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2019-09-22 40:37

2019/09/22:神に祝福された人生の法則21(12)神の熱心の法則

2019/09/22 聖日礼拝

尹善鎬牧師

民数記 23:4-10

00:01
みなさん、おはようございます。
風が強かったり、天気が良くないんですけれども、今日も礼拝にお送りいたしました。
今日は、神に祝福される人生の法則21の12回目、神の熱心の法則、神の熱心の法則を例題にしていくことをいただきたいと思いますが、
その前に隣の方と挨拶しましょうか。よろしくお願いします。
神が呪わない者を、私はどうして呪えようか。
主が滅びを宣言されない者に、私がどうして滅びを宣言できようか。
神様、万分の主が熱心を持って、私たちを選び、救い、神のことを教えて守ってくださること、
それは、主の契約に基づいて、永遠から永遠まで続く、主の熱心による主よ、私たち共、祝福が約束されていて、必ずしてはそれを象徴してください。
誰もそれを騙すことはできない。
その恵みに私はあることを覚えて、この朝、主を暴滅し、主の御声を聞くことができますように、
どうか一人一人が、子供も大人も、心を低くして、聞くべき主の御声を聞くことができますように、
我らの霊をどうか明るくしてくださって、すべての穢れ、穢れを取り払ってくださって、
また、礼拝の時には、主よ、あなたを仰ぎみつ、主に集中して御言葉を出すことができますように、
弱い体を強くして、弱い精神を、心を強くして、どうか礼拝に臨めるように、主をどうぞお助けください。
03:01
神様どうぞ、一人一人に聖霊様がお語りくださりますように、感謝して、
イエス様の皆によってお祈り致します。
アーメン。
今日は、神の熱心の法則です。神の熱心の法則ということですけれども、
皆さん、今まで何かのことを、本当にものすごく一生懸命に熱心にしたことはありますか?
昔の受験勉強とか、あるいは礼拝とか、あるいは今の何かの、本当にハマって、ものすごく力も精神も熱く熱心にやったことはありますか?
ないんですか、皆さん?人生に一度もないんですか?熱心にやったことは何もない?
顔が全部、何の話をしているんだろう、というような顔をみんなしていますけれども、何かあったと思うんですよね、それぞれ。
私の場合はですね、たくさんありましたけれども、一つ選んでですね、お話をするならば、新学校に行くための受験勉強のことですね。
日本はですね、即時問題なければ、新学校に入れたければ、大体入れましたね。
韓国の場合は、大体1.5倍から2倍の競争がありますから、もうみんな入りたくても、全部入れるわけではないんです。
私も一度落ちて浪人しましたし、私の同期生の中では、その当時ご自体の人は、5回落ちて6回目に受かって、入った人もいるんですね。
また、日本だったら東大みたいな、韓国の名門の出身もいますし、アメリカとかイギリスの留学者たちもいますから、もう頭いい人もたくさんいるわけなんですよ。
だから、私のような凡人は、ものすごく熱心に受験勉強をしないといけないんですね。
例えば、あの時に、この旧学・新学政教、まず政教の試験科目があるんですよね。
もう大体、ほとんどが100点か90点以上取らないと、もう通らないんですよね。
だから、あの時に、1回目もそうでしたけれども、浪人する時にも、1日、この政章、1日で全部、創設から目標まで全部読めるほど、一生懸命読んだり、今はだいぶ忘れていますけれども、
もう数百節の政章を暗記したり、どこの政章が言われると、また遺説みたいに、それをしたことがありますし、
論文の試験もありますから、永山の用紙を1日、もう何十枚も書いて、ものすごく熱心に、もう夢中になって、ぼーっとして、ほぼ2年ですけれども、したことがあります。
06:14
たぶん、自分の人生の中で、一番ものすごく熱心に、あの時のことをしたんじゃないかなと思います。
みなさん、いかがでしょうか。今日は、ゆんぼこ一本の熱心の話じゃなくて、神様の熱心のお話、私たち一人ひとりに向かう神様のその熱心さ、それを、この話だ、これから豊かに味わいたいと願います。
今日は、この民数期の話からしたいと思いますけれども、タイトルは決まっていて、政治と科学は別の場所でしたけれども、今、総点におきまして、総点議会に民数期22、23、24来ていて、まさにこの言葉を語れというように主から召されまして、この話をしたいと思います。
全部、ぜひ、今日、みなさんお家にお帰りになって、この民数期の22、23、24章を、全部これ同じじゃなくて、一つのストーリーの話ですから、ぜひ読んでいただきたいと思います。
まず、今日の話を理解していただくために、ちょっと地図を一枚見ていきたいと思います。
さあ、前をちょっと見てくださいますか。前の画面をご覧ください、みなさん。
さあ、えーとですね、これがですね、イスラエルがエジプトから脱出して、クオパイを渡って、この下にシナリサンがあって、こうしてこう登ってきて、ここがカデシファルニアのところで、
イスラエルの人々が12人のスパイを送って帰ってきて報告したら、みんな、俺たちはもうニナゴみたいにいったら全部死ぬんだ、モーセに神様に呟いて逆らっていた。
その罪の上に、20歳以上の人々は、38年ぐるぐるぐるぐるぐる回って、全部死にました。
で、モーセの兄弟アロンもミリアムも死んで、そして彼らはここからこう登っていて、今ここら辺に来ているところが、この民族の22、23、24人です。
そして、ここがシカイという、とても塩分が濃くて、金槌も泳げるほどのシカイの東の方がモアブという古代の国です。
今ここはヨルダンという国なんですけれども、このモアブを通って行こうとしたわけなんですね。
09:00
ところが、このモアブの王バラク、名前を覚えてくださいね。
モアブの王バラクが、この記事が出ないんですけど、ユグラデスの下半のメソボタミアにいる有名な占い師、一王の預言者、バラムをお金で雇ってもらって、イスラエルをもらってもらうよ。
そしたら、イスラエルがもう潰れてしまうんじゃないか、という話が今日の話なんですけれども。
さあ、まずはこれでいいですよ。これから私の話を、この22、23、24人の話をまとめて話をしたいと思います。
このようにですね、あのモアブの王バラクは、イスラエルの噂を聞いたわけなんですよ。
後悔を渡った、あのアマレクを、あのエドムを全部打ち破って、もう勝利に勝利を重ねて、自分の国の、もう目の前に今来ている同志を恐れていました。
それでバラクは、もう今からね、もう3000年前の古代の話ですから、あの遠い国のメソボタミアに多分有名だったと思うんですよね。
バラム、バラムという一王の預言者、当時の今本にいたら占い師のようなものですね。
この人を来てもらって、そしてもうこのイスラエルを戻ってもらうために、このモアブの王バラクが実は送って、そしてもうたくさんのお金を払って、やっとこのバラムがメソボタミアからあのモアブに来ました。
多分ですね、相当なお金を払ったと思うんですよね。
そしてこのモアブの王バラクはバラムを連れて、イスラエルの宿泳している一部が見える山の頂に登るんです。
そしてそこに7つの祭壇を建てて、オオスとかね、それをもう7等も意見に捧げて、そしてもうぜひあのイスラエルを戻ってくれとね、お願いしたんです。
そしたら何が起きたんでしょうか。
今日の御説を見て皆さんお分かりになりますように、主はバラムの口に言葉を置き、そして言われた。
バラクのところに帰れ、あなたはこう言わなければならない。
そして簡単に言って、あのイスラエルを呪ってはいけない、むしろ呪うんじゃなくて、イスラエルを祝福しなさいとね。
それで今日読んでいただいた、あの8説、9説、10説のような、神が呪わないものを私がどうして呪えようか、
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死が滅びを宣言されないものに私がどうして滅びを宣言できようか、そういうふうにですね、呪うところか祝福してしまう。
これが一回あったんですよね。
そしたら、どうですか、モアブのバラクは諦めないんですよ。
いや、一回ね、そんなことが起きたんだけれど、もう一回やってもらいましょう。
そしてまた他の山にまたね、登っていくんです。
バラムを連れて、そこでまた祭壇を7つも築いて、またね、7頭の、全部14頭でしょうね、
王子、またお羊、7個ずつでから、それをまた池にささげて、また呪ってほしいと言われたけれど、
2回目もどうなりましたか。バラムはイスラエルを呪いましたか、皆さん。呪いましたか。
呪ってない。
で、祝福したんです。
それが、今日、読んでないんですけれども、23章の20節なんです。
私は読みますよ。23章の20節。
二を祝福せよ、との命を私は受けた。バラムは受けた。神は祝福される。私はそれを覆すことはできない。
神様が祝福するものを自分は覆して呪うことはできないとですね。
で、イスラエルを本当に豊かに祝福して、そしたら、あのバラクは悔しい。
こんなにお金をたくさん払ってもらってもらうと思ったのに、バラム、お前は何をしているんだろう。
もう一回山に行こう。で、また別の山にまた3回ですよ、登って行くんですよ。
そしてまた同じく祭壇を7つ立ち着いて、また14等の生贄に捧げて、今回はぜひあのイスラエルを呪ってくれ、と。
ところがどうですか。神様の言葉が、あの占い師、違法無限者の口に神の言葉が与えられて、
神の霊が望んで、そしてイスラエルを祝福してしまったんです。
結果的にはバラムの口からですね、イスラエルを4回も祝福するようになった。
モアブのバラクは、イスラエルを様避けようとしました。祝福を受けかけない。もう呪おうとしました。
でもどうですか。あの力のある、あの占い師、無限者さえも、神の言葉が、あの異教の占い師の口に神の言葉が授けられて、
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そしてイスラエルをもう何度も何度も祝福してくださった。不思議なことなんです。
あのバラムは、もうお金に目が眩んでですね、ひょっとしたら呪うことができるかもしれないと思っていたのかもしれない。
しかしそれがね、4回も起きたんです。皆さん、本当に不思議なことが起きました。
呪おうところか、イスラエルを祝福しました。皆さん、この出来事は、イスラエルの人々、そして今日、神の子供とされた、
私たち、皆さん、お一人お一人に向かう、神様の熱心、神の熱心を表している、もう大事件なんです。
つまりどうですか、イスラエル、そして神の子供とされた、私たち一人一人に向かう、
神の熱心がどれだけ熱くて、どれだけ固くて、永遠から永遠までそれが続いて、
必ず祝福は成就される何者にも妨げられない、覆すことはできないという、もう確実な神の祝福の宣言の言葉、
それがこの民族のあのイスラエルとバラクバラムのこの話なんです。
だから、このことを読むときに、それをつかめないといけないんです。
今日は、大きく二つの神の熱心について話したいと思います。
まず第一は、神の熱心、どんな神の熱心なんでしょうか。
一つ目、イスラエルを、それから私たち一人一人を、必ず祝福するぞ、という神の熱心なんです。
アーメンですか皆さん、信じますか、信じませんか、信じる人はアーメンと言ってみましょう、アーメン。
皆さん、この熱心はですね、神様の一瞬興奮した、それでも即興的な熱心ではないんです。
神様の永遠から永遠まで続く、神様の心と神のせつりにあった、神の熱心による祝福なんです。
その神の熱心によってイスラエルを選んでくださって、そして我々一人一人を選んでくださって、
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そして私とあなた方を祝福するよ、ということを一番明確に表してくださったのが、
神様とアブラムとの契約、アブラムに語ってくださった神の御言葉に、それが明確に語られている。
そして不思議に、あのアブラムに語ってくださった御言葉が、このバラムの口を通してイスラエルにもう一度語ってくださるんです。
その言葉をちょっと書いておきましょうか。
漱石に行きましょう。漱石の十二章、三節、いいですか。
漱石の十二章の三節、旧約聖書の十七ページです。
そこの十二章の三節、一緒に声を合わせて読みたいと思います。
あなたを祝福する者を、私は祝福し、あなたを呪う者を、私は呪おう。
地上のすべての民族は、あなたによって祝福される、アーメン。
皆さん、この言葉を覚えて、ちょっとしおりをつけておいて、
今日の民数記の二十四章に行きましょう。民数記の二十四章の九節。
今日の民数記の二十四章、二百七十六ページ。
いいですか。一緒に読みますね。二十四章の九節を読みますよ。
おじしのように、まためじしのように、かれはうずくまり、にをよこたえる。
だれがこれをおこすことができよ。あなたを祝福する者は、祝福され、あなたを呪う者は、呪われるアーメン。
今日の最後の二章は、どれと一緒ですか。
アブラモノ、あの荘石十二章の三節と一緒なんですよね。同じなんです。
あなたを祝福する者は、祝福され、あなたを呪う者は、呪われるアーメン。
このあなたは、イスラエルのこと、そして私たち、皆さん、お一人お一人のことなんです。
民族に戻りますと。
このように皆さん、神様は、アブラモノの契約、その前には、さかのぼりますと、ノアとの契約、そしてダビデとの契約のこの御言葉を、約束なんですよね。
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それに、神様はもう熱心をもって、誠実にそれを成し遂げて下さる。
神の熱心がそこにあるから。
だから、この神の熱心、祝福する熱心、愛する熱心、守る熱心、祝う熱心を妨げることはできない。
覆すことはできない。誰もいない。何者もないという、それは今日の民族の話ですね、モアブのおばらくは。
3回もですよ。山に登って、祭壇を築いて、降りてきて、もう一回山に登って、降りきて、もう一回山に登ったから、この時点は、大体何ヶ月かかったと思うんですよ。
メソポタニアから、あのバラムが、シシャオが行くでしょ、一緒に帰ってくるでしょ、山に登る、祭壇を築く、時間がとてもかかったと思うんですよね。
でも、そんな長い時間の間、バラムもバラクも、もう頑固でイスラエルを呪うと祝福しましたけど、どうですか、全部無駄になりました。
なぜなら、神の熱心がイスラエルを祝福するから、神の熱心がイスラエルを守るから、誰もそれを覆すことはできない。
その祝福が、神の熱心が、今は誰に?私たち、皆さんお一人お一人に注がれている、与えられているということなんです、神様がイスラエルに向かって。
そして、神の子供である皆さんお一人お一人に、神様その熱心によって、私はあなたを守るよ、私はあなたを祝福するよ、私はあなたを守るよ、救うよ、誰も邪魔することはできない。
誰も呪うことはできないんだ。それを信じなさいという、神の熱心による宣言の御言葉を、皆さん信じて下さい。
皆さん、今日使っている神の熱心という言葉は、ユンボク氏が勝手に作った言葉ではありませんよ。
実は、どこに出てくると思いますか?聖書にある言葉。
幸いに、日本語の聖書もそれを、主の熱心と正確に訳しているんです。
旧約聖書に、主に三箇所出てくるんですけれども、まず申し上げて、その中の一つだけ一緒に見たいと思いますが、
まず第二列を置き、十九章三十一節。それから、居座屋九章七節。もう一箇所。居座屋三十七章三十二節。
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全部同じ神の熱心の話ですけれども、今日は居座屋九章七節、ちょっと前の方をご覧下さいますか。
時間がありませんので、これを見ていきましょう。一緒に読みますね。中学生も一緒に読んでくれるかな。
この主権は増し加わり、その令和は限りなく、
ダビデの王座に就いて、その王国を治め、裁きと正義によって、これを固く立て、これを支える。
今よりそこしえまで、万軍の主の熱心がこれを成し遂げる。アメン。
最後の一行だけですね、アンダライアンのところを一緒に読みましょう。せーの。
万軍の主の熱心がこれを成し遂げる。アメン。
ありがとう。大きな声で読んでくれた。
これ何でしょう皆さん。万軍の主、神様の熱心が、
これはね、イザヤの時代に、このダビデの契約に基づいた王国を、つまりイエス様の王国を祝福する、
それを万軍の主の熱心が、この契約の言葉をどうしますか。
成し遂げますよ、という話なんです。アメンですか、皆さん。
今日は私だけ暑くて、皆さんはね、生ぬるいですかね、どうですか。
万軍の主、神の熱心が、これをノアに、アブラウムに、ダビデに、それからイエスキリストにつなぐあの契約の言葉を成し遂げる。
それが、ですから私たちはこのような信仰を持ちたいと思います。
その1、神のこの御言葉の上に信仰を置かせて下さい。
信仰というものは、感情、自分の心の感情の上に立てるものではないんです。
あるいは信仰というものは、今自分の健康や金銭状態や周りの状況の上に立てるものではないんです。
その土台は脆いです。
必ず潰れてしまうことは必ずきます。
感情の上に、自分の健康の上に、精神状態の上に、お金の状況の上に立てたら必ず崩れてしまいます。
信仰はどこの上に立てるべきでしょうか。
お姉さまがペテロニーに言いましたように、岩の上に、つまりこの何がどうあっても変わることのない、
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永遠から永遠まで覆されることのない、この神の御言葉の上に信仰を置かせて下さい。
その御言葉は、今日の話から言いますと、
私たちに向かう神の御主君、必ず出局する、必ず守る、世の終わりまで私はあなたと共にいるという、その契約の約束の御言葉の上に信仰を立てるんです。
そうしないとですね、もう信仰がですね、大台風の大波の上の小舟のみたいにですね、
上がって下がったらもうパチャパチャになってですね、沈んで上がって沈んで、もう大変なことになります。
感情ではありません。健康ではありません。お金ではありません。周りの状況ではありません。
神の御言葉の上に立てて、決して揺り起こされることのない、神の契約の御言葉の上に、
私が起伏する者を誰が呪えようかといった、あの宣言の言葉の上に、あなたの皆の信仰を与える。
それでも怖い時、それでも恐れる時、それでも心配でもどうしようもない時がもしもあるならば、
その心配を、心配事を、自分の弱さを目指して見つめすぎるのではなく、そこから目を離して、神の熱心を目指して下さい。
その深刻は我々に必要なんです。人生に心配や恐れることがないわけではないんです。ありますよ。
誰にもそれがやってくるんですよ。しかしその時に、静まって、神の熱心によるこの祝福の御言葉を目指し、
そしてこのように祈ろうではないでしょうか。神様、私の心の目が、霊の目が、どんな時にも、その熱心を見つめ続けることができるようにして下さい。
恐れや心配によって、神様が私に向かう神の愛とあの説理を謳おうとかないようにしよう。私の目をあなたに集中させて固定させてくっつけるように祈っていこうではないでしょう。
大きい二番目、神の熱心はどんな熱心なんでしょうか。それは、イスラエルを、それから私たちを必ず祝福するという。
30:05
皆さん、聖書は神の熱心に基づいた救いのストーリーなんです。あの大洪水の中でモアとその家族を救ってくださったストーリー。
イホウの家からアブナウのその家族を救ってくださったストーリー。
モンセの時代はどうでしょうか。あのエジプトの、あの奴隷の生活からイスラエルの人々を救ってくださったストーリー。
やがては、イエス・キリストおつかわしになって、そしてこの人類を救ってくださった救いのストーリー。これが、この聖書のもう全部なんですよね。
それほど神様は熱心を持って、我々一人一人を必ずもう救って、神の熱心がある。それをぜひ知っていただきたい。
神様はイスラエルを、それから私たちをもう救うことに、神様はもう決められたんです。そこに神の熱心があるんです。
どれほどの熱心でしょうか。一人後イエス・キリストこの地につかわすほどの熱心。そのイエス様を十字架で死なせるほどの熱心。
神が人間になるほどの、そこまでして救おうとする神の熱心。その熱心は言葉では言い表せないほどのものなのではないでしょう。
そして神なるイエス様は、それぞれ時代は違いますけれども、私たち一人一人を探し出して、歩き回して、歩き回って、歩き回って、そして皆さんの心とはを何度も何度も何年も何十年も叩いて叩いて、
時には我らを取って、時には我らと格闘して、時には説得して、時には神様が私たちにも信じてくれるみたいにですね、願って願ってでも、それで時には我らに感動を与えてくださる、時にはもう幸福させる、それは神の熱心による。
33:00
そして、そういう風に私たちを救ってくださり、またこれからも救われていない人々を必ず神様が救ってくださるんです。神の救いは神の熱心によるものだから、一回も諦めたことがないんです。これからも神様はこの救いのことを諦めることはないんです。
信じますか、皆さん。このすべては神の熱心によるものでなければないものなんです。皆さん、どうですか。その神の熱心が永遠から永遠まで、イシラエルから見ればこの遺宝の地、遠い遠い国、この島国の日本、
今からある方は70年、ある方は50年、ある方は20年、30年、10年、前に神の熱心によってイエス様がシェーレ様が誰か一人を通して二人を通して何かを通して皆さんを見つけるまで探し歩かれた。
それがイエス様がルカムの国書の15書で、羊が100匹います。1匹亡くした羊から99匹はまかして、あの1匹を見つけるまで探し歩かないでしょうか。それがまさに神の熱心なんです。
だからコインを10枚持っていた1匹を亡くした女の人が、その1匹を見つけるまで必死に熱心に探すんですよね。そしたら見つけたら、みんな喜んでも宴会をする。
3回、3つ目のあたりは何ですか。法と息子の話なんですよ。帰ってくるまでいつでもいつもいつも待っているあのお父さん。
皆さん、だから救いを考えると、実は私たちは何にもしていないんです。我々が熱心だったから、努力したから、偉い人だったから、良い人だから、罪が何にもない人だから、成績が良いから、お金がたくさんあるから、とても美男子だから救われた人いますか。誰もいません。
救いに関しては、私たちはもう何にもしていないんです。ただ神の熱心によるその身分によって、神様が見つけてくださって、神様が心を重くしてくださって、時には幸福させて、感動、恵みを与えてくださって、救ってくださる。
36:21
そこに何がありますか。万軍の主の熱心が。その熱心が誰に?私に。
皆さん、今日、その万軍の主の熱心を覚えたいんです。感じてほしい。確信を持ってほしい。
そして、そんなに神様が永遠からその熱心による救いを持って、私たちが代わって救ってくださったならば、私たちも神の熱心を持って、祈り、伝導地、主を求め、信仰、生活をしていこうではないでしょうか。
あのヨハネの目記録の3章において、ラオデキや教会に向かって、あなたは生ぬるい。私の口から吐き出そう。熱くするか、冷たくするか、どっちかしなさい。
神の熱心はこれほど熱いのに。祈るべき時には、もう死ぬほど祈りましょう。神を愛する時には、全てを捧げるほど主を愛しましょう。
あと、お知らぬ時に話しますけれども、10月13日、伝道集会として、熱いウェルカム礼拝を開こうとしております。
神の熱心を覚えて、伝道に皆さん出ていこうではないでしょうか。そして、その前の1週間、祈り礼をしてもらいたいと思います。
あと、祈りをするように、祈りが続くようにしていこうではないでしょうか。実は一つ私にチャレンジがあったわけなんです。
前々から何か大事な集会がある時に、もう集中して祈りを続けていこうという思いは、聖書に根拠をあえて見つけるならば、
幕屋において甲の壇がある。そこに甲を24時間365日ずっとすれをするわけなんです。その香りは、いわねの目的にいくと、それは神の前に届く正当な祈りとなります。
39:13
祈りが途切れないようにするわけなんですよね。それで、前もちょっと話をしまったように、10月19、20日、多摩川キリスト教会東京に特典に私、こんなものがお祈りをさせていただきますけれども、
なんと、あの教会は40日リレー祈祷をするんです。あんまりみなさんびっくりしないんですね。40日間ですよ。40日間、ありがとう、応答してくれた。嬉しい。初めて。
40日間、夜寝る時間を除いて、教会に来て、誰かさんが必ず祈っているということなんです。40日間です。今のときは1日間来ましょうという話なんです。
ぜひですね、祈りを持っていきたいと、そういうふうに願っています。韓国の教会は、普通に40日間じゃなくて、もう1年中やってますけどね。祈りましょう。神の熱心を覚えます。私たちも熱く手を開いて、手に使う。使えていこうではないでしょうか。万言の地がこれを成し遂げられます。アメン。お祈りします。
40:37

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