00:01
皆さん、おはようございます。
今日、雪と寒さの中に、礼拝に一緒にお越し下さいました。感謝いたします。
では、メッセージの前に隣の方と挨拶しましょうか。
おかえりなさいました。おはようございます。
それでは、どうぞ。
お祈りいたします。
聖書は、あなたに智慧を与えて、キリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができるのです。
聖書は、すべて神の霊感によるもので、教えと忌まじめと教制と慈の訓練のために有益です。
神様、今から神の御言葉に耳を傾けます。
神御自身が、この群れの上に、一人一人の霊の中に、心の中にしよう。
どうぞ、あなたが語りかけて、教えて、悟りを与えて、恵みを味わう幸せな時、恵みの時としてくださいますように、お願いをいたします。
御礼にゆかれば、期待して、イエス様の皆によってお祈りいたします。
アーメン
先週から、信仰のベースシリーズのメッセージをさせていただいております。
先週は何でしたか、皆さん。
クイズではありませんが、先週は何でしたか。
礼拝です。
今日は、その2、聖書です。
その第一のポイントは、御言葉を実践しましょう、ということであります。
御言葉を守る、御言葉を実践する、ということであります。
それが第一のポイントです。
読んで、聞いて、学んだ御言葉を、その通りを実践することです。
そして、そこに加減をするのではなく、聖書が言う通りに守り、実践することを意味します。
これは本当に大事なことであります。
いくら博士のように知らないものがないほど知っている人であっても、
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あるいは才能がたくさんあって、あれもできる、これができる、そういう人であっても、
どんな人であろうが、最も大事なのは、自分の生活、日頃の生活、人生の中に、
神の御言葉が実践されているのか、それが最も大事なことです。
もしも、こういう御言葉をたくさん聞いて、たくさん学んでいるんだけれども、
なかなか実践されていない、守りきっていないならば、
私たちは、もう一刻も早く、この人工生活の軌道を早く修正していただかなければならないのではないでしょう。
もちろん、人は神の口から出る御言葉によって生きるものだからです。
イエス様は、ヨハネの福音書でこのように言われました。
ちょっと聖書を開いていただきたいと思います。
ヨハネの福音書、14章、15節です。私の聖書では210ページです。
ヨハネの福音書、第14章、15節、聖書210ページ。よろしいですか。
それでは、15節を一緒に読みたいと思います。
もし、あなた方が私を愛するなら、あなた方は私の今しめを守るはずです。
簡単な、本当に簡単でわかりやすい言葉です。
よく読まれる言葉ですけれども、この意味をよくみなさん考えて順に言っていただきたいです。
よくあなた方が、あなた方が私を愛するなら、イエス様を愛するなら、あなた方は私の今しめ、今しめは御言葉ですね、聖書の御言葉を守るはずですと言われました。
どういう意味でしょうか。
簡単にわかりやすく申し上げますと、イエス様を愛する人は、イエス様の御言葉を実践するということで。
みなさん、ではこの御言葉から言いますと、誰がイエス様を愛する人ですか。
イエス様の御言葉を守る人です。
イエス様の御言葉を実践する人が、イエス様を愛する人です。
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例えばですね、夫婦の間をよく話しますけれども、妻を愛する夫は妻のいいことをよく聞きますよね、みなさん。
例えばですね、お父さん、灯油がなくなっています。寒いです。
そしたらですね、このように雪が降っても、もう灯油買いに行きます、ガソリンスタンドに。なぜでしょうか。
家族を愛するからです。愛すればその人の言葉を守ります。その方にしてあげる。
神様とイエス様との関係も同じなんです。
神を愛します。イエス様を愛します。そしたらその方が語られた御言葉も愛することであります。
神様を愛するんだけれども御言葉を愛しない。それはちょっと矛盾ですね。
だから妻を愛する御言葉も守る私。
ところがイエス様はこれをこのようにもおっしゃいました。
二十四節も読みましょうか。同じヨハゲ十四章の二十四節。読みますね。
私を愛さない人は私の言葉を守りません。
あなた方が聞いている言葉は私のものではなく、私を使わせた歌詞の言葉なのです。
皆さん、先の十五節を逆のようにイエス様はこのように言われました。
皆さんこの二十四節を覚えていただいて、また軽く考えないでほしいです。
聖書の御言葉をこの通りに受け入れていただきたいです。
私を愛さない人は私の言葉を守りませんと言われました。
つまり神の御言葉を実践していない。そしたらその人はイエス様を愛さない人ということになります。
皆さん今年一年、神の御言葉である聖書をその通りに守りましょう。その通りに実践していこうではありませんか。
聖書が言う通りに祈りと御言葉に専念しましょう。
聖書が言う通りに十一千金を捧げ、聖書が言う通りにお互いに愛し合い、聖書が言う通りにお互いに許し合い、聖書が言う通りに強く歩みましょう。
聖書が言う通りに御言葉を述べ伝え、聖書が言う通りに神の国とその義をまず第一に求めましょう。
これが信仰であって、このように歩む人こそイエス様を愛する、神様を愛する人です。
ところが皆さんいかがでしょうか。御言葉を守ること、実践すること、やりやすいですか、やりにくいですか、難しいですか。
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答えは、恵まれればやりやすいですし、恵まれていないと難しいです。これが答えです。
第二のポイントは、恵まれた人は御言葉を実践するということであります。
神の恵みを受けている人は御言葉を実践します、守ります、いや、守りたくなるんです。
神の恵みはとても力強くて、自分の駒を砕いて、罪を焼き尽くして、罪を食い温めさせて、神の人に新しく作ってくれる力、パワーだからなんです。
だから皆さん、見てみなかったもんね、見てお分かりになると思うんです。
神の恵みを受ければ受けるほど、その人は神様をもっともっと愛するようになります。
人を愛したくなります。許したくなります。理解したくなります。自分の罪を悟って、謙遜になります。
御言葉を実践して、御言葉の香りが放つ人にどんどん変えられていく人。
誰ですか?神の恵みに満たされている、神の恵みを常に受けている人なんです。
ですから皆さん、神の恵みこそ、信仰生活において、クリスタルにとっては最も大事なパワー。
だから、恵みを受けること。これが一番大事なことなんです。皆さんが自分自身のことでお分かりになると思います。
恵みを受ければ受けるほど、神を愛するようになります。
だから、その方の言うことを守りたくなる。守らずにはいられない。
死のために生きるようになる。復位を愛して、支えたくなる。愛したくなる。謙遜したくなるようになるのです。
何のパワーですか?神の恵みのパワーなんです。
ですから、人は恵まれば恵まれるほど、どんどん変えられます。清められるのです。
かつては悪くて頑固でトラブルメーカーだった人か、教会の問題だった人が、どんどん恵まれば恵まれるほど、サウルがパウルのように変えられます。
恵みが一番一番大事なものであります。
だから皆さん、神様に愛されている皆さん、恵まれている皆さん、さらにさらに恵みをお受けしましょう。
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そして、主と兄弟姉妹たちを謙遜に愛し合いましょう。お互いに助け合いましょう。
また、何か困難なことが起きたときに、お互いに助け合って、静まって祈って、
静まって祈って、清みをくいあためて、神の助けをお互いに祈りあう、求め合う人にならせていただきましょう。
その一こと、恵まれた神道でございます。
私はですね、こう見ますと、4年の間、ぼんぼんみなさんが恵まれていらっしゃって、恵まれて、恵まれて、本当にぼんぼん変わられているんですね。
その秘密と言いましょうか、その力は、その人は神の恵みを、もう切に、切なる心を持って求めるんです。
期待を求めるんです。だから恵まれるんです。
こういう信徒の多い教会こそ、幸せな教会ではないでしょう。
ですから皆さん、信仰生活において、最も大事なものは何でしょうか。
他の他ではなく、神の恵みではないでしょうか。
ですから今年、神の恵みを主体に求めて、恵まれることに専念していただきたいと願っております。
恵まれた人は神を愛し、恵まれた人は神の御言葉を愛し、その御言葉を守りましょう。
ですから今年、皆さん、その恵みを主体に求めて、恵まれるその場所、その集会、あるいは自分が救ってでも、
そこを守って、何とかして、恵みを受けよう、恵みを受けようという心の資生を持って求める人を、
神様をご覧になって、注ぎたくなるんですよ、与えたくなるんですよね、皆さん。
その恵みによって、自分の人生、自分の貧困を動かしていただこうではありません。
求める人には一種があったり、恵みを与える。
今の二つのポイントは、貧困の生活、その生徒生活において、これは最も土台的なものでした、根本的なことでした。
では、実際的にどのように御言葉を、生徒の御言葉を愛するのか。
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実際的な面をもう少し申し上げたいと思います。
その1は、聖書を読みましょう。
聖書を読みましょう。
何があっても、一日、せめても一章ずつ、聖書を読もうではありませんか。
聖書を読む人が、イエス様を愛する。
聖書を一読しましょう、という、自分の決心をして、そこに自分の身を捧げようではありませんか。
一枚、さっきのをお見せしたいと思います。
これは何だと思いますか。何か書いてますね。
聖書は書いてます。
誰のものでしょう。私の母のノートなんです。
今年で82歳です。
毎日、机を、上にノートを敷いて、聖書を活用しています。
多分ですね、昔は職業をしていたから、その時はできなかったと思いますけど、
私が、大学1年生から辞めましたので、
その以来は、もう時間があると言えば、
座って、聖書を読みながら書きます。
ずっと。
皆さん、数えてみたら、旧約は1439ページ、新約は461ページです。
1900ページです。
305で割ると、5.2ページになります。
1日5ページ読んだら、1年で聖書1読できます。
昨日、セットしてみました。
1ページ読むのに、私の日本語で4分ぐらいかかりました。
ですから、5ページ20分だったら、早口の方は15分で読めるかもしれません。
10分でも読めると思います。
10分、あるいは15分、あるいは20分、1日で、それほどの時間はないではないでしょう。
新聞を読む時間、あるいはテレビを見ている時間、あるいは雑誌を読んでいる時間、
数日間を削ってでも、聖書を読むのではありません。
それも難しいですよと言うならば、1日1冊読むなら、3年で1読できます。
神を愛する人は、その御言葉を愛します。
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聖書を読まずにはいらない、どうしようもない。
それが、イエス様を愛する人ではないでしょうか。
いつものように、いつもの場所で、聖書を開いて読む時間を、今年こそ2日でありませんか。
もうすでにですね、朝、できるならば起きて、10分でも20分でも、聖書を読まれている方がおられればと聞いております。
本当に素晴らしいことで、感謝のことです。
良い習慣をね、聖書を読むときに申し上げましたように、
祈る習慣を身につけることの同じく、聖書を読む習慣を身につけようではありませんか。
今はですね、僕自身だって、もう聖書を読まざるを得ない、また読んでおりますけれどね、
大学生のときでした。私、学校までですね、電車で大体4時間、4時間半往復かかりました。
ちょっと遠い学校でしたけれども、電車に乗ってですね、立っても座っても、よく聖書を見ました。
開いた聖書を見ました。
学校にいたら図書館や、あるいは教室にいて、また聖書を見ました。
4年間ずっとやりました。
会社に行ったら、会社は幸いに聖書が出来たから、朝30分、40分ほどのデポートのときがありますから、
そのときにまた聖書を読んで、一緒に祈ることができました。
皆さん、良い習慣を身につけることが大事なんです。
いつものように、いつもの場所で、皆さんは何をして笑っているのでしょうか。
イエス様を祈ってやがれと。
神の人たちは、聖書を読んでおりました。
皆さんもですね、今年は。
他の時間を削りましょう。
睡眠時間を削りましょう。
新聞の文字を削りましょう。
遊ぶ時間を削りましょう。
そういう時間を削って、
聖書を優先にして、聖書を読んでいきましょう。
聖書を一箇所開きましょうか。
四篇、一篇、一節から三節。
四篇、第一篇、一節から三節。
907ページです。
よろしいですか。では、長くありませんので、
一節から三節、一緒に読みたいと思います。
幸いなことよ、悪者の計りごとに歩まず、
罪人の道に立たず、
あざける者の座につかなかったその人。
まことにその人は、主の教えを喜びとし、
昼も夜もその教えを口ずさむ。
その人は水路のそばに植わった木のようだ。
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時が来ると実が成り、その葉は枯れない。
その人は何をしても栄える。
私たちの神御がこのような神御でありたいんですね。
神様が皆さんを裏になって、
この人がおなかがないかとですね、
そう認めていきたい。
神の人は、主の教えを、
主の教えは御言葉ですよ。
聖書の御言葉を喜びとします。
皆さんは何を喜びとしておられるでしょうか。
神の人は、イエス様愛する人は、
神の御言葉を喜びとしますよ。
だから、昼も夜もその教えを口ずさむということであります。
その人は水路のそばに植わった木のようだ。
砂漠のあの荒のような国の中でですね、
いくら陥伐があっても枯れていても、
その人は枯れることがない。
何をしても栄える。
復復される。
その力は何でしょうか。
一つ一つは何でしょうか。
主の教えを喜びとすることであります。
だから皆さん、今年こそ主の教えを喜びとしましょう。
昼も夜もその御言葉を口ずさもうではありませんか。
その決心をしてですね、
そういう風にしていただきたい。
アメリカの有名な信仰深い大統領リーさんはこう言いました。
私は戦争の学びに夢中になって没頭している。
私はそれが神の言葉であると信じているから。
なぜならそれは神が、
なぜならそれは私がどこにいるのか探し出すからだと言いました。
皆さん、神の御言葉を愛して聖書を読もうではありませんか。
リブグリにも聖書を置いておいて、
寝室にも聖書を置いておいて、
机の上にも車の中にもトイレもいいかもしれません。
聖書を置いておいてですね、
行くところどころで通知を開いて読もう。
軽々な必要感を身に付けて読んでいこうではありませんか。
今はですね、スマホにもアプリがいくらでもありますからね。
いくらでもどこへでも聖書を読める時代になっている。
読めれば読めます。一生読めませんよ。
読むという形式もして、神を愛する形式もして、
聖書を読もうではありませんか。
ところが、なぜ私はどうして神の御言葉を、
このように読んで学ばなければならないのでしょうか。
それは、聖書によって、神の御言葉によって、
私たちが恵まれて、そして越えられるからです。
恵まれて、越えられるからです。
なぜでしょうか。
聖書は、神の霊化によって書かれたものです。
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だからこの聖書の中で、私たちは生ける主にお会いするのです。
生ける神様にお会いするのです。
聖書の中で丁寧に満たされるのです。
聖書の中で、私を愛して十字架で死んでくださった家様にお出会いするのです。
そしてこの霊に満たされるのです。
その恵みがどこで起こるんですか。
聖書を読むところで、その恵みが起きるのです。
だから、神の御言葉によって、聖書の御言葉を聞くことによって、
学ぶことによって、読むことによって、私たちの人生が変えられ、
私たちの霊と人格が変えられ、
聖としてイエス様のように、日に日に変えられていく。
その力は、聖書にあります。
ですから皆さん、神の御言葉を読み続ける。
学べば学べるほど、学ぶほど、もっと豊かに豊かに、
イエス様とのお交わりができるんです。
その御言葉は、既にダビデ学園で言ったように、
蜂蜜のように甘いのです。
嬉しいです。心が満たされるのです。
ああ、深い悟りが与えられた。ああ、そうだ、嬉しい。
そういう恵みがですね、もう、何と言いましょうか、全人間が起こるのです。
恵まれて、恵まれて、主を愛するようになって、
宗教をさらに読んで、恵まれて、なおなおイエス様は、
神様を愛するようになって、人を愛するようになる。
だから、行けば行くほど、恵みに満ちた神道になるのです。
本当、素晴らしいのではないでしょうか。
以前、検索しているときに、偶然、見つけた一つの赤字です。
皆様、たぶん、ご存知かもしれませんが、
イスのものなのか知りませんが、100万人の福井に乗っていたお証です。
お名前はですね、藤田みすおさんです。
この人は、元、真珠湾広域空襲の総司令官だった方ですが、
この人は、何と、1950年、イエス様を信じて、
宣言を受けて、国産になった方のお証が、
その100万人の福井に載っていて、ちょっと読ませてあげます。
ちょっと長かったので、全略して。
日本軍の捕虜たちが囚われていたキャンプに、
いつの頃からか、一人のアメリカのお嬢さんが現れるようになって、
いろいろと日本軍捕虜に親切を尽くしてくれました。
病院への看護から始まって、2週間経ち、3週間と減っても、
27:02
このお嬢さんのサービスには、一点の罪も認められませんでした。
やがて全員は次第に心を打たれて、
お嬢さん、どうしてそんなに親切にしてくれるんですか、と尋ねました。
お嬢さんは、はじめ返事を絞っていましたが、
みながあまり声を詰めるので、やがて返事をしてくれました。
その返事は、何とショックでした。
私の両親が日本軍隊によって殺されましたから。
両親が日本軍隊によって殺されたから、
日本軍捕虜に親切してやるというのは、話は逆です。
詳しく聞かせてくれると、私は膝を乗り出していました。
話はこうでした。
このお嬢さんの両親は選挙地で、フィリピンにいました。
日本がフィリピンを占領したので、町から山中に隠れていました。
やがて3年がたって、アメリカ軍の逆上陸となって、
日本軍は山中に追い込まれてきました。
そしてある日、その隠れ家が発見されて、
日本軍はこの領域をアメリカのスパイだと言って、
死ぬということでした。
両親はこう言いました。私たちはスパイではない。
だが、どうしても死ぬというのならば、仕方がない。
せめて死の試作をしたいから、30分の猶予をください。
そして与えられた30分に、両親は聖書を開いて読み、
神様に乗って、その後、命を落とされました。
やがて、ここの死体はアメリカで仏を守っていたお嬢さんのもとに伝えられました。
お嬢さんは、悲しみと意気通りのため、
目は涙でいっぱいであったに違いありません。
父や母がなぜ、知られなければならなかったのか。
無法にして、呪わしい日本軍隊、憎しみと怒りに胸は張り裂ける思いであったでしょう。
だが、静かな夜がお嬢さんを訪れたとき、
両親が殺される前の30分、その祈りは何であったかをお嬢さんは思いました。
するとお嬢さんの気持ちは、憎悪から愛へ転向したということです。
私はこの美しい話を聞きましたが、まだよくわかっていなかったのです。
そしてしばらく日にちが流れました。
ある日、私は用事があって渋谷駅に出発しました。
駅前に出ると、一人のアメリカ人が道に行く人々にサンプレットを配っていました。
30:06
私も息づりに渡されたので眺めてみると、
私は日本の捕虜でしたと題してあり、一人のアメリカの軍曹の写真が掲載されてあったのです。
それはかつて東京爆撃隊の人であったジェイ・デ・フィザーの真顔明かしでした。
私の怒りは動きました。
特に彼が捕らわれて国中で逆風されているときに、
彼はなぜ人間同士がこうも憎み合わなければならないのかと考え、
人類総合のこうした憎悪を真の兄弟合いに変えるキリストの教えというものについて、
かつて澄んだ心に心が動き、聖書を調べてみようという不思議な欲求に捕らわれたと言っている言葉が、
同じ神教にある私の心を捉えたのです。
一つ私も聖書を読んでみようと思い始め、
さっそく聖書を買い求めてあちらこちらと探り読みをしているうちに、
部下の福音教二十三章三十四節、
父よ、彼らを許し給え、その成すところを知らざればなり、
のところで、私ははっと、あのアメリカのお嬢さんの話が頭にきらめいたのでした。
これは十字架からキリストが自分に槍をつけようとする兵士たちのために、
天の父なる神様に捧げた虜の祈りです。
敵を許し給え、今こそ私はお嬢さんの話がはっきりとわかりました。
斬られる前のお父さんやお母さんの祈りに思い至ったのでした。
神様、今日本軍隊の人々が私たちの首をはねようとするのですが、どうか彼らを許してあげてください。
この人たちが悪いのではありません。
至上に憎しみ争いが絶えないで、戦争など起こるから、このようなこともついてくるのです。
私は目頭がじんと熱くなるのを覚え、大粒の涙がぼろぼろと頬をつかいました。
私はゴルゴラの十字架を仰ぎにて、まっすぐにキリストに向き直りました。
その日私はイエス・キリストを救い主として受け入れたのです。
誰でもキリストのうちにあるなら、その人は新しく作られたものです。
古いものは過ぎ去ってみよ、すべてが新しくなりました。
彼はこういう言葉も残りました。
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私は熱心に聖書を読みました。
私の人生観はキリストによって完全に変えられました。
なんと素晴らしいでしょう。
皆さん、聖書の中に。
私たちはそこでイエス様にお会いして、神様にお会いして、精霊に魅さされて、
私たちの人生観、価値観、物質観、すべてがキリストによって変えられました。
その恵みがどこにありますか。
聖書の中にあります。
すべての答えはこの聖書の中にあります。
皆さん、聖書の中でイエス様にお会いしてください。
私こそ、主を愛する者は、主の御言葉を愛し、その御言葉を守ります。
聖書を読み、その御言葉を愛し、その御言葉を実践していこうではありませんか。
信徒の是非、聖書を愛し、お祈りに。