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2025-12-25 27:05

vol.44 渡邊和樹さん(後編) 言葉では表現しきれないものを受け取ろうとする営み

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前半に引き続き、空海を入口に話を深めていきました。渡邊さんにとって「出会ってしまったら否応なしに考えないといけないもの」の一つが空海だったと言います。そして、修行しないと(体感しないと)分からないもの、言葉では表現できないものを言葉にすることが空海の思想の中心にあると言います。「悟りの世界は本当は言葉で表現できない。悟りそのものが言葉を語っている。その言葉が世界をつくっている」という言葉はまだ理解しきれませんが、そこに私たちが「自由」に生きていくためのヒントがあるのかもしれないと思わされる回でした。


■プロフィール
渡邊 和樹(わたなべ かずき)

1994年愛知生まれ。空海研究者。新卒で入社したGCストーリー株式会社にて、フラット型組織への変革などに取り組む。2020年に子どもたちに無料の学習支援を提供するNPO法人寺子屋みなてらすを立ち上げ、現在7教室を運営。2024年より多摩美術大学大学院に進学し、空海を研究。ビジネス・NPO・人文学・アートのあいだの実践をテーマに多様な活動に取り組んでいる。

NPO法人寺子屋みなてらす クラウドファンディングを2025年末より開始予定。
特設ページ
https://minaterasu.com/crowdfunding/

サマリー

今回のエピソードでは、空海の教えを通じて人間の普遍的な価値について考察し、渡邉和樹さんがGCストーリーや寺小屋の活動を通じて得た経験を共有します。空海の言葉の重要性が取り上げられ、それが現代に与える影響について論じられます。空海の思想に基づき、言葉と悟りの関係について深く考察され、言葉が持つ自由やその本質について探求が進められます。その中で、対話の重要性も再確認されます。また、仏と仏のゼロの状態から生まれる自由なコミュニケーションを通じて、多様な出会いを提供する寺子屋の活動が紹介されています。

空海とその教え
こんにちは、エールの山戸です。この番組は、エール代表の櫻井さんの出席。 まず、ちゃんと聴くの内容を中心に、聴くや伝えるについて、
さっくばろに対話しながら深めていこうというポッドキャストです。 前回に引き続き、渡邉和樹さんをゲストに、櫻井さんと3人で、今回も送ってやりたいと思います。
では、櫻井さん、和樹さん、よろしくお願いします。 よろしくお願いします。
山戸さんが休憩中にさ、めっちゃマニアックな話、 放り込むから、なんかその話したくなっちゃったけど、ちょっとね。
マニアックすぎたでしょ? 番外編で別でやるかもしれないですけど、ちょっと一旦それは置いといて。
後半、僕のマニアック以外にもいろいろ話せそうなテーマがあったんですが、なんか前半の話引き続きつつもあって、なんかいいなと思っているのは、
和樹さんが、GCでの経験とか、テラ小屋という子どもたちの教育をするという機械を作ってっていうことをやった上で、空海に行ったっていう、
意味わかんないジャンプがあったんですけど、そこのジャンプは一旦置いといて、その後その2年間、大学院で空海にどっぷりとつかり直したときに、
多分社会の見え方がいろいろ変化があるんじゃないかなと思っていて、なんかそれでどんな変化が生まれたのかみたいなところを話してもらうと、
この2年間の経験とかが僕らにもシェアしてもらえるかなと思ったので、なんかその辺を話してもらうといいかなと思っておりますという感じです。
ありがとうございます。じゃあちょっとそれを、これもどこに結論が行くのかわからないので、つらつら喋っていくんですけれども、
まずですね、これ何回かいろんなところで話してるんですけれども、空海って1200年前の人間なんですね。
で、僕はやっぱり1200年前の文章を読んでいて、これだけ自分自身がエンパワーメントされるっていうのが面白いですよね。
前半の方で話した悟りのコミュニケーションみたいな話もそうなんですけれども、そういったことって1200年前に語られているんだけれども、
結局今の自分のビジネスのGCストーリーでの活動であったりとか、あるいは寺小屋のミナテラスの活動にとても勇気をもらえるものであったりするんですね。
それはつまり、今こういろんな迷いの世界、いろんな迷いの世界なわけじゃないですか、そういった場所で苦しみながらいろいろと皆さんというか自分も含めて人間の活動しているわけなんですけれども、
実はその中に悟りのエッセンスみたいなのがあるんじゃないかということを気づかせてくれるような、そういった部分ってあるなと思っていて、
じゃあそれをどうやったら、より迷いながらでいいんですけれども、それを超えたもっと自由な悟りの世界的な、自由な世界として表現できるような場所を作れるのかということが自分の中で組織を考えていく上でもコミュニティを考えていく上でも、
そういう、さっき前半で言ったようなゼロとゼロのコミュニケーションみたいなものがどうやったら生まれるのかということを考えると、いい場所というか、人がより自由になれるような場所を作れるんじゃないのかっていうような、そういった意味で言うと
やっぱりすごく空海っていう存在をこれだけしっかりと熱中しながら読めたっていうのは良い2年間だったなというふうに思ってますし、何より1200年前の漢文ですよ、漢文しかない、まだ日本語がある、初期形態がひらがなもカタカナもない時代なので
GCストーリーの経験
漢文で書かれている文章にやっぱりこれだけ感銘できるってことは、やっぱり人間のその時代が変わったとしても、ある種の人間の普遍的なものっていうのがあるんじゃないのかなっていうような気がしていて、それはなんか、いや2年間やってて良かったなって思うところです
ちょっとなんか変な質問かもしれないんですけど、なんか現代の何かと触れた時と、触れた時に似た感覚になるものってあったりするんですか?いや僕にとって空海を学ぶってことが理解がちょっと難しかったりするんで、なんかこう身近なもので、そういう体感覚ねみたいなものがわかったらちょっと
でもなんか、例えばですけど、アートな体験とかそういうもんだと思いますし、なんか僕はやっぱりその空海とかそういう、空海もそうなんですけれども、読んでいく中で、読んだりとか、出会ったらもうなんか嫌をなしになんかそれをこと考えないといけないみたいな、なんかそういう感覚なんですよね
で、それってでも皆さんあると思うんですよ。それが例えばある人のギターの演奏だったりとかするかもしれないし、なんかそういうものだなと思ってて、つまりなんだろうな、それがさっきちょっと話したそのゼロで、ゼロでこうなんかその話を聴くっていうことにすごい近いような気がするんですよね。僕は空海の文章をある種のゼロの感覚で受け取っているので
でもそれは例えば、そのあるアーティストの演奏をゼロで受け取ってしまう、聴いたらもうなんかそれしかないみたいな、なんかそれでしかないみたいな、そういうような次元で聴くとかっていうことが実はすごく自分の表現に、自分の日常の表現にも実はすごく影響を与えたりとかってきっとあるんじゃないかなと思うんですよ。なんかその中の、僕はそれを空海から感じているっていうような、もうちょっとなんか言葉なので少しロジックな世界ですけれども
なるほどなぁ もう一個聴いていいですか?
なんか聴いてて、その2年間使ってきた空海を本当にそのゼロで触れるみたいなところまでやってきた時に、そのGCストーリーで事業会社であったり、NPOであったりする中で、なんか前は感じなかった違和感とか
ここはすごいなんか反応するな自分みたいなことって、なんか新たに生まれるようになったものってなんかあったりするもんですか?
あるような気がするなぁ、違和感ね。なんかでもすごく感覚がAVになった感じがすごいするんですよね。これちょっと違うよねとか
なんかミーティングの中で、ふしぶしになんかちょっと今、さっきの言葉で言うと、ゼロじゃない言葉でみんな話してるよねっていう感じ。なんかね、わかる時あるんですよ。
それってさぁ、僕今質問しようとしたことと重なるんですけど、あの空海というものを学んだ、深く入ったからなのか、それともあの空海という人が残してくれたのは文字しかないじゃないですか、でも文字だけでは到底表現できないものを多分表現してるじゃないですか。
っていうその文字と文字じゃないものを受け取ろうとするということによって感覚がAVになったみたいなこともありえるのかなと思って。
それはそうだと思いますね。だから僕はあの櫻井さんとスウェットロッジも一緒にしたことあると思うんですけど、その体験もすごく大事なんですよ、自分の中でやっぱり。
空海と現代のつながり
スウェットロッジだったりとか、身体を通してとてもお祭りに行くとか、あとはGCもそうだし、ミナテラスもそうなんですけど、コミュニティとしてすごく自分として大事なもので、その仲間と一緒に飲み食いしたりとか、あでもないこでもないと喋ったりとか、そういう経験もすごく大事なんですよね、一方で。
だから空海の言葉で、その一つ一つの経験とその空海の言葉がどっかでピンと繋がるとしがあるわけですよ。
今なんかちょっと、私とあなた、体は当然違う体だけれども、なんか浸透しあった感じがするよね、みたいな。
それって空海で言ってるあれ、インドのアナウンスの世界と実は近いじゃないかみたいな話を、ちょっとね感覚として持ったりする。そのなんか、下地として空海っていうものがあるっていう感覚はあるかもしれないですね。
なんかちょっとまずちゃんと聴くに寄せるわけじゃないんですけど、自分の体感覚的なものと空海の言葉を重ね合わせるとなると思うんですけど、それとは別に、空海の書いた文字を読み込んでるからこそ、
行間みたいなものとか、そこで伝えたかった、その言葉にならなかったものが伝わってくるみたいな、なんかそういう体験はあるんですか?
それもとてもありますね。なので、それを僕自身もその言葉で表現したくて、今論文を書いたりするわけなんですけど、そこはなんか自分の表現力の拙さだったりとか、伝えきれてない部分もあるなと思いつつも、
なんだろうな、空海の時代って1200年前なので、自然ともっと近いわけじゃないですか。夜も明るいわけじゃないですし、全然違う中で生きてるっていう中で、この思想が生まれてきたっていうことで、
もうちょっと自分が空海に寄せていくみたいなことをすると、そういったものも感じやすくなるというか、自分は全4回で、2時間半かける4回で空海の人生を語るっていうようなイベントをちょっと前やってたんですけれども、これも10時間でも語り尽くせないものがたくさんあって、
それに飽きたらず、今年の夏は実は空海の足跡を歩くって言って、四国だったりとか、近畿だったりとか行って、空海が修行したと言われてる洞窟に入って、ちょっと瞑想したりとか、そういったこともしてみたんですけれども、そういった経験も言葉と結びついてくるというか。
やっぱり、自分の体を通して出ないとわからないものってたくさんあるなっていうのは思うんですよね。いくら言葉を読んでいても、本当は密教の修行しないといけないんですけど、ちょっとそこはね、そこまでは今は違うかなっていう感覚はあるので、別に僕は密教の僧侶になりたいってわけじゃないんですけれども、でもその感覚と儀式とか修行していくっていう感覚と今自分が
GCとかその手垢見立てらしてやってることっていうのは、なんかひょっとしたらもう全然違うんですけれどもレイヤーは、ただなんかひょっとしたらアナロジックに考えられる部分もあるんじゃないのかなーっていうことはたまに思ったりとかをしながらやってますね。
空海の言葉と悟り
なんかそうした時にさ、ちょっとこれは想像になってしまうんだと思うんだけど、空海道ってのそのなんていうのかな、文字とか言葉っていうのは、なんかどういうものだったんですか、まあなんか修行しないとわかんないものだったりするじゃないですか、絶対そのレベル。
でもわざわざ文字にするっていうこの、でも文字にするものとしないものとかがあったりとか、なんか言葉というものとか文字っていうものは何だったのか、これは何で聴いてるかっていうと、その僕らが話を人の話を聴くっていう時に、その人の言葉を聴くっていうことにはすごく意味があるんだけど、半分意味がないようなものがあるような気がしてて、
なんかそれだけこう考え抜いた人がわざわざ言葉というものはどういう役割として使ったのかみたいなことが、なんかちょっとヒントがあるといいなと思って今質問してみたんですけど。
さくらさん鋭いですね、鋭いですねというか、すごいですね、なんかそれはもう空海の一番その中心をつくような、つまり言葉にできないものを言葉にするっていうことが空海のその中心にあるので、それはつまり悟りの世界っていうのは本当は言葉で表現できない、だけれども悟りそのものが言葉を語ってるんだっていうふうに言ったのが空海。
やばいわからなかった、もう一回言って。
つまり悟りって言葉にできちゃったらまずいじゃないですか。言葉にできないものですよね。でも空海は違って悟りそのもの、第二中ラインなんですけど、第二中ラインが言葉を語るんだ。その言葉が世界をつくってるんだっていうような、すごいざっくりとして言い方で言うとそういうこと。
つまりゼロの言葉ですよ、さっきからずっと話して。ゼロの言葉を悟りそのものが語ってるんだ。その言葉を我々もそのもう一度追体験した。三密行って言葉と信号を唱えるっていうのがあるじゃないですか。
それってある意味その言葉に自分も身を委ねていくとゼロになりながらその言葉を自ら語り出すっていうような、そういうところまで行きなさいっていうのが、そういうところに行くことによって促進動物できるっていうのが空海のそうなわけですよ。
だから5%ぐらいわかった気がする。
だからね、これも説明でもうちょっと得意になったらいいんだけど、さっきの言葉にならないものを言葉にするっていう話。
で、さっきの世界って当然言葉にできないんだけれども、それを言葉にする。それが信号であるって話が一方であるのと、もう一個さっき話した空海自身が
オープンな開かれた言葉で語ることによって自らの人を作り上げていったっていう話がある中で、そこで生まれてきたものって何かって言うと空海の思想を一番よく表現しているのって促進動物技と生殖技っていう2つの
これが何か一つの2つ有名なのがあるんですけど、それの中心となる思想ってもはや詩で語られてるんですよね。
詩っぽい。漢詩。漢詩でしか語ることができない。
つまり最終的な詩的な表現でしか語れないんだけれども、その詩がすごいんですよ。その詩について僕はもう2年間やってるようなものなので
6代無限にして常に行かないっていう詩があるんですけれども
なんですよね。だから それってもはや言葉なんだけれども
日常の我々がこういうふうに使っている言葉の次元とは何かちょっと違ったレイヤーの言葉
空海にとってのある種のゼロの言葉みたいなのかなって思って
もちろんそういった言葉を私自身も
語れるようになりたいなと思って。そういった言葉を語ることが人間の究極的な自由なんじゃないのかなって思うんですよね
また新しい概念入れてきた。そこに自由ということが繋がってくる。自由っていうのは現代的な表現で悟りですよね
でもなんかさっきもその寺小屋の話をしている時も地震の話をしている時も自由という表現を使った気がしていて
悟りというものが自由であるということって
なんていうのかな。今一般の人たちが想像している自由という概念とは多分微妙に違うことを言ってるような気がしている
のと、なんかさっきあの前半と後半の間で山田さんがマニアックな話をした話もなんかそこに近い気がするっていうか
なんかなんていうのかな。個人を生かしていくということと
集合的ななんていうのかな。日本でいうとこの調和であるとか和であるとかっていう概念とは
なんていうのかな。調和的であるとか和合するみたいな話っていうことで
なんか個性を殺すみたいな話だと捉えられがちなんだけど、それとは真逆の話をしているっていう、なんかこの辺とかって今の自由の概念とかもなんかちょっと
それをアップデートするのにいい時代なのかもなぁみたいなことをすごく感じたりしましたね。
まさに今自由に行動するというのは難しい、非常に難しいですよね。
つまり自由っていうのは何やってもいいよって話
どういうふうに捉えた時に何やってもいいよって言って、じゃあ楽しいことばかりやってよって言って、楽しいことやってよって、楽しいことって何かっていうと
非常に社会によって楽しいことが決められているわけじゃないですか。
それはある意味資本の力によって、これをやりなさい、あれをやりなさい、あれをやりなさい、広告もそうですし、ゲームみたいなものもそうかもしれないですけれども
そういったものでやっぱり自由に行動しているように見えて実は非常に人間ががんじがらめになっている
それがいわゆる迷いの根源なんだっていうことを思うわけですよ。仏教をやっている身からすると
そういったものを一度ゼロに、今回ゼロっていうのが一つのテーマだったかもしれないですけどゼロにして
もう一度自分で何かを描き出す。密教ではそれをマンダラを描くっていうことを言うんですよ。ゼロになって自分の根源に気づけばマンダラを描けると
対話の重要性
それはしかも大秘のマンダラ、つまり究極の慈悲のマンダラを描けるんだっていうことを言うわけですよね
それが究極のリタなわけですよ。社会貢献。リタもその次元でやっぱり起きるリタに僕は関心があって
だからNPOもやってるんですけど、NPOも社会貢献っていう言葉をすごく言ってるわけではなくて
ただただなんかそこにゼロの人と、ゼロ的な形で関わってる人が
なんかそこでコミュニケーションを取るところでふと生まれてしまう、なんか貢献しようとかそういった意思に関係のない
何かこうリタみたいなものが生まれてくる場所を作りたいっていうふうに思うんですよね
で、こういう考えができるようになったらやっぱ空海の影響がめちゃくちゃあると思います。それは
なんか櫻井さんがよく聴くのって、すごい瞑想に近いものな感じがするみたいに言うじゃないですか
それも多分いつもできるわけじゃなくて、状態が良くて、良くできてる時は本当に
今日出てるゼロっていうことに近いよねっていうのと、なんかすごい同じ違う営みだけど同じこと言ってますよねって感じ
本当に自分を消して相手と共にある状態になった時にできる器具っていうことが、より良い状態って言ってるのと
なんかすごい共通項がある話だなって聴いてて
すごいそう思う、勝手にそう思ってます。 合ってるかどうか全然わかんないんだけど
いや僕も合ってるかどうかわからないし、今ここでこう話してる話って学問的に見たら非常に怪しい話だと思うんですよ
ある種研究者としてやってる自分からすると、こんなことはなかなか言いようがないなと思うんだけれども
でも自分はその中で、ある種の社会活動家っていうと、そんなイメージでやってるわけじゃないんだけど
NPOやったりとか、あるいは企業で働いて資本主義の中で生きていくっていう部分も自分の中にあるので
そういう自分からすると、空海って実はこういうふうに捉えることできるんじゃないのっていうことは、言えるなっていうな
それは自分の中、表現として持ってるなっていう感じなんですよね
いい感じに、かぜきさんのやりたいことに戻ってきた感じがあるのと
という感じで、ちょうどいいぐらいの時間になってきたのかなという気もしているので
最後に一言ずつ、前半後半含めてどうでしたかという感想をまず聴いてみたいなと思うんですけど
今回は難しいな、感想が
さくらやさん、ちょっと悩んでるのに
悩んでいいですか?
かぜきさん、先にどうでしたか、前半後半
そうですね
最初だったかいつ話したか忘れてたけど
対話の中から思想っていうのが生まれてくるっていう話がすごく大事だなと思ってて
僕は終始論文で書いてることはまさにそういうことなんですけれども
こういう場所ですよね
つまり今、さくらいさんも山田さんも僕も
なんかわかんないけれども、なんかこういうところになんかあるんじゃないのかっていうような
意味ですごくわかりにくい話をしてたと思うんですよ
なんかこう、ポッドキャストでみんなに伝えるっていうことを
多分忘れてわかりにくい話にぽっとしてた感じがするんですけれども
でも、なんかこのわかりにくい話の中に何かこう
ふと舞い降りてくるものっていうことがすごく自分にとっては大事だなと思っていて
なんかこれが対話の面白さだと思っているので
なんかそういう時間として
この時間を過ごせてすごく僕は楽しかったなっていうふうに思ってます
ありがとうございました
ありがとうございます
さくらいさん、悩む時間が多少ありましたが
悩んでも出てこないですね
出てこないんで印象に残ってる言葉をちょっと
自由なコミュニケーションの重要性
やっぱなんかゼロとゼロの、仏と仏のみたいな話がやっぱ残っているんですよね
で、それは何ていうのかな
概念として面白いっていうことよりは
それをあの寺小屋でそういう場が起きると面白いなって思っているっていうことが
なんかその自由に人が生きるっていうことと
なんかその和木の中でつながっている感覚がすごくなんかこう
なんていうのかな
全く一緒とは思わないんだけど
なんかすごく近い感覚が僕の中にはあるんだなっていうのを感じてて
僕はエールのセッションっていうものって
そういうものをやっぱ目指しているような気がしてるっていうか
ほんとゼロとゼロの人たちがそこで会話を楽しむと
なんかまあ人は自分になっていく
僕は多分表現としてはその人がその人のようになっていくっていうような表現とかをよく使うんですけど
それって自由っていうことと僕はなんか近いことを言ってるんじゃないかなと思っているんですけど
なんかそういうあたりにすごくなんかこう
新しい違う角度からの言葉が入ってきたのがすごく楽しかったっていう感じですかね
感想としては
ありがとうございます
ありがとうございます
僕も最後に一言言うならば
なんかすごく質的にエールのセッションって本当にいいなと思う状態と
GCもそうかもしれないけど特に寺子屋の話をいろいろしてくれた中で
その場で起きてほしいと思ってる感じが
結構すごい似ているゼロの状態で人と関わっていることの良さみたいなことが
なんかすごい通定するんだなっていうのが
改めてお二人の感想最後聴きながらもすごい印象的だったなって感じでした
ということで一旦これぐらいですが
最後に金木さんなんか皆さん聴いてくださっている皆さんに
ご紹介したいことがあるかなと思うんですが
ぜひ
ありがとうございます
寺子屋の活動推進
今江東区7カ所で活動している寺子屋みな寺子どもたちが
無料で勉強できる場所を作るという活動なんですけれども
これからもっとそういった場所をいろんな場所に作りたいし
聴いてはですね地域社会のインフラにしていきたいと思うんですね
どんな地域に住んでどんな地域で子育てしていても
地域に無料で学べる場所があってそこにいろんな大人が来ていて
多様な出会いがあってその出会いの中で
ゼロとゼロのコミュニケーションみたいなものが生まれる
究極のリーダーみたいなものが生まれてくるような
そういった場所をいろんなところに作りたいということを考えてまして
それを目指してこの12月末か1月頭になるかちょっとまだ決まってないんですけれども
クラウドファンディングを企画しようというふうに考えてますので
ぜひともテラクラミナテラスのクラウドファンディングという形で
出た際には応援していただけると嬉しいなというふうに思ってます
ありがとうございます
ありがとうございます
ミナテラスの話の中身よりは思想的なことばっかり僕ら全力で聴いた記憶なんですが
そういう思いを持ってやっている活動ということに
ぜひ評価いただける方は応援をしていただけると嬉しいですね
ということでではここで
前半後半を含めて和木さんとのセッションは終わりたいと思います
櫻井さん和木さんどうもありがとうございました
ありがとうございました
27:05

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