1. 名谷教会
  2. 2013/12/29:聖日礼拝(旧音源)
2013-12-29 37:31

2013/12/29:聖日礼拝(旧音源)

2013/12/29 聖日礼拝(旧音源)




00:01
おはようございます。
今日は、2013年の最後の聖日礼拝です。
一年間の神様の恵みに感謝し、また、教会の皆さんの信仰の働き、愛の労苦に心から感謝いたします。
では、メッセージに入る前に、隣の方々と、
また、久しぶりに森谷さんも来られました。
お互いにですね、挨拶しましょう。
一年間、ありがとうございました。
ありがとうございました。感謝します。
ありがとうございました。
今日、久しぶりの方もいらっしゃいますし、また、初めての方もいらっしゃいました。
本当に感謝いたします。
それでは、一言をお祈りいたします。
宗の神様、今からあなたの御言葉に耳を傾け、宗の御前に示をして、宗の教えをいただきます。
神様の明るいすでない恵みを感謝し、また、私たちが一年間の歩みの中で、どんな種をどこに蒔いたのか、
その恵みを覚えるこの時としてくださいますように、お願いいたします。
聖霊様、どうぞ一人一人を心の中に、霊の中にお語りください。
今日でなければ、敷くことができないあなたの御言葉を、我らの魂にしよう。
どうぞお語りくださいますように、お願い申し上げます。
家様の皆によってお祈りいたします。
2013年があっという間に過ぎ去って、最後の礼拝を迎えております。
一年間、皆さんの信仰による働きや、また様々な愛の労苦にも心から感謝いたします。
私や我々にとっては、今年はスペシャルな年でした。
なぜなら、皆さんと共にこの妙大な教会に赴任してまいりまして、本当に幸せな僕らができたからです。
神様はですね、私たちをこういう恵みのうちに出会わせてくださいました。
03:00
それは神様のプランであり、導きだと思うんですね。また恵みでした。
皆さんにとっては、今年一年間はいかがだったでしょうか。
きっと神様からたくさんの恵みをいただいた一年だったでしょうね。どうでしょうか。
説教の最後にですね、今年の恵みをスライド表で一緒に見てみたいと思いますが、
今日のメッセージに入りますと、メッセージのタイトルは、種まきと刈り取りの法則、種まきと刈り取りの法則という題です。
この世界にはいろいろな法則があると思います。
どんな法則があるのでしょうか。
例えば、朝になると夜が来る。夏、秋、冬、もうすぐ春が来る。それも法則なんですよね。
あるいは、食べすぎると太り、食べないと痩せる。
筋トレをすると筋肉がつき、家でゴロゴロするとお腹周りがデパる。脂肪がつく。
これも法則。目に見える法則もあり、目に見えない法則もあります。
その中で大法則があります。それが、種まきと刈り取りの法則でございます。
まいた種の通りに刈り取るということです。
例えば、大根の種をまいたら何が出てきますか。豆が出てきますか。大根が。
バラの種をまいたら何を私たちは見ることができるでしょうか。バラを見ることができる。
大根の種をまいたのに、そこでネギを刈り取ることはできません。
バラの種をまいたのに、そこで豆を刈り取ることはできません。
あるいは、何にもまかなかったら何にも刈り取ることはできません。
自分がまいた種、その通りに刈り取るという法則です。
これは人生全般にも当てはまる法則です。
06:02
皆さんの今の人生の在り様は、実は今まで皆さんがまいた種の結果だと言えるでしょう。
今まで皆さんが、それが50年であろうが、78年であろうが、皆さんがまいたもの、その産物が皆さんの今の人生なんです。
例えば、普段ですね、よく微笑む人、よく喜んで感謝する人は、その結果が顔に現れるでしょう。
あるいはですね、体に脂肪が少ないようにですね、よく注意して、運動をして、食生活に注意する人は、それは結果なんですよね。
良い原因があったから、良い結果があるのです。
今日の聖書の御言葉は、私たちにはっきりと語っています。
自分の肉のためにまく者は、肉から滅びをかりとり、煮玉のためにまく者は、煮玉から永遠の命をかりとる。
ですから皆さん、私たちは、肉のためにまくような人生を過ごすのではなく、神様のため、主の教会のため、福音伝道のため、自分より人のため、種をまかなければならないのです。
なぜでしょうか。肉のためにまいたその種の結果は滅びだ。
皆さんは今年一年間、霊的な種をどれほど多くまきましたか。
信仰の働きの種、愛の労苦の種、涙の祈りの種などなどを、どれほどまいてきたのでしょうか。
今年一年間を振り返ってみながら、何をまいてきたのか、何が足りなかったのかを一緒に考えながら、新しい年を迎えたいと願っております。
私たちがまかなければならない霊的な種があります。その一つは福音という種です。福音伝道という種です。
福音の種をまかないと、魂を刈り取ることはできません。
09:14
息妻の種をまかないと、いくら広い畑があっても、そこで何も刈り取ることはできません。
まかなかったから、何も刈り取るものがないのです。
日本のことわざに、桃栗三年、柿八年ということわざがあります。
桃や栗や、種をまいたら三年になったら、栗を刈り取ることができる。柿は八年ぐらいかかるということです。
しかしそれは、種をまいたことを前提にしているわけです。
まかない限り、決して何も刈り取ることはできません。
皆さん、この世界にあるすべてのものは、それぞれの存在目的があるのです。
例えば、病院は何のためにあるのでしょうか。病院は何のためにありますか。
患者さんを治療するためにあります。それが病院の目的なのです。
教会の存在目的は何でしょうか。
第一の目的は、魂の救いなのです。
先に救われた人々が、他の人々たちを救いに導くこと、そしてその人々が次から次へ救われること、それが教会存在の目的なのです。
お医者さんが患者さんを治療するように、教会は魂を救うこと、それが教会の存在目的なのです。
例えば、大けがをした患者さんが病院に運ばれました。なのに、心に温まる音楽を聴きましょう、おしゃべりをしましょう、そんな病院はいりません。
まず、生命を救うために治療を、最善を尽くしてオペをしなければならないのです。
それが医師や看護師がそこにいる目的なのです。
そこにいる理由なのです。私たちが教会にいる理由があり目的があるわけなのです。
それは、絶えず福音を述べ伝え、諦めず伝導していくこと、それが私たちが救われた第一の理由であり目的なのです。
12:09
今年1年間、多くの伝導集会が持たれました。
子ども大会や秋伝導集会や賛美伝導集会、あるいはクリスマスに4回も集会が持たれました。
多くの巨大住めたちが、伝導したい方々の自宅を訪問したり、トラクトを配ったり、電話をしたり、あるいは車で迎えに行って教会にお連れしたりして、伝導の種をたくさん撒きました。
あるいは、火曜日ごとに訪問伝導、露坊伝導をさせていただきました。一生懸命に福音の種を撒きました。
これこそ信仰の働きなのです。これこそ教会の存在、目的なのです。
お医者さんが祝福をして、治療をして患者さんを治療するように、我らクリシャンは救うために、救いのために伝導の働きをあらゆる形をもって続けていかなければならないのです。
御霊のために撒く者は御霊から永遠の命を借り取る。御言葉の約束を信じて福音伝導の種を撒くのです。もう一度申しますが、何も撒かないと何も借り取ることはできません。
聖書1ヶ月1日にお開きしたいと思いますが、紙編126編5節、それから6節、旧約聖書1038ページ、紙編第126編5節、6節を一緒に読みます。
では、御一緒にお読みしましょう。
3.涙と共に種を撒く者は、喜び叫びながら借り取ろう。種入れを抱え泣きながら出て行く者は、束を抱え喜び叫びながら帰って来る。
15:04
みなさん、この御言葉は通りです。涙があっても、種を撒かなければならないのです。種入れを抱えて出て行かなければならないのです。
出て行きますと、待ちますと、喜び叫びながら借り取ることができる、種が借り取ることができるように助けてくださる。それを信じて撒くのです。
これが霊的な法則であり、種撒きと借り取りの法則なんです。
一つ、いい伝道の和歌詞をしたいと思いますが、この前の11月、富山の世音の教会のセミナーで、多くのプロの中で伝道の和歌詞がありました。
私が通訳させてもらったんですけど、大まかに言いますと、こういう和歌詞です。よく普段、よく伝道するある婦人の和歌詞です。
おしおとうさんが80歳くらいでしょうか、他の所に住んでいますけど、何かがあって、そのお嫁さんの家に2週間ほど来て一緒に過ごすようになりました。
このよく普段伝道している婦人の方はですね、この2週間は神様がお父さんを伝道するために設けてくださる。これはもう80歳過ぎている。これは最後の3週間もちろん。
この時を逃しちゃいけないと。そしてよく祈りながらですね、どうしたらこのお父さんを伝道するか。福音の意志を、神の御言葉をどうしたら使えることができるんだろうかと悩んで祈っていた。
その頃ですね、そのお父さんがお嫁さんにメガネを作りましょう、メガネが欲しいと言われていて、そしてよく伝道しているこの婦人には不思議にも神様から知恵が与えられた。
皆さん、普段よく伝道している人にはその時、その場にふさわしい知恵が与えられるんです。そしてこの婦人がですね、お嫁さんがアイデアを出したんですね。
お父さん、そうしたらメガネを作るところに行く前に、お家で資力検査をしてもらいますね。私がこの紙に大きい文字を書きますから、それを読めるかどうか検査しましょう。
大きい紙にでっかい文字で、いくら目が悪くても読めるように文字を書きました。何と書いたと思います皆さん。例えば、神はその独り子をお与えになった。
18:07
こういうふうにですね、一筋一筋大きい文字で書きました。お父さん、見えますか。見えるよ。さあ、読んでみてください。神は実にその独り子を、そうして聖書、歌詞を何箇所も書いて読んでもらいました。
そして、またもう一枚しますね。で、受け入れの祈りも書いて、神様、私は罪人です。あなたを私の主としてお迎えします。家様の皆によってお祈りします。アーメン。それをしてもらいました。
そして、不思議にも、神様がただ文字を読んでいるだけでしたけれども、神様、精霊様が働いて下さいまして、そのお父さんが、そのお嫁さんの、あの心尽くしの、その前導を受けて、その日、家様を救いました。
そして、何年後ですね。天に召されたそうですけれども、皆さん、いつまでもセンスがあるわけではありません。今こそ、私たちは福音の種をまかなければならない時ではないでしょうか。
年末年始、皆さんのお家に、あるいは皆さんがどこかに行かれまして、ご家族やご親族の方がお集まりになると思います。良い伝道のセンスなんです。飲んで食べて幸せに過ごすことも良いことでしょうけれども、皆さんを先に作って下さった神様のその目的を覚えていただきたい。
そして、何とかして御言葉を伝えていただきたい。イエス・キリストを紹介していただきたい。
福音の種をまきますと、必ず魂の救いという借り取りを、主御自身がなしてかかるんですね。皆さんを通して、一人でも多くの人々が救われますように。
ここ10年間、皆さんはどれほどの人々をお誘いしたんでしょうか。1人でしょうか、5人でしょうか、10人でしょうか、あるいはそれ以上でしょうか。愛する皆さん、主のために福音の種をまきます。
21:09
過ごせずにまきますと、御言葉の約束その通りに、必ず喜び叫びながら借り取る時が来ることを信じて、福音の種をまいていきたいと思います。
その次、私たちがまかなければならない霊的な種があります。その2はお祈りという種です。お祈りという種なんですね。
今年1年間、皆さんはどれほど多くの祈りの種をまきましたか。もう一度申し上げますが、種まきをしないと借り取りもあります。しかし種まきをすると必ず豊かな借り取りが収穫が身が結ぶんですね。
もう一度神様がですね、1年間の皆さんのお祈りの質とあるいは量を測るとしたら、皆さんのお祈りの質と量はどれぐらいでしょうか。
神様を喜ばすことができるほどでしたか。枕を濡らすほどでしたか。すべてのことから離れて祈りに専念したことはどれほどあったでしょうか。
皆さん、聖徒にはすでにこの祈りについて種まきと借り取りの法則を教えているんです。聖書を1ヶ所見てみたいと思います。
新原聖書、マタイノ福音書第7章です。一緒にお寄せしましょう。マタイノ福音書第7章、7節8節。新原聖書11ページです。
マタイノ福音書第7章、7節8節。よろしいですか。11ページ。それでは7節8節一緒に読みたいと思います。
求めなさい。そうすれば開かれます。誰であれ、求める者は受け、探す者は見つけ出し、叩く者には開かれます。アーメン。
24:11
みなさん、求める、探す、叩く、これがお祈りという種なんですよね。求めた人に与えられるんです。探した人が見つかります。叩いた人に開かれるのです。
みなさんは今年どれほど求めましたか。どれほど探しましたか。どれほど叩きましたか。神様がみなさんのその求めや探しや叩きをご覧になって、神様が見てもう十分だよと言われるほど求め、探し、叩きましたか。
神様の心を喜ばせる自信があるでしょうか。今年一年間、創宣祈祷会やあるいは水曜祈祷会、10月から始まった金曜リバイバル祈祷会、また今年3回か4回ありましたけれども、特別祈祷会が2週間あるいは4週間続きました。
多くの兄弟姉妹たちが参加して、共に涙しながら心を一つにして祈ってまいりました。祈りの種がたくさんまかれてきたんですね。
その祈りの種は決して潰されることなく、必ず主がその御言葉通りにまかれた祈りに耐えて応えてくださるんですよ。借り取ることができるようにしてくださるんですね。
皆さん、どんな人が祈るか知りますか。祈れば必ず応えられると信じる人が祈ります。祈って応えられた恵みの経験のある人が実は祈るんです。なぜ祈らないか知りますか。
祈って応えられた経験があまりないから祈らないのです。祈っても応えられるだろうと確信のない人が実は祈らないのです。
皆さん、今年どれほど祈りという種を天にたこえましたか。皆さんの祈りの時間と他の時間と比べたらどっちが長いでしょうか。
27:09
いつも祈りなさい。絶えず祈りなさいという神様の御命令にどれほど従ったのでしょうか。祈りの種をまいた人は必ず喜び叫びながら借り取る。それを主がそういう風になしてくださるんですね。
どうか来年は祈りの種をたくさんまきましょう。絶えず祈りなさい。いつも祈りなさいという御言葉通りに祈っていただきたい。教会に集まって心を一つにして祈りたい。
今週一週間不思議なことが2件も起きました。田中姉妹の二名さんがバイクの交通事故に遭わされました。
今日お見えになっていらっしゃるがいいですけど、藤沢兄弟がおととい自分事故ですけど、車の事故を起こして、車が破損して結果はなかったんですけれども、幸いに命が守れました。
一週間に二回も交通事故が、明谷教会の兄弟姉妹の背中にありました。これはただの偶然の事故ではないと私は神様から示されました。
ますます祈りなさい。心を一つにして、こんな時こそ一つになるべきだと神様から強く示されました。神様の御声でした。
あなた方は心から、あの心から本当に一つになっているだろうか。互いのために愛があっているのか。祈り合っている教会なのか、支え合っている教会なのかと言われました。
僕自身から悔やかめて、主の御前に祈りました。祈らなければならない時に、祈る人が神の人です。誰にも言い訳はあるでしょう。しかし、人には言い訳することができるでしょう。しかし、主イエス・キリストの御前に立たされた時には、言い訳は通じません。
あなたはどれほど福音の羽を撒きましたか。あなたはどれほど祈ってきましたか。イエス・キリストに問われた時に、あなたは何とお答えすることができると思いました。神様、忙しかったです。私は病気がありません。家は家族が信じていないです。私は家が遠いです。私は仕事をしています。
30:25
人には言い訳をしていいです。しかし、イエス・キリストの御前では、言い訳は通じません。そのことを覚えていただきたい。そして、祈らなければならない時に、心を一つにして祈る。すべてを手放して、主の教会を優先にする。その教会が、神の心にかなった教会です。
来年は、また1月6日から1週間、新年の祈祷会が開かれます。どうぞ、2014年を信仰を持って、祈りを持って、スタートしていきたいと思います。心を一つにして、必死になって、死の御前に祈りを持って歩んでいきたいと、それがあってあります。
祈りの種は、必ず答えが、主から与えられることを、期待して、信じて、祈ってまいりましょう。
3番目です。私たちが、まかなければならない霊的な種があります。それは、御言葉という種です。御言葉です。
皆さんは、今年1年間、皆さんの心の中に、霊の中に、どれほど多くの聖書の御言葉という種を撒きましたか?御言葉が満ち溢れるほど、いっぱいになるほど、御言葉の種を撒きましたか?心の中に、霊の中に、御言葉を撒きましたか?
今年1年間、聖書の御言葉を聞く、学ぶ機会を、神様は、私たちに、何度も何度も、たくさんの時を設けて下さいました。それが、この聖実礼拝であり、ただ、週に一回だけは足りない、毎朝、早天地とかいで、聖書一本ずつ、主から教えて深く教えられました。
水曜日と同じように、より深く聖書に学んできました。聖書講座も開きました。あるいは、教や正解など、様々な御言葉に学ぶ時を、実は、神様が何度も何度も、チャンスを、機会を、皆さんに与えて下さったのです。
33:09
皆さん、人は、見たとおり、読んだとおり、考えたとおりに、歩んでいきます。インプットしたとおり、アウトするわけなんです。これも一つの法則なんですよね。
聖書の御言葉を、自分の心と霊の中にインプットした人は、その人の言葉や人格や、普段の振る舞い行動、あるいは霊的な姿勢から、その御言葉による良いものが出てくるのです。
しかし、女的なものをたくさんインプットした、その人はクリスチャンであろうとも、女的なものをいっぱい入れてしまったら、人格から、言葉から、顔の表情から、振る舞いから、女的なものが出てくるのです。
これは法則なんです。一年間、皆さん、振り返って考えていた人は、皆さんの霊の中に、心の中に、この聖書の御言葉をどれほど読んで、この御言葉を、あなたの人格に、魂の霊の中に撒いたのでしょうか。あるいは、聖書の他のことを、どれほどいっぱいインプットしたのでしょうか。
皆さん、よくよく言っておきますが、良い霊的習慣、すなわち、伝道や祈りや、礼拝や、聖書を読む霊的習慣は、一晩で一度に出来上がるものではないのです。
絶えず祈る人が、よく祈ることが出来ますし、どんな時でも祈ることが出来るのです。そして、より多くの収穫を得ることが出来るのです。その人の人生は、乏しいことはありません。絶えず聖書を読む人が、よく聖書を読むことが出来るのです。どんな時でも、聖書を読むことが出来るのです。
だから、試練があっても、揺るがされることがないのです。皆さんの聖書は、読んで読んで、もうボロボロになっているほど読んでいますか。あるいは、礼拝が終わったら、どこかの家に聖書を置いて、日曜日には朝になって、これで聖書を持って、教会に来ている人はいませんか。
いないと思いますが、聖書は飾り物ではありません。よく読むことです。いつも身近に置いておいて、聖書を読みましょう。そこに命があります。
36:16
伝道の種、祈りの種、みこぞばの種を、今年7年間、教会を通じて、多くの種がなかれました。皆さん、ご自身の心、霊の中にもたくさんなかれたと思います。その種を神様が必ず借り取ることが出来るように、順番になってくださることを期待します。
そして、これからさらにますます、みことばの種を、祈りの種を、礼拝の種を、伝道の種を、まいてまいていこうではありませんか。涙とともに種まきをする人に、天皇ちつなる神様が必ずたくさんの借り取りをすることが出来るように、祝福してくださることを信じていきたいです。
それでは、メッセージはここまでにしまして。
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