1. 名谷教会
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2018-11-25 52:20

2018/11/25:なぜイエスなのか? 私たちのいのちであるイエス・キリスト

2018/11/25 ウェルカム礼拝
尹善鎬牧師
ヨハネの福音書 14:6
00:01
みなさんおはようございます。私は、この教会の僕としておりますユンと申します。
今日のこの名谷教会のウェルカム礼拝にみなさんようこそいらっしゃいました。
11日、それから先週の18日、今日で3回目で終わりですけれども、
やっぱり最後の今日は、多くの方々がお見えになって本当にうれしく思います。
今日はですね、タイトルは、なぜイエスなのか? そして、私たちのいのちであるイエス・キリスト、イエス様のお話をしたいと思いますけれども、
今日はその中で、昔のボイスの音楽家だったヘンデルというね、みなさん学校で、中学あるいは高校でですね、耳に聞かれたことがあるかもしれませんが、
そのヘンデルという作曲家として、彼の音楽、あるいはその人生に現れるイエス・キリストのお話を、また音楽をみなさん感謝していただきながらお話をさせていきたいと思います。
そしたらですね、たぶんさせることはちょっと難しいと思いますので、それぞれ右、左テーブルの方々に挨拶をしましょうか、みなさん。
挨拶しましょう。
ウェルカムしましょう、みなさん。
ウェルカムしましょう。
ありがとうございます。
ちょっと前に向きにくい方々もおられるかもしれませんが、背中を見せていただいても構いませんけれども、耳だけは貸して付けたらと思いますので、
あるいはちょっと前の方に尺もお見せしたいと思いますので、できたら前の方に向いていただいて、あるいは聞いていったらと思います。
さあ、今日もですね、選手みたいにクイズで始めていきたいと思います。
学校の時のことをみなさん、ちょっと昔かもしれませんけど、思い出してみてください。
音楽の父と呼ばれる人は誰でしょうか。
青春おいでになった方はお別れになると思います。
一週間で忘れられたんですかね。
バハですね。
さあ、二番目。
音楽の母と言われる音楽家は誰でしょうか。
ヘンデルですね。
03:00
それで今日その人の話をしたいと思います。
ちょっとさせてみせましょうか。
この人がですね、ヘンデルというドイツの作曲家、あるいはオルガニストですけれども、フルネームはゲオルク・フリドリヒ・ヘンデルと言いますね。
このゲオルクがイギリスにいたら定義になりますね。
バロク音楽の作曲家であって、音楽の母とも呼ばれます。
彼はドイツですから、ルターノ、キリスト教の教皇を持っていましたけれども、いろんなことがありました。
次の写真。
私いたことありませんが、私の友人がスコトランで勉強していて、ヨーロッパ全域に行ってですね、
彼が取ってくれたヘンデルの生まれた家が、今はヘンデルの音楽ミュージアムみたいになっているらしいです。
ドイツのハレというところにありますけれども、いつか機会があったらドイツに行ってみたいなと思いますね。
昔、フランクフルトで3時間あった空港の中で泊まったことがありますけどね。
行ってみたいなというふうに思います。
さあ、ここまで知っていただいて。
ヘンデルは家は貧しかったそうなんです。
でも彼は小さい時から音楽が大好きだったんですね。
でも彼の親は音楽家になるよりは公務員になって安定な生活をしてほしいと音楽家になることを反対されたそうです。
ところが、あのヘンデルさんは小さい時から天才的な音楽の才能があったんですね。
そして何より、今日主な彼の人生ストーリーになるかと思いますけれども、
若い時からいわゆる成功力がとても強かった。
それで好きな音楽をやって、必ず成功したい。大金持ちになりたい。
もうヨーロッパで超有名人になりたいと、そういうふうに若い時から思って。
若い時の彼の頭の中にはお金、大にまねだったそうです。
そしてたくさんのお金を設けて、自分のオペラの劇場も持って、富も名誉も成功もつかもうと思ったんですね。
そして彼がこの時代に、若い時に作曲した三拍子の曲があります。
06:04
今日一番目の曲ですけれども、サラバンドに誕生。三拍子による壮重な曲ですけれども、聞いてみてください。
どうですか皆さん。ところがですね、面白いというか、
彼より60年前の作曲家、ダングルベルという人がいたんですね。
その人がサラバンドを作曲したんです。
サラバンドというのは曲名ではなく、音楽のジャンルですね。
ワルツ、メニュエットみたいなジャンルですけれども、この人がダングルベルという人で、この人もサラバンドを作曲しました。
昔のピアノは今のようなピアノではなくて、拍子コードといって電子音みたいな音をするピアノですけれども、
このピアノで演奏された、このダングルベルのサラバンドを聞いてみてください。
皆さんいかがですか。よく似ているんじゃないですか。
09:01
実はヘンデルがもう成功したくて、成功したくて、このダングルベルさんの曲を丸々カピしたわけなんです。
いわゆる剽説してしまった。パクってしまったわけです。
もう彼は何とかして、人の曲を丸々カピしてでも成功したかった。
ところが評論家によると、ちょっと悪口言っているかもしれませんけれども、歴史上人の曲を最も多く剽説した作曲家は実はヘンデルだったそうなんです。
でも、昔は今から400年もその前ですから、今のような著作権法とかない時代で、原曲をカピしてもそれがまたよく聴かれて演奏されたらまあまあよかろう、そういうふうに黙認された時代だった。
先ほどのサラマンドのあの曲で、ヘンデルは一躍ドイツで有名な作曲家として認められて、ある程度成功を収めた。
そして当時のドイツは小さな王国がたくさんある連邦国みたいな国だったんですね。
その中で、ハノーファー王国の宮廷の楽壇町のポストにこのヘンデルが、さっきのサラマンドで有名になって死にしたんです。
彼の成功力はまるでブレークのない、暴走する車のみたいに走っていた。
みなさんどうでしょうか。ちょっと私たちの話を少ししたいと思います。
私たちの人間のこの欲というものは、正直にここまで考えると、きりがないんじゃないでしょうか。
例えば、ちょっとお金持ちになったら幸せになるだろうと思うんですよね。
一時期、感謝するでしょう、満足するでしょう。けれども、ついに自分よりもっとリッチな生活をしている人を見たら、
うらやましいな、あの車に僕も乗ってみたいな、あんないい家に住んでみたいな、かっこいいブランドのカバン欲しいな、あの靴が欲しいな、
そういうふうに思うんじゃないでしょうか。
例えば、今、悪く言っているわけではありませんが、経営自動車に乗っている人がいるとしましょう。
12:13
でも、お金さえたくさんあって何でも買えるお金さえあれば、もっとベンツみたいな煽りみたいな、もっと高い高級車に乗りたいのが、
私たちの実は本音じゃないでしょうか。
いや、私はそんなことは言いませんよと言う方も、正直にたくさんのお金を持っていたら、
車を買い替える、家を新築する、高級車に乗って世界を旅行したいと思うんじゃないでしょうか。
正直に私たちは、この世のもので満足しきれないものなんですよ、実は。
ヘンデルもそうでした。
あのハノーファ旧家学長についていてみたら、それだけでは満足しきれなかった。
そして、この小さな王国ドイツじゃなくて、もっと世の大きい豚に出てきたい。
有名人になりたい、金持ちになりたいと、もっともっと有名な音楽家になりたかった。
それで彼は、あのイギリスが目に入ってきた。
それでイギリスは当時、もう世界を支配しているような大帝国でしたから、
あのイギリスに行って、まるで日本の方、どこかの夜中の人が、あの東京に行って、
先週僕は東京に行って気がついたけれども、あの東京に行って高いリードを立てて成功したいと、
そういう人のような成功欲をヘンデルは持っていました。
ところが、あの時までヘンデルを支援してくれた、あのハノーファーの王国の王様が、
ゲオルクという王様なんです。その名前、ゲオルク。
あのね、ヘンデルと名字が一緒ですけれども、ゲオルク、英語で言ったらジョージという王様が、
もうバハをですね、もうお金かな、何もかも全部支援してくれて、ドイツで名声を得たわけです。
ところが、ヘンデルはずるかしこだった。
それで、あのゲオルク王様を裏切って、イギリスへ逃げてしまう。
自分の出世のためにイギリスに行ってですね、もうそこでですね、作曲をたくさんして、オペラを作ってですね。
ところが、ドイツの王様ゲオルクは裏切られたわけなんですよ。
15:03
ここまで信じてあげたのにとね、ものすごくですね、怒っていました。
それで、あのイギリスに行って、ヘンデルはこの曲を作りました。
リナルド・オペラ、私を泣かせてください。皆さん聴かれたら、たぶんハーッと思う曲を。
この曲で、ヘンデルはイギリスで大成功しました。
公式的にですね、イギリスで交通渋滞ができたのは、あのヘンデルのこの曲のオペラのためだというね、
イギリスの文化があるほどね、あの当時は馬車みたいなものでした。
ものすごい人があのロンドンに集まって、彼のこの曲を、そのオペラを見に来ていたそうです。
この曲で、ヘンデルはイギリスで大成功しました。
金持ちになりました。自分のオペラの劇場も出ました。たくさんの金が入ってきました。
街に出ると、もうね、今のアイドルみたいに、ああエテルさん、もうそれぐらいの超有名人になりました。
大きな贅沢も持ちました。
ところが、あのロンドンの時代のヘンデルを支援してくれたイギリスのアンジョーがいますけれども、
18:08
そのアンジョーが突然亡くなるんです。
それでイギリスは、その王位を継承するためにですね、息子がいたりするんですけれども、
残念ながら、あのアンジョーには子供がいなかったんです。
それで近い親戚じゅん、王位の継承者を探したわけです。
でも近いところにいなかった。
あの当時はですね、イギリス、フランス、ドイツはもう、なんというかね、
政略結婚みたいにですね、そういう王家同士結婚することがあった時代ですね。
ところが、あのアンジョーのちょっと遠い親戚の中で、
あのヘンデルが裏切って逃げてきたドイツのハノーヴァ王国に突入でいたソピ王女がいたんです。
そのソピ王女が生んだ王様が、あのゲオルクだったんです。
わかりますか?
それで、そのゲオルクがドイツのハノーヴァ王国からイギリスの王様に来てしまった。
わかりますか皆さん?
人生は間になんですよ。
自分がですね、成功したいとね、裏切って逃げてイギリスに成功したら、
この自分を支えてくれた人が亡くなってしまって、
あの裏切れて、あの人がこのイギリスの王様に来たんです。
ヘンデルは大ピンチになりました。
どうしようと。
皆さん、人に頼って、金に頼って、それは永遠に行くものじゃない。
ヘンデルはまさに安城が亡くなって、
そしてその王様にあの金が来ることは想像できなかったでしょう。
大ピンチでした。
でもヘンデルさんは、まだずる賢い、自分の知恵を駆使しました。
それは神様を信じなかったわけじゃないですよ。
信じてたけれども、神様はあの時までは神様って自分のお守りみたいな、
成功のために利用する神様でした。
それでヘンデルが、あのゲオルクは川遊びが好きだったらしい。
それでイギリスは有名なテインズ川があるんですよね。
そのテインズ川にゲオルクが就任して、間もなく川遊びに行くんですよ。
そしてですね、それを知っていたヘンデルは、
もう多くの人を集めて、いわゆる水上コンサートを開くわけです。
いわゆるゴマスリーの音楽だったわけです。
ゲオルクさん、昔悪かったけれど、また完璧して、許してもらえませんか。
一人で盛大な王様の資源をよくするための音楽を作る。
21:04
その音楽がこれです。
水上の音楽として、日本でもたまに水上地震みたいなところで流れる曲です。
聴いてみてください。
はい、どうぞお疲れ様でした。
結構楽しそうな音楽じゃないでしょうかね。
ある国では夏になった川のところで、
この音楽を奉納しながら花火を打ち上げたりするところもありますけれども、
この曲でゲオルク、彼がイギリスに来て、
ジョージ一世王になりますけれど、
機嫌が良くなって、ヘンデルを許してくれたんですね。
ところが、ああいう風に来てピンチをのまれたヘンデルは、
その後から彼の人生のもっと大きい危機、大ピンチがやってくるんです。
それは、当時イギリスでヘンデルは、
やっぱり音楽と言ったら歌詞とかは、
イタリア語が上品でハイレベルのということでしたから、
ヘンデルはああいうオペラを作っても、歌詞はイタリア語で作詞だったそうです。
ところがその内容は、イギリスの庶民、複数の人々にはわけわからない。
まるで今日、教会に初めて来られた方は、
賛美の歌手の名もこれは忍者語なのか、
いつの時代の言葉なのかさっぱりわからない。
祈られてもわからない。
そんなみたいにイギリスの人々はわからない。
難しかったんですね。
24:02
ところがあの時、イギリスにジョン・ゲイという作曲家が現れて、
彼はイギリス人のための、イギリス庶民のためにわかりやすい英語と内容、
オペラを作り出した。
それでものすごくヘンデルに聞きに行っていた人々が、
どんどんヘンデルじゃなくて、ジョン・ゲイさんのオペラに移ってしまった。
それはものすごいですね。いきなり全部行ってしまって、
ヘンデルは一瞬に倒産してしまった。
劇場運営ができなくなってしまった。
人気というものはまるでバーブルみたいなものですね。
一瞬に消えてしまう。
ヘンデルはもうトップから煩悩に陥ってしまいました。
誰も聞きに来てくれない。貧乏になってしまいました。
ヘンデルはもうパニック状態になった。
それで実際病気もかかってしまって、体に麻痺もきてしまって、
白服もとても悪くなって、かろうじて見えるくらいになってしまった。
誰もヘンデルの音楽を聞きに来れない。一晩で貧乏になってしまいました。
どうでしょうか、皆さん。
彼はとても頼りにしていた名誉や成功、お金、自分の才能、それを頼りにしていたわけですね。
ところが、人気というものは、成功というものは、健康というものは、一瞬にしてバーブルのみたいに消えてしまいそうなものなんだ。
前は、ヘンデルさん、あなたの音楽は素晴らしいですねとついていた人は、一瞬にしてですね、もういなくなってしまった。
さて皆さん、私たちはいかがでしょうか。
皆さんは、今、あるいは今まで、皆さんの自分のために、人生のために、何を、誰を、最も大事な頼りにして来られたんでしょうか。
健康でしょうか。家族でしょうか。お金でしょうか。職業でしょうか。あるいはこの日本という国なんでしょうか。
ヘンデルはとても不安でした。
一話によれば、ヘンデルはこの時期に、もううつ病みたいな状態になったそうです。しかし彼は、その時でした。
27:02
小さい時に、信じていた。
あのお父さんお母さんと一緒に賛美していた、あの神様、想像中の神様、実は自分は自分の成功のために、死をしてしまった、利をしてしまったあの神様。
ただ、自分のお守り的な存在に好きなかった、そういう風にしてしまった神様を、ヘンデルは今度こそ、真剣に命を懸けて求めるようになった。
いや、求めざるを得なかった。
そして、この時、ヘンデルは、お金も富も健康も名誉も成功も、本当に一瞬にして消えてしまうものにしぎないんだと。
なんて自分は愚かなものだったのか、何を頼りにしてきたんだろうとですね、食いて食いて食いを食べて、神様を本気で求めるようになりました。
死ぬか生きるか、本気で神様を求めたんですね。
必死でした。まるで沼に溺れている人が、我々もね、捕まおうとするような心境でした。
ヘンデルは、名誉も成功も富も人気も失ってこそ、神様を本当の信仰の対象として求めるように変わらされたんですね。
本当の人生の意味が欲しくて、成功欲に駆られる自分ではなく、お金に縛られる自分ではなく、お金があってもなくても平安にいられる自分、その自分を見つけたくて、健康であってもなくても喜べる自分を見つけたくて、
人の民気や関心や認められることはあってもなくても平安にいられる自分が欲しくて、神様を求めたんですね。
皆さん、皆さんにお問いしたい、お尋ねしたいと思います。
ここに今日、たくさんの方がお見えになりましたけれども、皆さんは本当の人生の意味を見つけられたんでしょうか。
なぜ生きていますかと聞かれたら、これですよと自信を持って変わることのない答えをお持ちでしょうか。
それを見つけたんでしょうか。
あるいは、なぜ人間は生まれて、なぜ人間は生きて、なぜ人間は死ぬのか、答えをご存知でしょうか。
ここで皆さんに一つお尋ねしたいことがありますので、画面をご覧ください。
30:06
次の空欄に当てはまる僕を考えましょう。
私は何々のために生きている。
ここの中で考えて、ここの中で答えてみていただけるでしょうか。
私と皆さんは何のために生きていらっしゃるんでしょうか。
すぐに答えられるんでしょうか。
もしも、この格好の中の答えがわからないまま生きておられるのではないでしょうか。
あるいは、そんなこと考えてだめだよ。
だって考えてもわからないんだから、ただ生きているのよ。
それでいいんじゃないの、と思っておられるのではないでしょうか。
でもですね、絶対、自信持って言えるかと思います。
ここにおられる皆さんは、少なくとも一回、二回、誰かのお葬式に行かれて、
あるいは何かのニュース、新聞を見て、きっとこの質問、
私は何で生きているんだろうって、何のために生きているんだろうって、
何でこんなに必死に生きているんだろうって、
そういう質問を考えたことがあるんじゃないでしょうか。
もちろん、一生懸命に頑張って生きていていいかもしれませんが、
おいしいものを食べたとしても、今ね、とても紅葉のこの時期ですけれども、
福島とか京都にですね、もみじに行ったとしても、
高級マンションに住んでいても、世界旅行に行ったとしても、
必ずやってくるものがあるんです。
それがこれです。
虚無感、悲しさ、虚しさなんです。
必ずやってくるはずなんです。
ところがどうでしょうか、皆さん、そこから目を逸らしていないでしょうか。
向き合っていないんじゃないでしょうか、どうせ人間は。
そういうふうにして避けているんじゃないでしょうか。
そしたら皆さん、実はそういうふうに思って生きているならば、
実は自分を愛しているとは言えないんですよ。
本当の答えを持たなくならないのに、持っていないまま生きているだけで、
自分を私々を愛していると言えるんですよ。
言えないんじゃないでしょうか。
皆さん、私たち人間は、私たちを作ってくださった創造主の神様がおられる。
だから私たち人間は、この肉体のものだけでは決して満足しきれないんです。
33:06
いくら立派な仕事を持っていても、あるいは立派じゃなくて、家でゴロゴロ暮らしていても、
私は小さなことで満足していますよと言っている人だとしても、
実は虚無か、むなしさ、なんだかこれじゃないのかなと思うわけなんです。
もう昨日、国境に行っていましたけれども、
多くの日本全国から若い中高生、青年、あるいは僕しかし青年の方に集まった。
そこで、高校1年生の男の方が赤羽をさせてくれました。
赤羽は自分の親子の大展覧をするんですけれども、
彼がなんと、皆さん、うらやましく思ってほしいんですけど、
高校1年生が、なんで自分は生きているんだろうって、
自分は何のために生きているんだろうって、そう思ったんですよ、皆さん。
高校1年生ですよ。うちの大学生も高校1年生もいるんだけど、すごいなと私は思いました。
それで、彼はそこで、日本にハイリエという高校の選挙団体がありましたけど、
友達に誘われて、そこに行って、彼はイエス・キリストに出会って、
イエス・キリストが、いや、自分がやっていた答えはここにあったんだ。
イエス・キリストだったんだって、すごいですね。
赤羽と赤羽として、みんなの六多国訳にまえて、高校1年生の男の方がお花としていました。
皆さんならいかがでしょうか。
ここにね、40、50、60、70代の方々がおられますけれども、
私は何のために生きているんだろうかと答えをお持ちでしょう。
それは、生きていらっしゃるうちにも、亡くなられた後も変わらない答えなんでしょう。
私はすぐに答えができますよ。
ユンさん、あなたは何のために生きていますか。
私は、神の栄光のために、イエス・キリストのために生きているんです。
そして赤羽、母乳揃って、君国から日本に10年前に飛行機に乗ってやってきました。
そのうちにいろんなことがありましたけれども、でも後悔はしない。
神のために生きているんだから。
それが人生、最高の人生なんだから。
もう少し、ヘンデルの話をしたいと思います。
ヘンデルは、自分の成功のために神様を求めるのではなく、
自分の本当の人生の意味、命、道が知りたくて、神様を求めていきました。
その中、彼はイエス・キリストの生涯から、小さいからね、
信仰は持っているような、持っていないようなところでしたから、
親から話を聞いたイエス・キリストの生涯から、
36:00
霊感を受けて、とても視力が悪い中、
体にはまだ前が残っている中、
たった24日間、もう家も出ないまま、
ほとんど時間を尽くして、人類歴史に残る名曲を作るんです。
それが、オラトリア・メサイアという大曲なんです。
メシア旧最初の英語読みに由来して、
歌詞は聖書からとられて、イエス・キリストの生涯をした、
独奏があったり、重奏があったり、合奏があったりするんです。
そのメサイア、全部は2時間、日本でもクリスマスになったら演奏されたりするんですけれども、
その中のハレルヤ・コーラスという部分がありますけれども、
これをちょっと見てもらいたいです。
これがメサイアの楽譜なんです。
その中に、ちょっとにじんでいるところを見えません?
それはヘンデルの涙の跡だった。
あの楽譜に食い改めて、今まで自分は自分の頑張りで、自分の人生の何もかもを掴もうとした愚かな馬鹿な自分があった。
でも、全部なくされて、人生のどん底に落ちてしまって、自分がもともと信じていた神様にイエス・キリストに立ち帰ることができた。
この自分の大失敗は、実はイエス・キリストに出会う幸せだったんだ。
それでヘンデルの、きっとヘンデルの食い改めの涙であったり、彼の目から褒める的なこの情欲が清められて落ちた涙ではないかと、そういうふうに評論しています。
最後の曲になりますけれども、メサイアの中、ハレルヤコーラスを、これハレルヤコーラスだけで3分くらいになりますけれども、お座りのままですね、聴いていてください。
いかがでしょうか、皆さん。
42:19
このメサイアがイギリスで初めて演奏された時に、このハレルヤコーラスの部分に、あの時の王様が起立して、神様にいわゆる敬意を示した。
42:36
それが起源になってですね、今も教会ではこの曲がですね、歌われたりするときにみんな切り拓いてですね、神様を褒めたというところもありますけれども、そろそろメッセージの終わりのところに移りたいと思いますけれども、
ペンデルは若い時には自分の才能、自分の能力を駆使して人生の幸せ、成功、それを取ろうとします。
しかし一時期は成功しましたけれども、成功というものも健康というものも本当に一瞬にして吹き飛ばされるものに過ぎないということを、彼はある意味で残念ながら、ある意味で幸いにどん底に落ちる失敗を通して、彼はそこから目が覚めた。
そして、イエス・キリストに立ち返ってみるわけです。
これはね、かつての私の解説、迅速ですけれども、もしかしたらペンデルは、このメサイア、そしてこのハレルヤ・コラスは、イエス・キリストは神は王の王、主の主、永遠に永久に治められる方という歌詞ですけれども、
ペンデルはみんなにこの曲を通して知ってもらいたかったんじゃないでしょうか。
みなさん、本当の幸せは金にあるんじゃないですよ。成功にあるんじゃないですよ。人気にあるんじゃないですよ。健康にあるんじゃないですよ。
このイエス・キリストにあるんですよ、とね、これを世界の人々に知ってほしくて作った曲が、このメサイア、あのではないかなと、私は、かつて自分の人生のように、
お金や成功、名誉、あるいは健康、楽しみ、いろんなものね、それを求めて、それが満たされれば、ああ幸せだな、あるいはそれが満たされなければ、本当に私は最低だなと思っている自分自身。
45:05
実はそれは違いますよ、本当の人生、本当の命があるんだよ、とペンデルはこの曲を持って語っているんじゃないでしょうか。
実は皆さんそれは、生きる宗、イエス・キリストのお声なんですよ。
イエス・キリストは、皆様お一人お一人を優しく、いつこいつまもって呼んであげるんです。
そのお声は、私を頼りにしてほしいと、あなたの人生そのままでいいのかいと、
私を信頼してほしい、私にあなたの人生を任せてほしい、それは私があなたをつくり、私があなたを愛し、私があなたの人生のすべてにおいて責任をとってあげるからと言われるイエス・キリストがおられるんです。
このイエス・キリストに出会ってみようではないでしょうか、信じてみようではないでしょうか。
イエス・キリストを信じるということは、怖いという日本の方々のイメージがあるかもしれませんが、
信仰を持つということは、結婚と似ていると思うんですね。
多くの方々が結婚をなさった方でいらっしゃると思いますけれども、皆さん考えてみてくださいよ。
皆さん結婚するときに、相手の旦那さん、奥さんのことをもう100%全部知り尽くして、全部わかって、全部理解して結婚された方、いらっしゃらないでしょう。
いらっしゃらない、いますか。いらっしゃらないですよ。まあまあ知っていてね。
この人はこういう人だろう、こういう性格を持っているだろう、こういう影から育っただろうと思って結婚するわけです。
私も同じ教会で一緒に青年の土地を持って、韓国語でオパオパと言われて結婚したんです。
それでその時には、私よく似ているなと思ったんですよ。大勘違いでした。だいぶ違う。結構違う。
22年、今年22年になって、まあ違うなねって、お互いのこと認めるようになったんですけれども、そんなもんですよ。
でも皆さん結婚したでしょう。私はこの人も100%もう知らないから、もう自分の人生あげることだって、身を投げることだってできない人、結婚しない人、
48:10
そしたら私ここにいらっしゃるみんな多分独身だと思うんですよ。もうまだ未婚かもしれない。
人間は逃げることを100%知ることはできないんですから。でも結婚したんじゃないでしょうか。
子供が生まれ家庭を持っていくわけに、皆さん生きていらっしゃるかもしれない。
いいすぎる人を知ること、信仰を持つことはちょっと似ていると思うんです。最初から全部知らなくていいんです。
なので全部納得しなくていいかもしれない。
聖書このごとね、結構分厚い本ですよね。特に日本語の聖書は分厚いんですけどね。
英語はほぼと薄いんですけれども、全部知らなくて、最初は知らなくていいんです。
聖書の一通り全部、この部分はまあまあ受け入れられるけど、この部分はこれは難しいだろうね。
復活とかね、信頼とかよみがえとかね、神様がね、光あれば光が現れて、そんなそこまでいかなくてもいいかもしれない。
知っている部分、認められる部分でね、始めていくんですよ。
歩んでいくうちに、知っていくうちに、どんどんどんどん分かってくる。知るようになる。理解するように信じられるようになるんですよ。
知るですが、後からお茶するときに隣のクリスタルの方に、聖書全部知ってますか?聞いてみてください。どんな答えが来るか。
いや、実はだってもう全部知れませんよって、多分ね、そういう答えが来ると思います。私だって全部知らないですから。
でも、信頼するから。信仰というものを信頼するということなんです。
メッセージを終わりたいと思いますけれども、皆さん、イエス・キリストは私たちの命です。唯一の命です。本当の道なんです。
その方を信じてみようではないでしょうか。その一歩を踏み出してみようではないでしょうか。
私は何のために生きている答えをないままでいいんでしょうか。それでも自分は自分を愛していると言えるんでしょうか。
人生はなくなって、もうどうせ主義に帰って何もなくなるんだよと思っていらっしゃるんでしょうか。
もしもそうでなかったならばどうするつもりなんでしょうか。知るですか。どうするんでしょうか。
イエス・キリストが皆さんを招いておられます。イエス・キリストを信じて、皆さん人生は進めます。
51:04
永遠の命が与えられます。
今日の聖書の歌詞をみんなでお読みして、今日のメッセージを終わりたいと思います。
週報の5ページをご覧ください。よろしかったら、5ページの聖書歌詞のイエスと別れの部分をご一緒にお読みしたいと思います。
ぜひこの御言葉を、今日こういう日が皆の人生の大きな喜び大展開の時となりますように。
そしてこの御言葉が皆の人生を変える。いや、変えるとちょっと怖いんでしょうか。祝福してくださる、導いてくださる、そういう御言葉につけられたい。
そういう風に受け入れるようではないでしょうか。ご一緒にお読みしたいと思います。
イエスは彼に言われた、あたしが道であり真理であり命なのです。
あたしを通してれなければ、誰一人主事の身元に来ることはありません。
アーメン。
では心を合わせてください。私がお祈りをしたいと思います。
52:20

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