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おはようございます。
ユン先生が入院される前、多分6月の礼拝の説教をお願いするようになると思いますということで、この日を迎えました。
先生がこうして退院されていましたので、これだったら別に御用されなくても、する気がなくてもいいんじゃないかなという思いでおります。
しかし、先生も前回して、そして帰ってこられたわけではないので、私のできる中での責任を御恩じゃ果たしてもらいましょうということで、
安心しながら、しかし同時に久しぶりの御用ですから大変緊張しながらお言葉の備えをしてまいりました。
一言お祈りいたします。
恵み深い主よ、こうして6月を迎えての最初の成立の朝、今お一人二人とともに、今回久しぶりに街道に集まってあなたを礼拝する機会をお与えいただきましたことを感謝します。
また、そこにはユン先生も一時の退院ということで私たちと共に見舞いにありますが、全てを見備わされる主が一人一人の上に恵みとまたは癒しと励ましの礼をお与えください。
主の皆によって祈ります。
アーメン。
今朝は改めてこの使徒の働きの2章をご一緒にお披露出しました。
先月の23日がペンテコスで礼拝という、普通はそういう形で行われるのですが、今回はオンラインとかいろいろなことで事業もあって、そして一緒に集ってペンテコスの礼拝を迎えることができませんでしたので、
今朝はそうしたことも含めて、このペンテコスでの時に特に読まれるこの人の働きの2章から与えられた時間の中においての務めを果たしたいと願っております。
私は大変個人的なことを申し上げますと、高校生の時にクリスチャンになりまして、それでこのペンテコスが大変印象深く残っております。
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それは大変この時にせれを受けてどうのというのではなくて、ちょうどその時は高校3年生だったと思うのですが、私の田舎には那須山脈という御用というのがありますが、その山がいつも西に見えるわけです。
そこを見ては天気が良い、あるいは天気が崩れていくとかいうようなことでした。
日曜日の前の土曜日だったと思うのですが、山岳部の部室の前を通りましたら、今回こうして那須を縦断する、右から左か知りませんけれども、とにかくするんだということを聞いて、そして日曜日に向かいました。
そうしたら、いつもはすっきりとこの那須山脈が見えるのですが、全く雲の中に入り込んで、何一つ見えない、そういうことでした。
私はペントコステの朝ですから、礼拝もちろん行っていましたけれども、月曜日に来ましたら、学校が慌ただしい。
そしてわかったことは、その山岳部の何人かが、その雲に囲まれて、そこで騒乱した。
私の友人も何人かそこに山岳部のメンバーとしていましたが、それこそ幼稚園のころから親しくしていました。
そういうのも含めて、何人かがその騒乱の山でもって亡くなったのです。
私も当然学校は休みになりますので、臨時休校になりますので、親戚のスクーターでやってきました。
渡る前に一緒に行けと乗せてもらって、那須を降りますと、昔からの東寺温泉がありました。
そこへ行きましたら、そういう遺体が間もなく運ばれてくるのだと。
私にとっては、数少ないペントコステの礼拝ということで日曜日を過ごして、教えられて深く心の中に留まっていたのですが、
それがどこかへ行ってしまったくらいの大きなショックを受けた。
それが私のペントコステ礼拝に関する大変青春的なことではなくて、思いもしない事柄でもって、
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これからどうなんだろうかという、そんな思いでその日を過ごしたことを、あれから何十年ですかね。
それこそ、高校2年生か3年生の時ですから、3年生ですか、随分と時間が経ちましたけれども、
未だにそのショックは忘れられないですね。
そして後に、エールというNHKのアサドラの主人公でありました小関雄二という方が、
同じ県人ということで、そして作詞作曲された記念碑が今、母校にはありますが、
多分あったと思うんですが、そういう関連しての事柄があります。
私にとっては、この日曜日においてのペントコステの出来事というのは、
弟子たちにとってもそうですし、当時の一般社会にとっても、かなり大きな出来事として受け止められたようです。
今日私たちは、この日を記念して、やる教会誕生の日、やる聖霊降臨、
聖霊が下って、教会が生まれたということで、この日を中心に礼拝においても、
あるいはそれぞれのディボーションにおいても、この前後のことを読み、また目想するという習慣があります。
私が改めて思いましたのは、教会歴で言いますと、聖霊降臨第二聖日ということになりますかね、今日は。
そして聖霊降臨第三、第四、第五といって、この教会の暦はずっと進んでいくわけですが、
改めて思ったことは、聖霊が当時は教会といってもそういうものではありませんでした。
残された120名ばかりの人たちが集まって、そしてその日も、彼らは忍耐深く主のお出を待つ、
そういう思いでおって集まっておりましたところに、聖霊が下った。
これが人の働きの全般に書いてある出来事ですよ。
それでも弟子たちは、なかなかそれがそのまま受け止めることができないような、そういう状況にあったようです。
しかし、この二章において、聖霊の鮮やかな働きを彼らは経験したときに、そこから本当に彼らは大きく変わっていったわけですね。
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人が変わるというのは、自分で変わりますと言って変えられるわけではないし、
何とか努力して変えていこうと思っても、なかなか私たちは変われない。
しかし、この一章において、聖霊が下った。
そして、それまでおびえておりました弟子たちが大きく姿が変わりました。
何がどうなったのだろうか。
そういう驚きは、この二章の十一節、十二節を見ますと、
人々は皆驚きとおわくして、一体これはどうしたことかと言って、
これは教会に来ている、そういう関係の人々ではない、一般の世の中の人たちが、
当時の弟子たちのあまりの変化に驚いたという様子が、ここに暗示されているわけです。
一体これはどうしたことか。
私は一つのテーマがあるなと思うのです。
本当に自分が変えられたいと思って、そして一生懸命努力もする。
また、そのために聖霊を求めていくという。
これも伝えきれた話ですけれども、パゼット・ウィリックスという先生、
バクソン先生等、この日本電脳のために大きな働きを残された方です。
主に新学校と、それから港の電動館において、先生の巧みな日本語でもって、
大勢の日本人がそこで救われていった。
ある時、先生のところに一人の献身者がやってきて、
先生、私は聖霊をいただいて変わりましたと言ってやってきた。
羨ましい話ですよ。
それだけ自信を持ってやってきたんです。
そしたらウィリック先生は、静かに変わりましたというのは、あなたが言う言葉ではなく、
周囲の人々がそういう評価をするということが大切だということで、
その後その方は処分もなく帰っていかれたという、そんなエピソードを聞いたことがありますよ。
私たちは何か一つの感情的な、あるいはそういうことが起きてくると、
その中で自分といないと不信心に生まれるんじゃないかと、それでやるわけですよ。
異元派の教会に行った、私の平方時代の話ですが、
そこでは非常にこの聖霊を受けるということを進めている教会で異元を語る。
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ですからそれを求めたんですね。
私は異元に対してもう一つ自信がありませんし、どういうものかなと思いながら、そういう状況にありました。
しかし彼らは帰ってきて言うのには、聖霊を受ける、そして異元語を語るということのためにはこうしなさいと言って。
ハレリヤだったら何かそういう言葉をザーッと言うんですって。
そのうち舌が何かこうおかしくなってきて、それでその後ロレスが回らなくなった。
これが聖霊かなと思ったというか、そんな聖霊じゃないよと言って、その人たちに何か言ったものですからね、聖霊を受けると言って。
そういう話をしたことを未だに思います。
何かそういう感情的な、あるいはそういう示し的な、そういうことをどうしても求めてしまう。
ところがこの場面においてのそれは違いますよね。
彼らが聖霊に至されて、そして彼らがそこで持ってみせたことは、一体これはどういうことなのかという周囲の人々の驚き、それぐらいの驚きを周囲の人々に与えた。
自分たちがこうだと言うのではなくして、周囲がそういう驚きを発して、当時の教会に向けたというですね。
私は、聖霊はそういう形で申し上げたような一つの印でもって、私たちの信頼する場合もありますし、
個人の経験から言うと、ある孔明な先生は歩いていた時に、上から岩が落ちてきたような、そういう大きなショックを受けた。
そういう孔明な、そういう人がそういうことを明かししますと、私にもその岩が落ちてこないかなと言って、それを求めてしまうところが人間にはあるんです。
バクストン先生のそのお明かしについて、これは三浦先生がね、どうしてバクストン先生はご自分のその聖霊経験を、明かしをなさらないんだろうか。
あれほどの器なんだから、そこには大きな恵みを軽減されたに違いない。
けれども先生は、私はいつもメッセージで持って明かししておりますというぐらいの返事しか戻ってこないので、どうしたんだろうかなとそう思っておったときに、本当に思った。
あれほどの先生がね、器がこういう経験をしたとなると、おそらく我々も我々もということで、そういう経験を求めてしまう。
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印を求めてしまう。経験を優先して、そちらの経験というものを大切にして、私もバクストン先生にならいたい、私もバクストン先生、バクストン先生が受けたら、そういうのを私も受けました。
という、そこにはイエス様の御心とはかけ離れた聖書理解がそこに来てしまうし、私たちはそういう人の経験や、それを重んじるばかりに、大切ですけれども、そういう傾向に流れやすいのが私たちだから。
だからバクストン先生はね、そういう個人的な経験をお話しなさらなかったんじゃないかな。
けど私はバクストン先生のある記録の中に、英国のケジックでもってね、やはりそういう証をしているんですよ。
そして私の証言にとって、それは改めて神様に明け渡しをし、献身するという、そういうチャレンジを受けて、私はそこからもう一度死の前に立ちましたという、意味ないのに近い御自身の日記の一文ですけれども、そこに書いてあった。
こういうことが先生も、そしてまたそういう経験をそこに捨てためられたんだな、けども、それを先生は公にすることは一回もなかったみたいです。
ですから私は貴重な記録を見つけたんだなと思ってですね、それを撮ってありますけれども、その先生の目向きの日記の一文を。
人はそれぞれにおいて、生命がその日を望んだときに、その恵みを経験するものです。
ペンテコステというこの日は、それを全ての人に向けられた神様の約束であり、そして私たちがこれによって、本当にこのクリシアンとしての喜びの中に、力あるクリシアンとしての愛の中に、
その日をその時をお与えくださっている。
だから教会歴で、今度の第三聖事実はペンテコステです。
皆さんペンテコステの例外をしましょう、そして私たちはそういう恵みを求めましょうという。
これも考えますとですね、生命はその日しか来ないわけではないです。
聖書はこの日を期して、私たち全ての者に望まれたというのが、これが新約聖書時代です。
そして聖霊は、お自分の思うままに教会をそこにお立てになり、またその働きは、困難の中にも広くそれがいろんな方法で世界に伝えられていくという。
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これはイエス様は3年の働きでしたけれども、聖霊はそのイエス様の後を受けるようにして、
教会にそれが下り、全ての人にそれが望んで、そして今に至っている。
私たちは幸いで、今日もペンテコステの経験をさせていただくし、今日も私たちは与えられた信仰においてこの恵みというものを本当に受け止めていく。
その時にね、聖霊が一体あの人はどうしたんだろうか。
聖霊がこれをただでは置かない。
そういうことですよ、今この歌詞を読んでまいりますとね。
ただじゃ、え、どうしたことだって言って驚いただけではなくて、彼らはさらに進んでいきますとね、
この2章の、今読んできましたけれども、2章の37節。
人々はこれを聞いて心を支え、ペトロと他の人たちに兄弟たち、私たちはどうしたらよいでしょうか。
彼らはこの人たちの様子を見て、そして彼らが聖霊を受け、聖霊に満たされて、あのように神の言葉を語っているというところから、
一体それじゃ私たちはどうしたらいいだろうかという、今までに経験しないようなそういう渇きを持ってですね、
彼らは弟子たちの前に正直にですね、出たわけですよね。
最初は興味半分で、彼ら何やってんだ、一体どういうことだ、ということが、
やがては自分の中に新たな霊的な渇きを覚えさせて、一体それじゃ私たちはどうしたらいいんだろうか、とペトロたちの前に出ている。
ユン先生の1月の第2日曜日だったでしょうか、神の命と息吹ですかね、
神様は人を作り、そしてそこに息を吹き込んだという、そこからメッセージされておりますけれども。
私は本当に、聖霊が私たちのうちに臨んだときに、一つにはこういう影響って言うんでしょうか、一体どういうことなの、
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そしてこっちに今度は、一体私たちはどうしたらいいのかという、そういう影響、感覚というものはね、
小さな120人ばかりの群れがですね、彼らがそのように聖霊に満たされて、
そして彼らが変わって草間を見たときに、人々はそれに影響を受けたわけですよ、感化されたわけですよ。
そのように聖霊はね、自分を捉えるだけじゃなくて、周囲の人々にも、
じゃあ私もというような、そういう恵みを求める渇きというものを、そこで本当に生じていく。
昭和38年というと、もうこういう50年60年たちましと、私にとっては昔の話ではないんですけどね、
昔話みたいなことですが、昭和38年、ちょうど私は新潟の青い最新教会というところに赴任しておりました。
当時三八豪雪というのがありましてね、2メートルぐらい積もったんですよ。
日曜日の朝はみんな近所が出て、つる足とかシャベルでもって除雪をしないと、車が入ってこらない。
普通の車はいいんですけどもね、トイレの汲み出す、それが入ってこないと本当に困る。
ですから、ちょっとお昼前の話にしてはなんですけども、
今日は教会のトイレはダメです。使いません。
したい人は、幸い直江津駅が近かったですから、駅で済ませてきてください。
そういうことを修法に書くぐらい、もう本当に雪で積もっちゃった。
記録に私は玄関に立っているのを教会の人が取ってくれたんです。
道路に出るのに階段をちょっと作りまして、3段ぐらい。
そして上から取ってくれたんです。
2メートルの雪を除雪するということは大変なことで、日曜日は重労働をまずせなくちゃいけない。
みんな自分の道だけじゃなくて、一斉に出て、そして除雪をしなくちゃいけないわけですから、
それぐらい、その2メートルの雪が積もったんですね。
私は同じ東北の人間でも、そんな経験はありませんので、
これ、いつになったら溶けるんだろうかなと、ないし思いましたよ。
それがね、3月に入って、そして南風がちょっと入るようになりますとね、
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今までのその積雪量が一晩のうちにグーッと減るんですよ。
そしてその頃になりますと雪もあまり降りませんから、だんだん溶けていくわけですけれども、
その溶け方が、もう人間の除雪なんて大したことじゃないんだなと思いましたけれども、
それが風が吹いてきて、そして同時にそれがやがて大地を温めるんでしょうね。
あれはもう、3月のやるお日元の頃には、ほぼ太陽が照らないようなところは残りますけれども、
本当に目に見えて雪が減ってくる。
そしてその時の一つの感動を今も覚えておりますが、
教会のちょっと裏に小さな土の地面がありましてね、そこに新しい目がポッと出ているんですよ。
私はそれを見つけた時に、なんなんだろうかなと思いました。
どうしてあんな冬の寒いところを過ごしたんだろうかな、過ごしたんだろうかなと思いながら、
けれどもその目が、やがて私たちに春の訪れを伝え、そしてやがてそれと一緒に、
だんだんとこの土地が緑に変わっていくわけですよ。
そういう大変、今から60年ちょっと前ですけれども、そういう経験は今もそれも一つの忘れられない出来事としてあります。
私はここに2章の2節を見ますと、
すると天から突然激しい風が吹いてきたような響きが起こり、
彼らが座っていた家全体に響き渡った。
ここに風が吹いてきた。
先ほど申し上げたように、ゆん先生が創石の2章の人が作られた時に、神様が息を吹き込んだ。
同じ言葉。
この風っていう、この風に象徴される精霊が、
当時の死んだような、この120名ばかりの、もうこれからどうなってもいいような、
本当に何の影響力も与えないような、この小さな小さな群れに、そこに精霊が臨んだ。
そこから変わっていった。
その人たちだけじゃない。
繰り返し申し上げてきておりますように、
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120名の人々の、このクリスチャンの中に芽生えた精霊の働きは、
驚くべきことをもってそこに展開しました。
千の単位でもってですね、ペテロの証、メッセージを聞いた人々が、
じゃあ私たちはどうしたらいいか。
それぞれ、その御言葉によって光が届いた彼らは、
私も、私も、じゃあこれからどうしようっていう、そういう思いから、
彼らが教えられるままに、本当に死の前に悔やるために、
そうして弟子たちの前に出ていって、そして洗礼を受けたっていう、
もうこの記録がそこに記されております。
私は最近、YouTubeでビリグラム先生の集会を見るようにしているんですけれども、
昨日もですね、見ておりました。
それはシカゴにおいての、1971年の時のシカゴクルセルです。
やはりその場面でもってね、感動するのは、ビリグラム先生が招きをすると、
もうその城内から、この山外から、なんかそういうところからも、
ぞろぞろ、ぞろぞろ降りてきて、そうして死の前に出て、
そしてそこでもって、カンシラの人たちに、アシアの人たちに導かれて、
そしてクリスチャンになっていく、そういうこの様があるんですね。
私も今では亡くなりましたけれども、森の宮の日清球場の時に、初めてそういう光景を見ました。
そして、この2010年には、10年、11年、10年ですか、
その御子族のフランクリン・グランム先生を迎えて、
そして、あの一万人からのホールがいっぱいになった、
そこでもってですね、大勢の人々が、このイエス様を信じるべく出てきた。
ユン先生とはね、その前の年か、その前か、
あの、釜山のあれは酒場ですかね、大きなところでね、花火まで上がって、
日本でできないなと思いながら、残っておりますけれども、
しかし、最後の場面において、大勢の人々がイエス様を信じるべく、
前に出てくるこの光景というのは、実際に目撃した時、
また、テレビの映像でありますけれども、しかし、
何かそこでですね、熱いものを感じながら、その場面を思い出しますが、
おそらく、ペトロのメッセージを聞いた人々が、
もう数千人がですね、そこに集まってきて、一体どうしよう。
そして、教えられるままに彼らは食い改めて、
そして洗礼を受けたということが、その後に続くわけですよ。
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洗礼の働きは、人々に素晴らしい霊的な感覚、影響を与えながら、
同時に、それだけではない、洗礼による神の言葉がそこに集まった時に、
それを聞いた人々に、今申し上げたような変化が始まっていくわけですね。
私たちも皆、そういう経験を、それぞれの中においていただいているわけですよ。
イエス様を信じます。一体これがどうなるのかわからないけれども、
とにかく、今信じます、と言って。
私も、前にも言った証にならないのですけれどもね、
ついでに聞いた一つの質問は、選挙主義に、
辞めるときはいつでも辞められますかね、と言って。
辞めることをまず前提において、そして、
それじゃというような、申し訳ないような駆け引きみたいなことをやって、
そうしてバフテストを受けたような人間なんですよ。
ですから3年もったらいいか、と。
そんな感じの、その当時の決心なんです。
今までこうして信仰を持ってこれたということは、
これは私が信じたからではなくてね、
本当に見えざる精霊の働きがこんな私にまでも及んで、
そして1年、2年、3年、それから10年、また牧師になって、
そして今日までのその働きを辞めることなく、
あるいは辞めさせられることなく、今日までこれた。
自分の決心がそれを生まれさせたのではなく、
精霊がそれぞれのうちに働いたときに、そのような身を結ばせ、
そしてそれを私たちのうちに、いつまでも残る身として、精霊の身として、
私たちは今日の信仰をいただいているわけですよ。
ペンテコシテは、そういう恵みを私たちに与えました。
そしてそこから生まれたのは何ですか。
教会ですよ。
教会が生まれた。
これがこの2章の終わりの方に行ってみますと、
そこに集まってきた人々。
御殉節の日というのは、当時の世界中からイザヤ人たちは、
三大末の一つであります、このために集まってくるわけですよ。
だから、この2章のこの歌詞を見ますと、
あの人たちは一体何を喋っているんだという、
そういうことがそこに記されておりますよ。
私たち、パルテア人、メディア人、エラム人、メソポタミア人、
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いろいろ書いてあります。
それほどイダヤ人は追われて、そして世界中に散った。
けれども、この三大祭りの一つである御殉節のその日には、
次越しの祭りと同じように、あるいはカリオの祭りと同じように、
自分たちが今日救われてこうしてあるということを神様に感謝すべく、
みんな集まってくる。
イザヤ人はみんな集まってくる。
ですからね、生活の基盤はそれぞれの国にあるわけです。
そして、はるばりやってきた。
エルサレムに彼らは来ても、
まあ終わったからじゃあ帰りましょうと言ってですね、
帰って行く人ももちろんおるんですよ。
けれども彼らの中にはね、こんなの、
イエス様を信じる、こういう恵みを経験した私たちは、
もうこの町の中にいつまでも続けておりたい。
それはわかりますよね。
イエス社の町やりの中に加えられるとね、
本当にそれが私たちにとっては最も居心地の良い、
そういう町やりでありますから。
ですから、もういい、メソポタニまで帰らなくてもいい。
私はもうここに残りますって。
じゃあ何を食べてこれから経済的な、あるいは住まいをどこに構えてっていう。
そういうことは何にもここには書いてないですよ。
けれどもそういう人々を、当時の120人ばかりの人々が、
みんなフォローアップしたわけですよ。
撤退したわけですよね。
だからある人は持ち物を全部売って、そしてやってきた。
ある人はお金を持ってやってきた。
ある人は住まいを提供したかわかりません。
ある人は直に食べ物を持って、そして狩り歩くのやってきた。
これは2章の終わりに書いてあるこの様子です。
信者となった人々はみんな一つになって、一切のものを共有し、
財産や所有物を売っては、それぞれの必要に応じてみんなに分配したって書いてある。
そしてそれは毎日ですよ。
心を一つにして、そしてこの大きな大きな事柄がなされたんですね。
120名の人数と、そこに加えられた何千人かの人たちと、
まあその時だけでもほとんど終わっちゃうぐらいです。
いや足りないぐらい。
けれども神様はここでもイエス様がなさった、
あの2匹の子と5つのパンの奇跡を行ったんですよ。
彼らは当然、自分たちの働きではこれしかない。
けれどもこれしかないっていう、それを神様は持ちなさって、
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そしてここに教会というものが誕生した。
そしてそれを見ておりました人々、この47節。
彼らのそういう様を見て、他に全体から好意を持たれていた。
これも彼らが精霊に満たされた一つの実として、
そういう感化をここにおいても与えていますよ。
最初だけではない。
その働きはなお継続して、そしてさらにこの3,000人以外の人々にまでも及んでいって、
そうして人々は教会に加えられていった。
この後もそれが続いてきます。
その後、問題も生じますよ。
問題も生じますけれども、しかしそういう問題も問題として、
精霊はこれを本当にカバーして、
そのこともこれからの教会の働き、全身のために持ちなさる一つの手段として、
その問題を問題として終わらせたんじゃなくて、
それを一つのエネルギーみたいにして、
教会は強められていった。
問題が起きるほど教会は強められていった。
私たちの教会はみんなそうなんです。
今コロナという思いもしないような事柄でもって、
オンラインの礼拝が中止になってしまって、
みんな一緒に集まって、そしてこういう首都教の終わりに書いてあるような、
みんなでこうして分かち合い、食事をし、
そしてということはソーシャルディスタンスの上で言って、
これ以上近づかないでください。
しゃべるときはこれをちゃんとつけてください。
食べたらちゃんとつけてください。
そういう不自由な、早く私もあさって2回目のコロナを受けますから、
ワクチンを受けますから、
そしてこれを外して皆さんと一緒にできるのかなと思ったりもするんですけれども、
そこにいたのにはまだちょっと時間がかかりますけどね。
本当にこういうところからも開放されたらね、
どんなに教会の交わりがさらに大きな働きとして身を結んでいくとか、
神様の新たなプログラムをここから見せてくださるということを、
私はそれを精霊によって、このペンテクスティを通して私たちに示そうとしている、
そういうことではないだろうか。
私に合わせて、今、今朝こうしてユン先生も一緒ですけれども、
神様がね、同じ1人の辞める者の中に、ペンテクステの働きは、
そこにどういう形でもってその働きを進めなさるか、
信仰的な、内的なそれだけではない、
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辞める者の中にも、この御霊の身は新たな働きをそこに始めなさる。
信じていきたいと思います。
では、お祈りいたしましょう。
めぐみ回収。