1. 名谷教会 podcast
  2. 2015/10/11:聖日礼拝(旧音源)
2015-10-11 33:48

2015/10/11:聖日礼拝(旧音源)

2015/10/11 聖日礼拝(旧音源)




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本庁は、サイモン・カズンス先生により、伝染する清潔に対してメッセージをしていただきます。
みなさん、こんにちは、おはようございます。
Wake Japanの宣教師、サイモン・カズンスと申します。
今、妻、娘、息子と一緒に、4年前から京都の伏見区で教会を開拓してきました。
その4年間の間で、いろんな活動を実験してみていたのですが、
その中に成功したことがあって、失敗したこともありましたが、
今は一つの教会を、家族向きの教会を勃開しています。
親父親子という教会で、家族みんな集まって、遊びながら、歌いながら、工作をしながら、聖書の話をします。
しかし、主の活動というのは、まだ開拓連動ですね。
決して人口が1%になっていない日本では、開拓連動は何よりもの優先だと思います。
私たちは家族として、出かけて地域と関わって、その関わりをとって連動します。
今住んでいる向日島というところが、この水戸流のように団地が多くて、市営住宅、府営住宅が多い。
私たちはその中に住んでいます。一つの高段住宅の高い棟の中に住んでいます。
そこに引っ越してすぐ、自治会に入りました。
子どももいるから、自治会の子ども会も入りました。
しかし、うちの男子では子どもがいないので、いきなり子ども会の会長になってしまいました。
その時、自治会の方から、七夕祭りをしてくださいと言われて、
私は外国人なので七夕のことはよくわからないのですが、クリスマスはどうしようかと聞いたら、クリスマスしてくださいと言われました。
だから団地の中でクリスマスを祝いました。
もちろん選挙祭ですので、クリスマスの意味とか、
誕生して何のために来たということを説明して、ある意味で教会でするクリスマス祭とあまり変わらないように、自治会の中でしました。
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そして、次の年では自治会の会議があって、クリスマスをお願いして、会議の議事録の中で会長さんが書いて、
クリスマスは家様の誕生日です。家様を祝いましょうと書きました。
今日のその時、私たちが家でハウスチャーチをやっていたんですね。家で家庭集会みたいな集会をしていて、
そのメンバーが引越したり辞めたりしましたので、
そして私たちの子供がちょっとだけ伸びて、狭い家でのバイブルスタリーが退屈になって、
もう何か違うことをした方がいいと思いました。
だからこの家族向きな教会を始めようとしました。
その時娘が保育園に通いました。
保育園の園長先生といい関係がありましたんですね。
日本でいい関係があれば何でもできるんですよね。
園長先生に言って、親とシェアを始めていますので、保育園の前に情報を回収していいですか。
いやいやいや、そのことしなくてもいい。
私にブラを扱ってみんなに配りますよと言ってくれました。
そして関係者として集会する場所はありませんでした。集める場所はなかったんですね。建物が持っていないからですね。
でも自治会の会長さんといい関係がありましたので、
自治会の集会議を使っていいですか。どうぞどうぞ使ってくださいと言われました。
だからその初めての親子シェア室の集会で30人くらいが集めてきました。
あっという間に教会ができたような感じでした。
そして今年の初めに男性のために何かしようと思っていたんですね。
石間男子では結構暇のおじいさんが結構いますね。
なんかああいう人たちとセッションをしていたらいいなと思って。
以前は自治会会長さんとよくある宗教の話をしていましたので、彼を誘ってぜひ参加しますと言いました。
集会議をぜひ使ってくださいと言われました。
そして近くの大学が街作り活動をやって、そのために団地の中にコミュニティセンターを開かれました。
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私が毎月の運営会を参加して、その関わりを通して区役所に呼ばれて、
不思議で住んでいる外国人としての感想を話してくださいと言われました。
その聞いてきた人が不思議に同じ団地の人でした。
同じ団地だけではなくて、同じ棟で住んでいたんですね。
私の話が終わったら、彼と話し合って、
同じ所ですので一緒に帰りましょうか。
車に乗せて、彼が私に言って、そもそも選挙主ですね。
一応そうですねと言って、選挙を教えますか。
これから団地の人と選挙を教えるなと思っていたら、私もぜひ参加したい、勉強したいです。
だからその時から3人で選挙を読みました。
先月は経路の日でしたね。団地で経路会を参加しました。
その時、彼女がある自治会の役員と話しました。
その人がちょっと前にトラックをもらいました。
そのトラックは教会の名前とか人の名前とか何もなかったし、
誰かが個人で書いてまいったそうなトラックで、
その中に教会に行って選挙を読んでと書いていたんです。
役員さんがあれを読んで、選挙を読もうと思って、
館内に近くにいい教会がないかなと尋ねて、
実は夫人がバイブルスタジオをやってますよと言って、
それいつですか。
あったの11時になります。
そうですか。どこですか。
集会場ですね。
集会場って言ったら今の集会場ですか。
そうです。ぜひ参加します。
その人が一回参加して、次回はもう一人の役について参加しました。
あっという間に男性5人でバイブルスタジオを開きました。
だから私たちにとって地域との関わりが選挙の鍵だなと思ってます。
しかし多くの教会では地域との関わりがちょっと薄いかなと思いますね。
教会に行きなさい、行きなさいと言ってますが、
かえって一歩踏み出して出かけて手を下して、
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周りの社会と関わっている教会はそんなにたくさんないと思います。
それはあり得ないではないかなと思います。
私たちが礼拝する神様は遠く離れて、
ここに来なさい、来なさいと叫んでいる神様ではないんです。
家様の姿で肉をとって市場に降りて、人と関わった神様です。
特に当時の宗教者たちがちょっとやばいなという人にも関わりすぎた神様ですね。
そのために殺されているんです。
数年前に私が教会と地域の関わりのセミナーに参加しました。
そこでは一人のクリスタンが子供の頃の思い出を語りました。
はっきり覚えたことでした。
夏、教会の青年会がラジオ体操をしました。
彼はそれに参加しました。もちろん教会でやりました。
彼も家から教会に行くために公園を通って行きました。
その公園では自分の町内会が、青年会がラジオ体操をしました。
自分の地域の人を通って、手を振って教会に行きました。
その時、彼が気がついた。教会の社会と地域の社会が完全に分かれたということが分かりました。
なぜでしょうか。なぜでしょうか。
イエス様は私たちのことを何と呼びましたんですか。
イエス様が私たちのことを火の塩と呼んだのではないですか。
塩が調味料があっておいしいものです。
ほとんどもうあっていいものですね。
しかし、そのまま塩一杯を食べたらすばらしいです。
まずいんですよ。
塩は他の材料と混ぜなければ何の値打ちもありません。
だから固まったらダメです。固まったらダメですね。
私たちは、血の塩のこの世界と混ぜなければならない。
私たちの役割、神様から与えられた使命は、この世界をおいしくするんですね。
そのために関わらなければならないんです。
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宣教師として、日本の教会はなぜ伸びないかとよく聞かれています。
前からそう思いました。
社会と教会が分かれて、もう違う世界で回っているからですね。
教会は霊的なレベルでいろんな関心しかないんですけど、
実は一般の日本人は日常生活の中で神様のこととか罪のこととかあまり関心を持っていないんです。
だからその人たちのために教会は何を教えることがないんですか。
だから教会のメッセージがあまり魅力がありません。
一般の人が何を関心を持っているんですか。
仕事のことを気にして、家族のことを気にして、金融関係のことを気にして、子供の教育のことを気にしています。
だからそういういつも霊的な教えよりも、もうちょっと具体的なことを宣教の表現から教えなければならないと私は思いました。
例えば信仰と生活、信仰と仕事について本を書きました。
しかし今振り返ってみると、やっぱり根本的な問題は霊的な問題です。
根本的な問題は霊的な問題、マインドセットの問題です。
考え方の問題、価値観の問題ですね。
例えば私の妻が都エコロジーセンターというところで活動しています。
エコの意識があって、すごくエコを熱心に。
私が一回そこでエコカフェを参加しました。
美味しいタレスヒビを使わせない料理を出して。
そしてそれが終わったら、いくつか食器とかただ使われていないんです。
これ食べなくてもいいと言いました。
もう使われていないので綺麗です。
しかしエコのセンターなのに、それを全部避けて洗いました。
なぜかというと、日本の感覚で、日本でそういう穢れの意識があって、おもてなすの意識があって、
一回お客さんに出したものを日帰りに出すのがちょっと気持ち悪いですね。
問題は皿ではなくて、皿は綺麗です。
問題は考え方ですね。
だから本当に、そういうところでもエコのことを自信しようと思ったら、
その日本の常識を変えなければならないんです。
クリスティアンの場合もそうだと思います。
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私がこの教会を始めてですので、みんなどういう状態かわからないんですけど、
私が出会った多くの日本人クリスティアンでは、
クリスティアンの価値観が深く植えた人はすごく珍しいですね。
ほとんどが日本の価値観の土台の上にクリスティアンが載せたようなんですね。
深く植えたわけではないんです。
だから基本が日本の考え方。それがベースですね。
ローマビートの手紙では、あなた方がこのように習ってはいけません。
むしろ心を新たにして自分を変えていただきますと書いてあります。
私たちクリスティアンが新しい心を受けました。神様から受けました。
そしてその新しい心では、このような常識は合わないんです。
合わないので、それを変えなければならないんです。
今日の聖書の箇所、ようやく聖書に入りますけれども、そういう同じことを見えます。
ここでは、やいろという人がいます。
そしてやいろがイエス様のところに来て、娘が日にかかれているということを言いました。
それはすごく緊急な状態ではないんですね。
もうイエス様が来ないと、この娘の目がしみます。
それより緊急な状態はないと思います。
そしてもう一人の人がイエス様にやってきました。
この女性は軽い病気がありました。
その病気はもうすでに12年間経ちました。
全然緊急なケースではありません。
しかしイエス様が止まって、この全く助けなくてもいい人に助けました。
そして娘が死にかけている人を待たせました。
これイエス様は一体何を考えているんですか。
ある意味ではイエス様が本当に重要で何が大事であるか、何が緊急であるか区別しました。
でもイエス様に対して大事なこととか、このような大事なことは正反対です。
イエス様の価値観が私たちの価値観と違います。
やいろは男の人でした。
しかしイエス様が女の方に先に助けに行きました。
やいろが街道長、現代と言えば教会の牧師でした。
立派な人、すごく社会に尊敬された大事な人。
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この女が他の福音書を読むと未亡人であって、当時全くステータスがありませんでした。
しかしイエス様が身分の低い方に助けに留まりました。
そしてやいろが街道長であって、清い、清められた人物に思われました。
かえってこの女の人が出血によって、ユダヤの立法では汚れたと思われました。
しかしイエス様が立法に汚れた方を助けに留まりました。
そしてやいろの場合はすごく緊急のケースですね。
もうイエス様が来ないと娘が死にます。
女の方はもうすぐに10年間経ちました。
全然緊急ではありません。
それだけではなくて、もうすぐに嫌われたんですね。
もうイエス様の生き物を育て進む立場になりました。
しかしその後、イエス様が止まって、彼女と話しました。
全く必要のない会話ではないか。
そんなためにやいろを任せました。
それはとんでもないですよね。
やいろが多分もうすぐに溜めた状態でした。
命がけで娘が死にます。
本当に普通な状態でした。
その状態でイエス様のところに来たのですが、
時間が限りました。
早く助けてもらわないと願いました。
そして早く助けてもらわないと娘が死にます。
私は4年前に娘が生まれてから、本当に人生がいろんな目で変わりました。
神様の恵みによってまだひどい病気がかかっていることはないのですが、
彼女が3ヶ月のとき、ちょうど日本に来る前に、
私はケイちゃんのおむつを交換しました。
こういう高さのようにタンスの上にクッションを置いて、
それをおむつ交換台として使いました。
おむつを変えたあと、
違う部屋に手を洗いに来ました。
手を洗っている間にドーンという音を聞きました。
あれがおかしいなと思って、
そしてしばらく沈黙がありました。
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それで大きなウワーッと言われそうに聞きました。
ああ、そうね、最近ひっくり返すようになったよね、と思い出した。
寝室に戻って、床からケイちゃんの服を取って、
海岸を走って下って、
かなり呼びながら直接車に乗って病院まで走りました。
以前にそんなに速く走ったことはないと思いますが、
本当に心の奥深いところからケイちゃんの痛みを感じました。
しかし病院に行くとき、まだ落ち着いて、
待合室で休んでいるようでした。
その時、お父さんがどれほど娘のことを守ろうとしているか分かりました。
もし病院の受付で、受付の人が全く必要のない会話をしていて、
私のことを無視していたら、大騒ぎになるんですよね。
この時、家様がやはり、やいろの皮脂をある意味で無視しました。
全く必要のない会話をしていました。
全く必要のないというのは、もうすでに癒されたんですね。
家様にシンクを持って座りを座って、その時癒されたので、
家様が離さなくても、彼女を置いておいて、やいろの方に行った方がいいんじゃないか。
しかし、家様にとって何が大事であるでしょうか。
強い、偉い、強労であるやいろの娘が染みかけているより、
この全くステータスのない、汚れた、やもめ、女の方に話すことが大事でした。
もうすでに癒されたのに、もう一つ、家様にとって大事なことが残りました。
この女は、12年間、長い間、出血のおかげで、立法により汚れた人でした。
そういう汚れた人が、ユダヤのカイドウに入ることができませんでした。
つまり、彼女が12年間、礼拝を守ることができませんでした。
そして、カイドウを入れないようにと彼女に言われた人は誰でしょうか。
たぶん、そのカイドウ長のやいろではないですか。
まあ、たぶん、約束いたと思います。
ごめんなさいね。私ならいいけどね。立法により仕方がないんですが、
あなたのような人がこのカイドウに入ることができません。すみません。離れてください。
24:05
まあ、彼は立法によって、正しかったが、
家様にとって、その時が一番緊急なことは、
彼女の神様との関係を回復する、そして信仰の共同体との関係を回復することでした。
家様は神様のアクセス、邪魔なるものを一気に除きました。
誰でも、どの状態でも、家様を触れる人が救われます。回復されます。
死にかけている人は、もう後で癒やした方がいいですね。
もう、家様にとってそれは緊急ではない。
もう、死んでも、ラゾロのように、後でも生き返ってもいいんです。
しかし、穢れを清める時は今。神様との関係を回復する時は今です。
もう、ヤイロにとっては、それが大変な一日でしたね。
ヤイロの立場から考えてみる。娘が死にかけている状態でした。
そして、唯一の助けできる人をお願いしたけど、その唯一助けできる人が、途中で全く必要のない話で止まって、遅くなりました。
遅れてきました。
そして、ヤイロがその話の内容を聞くと、最悪でした。
イエス様、この清い癒やし主が、汚れた人に触れて、もう最後です。終わりです。
もう、一歩に寄って汚れた人を触ったら、自分も汚れてしまうんですね。
それ、常識ですね。
日本でも同じ常識があるんですね。
汚れは、汚れが他のものを汚れるからですね。もう最悪です。
もう何もできない。汚れた人が誰でも癒すことができないという常識です。
しかし、イエス様の清さは、この世の汚れより力あります。
イエス様の清さは、うつる清さですね。
もう、汚れた人を触っても触られても、自分も汚れてしまうわけではなくて、
かえって相手の方が清くなります。
ああ、これが私たちの常識違うんですね。
これが、皆さんわかってほしいことですね。
27:00
あなたの内に宿っている聖霊様により、あなたは清められました。
そして、この清さは、イエス様と同じ清さですので、この世の汚れより勝ることです。
すぐに消えちゃうものではなくて、汚れたものを清める力もあります。
使徒の働きでは、パンをのみりつけている手ぬぐいやまいかけをはずして病にあたると、その病気が去り、悪霊が出ていた。
多くのクリスティアンが、いわゆるのように考えていると思います。
神様が命じたことを従えたい。それは立派なことです。
しかし、イエス様が成し遂げてくださったことを、どれほど完全であるかわからないです。
自分の内にある清さは、壊れやすい。すぐに失われることだと、そういう恐れを抱いています。
私もそうでした。子供のとき、小さいときは、精霊様が小鳥のように例えられたことを聞きました。
今もよく鳩に例えられていますね、精霊様。
そして、鳥のようにびっくりさせると飛んじゃうと教えられた。
聖書では、神の精霊を悲しませてはいけませんと書いてあります。
だから、ちょっと暗いところとか、やばいところとかに行ったら、やばい人にかかわったら、清さが失ってしまうという恐れがありました。
いや、神様が与える清さは、そんなに壊れやすいものではありません。
神様が与える清さは、ものすごく力強い。しっかりした清さですね。
他の人、汚れた人を祝福できる清さです。
クリスチャンがどこに行っても、聖書では救われる人の中でも、滅びる人の中でも、神の前にかぐわしいクリスチャンの香りなのです。
だから、やばいところに行っても、そのところまで、イエス様の香りが広げます。
イエス様の香りを運んで広げますね。
皆さん、大胆にクリストの香りを広げてください。
イエス様が汚れた人を治して、それからヤイドウの娘を癒しました。
30:00
イエス様の清さは十分、十二分のことです。
今もそうです。
私が神教学校の時、一人、すごく有名な先生に教えられました。
バーネット先生という人でした。
その先生が、仏教への伝道についていくつか本を書きました。
そして、彼の伝道方法は何かというと、研究者としてお寺とか僧院などに行ったり、
仏教の人と彼の経験を聞いて、その話の中で自分のクリスチャンの経験を話すこともできました。
しかし、彼がそういうお寺とかそういうところを泊まりに行く前に、
教会の友達がやってきて囲まれて、
バーネット先生、霊的に守られるように祈りますね。
霊的に暗いところに行きますので、攻撃されないように祈ってますね、と言いました。
しかし、バーネット先生はこう言いました。
私のために祈ってくれてありがとう。
でも、私よりこれから話すに行く人のために祈ってください。
そこで、暗い霊があるかもしれないんですけれども、私の中に精霊様がいます。
そちらの霊が私に影響できないんですが、私の中にある神様の精霊がそちらの人へ影響できます。
そのために祈ってください。
まさにその通りですね。
教会では、その通りですね、聖書では、
あなた方のうちにおられる方は、世にいる者より力強いです。
第1話4章の4節ですね。
あなた方のうちにおられる方は、世にいる者より強いからですね。
皆さんそれを覚えてほしいと思います。
最近、クリスチャン新聞の調査によると、
日本の教会が攻撃、攻められたという意見に賛成する教会は60%以上だということがわかりました。
60%が教会が攻められているという感じがありました。
皆さんもし教会が攻められていると思うなら、絶対に出て行くわけではないんですね。
そんなところで、自分を守るしかありません。
33:02
それはなぜかというと、自分が出て行ったら攻撃されると思ってしまうんですね。
そうすれば地域と全く関わりがないと思います。
かえって私たちが地域に影響されていることを恐れるより、
そちらの人が恐れるはずですね。
私たちがその人たちを影響できるんですね。
自分の内にある神様が霊的に影響を与えます。
だから皆さん大胆に行って、神様の精霊を運びながら、周りの社会、周りの人を大胆に影響を与えてください。お祈りします。
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