1. 『まず、ちゃんと聴く。』ラジオ
  2. vol.29 中村一浩さん(前編)..
2025-05-07 21:54

vol.29 中村一浩さん(前編)自分と相手の境界線を溶かす、森の対話

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15人目のゲストは、武蔵野大学ウェルビーイング学部の准教授、中村一浩(かず)さんです。始まる前は「何を話そうか」と互いの本を読み合って付箋をつけていたりした2人でした。が、かずさんの最新刊にある「信頼する・話す・聴く」から話が始まってみたら、山田さんも入って、文字通り境界線がなくなっていき、「楽しいね、これ!」「いやあ、楽しい」と、あちこち自在に話題が飛ぶ展開に。最後は「このまま森に行きたい……」ということになった対話の前編をお楽しみください。

 

■プロフィール

中村 一浩(なかむら・かずひろ)

武蔵野大学 ウェルビーイング学部 准教授

ミスミ、リクルートなど4社で4回の新規事業の立ち上げに関わったのちに独立。研究活動をしつつ、『事業構想/Project-Design』『対話/Dialogue』『しあわせ/Well-being』の会社を立ち上げ、2024年より現職。感性・身体性を生かした非言語の「対話」を広げるべく、研究や事業を通じて様々な社会実験中。

最新刊『あなたの声に、耳を澄ます。〜対話のプロが対話しながら綴った対話の実践書(株式会社サンダーアールラボ)

サマリー

このエピソードでは、武蔵野大学の中村一浩さんとの対話を通じて、聴くことや信頼の重要性が掘り下げられています。彼の著書『あなたの声に耳をすます』や、対話におけるインタラクションと変容についての見解が紹介されています。また、中村さんとの対談では、組織の構築やコミュニケーションの重要性が深く掘り下げられています。聴くことの意味や新たな気づきについても話されており、プラットフォームとしての人間関係をどのように構築するかがテーマとなっています。

中村かずさんの紹介
こんにちは、エールの山田です。この番組は、エール代表の櫻井さんの書籍、『まず、ちゃんと聴く。』の内容を中心に、聴くや伝えるについてざっくばらんに対話しながら、深めていこうというポッドキャストです。
では櫻井さん、今回もよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
今回はどうなりますかね?
楽しみですね。なんか、久しぶりに「近い」方ですよね。
みんな、根底では同じ思想というか、同じ世界を目指してるけど、なんかやってることが全然違う方と最近話してたんですけど、結構今回は、似たところに、似たことをやっている方なので、それはそれで楽しみだなと思ってます。
そうですね。事前の打ち合わせで、さっき面白かったんですけど、我々のことが聴きたいですっていう、逆質問もらいそうになったの初めてだなと思って。
確かに初めて、初めて。
この姿勢から何か似たものを感じますよねっていうのが、すでに思いました。
ほんと、ほんと、ほんとそれ。
はい、ということで今日のゲストは、武蔵野大学ウェルビーイング学部の中村一浩さん。ご本人、かずさんと呼んでくれということなので、かずさんと僕らも呼びながら進めたいと思いますが、櫻井さん、先に今回かずさんをお呼びしたいなと思ったのはどんなところからですか?
えっとですね、もともとかずさんと出会ったのは多分、慶應(義塾大学大学院)のSDM(システムデザイン・マネジメント研究科)かなと思うんですけど、研究員をさせていただいたときに、ご一緒していろいろお話ししたこともあったんですけど、最近、ご本を出されたっていうこともあり、もともと近いので、お話はいつでもしたいなと思ってるんですけど、
本を出されて、『あなたの声に、耳を澄ます。対話から始めよう』という本を出されていて、で、それを読ませていただきながら、すごいうなずきながら読ませていただいてですね、なんかそのときにちょっと一緒になんかせっかくなんでなんかやりますかみたいな話をしたんですけど、まあそのやる一歩目として、こっちのポッドキャストで一緒に話せるといいですかね、なんていうことでお声かけをしたっていう背景になってます。
ということで、ここからはかずさんもご一緒いただこうと思います。では、かずさんどうぞよろしくお願いします。
信頼がないと、話す聴くって起こり得ないんじゃないか
はい、よろしくお願いします。中村一浩です。下の名前でかずさんと呼んでほしいんですが、僕は今、武蔵野大学ウェルビーイング学部で対話の授業を持っているのと、あとはまあもともとは事業構想の会社ですね、プロジェクトデザインオフィスっていう事業構想大学院と出た中で、その事業の会社と、あとは対話の会社ですね、ダイアログビズって会社と、
あとはウェルビーイングホテルっていう幸せとまちづくりっていうのを掛け算した会社の経営者をしていて、直近までは株式会社森へっていう森のリトリートっていうのをやってるんですけど、そこの前代表もしてまして、まあなんかいろいろやってる人なんですけど、一応真ん中には対話があるっていう感じの人間ですね。はい、よろしくお願いします。
いろんなところからお話ができそうであっという間に終わりそうな感じもするんですが、ぜひ何かどんな話題が最初に櫻井さん置きたい感じが今、わき上がってきます?
さっきですね、これ事前に軽く10分ぐらい打ち合わせするときに、こんなこと話したいっていうのを7、8個出したんですけど、今話したいことはちょっと違うことが出てきちゃったんですが。いいですね。
いやなんかね、対話って話す聴くっていうのがあるんだけど、その手前にっていう表現だったかちょっと正確に覚えてないですけど、信頼するっていう3つ並列でかずさん並べて、
信頼するっていうことと話す聴くっていう風に書かれていて、あんまり何ていうのかな、対話っていうときに信頼するっていうことと話すと聴くを並列で置かれることってあんま見ないよなと思うんだけど、それぐらい信頼するということがなんか大事な要素なのであるっていうことを言ってるんだろうなと思っていて、
この信頼するっていうところをもうちょっと自分の中で、かずさんの言ってる信頼するっていうのの解像度を上げられたら嬉しいなっていう、ただの僕の興味が今湧いてきちゃった、その辺から入りたい。
ちょっともうなんか笑みがこぼれてしまうんですけども、今の櫻井さんの話を聴きながら既に話したいこと出てきちゃって、ちょっとね話をするって言ってるんですけど、僕ね思うんですけど、話す聴くってどっから始まるの?ってずーっと疑問があって、
遡ったらどこまででも行けるじゃないですか、みたいな世界があって、僕は研究者でもあるから、研究してるときに、そのことを書いてることがどこにもないんですよ、どこから始まるのって、無限に遡れちゃうから、話そうと思ったタイミング、でも話そうと思ったのはあったから、あったなとか言ってもいくらでも遡れちゃうから、
言ったときに、ちょっとその話を脇に置いて、僕は物理科なんですよ。なんで、基本物理学的に理系で見る癖があって、僕にとって対話って2物体間のインタラクションと変容なんですよ。
2物体間のインタラクションと変容、はい。
そう、だから、なんかこの人が話すかどうかなんて、二義的なもので、その何かしらの存在が関わり合って干渉し合って変わっていく様を対話って呼んでるんですね。
でいくと、話す聴くで言うと、それってもう少し近づいてきたインタラクションのことを多分話す聴くって普通は言うじゃないですか。
でも存在だから、近づいた時点でもう存在だけでインタラクションを起こすはずなんですよね。
で、そういう、どこかわかんないですよ。無限の宇宙かもしれないけど遠くから、なんか影響し合って近づいてって行為を行われて変容し合うみたいな、そのこと自体を僕は対話と呼んで解明していきたいと思うんだけど、
それを人間の例に置いた場合に、特にコミュニケーションって置き直した場合に話す聴くみたいなことが出てくるっていう置き直しなんですね。
なるほど、なるほど。
その信頼するっていうのも、何かその関わり合いを起こすための入り口みたいな、既にお互いがお互いに対して及ぼし得る影響みたいなことを、人は信頼、例えばね、言い方で一つ区切って説明してるんだろうなっていう僕はイメージで話してるんですけど、
ちょっとこれぐらいぶっ飛んだ時に、櫻井さんや山田さんどう感じるかってすごい聴いてみたくて、ニヤニヤしちゃいましたっていう。
いや、それで言うと、例えばですけど、森で表現しちゃうと分かりづらくなっちゃうかな、逆に、分かんないですけど、森の中にある木と草がインタラクションを起こして変容をしていってるということも、
かずさんの定義ではだから、対話しているということっていうことなんですよね。
うん。
なるほどなあ、でそれを人間に置き換えると何かその関係性で、会話…えーっと話す聴くが起きるのは信頼というものがあるとそのインタラクションが起きるであろう。
そう、信頼…まぁ信頼だけではないんだけど、一つわかりやすく信頼というものをしないと話す聴くが起こり得ないんじゃないかっていう。
僕の中で言葉を置き直せた瞬間があって
うんうん、うん
なるほどな これ こっちの方向性から入ってくと
山田さんのほうが割と得意そうな 僕も結構理系脳ですけど 山田さん
のほうがもっとそっちよりな気がするんで どうですか
今 最後言われたのに近い と思うと 信頼という言葉の意味
をすごい大事にしてるというより かは インタラクションが起きる
環境設定としての良い関係性みたいな ものがすごい前提だよねっていう
のが 一番近い言葉が一旦信頼かな って置いてるみたいなニュアンス
で受け取った
いやーもうー、山田さん大好き。もう 通じ合えた感じがしました
そのとおりです
それと 櫻井さんにでも聴いて みたいなと思ったのって コンディション
として捉えるとか あり方として 捉えるみたいなこととかって
櫻井さんが本で書いたことにあえて寄せるんであれば 結構 自分の状態が
どこにあるかっていうのから ちゃん といい状態作りましょうって
言ってるのが 本の表現の中で多い感じがしていて。いったんの言語化としては。
でもすごい似たところを扱ってる感じがするんですけど、あえて
言うと それって違いがありそう なのか 捉え方に。割と同じなのか
やばい 楽しい
えーちょっとかずさん 考えてる間に かずさん 今 出てきてるもの
出しちゃってくださいよ
いやー本当ね 山田さん おっしゃってたけど 信頼かどうかって どっち
でもいいというか どっちでもよくもないんだけど、何ていうのかな
ことが起こり得る前提条件みたいな 中で、そのことをある枠で区切る
と信頼としか呼びようがないもの を 一旦 人は信頼と呼んで関わろう
としてるだけであって それがあり方 って言ったりとか 関係性って言ったり
とか そういうふうに言葉を置き 直すしかないみたいな世界がある
と思うと 正直 何でもいいんじゃない かなと思ってて 本当に物理もコミュニケーション
も対話も全部一緒じゃないかな と思ってて っていう感覚が最近
特に強くて もう何でもいいじゃん って思うんだけど やっぱり多くの
人はこだわる。「対話って何ですか」「どうすれば信頼できるんですか」
「聴くって何ですか 」。分からんよ そんなの みたいな 聴いてる風で
分かった風で 何かすんだ風でしかなくて それがそうなのかなんて誰も判断
できなくないかって思っちゃう 感じもある。これが自分の中で
そう置ききらなくてもいいし その分からなさを楽しみながら でも
一旦 今はこういう言葉で言って みるねっていうことをできる関係
が僕はすごく楽しくて。っていう と どんどん社会から離れていく
感じもあって まずいまずいっていう 感じの自分がいるっていう。
社会から離れていく感じがあって っていうの分かるな なるほど
なんか全然違う方向にまた話が 飛んじゃうんですけど 本を書く
と1回文字 言葉というものになって 定義されるっていうか置かれるじゃない
ですか もう翌日からそこに書いた ことと違う例外が自分の中でたくさん
出てきて もどかしさと常に一緒 にいなきゃいけない感じがあって
だから聴くってこと定義したけど なんか違うんだよなみたいな これ
とずっと一緒にいなきゃいけない 苦しさがあるなみたいなことを
思ってました
いや、これが最近本当に多い のが 僕が大学の教員になるじゃないですか。
そうすると答えを持ってる っていう体にくるんですよ
おー なるほどな
だから「先生 ウェルビーイングって何ですか」「 知らんがな」みたいな
俺、対話の専門だしみたいな でも答えなきゃいけないみたいなっていう
のが最初ほんと苦しくて だって ウェルビーイングの専門じゃないし。
対話だったらまだしもね 。でもウェルビーイング学部だから
言わなきゃいけないみたいな 中で言い続ける 肉体的精神的
社会的とかいうことを言ってて もうつまんないなと思ってたん
だけど 僕の中で言葉を置き直せた 瞬間があって。秋ぐらいに この森
が僕の背景なんですけど つながりの中で自分の命が十全に生かされてる
っていうのがウェルビーイングなんだ って分かった瞬間があったんですよ
そう置けた瞬間に言えるようになった し これが僕にとってはウェルビーイング
だし これと対話はこうつながりますよ っていう 結局 その言葉自体という
のも 言葉が僕とつながった 僕にとって の言葉になったかどうかっていうことが
やっぱ大きいなっていうのをすごく 感じて なんかさっきの話も やっぱり
その瞬間の自分の言葉が置ければ もうそれで満足で あと誰がどう
みるかは別みたいな感じでありますよ
いや いいな なんかこのまま3人で 森の中に行きたい
いや 確かに 結局 言葉って切り取る ことしかできなくて そのもの自体
は感じるしかないから でもやっぱり 切り取んないと分かんないからって
あるもんね
言葉を超えた世界観を伝える階段として、本は必要なんだな
ちなみに もうこれ このポッドキャスト 始める前には全く話そうと思って
なかった話なんですけど 今回書いた この本って書きたい範囲は区切った
と思うんですけど この中で 自分の中で書けた感ってどれぐらい
あるんですか
まず 結論でいくと1割もないんですけど 書いたのが それ2年前かな
書いてありましたよね 2年前からって
そう で そっから どんどんさっき言ったように 進化しちゃってるから 全然言えてなくて
しかもそのね 言葉を超えたコミュニケーションを超えた世界観を伝えたいから
なんかそっからずっとすごい なんかこの矮小化した一部しか言えない感じがあって
でも一緒に書いてくれたまこりんが それでも書かないと そっちを説明できないから
まず入り口作りなよって言われたときに その通りだなって思ったし
もう1個は 今回大学の先生になったときに 学生と触れてすごく思った
まだこの3人っていろんな経験してきてるから 僕が1言えば5あがって10あがって広がっていく
でも学生はやっぱり経験が少ないからない、とすると ちゃんと階段を作らないと
全く違う方向に飛んでいってしまうので そういう意味でこういう本が必要なんだな
これについて今は納得して出してるっていう
そしてあれですね 本当にこの場では山田さんしゃべんないですね
そうなんですよ
なんかもうここから音が出ないように なんかしてんのかなっていうぐらい
いやなんか言い始めるとなんか 混線するじゃないですかって思って、大体いつも
ここで役割はどっちかというと こう 滞った時になんか投げる役だと思って
この場ではやってるんで
なるほどそういう役目なんだ
この話がより伝わるっていうのが より大事だなって思ってるんで
うわープロだわ
一つ分かりやすい映像が マトリックスであるじゃないですか
今日はちょっと山田さんパートが 多くなりそうな気がしてるんですけど
なんか今ここまででなんかあったりするんですか
本当ですか 全力で僕の好きな方に行きますけど
ちょっと行ってみましょうよ 行ってみましょうよ
たまにはいいじゃないですか
いやなんかさっきのかずさんの 物理学的に捉えて
2物体間のインタラクションみたいな 言い方をされてたのって
なんか組織っていうものを ずっと扱ってきてるのがやっぱ中心だと
やっぱ組織っていうものも すごいそうだなと思っていて
僕、前に1年 2年ぐらい前かな
美術館である写実的な絵を描く方の絵を見た時に
右側に自分の5歳の娘の絵を描いて
左側に人体模型みたいなのがあるじゃないですか 血管があってみたいなのって
この2つがどっちも共に存在してるっていうことを その方が描いていて
自分の娘が本当に存在として愛おしく思うっていう自分と
でもその中にはメカニズムとして 血管があったり内臓があったりしますよねって
二重ですよねって話をしていて
すごい僕その時、腑に落ちたのが、組織を作るって僕がやる時って
すごいどっちもやってるんだって その瞬間すごい思って
メカニズムとして人体模型かのように 人が繋がってインタラクションがうまくいって
だからいいアウトプットが出るみたいなことを
少なくともビジネスの世界で組織作りをしようと思ったら絶対やらなきゃいけないじゃないですか
っていう話と 一方でそこにいる生身の櫻井将という人は
エールの代表取締役とかじゃなくて 櫻井さんという存在は人生で何したいのってことに
耳傾けるって ものすごいどっちもやるじゃないですかっていうのを
混ぜちゃうと苦しいなって思ってたんですけど 別だなって
別だけど二重に存在してるんだなって すごい思ったんですよねっていう感覚を
すごい結構自分の中で腑に落ちたんですよ
っていうのがすごい同じ話されてるなって さっき伺ってて思いました
なんかそれって一つ分かりやすい映像が マトリックスであるじゃないですか
急にデジタルの世界で繋がると見えるみたいな
なんかああいう感じなんですよね 僕例えば会話をする時って
そういう質感で見てて なんかよく言うのが場が沈み込んでいく
3次元モデルがあってグワーって そのエネルギーの質感をずっと自分いつも感じてて
よく場に立って歩いてる時に うん?って気になって
ふっと知らない人の言葉を掴むんですけど それって同じことで
なんか空間が歪んでいる感じなの それを掴むとそこで重力が発生して
場が沈んでって全体が沈むみたいなイメージで持ってて
でもそれと今言ったこの生身の人間がいるっていうのは
同時にレイヤーが違うだけでいるって感じ
そこにその感じで 僕、根がやっぱり人事だったり経営する側にいて
組織全体どう作るかってことやってきていて あんまり場のファシリテーションとかが
専門ではなくっていう感覚でいると 今のかずさんが場の重力というか
地場というか見てみたいなことと 近い感覚を僕は時間軸長く取って
じゃあ例えばエールという組織が十何年の歴史があって
どうすればこの一貫性が「系」としていい状態になるんだっけ
っていうことをすごい見てる感じと
でもここにいる 働いてる今のメンバー本当に幸せなんだっけって
その人に本当深く向き合うって 今のかずさんのと見る対象が違うだけで
同じことやってるんだなっていうのは ちょっと時間軸長めに
多分見てるんだと思うんですよねっていうのが違いなだけで
何かの一貫性見てる感じはすごいあるんですよね
もう今のごめんなさい、系って言葉自体がもう響いちゃって今
キュンキュンしてます、すいません
あんまり通じないので普段は使わないんですけど、系の一部で
やっぱりエールで働いてる私もその瞬間を エールという系の一部でしかなくて
どこまでが僕かなんてどっちでもいいんですよって思ってるんですよ
っていう表現 通じないのが多いんで嬉しいですむしろ
でこのことに自覚的になると組織も社会も世界も見え方が変わると思うんですよ
僕ねこれを何とかしたいんですよね 対話したいっていう
森とかと一緒で だって僕ら別に森があるって言ったって
日常だって森の一部じゃないですかって言えばそうだし
境目なんてないから そのことを知って
線を引くという行為が言葉を作るっていうことであり、人が生きる上では大事なんだけど
引き直せるし 本来引いてないしっていうところの
このことを知ってほしいんですよね
楽しいなこれ。楽しいよね、これね
聴くっていうのは、自分と相手の境界線を溶かす行為
まさるどうよ
だいぶ楽しいですねなんかもうあの
今日何話そうかなって付箋に書いてた1時間前の僕を
ちょっとなんかいじめてあげたいです
こんなことしなくて大丈夫だよって
だからこそね だからこそ聴くって何なのって
そういう世界観でしたとき聴くって何なのって聴いてみたい
でも聴くっていうのは 僕一個
なんていうのかな 自分と相手というものをなくすための手段だと思ってるんですよね
だから自分というものを抜けて相手が何を見てて何を感じてて
何を考えているのかということに
全力でこうそれを一緒に味わいに行こうとするという行為は
なんかね自分と相手の境界線を溶かす行為だと思っていて
そうするとなんかどっちが喋ってるでもないし
結局そこに場があるというだけで
何かが起きているっていうことが聴くっていう行為なんで
すごく瞑想的な行為だなと思うし
そのために瞑想 良い瞑想するための一つの手段として
聴くっていうのはあるんじゃないかなぐらい思ってたりはしますかね
こんな感じで あっという間に20分ぐらい経ってしまったそうなので
いくらでも続けられそうなんですが
いったんこのぐらいで区切って、後半何するかまたその次に考えましょうかということで
じゃあいったん前半ここまでで終わりたいと思います
櫻井さんありがとうございました
ありがとうございました
21:54

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