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2017-04-23 37:40

2017/04/23:わたしは神の作品(6)御霊による思い

2017/04/23 聖日礼拝

尹善鎬牧師

ローマ人への手紙 8:5-6

00:00
皆さん、おはようございます。今日も礼拝にようこそいらっしゃいました。
それでは、メッセージの前に、いつものようにですね、周りの方と挨拶をしましょうか。
おはようございます。
それでは、一言お祈りいたします。
肉に従う者は、肉的な事をもっぱら考えますが、
身霊に従う者は、身霊に属する事をひたすら考えます。
主よ、この朝も私たちは、身霊に属する事をひたすら考えて、
神の礼拝したい、求めて、あなたの御顔に拝見したくて、
願って、この主の教会に集まりました。
どうか、主よ、あなたの御前に賛美を捧げました。
祈りを捧げきました。
また主よ、今から神様が私たち一人一人に語ってくださる神の御声に、
主よ、耳を傾けます。
そして従います、どうか、あなたの思いが私たちの思いとなりますように、
あれらの精神、霊、身体、人格、生活、すべてを本当に身霊に属するものになりますように、
お正しく生きる力を上から聖霊様、お与え下さいますように、お願いいたします。
このものが、こうして主御自身の御言葉だけが、主御自身の御誓いだけが、この場において現れますように、
イエス様の皆によってお祈り致します。
アーメン。
感謝します。
はい、前のシリーズメッセージに戻りました。
私は神の作品、第6番目です。
今日は、御様による思いという題にして、
共に御言葉の恵みをいただきたいと願っております。
今日はテーマは一言で言うならば、思いですね、考え。
さあ、皆さんいかがでしょうか。
03:00
今朝、教会に来られる時に家を出てですね、
皆さんが朝、心の中にあるいは頭の中に持っていらっしゃった思いは、どんなものだったでしょうか。
喜び、あるいは楽しみ、あるいは感謝、あるいはワクワク感だったでしょうか。
それとも、悲しみ、心配、怒り、焦りとか、そういったものだったでしょうか。
私たちの心の中にある感情というものは、香りのようなものだと思います。
例えば、喜び、楽しみ、感謝といったこの感情はですね、まるでですね、
例えばならば焼きたてのパンのようにワクワクさせます。
一方、悲しみとか心配とか怒りとか、そういった感情が心の中に、頭の中にあったらですね、
それをずっと持ち続けているとですね、その自分の人生から逃げたくなるんですよね。
あるいは、その感情に襲われてしまって、もう気分が沈んでしまって、
もう力が失われることもしばしばあるかと思います。
それで、その結果としては、そういう思いにですね、もう沈み続けていると、
神様が遠くにどこかですね、行って迫られたように感じてしまう。
それでもう祈りはもう無意味だと。
で、逆に罪が魅力的に思えてくることもしばしばあるかと思います。
しかし皆さん、我々人間の感情というものは、無作為に私たちの上に降りてくるものではないそうです。
クリチャンのカウンセリングの専門家によると、
一般的に、落胆しやすい人は落胆するようなことを考える傾向があるそうです。
よくそこを考える傾向があるんですね。
あるいは、心配しやすい人は不安なことを考える傾向があるんです。
そして、これらの思考がいつの間にか自分の思考パターンになって慣れてしまっていて、自分でも気づかなくなることがあるそうです。
でもですね、これはただのある特定の人にだけ起こることではないのです。
06:03
誰にも起こり得ることです。
クリチャンにも起こり得ることなんです。
素晴らしい傾向を持っている人にも実は起こり得ることです。
聖書に有名なストーリーが一つ書かれています。
今日はですね、そこを開いて考えていきたいと思いますが、
旧約聖書第一列王記十九章を開いていただきましょう。
旧約聖書第一列王記第十九章一節からです。
私の聖書では六百十九ページです。よろしくですか。
そこはですね、エリアのことですよ。エリアのこと。
十八章ではエリアがあのカルネルさんの上で、バールとアセラーの預言者八百五十人体に対接をして、見事に立派に勝利した記事が十八章に出てきます。
そしてその後のことなんです。私がしばらく読みますのでご覧ください。一節から。
アハブはエリアがしたすべてのことと、預言者たちを剣で皆殺しにしたことを残らずイゼベルに告げた。
するとイゼベルは使者をエリアのところに使わせて言った。
もし私が明日の今の頃までに、あなたの命をあの人たちの一人の命のようにしなかったなら、神々がこの私を幾重にも罰せられるように。
その次、三節ですよ。
彼は、この彼は誰のことですか?エリアのことですよ。預言者エリアですよ。
この前に、あのカルネルさんで立派に勝利したそのエリアですよ。
彼は恐れ立ち、自分の命を救うために立ち去った。
ユダのヴェールセバに来た時、若い者をそこに残し、自分をあらのえと一日の道のりを這いて行った。
彼はえにしだの木の陰に座り、その次、自分の死を願って言った。
主よ、もう十分です。私の命を取ってください。私は先祖たちに勝っていませんから。
彼がえにしだの木の下に横になって眠っていると、一人の密会が彼に触って、起きて食べなさいと言った。
さあ、とりあえずここまで見てみましょう。
あの預言者エリアは、ヴァール預言者と対決して勝利した後、多分十八章でのエリアはですね、もう人生最高の気分だったと思うんですね。
09:14
ところが、たった一つの出来事。
すなわち、アハーブ王の奥さんイゼベルが、あのエリアを殺そうと反発に遭った時に、エリアはどうしたのでしょうか。
もう恐怖の中にですね、落ち込んでしまっていたんです。
さあ、彼が言っている言葉を一つ一つ詳しく見ていきましょう。
今、エリアがどんな思いを持っているのかを見ていきたいんですね。
さあ、まず四節。
自分は死を願っていった。
その次。
死よ。もう十分です。
私の命を取ってください。
私は先祖たちに勝っていませんから。
ということです。
どういう意味でしょうか。
死にたいんです。
もう十分です。
諦めたいんです。
希望がないように考えているんですね。
そして、私の命を取ってください。
無力感、無気力です。
それから、私は先祖たちに勝っていませんから。
つまり、自分の価値を低くして思っている。
自分は無価値だと。
希望がない。
あるいはですね、周りに誰もいないと。
ただ私だけが残りましたと。
これは孤立感、孤独感でしょう。
あるいは、もう十分ですという意味は、
これはもうこのレベルとかに立ち向かうことができない。
というわけなんです。
皆さんこの人は誰ですか。
受け入れたエリアさんなんですよ。
850人と戦って勝利したあの素晴らしい神にも
100%完全な信仰を持って勝利したあの愚元者なんです。
天下無敵のような愚元者でした。
神様を信じる信仰も精神力も弾力も素晴らしい優れていた愚元者でした。
しかし、あの愚元者エリアさえも自分は無価値だ。
希望がない。
誰もいない。できない。
死にたいという考え、思いを持って感じていて、
疲れ果ててエニスラの木の下にですね、
12:00
横になって眠っていたんですね。
さあ、これはですね、単純にこれは悪しき者の仕掛けだ。
これは不信仰だというふうに簡単に言い切れるのでしょうか。
そうではないと思うんですね。
人間の精神、体、感情、霊といったものはですね、
そんなに簡単に大根を切れるように簡単なものではないですよね。
ところが、今から見ていきたいのは、
そのエリアがあの落ち込みに落ち込んでですね、
死にたいと何ももしたくなくてですね、
横になっていたときに、
神様がこのエリアをどのように取り扱われたのかを注目していきたいですし、
また私たちも見習っていきたいんです。
なぜなら、皆さん、ここにいる私たちも、
皆、いつでもエリアのようになり得る弱い者だからです。
つまりここにいる私たちも誰でも、
いつでもエリアのようになり得るということなんですね。
それから私たちの周りには、
この今のときですね、
十九章でのエリアのように落ち込んでいる方々、
それ自分は昔だ、何もできない、死にたい、
私の周りには助けてくれる人が誰もいないと、
そういうふうに思ってしまう人がいるからなんです。
ですから自分自身に対して、
また周りの人たちに対して、
神様が扱われるように扱い、接するためなんですね。
皆さん、まず私たちが信じなければならないことは、
神様は偉大な癒し主です。
神様はエリアをどのように癒されるのか、
そのやり方を見ていきましょう。
まず、ご説からご覧くださいよ。
彼がえにひだの木の下で、
横になって眠っているとあります。
まず神様はエリアを、いわゆる昼寝させました。
十分な休みをとるようにしてくださいました。
極度の疲れを感じていたことでしょう。
あの弁者が、あの山の上で八百五十人ですよ。
八百五十人とたった一人で、
あの霊的に戦いをしたわけです。
何時間もしたわけなんですよね。
だから、精神はもちろん、霊はもちろん、
この身体もですね、疲れてしまうわけなんです。
もう力を絞って絞り出して絞り出して、
近いすぎてしまった後も来たのは、
15:01
あなたを殺すということでした。
だから神様は、
彼のまずこの肉体の体を休ませて下さい。
休ませて下さいました。
それから何をしたんでしょうか。
後説をご覧下さい。
彼がえにしらの木の下で横になって眠っていると、
その次ですよ。
一人の御使いが彼にさばって、
起きて食べなさいと言った。
後説を一緒に見ましょうか。
一緒に見ますね。
3、はい。
彼は見た。すると彼の頭のところに、
焼け石で焼いたパンがき一つと、
水の入った壺があった。
彼はそれを食べ、そして飲んで、また横になった。
休めるようにしてくださった神様は、
また焼き立てのパンのようなですね、
パンがき一つと、また水の入った壺をくださって、
食べさせてくださったんですね。
神様は皆さん、私たちは作られた方ですから、
人間は心や体が疲れて、
疲れていた時に、
簡単に言いましょう。
おいしいものを食べると、
体も心も元気になることを、
神様はご存知であるということなんです。
だから神様は、人間の立場に立って、
エリアに植えている彼に、
パンと水を食べさせたんですね。
さあ、皆さん、この二つの神様のやり方は、
信仰的なものですか、不信仰的なものですか?
信仰的なものです。
なぜでしょうか?
神様がなされたことですから。
神様がなされることは、
みな良いものなんです。
それから神様は、エリアを癒すために、
彼を立ち上がらせるために、
彼の考えを取り替えて下さいました。
今エリアが持っている、
誰もいない、死にたい、やりたくない、
私は無価値だといった、
思いを、考えを、
神様は変えて下さったんですね。
取り替えて下さったんです。
これが大事なんです。
そして神様は、
彼の前に現れて下さいました。
主が通り過ぎされ、という言葉があります。
そして神様が、
ともに行くからといってですね、
彼に希望を満たして下さいました。
それがですね、
次のページの15節からご覧下さい。
15節、一緒に見ますね。
18:06
主は彼に仰せられた。
さあ、黙子の荒野へ帰って行け。
そこに行き、
ハザエルに油を注いで、
荒物を負うとせよ。
黙子の荒野へ帰って行け。
つまり、私はともに行くから、
あなたは行きなさいと語るんです。
そしてエリアがですね、
一人ではないことを示して下さいました。
私はユスレマカに、
七千人を残しておいたと見事があります。
あなたは一人ではないですよ。
あなたの周りには七千人もいるのよ。
私があなたのために備えておいたんだからと。
それを知って欲しいと。
今あなたの頭の中に私は一人だけだ。
誰もいないと思っているその思いを、
捨てて帰りなさいというメッセージなんです。
そして私などともに行くからという、
それを語って下さいました。
さあどうでしょうか。
そしてその後エリアは、
立ち上がって道を行きました。
どうでしょう皆さん。
この神様がこの時のエリアを、
癒された医薬方法はどうでしょうか。
神様は、私人間は、
霊だけを持った存在ではなく、
精神も体も感情も、
記憶も持った存在であることを、
完全に御存じなんですね。
ですから神様は、
我々の精神も体も、
霊も感情も記憶も、
すべて神様が作られたものだから、
この時にどういう風にこの人を、
やって立て直すことができるんだろうか。
誰が一番知ってるでしょうか。
神様が一番知っておられる。
御霊様が一番よく知っておられる。
だからこの時に神様が、
エリアを取り扱われたこの扱いを、
ぜひ覚えていただきたい。
そして見習っていただきたい。
強力な達成感の後、
イゼベルに脅かされて、
もう逃げてしまったんですね。
死にたい。
もう現象をやめたい。
私はもうあの先祖と比べたら、
もう大したものじゃない。
ダメな人間だと、
そう思ったんですね。
あのエリアがですよ。
だから私も、
この十九章でのエリアのような思いを、
持ち得ることなんですよ。
いやいや、私は絶対そんな思いを持ちませんよ、
と言える方はいないでしょう。
ところがですね、
21:00
逆にこういうふうに言いたいです。
神様がこの十九章で、
エリアにされていないことです。
言っていないことです。
これは説明書に書かれていないです。
私がこれを逆に考えたものです。
1、神様はエリアに、
一番最初に何と言いましたか。
起きて食べなさいと言いましたね。
ご説明。
神様はエリアに、
あなたは不信心だと、
責めていなかったです。
そうでしょう。
十九章とこう見てもですね、
神様はエリアを責めていないんです。
2つ目、
あなたは祈りが足りないから、
恐れているのだと、
彼を責めていません。
あるいは3番、
あなたは情けないものだと、
神様は怒っていません。
4番、
あなたはいつまで弱いままなのか、
神様は言っていません。
5番、
あなたは悪しき者に負けたのだと、
神様は断言していません。
神様はこういうふうに、
エリアに言われたのではなく、
むしろ昼寝をさせて、
休息を与えて、
パンと水を食べさせて、
つまり身体を保養させて、
そしてご自身をあらわして、
慰めて、希望をいざかせてあげて、
考えを思いを変えてくださって、
神様に対する確信をいざかせてあげて、
それでエリアは立ち上がって、
この弦者の務めを果たすことができた、
ということなんです。
これが少なことも、
この19章で私たちが学ぶ、
神様の癒し方なんです。
接す方なんですね。
お取扱いなんです。
もちろんですね、
この19世代のこの神様の癒し方を、
すべての状況に一概に全部ですね、
適応することは難しいかもしれませんが、
神様はこのようにもされるということを、
私は無視してはいけないことなんですね。
この神様の癒し方を学んでいただきたい。
そして実践していただきたい。
そのためには、私たちは自分の癒し方、
自分の判断はいつも正しいのだという、
固執を、こだわりを諦めるのが必要だと思うんです。
Aの場合は必ずAのようにしなくてはならない。
Bの場合はBのように必ずしなくてはならない。
絶対にしなくてはならない。
そういうこだわりを、
私はそこからちょっと自由にならなきゃいけない。
そして神様が、
この場合こういうふうにされたのだと、
それを学んで私たちもやりたいわけなんです。
24:06
私たちクリスタンは信仰を長く持っていればいるほど、
よくよく自分のこととか、
人のことをすべて知り尽くしているかのように考えて、
判断したり、
これが絶対できたとアドバイスしたり、
さばいたりすることがしばしばあるのではないでしょうか。
そしてですね、自分に対して、あるいは人に対して、
そのアドバイスとか、
言い合い方とか、
人に対する判断とか、
そういったものにですね、
とても確信を持ちやすいです。
長く信仰を持っていればですね。
ところが、
さっきも申し上げたように、
人間の考え、
体、霊、精神というものは、
おもちゃみたいにですね、
そんなに簡単なものではないです。
人間は人間のそのですね、
考え、体、霊、精神を知り尽くせないんです。
ですから皆さん、
私たちは本当に注意しましょう。
例えば、
自分自身が、
あるいは周りに、
エリアのように落ち込んでいる人がいるとしましょう。
そしたら、
この十九章から学ぶ三つのステップ、
第一のステップは、
疲れた体を休ませてあげることです。
第二のステップ、
栄養をとるように、
食べ物を食べさせてあげることです。
第三のステップ、
神様が共にいると、
共にいるということを、
その確信を抱かせてあげることです。
この三つのステップが、
少なくともこの十九章で学べる、
神様の癒し方、お取りやすさになります。
別の話ですけどね、
前でしょう、
教局の教師会である、
教師の、
牧師夫人の教師先生が、
こういう話をしていました。
昔、新学生のときの話だそうです。
新学生のときに、
大先輩の教師の牧師夫人の先生から、
牧師の牧師夫人の働きは、
皆さんにとっても同じだと思うんですけれども、
牧師夫人の一番大きな働きは、
日曜日の夕食を、
一週間の中で一番誠意につくって、
食べさせることだよと。
それを教えられて、
先生はですね、
今は追い取りですけれどね、
旦那さんの先生がいらっしゃったときには、
ずっとそれをですね、
そういうふうにしたという話を聞いてですね、
27:04
それも神様から教えられて、
その先生はそれをずっとされたなと、
聞いたことがあります。
三つのステップを覚えてやりたい。
さて、エリアの考えを見てみましょう。
ちょっと掘り下げてもっと深く入っていくんですね。
エリアはこの19票で、
今自分がこんな押し込みに押し込んだのは、
それはイゼベルのせいだと思っているわけなんですね。
ところがどうでしょう皆さん、
我々にもですね、
人生にはこのイゼベルのような存在はいつも付きものなんです。
生きている人には。
本当の問題はイゼベルではない。
エリアが何を考えているか、
どんな思いを持っているかということなんです。
つまり本当の問題は、
私たちの頭の中、心の中にあるものではないでしょうか。
だからですね、神様はこの19票で、
エリアの考えを、思いを取り替えてくださった。
死にたい、ダメだ、ムキャキタという思ったその思いから、
神様の思いへ、精霊の思いへ取り替えてくださったんですね。
これが大事なんです。
ここに良いお知らせがあります。
感謝のことは、
神様がエリアの考えを変えることができたように、
私たちの考えも神様は変えることができるということなんです。
ちょっとここでですね、
聖書一箇所を開きたいと思います。
ローマ人への手紙、十二章、二節。
ローマ人への手紙、十二章、二節。
今日はですね、小さい子供が二人、三人もいるのに、
静かで出会えてですね、嬉しいですね。
ローマ書、十二章、二節をご覧ください。
一緒に読みましょうか。
この世と教師を合わせてはいけません。
いや、むしろ神の御心は何か、
すなわち何が良いことで神に受け入れられ、
完全であるかをわきまえ知るために、
心の一心によって自分を変えなさい。
この最後のところですよ。
心の一心によって自分を変えなさい。
この御言葉をですね、
他の訳ではですね、こういう風に訳してますね。
考え方を変えることによって、
30:03
神にあなたを新しい人に変えていただきなさい。
もう一度申しましょう。
考え方を変えることによって、
神にあなたを新しい人に変えていただきなさいと略しています。
神様も私たちの心を変えることを願っており、
またそれをそういう風に変えてくださる方なんです。
素晴らしい人生を送っている人は、
習慣的に素晴らしいことを考えている人です。
つまり、神様の流れによって私たちの考えの流れを変えていただくことなんです。
ただもうこの自分の一心じゃなくて、
神様の流れによって私たちの考えをですね、変えていただくこと。
そして今日のですね、ローマ教8章の語説のように、
8章のですね、語説6説をご覧ください。
もう一度私が読みますね。
肉に従う者は、肉的なことをもっぱら考えます。そうなんです。
つまり心配、あるいは恐れ、あるいは悲しみは、
なぜ頭の中に、心の中に、精神の中にあるのか、
それをもっぱら考えるからでしょう。
しかし、身様に従う者は、身様に属することを、どう考えますか?
ひたすら考えるのです。
何を考えるか、実はそれはですね、自分の選択ではないでしょうか。
精霊の流れの中で、我々の感情は変化します。
どの瞬間でも、自分の思いを神様に向けることはできます。
そして精霊様は、自分の思いを一心察信させることができるんだと。
そして、来てくださる私もその願いを持っているから、
その願いながら、精霊の流れに流れていくことです。
それはまるでですね、精霊ネットワークといったラジオ局があるかのように、
いつでもどこでも精霊様に、この自分の思い、考え、体で、
すべての周波数を精霊様に合わせることなんです。
そして、神様に自分の思いを、考えを導いていただくこと。
お願いすることなんです。
もう一箇所説明でいきましょう。
新約の「殺さえ人への手紙三の二節」です。
33:00
殺さえ人への手紙三の二節。
392ページ。
殺さえ人への手紙三の二節。
一読みますね。
あなた方は奇境のものを思わず、天にあるものを思いなさい。
これを思いなさいなんですよ。
天にあるものを思いなさい。
思うのは誰ですか。自分なんです。
他の聖書はこれを、奇境のものではなく、天にあるものに思いを定めなさいとあります。
思いを定めなさい。
そうなんですよ、皆さん。
精霊様に常に、精神、霊、魂、全ての周波数をいつでも合わせ続けることです。
そして、精霊様が語るこのメッセージを、声を聞くことなんです。
でも、そのためには訓練が必要なんです。訓練が必要である。
なぜでしょうか。
悪しものは、私たちの思いの中に、心の中に、頭の中に、否定的な思い、破壊的な思いなども入れ込もうとするからです。
だから、このコロサイ三の二節、さっきのローマ、今日の御言葉のローマの八章五節のように、
常に自分の考えを、思いを、精霊様に向けさせる訓練をし続けていくことなんです。
そのためには、実はシンプルなんです。常に聖書を開いて読みましょう。
時間差があれば、聖書を開いて読みましょう。
また、常に祈りの時を持ちましょう。
時間差があれば、周波数を合わせるためには、祈ることです。
聖書を開いて読むことです。
あるいは、今インターネットで、いつでも良いメッセージを聞けますから、良いメッセージを聞くことです。
周波数を合わせることなんですよ。
ラジオもそうでしょうね。別の神戸なんとかFMある、大阪FMあるとしましょう。89.9としましょう。
89.5に合わせてですね、いくら聴こうとしても聴けませんね。
精霊様に周波数を合わせて、やっと精霊の心が自分に伝わってくるものなんです。
そのためには、また捨てるべき、自分の生活から取り除くべきことが色々あるかと思います。
テレビの電源を切る。パソコンの電源を切る。ラジオの電源を切る。新聞を閉じる。雑誌を閉じる。
36:08
ある方ですね、聖書は普段、それだけ読むのか分かりませんけれども、新聞はですね、もう最初から隅々はですね、2時間3時間も読まれる方がいらっしゃるみたいです。
あるいはですね、色んな本が日本にはたくさんありましたね。そんな本はですね、本当にたくさん読む。
ところが聖書は1週間でそれだけ開いて読んでいるでしょう。
周波数を合わせないで神の声を聞くことはできないんです。ラジオを聞けないように同じなんです。
常に聖書を開いて聖書を読みましょう。常に神のお家でもいいでしょう。教会でもいいでしょう。常に跪いて祈ります。
メッセージを聞きましょう。思いを神様に合わせましょう。思いを定めることなんです。思いを定めること。
メッセージをやりたいと思います。
二様に従う者は、二様に属することに思いを定めます。ひたすら考えます。
そういうふうにしてですね、主よ我らの思いを取り替えて下さい。
察しさせて下さい。そして憎のものじゃなくて、破壊的なものじゃなくて、本当に希望に満ちた、愛に満ちた、信仰に満ちた思いで主よ我らを満たして下さいですね。
聖書に願いを持って、聖霊様に合わせてこの1週間も歩みをさせていただきましょう。お祈りします。
37:40

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