櫻井さんの前職の同僚であり、現在は多摩美術大学大学院で「空海」の研究をする渡邊和樹さん。空海の思想が徐々に完成されていく過程でコミュニケーションが果たした役割とはどんなものだったのか。から始まり、仏があらゆるところに偏在するという話、自分と相手がゼロとゼロとなり、主客がなくなった状態でコミュニケーションをする話など、パワーワードに溢れる時間となっています。
■プロフィール
渡邊 和樹(わたなべ かずき)
1994年愛知生まれ。空海研究者。新卒で入社したGCストーリー株式会社にて、フラット型組織への変革などに取り組む。2020年に子どもたちに無料の学習支援を提供するNPO法人寺子屋みなてらすを立ち上げ、現在7教室を運営。2024年より多摩美術大学大学院に進学し、空海を研究。ビジネス・NPO・人文学・アートのあいだの実践をテーマに多様な活動に取り組んでいる。
NPO法人寺子屋みなてらす クラウドファンディングを2025年末より開始予定。
特設ページ https://minaterasu.com/crowdfunding/
サマリー
このエピソードでは、渡邊和樹氏が空海に関する研究を通じて、仏と仏の間のコミュニケーションやその影響を探ります。また、彼の活動や組織変革に関する経験を交えつつ、空海の思想の重要性を深めていきます。空海の思想がどのようにオープンなコミュニケーションを通じて深化したのかについても語られています。また、空海の密教の概念や仏とのコミュニケーションの重要性についても触れられています。空海研究者である渡邊和樹氏は、仏と仏の間でのコミュニケーションに関する独自の見解を述べ、ゼロの状態での言葉のやり取りが本質的なコミュニケーションにつながることを強調しています。
和樹さんの自己紹介と空海のつながり
こんにちは、エールの山田です。この番組は、エール代表の櫻井さんの書籍、『まず、ちゃんと聴く。』の内容を中心に、聴くやスタイルについてザック・バルに対話しながら深めていこうというポッドキャストです。櫻井さん、では今回もよろしくお願いします。
櫻井 よろしくお願いします。
この形式は久しぶりですね。
櫻井 ね、同じこと言うとした。この形式久しぶりですね。
久しぶりですね。
櫻井 意外と結構。
最近、一編編をやってたからね。
櫻井 さっきログ見返してたらですね、前回はヨラさんでした。
なるほど。
櫻井 最後は創業者のヨラさんとの話でしたっていうから、セッションリプレイをセッションとセッションリプレイいくつかやって、今日に至るという感じですね。また今日はちょっとどうなるんですかね。
全く想像はしてませんが、楽しくなりそうだなという形で声をかけましたが、全く想像ができておりません。
大変どちらから言うかもしれませんが、今日のゲストは渡辺一輝さんをお呼びしております。
肩書きが何だかわからんって言って、肩書きはつけずに紹介しようということにしたんですけど、簡単に多古紹介というか、何でお呼びしたかったか櫻井さんから。
櫻井 そうですね、私から。渡辺一輝さんとの元々のつながりで言うと、僕の前職のGCストーリーという会社で一緒に働いていた仲間でして、僕の方が多分先に辞めたんじゃないかなと思うんですけど、辞めて。
櫻井 なんか、空海の学びを大学に行って勉強し始めるという話は風の噂で聴いてたんですけど、ある時ですね、年末、僕の好きなスウェットロッジってやつに行ったら、いて、「おお!」つって、「何やってんの?」みたいな話。
本当に空海のあれしてるんだ、みたいな話をしてですね。この前、またちょっとGCの前職の関連で呼ばれた場所で少し話しに行ったら、そこにもいて、その時にその話をして、なんか一緒に話せたら面白そうだなと思って、ちょっと今日はお声掛けをしたという。
そうですね。ちなみに僕も、あれ?7月か6月ぐらいにソース原理の翻訳、僕してるんですけど、それと空海を交えててっていうのを目黒にあるお寺で一緒にやるっていう、大変ディープなことを一緒にやった中でもあるので、大変気楽に今日もやってるモードの3人でございますが、果たして何者かまだ分かってないと思うので、ここからは和木さんも入ってもらいながらお一緒したいと思います。じゃあ和木さんよろしくお願いします。
和木 よろしくお願いします。渡辺和木と申します。
和木 はい、ということで、何者かぜひもうちょっと自己紹介をさせていただきたいと思います。
和木 自分でももはや何者かよく分かってないんですけれども、櫻井さんから紹介いただいた通り、GCストーリーという会社で新卒2017年に入ったんですけれども、実はその前にですね、大学時代に空海っていうのを研究してまして、もともと哲学が好きで空海を研究してたんですけれども、その後GCストーリーに入って、
GCストーリーという会社自体が、ある種の進化型の組織の一つの実践例としてなっていくっていうのは、そういったフェーズの段階で入って、自分自身もフラット型組織への変容っていう組織変革の当事者としても実際に活動させて、会社の中で活動してました。
その中で、またこれ別の話になるんですけど、2020年に、今度はGCストーリーの会社の仲間と一緒に、子どもたちの勉強を無料で教える場所を作りたいというふうに、地域で無料で教える場所を作ろうということで、NPO法人のテラコヤミナテラスという団体を作りまして、今、江東区で7カ所、子どもたちにボランティアさんにお願いして無料で勉強を教えるというような活動をしています。
そういう活動をしています。
その中で、ビジネス側は割とお金作っていくっていう仕事もしてたんですけれども、組織変革だったりとか、組織変革と幸せな組織と収益事業の発展をどうやって表示させるのかということをやりながら、NPOでは地域でいろんな人たちが共同しながら子どもたちと
学んでいく、そして地域のコミュニティを再生していくというような活動をしていく中で、改めてこの2つの活動だったりとか、自分自身の活動を統合して考えていく上で、あれ空海をもう1回やってみる?
分かんない分かんない分かんない
促進成仏思想の研究
これはちょっと分かんないんですけれども、だいぶぶっ飛んでるんですけれども、ただ空海自身も非常に社会的な活動もしながら自分の思想を深めていったというような人でして、その思想というものと実際の社会を変えていくということをどのように働かせているのかということに関して
空海をもう1回研究したら面白いんじゃないかということで、多摩美術大学の大学院に住みまして、これもまた面白い話なんですけど、ちょっとそこまで話さないですけれども、多摩美術大学院に住みまして、今研究をしていて、ちょうど終始論文がもうすぐ提出
多分これが公開されている頃には提出し終わっていると思うんですけれども、そういった今状況です
ちなみに終始論文、真っ赤な中だと思うんですけど、今何のテーマで書いてるんですか
そうなんです。空海って促進成仏っていう思想ですね。促進成仏ってどういう人かというと、私はこの身このままで仏になれるっていう思想なんですね
なぜそれがすごいことなのかっていう話をするとすごく長くなっちゃうんですけど、簡単に言うと仏ってすごく遠い存在だったわけなんですよ
つまり私は迷っている存在、ここにいる人間は基本的に迷っている存在で、仏って悟った存在であって、私が悟った存在になるためには何をしなくちゃいけないのかっていうことって
わかんないじゃないですか、そもそも。もともとロジカルに考えると、いやこれは数十億年ぐらいかかっちゃうような
つまり輪廻の輪廻の果てにようやく仏になれるっていうような考え方っていうのがもともとあった考え方なんですけども
いやいやそうじゃなくて、この身このままで仏になれるよっていう思想を、密教っていうんですけども密教の思想を集大成として作ったのが幕府会という風にされていて
その促進成仏の思想はどのようにして生まれたのかっていうことが今僕の研究をすることになります
なるほどな、その話をめちゃくちゃしていきたいというか聴きたくなっちゃいますけど
空海の思想の変遷と影響
どっから行きますか
カズキさんのこの探究には空海だって言ってたりとか意味がわからなかったりとか聴いてみたい気もするし
一方でまずちゃんと菊をテーマにしたポッドキャストなので、菊との交点から行ったらいいかなって気もしてるとか
いくつかあるんですけど、どうします櫻井さん
どっから行きますかな
これってでもその2つって重ならないんですか
GCミナテラスと空海っていう話が紐づいた話と
人とのコミュニケーションとか話を聴くみたいな話で繋がっていかないのかなって
そうですね、多分どこかで繋がると思うので
繋がりをこの時間で作れるかどうかわかんないですけど
試みにそれを話してみるみたいな形でやっていければ面白いのかなっていう風に思ってます
どこから話そうかな
そうですね、ビジネスだったりとか社会活動っていうことと空海っていうものの
どこで結節してるのかっていう話を自分の中ではすごく裏側で持ちながらも
大学院の研究っていわゆる学術的な研究なので
やっぱりテクストを非常に深く読んでいかないといけないっていうところがあるんですね
なので私も今目の前にいろんなテクストがあるわけなんですけれども
空海のものを中心に1200年前ぐらいの文章を読んでいるわけなんですけれども
その中で空海の思想ってある意味完成されたものとして
つまり空海の思想ってこういうものですっていう風に学ぶ
普通の人って学ぶと思うんですけれども
研究をするってなるとどうなるかっていうと
空海がそもそも空海も奈良時代の後半に生まれて平安時代まで生きて
60年ぐらいの生涯があるわけなんですけれども
その中でどのように空海自身が変遷していったのかっていうのが
読んでいくとだんだんわかっていく
かなり丁寧に読まないとわからないですけれども
丁寧に読んでいくとすごくいろんなフェーズがあるっていうことがわかってくるんですね
その中で促進成仏っていう思想も生まれてくると
今僕が論文で書いていることはどういうことかっていうと
空海って密教を学びに中国に行って留学して
それは30歳ぐらいの時なんですけれども
帰ってきて帰ってきてから10年ぐらい
すごくクローズドな環境でその教えを伝えていたんです
なんですけれどもそれが10年ぐらいあるんですね
10年ぐらい経ってから密教っていうものを
やっぱり社会に広げないといけないっていうことを
どこかで思い立って
開かれた言葉で密教っていうものを語り始める時が来るんですね
これは815年の愛の書っていうところからなるんですけれども
ここから実はこの10年間の間っていうのは
クローズドに教えているので
あまり思想的な展開っていうのはないんですよね
つまり思想的に空海が
空海の思想の深化
こういう思想を作っていったっていうことはないんですけれども
広げようとしてオープンな言葉で
一般の仏教の僧侶たちにも分かるような言葉で
表現し始めたこの815年からの
大体10年弱ぐらいで非常に思想が深まっていくんです
なるほど
これが面白いですよね
最初に言ってたことと最後の方で言ってることって
やっぱりちょっと伝え方が違うんです
促進状物っていう言葉自体もその中で生まれてきているんですね
じゃあ持ち帰ってきたものまんまがそれではない
そうなんです
目みたいなものはあったと思うんですけれども
それをオープンな言葉で語り始めて
オープンな言葉で語るとか文章にしたので
文章で出していろんなところに広げていくと
何が起こるかっていうと批判とかが起きてくるわけですね
批判だったりとか
これってちょっとよくわからないんだけどっていうような質問だったりとかが返ってくる
それに対して応答を重ねていく中で生まれてきたのが
その促進状物の思想だっていうところ
面白いなと思っていて
つまり空海の密教とか促進状物って
空海っていう超天才が自分で密教を中国で学んできて
それを作り出す
そこから日本の風土に合わせて作り直していったんだっていうような
そういうロジックで語られることって多いと思うんですけれども
実は空海自身も自分だけで
クローズな環境でやってる時っていうのは
そこまで思想っていうものは
残るような思想としては発展してなくって
オープンな言葉で語り始めて
オープンにいろんな人の批判を受けて
その上でコミュニケーションの中で生まれてきたものが
今の日本の思想の根幹にあるような
促進動物の思想であったりとか
そういったものに育っていくために絶対必要だったところが
めちゃくちゃ面白いと思ってて
コミュニケーションの重要性
これってでも
聴くっていうこととすごく
聴くっていうことというか
コミュニケーションにすごく
の問題だなっていう風に思うんですね
っていうのは何か繋がってるなと
なんか無理やり繋げるわけじゃないんですけど
なんかその
エールンのセッション
ワンワンのセッションしていると
サポーターの方からよく聴くのが
人の話を聴くことで
すごい自分自身への気づきがあるっていう話を
すごいするんですよね
なんかちょっと概念として近そうだなっていう
ことを思いながら今聴いていった感じがあって
やっぱなんかなんだろうな
話すもそうなんですけど
自分の話を社外の人にするっていうことで
得る気づきってすごいあるっていうのもあるし
聴くっていうことで得る気づきもあるんだけど
なんかどこかやっぱり
今エールンのお客さんでいうと
大企業の方々とか多いんですけど
大企業って未だにやっぱりプロパー社員が多かったりすると
自分たちのよく知った人たちの中で
自分たちの身内の言葉で語ることしかしていないものが
ちょっと違うもの
人とのコミュニケーションを挟むことによって
改めて気づきを得るってことは
結構起きてるだろうなって思ったのは
すごいなんか
でもその空海でさえと言ったらそうなんだけど
分かんないんだけど
そういうプロセスを踏むんだなっていうのが
ちょっと面白いなと思いました
今の話はすごく
実は今の話でピンときたものがあって
空海の質問って
もともと密教とそれ以前の兼業って言うんですけれども
密教の方が上だよねっていうことを最初言うんですよ
だんだんコミュニケーションを取っていく中で
どうなってるかというと
密教の中に兼業っていうものを
どんどん統合していくんですよね
最終的に重々診論っていって
10個の回転に心の回転を作る
10個の回転っていうのは
それぞれの思想を代表するようなものなんですよね
すごく迷いの状態から
密教の悟りの状態に至るまで
10段階あって
その間に例えば仏教の中の何とか思想
例えば中元派の思想とか
優意識の思想とかっていうのが出てくるんですけれども
それ10段階で整理したのが
最後の最後の方なんですけど
その中で非常に重要なことは何かというと
10段階で整理して
10個その回転としてあるんだけれども
どこにもその密教の要素っていうのは
あるんだっていうことですよね
どの段階においても密教的な
密教の10段階目の悟りの
っていうものは存在していると
いうようなことですね
聴くことの価値
その心相にですけれども
当然その表層部分は
当然まだ迷いの位置にいるんだけれども
心相にはそこには密教
それはなぜかというと
仏って存在は全てに偏在しているというか
アマネクスというのがいるわけですから
というような理論で語っていくんですけれども
これを単純に統合として捉えるのか
それともやっぱり
それは密教の方が上だって言ってるっていう
どっちの意見もあると思うんですけれども
もともとは密教と研究は別で
密教の方が正しい
っていうような話し方をしていたのが
開かれた言葉で
権威の人たちと対話をしながら
自分の思想を組み上げていく中で
権威の中にも実は非常に密教的なものがあって
それはある種の悟りを表現してるんじゃないか
いろんな場所でいろんな表現が生まれてくるんじゃないか
っていうような
そういうところに
最終的に行ったっていうのは
大企業の話はまさにそういう部分なのかなっていう
つまり大企業の話
大企業が正しいとか正しくないっていう話は別として
全然違う人の話を聴いたりとか
全然違う人と対話をすることによって
自分の中に思想っていうのが
大企業が自分の中心にあるにしても
統合されていくような
こういうのはあるのかなっていうこと
今の話とすごい全然違う切り口なんですけど
思っちゃったことを言うと
話を聴いてる時が
一番こう
なんていうのかな
できた人間かもしれないって自分のことを思ったりするんですけど
分かるから
何つうのかな
自信がないというか
割と無に近い状態というか
自分という
あの本まずちゃんと聴くという本の中で言うと
聴くっていうのはwithout judgmentである
耳を傾ける行為であるという話をしていて
聴いてる時ってやっぱり
自分の価値観やら信念やら
いろんな判断やらは全部どっかに置いて
相手の中にというか
その世界の中に入っていこうとするんですよね
すごい迷走的だなって僕は感じるんですけど聴いてる時って
さっき言ったどの段階でも
悟りの状態は偏在しているっていう話と
今の話は近い話をしているのか
それとも偏在しているというのは全然違う話をしているのか
いやそれは全然近い話だと思ってますけどね僕は
どんな場所にも
急にやってくるような感覚だと思うんですよね
もちろん密教ってすごい
密教の悟りっていうのは
弟子から師匠へ連綿とつながっていくっていうものがあるので
その儀式っていうものを全面的に受けてやらないといけないという
修行の体系はあるにしても空海の思想を
読んでいくとですね
どこにでもそういったエッセンスが急に
現れてくることってあるんじゃないのかなって思うんですよね
つまり全ての問題はある種の
仏を宿しているというか
っていうようなところにまで行くので
その仏が
全てに充満しているんですよ
表現難しいんですけれども
そういう状態なので
迷いの中にいる人の言葉であったと
当然みんな迷いの中にいるので
言葉を語るわけなんですけども
その中に実はとても急に
重要なもの
本当にエッセンスと真理みたいなもの
急に舞い込んでくることっていうのは
聴くことによって
自分をゼロにして聴くことによって
実は現れてくるってことはあると思っていて
私が例えば子どもの学習支援をやっていく中で
子どもの話を聴くっていうところでも出てくる
ふと何かがこう
エッセンスみたいな
それはちょっと空海の話とか
仏と仏のコミュニケーション
悟りの話を正確にというか
全く理解できていない中でなので
なんともあれなんですけど
それは本当によく起きている気がしていて
なんていうのかな
人間の中にある
本当に
なんて表現したらいいんですかね
美しいものというか
純粋なものというかピュアなものとか
その人の何かみたいなものが
すっと出てくる時っていうのはやっぱり
あるなって思うし
それやっぱね
こっちが聴くという
今ゼロっていう表現を使ってくれたんだけど
そういう状態にないと
それ捕まえるのすごい難しいなって感じがしてて
その辺はなんか
なるほどな
それが多分仏と仏のコミュニケーションだと思うんですよね
ゼロとゼロの状態
山田さん今ミュートだったけど
え?みたいな顔しましたけど
仏と仏のコミュニケーションって
ちょっとパワーワードありますか
理解できない
そうそうパワーワードですよね
つまり言葉って基本的には迷いの中にある言葉
私たちが通常使っている言葉って
基本的には
良い悪いとかを決めてしまう
相対的なものだと思うんですけれども
空海って言葉
仏そのもの
真理そのものが言葉を語るんだって言うんですけれども
その言葉って
相対的な次元じゃなくて
絶対的な次元の言葉だと思うんですね
何だと思うとかそういう風に言うんですよ
それってどういう言葉なのかっていうと
まさに今
ゼロとゼロの間でやり取りされるような言葉
だからゼロとゼロってあるから
私もあなたも一緒なので
私とあなたって境界線
というか主客がなくなるわけじゃないですか
主客がある時点でもそれは相対的な関係性なので
絶対の言語っていうのはゼロとゼロで
お互いが共に体験するしかないわけなんですよね
例えば若い人としても共に体験する
だから儀式的に体験したりとかそういう話になるわけなんですけれども
それが
実はゼロ
本当に本音を語る側と
それをゼロで聴くっていう
つまり自分をゼロにして
そこの中から生まれてくる言葉を語る
語り手とそれをゼロで聴くっていう
聴き手がいた時に
それは仏と仏の会話として
言葉のやり取りとして現れてくるっていうのは
これは別に仏教
僕は仏教として正しいとか
学術的に正しいって言ってるわけじゃなくて
そういう次元のコミュニケーションっていうのが
あるんじゃないのかなっていうことは
僕は空海を研究しててすごく思うところだし
そういう次元をもう一度
強化していくというか
その次元までいくことを
なんだろうな
空海の言葉とかから取り出していくことが
僕は空海を現代に読む意味だと思うんですよ
なるほど
空海の思想がこうであるっていうことを理解するっていうのも
もちろん大事なんですけれども
我々が生きるための空海の言葉だったりとか
を聴き出すためにはまさにそういった部分
今申し上げたような部分っていうのが大事だと思っているので
すごい今そのことをもらって
そのゼロで聴くっていう言葉をもらって
僕はなんか
なるほどと
僕はだからこういう発見が生まれることが
僕が空海を研究している理由なのかもしれない
みたいなことを
思います
研究の意義
いやー
おもろいなー
と言ってる間に20分過ぎたなーって思ってます
次の話を始めようかと思ったんだけど
そうなんですよ
10分かかりましたから
一旦じゃあ
前半切りますか
前半ここまでにして後半どの問いを投げるかをちょっと相談してから
後半を始めましょうか
はい
ということで前半一旦ここまでにします
ありがとうございました
ありがとうございました
24:55
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