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みなさん、おはようございます。
しばらくは、隣の方とアクションするのはしばらくしかないと思います。
今、本当に日本や世界中に、新型コロナウイルスの感染拡大されて、早中学校は休んで、卒業式も休止して、
教長も3月に卒業式が中止になりますし、多分、入学式も中止になるのではないかといろいろありますが、
やはり私たちは、全能の神様を信じる者として、政治正規は信仰を持って守っていきたいと思っております。
でもみなさん、各自の判断にういだれしますので、体調が優れていない方とか、風邪みたいな症状のある方は、遠慮なく休会や礼拝をお休みして、大市で経験の時間を持っていただけたらと思っております。
日本も北海道とか関東の方には、聖実礼拝まで中止するカトリックとか聖徒会とか、日本キリスト教団の教会はあったりするんですね。
一斉に一律に中止が命令されているわけではありませんが、聖実礼拝のだからしばらく、2、3週間、全集会を中止する教会もあったりしますけれども、それぞれの教会の様子も違いますしね。
辞めるから不振化とか、やるから振興があるとか、そういう極端的な判断は避けていただいて、それぞれ振興を持って、今日もみなさん色々ありますけれども、日頃と変わることなくみなさん集まっていただいて、一緒に私からみんなマスクをかけていて、普段と幅が良しですけれどもね。
ある結婚式も、この頃結婚式もいつもならないですね。結婚式行ったら、新郎も新婦も家族もみんなマスクかけてですね、記念写真撮っているから、それもね、今のところだから、ちょっと可哀想だなと思いますけれどもね。
今日も振興を持ってですね、一緒に出会って参りましょう、ということを祈っています。神様は、永遠から永遠まで生きておられる方で、今もなお全てを納めておられる全知全能の神様です。
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その方を信じて、今日も私たちは日に出会って参りますので、どうか私の全てを、魂も霊も身体も心も主がお守り下さいましたように。何より、主の栄光をあらわして下さい、主の御言葉をお語り下さいますように、お願いいたします。
ただ、主だけを仰ぎみて、主だけを信頼する我らとさせて下さい。神様の皆によってお祈り致します。アーメン。
今、私たちが信じて告白することのシリーズに入ってですね、今日3回目。タイトルは、父と子と精霊の三味一体の神。父と子と精霊の三味一体の神でした。
父と子と精霊の三味一体の神でした。
神様は霊であられますから、私たちのこの肉体の目では見ることはできません。それだけではなく、神様が御自身を私たちに示して、啓示して下さるから、私たちは啓示を示して教えて下さる分だけ知ることができるんですね。
ところが、神様はね、隠れんぼが好きで、全部隠して隠して、それで探してごらんみたいな、そんな悪戯の神様ではなくて、御自身を現って、教えて、分かるようにして下さることを喜ばれる方であります。
そして、私たちが神様を正しく知ること、信じることをとても切に願っておられる方であります。
この霊であられる神様が私たちに人間として現して下さい。それがイエス・キリストなんです。
神様はもちろん、自然や歴史、あるいは災害とか様々なことを通してでも、いくらでも御自身を示すことができるんですけれども、
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イエス・キリストのジュニク、神が人の体を持って生まれになったことをジュニクと言いますね。インカネーションと言います。
このイエス様の誕生、ジュニクをよって始めて、そして究極的な意味において、唯一の神が私たちに示されたわけです。
ここで、イエス様がなぜ神様なのか、神様がなぜイエス様なのか、ヨハネの福音書の二言葉を見ていきたいと思います。
これがヨハネの福音書、1章18節ですけれども、一緒に読みたいと思います。
「未だかつて神を見た者はいない。父の懐におられる独り子の神が、神を解き明かされたのである。」
ここにね、イエス様が、独り子の神がイエス様ですね。イエス様が、神様がどのようなお方なのか、解き明かしてくださるお方なんだ、そういう存在なんだということですね。
では、その次の同じヨハネの14章9節です。私は読みますね。
イエスは彼に言われた。「フィリポ、こんなに長い間あなた方と一緒にいるのに、あなたは私を知らなかったのですか?」
その次ですよ。
「私を見た者は、つまりイエス様を見た者は、父を見たのです。父は神様ですね。イエス様を見た者は、神様を見たのである。どうしてあなたは私たちに父を見せてくださいというのですか?」と書きます。
今日は、この父と子と精霊の三位一体のことについてお話したいと思いますが、そのときにまず、唯一の神についてお話したいと思います。
私たちが信じる神様は唯一の神です。いや、全世界に様々な神々、偶像、人間が作り出した何者でもないものはたくさんありますが、この世界に本当の神は、唯一の神は一人であられる。
聖書は、創石から目記録まで、最初から最後まで一貫して、神は唯一である、神は一人であると宣言し伝えています。
新米記の6章4節出してください。
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聞きなさい。イスラエル。主は私たちの神。その次ですよ。主はただ一人である。神様は一人であります。
主役聖書にもあります。第1テモテ1の17節。どうか、与世の王、すなわち滅びぬことなく、目に見えない唯一の神に、誉れと栄光とがよよ限りなくありますように、アーメンとあります。
主役聖書も新役聖書も、神様は唯一である。他は全部人間が作り出した偶像にすぎない。それがマホメトであろうが、仏様であろうが、何者であろうが、すべては偶像である。
本当の神は一人である。神のみであるということが、私たちの信仰告白なのです。
だから私たちは、父親像においても、教団の神の告白においても、また他の教団、教班の告白にも、神は一人である。唯一であると告白しているのです。
ところが、その唯一の神は、父と子と生霊の三一体の神であるということです。
その部分が、教団の神の告白において、私たちはこのように、この部分です。
これが私たちが告白している教団の神の告白の中で唯一の神と、それから三一体の部分ですが、これが一番正確な部分をそのまま入れた文であります。
主イエス・キリストによって掲示され、聖書に明かしされた唯一の神は、その次です。
父と子と生霊の三一体、あるいは三人じゃなくて三二一体と読みますね。三一体の神であり、その本質において同一です。
さあ、今日はこの部分について話していきたいと思います。
主イエス・キリスト居心古において、その中心にあるとても大切な教理は三二一体です。
もちろん三二一体そのままの言葉が聖書に書かれているわけではありませんが、聖書の御言葉からこの教理は確定されています。
ただ、この三二一体のこの教理を信じない団体は全部いたんです。これはとても大事なことであります。
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いわゆる父なる神、子なるキリスト、それから聖霊様という三つの威嚇を持つ唯一の神ということであります。
だから、数字の3が1である、1が3である、こういう世界なんですね。
だから、これは合理的に説明することのできない非合理の世界である。
しかし、合理的に説明できなくても、父・子・聖霊なる神は永遠なる交わりの神秘の中に存在しておられるということであります。
それでは、唯一である神とイエス・キリスト、それから聖霊との間にはどのような関係があるのでしょうか。
確かに神様は唯一の方ですが、実は父・子・聖霊の三つの威嚇においてご自身を表しておられるということです。
さきも読みましたように、三民一体とは唯一の神の本質のうちに、父・子・聖霊としてそれぞれ知られている三つの永遠の区別があるということであります。
さきも言い落ちました新明記の6の4節の御言葉のように、旧約聖書にはよく読みますと、神は唯一である、その神の唯一性を表彰しているんです、旧約聖書は。
もちろん、三民一体の神を暗示する言葉もありますけれども。
それに対して、旧約聖書はあらゆるところで、もう明確に父・子・聖霊について教えているんです。
今日の御言葉もですね、家様がいますね。家様がパプテスマを受けるんですよ。ところが、神の御様が、聖霊様ですね、聖霊様が鳩のように下って来られるんです。
そしたら、聖霊様がおられるんですね。そして、神様が家様に向かって、これは私の愛する子、私はこれを喜ぶと、神様のお声がある。家様がおられ、聖霊様がおられ、神様がおられるんです。これが三つの威嚇ということであります。
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さあ、もう一箇所。マサイノオクニション二十八章十九節二十節のところですが、ここを見ていきましょうか。ここを見たらですね、あなた方は言って、全ての国民をですと言って、その次ですよ、父と子と聖霊。
もう明確に、神様は一人の神様ですけど、神様、家様、聖霊様、もう三密体の神様であることは、もうはっきりと現れているんです。また、私の礼拝の終わりに捧げている牧師の祝との祈りがありますけれども、その原点は第二コニト十三の十三節ですね。
ここにもね、主イエス・キリストの恵みと家様ですよ。その次は、父なる神の愛と神様です。聖霊の交わりが聖霊様です。だから、家様、神様、聖霊様がここにおられるわけであります。
さあ、あるかなり古代の文ですけれども、このシリーズのメッセージの最初に、この信仰、福学、信条がなぜできたのか、様々な異端がキリスト教の歴史の二千年の間にたくさんの攻撃がありましたから、
その教会と信仰を守るために、この信条や福学ができましたよと話しました。一巻の時にね。
エイリー二百年、三百年頃、この三民遺体を指定する二世キリスト教がとても蔓延していました。それで、特にあの二千、二百年、三百年、あの頃の信条の中には、もうこの三民遺体の話がとても強調して告白されています。
さあ、その中の一つの説明がね、こんな説明があります。ちょっと読ませていただきますね。
父は永遠、子も永遠、精霊も永遠。しかし、三つの永遠ではなく一つの永遠者。父は全能、子も全能、精霊も全能。しかも、三つの全能者ではなく一つの全能者。
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父は神、子も神、精霊も神。しかも、三つの神ではなく一つの神。こういった解説書が大昔あったんです。ここには確かに、父も子も精霊も神である。
作られず、計りがたく、永遠である、全能であり、種であると告白されている。このように、言葉を尽くして神の三民遺体について語られていますけれども、これは神様が私たちに御自身を啓示してくださったんだけれども、それは奥義である。
私たちの理性は、知識は、どうですか、有限なんです。だから、ある意味で、とても受け止め、理解することが難しいんです。全くできないわけではありませんが、難しい。
でも、旧約聖世、新約聖世は、はっきりと神様が、家様が、精霊様が、もう、永遠から一緒におられたということがあります。一カ所だけ、字幕がないんですけれども、せいぜい書きましょうか。
葬石の創造の時から、もう神様は、三民一体の神様がおられたということであります。一カ所だけ見ていきますね。葬石の第一章、二十六節。葬石の第一章、二十六節、二ページですね。
さあ、私は読みますね。神は仰せられた。さあ、人を作ろう。これ、すげえ言葉ですよ。我々の形として、我々に見せて、彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地の全てのもの、地を這う全てのものを支配するように。
さあ、ここに、我々の形、我々に見せてありますよね。なぜ、我々なんでしょうか。神様は、神様、家様、精霊様、複数なんだから、私じゃなくて、我々となっているんです。
だから、これだけ見ても、神様は三民一体の神である。でも、複数の神であるということがわかるんです。もっとわかりやすく話しているならば、父と子と精霊は互いを喜び合い、愛し合い、支え合う完全な昭和と一致の関係であるということであります。
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この三民一体の神様は、共に天地万物をお作りになりました。今みたいにですね。そして、共に救いの宮座をなされました。共に救いを完成されるんです。
天地万物をお作りになった神様は、創造の後、神様が創造して、ああ疲れた、そこがいい所にバカンスに行こうと言ってしまった神様ではないんです。あるいは、ご自身を全くわからないように謎のままにされた方ではないんですよね。
私たちの神様は、もう喜んで、自ら私たちの所においで下さいました。自分自身を表したくて、信じてほしくて、もう知られる神様として。それがイエス・キリストなんです。
そして、神なるイエス・キリストは、日もべと並べて、死に至るまで、私たちの救いのために使えて下さりました。つまり、神様がご自分自身を私たちに渡して下さったということです。
そして、これで終わりではない。イエス様、天に昇られた後、何が起こりましたか。神様が神の霊、精霊様を私たちに使わせて下さったんです。
イエス様が私たちに言いました。私が父の所に行ったら、父にお願いして、神の霊をあなた方の所に送って下さるんですよ。そこにも神様がおられ、イエス様がおられ、精霊様がおられるということであります。
そして、来られた、使わされた精霊様は、私たちにイエスが死だと信じる信仰を起こして下さる。そして、神の民なる私たちが清く歩んでいけるように、恵みを、あるいは力をお与えになる。
だから、神様はね、ただ遠い遠い天におられる先人のような、そういう方ではなく、神様は私たちを救い、愛するためにイエス・キリストとして現れ、そして救われた神の民として清く生きられるように、内受の精霊様が共にいて励まし、慰めて下さい。
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さあ、この三民一体のことを、さっき話しましたように、昔の説明の部分でありますけれども、まずこれを見ますね。三民一体はいろんな説明があったりしました。
今までね、例えば、お父様は教会に来たら牧師である、家にいたら妻である、妻には夫である、みたいなね。あるいは水は機械になったり、氷になったり、液体になったり、そういうのは全部、常態論という異端でありまして、そういう例えはできないんです。
さあ、これが2000年のキリスト教において、三民一体を、もう全世界の教会が確定した部分を日本語で訳している部分ですね。
同一の神は、父と子と精霊の三威嚇を持つ三民一体の神であり、その本質において同一である。さあ、これはものすごく長くですね、昔の信条がありますけれども、
当たらずよと信条があります。古代ですけれどもね。そのときの三民一体の異端があまりにも多くあったんですね。それで、ちょっと詳しく先のあれを説明しています。
これは、私たちが一つである神を三民において、三民を一体において礼拝することです。しかも威嚇を混同することなく、本質を分離することなく、父と子と精霊との神性は一つであり、見栄えは等しく、権威も等しく永遠です。
このように、父は神であり、子も神であり、精霊も神であります。しかも三つの神ではなく一つの神です。さあ、ここまでですね。
だから大事なのは皆さん、精霊様は神様より劣りますか?足らない方ですか?そうではないんです。精霊様も神様と全く同じです。家様も精霊様も神様と全く同じです。
逆に言いますと、神様は家様であり、神様は精霊様である。ところがそれが一つである。私たちはその部分が知り尽くすことはできないのですが、この信仰において私たちは唯一の神を信じる信仰を持っています。
そして三味一体の神様は今日ここに皆さんお一人お一人の教会のうちにおられるお方であります。私たちはこの三味一体の神様を信じます。お祈りしましょう。