こんにちは、エールの山戸です。この番組は、エール代表の櫻井さんの出席。 まず、ちゃんと聴くの内容を中心に、聴くや伝えるについて、
さっくばろに対話しながら深めていこうというポッドキャストです。 前回に引き続き、渡邉和樹さんをゲストに、櫻井さんと3人で、今回も送ってやりたいと思います。
では、櫻井さん、和樹さん、よろしくお願いします。 よろしくお願いします。
山戸さんが休憩中にさ、めっちゃマニアックな話、 放り込むから、なんかその話したくなっちゃったけど、ちょっとね。
マニアックすぎたでしょ? 番外編で別でやるかもしれないですけど、ちょっと一旦それは置いといて。
後半、僕のマニアック以外にもいろいろ話せそうなテーマがあったんですが、なんか前半の話引き続きつつもあって、なんかいいなと思っているのは、
和樹さんが、GCでの経験とか、テラ小屋という子どもたちの教育をするという機械を作ってっていうことをやった上で、空海に行ったっていう、
意味わかんないジャンプがあったんですけど、そこのジャンプは一旦置いといて、その後その2年間、大学院で空海にどっぷりとつかり直したときに、
多分社会の見え方がいろいろ変化があるんじゃないかなと思っていて、なんかそれでどんな変化が生まれたのかみたいなところを話してもらうと、
この2年間の経験とかが僕らにもシェアしてもらえるかなと思ったので、なんかその辺を話してもらうといいかなと思っておりますという感じです。
ありがとうございます。じゃあちょっとそれを、これもどこに結論が行くのかわからないので、つらつら喋っていくんですけれども、
まずですね、これ何回かいろんなところで話してるんですけれども、空海って1200年前の人間なんですね。
で、僕はやっぱり1200年前の文章を読んでいて、これだけ自分自身がエンパワーメントされるっていうのが面白いですよね。
前半の方で話した悟りのコミュニケーションみたいな話もそうなんですけれども、そういったことって1200年前に語られているんだけれども、
結局今の自分のビジネスのGCストーリーでの活動であったりとか、あるいは寺小屋のミナテラスの活動にとても勇気をもらえるものであったりするんですね。
それはつまり、今こういろんな迷いの世界、いろんな迷いの世界なわけじゃないですか、そういった場所で苦しみながらいろいろと皆さんというか自分も含めて人間の活動しているわけなんですけれども、
実はその中に悟りのエッセンスみたいなのがあるんじゃないかということを気づかせてくれるような、そういった部分ってあるなと思っていて、
じゃあそれをどうやったら、より迷いながらでいいんですけれども、それを超えたもっと自由な悟りの世界的な、自由な世界として表現できるような場所を作れるのかということが自分の中で組織を考えていく上でもコミュニティを考えていく上でも、
そういう、さっき前半で言ったようなゼロとゼロのコミュニケーションみたいなものがどうやったら生まれるのかということを考えると、いい場所というか、人がより自由になれるような場所を作れるんじゃないのかっていうような、そういった意味で言うと
やっぱりすごく空海っていう存在をこれだけしっかりと熱中しながら読めたっていうのは良い2年間だったなというふうに思ってますし、何より1200年前の漢文ですよ、漢文しかない、まだ日本語がある、初期形態がひらがなもカタカナもない時代なので
なんかそうした時にさ、ちょっとこれは想像になってしまうんだと思うんだけど、空海道ってのそのなんていうのかな、文字とか言葉っていうのは、なんかどういうものだったんですか、まあなんか修行しないとわかんないものだったりするじゃないですか、絶対そのレベル。
でもわざわざ文字にするっていうこの、でも文字にするものとしないものとかがあったりとか、なんか言葉というものとか文字っていうものは何だったのか、これは何で聴いてるかっていうと、その僕らが話を人の話を聴くっていう時に、その人の言葉を聴くっていうことにはすごく意味があるんだけど、半分意味がないようなものがあるような気がしてて、
なんかそれだけこう考え抜いた人がわざわざ言葉というものはどういう役割として使ったのかみたいなことが、なんかちょっとヒントがあるといいなと思って今質問してみたんですけど。
さくらさん鋭いですね、鋭いですねというか、すごいですね、なんかそれはもう空海の一番その中心をつくような、つまり言葉にできないものを言葉にするっていうことが空海のその中心にあるので、それはつまり悟りの世界っていうのは本当は言葉で表現できない、だけれども悟りそのものが言葉を語ってるんだっていうふうに言ったのが空海。
やばいわからなかった、もう一回言って。
つまり悟りって言葉にできちゃったらまずいじゃないですか。言葉にできないものですよね。でも空海は違って悟りそのもの、第二中ラインなんですけど、第二中ラインが言葉を語るんだ。その言葉が世界をつくってるんだっていうような、すごいざっくりとして言い方で言うとそういうこと。
つまりゼロの言葉ですよ、さっきからずっと話して。ゼロの言葉を悟りそのものが語ってるんだ。その言葉を我々もそのもう一度追体験した。三密行って言葉と信号を唱えるっていうのがあるじゃないですか。
それってある意味その言葉に自分も身を委ねていくとゼロになりながらその言葉を自ら語り出すっていうような、そういうところまで行きなさいっていうのが、そういうところに行くことによって促進動物できるっていうのが空海のそうなわけですよ。
だから5%ぐらいわかった気がする。
だからね、これも説明でもうちょっと得意になったらいいんだけど、さっきの言葉にならないものを言葉にするっていう話。
で、さっきの世界って当然言葉にできないんだけれども、それを言葉にする。それが信号であるって話が一方であるのと、もう一個さっき話した空海自身が
オープンな開かれた言葉で語ることによって自らの人を作り上げていったっていう話がある中で、そこで生まれてきたものって何かって言うと空海の思想を一番よく表現しているのって促進動物技と生殖技っていう2つの
これが何か一つの2つ有名なのがあるんですけど、それの中心となる思想ってもはや詩で語られてるんですよね。
詩っぽい。漢詩。漢詩でしか語ることができない。
つまり最終的な詩的な表現でしか語れないんだけれども、その詩がすごいんですよ。その詩について僕はもう2年間やってるようなものなので
6代無限にして常に行かないっていう詩があるんですけれども
なんですよね。だから それってもはや言葉なんだけれども
日常の我々がこういうふうに使っている言葉の次元とは何かちょっと違ったレイヤーの言葉
空海にとってのある種のゼロの言葉みたいなのかなって思って
もちろんそういった言葉を私自身も
語れるようになりたいなと思って。そういった言葉を語ることが人間の究極的な自由なんじゃないのかなって思うんですよね
また新しい概念入れてきた。そこに自由ということが繋がってくる。自由っていうのは現代的な表現で悟りですよね
でもなんかさっきもその寺小屋の話をしている時も地震の話をしている時も自由という表現を使った気がしていて
悟りというものが自由であるということって
なんていうのかな。今一般の人たちが想像している自由という概念とは多分微妙に違うことを言ってるような気がしている
のと、なんかさっきあの前半と後半の間で山田さんがマニアックな話をした話もなんかそこに近い気がするっていうか
なんかなんていうのかな。個人を生かしていくということと
集合的ななんていうのかな。日本でいうとこの調和であるとか和であるとかっていう概念とは
なんていうのかな。調和的であるとか和合するみたいな話っていうことで
なんか個性を殺すみたいな話だと捉えられがちなんだけど、それとは真逆の話をしているっていう、なんかこの辺とかって今の自由の概念とかもなんかちょっと
それをアップデートするのにいい時代なのかもなぁみたいなことをすごく感じたりしましたね。
まさに今自由に行動するというのは難しい、非常に難しいですよね。
つまり自由っていうのは何やってもいいよって話
どういうふうに捉えた時に何やってもいいよって言って、じゃあ楽しいことばかりやってよって言って、楽しいことやってよって、楽しいことって何かっていうと
非常に社会によって楽しいことが決められているわけじゃないですか。
それはある意味資本の力によって、これをやりなさい、あれをやりなさい、あれをやりなさい、広告もそうですし、ゲームみたいなものもそうかもしれないですけれども
そういったものでやっぱり自由に行動しているように見えて実は非常に人間ががんじがらめになっている
それがいわゆる迷いの根源なんだっていうことを思うわけですよ。仏教をやっている身からすると
そういったものを一度ゼロに、今回ゼロっていうのが一つのテーマだったかもしれないですけどゼロにして
もう一度自分で何かを描き出す。密教ではそれをマンダラを描くっていうことを言うんですよ。ゼロになって自分の根源に気づけばマンダラを描けると
それはしかも大秘のマンダラ、つまり究極の慈悲のマンダラを描けるんだっていうことを言うわけですよね
それが究極のリタなわけですよ。社会貢献。リタもその次元でやっぱり起きるリタに僕は関心があって
だからNPOもやってるんですけど、NPOも社会貢献っていう言葉をすごく言ってるわけではなくて
ただただなんかそこにゼロの人と、ゼロ的な形で関わってる人が
なんかそこでコミュニケーションを取るところでふと生まれてしまう、なんか貢献しようとかそういった意思に関係のない
何かこうリタみたいなものが生まれてくる場所を作りたいっていうふうに思うんですよね
で、こういう考えができるようになったらやっぱ空海の影響がめちゃくちゃあると思います。それは
なんか櫻井さんがよく聴くのって、すごい瞑想に近いものな感じがするみたいに言うじゃないですか
それも多分いつもできるわけじゃなくて、状態が良くて、良くできてる時は本当に
今日出てるゼロっていうことに近いよねっていうのと、なんかすごい同じ違う営みだけど同じこと言ってますよねって感じ
本当に自分を消して相手と共にある状態になった時にできる器具っていうことが、より良い状態って言ってるのと
なんかすごい共通項がある話だなって聴いてて
すごいそう思う、勝手にそう思ってます。 合ってるかどうか全然わかんないんだけど
いや僕も合ってるかどうかわからないし、今ここでこう話してる話って学問的に見たら非常に怪しい話だと思うんですよ
ある種研究者としてやってる自分からすると、こんなことはなかなか言いようがないなと思うんだけれども
でも自分はその中で、ある種の社会活動家っていうと、そんなイメージでやってるわけじゃないんだけど
NPOやったりとか、あるいは企業で働いて資本主義の中で生きていくっていう部分も自分の中にあるので
そういう自分からすると、空海って実はこういうふうに捉えることできるんじゃないのっていうことは、言えるなっていうな
それは自分の中、表現として持ってるなっていう感じなんですよね
いい感じに、かぜきさんのやりたいことに戻ってきた感じがあるのと
という感じで、ちょうどいいぐらいの時間になってきたのかなという気もしているので
最後に一言ずつ、前半後半含めてどうでしたかという感想をまず聴いてみたいなと思うんですけど
今回は難しいな、感想が
さくらやさん、ちょっと悩んでるのに
悩んでいいですか?
かぜきさん、先にどうでしたか、前半後半
そうですね
最初だったかいつ話したか忘れてたけど
対話の中から思想っていうのが生まれてくるっていう話がすごく大事だなと思ってて
僕は終始論文で書いてることはまさにそういうことなんですけれども
こういう場所ですよね
つまり今、さくらいさんも山田さんも僕も
なんかわかんないけれども、なんかこういうところになんかあるんじゃないのかっていうような
意味ですごくわかりにくい話をしてたと思うんですよ
なんかこう、ポッドキャストでみんなに伝えるっていうことを
多分忘れてわかりにくい話にぽっとしてた感じがするんですけれども
でも、なんかこのわかりにくい話の中に何かこう
ふと舞い降りてくるものっていうことがすごく自分にとっては大事だなと思っていて
なんかこれが対話の面白さだと思っているので
なんかそういう時間として
この時間を過ごせてすごく僕は楽しかったなっていうふうに思ってます
ありがとうございました
ありがとうございます
さくらいさん、悩む時間が多少ありましたが
悩んでも出てこないですね
出てこないんで印象に残ってる言葉をちょっと