよう
委ねて主キリストの皆によってお祈りいたします
アーメン
爽やかな秋晴れの一日、明日は体育の日ということで三連休の中日でありますが
思い返してみますと私が小学生の頃に東京オリンピックというのがありました
そのときの運動会は準備のときからずっとオリンピック一色でありました
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そんなことを思い返します
二十年前のことであります
そのおかげで今こうして十月十日体育の日ということで明日は祝日であります
しかし今オリンピックは夏の行事ということで八月に行われるようになっていますが
かつてはそうだったんだ今頃オリンピックしてたんだなということも思い出しました
そんな秋のこの一日まず私たちは市の身元に集まって市を礼拝して
それからまた今日の一日明日この一週間一月一年市とともに会いましていただくと本当に幸いなことであります
私たちはこの礼拝で使徒の働き使徒行伝というこれを一週一章ずつのペースで読んできております
今日は十三章にきておりますがこの十三章結構長いですけれどもその中から神様のメッセージをいただきたいと願っております
私たちがこうして信仰をいただいてそして日々会いましていただいております
クリスチャンという誇るべきあだ名をつけていただいてそしてクリスチャン達
そしてその主の招きに招き入れられた群れとしての教会
それが今日世界中に立てられそしてこの宮谷にも立てられているそれがこの教会であります
私たちのそういう日々の生活でありますけれども私たちはこの世界ということを抜きにして生きられないそういうものであります
クリスチャンという信仰をいただいたそのときからもちろん私たちは日本人であり日本神戸に住んでいるんですが
世界というものを抜きにしてそれを見ずして私たちの日々の信仰生活あるいは礼拝にしろクリスチャンライフというのはないということですね
もう私たちが主を信じてそして聖書を通して神様と交わっている
そこにはもうすでに世界というものが私たちの目の前に開かれている
実にスケールの大きいものだということを言いたいわけですね
なぜかと言いますと聖書の一番最初の言葉神が天と地を創造されたここに全てがあるわけですね
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神が天と地を創造されたそしてイエス様もおっしゃいました
全世界に出ていって全て創られたものにこの福音を述べ伝えよと
ですから私たちのいただいている信仰立っているその信仰はもう世界というものが常にそこに広がっているということですね
その中にある日本神戸ということですね
ですから私たちはこの日本というところから世界を見るのではなくてまず天と地ありき
まず世界がありきなんですね
ですからその世界というものを常にイメージしながらあるいはその中に私たちは生きている
その中の今は私たちは日本そして神戸に住んでいるんだということですよね
ですからそのことをどうぞもう一度認識再確認していただきたいと思うわけです
ですから私たちはクリスチャンそれは国際人いわゆる世界人ということですよね
日本人国籍は日本人なんですがクリスチャンというのはもう世界人国際人
ですから明太に教会はいわば明太にインターナショナルチャーチなんですよね
これはもう世界の中にある神様の御手の中にある群れとしてのインターナショナル国際的な
そういう世界視野の教会であるということです
それはそうですよね考えてみますと私たちが今読んでいます聖書
これも旧約聖書はヘブル語で書かれそして新約聖書はギリシャ語で書かれている
歌っていますこの賛美歌聖歌このほとんどが輸入物であります
もちろん日本人が作った素晴らしい歌もありますがほとんどが外国で作られた歌ですよね
そして私たちが今こうして福音が伝えられたというのもこの日本で生まれたのではなく
外国の宣教師によってもたらされてきている
そんなことを考えるときに私たちがいただいている信仰そして私たちの信じている賛美一体の神
これは本当に世界大の宇宙大のそういう神様であるということは当然のことであります
その中にある私たちは日本人というそういうことですね
ですから私たちももう一度そこに立ってそして教会あるいは私たちのクリスチャンライフ
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そういうものをもう一度見直していきたいと思うわけですね
もちろん私たちは地域に名指した教会というものも大切にしてそこを目指しています
どの世代にも開かれた教会
それともう一つはやはり世界に開かれた教会
それが聖書的な教会なのだということですね
そのことも決して忘れてはいけないと思います
今日ずっと見回すときに私も含めて皆さんは日本人日本国籍だと思うんですね
これが当たり前だと思うこともそれも間違いだと思うんですね
ここに何々人何々人何々の国の人その中に日本人もいる
それが本当に祝福された世界規模の神様が臨んでおられるそういう教会でありますよね
ですからもし何々国の人が来られたとしても驚かないでください
それがもう教会としての普通のあるべき姿であるということですね
それともう一つは私たちがまたそういう世界に向かって発信していかなければいけないということ
それもまた聖書が言っていることですね
全世界に出ていってそしてそこにいる人たちあるいは魂に福音を伝えよう
そういう人たちが私たちを通して救いに預かっていただかなければいけない
もちろん私たちには目の前にある日常茶飯事のいろいろな課題があります
そのことも祈ります
でもそれだけであってはいけない
やはりそれこそ世界に向かってそしてそれを発信していくということですね
あるこれはイギリスの教会だったと思うんです
そんなに大きな教会ではないということでありますが
いつも礼拝は本当に十二三人しか礼拝に来ておられなかったということなんですね
そしてある人がこの教会ではいつもこういう十二三人で礼拝されているんですね
と聞きましたところ
いやメンバーは会員は三十数名いるんです
しかし今誰それさんと誰それさんと誰それさん
十数人はみんな海外選挙に使わされていないんですということですね
ある人はカナダにオーストラリアにアフリカに東南アジアに
あるいは日本にみんな選挙史として使わされています
私たちはその留守を預かっているこの礼拝をここできちんと守って
そして彼らがまたいつ帰ってきてもよいように
そういうふうにしてここで礼拝を守っています
そして私たちも使わされている選挙史のために日々祈っているんですという
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そういう教会がありました本当に祝福された教会だと思うんですね
私たちの教会もそういう教会にいつか神様はしてくださると
そういう私たちはビジョンを持つということですね
私の好きな言葉それはI have a dreamですね
マーチン・ルーサー・キング・ジュニアン
キング・ボクシーが語った言葉ですけれども
Have a dream夢を持ちなさいビジョンを持ちなさい
私たちは本当に小さな小さなそういう世界の中に生きるんじゃない
もちろん目の前のそういう課題もそれはそれですけれども
そうじゃなくてもっと目を世界に向けてそして夢を持ってビジョンを持って
そして私たちがそこに示された働きをなしていく
そうすると目の前にある小さなこともいつしかどうでもよくなる
もうそんなものはいつしか消えてしまう
神様が自然にそういうものも解決してくださる
そういうことも本当にこの実際に教会を勃開しておりまして感じますよね
どうしても教会のこの内向きのことであれはどうだこれはどうだ
誰それさんがこう言ったああ言った私はそう思わないああだとか
そんなことあるいは設備が足りないどうだ
それも一つの課題でしょう
でもそういうこともおいてみんなそういうことは主が御存じであります
それよりももっと私たちは主が言われたように全世界に出ていって
そして魂の救いというものそして福音宣教の働きにもっともっと目を向けて
その働きに一人一人が用いられていくときに
本当に祝福されたそれこそ聖書的な祝福に預かり
神様がそのような教会にしてくださるということであります
この使徒行伝の十三章にはそういうことが書かれているんだろうなと
そう示されたわけであります
それともう一つはこの十三章だけではないんですが
使徒の働き使徒行伝を読んでいくときに地図というものはもう欠かせないですね
ですから願わくは教会に聖書地図というのが一つあればいいなと思いますし
皆さんが個人個人でこのような聖書地図を持っておられたら非常に便利だと思います
なぜかと言いますと今日もいろいろと氏名が出てくるわけです
アンテオケセルキアキプロスサラミスパポスパンフリアノペルガピシデアノアンテオケイコニアム
これは一体どこなんだろうか
あるいはパウロたちがどういう経路で旅していったんだろうか
21:03
そういうことをずっとたどりながら
まるで自分も同じようにパウロと一緒に旅しているような
そういうイメージですね
そういうものを持って聖書を読んでいく
これは非常に大事なことであります
ついでに言いますが私のそれこそドリーム夢は
このパウロがたどった先驱旅行地中海の
あの辺りを行ってみたいなというのを常に覚えて祈っています
ギリシャとかイタリアは行っているんですが
そのときはクリスチャンじゃなかったわけですね
ですから今度はクリスチャンとして
そしてパウロがたどった地中海の島やあるいは町を
一度行ってみたいなと
その地に立ってここでこういう先驚がなされたのか
大変だったろうなとか
ここで神様は身業をなさったんだろうな
というそういう夢があるわけです
ですから本屋さんに行って
そしてルルブを買って
そしてこれが地中海
すごいなということですね
それは少しの楽しみもありますけれども
そういう聖書をさらに深く読んでいきたい
そういう夢が私たちに与えられているということですね
ある人は聖地旅行に行かれて
神様の足跡をたどる
それも一つでしょうし
またそれこそアフリカの地に示された
ならばそこに行こうということですね
それを教会がみんなで支援する
送り出していくということ
そんなことが本当に私たちのビジョンとして
夢として与えられている
もちろんそれがなるかどうかというのは
それは神様に委ねたことですから
神様が一番よいようにしてくださいますけれども
私たちには持っていいんだ
そういう夢ビジョンを持っていいんだ
それのために祈りなさいということを示されているわけですね
今日はこの13章のところで
エルサレムに教会ができました
その教会が少しずつ成長していきまして
白街もありましたけれども
あちらに一つまたこちらに一つと
教会ができていったわけですね
教会というのは教会道のことではありません
建物のことを教会というのではありません
それは礼拝堂であったり教会道建物ですね
教会というのは主に召された者たちの群れのことです
クリスチャンの群れ
その群れがあちらにまたこちらにということが
できていったわけですね
その群れたちがまた今度はあそこに行こう
24:09
あるいはそこにも人がいる
そこの魂を導いていきましょうというようなことを
しておったわけです
それで13章ですが
さてアンテオ家にはそこにある教会に
こういう人たちがいましたということですね
そして2節
彼らが主を礼拝し断食をしていると
精霊がバルナバとサウルを私のために性別して
私が召した任務に就かせなさいと言われた
精霊がおっしゃっているわけですから
これは主の導きであります
その精霊が任務に就かせようと
これは後わかるんですが
違法人の地に行って副院選挙の働きをしなさい
ということですね
ユダヤ人の人たちがほとんどの
そういう地域にあって
副院の殿堂をしておったんですが
そうじゃなくて
違法人のところに行って
そこで副院を伝えようという任務を
与えようとなさったわけです
そこで彼らは断食と祈りをして
2人の上に手を置いてから送り出した
ここに彼らが任務を受けて
使わされていくという
そういうことがここにわかるわけであります
ではこの違法人というのは一体何でしょうか
違法人
違法人というのは
この聖書はイスラエルの民を中心に
彼らの歴史
そこに働かれた神様の業を中心に書かれた
神様の言葉ですね
ですからイスラエル人は
自分たち以外の民族あるいは国民を
全て違法人という
これは日本語の訳ですけれども
違法の民ということですね
教えが違う
自分たちが与えられた神様そして信仰
それとは違う信仰
崇拝
そういうものを持っている人たち
ですから私たちと彼らとは違うのだという
一線を引いておったわけです
そしてその自分たちの信仰の純粋性を守るために
違法人とか異教徒とか言われる人との
交わりをしていなかったわけですね
でも神様は
私たちが聖書を読んでいてわかるように
全ての人が神様に祝福されること
そして全人類が神の救いに預かって
そして神の子として生きていくことが幸いである
ということですね
27:01
もちろんその先民と言われるイスラエル
その人たちをまず選んで
彼らが神の民として
いわばサンプルのようにモデルのようにして
祝福されて
その祝福が全人類に及んでいくのだという
それが神様のご計画であったわけですね
しかしそこに一つの問題が起こりました
このイスラエル人は
どこでどう間違ったのか
本当に固くなな民族として
自分たちが選ばれているということを
それを高慢な態度で受け入れて
そして自分たちと違う異教徒
あるいは異法人たちを別視する
上から目線で見るような
そういうことをしていたわけですね
あるいは私たちはあなたたちと違うのだ
だからもう一切交際はしないというような
極端なことまで言い出したわけですね
本来祝福されるべきイスラエル人
そして全世界の全人類の見本となるべき
そういう光となるべきイスラエル人が
神様の御心から離れていくような
そういう事態になったわけです
それを御覧になっていた神様は
神様の計画というのは変わらないんですね
全人類の救いがやがてこの地に及ぶであろう
それは変わらない
しかしその方法として
そうかイスラエル人はそんなに固くなに
私を拒みそして私の見心が理解できないのか
それならば
それじゃあ一度方向転換をして
違法人にこの福音を伝えようと
そういうことで
今日のこの十三章にもありましたように
バルナバとかパウロサウルを用いて
そして違法人への宣教この福音を伝えることを
使命としてお与えになったわけです
それが今日のこの箇所であります
彼らはアンテオケからセルキアキプロス
島ですがサラミスパポスパンフリアのベルガ
ピシデアのアンテオケ
そして最後にイコニオムというところを旅しながら
そこにいるそれこそ異教徒
イスラエル人にとったら自分たちとは全然違う信仰を持っている
そういう人たちのところに行って
この真ことの神三位一体の神シュウヤスキリストの復活と
十字架の上がない
そういうことを彼らに説いていったわけです
もちろん言葉が違うあるいは国民性が違う
そういうことはそんなに問題にならないと思うんですね
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同じ人間として
しかしこの信仰が違うと
自分たちの信じているそれが違うというところに
この福音を伝えていくということは
これは大変な勇気も要ります
あるいはややもすると迫害に遭うことも覚悟しなければならない
そんなこともありますから
教会では断食と祈りをして二人を送り出したということがここにあるわけです
そういう中で七節でパポスというところに来たときに
そこに地方総督セルギオパウロという人がいたわけです
七節この人は賢明な人であって
バルナバとサウルを招いて神の言葉を聞きたいと思っていた
最先よくそういう人が現れてくれるというのはありがたいですよね
私たちもトラックを配ってほとんどの人が結構です
私は私の信仰がありますから
そういうのはほとんどですが
そういう神様のことを私は聞きたいんですと言ってくれる人がいたということは
本当にこの二人にとって励ましであったと思うんですね
神の言葉を聞きたいと思っていた
ところがこのところがというのは面白くないですね
ところが魔術師エルマは二人に反対して
総督を信仰の道から遠ざけようとした
やっぱり案の定邪魔が入るかという気がいたします
そしてこのセルギオパウロ総督が信仰に入らないように
そういう邪魔をするわけです
ここに魔術師というこれは一つのそういうことを
なりわいとしている人ですが問題はこの魔ということですね
魔というものが問題であるわけです
魔とは何か
それは人の心を乱す悪い魂悪い霊
悪霊そんなことですね
サタンそういうことであると言えます
その魔というものが人々を惑わしそして破滅に陥れる
日本語の漢字の魔というつくものを私たちもほぼで見ますけれども
そういうものはここにありますように
信仰の道から遠ざけようとする
誠の神様に人々が行こうとするときにそれを邪魔をして
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そうさせないようにするこれが魔の力ですね
悪魔の働きあるいは術説でこれはサウロパウロの言葉ですが
偽りと横島に満ちたもの悪魔の子
全ての正義の敵このように書いています
ですからあるいは悪魔サタンの働きというのは
偽りであったり横島であったりあるいは正義の敵であったり
そしてさらに種のまっすぐな道を曲げることをやめないのか
人がまっすぐに生きていこうというのをさせない
何とか人の道を外させてそして罪を犯させようとする
そういう働きを人間に起こすそれが魔というものですね
魔薬の魔は魔に通じるということ
魔薬の魔というのは麻なんですが
これも魔薬の魔は悪魔の魔の薬であると言われるのはそのことですよね
ですからこの魔術師この魔に囚われたエルマという人が
この総督の邪魔をして誠の神様への信仰の道から遠ざけようとする
しかしそこでパウロは言いました
十一節種の見てが今お前の上にある
お前は盲目になってしばらくの間火の光を見ることができなくなる
と言った
するとたちまち霞と闇が彼エルマを追ったので
彼は手を引いてくれる人を探し回った
彼は打たれてそして何もできなくなってしまった
種の霊が彼の上に働いてそしてこの魔を退けてしまったという
そういうことがあるわけですね
ですからなかなかこの伝道宣教というのは難しいわけです
特に違法人のそういうところに行って伝道するというのは困難がありますけれども
神様は技をなしてください
十二節この出来事を見た総督は種の教えに協談して信仰に入った
感謝であります
それともう一つ私たちが見ておきたいことは
四十四章に飛びます
中ほどはこれはパウロが説教しているそのことが書かれていますので
四十四章に飛びますが
ここでは街道で彼らが集会を持っていたということですね
そして四十四節次の安息日にはほとんど町中の人が神の言葉を聞きに集まってきた
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このバルナバサウロの宣教の働きがその街の人々に受け入れられたんだと思うんですね
私も聞きたい私も聞きたいと
そういうふうにして人々が集まってきた
人々が集まるということ
それは特にこの違法人の人たちが異教の人たちが集まってくる
それはやはりそこに本当の神がおられるということを
まざまざと見たわけですね
あるいは感じたわけです
ですからもちろん興味本位に
彼らの言う神様という方はどういう神であろうか
あるいは彼らの言っていることが本当なのかどうか
そういう興味もありましょうけれども
中には本当の救いを求めて癒しを求めて
そして悩み苦しみからの解放を求めて
彼らのところに来たということも言えますが
何よりも神の言葉を聞きに集まってきた
これが本当の求めるものの姿です
私たちが教会に来る礼拝に来る
あるいは何か教会にある集会があるときにそこに行きます
何を求めに来たんですかとは誰も聞きませんが
神の言葉を聞きに集まってくるということです
今度就任した牧師はどんな牧師か見てやろうという
そんなことではないんです
神様を崇めそして神の言葉を聞きに集まってくる
ですから私たちの礼拝のあるべき姿
あるいは集会のあるべき姿
あるいはクリスチャンとしてのあるべき姿が
ここにあるんだと思うんですね
神の言葉を聞きにあるいは神を崇めるために集ってくる
ですから私たちがもう一度確認しておかなければならないのは
私たちは何のために集まるのか
それは神の言葉を聞きに集まる
あるいは十字架を仰ぐために
そして天と地を創造なさったその天地万物の創造者なる神様を
褒めたたえるために集まってくるのだ
そのことがここに書かれてあります
異教徒であってもそのことが精霊によって示されたならば
彼らはそのようにしたわけですね
その45節この群衆を見たユダヤ人たちは
ユダヤ人たちは妬みに燃えパウロの話に反対し口汚く罵った
これは間に取り憑かれた人たちの姿
妬みあるいは反対罵り
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彼らにはまだまだそういうものがたくさんうちに宿っていた
彼らこそ神の言葉を聞きに来なければならない
彼らこそ精霊によって清められ救われなければならない
しかしまだ時至っていない状況でありますから
彼らは神様の言葉を聞きに神様を礼拝する人たちに口汚く罵った
それでパウロの言うことなんか信じるなよというようなことを言ったんでしょう
しかしパウロとバルナバははっきりと宣言した
先ほど読んでいただきましたその言葉です
神の言葉はまずあなた方ユダヤ人イスラエルの人たちに語られなければならなかった
あなたこそ神の民として祝福されてそしてこの全人類の見本となるべき
あなた方が神様がいただいたその光をもって全世界に出ていき
今暗闇の中にある人たちを照らすんだよとそう神様がおっしゃったわけです
しかしあなた方はそれを拒んでそして自分自身を永遠の命にふさわしくないものと決めたのです
皆さん私たちはこのパウロにしてもこれは違法人なんですね
ローマの市民権を持っている人そういう私たち違法の民そういうものがこれからは違法人の方へ向かいます
なぜなら主は私たちにこう命じておられるからです
私はあなたを立てて違法人の光としたあなたが地の果てまで救いをもたらすためである
ここにイエス様のもう一度その言葉を全世界に出ていって
すべて作られたものに福音を述べ伝えよ
世の光地の塩となってどんな人にもこの福音を伝えていきなさい
ですからパウロバルナマも使わされて今海を越えそして旅立ってきてそして今ここに私たちはいるのです
ですから違法人の皆さんあなたたちも神様に祝福されるべき人たちなんです
ですからこの福音を通して救われてください恵まれてください
そして解放されて人として人らしく生きるようになさってくださいと信じてくださいということを彼らは訴えたわけですね
48節違法人たちはそれを聞いて喜び主の御言葉を賛美した
そして永遠の命に定められていた人たちは皆信仰に入った
本当に感謝であります
私たちは今この日本にいてこの信仰をいただいております
42:04
この日本の教会の歴史を遡ってみますときに私たちはこの日本の教会がポルトガルの宣教師たちによってこの信仰がもたらされたということを学びます
450年460年ぐらい前でしょうか
ポルトガルの宣教師フランシスコザビエルとかですね
彼らが種ヶ島あるいは鹿児島そして日本のあちこちをめぐってそしてこの福音というものを最初にもたらしたと聞いております
プロテスタントは150年ほどですけれどもそういうルーツがあるわけですね
そのとき初めて日本と西洋という西洋文化に触れるというそういう機会もあったわけですが
私たちが今こうしてこの日本の地でこの信仰をいただいて恵みをいただいて救いをいただいているということ
それを遡っていきますときにまずポルトガルから来てくださった宣教師の人がいたんだな
そして本国のポルトガルあるいはスペインその地にも遡っていくときに誰かがそこにその福音を伝えた人がいたわけですね
フランスはどうだったかドイツはどうだったかあるいは東欧のあるいはイタリアギリシャそうですね
そしてこのトルコの地域今私たちはパウロやバルナバがこのあたりにいてそして宣教の働きをしているというそのところを見ているわけですが
約この二千年の間に彼らは地のそれこそ地の果てまでこの福音だけを携えて神様の御言葉だけを携えてそして世界中に使わされていった
千年たっても日本にはその光はまだ届いていなかった
やっと四百六十年前にこの福音の光が日本に灯されたわけです
それを私たちは今受け継いでそして各教会がそれを灯し続けているそういうことであります
そんなことを思うときにこのかつてエルサレムに起こった一つの神の国運動
誠の神様のその技が全世界に今や及んでそして全世界に神様の群れが主の民の群れができているということ
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本当にこの幸いでありますこの日本にもこの福音が伝えられて今教会が建てられているんだ
ですから私たちはそのルーツをしっかりたどってそしてこの首都行伝をもう一度読みながら
今度は私たちがこの二十一世紀においてまたこの首都行伝を綴っていかなければならない
そういうところに今立っているわけであります
ですからそれと同時に全世界の各地からこの日本のために日本の魂のために働いてくださっている
宣教師の方々のことを覚えて祈らなければならない
そしてまた日本から世界に向けてその世界の魂のために使わされていく宣教師をまた送り出していく
その人たちのために祈っていくあるいはそういう人たちと交わりをしていく
そういう教会でありたいそう願うわけであります
私たちのいただいているこの信仰それは世界大に大きなスケールの大きなものであるということ
そのことを覚えてそして宣教の働きこのことをもう一度確認したいと思います
イエス様の大宣教命令を覚えてお祈りしたいと思います
全世界に出ていきすべて作られたものに福音を述べ伝えようとお祈りいたします
私はあなたを立てて違法人の光としたあなたが地の果てまでも救いをもたらすためである
天の神様一行伝の十三章を通してもう一度あなたが世界の愛しまたそこにいるすべての人たちを愛して救いにいたらしみようとしておられることを覚えます
この主が十字架におかかりになり復活なさって精霊が注がれそして二千年近くなりますが
この地の果てといわれる極東であるこの日本にもこの福音がもたらせられてきたことをありがとうございます
もしこの光がなかったならば私たちは今暗闇の中をさまようそのような群れであったそのことを思います
まだまだこの日本人の中に教会は少ないですけれども
主を信じる人は少ないですけれどもその中にありましてもしっかりと一人一人がこの主を信じてまたその福音選挙の使命に預かって尊く用いられてまいりますように
今全世界に使わされています選挙主の人たちを応えます
48:01
どうぞ彼らの健康を支えまた家族を支え必要を満たして十分に福音の選挙の働きができるようにどうぞ満たしてください
日本から使わされています選挙主の働きにもどうぞあなたがお支えくださいますように
そしてまた一つ一つの教会が選挙に燃えてそして使わされていくそういう人が起こされるようにそしてまたそれを支える教会として主が用いてくださいますよう
委ねてイエス様の尊い皆によってお祈りいたします
アーメン