1. 名谷教会 podcast
  2. 2023/12/17:忘れない神
2023-12-17 27:04

2023/12/17:忘れない神

2023/12/17:第三アドベント礼拝

加藤満牧師

ルカの福音書 -56


サマリー

第三のアドベントでは、神の計画と約束がクリスマスの出来事を思い出させます。マリアは神様がアブラハムとその子孫に対する憐れみを忘れず、約束を実現してくださったことを歌っています。アブラハムとその子孫を通じて、神はこの世界を祝福する意図を伝えています。私たちは目の前の苦しむ世界に関わって、神様がなおこの世界の祝福と平和を願っていることを忘れてはいけません。

第三アドベントの感謝と祝福
それでは、一言お祈りを致します。
愛する天の父なる神様、今朝も私たち一人ひとりを、あなたの御前へと招いてくださって、ありがとうございます。
第三アドベントを迎えました。
次週クリスマスを迎えますけれども、その前に、私たちの心を、また主が整えて準備をさせてくださっている、この時を覚えて感謝を致します。
今朝も、また主の御降誕に向かう、その歩みを覚えながら、私たちも、本当にイエス様の御降誕を心から備えたいと願っています。
この時を祝し、また、私たちが本当にあなたの十字架の地上によって神の子とされ、今も永遠の命によって、主と共に永遠の命を生きているということを覚えて、
神様、あなたの祝福の豊かさを知りながら歩むことができますように。
どうか、この時を祝し、導いてください。
ここに集えない方々、施設におられる方々、ご自宅で礼拝を守っておられる方々がいらっしゃいます。
お一人ひとりの歩みを祝し、また、その御健康も支えくださいますように、お願いいたします。
何よりも御言葉が、お一人ひとりに届いて、あなたにあって養われますように、お導きください。
全世界で、この時に第三アドベントを備えている教会がたくさんあります。
また、今、戦地になっている場所でも、クリスマスが近づいていることを覚えます。
どうか、神様、そのところに主の屈しい御業をあらわしてください。
命を脅かされる一人ひとりの心をお守りください。
そしてまた、平和が築かれますように、平和を願う主ご自身の御業を、私たちに見せてください。
お願いいたします。
これからの時を御手に委ねます。
どうか、主がこの時を導いてください。
イエス様の御名前によって、
神様の御名前によって、お祈りをいたします。
アーメン。
マリアの讃歌とクリスマスの出来事
第三アドベントを迎えました。
今朝は、「忘れない神とお題させていただきました。」
この読んでいただいたマリアの讃歌から、そのことを覚えたいのです。
神は私たちを忘れないということ、忘れておられないということです。
私たちが読んでいただいたこのマリアの讃歌というのは、どうでしょうか。
皆さんにとって馴染みが深いでしょうか。
意外とクリスマスの劇をすると、預言者の預言があって、羊飼いの場面があって、博士の場面があって、イエス様の御降誕の場面というのがあるので、
意外とこのマリアの讃歌というのは、あまり劇にも出てこない、しかも長くて、読んでいて、
わかるようでわかりにくい、そういう歌なのかもしれません。
これはどのような歌であるかというと、イエス様のお母さんになられたマリアが、天使ガブリエルから、まさにあなたはイエス・キリストの母親になりますよという告知を受けた。
その告知を受けたときに、ちょうどあなたの親戚のエリサベツも、年老いて子供を身ごもっています。
神はそのようにあなたになさるんですよと、見つかりがついています。
神はそのようにあなたになさるんですよと、見つかりがついています。
神はそのようにあなたになさるんですよと、見つかりがついています。
神はそのようにあなたになさるんですよと、見つかりがついています。
神はそのようにあなたになさるんですよと、見つかりがついています。
神はそのようにあなたになさるんですよと、見つかりがついています。
神はそのようにあなたになさるんですよと、見つかりがついています。
神はそのようにあなたになさるんですよと、見つかりがついています。
神はそのようにあなたになさるんですよと、見つかりがついています。
神はそのようにあなたになさるんですよと、見つかりがついています。
神はそのようにあなたになさるんですよと、見つかりがついています。
神はそのようにあなたになさるんですよと、見つかりがついています。
神はそのようにあなたになさるんですよと、見つかりがついています。
神はそのようにあなたになさるんですよと、見つかりがついています。
神はそのようにあなたになさるんですよと、見つかりがついています。
神はそのようにあなたになさるんですよと、見つかりがついています。
神はそのようにあなたになさるんですよと、見つかりがついています。
神はそのようにあなたになさるんですよと、見つかりがついています。
神はそのようにあなたになさるんですよと、見つかりがついています。
神はそのようにあなたになさるんですよと、見つかりがついています。
神はそのようにあなたになさるんですよと、見つかりがついています。
神はそのようにあなたになさるんですよと、見つかりがついています。
神はそのようにあなたになさるんですよと、見つかりがついています。
神はそのようにあなたになさるんですよと、見つかりがついています。
神はそのようにあなたになさるんですよと、見つかりがついています。
神はそのようにあなたになさるんですよと、見つかりがついています。
神はそのようにあなたになさるんですよと、見つかりがついています。
神はそのようにあなたになさるんですよと、見つかりがついています。
神はそのようにあなたになさるんですよと、見つかりがついています。
神はそのようにあなたになさるんですよと、見つかりがついています。
神はそのようにあなたになさるんですよと、見つかりがついています。
神はそのようにあなたになさるんですよと、見つかりがついています。
神はそのようにあなたになさるんですよと、見つかりがついています。
神はそのようにあなたになさるんですよと、見つかりがついています。
神はそのようにあなたになさるんですよと、見つかりがついています。
神はそのようにあなたになさるんですよと、見つかりがついています。
神の計画の始まりと終わり
神はそのようにあなたになさるんですよと、見つかりがついています。
神はそのようにあなたになさるんですよと、見つかりがついています。
神はそのようにあなたになさるんですよと、見つかりがついています。
神はそのようにあなたになさるんですよと、見つかりがついています。
神はそのようにあなたになさるんですよと、見つかりがついています。
神はそのようにあなたになさるんですよと、見つかりがついています。
神はそのようにあなたになさるんですよと、見つかりがついています。
神はそのようにあなたになさるんですよと、見つかりがついています。
神はそのようにあなたになさるんですよと、見つかりがついています。
神はそのようにあなたになさるんですよと、見つかりがついています。
神はそのようにあなたになさるんですよと、見つかりがついています。
神はそのようにあなたになさるんですよと、見つかりがついています。
神はそのようにあなたになさるんですよと、見つかりがついています。
神はそのようにあなたになさるんですよと、見つかりがついています。
神はそのようにあなたになさるんですよと、見つかりがついています。
神はそのようにあなたになさるんですよと、見つかりがついています。
神はそのようにあなたになさるんですよと、見つかりがついています。
神はそのようにあなたになさるんですよと、見つかりがついています。
神はそのようにあなたになさるんですよと、見つかりがついています。
神はそのようにあなたになさるんですよと、見つかりがついています。
神はそのようにあなたになさるんですよと、見つかりがついています。
神はそのようにあなたになさるんですよと、見つかりがついています。
神はそのようにあなたになさるんですよと、見つかりがついています。
神はそのようにあなたになさるんですよと、見つかりがついています。
神はそのようにあなたになさるんですよと、見つかりがついています。
神はそのようにあなたになさるんですよと、見つかりがついています。
神はそのようにあなたになさるんですよと、見つかりがついています。
神はそのようにあなたになさるんですよと、見つかりがついています。
神はそのようにあなたになさるんですよと、見つかりがついています。
神はそのようにあなたになさるんですよと、見つかりがついています。
神はそのようにあなたになさるんですよと、見つかりがついています。
神はそのようにあなたになさるんですよと、見つかりがついています。
神はそのようにあなたになさるんですよと、見つかりがついています。
神はそのようにあなたになさるんですよと、見つかりがついています。
神はそのようにあなたになさるんですよと、見つかりがついています。
神はそのようにあなたになさるんですよと、見つかりがついています。
神はそのようにあなたになさるんですよと、見つかりがついています。
神はそのようにあなたになさるんですよと、見つかりがついています。
神はそのようにあなたになさるんですよと、見つかりがついています。
神はそのようにあなたになさるんですよと、見つかりがついています。
神はそのようにあなたになさるんですよと、見つかりがついています。
神はそのようにあなたになさるんですよと、見つかりがついています。
神はそのようにあなたになさるんですよと、見つかりがついています。
神はそのようにあなたになさるんですよと、見つかりがついています。
神はそのようにあなたになさるんですよと、見つかりがついています。
神はそのようにあなたになさるんですよと、見つかりがついています。
神はそのようにあなたになさるんですよと、見つかりがついています。
いわばこの不可思議なクリスマスの出来事
あなたはなざれの女性がイエスの母親になりますよということであったり
そのような出来事が点と点ではなくて
どこから始まってどこへ向かうストーリーなのか
どこから始まった神様のご計画でどこに向かっていくのか
そのことを示してというかそのことがわかったということです
クリスマスの出来事というのは
神様の壮大なご計画の始まりなんですね
精霊に満たされたエリサベツはまさにマリアこそ主の母であり
主によって語られた言葉は必ず成就すると
そう信じることはなんと幸いだろう
どうかと歌いました
そしてそのようにしてマリアの参加の道備えをして
そしてマリアは歌い出します
それはこのクリスマスに生まれる巫女マリアの子供が
遥か昔に結ばれた約束から始まっていること
そしてそれは大きな終わりへの始まりであるということ
そのことを歌う
実はこのマリアの参加
この響きというのは
2023年を生きている私たちにも今なお響いていると理解されます
全く同じことが今なお起きている
そのことを覚えながら
この世界の始まりから世界の終わりまで
神様は変わらずに
アブラハムとの契約の歌
そのことを忘れずになされるお方なんだということを
この歌から聴いていきたいと願っています
この歌は一体何を歌っているのでしょうか
読んでお分かりにくいでしょうか
難しい歌詞なんですが
しかし歌詞となるのは55節です
何が言いたいのかがよく分かるのは55節です
私たちの父祖たちに語られた通り
アブラハムとその子孫に対する憐れみを
いつまでも忘れずにという言葉が最後に歌われます
これはマリアがこの歌で言いたいことは
神様はアブラハムとの
神様はアブラハムとの
アブラハムと結ばれた契約を忘れずに
覚えておられて
それを今実現してくださったということを歌っているんです
神様はアブラハムと結ばれた契約を忘れておられなくて
今ここに実現をしてくださったということを歌っている
聖書の中でアブラハムが出てくるのは
創世記です
聖書の旧約聖書の一番最初です
マリアの時代から
何千年前の話でしょうか
しかし神様は
その約束を忘れておられない
ということの驚きの歌なんです
神はあの約束をまだ忘れておられないのか
神の祝福による社会の変革
ということの驚きです
じゃあアブラハムと神様の契約とは
どういうものだったでしょうか
ギュッとまとめて言いますとこういうことです
アブラハムの子孫を通して
神はこの世界を祝福する
神はアブラハムの子孫を通して
アブラハムの子孫を通してこの世界を祝福しようとされている
創世紀の12章の1節から3節というところに
主にそのことが書いてますけれども
これは旧約聖書で一番大事と言ってもいい箇所です
めちゃくちゃ大事な箇所です
ではどのようにその約束が果たされるのでしょうか
さらっとなんか聖書の話して申し訳ないんですが
旧約聖書からアブラハムから進んでいくとどうなるかというと
アブラハムの子孫がエジプトに囚われた後
出エジプト期ではモーセが
そのイスラエルの民を脱出させますよね
脱出していった民はカナンの地を入っていって
カナンの地にはサムエルがいて
サウローが最初の王様として立って
ダビデを王様としたイスラエルという国が立ちますよね
そして神様はそのイスラエルという国
まさにそこです
ソロモンの時代には神殿も建てられますが
その国を中心としてやろうとしていることは変わらない
この世界をその国を通して神は祝福をしようとされます
イスラエルという国は
この世界を祝福するという使命を帯びて建国されました
そのことを覚えると実に
現代に見る今の実情には心が痛みます
でもイスラエルというのはそういう国です
かつてのイスラエル
イスラエルはけれどもそのダビデの王朝というのは
後南ユダ王国になった時に崩壊をしてしまいますね
滅んでしまいます
けれども先々週見ました
イザヤ書というところに書いてあったのは
神様は国が滅んでもまだ諦めない
忘れない
神の万軍の主の熱心が新たな王を立てて
そしてアブラハムの契約を続けていかれる
万軍の主は今なおこの世界を祝福したいという熱情を失っていなくて
神様は再びあのダビデのように
まさに主の霊が宿り
人々を義の道に導く王様が生まれるんだということを予言しました
実はそれが流れ流れて
ルカの一生のマリアの受胎告知につながっていきます
そのお生まれになる王
預言者が預言した王それは誰か
預言者が預言した王それは誰か
イエス様でした
この生まれる緑子は
ダビデのように民を正しく導き
そしてアブラハムに誓ったように
その民をこの世界に祝福を促していく民とする
そのように整えるそれがイエス様でした
神様はイエス様を通してこの世界を祝福されようとされます
そして弟子たちを整えて
イエス様と同じように
この世界を祝福されようとされます
祝福する民として整えようとされる
使徒原稿録に書いているのはそういうことです
実にこういうことを言ったらあれですけれども
聖書って面白いんですよ
旧約から新約の最後まで全部つながっています
実にそのことがよくわかります
まさにイエス様を通して
この世界を祝福されようとしているという光景は
ルカの福音書を見ていたらよくわかります
イエス様と出会った人は祝福されるんです
病が癒されお腹が満たされ
いろんな人たちがイエス様と出会って祝福されていく
クリスマスというのは旧約聖書の創世記から始まり
旧約聖書の歴史を貫きつながっています
ただ難しいことはさておいて覚えておきたいことは一つ
神はそのようにしてまで
弟子たちを通した祝福の伝播
この世界を祝福するという約束を忘れてはいないということです
神は忘れない神である
神様の目的は
神様の目的は変わりません
そしてその目的は
人間が忘れてしまっても
いや何人の人間が過ぎ去ってしまったとしても
神はその目的を忘れない
そしてこの世界を祝福される
それはこの世界を構成する私たち一人一人を
私たち一人一人を祝福を願って
祝福をして
今私たちのうちにともにいてくださる
神は憐れみ深いということ
この言葉がこのマリアの参加の中に2回出てきます
50節にも
主の憐れみは世々にわたって
死を恐れる者に及びます
そして55節にも
アブラハムとその子孫に対する憐れみをいつまでも忘れずに
憐れみという言葉は
聖書の中ではとても大切な言葉です
それは神がご自身で立てた約束に忠実であり続けるという本来の意味です
神様は
人間が約束を保護にしたとしても
人間がどれほど神様から離れ
裏切ったとしても
神様はあなたに対する約束を忘れないし
違わないんです
実はそれが聖書の語る神です
私たちがどれほど神様を傷つけ
神様から離れたとしても
神があなたを忘れることはないし
神があなたを愛することをやめることなど
ありえない
それが憐れみ深い神という言葉の意味です
ですから私たちは
このような変わらない神様のもとにいるものであるということを
覚えたいと思います
ではもう一歩具体的に見ていきましょう
じゃあこの祝福とは一体何なのでしょうか
それはこのマリアの参加を見ていただいたら
わかりますけれども
マリアの参加は
私の魂は主をあがめることです
あがめから始まっていって
主がこんなことを私にしてくださったということが
50節ぐらいまで書いてあるわけですね
51節からは
じゃあその来られる巫女が一体何をなさるのかということが書いてある
51節から書いてあるのは
主はその身腕で力強い技を行い
心の思いの高ぶる者を追い散らされました
権力のある者を大いから引き下ろし
低い者を高く引き上げられました
飢えた者を良い者で満ちたらせ
富む者を何も持たせずに追い返されました
主は憐れみを忘れず
主の下辺イスラエルを助けてくださいました
読んでいただいて
なんとなくわかるかもしれませんが
ここで起きているのは何かといいますと
力強い者高い者が低くされ
低くされている者が
引き上げられるということが言われているわけです
要は上の者が下ろされ下の者が上げられるという
これはわかりやすい言葉で言うならば
貧富の差がなくなるということです
実に具体的な内容なんですこれは
これには驚かされます
神様はそんな社会的なことに関心があるのかと思わされます
でもイエス様ご自身のその後の動きを見ていただいて
よくわかりますが
イエス様がそうでした
悪霊から人々を解放し
罪の許しという霊的内面的な必要を満たされました
でも同時に実はお腹が減っている人たちに
単で満たしたんですよね
病を抱えた人も
要は世間からもう排除されている人を
病を癒して世間に返してあげたわけです
そして貧しい人たちから
搾取をしていた当時
いた悪同意宗教指導者たちがいましたけれども
その人たちに対してイエス様ははっきりと批判をしました
あなたたちは何か儀式を守るよりも
憐れみを施すべきじゃないかと怒りました
そしてイエス様は主税人ザーカイの家に行きましたね
人々は言いました
お金持ちが救われるにはなんて難しいんでしょうか
でもイエス様がザーカイの家に行ったら
ザーカイは救われて
自分の富を分かち合いました
貧富の壁というのは容易に超えられるものではありません
けれどもイエス様は言われました
人にはできないが神にはできると
ルカの福音書で語りました
実はこれが神様の願う平和なんですね
神様の前には存在
それぞれの存在は等しく大切です
誰かが軽んじられて当然の世界というものを
神様は
デザインなさいませんでした
そんな世界を神様は願っておられない
そしてその神様の御心に生きるイエス様は
痛むこの世界の中に
果敢に関わっていかれました
その結果と言ってよいでしょう
イエス様はエルサレムに向かい
そして人々から十字架につけられてしまいます
しかし
三日目に蘇られ
復活されたイエス様が弟子たちと出会い
今度は聖霊様を注がれた
まさに弟子たちを通して
この世界に平和の祝福をもたらそうとされます
弟子たちの最初の姿をご存知でしょう
彼らは自分の富を分配し
貧しい者と分かち合って生きるようになったと
聖書は書いています
人にはできないが神にはできる
そう言って教会は
この世界ではできないことをやり始めた
聖書は語ります
私たちの教会の始まりはここです
教会というのはそのように始まっています
話を戻しますが
アブラハムとその子孫に対する哀れみを
いつまでも忘れずにと
この聖書の言葉
マリアの参加を歌います
平和を築く業
神様の祝福の業は
目の前の痛む世界への関わり
今も続いています
貧富のある世界は
今私たちの目の前に広がっています
別に貧富のある世界は
貧富と言わずとも
痛む人たちというのは
私たちの目の前にたくさんいるんじゃないでしょうか
もしかしたらそれは
私自身が痛んでいるということかもしれません
昔はよくキリスト教会の中で
福音派やれ福音派やれ社会派だのの
住み分けがなされました
社会的なことに関わっていくのは
社会派のクリスチャンだよねと
いやそんなことじゃなくて
霊的なことだけをやっぱり大事にしていきましょう
福音派だよねと
このように関わっていくのは
関わるのは教会のすべきことではないと
言われた時代もありました
けれども思うのですが
そんな難しいことを考えなくていいんだと思います
私たちは目の前の痛む世界に
関わっていけばいいのです
なぜならイエス様がそうなさったからです
そこに別に壁など
私たちが作る必要はないのだと思います
神様が今なおこの世界の祝福と平和を願われている
それだけで私たちが動く理由は
十分なのではないでしょうか
神の福音とは何か
神様の良き知らせとは何か
それは神様は今なおこの世界を忘れずに
祝福をされるために働き続けているということです
神は今なお働いておられる
ですから今朝のこの箇所から
私たちは二つのことを覚えたいと思います
一つは私たちが知るべきことは
どんなに今が思わしくなかったとしても
時にそれは神様が私を忘れてしまったのではないかと
怪しむ時であっても
神は私たちのことを忘れておられない
神は私たちのことを覚えている
いや神は私たちのすべてを知っている
知ってくださっているということです
私たちが神を忘れようとも
神は私たちを忘れない
そしてこういう言い方を
どこまで受け止めていただけるかどうか分かりませんが
神は私たちの祝福だけを願っておられる
クリスマスの物語というのは
この世界の祝福を願いつつも
ある種旧約聖書を見ていたらよく分かりますが
人の罪ゆえに何度もその道がとんざするんです
何度もとんざする
しかし何度とんざしたとしても
神様がそれでもこの世界の
そしてこの世界を構成し生きている
私たち一人一人の祝福を諦めきることができずに
最後にはご自身の御子まで使わせてしまったという物語です
そのことが武道園の例え話で出てきますよね
最後は愛する一人子を送って
一人子だったら可愛がってくれるだろう
しかしその一人子すら命を奪ってしまったという話が
武道園の例え話としてあります
しかし神様というお方は
御子イエスキリストをこの世界に与えてまでも
私たちを祝福したいと願われる神様なんです
私たちを祝福したい
今の闇がどこにつながるか
私たちには分かりません
ただ私たちの希望というのは
今が闇でして
全く先が見えなかったとしたとしても
一つ目は
一つ目は
一つの事実は変わらないということです
神がこういう暗闇の中で身動きの取れない
私に対して神の眼差しは変わらないということ
神は私をそれでも愛してくれているのだという事実
言葉にすれば
牧師ってちょっとそういう話をしすぎるので
聞きすぎて平坦になっちゃうんです
でもクリスチャンの信仰の大事なことは
この言葉にいつまで驚き続けられるかということです
神が私を愛している
ただ事じゃないんです
いつまでそれに私たちは驚き続けられているか
私たちの希望もそこにしかないのです
この暗闇の中で
人間の目には次の一歩がどうなるかなんか分からない
分からないのだけれども
神がそれでも私を愛してくれているという事実があるならば
この先はきっと今の暗闇よりも
一歩明るいところにつながっているはずなんだ
実はそれが私たちが持てる
希望の根拠です
そしてもう一つ覚えたいことは
私たちはこのような主の憐れみを知って献身をいたします
今なおこの世界の祝福を願われる神様は
主の業のために
ご自身により頼むものに力を表してくださいます
思わされるのは私たちは
じゃあどこの痛みへと招かれているかということです
私たちの周りにある破れ口は一体どこでしょうかということです
私たちは破れ口に関わっていくときに
実は一番神様の力というものを体験するんですね
ここにこんなことを主はなされるのかということを
破れ口に関わっていくときに体験をする
それは主がこの世界への平和を願っておられるからですね
そこに働いておられるからです
この世界は新天新地へと向かっていきます
先週見ましたけれども
天も地も地の下も
全ての民が神を礼拝をします
その青蛇神に向かって
神様は今も変わらずに働き続けられている
アブラハムとその子孫に対する憐れみを
いつまでも忘れずにと
アドベントの季節に私たちが覚えたいことは
私たちは神に忘れられていない
私たちは神に知られているということ
そして忘れられているあの人にも
神様はあなたのことも忘れていないんだよということを
お伝えする
私もあなたも神に忘れられていない
そう伝え合える季節のことなのだと思います
そのような温かさ
その言葉に温かさを感じられるでしょうか
神の憐れみと私たちへの希望
そう思っていただけたら幸いだなと思います
アブラハムとその子孫に対する憐れみを
いつまでも忘れずに
それは私たちに対する憐れみを
いつまでも忘れておられない神
いろいろなことを思うでしょうね
いろんな闇があるかもしれませんけれども
この言葉に私たちは一つかけながら
この暗闇の季節を歩き抜きたいと願っております
一言お祈りをしてメッセージを終わります
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